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中国歴史人物列伝 11
最新の更新2025年10月7日 最初の公開2025年10月7日
- 褒姒(ほうじ) 微笑みで国を滅ぼしたファム・ファタール 前790年代?-前771?
- 韓非子(かんぴし) 故事成語の宝庫は中国のマキャヴェリ 前280頃-前233
- 関羽(かんう) 道教の神として祭られる三国志の義の武将 160頃-220
- 楊貴妃(ようきひ) 史上まれな美女の知られざる真実とは 719-756
- マテオ・リッチ 西洋から中国に渡来したイタリア人宣教師 1552-1610
- 梁啓超(りょうけいちょう) 日本とも縁が深い近代言論人 1873-1929
- 参考 今までとりあげた人物 実施順 時代順
以下、朝日カルチャーセンター公式サイトのhttps://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=8399844より引用。
講座番号:4584576 新宿教室 教室・オンライン自由講座 見逃し配信あり 中国歴史人物列伝 加藤 徹/明治大学教授
木2025/10/9, 10/23, 11/13, 11/27, 12/11, 12/25 指定木曜日 10:30〜12:00
歴史を理解することは、人間を理解すること。ヒストリー(歴史)とストーリー(物語)は、もとは同じ言葉でした。中国の伝統的な「紀伝体」の歴史書も、個々人の伝記を中心とした文学作品でした。
本講座では、日本にも大きな影響を残した中国史上の人物をとりあげ、運や縁といった個人の一回性の生きざまと、社会学的な法則や理論など普遍的な見地の両面から、人生を紹介します。豊富な図像を使い、予備知識のないかたにもわかりやすく解説します。(講師・記)
褒姒(ほうじ) 微笑みで国を滅ぼしたファム・ファタール
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-ns3Y25DFA3dmswxstXRKCo
○ポイント、キーワード
- ファム・ファタール 仏: femme fatale
男にとっての運命の女。男を破滅させる魔性の女。ファム・ファタル。中国の「傾国の美女」もこの一種。
- 褒姒の一笑国を傾く ほうじのいっしょうくにをかたむく
美女が国の衰亡をもたらす、ということわざ。cf.https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1392.php
- 烽火戯諸侯
中国語の故事成語。烽火もて諸侯を戯(もてあそ)ぶ。イソップ寓話「オオカミ少年」の中国版。
- 歴史時代
先史時代の対概念。有史時代とも。文字が発明され文献資料で歴史事象を検証できる時代のこと。
現在確認されている限りで中国最古の文字記録は殷王朝後期の甲骨文(前1300年ごろ-前1100年ごろ)であるが、当時の事件の年次は諸説あり未確定である。
司馬遷『史記』に記されている最古の年次は、十二諸侯年表の共和元年(紀元前841年)で、それ以前の年次について司馬遷は不詳として記録しなかった。
中華人民共和国の「夏商周断代工程」(夏商周年表プロジェクト)では、共和元年からさかのぼって年次を確定したが、外国の学界では定説となっていない。
狭義での歴史時代は、西周中期の共和元年に始まる。褒姒は、狭義の歴史時代の最初期の人物であり、いまだ神話的な色彩が強い。
- 春秋時代 しゅんじゅうじだい
周の平王が首都を東に遷した(東周)紀元前770年から、周の平王が王に即位した紀元前770年から、韓・魏・趙の独立が公認された紀元前403年まで(終わりについては諸説ある)。
春秋時代の乱世が始まるきっかけを作ったのが、褒姒である。
- 五等爵 ごとうしゃく
公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の五等級に分けた爵位。
褒姒を溺愛した幽王は、正妻である申后の父親・申侯(申=現在の陝西省宝鶏市眉県に封ぜられた侯爵)に殺された。
「申侯の乱」は、外戚(がいせき)が起こした最古の反乱の一つ。
○辞書的な説明
- 『日本大百科全書(ニッポニカ) 』より引用
褒姒
ほうじ
