対面+見逃し配信付き 朝日カルチャーセンター新宿教室
日程 木2025/7/10, 7/24, 8/28, 9/11, 9/25 全5回 指定木曜日 10:30〜12:00
歴史を理解することは、人間を理解すること。ヒストリー(歴史)とストーリー(物語)は、もとは同じ言葉でした。中国の伝統的な「紀伝体」の歴史書も、個々人の伝記を中心とした文学作品でした。 本講座では、日本にも大きな影響を残した中国史上の人物をとりあげ、運や縁といった個人の一回性の生きざまと、社会学的な法則や理論など普遍的な見地の両面から、人生を紹介します。豊富な図像を使い、予備知識のないかたにもわかりやすく解説します。(講師・記)
蘇 秦 そしん ?〜前317
戦国時代の縦横家 (じゆうおうか)
洛陽の人。秦の恵文王に仕えようとして失敗。 燕 (えん) の文侯に用いられ,ついで趙 (ちよう) ・韓・魏・斉 (せい) ・楚の諸国に合従 (がつしよう) 策をもって秦に対抗することを説き,六国 (りつこく) の相として15年間秦に対抗。 のち張儀の連衡 (れんこう) 策の成立によって失敗し,斉で刺殺された。
蘇秦 (そしん) Sū Qín
中国,戦国の策士。生没年不詳。字は季子。東周の洛陽(らくよう)に生まれ,張儀とともに斉の鬼谷先生に雄弁の術を学んだ縦横家(じゆうおうか)の一人。 はじめ秦に遊説するが用いられず,のち燕の文侯に任用され,東方六国に説いて合従同盟を締結,秦に対抗した。功により趙の武安(河北省武安県)に封ぜられたが,やがて讒言(ざんげん)を受けて亡命。斉で暗殺されたという。 この《史記》の伝える彼の事跡については従来より信憑性が問題になっていたが,近年,馬王堆漢墓から出土した帛書に蘇秦に関する資料が発見されて,《史記》の錯誤がより明確となった。
→合従連衡
執筆者:永田 英正
虞翻 が口を閉じると、すぐまた、一人立った。淮陰 の歩隲 、字 は子山 である。
「孔明――」こう傲然 呼びかけて、
「敢て訊くが、其許は蘇秦 、張儀 の詭弁 を学んで、三寸不爛 の舌をふるい、この国へ遊説しにやってきたのか。それが目的であるか」
孔明は、にことかえりみて、
「ご辺は蘇秦、張儀を、ただ弁舌の人とのみ心得ておられるか。蘇秦は六国の印をおび、張儀は二度まで秦の宰相たりし人、みな社稷を扶け、天下の経営に当った人物です。さるを、曹操の宣伝や威嚇に乗ぜられて、たちまち主君に降服をすすめるような自己の小才をもって推しはかり、蘇秦、張儀の類などと軽々しく口にするはまことに小人の雑言 で、真面目にお答えする価値もない」
一蹴に云い退けられて、歩隲 が顔を赤らめてしまうと、
「曹操とは、何者か?」と、唐突に問う者があった。
孔明は、間髪をいれず、
「漢室の賊臣」と、答えた。
けい‐か【荊軻】
[?〜前227]中国、戦国時代の刺客。衛の人。燕(えん)の太子丹の依頼で、秦王政(始皇帝)を刺そうとして失敗、殺された。 太子との別れに、易水(えきすい)のほとりで作った易水送別の歌「風蕭々として易水寒し、壮士一たび去って復た還らず」(「史記」刺客伝)の詩が有名。 荊卿。→易水
荊軻けいか(?―前227)
