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中国歴史人物列伝 13
最新の更新2026年10月12日 最初の公開2026年10月1日
荘子 胡蝶の夢と無為自然の思想 生没年は不明 前369年頃 - 前286年頃
范蠡 政治家と豪商の二度の人生 生没年は不明 前517年前後頃 - 前448年頃
班超 水清ければ大魚なしの軍人 32年 - 102年
張飛 実は劉備や関羽と並ぶ名将 不詳(160年代か) - 221年
王維 安史の乱の危機と仏教詩人 699年 - 761年(または701年 - 761年)
李登輝 台湾を民主化した立役者 1923年 - 2020年
参考 今までとりあげた人物 実施順 時代順
朝日カルチャーセンター新宿教室 教室・オンライン自由講座 見逃し配信あり
指定木曜日 2026/10/8, 10/22, 11/12, 11/26, 12/10, 12/24 午前10:30〜12:00
以下、https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=8997174 より引用。
歴史を理解することは、人間を理解すること。ヒストリー(歴史)とストーリー(物語)は、もとは同じ言葉でした。中国の伝統的な「紀伝体」の歴史書も、個々人の伝記を中心とした文学作品でした。
本講座では、日本にも大きな影響を残した中国史上の人物をとりあげ、運や縁といった個人の一回性の生きざまと、社会学的な法則や理論など普遍的な見地の両面から、人生を紹介します。豊富な図像を使い、予備知識のないかたにもわかりやすく解説します。(講師・記)
10/08 荘子 胡蝶の夢と無為自然の思想
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-k5AextaevZbtfD9lDWJuYQ
VIDEO
○ポイント、キーワード
戦国時代 Warring States period
中国史の戦国時代は、紀元前403年から前221年まで(開始年には諸説あり)。日本の戦国時代は、15世紀末から16世紀末まで。
戦う国どうしは、生き残りをかけた競争を行い、政治・経済・文化の面で「パワーの強制的向上」が見られた。
宋 そう Song
古代中国の地名ないし国名。春秋戦国時代の宋は「侯国」だった。殷(いん。自称は「商」)が周によって滅ぼされたあと、周王により殷の王族が宋に封ぜられ、殷の祭祀(さいし)を継いだ。
「宋襄の仁」(そうじょうのじん)の宋であり、古代中国では差別を受けていた。
荘子(人名。「荘先生」の意。本名は荘周)の寓言は、"jewish joke"(ユダヤ人ジョーク)と同様、辛辣だが深い洞察と含蓄に富む。
道 Tao
みち、タオ、Tao。あるがままの天然自然のみち。儒教的な「有能」「有為」に対するアンチテーゼである「無為自然」や「無用の用」を説く。
道家思想(Philosophical Taoism)と道教(Religious Taoism)
史実の荘子は、諸子百家の一派として自然の摂理に従い無為自然に生きる哲学を提唱した。
後世に成立した民族宗教である道教は、不老不死や救済を求める信仰であるが、老子や荘子を神格化して崇拝の対象とした。
英語では両者をあわせてTaoismと呼ぶが、日本語では両者を区別する傾向が強い。
虚無主義 Nihilism
ニヒリズムは19世紀以降の西洋起源の思潮をさすが、荘子(荘周)はいわば「人間らしく生きるためのニヒリズム」を追及したニヒリストだった。
疎外 alienation
近現代の哲学用語。人間が作り出したモノやコト、文明の利器や文物制度などが、まるで独立した生き物のように立ち現れ、かえって人間を支配してしまうようになること。
荘子が説いた「道」は、儒教的な道徳ではなく、人間が疎外から自由になるための道であった。
○辞書的な説明
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 』から引用
荘周 そうしゅう Zhuang Zhou [生]前370? [没]前310?
中国,戦国時代の思想家。道家 に属する。
宋国 の蒙 (河南省商邱県) の人。漆畑の番人で,梁の恵王 から宰相として招かれたが,仕えなかったと伝えられるが,確実な伝記は不明。
一説に,字は子休。荘子と尊称される。
唐代には道教の神仙に格上げ されて,南華真人と追号された。
戦国時代の思想界には孟子よりあと,荀子の前 に現れ,その後大きな影響を及ぼした。
いわゆる『荘子』がその著書として伝えられているが,通説では,そのうちの内編7編がその自著 であろうという。しかし,最近では,そのうちの「逍遙遊」「斉物論」の2編を自著とみる学者が多い。
『精選版 日本国語大辞典』から引用
そう‐し サウ‥【荘子】
(「曾子(そうし)」との混同をさけるため「そうじ」ということが多い)
[1]
[一] 中国、戦国時代の思想家。道家思想の中心人物 。名は周。字(あざな)は子休。南華真人と称される。宋の蒙(河南省商邱 )の人。
孟子と同じ紀元前四世紀後半の人で、儒教の人為的礼教を否定し、自然に帰ることを主張した。世に老子と合わせて老荘という。著に「荘子」がある。生没年未詳。
[二] 中国の道家書。戦国時代の荘子の著。「老子」と並んで道教の根本経典。現行本三三編は西晉の郭象が整理編集したもの。
多く寓言により大自然の理法である道とこの道に従って人間のさかしらである仁義を捨て安心自由な生活を得よう とする方法を説く。南華真経。
[2] 【名】名 (荘子が夢で胡蝶になったという「荘子‐斉物論」の故事から) 蝶をいう。※雑俳・若紫(1741‐44)「灯を荘子が消て口舌やむ」
旺文社世界史事典 三訂版より引用
荘子 そうし
生没年不詳 / 戦国時代の思想家で道家の代表者
名は周。宋の人。老子の思想を発展させた。無為自然の思想の上にたち,個人主義的または虚無主義的傾向 が強い。