中国古代の伝説上の女性。西周王朝最後の王である幽王の愛妾(あいしょう)。
夏(か)王朝末期、朝廷に二匹の竜が現れてよだれを残して去ったが、このよだれは長く櫃(ひつ)の中にしまわれて西周王朝の(れい)王のときに開かれた。
するとそのよだれはいつのまにか黒い亀(かめ)と化し、これに出会った幼女が妊娠してやがて生まれたのが褒姒であると伝えられている。
のちに幽王の寵愛(ちょうあい)を受けるようになった彼女は、一度も笑ったことがないため、幽王は彼女を笑わせようと八方に手を尽くした。
ところが褒姒は、あるとき敵の来襲を知らせるのろしがあがるのを見た諸侯が息せききって駆けつけるようすを見て、初めて笑った。
このため王は、彼女を笑わせるためにたびたび嘘(うそ)ののろしをあげたので、ついに諸侯はこれを信じなくなり、本当に外敵が攻めてきたときにはひとたまりもなく西周王朝は滅んでしまった。
そして幽王は驪山(りざん)の麓(ふもと)で殺され、褒姒は敵に連れ去られたという。
紀元前771年の事件とされているこのエピソードは、夏王朝の妹喜(ばっき)や殷(いん)王朝の妲己(だっき)と並んで、女性が国を滅ぼすという考え方を伝説の形で表現したものであり、歴史的な事実と断定することはできない。
[桐本東太]
- 『改訂新版 世界大百科事典 』より引用
幽王 (ゆうおう)
Yōu wáng
中国,西周の末王。在位,前781-前771年。
本名は姫宮涅(ききゆうでつ)。
父の宣王の中興のあとをうけて即位したが,地主化した貴族層の勢力があなどりがたく,周辺民族の進攻もあって,
王権は昔日の勢いを失っていた。即位以来,天変地異が重なり,とくに褒姒(ほうじ)を寵愛して皇后の申后を追ったことが貴族層の背反を決定的にした。
申后の父の申侯が異民族犬戎の援助を得て王を攻め,幽王は驪山(りざん)で殺されたとされる。
貴族たちはその太子の平王を立てて東周王朝を開くことになる。
執筆者:小南 一郎
- 『改訂新版 世界大百科事典 』より引用
東周 (とうしゅう)
Dōng Zhōu
中国古代の周王朝が前770年,都を東の成周(河南省洛陽市)にうつしてから,前256年秦に滅ぼされるまでをいう。
前221年秦始皇帝が中国を統一するまでを東周時代と概括することもある。
→周
執筆者:伊藤 道治
○略年表
- 前842年、周の首都・鎬京(こうけい 現在の中国陝西省西安市)で国人暴動が発生。
脂、(れいおう 第10代王 在位前877-前841)は逃げた。
- 前841年、王が不在の状態で、諸侯の合議で国政を運営する「共和」時代(前841年-前828年)が始まる。
司馬遷『史記』十二諸侯年表は、この共和元年前841年)から始まる。中国史で年次が確定している最古の時代(これ以前の年次は推定で諸説が分かれる)。
- 前828年(共和14年)、脂、が亡命先で死去。息子の第11代宣王が即位。「宣王中興」により周の国力回復を図る。
- 前781年、宣王が死去。『墨子』明鬼篇下によると杜伯の怨霊が白昼あらわれて射殺したのだと言う。
周の宣王はかつて臣下である杜伯を無実の罪で殺した。
杜伯は殺される前に呪って言った。
「もし死者に知覚がないならそれまで。しかし、もし死者に知覚があるなら、三年後に必ず復讐する」
三年後。宣王は諸侯を集めて、軍事演習を兼ねた巻き狩りを行った。
馬車は数百台、従者は数千人にのぼり、人々は山野に満ちた。
正午、死んだ杜伯が白昼堂々とあらわれた。彼は白馬の白い車に乗り、紅衣を着て、紅の弓を手にして宣王を追いかけ、車上から矢を放った。
矢は宣王の心臓に命中し、脊骨をポキリと折った。王は弓袋の上に倒れて死んだ。
従者たちは全員これを目撃し、遠くの者も聞き漏らさなかった。
(以上は、墨子が「幽霊は実在する」という証拠としてあげた話。衆人環視下の超常現象としては、杜伯とダニエル・ダングラス・ヒュームが世界史上の双璧)
息子の幽王(前795-前771)が即位。満年齢で14歳という若さだった。
- 前780年、幽王3年、褒姒が幽王の後宮に入る。
褒姒は「褒(地名)のお姉さん」の意。
褒姒は寵愛を受け、伯服(伯盤)という男児を産んだ。
- 前771年、申侯の乱。申侯が曙・犬戎(けんじゅう)の加勢を受けて反乱を起こし、周の首都・鎬京を攻略。
周の幽王は殺害され、「西周」時代が終了。
申侯の孫で幽王の息子でもある平王が即位。
