This webpage is my teaching materials for the students who take my Lectue on Art in East Asia, at The School of Global Japanese Studies,Nakano Campus, Meiji University. |
開講場所 明治大学 中野キャンパス 国際日本学部 金曜2限(10:40-12:10) 413教室 担当 加藤徹(法学部教授・和泉) ![]() 加藤の授業はペーパーレスです。随時、こちらに授業関連の内容をアップしてゆきます。 |
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【Idina Menzel】 It's how funny some distance Makes everything seem small And the fears that once controlled me Can't get to me at all | 【訳詞】 遠くから眺めるとすべてが砂粒のよう 恐れは遠く去り もう私を苦しめない | 【松たか子】 悩んでたことが嘘みたいね だってもう自由よ なんでもできる |
人 | ヒト。人材、人脈。 |
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物 | モノ。商品、設備。 |
金 | カネ。資金、資本。 |
情報 | 知識、技術、ノウハウ。 |
時間 | プライオリティー(priority)。Time is money. |
征服者、普遍的、 大伝統 ↑ ![]() ↓ 田舎、被支配層 被征服者、土俗的、 小伝統 |
茶室の美も云わば「 |
(上掲「白樺便り184.「柳宗悦と棟方志功」」より引用) 棟方の作品には、故郷青森(津軽)に題材をとったものが多く見られます。『東北経鬼門譜』はその代表作で、棟方は「自分の生まれた東北は日本の鬼門にあたる。豊作という言葉を聞いたことのない土地で、これは土地の宿命だ。」と言っています。この作品は六曲一双の屏風の真ん中に鬼門仏を置き、その左右に菩薩、羅漢、行者、人間、そして人間にもなり得ない曖昧模糊とした心を持ち、生まれてくることのなかった水子達の姿を描いた構図で成っています。鬼門仏が自分の体を二つに断ち割ってすべての不幸を包み込んでくださる・・飢餓ばかりで救いのない宿命を背負った人々を仏の力を借りて幸いあらしめたい・・いわば抜苦代受にすがる東北人(棟方)の必死の『祈り』の想いが作品に込められています。 (中略) その棟方が初めて柳邸(日本民藝館)を訪れた時のこと。応接間に飾られた『松絵の大鉢』にいたく感動し、「バーナード・リーチの作品ですか?」と尋ねたところ、柳は「九州(二川)の名もなき職人、美など考えてもいない職人が作ったうどんを捏ねる鉢だ。君(棟方)の父上は鍛冶職人だそうだが、いつか君もお父上の仕事の価値(美)を理解するときがくるだろう。名(名声)よりも作品が立派であれば、その中に美が生まれる。」と言いました。今まで有名になることだけを目標に創作に取り組んできた棟方でしたが、この言葉に棟方は天地が逆転するほどの衝撃を受けたそうです。これが棟方と『民藝』との出会いでした。そしてまた、名も無き職人の一人であった父のことを、こんなに立派な先生が認めて下さることに、感激し、涙が止まらなくなったと言います。 |
以下、琉球新報のHPの中の頁より引用 1911(明治44)年4月3日、来沖した京都帝国大学助教授の河上が「新時代来る」と講演。その中で、日本の歴史に対する沖縄の歴史・文化の独自性を強調。沖縄の非国家主義的性格を賞賛し、思想的事件に発展した。 |