その著『荘子』33編は,内編7・外編15・雑編11からなり,内編だけが彼の手になるといわれる。
○略年表
荘子こと荘周は実在した人物である可能性が高いものの、その生涯は説話的色彩にいろどられており、詳しいことはわからない。
生年不詳 前370年頃? 宋の蒙(もう)(現在の河南省商丘市、または安徽省蒙城県)に生まれる。名は周(しゅう)。
前4世後半 生年中期(官職への就任と隠遁) 故郷の蒙で漆園の吏(しつえんのり:漆畑を管理する下級役人)という小官に就く。
しばらくして官職を辞し、生涯にわたり独立した自由な生活を送る。非常に貧しい暮らしをしていたと伝わる。
魏の恵王(在位期間 前369年 - 前319年)・襄王(在位期間 前319年 - 前296年)の二代にわたって仕えた魏の宰相で学者の恵施(恵子)と論戦。
楚の威王(在位期間, 前339年 - 前329年)が荘子の賢明さを聞き、高禄をもって宰相(総理大臣)として迎えようと使者を送ると、
荘子は「生贄の牛」のたとえ話(祀られるために飾られて殺される牛よりも、豚として生きるほうがよい、という比喩(あるいは、恭しく祀られる亀の骨より、泥の中で這い回る生きた亀のほうが自由で幸せである)を使い、この仕官の誘いをきっぱりと断る。
前356年頃 秦で、法家の商鞅(しょうおう)による変法が始まる。
前342年 馬陵の戦い 斉の孫?(そんぴん)が魏軍の?涓(ほうけん)に勝利。
前312年 燕で昭王が即位。「先づ隗より始めよ(先従隗始 マずカイよりハジめよ)」の故事。
前310年頃? 荘周が死去
前290年 儒家の孟子(前372年生まれ)、死去。
前221年 秦の始皇帝が皇帝に即位。戦国時代が終わる。
司馬遷『史記』巻63・老子韓非列伝第三の荘子のくだり
莊子者,蒙人也,名周。周嘗為蒙漆園吏,與梁惠王、齊宣王同時。其學無所不闚,然其要本歸於老子之言。故其著書十餘萬言,大抵率寓言也。
作漁父、盜跖、胠篋,以詆訿孔子之徒,以明老子之術。畏累虚、亢桑子之屬,皆空語無事實。
然善屬書離辭,指事類情,用剽剥儒、墨,雖當世宿學不能自解免也。其言洸洋自恣以適己,故自王公大人不能器之。
楚威王聞莊周賢,使使厚幣迎之,許以為相。莊周笑謂楚使者曰:「千金,重利;卿相,尊位也。子獨不見郊祭之犧牛乎?養食之數歳,衣以文繍,以入大廟。當是之時,雖欲為孤豚,豈可得乎?
子亟去,無汚我。我寧游戲汚涜之中自快,無為有國者所羈,終身不仕,以快吾志焉。」
大意;荘子は、蒙(もう)という土地の人で、名を周(しゅう)といった。周はかつて蒙の漆園(しつえん)の役人を務めたことがあり、魏(梁)の恵王や斉の宣王と同時代の人であった。彼の学問はあらゆる分野に及び、見通さないものはなかったが、その要点は根本において老子の言葉に帰着するものであった。そのため、彼の著書は十万語余りに及ぶが、その大部分は寓話(たとえ話)である。
『漁父(ぎょふ)』『盗跖(とうせき)』『胠篋(きょうきょう)』などの篇を著して孔子の一派を批判・論難し、それによって老子の思想を明らかにした。『畏累虚(いるいきょ)』や『亢桑子(こうそうし)』といった篇の類は、すべて架空の作り話であり事実ではない。しかし、文章を組み立て言葉を連ねるのが巧みで、事物を指し示して情理を描写することに優れており、それを使って儒家や墨家を痛烈に批判した。当時の一流の学者たちでさえ、彼の論駁から自分を弁護して逃れることはできなかった。彼の言葉は広大で奔放であり、自分の思うままに表現したため、王公や大臣といった権力者たちも、彼を国家の器として登用することはできなかった。
楚の威王は荘周が賢人であると聞き、使者に多くの結納品を持たせて彼を迎えさせ、宰相として迎えることを約束した。しかし荘周は笑って楚の使者にこう言った。
「千金といえば大金(莫大な利益)であり、卿相(宰相)といえば最高の地位だ。だが、あなた方は天を祀る儀式(郊祭)に供えられる犠牛(いけにえの牛)を見たことがないのかね? 何年も手厚く養われ、美しく刺繍された衣服を着せられて、大廟(祖先を祀る廟)に入れられる。その時になって、いくら一匹の迷い豚(普通の豚)になりたいと願ったところで、どうしてそれが叶うだろうか。
あなた方はすぐに立ち去って、私を汚さないでくれ。私はむしろ、泥まみれの溝の中で遊び暮らして心楽しく過ごす方を選ぶ。国を持つ者(権力者)に縛られることなく、生涯仕官はせず、自分の志を快く全うしたいのだ」
○『荘子』選読
生前の荘周の自著は、現在の『荘子』の前のほうの一部であるとされる。残りは後世の加筆や仮託であろう。
○『荘子』に由来する成語や熟語の例
【あ行】井の中の蛙(かわず)、大海を知らず 命長ければ辱多し 魚を得て筌(せん)を忘る 偃鼠(えんそ)河に飲むも満腹に過ぎず 尾を泥中に曳(ひ)く
【か行】蝸牛(かぎゅう)角上の争い 風を吸い露を飲む 甘井、先ず竭(かわ)く 邯鄲(かんたん)の歩み 空谷の跫音(きょういん) 管を用いて天を窺う 君子の交わりは淡きこと水の如し 影を畏れ迹(あと)を悪(にく)む
古人の糟粕(そうはく) 胡蝶の夢 孔子、行年(こうねん)六十にして六十化す 心合わざれば肝胆も楚越(そえつ)の如し 心を虚しくする 鯤鵬(こんぽう)
【さ行】三釜(さんぷ)の養 櫛風沐雨(しっぷうもくう) 鷦鷯(しょうりょう)、深林に巣くうも一枝に過ぎず
【た行】卵を見て時夜を求む 樗材(ちょざい) 朝菌は晦朔(かいさく)を知らず 筌蹄(せんてい) 轍鮒(てっぷ)の急 屠龍(とりゅう)の技 蟷螂(とうろう)の斧 呑舟の魚
【な行】汝の身すら汝の有に非ざるなり
【は行】顰(ひそ)みに倣(なら)う
【ま行】無用の用 木鶏(もっけい/ぼくけい)
胡蝶の夢 こちょうのゆめ 斉物論篇第二
むかし荘周は夢に胡蝶となった。楽しく飛び回る胡蝶であった。心が楽しくて思い通りだったせいか、自分が荘周であることを自覚しなかった。ふと覚醒すると、まぎれもなく荘周である。いったい荘周が夢で胡蝶となっていたのか、胡蝶が夢で荘周となっているのか。荘周と胡蝶には必ず区分があるのだろう。これを「物化」という。