- 前770年、洛邑(現在の河南省洛陽市)に遷都。「東周」の時代の始まり(春秋時代の始まりでもある)。
以下は、司馬遷『史記』周本紀の記載である。
【原漢文】四十六年、宣王崩、子幽王宮湦立。幽王二年、西周三川皆震。伯陽甫曰、
「周将亡矣。夫天地之気、不失其序。若過其序、民乱之也。陽伏而不能出、陰迫而不能蒸、於是有地震。今三川実震、是陽失其所而填陰也。陽失而在陰、原必塞。
原塞、国必亡。夫水土演而民用也。土無所演、民乏財用、不亡何待!昔伊洛竭而夏亡、河竭而商亡。
今周徳若二代之季矣、其川原又塞、塞必竭。夫国必依山川、山崩川竭、亡国之徴也。川竭必山崩。若国亡不過十年、数之紀也。天之所棄、不過其紀。」
是歳也、三川竭、岐山崩。
三年、幽王嬖愛褒姒。褒姒生子伯服、幽王欲廃太子。太子母申侯女、而為后。
後幽王得褒姒、愛之、欲廃申后、并去太子宜臼、以褒姒為后、以伯服為太子。周太史伯陽読史記曰、「周亡矣。」
昔自夏后氏之衰也、有二神龍止於夏帝庭而言曰、「余、褒之二君。」夏帝卜殺之与去之与止之、莫吉。
卜請其漦而藏之、乃吉。於是布幣而策告之、龍亡而漦在、櫝而去之。夏亡、伝此器殷。殷亡、又伝此器周。比三代、莫敢発之。
至脂、之末、発而観之。漦流于庭、不可除。脂、使婦人裸而譟之。漦化為玄黿、以入王後宮。
後宮之童妾既齔而遭之、既笄而孕、無夫而生子、懼而棄之。宣王之時童女謠曰、「檿弧箕服、実亡周国。」於是宣王聞之、有夫婦売是器者、宣王使執而戮之。逃於道、而見郷者後宮童妾所棄妖子出於路者、聞其夜啼、哀而収之、夫婦遂亡、奔於褒。褒人有罪、請入童妾所棄女子者於王以贖罪。棄女子出於褒、是為褒姒。
当幽王三年、王之後宮見而愛之、生子伯服、竟廃申后及太子、以褒姒為后、伯服為太子。太史伯陽曰、「禍成矣、無可奈何!」
褒姒不好笑、幽王欲其笑万方、故不笑。幽王為烽燧大鼓、有寇至則挙烽火。諸侯悉至、至而無寇、褒姒乃大笑。幽王説之、為数挙烽火。其後不信、諸侯益亦不至。
幽王以虢石父為卿、用事、国人皆怨。石父為人佞巧善諛好利、王用之。又廃申后、去太子也。申侯怒、与署シ夷犬戎攻幽王。幽王挙烽火徴兵、兵莫至。遂殺幽王驪山下、虜褒姒、尽取周賂而去。於是諸侯乃即申侯而共立故幽王太子宜臼、是為平王、以奉周祀。
以下は訳である。
周の宣王46年(紀元前782年)、第11代宣王(在位前828年 - 前782年)が死去し、息子の幽王が即位した。
幽王の二年、洛河流域の三つの川がすべて枯渇した。伯陽甫は予言した。
「周は滅びるであろう。天地の気には順序があり、それが乱れると民が乱れる。今、陽の気が陰の気に閉じ込められ、蒸発できずにいる。そのため地震が起きる。
今の三川の枯渇は、陽の気が本来あるべき場所を離れて陰の気の中に閉じ込められている状態だ。陽の気が陰の中に閉じ込められれば、川の源も塞がれてしまう。
川の源が塞がれれば、国土も滅びる。水と土は民の生活を支えるもの。土が水を支えなければ民の財力は尽き、滅亡を待つだけだ。
昔、伊洛の川が枯渇して夏が滅び、黄河が枯渇して殷が滅んだ。今の周の衰えは二つの時代の末期に似ている。
そして三つの川も再び塞がれ、必ず枯渇するであろう。国家は山川に依存する。山崩れと川の枯渇は、滅亡の兆候である。
川が枯渇すれば、必ず山が崩れる。このままでは、十数年以内に国は滅亡する。天に見捨てられるまで、それほど年月はなかろう」
この年、三つの川は枯渇し、岐山は崩れた。
幽王の三年、幽王は褒姒を寵愛した。褒姒は王子・伯服を産んだ。
幽王は太子を廃しようと考えた。太子・宜臼(ぎきゅう)の母は申侯(しんこう)の娘で、王后であった。
幽王はあとから迎えた褒姒を寵愛するあまり、申后と太子の宜臼を退け、褒姒を王后とし伯服を太子にしようとした。
周の太史(たいし)である伯陽は歴史書を読んで予言した。「周は滅ぶ」と。
その昔、夏(か)王朝の末(紀元前17世紀の末頃)。二匹の神龍が夏の帝の庭に降りてきて、「我々は褒の二人の君主である」と言った。
夏の帝は、龍を殺すか、立ち去らせるか、留まらせるかを占ったが、どれも不吉だった。
龍の流した唾液(つばき)を箱に納めて保存する、と占うと、ようやく吉と出た。
そこで夏の帝は幣帛(へいはく)を供えて龍に告げたところ、龍は姿を消したが、その唾液の泡は残ったので、箱に納めて保管した。
夏の滅亡後、この箱は殷(いん)に伝えられた。殷が滅びると、この箱は周に伝わった。三代にわたり誰もあえてこの箱を開けなかった。