中国、戦国時代の刺客。衛(えい)の人。剣術を好んで燕(えん)に赴く。当時秦(しん)に人質となっていた燕の太子丹(たん)は、秦王政(せい)(始皇帝)の待遇が悪かったので逃げ帰ってきていた。丹は、小国の燕が大国の秦に勝つには秦王を脅迫して土地を諸侯に返還させるか、あるいは暗殺するしかないと考え、荊軻に暗殺を依頼する。荊軻は秦から逃亡してきた樊於期(はんおき)将軍の首と、燕の督亢(とっこう)の地図を携えて出発する。易水のほとりで、太子らとの別れに際して「風蕭々(しょうしょう)として易水寒し、壮士一たび去ってまた帰らず」と歌った。秦王は地図を献上されたものと喜んで広げたが、その瞬間、荊軻は地図の内に隠していた匕首(あいくち)を取り出して秦王を突いた。秦王は驚いて身を引き、剣を抜こうとしたが抜ききれず、逃げ回る。武器の携帯を許されていない臣下たちも、とっさのことで手をこまぬいていたが、やがて秦王自ら剣を抜き荊軻に切りつけ、続いて従臣たちが彼を殺してしまう。『史記』刺客列伝に記されたこの事件は、古来、名場面として知られている。その後、燕は秦に攻撃され、紀元前222年に滅ぼされた。
[鶴間和幸]
あべ‐の‐なかまろ【阿倍仲麻呂】
[698〜770]奈良時代の学者。遣唐留学生として入唐。玄宗皇帝に重く用いられ、朝衡(ちょうこう)と称した。乗船が難破して帰国できず、唐の地で没。
阿倍仲麻呂 (あべのなかまろ)
生没年:698-770(文武2-宝亀1)
奈良時代の文人。中務大輔船守の子。716年(霊亀2),19歳で遣唐留学生に選ばれ,翌年,遣唐使に従って入唐した。 長く唐にとどまり,唐を朝仲満,朝衡(ちようこう),晁衡(ちようこう)という。 初め唐の太学に入り,科挙に登第,左春坊司経局校書をふり出しに左拾遺,左補闕などの官を歴任した。 733年,入唐した遣唐使とともに帰国することを上請したが許されず,儀王(玄宗の子,李璲)の友に任ぜられた。 752年,入唐した遣唐使藤原清河,吉備真備らと帰国することを願い出て許可され,鑑真(がんじん)一行らをも伴って蘇州より出航したが, 仲麻呂の乗った清河の船は安南(あんなん)に漂着,苦心の末長安に戻った。 この間,衛尉少卿,秘書監,衛尉卿などの官に任ぜられている。 安史の乱後,左散騎常侍,鎮南都護,安南節度使となったが,73歳で長安に没した。 潞州大都督の官が贈られている。 異民族出身で唐の官人として活躍した人物は少なくないが,仲麻呂は日本人として唯一の例といってよく,その学識・文才は,吉備真備のそれとともに,唐土に聞こえた。 儲光羲(ちよこうぎ),趙驊(ちようよう),王維,包佶(ほうきつ),李白らの中国文人とも交遊があり,それぞれ関係の詩が残っている。 なお彼の望郷の歌として有名な,〈天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも〉は,752年仲麻呂が唐を離れるに際して詠んだとする説がある一方,長安での望郷歌とする説や,古歌を後人が仲麻呂に付会したとする説もある。
執筆者:東野 治之
送秘書晁監還日本国 秘書晁監の日本国へ還るを送る 積水不可極 積水(せきすい)極(きわ)むべからず 安知滄海東 安(いずく)んぞ滄海(そうかい)の東を知らん 九州何処遠 九州、何(いず)れの処か遠き 万里若乗空 万里、空に乗ずるが若(ごと)し 向国惟看日 国に向いて惟(た)だ日を看(み) 帰帆但信風 帰帆(きはん)但だ風に信(まか)す 鰲身映天黒 鰲身(ごうしん)天に映じて黒く 魚眼射波紅 魚眼(ぎょがん)波を射て紅(くれない)なり 郷樹扶桑外 郷樹(きょうじゅ)扶桑(ふそう)の外 主人孤島中 主人(しゅじん)孤島の中(うち) 別離方異域 別離(べつり)して方(まさ)に域を異(こと)にせば 音信若為通 音信(おんしん)若為(いかん)ぞ通ぜん 大意 広々とした大海は、その果てにまで到達することができません。