以下、上里隆史『目からウロコの琉球・沖縄史』「東郷平八郎と為朝伝説(3)」より引用 野蛮で遅れた地域とされた沖縄は、戦前、様々な差別的待遇を受けました。沖縄にとっての近代化とは、=日本化でもありました。沖縄の人々は旧来の価値を否定し「日本人」となることで、差別的な待遇を解消しようとしたのです。 例えば経済学者で後に日本共産党にも入党した河上肇が講演で、「沖縄には独自性があり、本土と違って忠君愛国の思想が薄い。歴史を見るとこのような場所から偉人が誕生する」と指摘したのに対し、 県内マスコミは河上に非難の集中砲火を浴びせます。いわゆる“河上肇舌禍事件”です。河上肇は沖縄の持つ可能性を評価したつもりだったのですが、皇国日本への同化に力をそそいでいた沖縄社会のリーダーたちにとっては、 県民の「忠君愛国」思想を否定する彼の発言は許しがたいものだったのです。 |
原始 | 古代 | 中世 | 近世 ・近代 | 現代・ 近未来 | |
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写実的 | 〇 | 〇 | |||
様式的 | 〇 | 〇 | 〇 |
江戸時代の文化 | 唐の文化 | クラシック音楽 | |
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前史 | 桃山文化 | 六朝文化 | 中世・ルネサンス音楽 |
建国期 | 寛永文化 | 初唐 | バロック音楽 |
成長期 | 元禄文化 | 盛唐 | 古典派音楽 |
完成期 | 宝暦・天明文化 化政文化 | 中唐 | ロマン派音楽 国民楽派 |
爛熟期 | (幕末) | 晩唐 | 近・現代音楽 |
「うつくし」や | 単純に「美しい」ではない。古語「愛(うつく)し」「厳(いつく)し」「現(うつ)し・顕(うつ)し」等のイメージも重なっている。 |
「障子の穴」の | 障子に穴があいているような、わびしい住居。定命(じょうみょう)の人間や生き物など「mortal」たちが住む「此岸」の象徴。 死ぬかもしれない病気にかかるのは、平凡な日常生活に突如「穴」があくようなものである。 |
「天の川」 | 「穴」の向こうには、星や神仏などの「immortal」たちが住む永劫の「彼岸」が広がっている。 |
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(世界大百科事典 第2版の解説) りぞく【離俗】 俳諧用語。蕪村は門弟召波の《春泥句集》(1777)に寄せた序文の中で, 〈俳諧は俗語を用ひて俗を離るるを尚ぶ。俗を離れて俗を用ゆ。離俗の法最もかたし〉としるしている。 俳諧に用いられる言葉は,ことさらにあらたまった雅語のようなものではなく,だれもが日常に使う平易な俗語でなければならず, しかも俗から離れなければならないという。これは蕪村の俳諧の基本的な態度,方法をあらわすものである。 俗と離俗と同時におこなおうとすることは,芭蕉の〈高く悟りて俗に帰るべし〉につながるものであろうが,蕪村の場合,俗に〈帰る〉よりも,俗から〈離れる〉ことが強調されている。 |
『春泥発句選』安永丁酉[安永六年]冬十二月七日(1778年1月5日)、蕪村序。[ ]内は加藤徹の注 ←原文の画像は、愛知県立大学図書館のHPの中の[こちらの頁]で閲覧可能。 柳維駒[召波の子]、父の遺稿を編集して余に序を乞(こふ)。序して曰。 「余曾テ春泥舎召波に洛西の別業(べつげふ)に会す。 波すなはち余に俳諧を問。 答曰。俳諧は俗語を用て俗を離るゝを尚(たつと)ぶ。俗を離れて俗を用ゆ、離俗ノ法最かたし。かの何がしの禅師が、隻手の声を聞ケといふもの[白隠の「隻手音声(せきしゅおんじょう)」の公案]、則俳諧禅にして離俗ノ則也。 波頓悟(とんご)す。却(かへつて)問。叟が示すところの離俗の説、其旨(そのむね)玄(げん)なりといへども、なを(ほ)是工案をこらして我よりしてもとむるものにあらずや。し(若)かじ彼もしらず、我もしらず、自然に化して俗を離るゝの捷径(せふけい)ありや。 答曰。あり。詩[漢詩]を語るべし。子もとより詩を能(よく)す。他にもとむべからず。 波疑(うたがつて)敢(あへて)問。夫(それ)詩と俳諧といささか其致を異にす。さるを俳諧をすてて詩を語れと云。迂遠(うゑん)なるにあらずや。 答曰。画家ニ去俗論あり[芥子園画伝・初集]。曰。画、俗ヲ去ルコト無二他ノ法一。多読レ書則書巻之気上升、市俗之気下降矣。学者其(それ)慎旃哉(これをつゝしまんや)。それ画の俗を去だも筆を投じて書を読(よま)しむ。況(いはんや)詩と俳諧と何の遠しとする事あらんや。 (以下、略) |