周の脂、(れいおう 第10代周王 在位前877年 - 前841年)の末年、この箱を開けてしまった。
龍の泡は庭に流れ出し、取り除けなくなった。
脂、は女官たちに裸にして叫び騒がせた。すると、その唾液は黒いイモリ(黒い亀、ないし黒いスッポンという説もある)になって、王の後宮に入り込んでいった。
後宮にいた、ちょうど歯が生え替わったばかりの幼女の召使いが、イモリに触れた。
彼女は笄(かんざし)を挿す年頃になると妊娠し、夫がいないまま子を産んだ。
恐れてその子を捨ててしまった。
宣王(せんおう)の時代に、童女たちのあいだで不思議なわらべうたか流行した。
「檿弧箕服(えんこきふく。ヤマグワで作った弓と箕という竹で作った四角い箙=えびら)で周は滅びる」
この歌を知った宣王が調べさせると、民間人の中に、ヤマグワの弓と箕の矢筒を売る夫婦がいた。役人に命じて夫婦を捕らえて殺そうとした。
夫婦は夜道を逃げた。道ばたで泣いている捨て子を見つけた。後宮の召使いの娘が捨てた子だった。夫婦は哀れに思ってこの子を拾い、そのまま褒の地に逃げ込んだ。
その後、褒のある人物が罪を犯した。
彼は罪を償うために、捨て子だった美しい女の子を王に差し出すことを願い出た。
褒の出身なので名を「褒姒(ほうじ)」と呼ばれた。
幽王の三年。幽王は後宮に来た褒姒を寵愛した。伯服(はくふく) という男児が生まれた。
幽王は、正妻である申后(しんこう)と太子(宜臼)を廃位して、 褒姒を王后に、伯服を太子とした。
太史の 伯陽 は言った。「もはやこの災いは、いかんともしがたくなった」
褒姒はついぞ笑わなかった。幽王はあの手この手で彼女を笑わせようとした。それでも褒姒は笑わない。
あるとき、幽王は敵襲の狼煙(のろし)をあげた。
諸侯はみな駆けつけた。到着してみると敵はいなかった。褒姒は初めて笑った。
幽王は喜んだ。その後、何度も敵襲の烽火を上げた。諸侯は信用しなくなり、駆けつける者は減っていった。
幽王は虢石父(かくせきほ)を 卿(けい。大臣) に任命して政務を行わせた。 国中の人々 はみな彼を恨んだ。
虢石父は、へつらい がうまく利欲を貪る小人だったが、王は彼を用いた。
申后の父である申侯は、自分の娘と孫を廃位されて激怒した。
申侯は反乱を起こして、曙(そうこう)と、西方の異民族である 犬戎(けんじゅう) とともに幽王を攻めた。
幽王は狼煙をあげて諸侯の兵を招集したが、 誰も駆けつけなかった 。
反乱軍は驪山(りざん) のふもとで 幽王を殺害 し、褒姒を捕虜とし、周の財宝を ことごとく奪って 去った。
こうして諸侯は申侯のもとに集まり、幽王の元太子であった宜臼を天子として擁立した。
これが平王(へいおう 第13代王 生年不詳。在位前771 - 前720)で、彼が周の祭祀を継承した。
○その他
- 褒姒は日本でも昔から人気があった。
九尾の狐は、殷の妲己、天竺の斑足太子(はんぞくたいし)の妃・華陽夫人、周の褒姒を経て、唐の時代に吉備真備が乗る遣唐使船に同乗して来日し、玉藻前(たまものまえ)となった。
- 『平家物語』巻第ニの「烽火之沙汰(ほうかのさた)」では、褒姒は狐の姿に変身して逃げ去った、とする。
以下、平重盛が、部下の武士たちに褒姒の故事を語り聞かせる言葉。
cf.https://roudokus.com/Heike/HK023.htmlより引用。引用開始
「日来(ひごろ)の契約をたがへず、参りたるこそ神妙(しんべう)なれ。
異国にさるためしあり。周(しう)の幽王(いうわう)、褒姒(ほうじ)と云ふ最愛(さいあい)の后(きさき)をもち給へり、天下第一の美人なり。
されども幽王の心にかなはざりける事は、褒姒咲(ゑみ)をふくまずとて、すべて此后(このきさき)わらふ事をし給はず。
異国の習(ならひ)には、天下に兵革(ひやうがく)おこる時、所々(しよしよ)に火をあげ、太鼓(たいこ)をうツて兵(つはもの)を召すはかり事(こと)あり。
是(これ)を烽火(ほうくわ)と名づけたり。
或時(あるとき)天下に兵乱(ひやうらん)おこツて、烽火をあげたりければ、后(きさき)これを見給ひて、
『あなふしぎ、火もあれ程(ほど)おほかりけるな』とて、其時(そのとき)初めてわらひ給へり。
この后、一たびゑめば、百(もも)の媚(こび)ありけり。
