加藤徹『中国古典のスターたち』ラジオテキスト「まえがき」より
2011.6.30-9.23 NHKカルチャーラジオ「文学の世界」
(http://www.nhk.or.jp/r2bunka/ch04/1107.html)
NHKラジオ第2放送で放送中
本放送 木曜夜20:30-21:00
再放送 金曜朝10:00-10:30
中国人とつきあう極意は「顔」です。抽象的な理屈を並べるより、ずばり具体的な「顔」を見せる。それに尽きます。
筆者の勤務先は明治大学です。中国人との交流の場で、明治大学を説明するとき「明治大学は今年、創立百三十周年です」「キャンパスが三つあります」と言うと、たいてい「はあ、そうですか」という儀礼的な顔が帰ってくるだけです。
もし相手が四十代以上の中国人なら、明治大学を印象づける魔法の言葉があります。
「明治大学の卒業生で、中国でも有名なのは、まあ、高倉健さんでしょうかねえ」
わざと、さりげなく言う。すると、相手が庶民であれ、高級幹部であれ、それまでの儀礼的な雰囲気が一変し、中国人は目を爛々と輝かせてしゃべり出す。
「えっ、高倉健の母校は明治大学だったんですか! 知らずに失礼しました。私たちの世代は全員、健さんの主演する映画『追捕』(一九七六年の日本映画『君よ憤怒の河を渡れ』の中国語役題)を見てます。文化大革命が終わったあと、初めて見た外国映画でした。衝撃でした。健さんが演じた杜丘(中国語の発音はドゥーチウ)や、中野良子さんが演じた真由美(中国語ではジェンヨウメイ)は、本当にかっこよかった。私たちはみな健さんの髪型やジャンパーをまねたものです。当時の中国で最大の罵語は『おまえは横路敬二(ホンルー・ジンアル)だ』というものでした。横路敬二。わかりますか? 『追捕』で田中邦衛という役者が演じた悪役です。『おまえは横路敬二だ』と言われたら、必ず殴りあいの喧嘩になりました」云々と、機関銃のように話が止まらなくなります。
こうして中国人の脳裏には「明治大学は、若いころの高倉健さんみたいな学生がいる大学なのだろう」という好印象がすりこまれる。そのあとだめ押しで、
「かつて周恩来総理も、東京に留学中、明治大学に通学されてました。今でも明治大学の隣には、当時、周総理が通ってた中華料理屋さんが営業してます」
と付け加えます。・・・・・・相手がもっと若い世代なら、明大卒の別の芸能人やスポーツ選手の名前を挙げる。するとやはり、その場の雰囲気は一変します。
いつの時代でも、現実の世界には難しい問題があります。感情の行き違いもある。だが映画『追捕』の主人公・杜丘は、日本語でモリオカと読もうと、中国語でドゥーチウと読もうと、スター的なキャラクターです。彼の顔を思い出すだけで、人々の心はなごむ。
民衆がふりあおぐスター的なキャラクターは、時代と民衆の心を映す鏡です。心は目では見えません。が、キャラクターという具体的な「顔」を分析して話題にすることは、日本人と中国人が互いの心を理解するうえで、役に立つはずです。
本講座では、中国のスター的なキャラクターの実例を、何人かとりあげます。
紙数の都合も考え、現代物ではなく古典的なキャラクターに限定し、日本の物語との比較を試みます。中国文学について予備知識のない人でも理解しやすい人物と物語を選びます。
これから取り上げるキャラクターが最良、という訳ではありません。始皇帝や楊貴妃、岳飛と秦檜など、重要でありながら紹介を割愛したキャラクターも多い。しかし、中国人との会話の中で、本講座のスター的なキャラクターたちを話題にすれば、きっと話がはずむことでしょう。
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