[青空文庫版・夏目漱石『草枕』]より引用 住みにくさが 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、 住みにくき世から、住みにくき |
引 用 文 | ――当時、「ジョーは死んだのか」という論争まで起こりました。ちばさんの中でも定まっていなかったのでしょうか。 ちば そういうことは全然考えていなかったですね。ただ自分の力を出し切って、持てるエネルギーのすべてを使い尽くして、真っ白に、抜け殻のようになっているという、そう考えながら描いたシーンですね。ある時たまたまテレビで見たのですが、上野正彦さんという監察医があの絵を見て、「生きているか死んでいるか」と訊かれて、「こういう微笑みや、肘で身体を支える姿勢は、死んでいたらできないから、この人は生きている」と断言してくれて、「ああ、そうだったのか。やっぱり生きているのか」とホッとした記憶があります。 |
出 典 | 月刊『新潮45』2013年10月号、ちばてつや「あしたのジョーは生きている」(インタビュー)、聞き手・里中高志、p.149-p.150より引用 |
加 藤 注 |
〇ちばてつや(1939-)漫画家。「あしたのジョー」の作画担当。梶原一騎の原作のラストにあきたらず、原作者や担当編集者と話した末、主人公が真っ白になってリングサイドに座っている絵、という後に伝説化したラストを創作した。 〇上野正彦(1929-)法医学者、医事評論家。著書多数。『死体の嘘 世田谷一家殺人事件から『あしたのジョー』まで』(アスキー, 2001.10)など |
アルチュール・ランボーの詩「母音」(中原中也訳) Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青、母音たち、 おまへたちの穏密な誕生をいつの日か私は語らう。 A、眩(まば)ゆいやうな蠅たちの毛むくぢやらの黒い胸衣(むなぎ)は むごたらしい悪臭の周囲を飛びまはる、暗い入江。(以下略) |
一色型色覚 | monochromacy | 全色盲。「白黒」 |
二色型色覚 | dichromacy | 部分色盲。赤緑色盲、青黄色盲、・・・。霊長類を除く哺乳類 |
三色型色覚 | trichromacy | ヒトの大部分。「カラー」「三原色」 |
四色型色覚 | tetrachromacy | 鳥類、有袋類。ごく一部のヒトの女性 |
能楽「谷行(たにこう)」(15世紀) | エヴァンゲリオン(20世紀) | |
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作者 | 金春禅竹(?) こんぱる・ぜんちく 1405~? | 庵野秀明(監督) あんの・ひであき 1960~ |
通過儀礼 Initiation | 稚児→山伏 | 人類補完計画、 (中二病,14歳) 「おめでとう」 |
母胎回帰 | 入山、谷(女性器の象徴)への投げ込み、 「衆生一子」 | L.C.L、エヴァの秘密 ♫私に還りなさい…(「魂のルフラン」) |
BLテイスト | 松若(稚児)と師(山伏) | シンジと渚カヲル |
示現 | 役行者、伎楽鬼神 | 使徒、エヴァ |
少年 | 松若 母子家庭 | シンジ 父子家庭 |
母親 | 前シテ(母)→後シテ(伎楽鬼神)※ | ユイ→エヴァ初号機 |
機械仕掛けの神 Deus ex machina | 伎楽鬼神 | 「アヤナミリリス」(旧劇版)![]() |