幽王(いうわう)うれしき事にして、其事となう、常に烽火をあげ給ふ。諸侯来(きた)るにあたなし。
あたなければ則(すなは)ちさんぬ。かやうにする事度々(どど)に及べば、参る者もなかりけり。
或時隣国より凶賊おこツて、幽王の都をせめけるに、烽火をあぐれども、例の后の火にならツて、兵(つはもの)も参らず。
其時都かたむいて、幽王つひに亡びにき。
さてこの后は、野干(やかん)となツてはしりうせけるぞおそろしき。
か様(やう)の事がある時は、自今(じごん)以後もこれより召さんには、かくのごとく参るべし。
重盛(しげもり)不思議の事を聞き出(いだ)して、召しつるなり。
されども其事聞きなほしつ、僻事(ひがごと)にてありけり。とうとう帰れ」とて、皆帰されけり。
実(まこと)にはさせる事をも聞き出されざりけれども、父をいさめ申されつる詞(ことば)にしたがひ、
我身に勢(せい)のつくかつかぬかの程(ほど)をも知り、又父子軍(いくさ)をせんとにはあらねども、
かうして入道相国の、謀反(むほん)の心をもややはらげ給ふとの策(はかりこと)なり。
- 井上靖は中学時代に漢文の授業で褒姒の故事を読んで感銘を受け、小説家となったあと短編小説「褒姒の笑い」を発表した。
- 褒姒については、加藤徹著『後宮 殷から唐・五代十国まで』角川新書
(book.html#koukyuu)でも63頁から70頁にかけて解説しています。
試し読み https://drive.google.com/file/d/1l1ipZo4mmnbDfvPMbehzX9rDZv1ACmTs/view?usp=sharing
[一番上]
韓非子(かんぴし) 故事成語の宝庫は中国のマキャヴェリ
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○辞書的な説明
○略年表
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【参考】 今まで取り上げた人物
★講座の実施日順
- 秦の始皇帝
- 前漢の高祖・劉邦
- 宋の太祖・趙匡胤
- 清末の西太后
- 中華人民共和国の毛沢東
- 共通祖先の作り方 黄帝
- 東アジアに残した影響 漢の武帝
- インフラ化した姓 後漢の光武帝
- 汚れた英雄のクリーニング 唐の太宗
- 史上最強の引き締めの結末 明の洪武帝
- 打ち破れなかった2つのジンクス 蒋介石
- パワーゲーマーの栄光と転落 唐の玄宗
- 織田信長もあこがれた古代の聖王 周の文王
- 「19浪」の苦節をのりこえた覇者 晋の文公
- 早すぎた世界帝国 元のクビライ
- 中国統治の要道を示した大帝 康煕帝
- 21世紀の中国をデザイン ケ小平
- 魏の曹操 漢・侠・士の男の人間関係
- 殷の紂王 酒池肉林の伝説の虚と実
- 斉の桓公 中国史上最初の覇者
- 唐の武則天 中国的「藩閥」政治の秘密
- 清の乾隆帝 世界の富の三割を握った帝王
- 周恩来 失脚知らずの不倒翁
- 古代の禹王 中華文明の原体験
- 蜀漢の諸葛孔明 士大夫の典範
- 宋の徽宗 道楽をきわめた道君皇帝
- 明の永楽帝 世界制覇の見果てぬ夢
- 清の李鴻章 老大国をささえた大男
- 臥薪嘗胆の復讐王・勾践
- 始皇帝をつくった男・呂不韋
- 劉邦をささえた宰相・蕭何
- チンギス・カンの側近・耶律楚材
- 大元帥になった国際人・孫文
- 清と満洲国の末代皇帝・溥儀
- 太古の堯と舜 「昭和」の出典になった伝説の聖天子
- 蜀漢の劉備 「負け太り」で勝ち抜いた三国志の英雄
- 明の万暦帝 最後の漢民族系王朝の最後の繁栄
- 袁世凱 83日間で消えた「中華帝国」の「洪憲皇帝」
- 劉少奇 21世紀も終わらない毛沢東と劉少奇の闘争
- 楚の荘王――初めは飛ばず鳴かずだった覇者
- 斉の孟嘗君――鶏鳴狗盗の食客を活用した戦国の四君
- 呉の孫権――六朝時代を創始した三国志の皇帝
- 梁の武帝――ダルマにやりこめられた皇帝菩薩
- 南唐の李U――李白と並び称せられる詩人皇帝
- 台湾の鄭成功――大陸反攻をめざした日中混血の英雄
- 趙の藺相如――国を守った刎頸の交わり
- 前秦の苻堅――民族融和を信じた帝王の悲劇
- 北魏の馮太后――欲深き事実上の女帝
- 隋の煬帝――日没する処の天子の真実
- 明の劉瑾――帝位をねらった宦官
- 林彪――世界の中国観を変えた最期