【関連事項】 クオリア、唯脳論、思考実験「水槽の脳」(brain in a vat)、独我論(solipsism)
渾沌、七竅に死す こんとん、しちきょうにしす 応帝王篇第七
南海の帝を倏(しゅく)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、中央の帝を渾沌(こんとん)といった。
倏と忽はときどき渾沌の地で会った。渾沌のもてなしはとても行き届いていた。倏と忽は渾沌にお礼をしようと思い、相談して言った。
「人間の顔には目耳鼻口に七つの穴があり、それで視聴飲食しているが、彼にだけは無い。ためしに穴をあけてあげよう」
一日にひとつずつ穴をあけていったところ、七日目に渾沌は死んだ。
【関連項目】 「魅」の字源、キティちゃんの口
機心 きしん 天地篇第十二
子貢が旅をしていたときのこと。老人がひとり、畑仕事をしていた。手仕事で、見るからに能率が悪そうだった。子貢は言った。
「ハネツルベをお使いにならないのですか。ハネツルベを使えば、流れるように水を汲めて、一日に百畝(うね)も水をかけられますよ」
「わしは師匠から習った。『機械』を使う者は必ず『機事』がある。『機事』がある者は必ず『機心』がある。『機心』が胸のなかに存在すると、純白な心がなくなる。純白な心がなくなると、精神の本性が定まらない。精神の本性が定まらなければ、道に載せてもらえない。わしはハネツルベを知らない訳ではないが、恥ずかしいから使わないのだよ」
【関連項目】 疎外、チャップリンの映画『モダン・タイムス』(Modern Times、1936)、「スマホ奴隷」
古人の糟魄 こじんのそうはく 天道篇第十三
「知る者は言わず、言う者は知らず」という真理を、世間の人はわかっていない。
こんな話がある。斉の桓公が、やしきで、本を読んでいた。やしきの庭では、輪扁(りんぺん)という車輪づくりの職人が作業をしていた。
「殿は、何をお読みですか?」「聖人の本じゃ」「聖人は、まだ生きておいでですか?」「とっくに亡くなっておる」「では、殿がお読みになっているのは、古人のカス、ということですね」
「職人のぶんざいで、余の読書について、あれこれ言うとは。なにか言いぶんがあるなら聞こう。なければ殺すぞ」
「わたくしめは、自分の仕事からそう思ったのでございます。
車輪の木を削るとき、ユルユルとキチキチと、この微妙なさじ加減のコツは、手や心ではわかりますが、言葉では表せません。
私は、このコツをせがれに口で説明できません。せがれも、私から教わることはできないのです。
だから、わたくしめは七十という年齢になっても、まだ引退できず、車輪の木を削っておるのでございます。
いにしえの人は、言葉で人に伝えることができないものとともに、亡くなってしまったのです。
というわけで、殿がお読みになられているのは、古人のカスであると申し上げたのでございます」
【関連項目】 暗黙知(tacit knowledge)と形式知(explicit knowledge)
顰みにならう ひそみにならう 天運篇第十四
昔と今は時代も人間も違う。昔の道徳が良かったといっても、今の時代にはあてはまらない。
歴史的な美女である西施が、胸を病んだ。彼女が胸に手をあてて苦しそうに眉をしかめると、ますますセクシーになった。
それを見た同じ村のブスが「美しいなあ」と思い、自分もマネをして胸に手をあてて、眉をしかめた。
ブスな顔はますます醜くなった。金持ちは門を固くとざしてひきこもり、貧乏人は妻子を連れて村から逃げ出した。
ブスは、西施を見て「美しいなあ」ということはわかったが、なぜ西施が美しいのか本質的な理由を知らぬまま形だけマネたのだ。
孔子先生もおんなじだ。きっと難儀なことになってしまうだろうよ。
【関連項目】 整形依存症
太倉稊米 たいそうていまい 秋水篇第十七
海の神・北海若(ほっかいじゃく)は言った。
「四海が天地のあいだに存在するのは、小穴が大沢の中にあるようなものだ。中国が海内(かいだい)に存在する様子は、せいぜい、大倉のなかのヒエの粒ひとつ程度ではなかろうか。
物の数を『万』といい、ヒトを『万物の霊長』と言ったりするが、ヒトもまた万物の中の一つにすぎない。ヒトが万物において占める位置は、例えて言えば、ウマの体毛のなかの細い一本の毛先ほどにすぎないのではないか」
【関連項目】 宇宙論
邯鄲の歩み かんたんのあゆみ 秋水篇第十七
戦国時代、燕の首都である寿陵は辺境の田舎町だったが、趙の首都である邯鄲は大都会だった。
寿陵の若者が、邯鄲に行き、おしゃれな歩きかたを学びたいと思った。趙の歩きかたをマスターする前に、ふるさとの歩きかたを忘れてしまった。
若者は四つん這いで、故郷に帰った。
君も、この若者と同じだ。荘子のところに長居していると、もとの自分の学問も忘れてしまい、身の破滅だよ。さっさと帰りなさい。
【関連項目】 子どもの早期英語教育のデメリット
知魚楽 ちぎょらく 秋水篇第十七
荘子が恵子(けいし)と一緒にゴウという川のほとりに遊んだ。荘子は言った。
「ハヤが自由自在に泳いぎまわっている。これが魚の楽しみなのだ」
恵子は反論した。
「君は魚ではない。魚の楽しみがわかるはずがない」
「君はぼくではない。ぼくが魚の楽しみがわからないと、君にわかるはずがない」
「ぼくは君ではないから、もちろん君のことはわからない。君ももちろん魚ではないから、君に魚の楽しみはわからないことは確実である」
「根本に返ってみよう。君はいましがた『おまえに魚の楽しみがわかるはずがない』と反論したが、それは実は、君がぼくの知識の程度を知っているからこそ、そう推論できたわけだ。
ぼくだって、ゴウの川のほとりに立って魚の楽しみを知ったわけさ」
【関連項目】 思考実験「哲学的ゾンビ」(Philosophical zombie)
善く游ぐ者は数やかに能くす よくおよぐものはすみやかによくす 達生篇第十九
顔淵(がんえん)が、孔子にたずねた。