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演 エン yǎn(yan3) 연 (yeon) diễn 【コアイメージ】長く延びる。 『釈名』釈言語に「演、延也。言蔓延而広也。(演は延なり。蔓延して広がるを言うなり)」とある。 『史記』日者列伝に「自伏羲作八卦、周文王演三百八十四爻而天下治。(フッキ八卦を作り、周文王、三百八十四爻を演じしより、天下治まる)」とある。 「寅(イン)」の字源は、家の中で両手で矢を左右から引っ張る様子。「寅」という字は早い段階で十二支の三番目を示す字に転用されたが、「水」を示すサンズイをつけ増画化した「演」が「寅」の原義を保存している。 延(エン)・引(イン)・衍(エン。延びて広がる)は同源。 「演」は、水が長々と延びて流れる様子を暗示する。 長く引き延ばす意味から、話やしぐさを展開させる意味を派生する。 演義 エンギ=意味を引き延ばして説明する。 演繹 エンエキ=一つのことから次々に押し広める。 演説 エンゼツ=意見を展開させて述べる。 演技 エンギ=技を繰り出して見せる。 |
近代西洋演劇 | 東洋の伝統演劇 | 東洋的な考えかた | |
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理論・哲学 | 形式知 | 暗黙知 | 文字や楽譜などの形式知より、言葉や理屈では説明できない暗黙知的な経験の積み重ねや「勘」を重視。 師匠「俺の芸は教えられない。俺から盗め」。 |
個性 | 個性は美 | 個性は醜 | 美は古今東西を通じて普遍的なもの、という発想。 面、くまどり、類型的な衣装、など。 |
著作権 | 個人創作 | 世代累積型集団創作 | 「述べて作らず」(述而不作) |
演技の風格 | 自由 | 伝統の型 | 「型破り」と「型知らず」は違う。 型を極めた名優だけが型破りになれる。 |
写実性 | 写実 | 写意 | 「実写ノイズ」は汚いので排除すべき。 舞台装置は簡素であるべき。 |
感応の導線 | 一望監視塔的 cf.Panopticon | スクランブル交差点的 cf.pedestrian scramble | 観客席は明るいままにしておく。 |
世界観 | open end | closed end | There is nothing new under the sun. |
新鮮感 | 新奇でもよい。 | 熟成するとよい。 | 「新(シン)」は「辛(シン)」なり。 「新(あら)」は「荒(あら)」なり。 |
物語の結末 | 未知 | 既知 | 観劇前の予習必要。 ネタバレ大歓迎。 |
俳優 | 汎用的俳優 | 専門的俳優 | 歌舞伎役者は映画もできる。 ふつうの映画俳優は歌舞伎はできない。 |
監督 | 監督は必要 | 監督はいなくてもよい | 「監督」の分際で名優に指図するのは失礼。 |
欧 米 | 中 国 | 日 本 | ||
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歌舞演員 | 〇 | 〇 | 〇 | オペラ歌手やバレリーナも含む。 |
話劇演員 | 〇 | 〇 | 〇 | セリフ中心の舞台劇。「相声演員」(落語家、漫才師)とも近縁。 |
戯曲演員 | - | 〇 | 〇 | 伝統劇。日本の歌舞伎や中国の京劇など。 |
影視演員 | 〇 | 〇 | 〇 | 映画(電影)とテレビ(電視)の俳優。 |
配音演員 | △ | △ | 〇 | いわゆる「声優」。 |
芸術 | 国語 | 弁論 | |
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舞台ドイツ語 | ○ | ○ | ○ |
謡曲日本語 | ○ | △ | × |
京劇の韻白 | ○ | × | × |
かさねのいろめ=かさねいろめ