- 項羽――四面楚歌の覇王
- 司馬仲達――三国志で最後に笑う者
- 太武帝――天下を半分統一した豪腕君主
- 憑道――五朝八姓十一君に仕えた不屈の政治家
- チンギス・カン――子孫は今も1600万人
- 宋美齢――英語とキリスト教と蒋介石
- 平原君―食客とともに乱世を戦う
- 陳平―漢帝国を作った汚い政治家
- 秦檜―最も憎まれた和平主義者
- 曽国藩―末世を支えた栄光なき英雄
- 汪兆銘―愛国者か売国奴か
- 江青―女優から毛沢東夫人へ
- 孔子 東洋の文明をデザインした万世の師表
- 司馬遷 司馬遼太郎が心の師とした歴史の父
- 玄奘 孫悟空の三蔵法師のモデルはタフガイ
- 李白 酒と旅を愛した詩人の謎に満ちた横顔
- 岳飛 中華愛国主義のシンボルとなった名将
- 魯迅 心の近代化をはかった中国の夏目漱石
- 扁鵲 超人的な医術を駆使した伝説の名医
- 孟子 仁義と王道政治を説いた戦国の亜聖
- 達磨 中国禅宗の祖師はインド人の仏教僧
- 白居易 清少納言と紫式部の推しの大詩人
- 鄭和 大航海時代を開いたムスリムの宦官
- 李小龍 哲学と映画に心血を注いだ武術家
- 夏姫 衰えぬ美貌で多くの君臣と関係した美魔女
- 孫子 戦争哲学を説いた春秋と戦国の二人の孫子
- 張騫 武帝の命令で西域を探検した前漢の冒険家
- 慧能 日本・中国・韓国・ベトナムの禅僧の源流
- 洪秀全 清末の太平天国の乱を起したカルト教祖
- 梅蘭芳 毛沢東が「私より有名だ」と言った名優
- 趙飛燕 ― 妹とともに皇帝を虜にした舞姫
- 阮籍 ― 三国志の乱世を生きた竹林の七賢
- 後周の世宗 ― 五代一の名君となった養子
- 魏忠賢 ― 明王朝を傾けた史上最悪の宦官
- ダライ・ラマ5世 ― チベット統一の英主
- 林則徐 ― アヘン戦争で善戦した欽差大臣
- 伍子胥――祖国を滅ぼし死屍に鞭打った復讐者
- 冒頓単于――東ユーラシアのもう一人の始皇帝
- 鳩摩羅什――日本人が読むお経を作った訳経僧
- 郭子儀――中国を滅亡から救った遅咲きの名将
- 蘇軾――書道と豚の角煮でも有名な文豪政治家
- 李徳全――平塚らいてうとも対談した女性大臣
- 屈 原 毛沢東が田中角栄に本を渡した意味
- 朱全忠 中世と貴族制を終わらせた反逆者
- 李清照 戦争に引き裂かれたおしどり夫婦
- マルコ・ポーロ 世界史を変えた大旅行家
- 王陽明 知識と実行は一体と説いた思想家
- 順治帝 中国本土を征服した皇帝の死の謎
- 老子 行方知れずになったタオイズムの開祖
- 張衡 天文学や地震も研究した古代の科学者
- 鑑真 日本に移住した史上初のビッグネーム
- 北宋の太宗 日本を羨んだ兄殺し疑惑の皇帝
- 朱舜水 水戸黄門が師とあおいだ亡命中国人
- 老舎 満州人の世界的作家と文革での謎の死
- 張良 劉邦の天下取りをささえた名軍師
- 竇皇后 前漢の基礎を確立した影の主役
- 杜甫 詩聖とたたえられた社会派の詩人
- 朱子 東アジアの官学を創出した儒学者
- 張献忠 無差別大量殺人の残虐な反逆者
- 張作霖 馬賊あがりの奉天派軍閥の総帥
- 晏嬰 孔子と同時代の名宰相だった小男 あんえい
- 呂后 三大悪女と称される史上初の皇后 りょこう
- 周瑜 孫権を補佐し曹操を破った貴公子 しゅうゆ
- 文天祥 歴史を変えた科挙の首席合格者 ぶんてんしょう
- 秋瑾 和服と日本刀を愛した女性革命家 しゅうきん
- 川島芳子 謀略と謎に満ちた男装の麗人 かわしまよしこ
- 蘇秦 舌先三寸だけで戦国を動かす遊説家 ?-前284年
- 荊軻 始皇帝暗殺未遂事件の伝説的な刺客 ?-前227年
- 阿倍仲麻呂 中国史の一部となった日本人 698−770
- 黄巣 唐に引導を渡した科挙落第者の怨念 835ごろ-884
- 呉三桂 明清交替戦争の決定票を握る将軍 1612−1678
★時代順
先秦時代(三皇五帝、夏・殷・周、春秋・戦国)
- 共通祖先の作り方 黄帝 前2717?-前2599?
- 太古の堯と舜 「昭和」の出典になった伝説の聖天子
堯:前2356?-前2255? 舜:前2294?-前2184?
- 古代の禹王 中華文明の原体験 前2123?-前2025?
- 殷の紂王 酒池肉林の伝説の虚と実 前1105?-前1046?
- 織田信長もあこがれた古代の聖王 周の文王 前1152?-前1056?