「わたくしは以前、川の難所と言われる場所を舟でわたりました。そのときの渡し守りの舟のあやつりかたは、まさに神わざでした。渡し守りが言うには『泳げる人ならば、すぐ舟があやつれるようになるよ。もし潜水夫だったら、なおさらだよ』ということでした。どういう意味でしょうか」
孔子は答えた。
「泳げる人が舟を簡単にマスターできるのは、水を恐れないから、水の存在を忘れるからだ。
潜水夫ならばなおさら水を恐れないから、たとえ舟の難所と言われる場所でも陸地のように気軽に思えて、もっと簡単に舟をマスターできるわけだ。
潜水夫なら、たとえアクシデントが連続して起きようと、余裕しゃくしゃくで対処できるからだ。ゲームで賭けるものが価値の低い瓦なら、リラックスしてうまく勝てるが、賭けるものが値うちのあるバックルだと心が緊張してしまう。まして賭けるものが黄金となると、もう目が見えなくなってしまう。技量が同一でも、負けを恐れる気持ちがあると『外』を重んずるようになる。一般に、『外』を重んずる者は『内』がお粗末になってしまうのだ」
【関連項目】 努力逆比例の経験則、ビギナーズ・ラック、『淮南子』(えなんじ)のことわざ「善游者溺」(ぜんゆうしゃでき)
悪き者は自ら悪きとす みにくきものはみずからみにくきとす 山木篇第二十
学者の楊子が、弟子たちとともに宋に行き、旅館に泊まった。旅館の主人には二人の「妾」がいた。一人は美人で、一人はブスだったが、ブスのほうが大切にされていた。楊子が旅館の小僧に理由をきくと、小僧は
「美女のほうは自分の美しさを鼻にかけてるので、美しいと感じられません。醜女のほうは自分の醜さを自覚しているので、醜いと感じられません」
楊子は弟子たちに言った。
「おぼえておけ。賢い行いをして賢さを鼻にかけなければ、どこへ行っても愛されるよ」
【関連項目】 ソクラテスの「不知の自覚」「無知の知」"I know that I know nothing"
筌蹄 せんてい 外物篇第二十六
ふせご(筌。伏せ籠)は魚をとらえる道具だ。魚を得たら忘れてよい。わな(罠。蹄)はウサギをとらえる道具だ。ウサギを得たら忘れてよい。
ことばは意味をとらえる道具だ。意味がわかれば忘れてよい。私は、なんとかして「忘言の人」を得て、ともに語りあいたいものだ。
【関連項目】 自己目的化、禅の「指月の譬(たとえ)」
行年六十にして六十たび化す こうねんろくじゅうにしてろくじゅったびかす 寓言篇二十七
荘子はライバルの惠子に言った。「孔子は六十歳になるまで六十回も変わった。はじめは正しいと思ってたことを、あとで間違いだと否定する。
今、正しいと言ってることも、五十九回の否定と同じ結果になるかもしれない。(中略)私なんぞ、孔子にはとても及びもつかないよ」
【関連項目】 鈴木敏夫『禅とジブリ』の宮崎駿評
天地を以て棺槨と為す てんちをもってかんかくとなす 列禦寇(れつぎょこう)三十二
荘子はご臨終になった。弟子は手厚い葬儀を申し出た。荘子は断り、言った。
「私は、この天地を棺桶にする。葬儀の飾り付けは、太陽と月と星でじゅうぶん。副葬品は、この世の万物がそれだと思えばいい。私の葬儀の品は、もうこれでじゅうぶんだ。追加しなくていい」
弟子は言った。
「カラスやトンビに先生が食べられてしまうのではないかと、心配です」
「私の遺体を地上に置けば、たしかにカラスやトンビのエサになるだろう。でも、土葬すれば、おケラやアリのエサになるだけだ。鳥からエサを奪って虫に与えるなんて、無意味なえこひいきはするな」
【関連項目】自然葬、溶葬
惠子の詭弁 天下篇三十三
論理学派の学者・恵子(けいし)は、多芸多才で、蔵書は五台の車いっぱいほどもあったが、その学問は雑駁で、その言葉は的はずれだった。彼は物の意味を吟味して、以下のような詭弁的命題を立てて、仲間の学者たちと論争を楽しんでいた。
至大は「外」を持たない。これを「大一」と呼ぶ。至小は「内」を持たない。これを「小一」と呼ぶ。
厚みの無いものは積みあげることはできないが、千里四方の面積を持つことはできる。
天と地はいっしょにならび、山と沢は同様に平である。
日はちょうど南中のときに傾く。万物はちょうど生成するときに死滅する。
大きなレベルでは同じだが、小さなレベルでは違う。これを小同異と言う。万物はみな同じであると同時にみな異なる。これを大同異と言う。
「南方」は無限であると同時に有限である。
今日、越(えつ)の国に行き、昨日、帰ってきた。
連環は解ける。
天下の中央はどこか、私は知っている。北国・燕よりさらに北、南国・越よりさらに南の地である。
ひろく万物を愛するならば、天地は一体である。
卵には毛がある。
鶏の足は三本ある。
楚の国の都・エイに天下がある。
イヌはヒツジと見なすことができる。
馬はタマゴを生む。
カエルには尾がある。
火は熱くない。
山も口の働きをする。
車輪は地面に接触しない。
目はものを見ない。
指は到達しない、いったん到達したらば絶縁できない。
亀は蛇よりも長い。
さしがねは直角ではない、コンパスでは円を描けない。
ノミであけた穴はホゾを囲まない。
飛ぶ鳥の影は静止している。
飛ぶ矢は速いが、動いておらず止まってもいないときがある。
イヌは犬ではない。
黄色の馬と黒い牛をあわせて三となる。
白い犬は黒い。
孤児の駒はもともと母親がいない。
わずか一尺のムチでも、毎日その半分ずつをとり除くとすると、永遠に無くなることはない。
【関連項目】 白馬は馬ではない、ソフィスト、アキレスは亀に追い付けない、完全均質の鎖は切れない、イデア論、クジラはケモノ(生物学・解剖学)であると同時に魚(経済学では捕鯨業は漁業に分類)である、太陽は黒い(物理学における「黒体」の概念)、不確定性原理、特殊相対性理論、インドの「刹那滅」の時間論
参考図書
金谷治訳注『荘子』岩波文庫、全4冊
加藤徹『漢文力』(中公文庫、2007)755円
加藤徹『漢文で知る中国 名言が教える人生の知恵』(NHK出版、2021)1870円
○その他