(以下、[デジタル大辞泉]より引用。2014-12-13閲覧) かさね‐の‐いろめ【▽襲の色目】 平安時代以降、公家社会に行われた衣服の表地と裏地、また衣服を重ねて着たときの色の取り合わせの種目。男子では直衣(のうし)・狩衣(かりぎぬ)・下襲(したがさね)などの、女子では唐衣(からぎぬ)・袿(うちき)・細長などの表地と裏地や、五つ衣(ぎぬ)・単(ひとえ)などの重なりの色の配合。男女とも季節や年齢などで着用する色が定まっていた。また、所持する懐紙の重なりの配合にもいう。 [補説]江戸後期以降に使われはじめた語。 (以下、[かさねの色目~平安貴族の「雅(みやび)」な色]より引用。2014ー12ー13閲覧) 「かさねの色目」とは、平安時代(794年~1192年)から鎌倉・室町時代(1192年~1573年)の貴族の装束の色のこと。 植物の花や実や根から「色素」を汲みだして絹などを染めあげた「染織物」の色のことを指します。また、「かさね」を、 「重(かさね)」と書くときは、衣の表地と裏地を重ねたときにできる「重層色」を指し、「襲(かさね)」と書くときは、衣を重ね着したときにできる「配合色」を指します。 (以下、[襲色目と重色目]より引用。2014ー12ー13閲覧) <襲色目と重色目について> 「襲色」 と 「重色」 につきましては、過去の文献により襲と重の文字がまちまちに使用されています。 ここでは、襲色は、十二単の袿(うちき)の主に五衣(いつつぎぬ)の組み合わせの色の配色の総称に、 重色は、袿の一枚・一着 (領) の表地と裏地の混色名に使用いたします。 |
2014年(平成26年)11月14日(金)読売新聞・朝刊・23面・文化欄・12版 トピック「2.5次元ミュージカル 新次元 アニメ、漫画、ゲーム―舞台化」より引用 2.5次元ミュージカルはお目当てのキャストというより「キャラクターを演じるキャスト」を楽しむもの。 2次元のキャラをいかに俳優の情報量で見せるか。キャラとキャストが二重写しに見える点こそが「0.5」の醍醐味(だいごみ)だ。 (中略)コンピューターの分野で使われる「2.5次元」の概念には「物体の内側がない」という特徴があるが、まさにその通り。 キャストらの情報量が多すぎる作品には、少し違和感がある。 (「ユリイカ」編集部 明石陽介さん 「二重写し」こそ醍醐味 |
『品梅記』(彙文堂書店(京都)、大正八年九月十五日発行) 「梅蘭芳」天鵲 pp109-110 より引用。【 】内は筆者(加藤徹)注。原文の旧字体は新字体に改めた。 (引用開始) 蘭芳先生==私はあなたを目下世界の有する尤も貴重なるものゝ一に数ふるに憚りません、あなたの来游を国際的に有意義なりとか何とか六ヶ敷いことを言つたり、劇場の前へ日支親善などゝ云ふ套話【原文ルビ「タオホワー」】の看板を掲げたり、又大阪では開幕前にあなたの紹介と共に日支親善を提唱したりするとぼけ者があつたりしましたのはあなたの様な藝術家は却て気にもお留めにならぬかも知れませぬが私共の様に藝術を創造する力はなく只少し藝術を鑑賞し得る程度のもには【原文ママ。「程度のものには」の誤植か】悪感を催さずには居らせませんでした、学問藝術までをそんなに国際的に解釈せねばならぬとは不思議でなりません、併し貴国の様に文化の進んだ国でも尚日貨抵制とか日人駆逐とか八ヶ間敷いことを仰しやつて国恥記念日に梅郎上臺して日人の玩游に供する勿れなどゝ、己れの国の有する誇るべき国際関係などを超越したる立派な藝術を、自ら玩弄品迄引下げ様となさる方もお有りの様です、国を更へて生れたなれば親善抵制と名前を更へて活動をする人達でがなありませう少くも【原文ママ。「少なくとも」の意か】藝術感受性に欠乏して居る点丈けは大丈夫共通して居る様です。 (引用終了) 上記の原文の表記を、現代人に読みやすいように直すと、以下のようになる。 蘭芳先生==私は、あなたを目下世界の有するもっとも貴重なるものの一つに数うるに、はばかりません。あなたの来遊を「国際的に有意義なり」とか何とかむつかしいことを言ったり、劇場の前へ「日支親善」【日中友好、の意】などという套話【原文ルビ「タオホワー」】の看板を掲げたり、また大阪では開幕前にあなたの紹介とともに日支親善を提唱したりするとぼけ者があったりしましたのは、あなたのような芸術家はかえって気にもお留めにならぬかもしれませぬが、私どものように、芸術を創造する力はなくただ少し芸術を鑑賞し得る程度の者には、悪感を催さずにはいらせませんでした。学問芸術までをそんなに国際的に解釈せねばならぬとは、不思議でなりません。