- 褒姒(ほうじ) 微笑みで国を滅ぼしたファム・ファタール 前790年代?-前771?
- 斉の桓公 中国史上最初の覇者 前716-前643
- 「19浪」の苦節をのりこえた覇者 晋の文公 前697-前628
- 夏姫 衰えぬ美貌で多くの君臣と関係した美魔女 前630頃-?
- 楚の荘王――初めは飛ばず鳴かずだった覇者 前613-前591
- 孫子 戦争哲学を説いた春秋と戦国の二人の孫子
孫武:前544?-前496? 孫臏:前380頃-前320頃
- 老子 行方知れずになったタオイズムの開祖 前571頃?-前471頃?
- 晏嬰 孔子と同時代の名宰相だった小男 前578-前500
- 伍子胥――祖国を滅ぼし死屍に鞭打った復讐者 前559?-前484
- 孔子 東洋の文明をデザインした万世の師表 前552/551-前479
- 扁鵲 超人的な医術を駆使した伝説の名医 前407頃?-前310頃?
- 臥薪嘗胆の復讐王・勾践 前520頃-前465頃
- 斉の孟嘗君――鶏鳴狗盗の食客を活用した戦国の四君 前391頃-前305頃
- 孟子 仁義と王道政治を説いた戦国の亜聖 前372-前289
- 蘇秦 舌先三寸だけで戦国を動かす遊説家 ?-前284年
- 屈原 毛沢東が田中角栄に本を渡した意味 前340頃-前278頃
- 平原君―食客とともに乱世を戦う 前308-前251
- 趙の藺相如――国を守った刎頸の交わり 前305頃-前240頃
秦・漢・三国(漢末)
- 秦の始皇帝 前259-前210
- 始皇帝をつくった男・呂不韋 前292-前235
- 韓非子(かんぴし) 故事成語の宝庫は中国のマキャヴェリ 前280頃-前233
- 荊軻 始皇帝暗殺未遂事件の伝説的な刺客 ?-前227年
- 劉邦をささえた宰相・蕭何 前257?-前193
- 前漢の高祖・劉邦 前256/247―前195
- 張良 劉邦の天下取りをささえた名軍師 前250頃-前186
- 陳平―漢帝国を作った汚い政治家 前250頃-前178
- 冒頓単于――東ユーラシアのもう一人の始皇帝 ?-前174
- 呂后 三大悪女と称される史上初の皇后 前241?-前180
- 項羽――四面楚歌の覇王 前232-前202
- 竇皇后 前漢の基礎を確立した影の主役 前205?前135
- 張騫 武帝の命令で西域を探検した前漢の冒険家 前164?-前114?
- 東アジアに残した影響 漢の武帝 前156-前87
- 司馬遷 司馬遼太郎が心の師とした歴史の父 司馬遷:前145?-前86?
- 趙飛燕 ― 妹とともに皇帝を虜にした舞姫 趙飛燕:前32?-前1?
- インフラ化した姓 後漢の光武帝 5-57
- 張衡 天文学や地震も研究した古代の科学者 78-139
- 魏の曹操 漢・侠・士の男の人間関係 155-220
- 関羽(かんう) 道教の神として祭られる三国志の義の武将 160頃-220
- 蜀漢の劉備 「負け太り」で勝ち抜いた三国志の英雄 161-223
- 周瑜 孫権を補佐し曹操を破った貴公子 175-210
- 司馬仲達――三国志で最後に笑う者 179-251
- 蜀漢の諸葛孔明 士大夫の典範 181-234
- 呉の孫権――六朝時代を創始した三国志の皇帝 182-252
魏晋南北朝(五胡十六国時代、六朝時代)
- 阮籍 ― 三国志の乱世を生きた竹林の七賢 210-263
- 鳩摩羅什――日本人が読むお経を作った訳経僧 344-413 (350-409)
- 前秦の苻堅――民族融和を信じた帝王の悲劇 338-385
- 北魏の太武帝――天下を半分統一した豪腕君主 408-452
- 北魏の馮太后――欲深き事実上の女帝 442-490
- 梁の武帝――ダルマにやりこめられた皇帝菩薩 464-549
- 達磨 中国禅宗の祖師はインド人の仏教僧 ?-532?