唐の玄宗皇帝は道教を重んじた。彼は天宝元年(742年)に荘周を神格化し、「南華真人」の敬称を贈った。書籍『荘子』も別名で『南華真経(なんかしんきょう)』と呼ばれるようになった。
日本初のノーベル賞物理学者であった湯川秀樹は、漢学者の家系に生まれ、幼少期に祖父から『荘子』の素読を受けて育った。
彼はのちに「私の素粒子論のアイデアのいくつかは、『荘子』の混沌(こんとん)の寓話からヒントを得た」と公言している。
随筆集『本の中の世界』(岩波新書、1963年)の巻頭や、自伝『旅人 ある物理学者の回想』(朝日新聞社、1958年)を参照。
以下、京都大学新聞の より引用。閲覧日2026年10月7日。引用開始
「私は子供ながらに、何故か孤独と親しんで行ったようだ」と湯川は述べる。湯川がすがるのは専ら本であり、幼い頃から読書家だった。彼をよく知る小学校時代の同級生は、その読書家ぶりから「文学の方面に進まれるのではないかと、思っておりました」と語ったという。
そんな彼が物語の世界から一歩飛び出して開けた世界に出たのは、祖父に教えられながら漢文の素読を始めた5、6歳の頃であった。
「その日から私は子供らしい夢の世界をすてて、むずかしい漢字のならんだ古色蒼然たる書物の中に残っている、二千数百年前の古典の世界へ入ってゆくことになった」と彼は述べる。
彼の物理学人生を方向づけたのは、孔子や孟子の漢籍よりむしろ、老子や荘子の思想だった。
老荘思想は、万物の根源を想定する。それは突き詰めれば宿命論に他ならず、この点で自然の摂理に全てが帰着する自然科学に通ずる 。そうして湯川は自然科学に、とりわけ基礎的な部分を扱う物理学に進むことになった。
『荘子』冒頭の漢文は有名で、ここから名前を採った人物や会社、学校もある。
大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年 - 2013年)
大鵬薬品工業
図南(となん):図南の翼、図南鵬翼、図南サッカークラブ、八戸市立図南小学校、北洋総合工船 図南丸。
cf.加藤徹「漢語再発見�B 朋友 鯤鵬 」、『漢文教室 第212号』(大修館書店、2026年4月) https://www.taishukan.co.jp/kokugo/media/journal_kanbun/?act=list
北冥有魚、其名為鯤。鯤之大、不知其幾千里也、化而為鳥、其名為鵬。鵬之背、不知其幾千里也、怒而飛、其翼若垂天之雲。
是鳥也、海運、則将徙於南冥。南冥者、天池也。斉諧者、志怪者也。諧之言曰:「鵬之徙於南冥也、水撃三千里、摶扶揺而上者九万里、去以六月息者也。」
野馬也、塵埃也、生物之以息相吹也。天之蒼蒼、其正色邪?其遠而無所至極邪?其視下也、亦若是則已矣。
且夫水之積也不厚、則負大舟也無力。覆杯水於?堂之上、則芥為之舟、置杯焉則膠、水浅而舟大也。
風之積也不厚、則其負大翼也無力、故九万里、則風斯在下矣、然後乃今、培風背、負青天、而莫之夭閼者、然後乃今将図南 。
北の果ての暗い海(北冥)に魚がいた。その名を「鯤(こん)」という。鯤の大きさは、どれほど何千里あるのか分からないほど巨大である。これが姿を変えて鳥となる。その名を「鵬(ほう)」という。鵬の背中もまた、どれほど何千里あるのか分からないほど巨大である。この鳥がひとたび奮起して飛び立つと、その翼はまるで天の一方を覆いつくす雲のようである。
この鳥は、海が荒れて大風が吹く(海運)と、それを利用して南の果ての暗い海(南冥)へと旅立とうとする。南冥とは、天が作った巨大な池(天池)のことである。『斉諧(せいかい)』という書物は、世にも奇妙な怪異を記録したものである。その『斉諧』にはこう記されている。「鵬が南の海へと旅立つときには、水面を打つこと三千里、激しいつむじ風を巻き起こして舞い上がること九万里に及び、六ヶ月もの間吹き続ける大風(息)に乗って飛び去るのだ」と。
地上に目を向けると、春の陽炎(野馬)や、立ち込めるちりやほこり(塵埃)が舞い、生き物たちはお互いの息を吹きかけ合って生きている。私たちが仰ぎ見る天のあの青々とした色は、天の本当の色なのだろうか? それとも、あまりに遠くて果てがないから青く見えるだけなのだろうか? 鵬が遥か上空から地上を見下ろしたときも、私たちが地上から天を見上げるのとまったく同じように見えているに違いない。
そもそも、溜まった水の深さが十分でなければ、大きな船を浮かべる力は生まれない。堂のくぼみに一杯の水をこぼしたとき、小さな草の切れ端(芥)なら船のように浮かべることができるが、そこに杯(さかずき)を置けば底が地面にくっついて動かなくなってしまう。水が浅いのに船が大きすぎるからだ。
同じように、蓄えられた風の力が十分でなければ、その巨大な翼を支える力は生まれない。だからこそ、鵬が九万里の高さまで昇って初めて、激しい風がその翼の下に十分に行き渡るのだ。そうして初めて、鵬は風に乗り、青天を背に負い、何ものにも行く手を阻まれることなく、いよいよ南の海を目指して飛び立つことができるのである。
荘子が出てくる短編小説に、魯迅「起死」(『故事新編』)や、岡本かの子「荘子」(https://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/46930_33269.html )などがある。
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10/22 范蠡 政治家と豪商の二度の人生
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11/12 班超 水清ければ大魚なしの軍人
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11/26 張飛 実は劉備や関羽と並ぶ名将
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12/10 王維 安史の乱の危機と仏教詩人