しかし、貴国のように文化の進んだ国でもなお「日貨抵制」【日本製品を買うな】とか「日人駆逐」【日本人を追い出せ】とか、やかましいことをおっしゃって、「国恥記念日に梅郎上台して日人の玩遊に供するなかれ」【中国の国恥記念日の前後に梅蘭芳が日本に行き京劇を公演するのを、やめさせろ、の意。国恥記念日は、1915年5月9日、中華民国が日本の対華二十一箇条要求の承認を強要された恥辱を忘れぬため、中国人が作った記念日】などと、おのれの国の有する誇るべき国際関係などを超越したる立派な芸術を、みずから玩弄品まで引下げようとなさる方もおありのようです。国をかえて生まれたなれば、「親善」「抵制」と名前を更へて活動をする人達でがなありましょう。少くも、芸術感受性に欠乏している点だけは、大丈夫【間違いなく、の意】、共通しているようです。 |
《趙州禅師語録》壁観巻下436 有婆子問「婆是五障之身、如何免得」。 師云「願一切人昇天、願婆永沈苦海」。 老婆が問うた。「このばばは、どうしたら女人五障の悪業から救われましょう」 師は言われた。「願わくば、みんなが天国に昇りますよう。このばばは永遠に地獄に落ちますよう」 |
岩生成一編『外国人の見た日本 1』(筑摩書房、1962)、サビエル(Francisco de Xavier)「神の国の開拓」p.130より引用 ※現在は「ザビエル」が普通だが、原書では「サビエル」 日本の信者には、一つの悲歎がある。それは私達が教えること、すなわち地獄へ堕ちた人は、もはや全然救われないことを、非常に悲しむのである。亡くなった両親をはじめ、妻子や祖先への愛の故に、彼等の悲しんでいる様子は、非常に哀れである。死んだ人のために、大勢の者が泣く。そして私に、あるいは施与、あるいは祈りをもって、死んだ人を助ける方法はないだろうかとたずねる。私は助ける方法はないと答えるばかりである。 この悲歎は、頗る大きい。けれども私は、彼等が自分の救霊をゆるがせにしないように、また彼等が祖先と共に、永劫の苦しみのところへは堕ちないようにと望んでいるから、彼等の悲歎については、別に悲しく思わない。しかし、なぜ神は地獄の人を救うことができないか、とか、なぜいつまでも地獄にいなければならないのか、というような質問が出るので、私はそれに彼等の満足のゆくまで答える。彼等は、自分の祖先が救われないことを知ると、泣くことをやめない。私がこんなに愛している友人達が、手の施しようのないことについて泣いているのを見て、私も悲しくなって来る。(アルーペ神父・井上郁訳) 参考 聖ボニファチウス(Bonifacius 英 Saint Boniface)と、フリース人の族長・ラードボード(ラッドボッド、レッドボッドとも。Radbod/Redbad)の会話 |
地の表にある一塊の土だっても、 かつては輝く日の面(おも)、星の額(ひたい)であったろう。 袖(そで)の上の埃(ほこり)を払うにも静かにしよう、 それとても花の乙女(おとめ)の変え姿よ。 [青空文庫・ルバイヤート・(58)] |
デチューン detune 【機械工学】機械・機器の用途にあわせて、意図的に一部の性能を低下させることで過剰性能(オーバースペック)を適正化し、耐久性や安全性、使い勝手など総合的な性能の向上を図ること。 (例)慶應義塾大学矢上台講義教室棟ロビーに展示されている「ハ9-II乙」(川崎九八式八〇〇馬力発動機、液冷V型12気筒)は、本来は航空機用のエンジンだが、550hpにデチューンして五式中戦車のエンジンとしても流用された。 【音楽】楽音のチューニングを意図的にずらすことで、音に豊かな厚みを持たせること。 (例) DTMにおける和音の周波数の設定 アイルランドの伝統音楽(アイリッシュ・ミュージック)におけるチューニング アコーディオンのリードのウェット・チューニング 坂本九の「上を向いて歩こう」 |
古拙な|〔洗練されていないが趣のある〕quaintly rustic; 〔荒けずりの美しさがある〕having a rough(-hewn) beauty プログレッシブ和英中辞典(第3版) |
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