隋・唐から宋・元
- 隋の煬帝――日没する処の天子の真実 569-618
- 汚れた英雄のクリーニング 唐の太宗 598-649
- 玄奘 孫悟空の三蔵法師のモデルはタフガイ 602-664
- 唐の武則天 中国的「藩閥」政治の秘密 624?-705
- 慧能 日本・中国・韓国・ベトナムの禅僧の源流 638-713
- パワーゲーマーの栄光と転落 唐の玄宗 685-762
- 阿倍仲麻呂 中国史の一部となった日本人 698−770
- 鑑真 日本に移住した史上初のビッグネーム 688-763
- 郭子儀――中国を滅亡から救った遅咲きの名将 697-781
- 李白 酒と旅を愛した詩人の謎に満ちた横顔 701-762
- 杜甫 詩聖とたたえられた社会派の詩人 712-770
- 楊貴妃(ようきひ) 史上まれな美女の知られざる真実とは 719-756
- 白居易 清少納言と紫式部の推しの大詩人 772-846
- 黄巣 唐に引導を渡した科挙落第者の怨念 835頃-884
- 朱全忠 中世と貴族制を終わらせた反逆者 852-912
- 憑道――五朝八姓十一君に仕えた不屈の政治家 882−954
- 後周の世宗 ― 五代一の名君となった養子 921-959
- 南唐の李U――李白と並び称せられる詩人皇帝 937-978
- 宋の太祖・趙匡胤 927-976
- 北宋の太宗 日本を羨んだ兄殺し疑惑の皇帝 939-997
- 蘇軾――書道と豚の角煮でも有名な文豪政治家 1037-1101
- 宋の徽宗 道楽をきわめた道君皇帝 1082-1135
- 李清照 戦争に引き裂かれたおしどり夫婦 1084-1155
- 秦檜―最も憎まれた和平主義者 1090-1155
- 岳飛 中華愛国主義のシンボルとなった名将 1103-1142
- 朱子 東アジアの官学を創出した儒学者 1130-1200
- チンギス・カン――子孫は今も1600万人 1162-1227
- チンギス・カンの側近・耶律楚材 1190-1244
- 早すぎた世界帝国 元のクビライ 1215-1294
- 文天祥 歴史を変えた科挙の首席合格者 1236-1283
- マルコ・ポーロ 世界史を変えた大旅行家 1254-1324
明・清
- 史上最強の引き締めの結末 明の洪武帝 1328-1398
- 明の永楽帝 世界制覇の見果てぬ夢 1360-1424
- 鄭和 大航海時代を開いたムスリムの宦官 1371-1433
- 明の劉瑾――帝位をねらった宦官 1451-1510
- 王陽明 知識と実行は一体と説いた思想家 1472-1529
- マテオ・リッチ 西洋から中国に渡来したイタリア人宣教師 1552-1610
- 明の万暦帝 最後の漢民族系王朝の最後の繁栄 1563-1620
- 魏忠賢 ― 明王朝を傾けた史上最悪の宦官 1568-1627
- 朱舜水 水戸黄門が師とあおいだ亡命中国人 1600-1661
- 張献忠 無差別大量殺人の残虐な反逆者 1606-1647
- 呉三桂 明清交替戦争の決定票を握る将軍 1612−1678
- ダライ・ラマ5世 ― チベット統一の英主 1617-1682
- 台湾の鄭成功――大陸反攻をめざした日中混血の英雄 1624-1662
- 順治帝 中国本土を征服した皇帝の死の謎 1638-1661
- 中国統治の要道を示した大帝 康煕帝 1654-1722
- 清の乾隆帝 世界の富の三割を握った帝王 1711-1799
- 林則徐 ― アヘン戦争で善戦した欽差大臣 1785-1850
- 曽国藩―末世を支えた栄光なき英雄 1811-1872
- 洪秀全 清末の太平天国の乱を起したカルト教祖 1814-1864
- 清の李鴻章 老大国をささえた大男 1823-1901
- 清末の西太后 1835-1908
近現代
- 大元帥になった国際人・孫文 1866-1925
- 袁世凱 83日間で消えた「中華帝国」の「洪憲皇帝」 1859-1916
- 梁啓超(りょうけいちょう) 日本とも縁が深い近代言論人 1873-1929
- 張作霖 馬賊あがりの奉天派軍閥の総帥 張作霖:1875-1928
- 秋瑾 和服と日本刀を愛した女性革命家 1875-1907
- 魯迅 心の近代化をはかった中国の夏目漱石 1881-1936
- 汪兆銘―愛国者か売国奴か 1883-1944
- 打ち破れなかった2つのジンクス 蒋介石 1887-1975
- 中華人民共和国の毛沢東 1893-1976
- 梅蘭芳 毛沢東が「私より有名だ」と言った名優 1894-1961
- 李徳全――平塚らいてうとも対談した女性大臣 1896−1972
- 周恩来 失脚知らずの不倒翁 1898-1976
- 劉少奇 21世紀も終わらない毛沢東と劉少奇の闘争 1898-1969
- 宋美齢――英語とキリスト教と蒋介石 1898-2003
- 老舎 満州人の世界的作家と文革での謎の死 1899-1966
- 21世紀の中国をデザイン ケ小平 1904-1997
- 清と満洲国の末代皇帝・溥儀 1906-1967
- 川島芳子 謀略と謎に満ちた男装の麗人 1907-1948
- 林彪――世界の中国観を変えた最期 1907-1971
- 江青―女優から毛沢東夫人へ 1914-1991
- 李小龍 哲学と映画に心血を注いだ武術家 1940-1973
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