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12/24 李登輝 台湾を民主化した立役者
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【参考】 今まで取り上げた人物
★講座の実施日順
秦の始皇帝
前漢の高祖・劉邦
宋の太祖・趙匡胤
清末の西太后
中華人民共和国の毛沢東
共通祖先の作り方 黄帝
東アジアに残した影響 漢の武帝
インフラ化した姓 後漢の光武帝
汚れた英雄のクリーニング 唐の太宗
史上最強の引き締めの結末 明の洪武帝
打ち破れなかった2つのジンクス 蒋介石
パワーゲーマーの栄光と転落 唐の玄宗
織田信長もあこがれた古代の聖王 周の文王
「19浪」の苦節をのりこえた覇者 晋の文公
早すぎた世界帝国 元のクビライ
中国統治の要道を示した大帝 康煕帝
21世紀の中国をデザイン �ケ小平
魏の曹操 漢・侠・士の男の人間関係
殷の紂王 酒池肉林の伝説の虚と実
斉の桓公 中国史上最初の覇者
唐の武則天 中国的「藩閥」政治の秘密
清の乾隆帝 世界の富の三割を握った帝王
周恩来 失脚知らずの不倒翁
古代の禹王 中華文明の原体験
蜀漢の諸葛孔明 士大夫の典範
宋の徽宗 道楽をきわめた道君皇帝
明の永楽帝 世界制覇の見果てぬ夢
清の李鴻章 老大国をささえた大男
臥薪嘗胆の復讐王・勾践
始皇帝をつくった男・呂不韋
劉邦をささえた宰相・蕭何
チンギス・カンの側近・耶律楚材
大元帥になった国際人・孫文
清と満洲国の末代皇帝・溥儀
太古の堯と舜 「昭和」の出典になった伝説の聖天子
蜀漢の劉備 「負け太り」で勝ち抜いた三国志の英雄
明の万暦帝 最後の漢民族系王朝の最後の繁栄
袁世凱 83日間で消えた「中華帝国」の「洪憲皇帝」
劉少奇 21世紀も終わらない毛沢東と劉少奇の闘争
楚の荘王――初めは飛ばず鳴かずだった覇者
斉の孟嘗君――鶏鳴狗盗の食客を活用した戦国の四君
呉の孫権――六朝時代を創始した三国志の皇帝
梁の武帝――ダルマにやりこめられた皇帝菩薩
南唐の李�U――李白と並び称せられる詩人皇帝
台湾の鄭成功――大陸反攻をめざした日中混血の英雄
趙の藺相如――国を守った刎頸の交わり
前秦の苻堅――民族融和を信じた帝王の悲劇
北魏の馮太后――欲深き事実上の女帝
隋の煬帝――日没する処の天子の真実
明の劉瑾――帝位をねらった宦官
林彪――世界の中国観を変えた最期
項羽――四面楚歌の覇王
司馬仲達――三国志で最後に笑う者
太武帝――天下を半分統一した豪腕君主
憑道――五朝八姓十一君に仕えた不屈の政治家
チンギス・カン――子孫は今も1600万人
宋美齢――英語とキリスト教と蒋介石
平原君―食客とともに乱世を戦う
陳平―漢帝国を作った汚い政治家
秦檜―最も憎まれた和平主義者
曽国藩―末世を支えた栄光なき英雄
汪兆銘―愛国者か売国奴か
江青―女優から毛沢東夫人へ
孔子 東洋の文明をデザインした万世の師表
司馬遷 司馬遼太郎が心の師とした歴史の父
玄奘 孫悟空の三蔵法師のモデルはタフガイ
李白 酒と旅を愛した詩人の謎に満ちた横顔
岳飛 中華愛国主義のシンボルとなった名将
魯迅 心の近代化をはかった中国の夏目漱石
扁鵲 超人的な医術を駆使した伝説の名医
孟子 仁義と王道政治を説いた戦国の亜聖
達磨 中国禅宗の祖師はインド人の仏教僧
白居易 清少納言と紫式部の推しの大詩人
鄭和 大航海時代を開いたムスリムの宦官
李小龍 哲学と映画に心血を注いだ武術家
夏姫 衰えぬ美貌で多くの君臣と関係した美魔女
孫子 戦争哲学を説いた春秋と戦国の二人の孫子
張騫 武帝の命令で西域を探検した前漢の冒険家
慧能 日本・中国・韓国・ベトナムの禅僧の源流
洪秀全 清末の太平天国の乱を起したカルト教祖
梅蘭芳 毛沢東が「私より有名だ」と言った名優
趙飛燕 ― 妹とともに皇帝を虜にした舞姫
阮籍 ― 三国志の乱世を生きた竹林の七賢
後周の世宗 ― 五代一の名君となった養子
魏忠賢 ― 明王朝を傾けた史上最悪の宦官
ダライ・ラマ5世 ― チベット統一の英主
林則徐 ― アヘン戦争で善戦した欽差大臣
伍子胥――祖国を滅ぼし死屍に鞭打った復讐者
冒頓単于――東ユーラシアのもう一人の始皇帝
鳩摩羅什――日本人が読むお経を作った訳経僧
郭子儀――中国を滅亡から救った遅咲きの名将
蘇軾――書道と豚の角煮でも有名な文豪政治家
李徳全――平塚らいてうとも対談した女性大臣
屈 原 毛沢東が田中角栄に本を渡した意味
朱全忠 中世と貴族制を終わらせた反逆者
李清照 戦争に引き裂かれたおしどり夫婦
マルコ・ポーロ 世界史を変えた大旅行家
王陽明 知識と実行は一体と説いた思想家
順治帝 中国本土を征服した皇帝の死の謎
老子 行方知れずになったタオイズムの開祖
張衡 天文学や地震も研究した古代の科学者
鑑真 日本に移住した史上初のビッグネーム
北宋の太宗 日本を羨んだ兄殺し疑惑の皇帝
朱舜水 水戸黄門が師とあおいだ亡命中国人
老舎 満州人の世界的作家と文革での謎の死
張良 劉邦の天下取りをささえた名軍師
竇皇后 前漢の基礎を確立した影の主役
杜甫 詩聖とたたえられた社会派の詩人
朱子 東アジアの官学を創出した儒学者
張献忠 無差別大量殺人の残虐な反逆者
張作霖 馬賊あがりの奉天派軍閥の総帥
晏嬰 孔子と同時代の名宰相だった小男 あんえい
呂后 三大悪女と称される史上初の皇后 りょこう
周瑜 孫権を補佐し曹操を破った貴公子 しゅうゆ
文天祥 歴史を変えた科挙の首席合格者 ぶんてんしょう
秋瑾 和服と日本刀を愛した女性革命家 しゅうきん
川島芳子 謀略と謎に満ちた男装の麗人 かわしまよしこ
蘇秦 舌先三寸だけで戦国を動かす遊説家 ?-前284年
荊軻 始皇帝暗殺未遂事件の伝説的な刺客 ?-前227年
阿倍仲麻呂 中国史の一部となった日本人 698−770
黄巣 唐に引導を渡した科挙落第者の怨念 835ごろ-884
呉三桂 明清交替戦争の決定票を握る将軍 1612−1678
褒姒(ほうじ) 微笑みで国を滅ぼしたファム・ファタール 前790年代?-前771?