大海の東にある場所がどのようなところなのか、どうして知り得ましょう。 中華の九州から最も遠いのはどこでしょうか。はるか万里を隔てた日本は、まるで天空にあるかのようです。 あなたが祖国の方を向くときは、ただ朝日が昇る方角を見つめるだけでした。 いま帰国のするあなた船は、季節風まかせです。 海の中の大海亀の姿は天をも覆い隠すほど。魚の目の光は大海の波を赤く照らすでしょう。 あなたの故郷の樹木は扶桑の国の大地に生い茂り、主人は孤島に住んでいます。 私たちは別れたあと、天の両端に分かれてしまいます。 どうすれば互いに便りを通じ合うことができるでしょうか。 |
銜命還国作 命(めい)を銜(ふく)み国に還るの作 銜命将辞国 命(めい)を銜(ふく)み将(まさ)に国を辞せんとす 非才忝侍臣 非才ながら侍臣を忝(かたじけの)うす 天中恋明主 天中、明主を恋(おも)い 海外憶慈親 海外、慈親を憶(おも)う 伏奏違金闕 伏奏(ふくそう)して金闕(きんけつ)を違(さ)り 騑驂去玉津 騑驂(ひさん)して玉津(ぎょくしん)を去らんとす 蓬莱郷路遠 蓬莱(ほうらい)、郷路(きょうろ)は遠く 若木故園隣 若木、故園の隣(となり) 西望懐恩日 西を望み恩を懐かしむ日 東帰感義辰 東へ帰って義に感ずる辰(とき) 平生一宝剣 平生(へいせい)一宝剣 留贈結交人 留め贈る 交を結びし人に 大意 玄宗皇帝陛下のご命令(遣唐使の返礼)を受けてこれから国(中国)を辞去します。 非才の身で、もったいなくも侍臣をつとめさせていただきました。 天朝(唐の朝廷)にいらっしゃる明君(玄宗)をおしたいもうしあげるとともに、 海外(日本)の慈父と慈母のことをずっと思っておりました。 陛下(玄宗)に奏上して唐の皇宮を去り、 馬車に乗って立派な港から出発いたします。 蓬莱(東の海の中の神仙が住む島。ここでは日本を指す)への帰郷の道は遠く、 若木(太陽が昇るという伝説の神木)はわが故郷の隣です。 帰国後の私は、西の中国の方角をふりかえって恩義をなつかしみ、感謝することでしょう。 私が平生、大切にしていた刀剣を一振り、親友であるあなたに記念にさしあげます。 |
今昔、安陪仲麿と云ふ人有けり。遣唐使として物を習はしめむが為に、彼の国に渡けり。 数(あまた)の年を経て、否(え)返り来たらざりけるに、亦彼の国より、□□と云ふ人、遣唐使として行たりけるが、返り来けるに、「伴なひて返りなむ」とて、明州と云ふ所の海の辺にて、彼の国の人、餞(はなむけ)しけるに、夜に成て、月の極く明かりけるを見て、墓無き事に付ても、此の国の事、思ひ出られつつ、恋く悲しく思ひければ、此の国の方を詠(なが)めて、此なむ読ける。 あまのはらふりさけみればかすがなるみかさの山にいでしつきかも と云てなむ泣ける。 此れは、仲丸、此の国に返て語けるを聞て語り伝へたるとや。 |
哭晁卿衡 晁卿衡を哭す 日本晁卿辞帝都 日本の晁卿、帝都を辞す 征帆一片遶蓬壺 征帆一片、蓬壺を遶(めぐ)る 明月不帰沈碧海 明月は帰らずして碧海に沈み 白雲愁色満蒼梧 白雲愁色、蒼梧に満つ 大意 日本の晁どのは帝都長安を去りました。 帆を張った船は、はるか蓬莱の島々をめぐり、進みました。 しかし、明るい月(のようなあなた)は再び帰らず、青い海原に沈んでしまい、 白雲と愁いの色が蒼梧(蒼梧山。現在の連雲港市の雲台山)に満ちています。 |
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