韓非子(かんぴし) 故事成語の宝庫は中国のマキャヴェリ 前280頃-前233
関羽(かんう) 道教の神として祭られる三国志の義の武将 160頃-220
楊貴妃(ようきひ) 史上まれな美女の知られざる真実とは 719-756
マテオ・リッチ 西洋から中国に渡来したイタリア人宣教師 1552-1610
梁啓超(りょうけいちょう) 日本とも縁が深い近代言論人 1873-1929
昭襄王 秦を最強国とした始皇帝の曾祖父 前325-前251
韓信 漢の天才軍略家の屈辱と栄光の人生 前231-前196
王莽 儒教を利用し漢王朝を簒奪した外戚 前45-23
李自成 明を滅ぼした逆賊か農民の英雄か 1606-1645
雍正帝 清王朝を支えた謹厳実直な改革者 1678-1735
李光耀 シンガポールを建国した華人四世 1923-2015
荘子 胡蝶の夢と無為自然の思想 前369年頃 - 前286年頃
范蠡 政治家と豪商の二度の人生 前517年前後頃 - 前448年頃
班超 水清ければ大魚なしの軍人 32年 - 102年
張飛 実は劉備や関羽と並ぶ名将 160年 - 221年
王維 安史の乱の危機と仏教詩人 699年? - 761年
李登輝 台湾を民主化した立役者 1923 - 2020
★時代順
先秦時代(三皇五帝、夏・殷・周、春秋・戦国)
共通祖先の作り方 黄帝 前2717?-前2599?
太古の堯と舜 「昭和」の出典になった伝説の聖天子
堯:前2356?-前2255? 舜:前2294?-前2184?
古代の禹王 中華文明の原体験 前2123?-前2025?
殷の紂王 酒池肉林の伝説の虚と実 前1105?-前1046?
織田信長もあこがれた古代の聖王 周の文王 前1152?-前1056?
褒姒(ほうじ) 微笑みで国を滅ぼしたファム・ファタール 前790年代?-前771?
斉の桓公 中国史上最初の覇者 前716-前643
「19浪」の苦節をのりこえた覇者 晋の文公 前697-前628
夏姫 衰えぬ美貌で多くの君臣と関係した美魔女 前630頃-?
楚の荘王――初めは飛ばず鳴かずだった覇者 前613-前591
孫子 戦争哲学を説いた春秋と戦国の二人の孫子
孫武:前544?-前496? 孫臏:前380頃-前320頃
老子 行方知れずになったタオイズムの開祖 前571頃?-前471頃?
晏嬰 孔子と同時代の名宰相だった小男 前578-前500
伍子胥――祖国を滅ぼし死屍に鞭打った復讐者 前559?-前484
孔子 東洋の文明をデザインした万世の師表 前552/551-前479
范蠡 政治家と豪商の二度の人生 前517年前後頃 - 前448年頃
扁鵲 超人的な医術を駆使した伝説の名医 前407頃?-前310頃?
臥薪嘗胆の復讐王・勾践 前520頃-前465頃
斉の孟嘗君――鶏鳴狗盗の食客を活用した戦国の四君 前391頃-前305頃
孟子 仁義と王道政治を説いた戦国の亜聖 前372-前289
荘子 胡蝶の夢と無為自然の思想 前369年頃 - 前286年頃
蘇秦 舌先三寸だけで戦国を動かす遊説家 ?-前284年
屈原 毛沢東が田中角栄に本を渡した意味 前340頃-前278頃
平原君―食客とともに乱世を戦う 前308-前251
昭襄王 秦を最強国とした始皇帝の曾祖父 前325-前251
趙の藺相如――国を守った刎頸の交わり 前305頃-前240頃
秦・漢・三国(漢末)
始皇帝をつくった男・呂不韋 前292-前235
韓非子(かんぴし) 故事成語の宝庫は中国のマキャヴェリ 前280頃-前233
秦の始皇帝 前259-前210
荊軻 始皇帝暗殺未遂事件の伝説的な刺客 ?-前227年
劉邦をささえた宰相・蕭何 前257?-前193
前漢の高祖・劉邦 前256/247―前195
張良 劉邦の天下取りをささえた名軍師 前250頃-前186
陳平―漢帝国を作った汚い政治家 前250頃-前178
冒頓単于――東ユーラシアのもう一人の始皇帝 ?-前174
呂后 三大悪女と称される史上初の皇后 前241?-前180
項羽――四面楚歌の覇王 前232-前202
韓信 漢の天才軍略家の屈辱と栄光の人生 前231頃-前196
竇皇后 前漢の基礎を確立した影の主役 前205?前135
張騫 武帝の命令で西域を探検した前漢の冒険家 前164?-前114?
東アジアに残した影響 漢の武帝 前156-前87
司馬遷 司馬遼太郎が心の師とした歴史の父 司馬遷:前145?-前86?
王莽 儒教を利用し漢王朝を簒奪した外戚 前45-23
趙飛燕 ― 妹とともに皇帝を虜にした舞姫 趙飛燕:前32?-前1?
インフラ化した姓 後漢の光武帝 5-57
班超 水清ければ大魚なしの軍人 32年 - 102年
張衡 天文学や地震も研究した古代の科学者 78-139
魏の曹操 漢・侠・士の男の人間関係 155-220
関羽(かんう) 道教の神として祭られる三国志の義の武将 160頃-220
蜀漢の劉備 「負け太り」で勝ち抜いた三国志の英雄 161-223
張飛 実は劉備や関羽と並ぶ名将 160年 - 221年
周瑜 孫権を補佐し曹操を破った貴公子 175-210
司馬仲達――三国志で最後に笑う者 179-251
蜀漢の諸葛孔明 士大夫の典範 181-234
呉の孫権――六朝時代を創始した三国志の皇帝 182-252
魏晋南北朝(五胡十六国時代、六朝時代)
阮籍 ― 三国志の乱世を生きた竹林の七賢 210-263
鳩摩羅什――日本人が読むお経を作った訳経僧 344-413 (350-409)
前秦の苻堅――民族融和を信じた帝王の悲劇 338-385
北魏の太武帝――天下を半分統一した豪腕君主 408-452
北魏の馮太后――欲深き事実上の女帝 442-490
梁の武帝――ダルマにやりこめられた皇帝菩薩 464-549
達磨 中国禅宗の祖師はインド人の仏教僧 ?-532?
隋・唐から宋・元
隋の煬帝――日没する処の天子の真実 569-618
汚れた英雄のクリーニング 唐の太宗 598-649
玄奘 孫悟空の三蔵法師のモデルはタフガイ 602-664
唐の武則天 中国的「藩閥」政治の秘密 624?-705
慧能 日本・中国・韓国・ベトナムの禅僧の源流 638-713
パワーゲーマーの栄光と転落 唐の玄宗 685-762
阿倍仲麻呂 中国史の一部となった日本人 698−770
鑑真 日本に移住した史上初のビッグネーム 688-763
郭子儀――中国を滅亡から救った遅咲きの名将 697-781
王維 安史の乱の危機と仏教詩人 699? - 761
李白 酒と旅を愛した詩人の謎に満ちた横顔 701-762
杜甫 詩聖とたたえられた社会派の詩人 712-770
楊貴妃(ようきひ) 史上まれな美女の知られざる真実とは 719-756
白居易 清少納言と紫式部の推しの大詩人 772-846
黄巣 唐に引導を渡した科挙落第者の怨念 835頃-884
朱全忠 中世と貴族制を終わらせた反逆者 852-912
憑道――五朝八姓十一君に仕えた不屈の政治家 882−954
後周の世宗 ― 五代一の名君となった養子 921-959
南唐の李�U――李白と並び称せられる詩人皇帝 937-978
宋の太祖・趙匡胤 927-976
北宋の太宗 日本を羨んだ兄殺し疑惑の皇帝 939-997
蘇軾――書道と豚の角煮でも有名な文豪政治家 1037-1101
宋の徽宗 道楽をきわめた道君皇帝 1082-1135
李清照 戦争に引き裂かれたおしどり夫婦 1084-1155
秦檜―最も憎まれた和平主義者 1090-1155
岳飛 中華愛国主義のシンボルとなった名将 1103-1142
朱子 東アジアの官学を創出した儒学者 1130-1200
チンギス・カン――子孫は今も1600万人 1162-1227
チンギス・カンの側近・耶律楚材 1190-1244
早すぎた世界帝国 元のクビライ 1215-1294
文天祥 歴史を変えた科挙の首席合格者 1236-1283
マルコ・ポーロ 世界史を変えた大旅行家 1254-1324
明・清
史上最強の引き締めの結末 明の洪武帝 1328-1398
明の永楽帝 世界制覇の見果てぬ夢 1360-1424
鄭和 大航海時代を開いたムスリムの宦官 1371-1433
明の劉瑾――帝位をねらった宦官 1451-1510
王陽明 知識と実行は一体と説いた思想家 1472-1529
マテオ・リッチ 西洋から中国に渡来したイタリア人宣教師 1552-1610
明の万暦帝 最後の漢民族系王朝の最後の繁栄 1563-1620
魏忠賢 ― 明王朝を傾けた史上最悪の宦官 1568-1627
朱舜水 水戸黄門が師とあおいだ亡命中国人 1600-1661
張献忠 無差別大量殺人の残虐な反逆者 1606-1647
李自成 明を滅ぼした逆賊か農民の英雄か 1606-1645
呉三桂 明清交替戦争の決定票を握る将軍 1612−1678
ダライ・ラマ5世 ― チベット統一の英主 1617-1682
台湾の鄭成功――大陸反攻をめざした日中混血の英雄 1624-1662
順治帝 中国本土を征服した皇帝の死の謎 1638-1661
中国統治の要道を示した大帝 康煕帝 1654-1722
雍正帝 清王朝を支えた謹厳実直な改革者 1678-1735
清の乾隆帝 世界の富の三割を握った帝王 1711-1799
林則徐 ― アヘン戦争で善戦した欽差大臣 1785-1850
曽国藩―末世を支えた栄光なき英雄 1811-1872
洪秀全 清末の太平天国の乱を起したカルト教祖 1814-1864
清の李鴻章 老大国をささえた大男 1823-1901
清末の西太后 1835-1908
近現代
大元帥になった国際人・孫文 1866-1925
袁世凱 83日間で消えた「中華帝国」の「洪憲皇帝」 1859-1916
梁啓超(りょうけいちょう) 日本とも縁が深い近代言論人 1873-1929
張作霖 馬賊あがりの奉天派軍閥の総帥 張作霖:1875-1928
秋瑾 和服と日本刀を愛した女性革命家 1875-1907
魯迅 心の近代化をはかった中国の夏目漱石 1881-1936
汪兆銘―愛国者か売国奴か 1883-1944
打ち破れなかった2つのジンクス 蒋介石 1887-1975
中華人民共和国の毛沢東 1893-1976
梅蘭芳 毛沢東が「私より有名だ」と言った名優 1894-1961
李徳全――平塚らいてうとも対談した女性大臣 1896−1972
周恩来 失脚知らずの不倒翁 1898-1976
劉少奇 21世紀も終わらない毛沢東と劉少奇の闘争 1898-1969
宋美齢――英語とキリスト教と蒋介石 1898-2003
老舎 満州人の世界的作家と文革での謎の死 1899-1966
21世紀の中国をデザイン �ケ小平 1904-1997
清と満洲国の末代皇帝・溥儀 1906-1967
川島芳子 謀略と謎に満ちた男装の麗人 1907-1948
林彪――世界の中国観を変えた最期 1907-1971
江青―女優から毛沢東夫人へ 1914-1991
李登輝 台湾を民主化した立役者 1923 - 2020
李光耀 シンガポールを建国した華人四世 1923-2015
李小龍 哲学と映画に心血を注いだ武術家 1940-1973
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