[解説] [「谷行」前半] [「谷行」後半] [参考資料] [ブラジル版「谷行」] [エヴァンゲリオン] [YouTube集] 参考[谷行とエヴァンゲリオン]別の頁 |
本頁は、 (1)日本の能楽の演目「谷行」 (2)上記の英訳(Arthur Waleyによる自由訳) (3)ブレヒトによる翻案(Der Jasager) (4)能楽と現代のサブカル(例 Evangelion)の趣向の通底部分 を比較し、分析するための教材です。 |
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【前半=少年の家にて】 (山伏の)師が、山に修行の旅に出ることになった。 師は出発の前、弟子の一人である少年(稚児)の家に、別れの挨拶に行った。少年の父は亡くなっており、母と二人暮らしだった。その母親も病気だった。 少年は、師に「いっしょに山に連れて行ってください」と頼む。山で母親の病気が治るよう、神に祈るためである。師は「山の旅は子供には無理だ」といったんは断る。が、結局は少年の熱意に押され、師も母も、少年が山に行くことを認める。 |
【後半=山の中にて】 師は、巡礼者たち(山伏の修行者たち)をひきつれて、山に入る。少年は病気になり、進めなくなった。もともと子供の体力では、山の修行は無理だった。 山伏のあいだには、古くから「谷行」(たにこう)と呼ばれる掟(おきて)があった。「山の中で病気になった修行者は、深い谷底に投げこまれて殺されねばならぬ」という残酷な掟だった(投げ込まれる理由は劇中では説明されない)。巡礼者たちのリーダーは、師に、掟にしたがうよう迫る。 師は悲しみ、少年に掟を説き聞かせる。少年の運命は… |
ニコライ堂のニコライ(1832-1912 日本正教会の創建者)は「仏教はキリスト教以外の諸宗教の中で最上のものである」(講談社学術文庫『ニコライの見た幕末日本』p.38)、「この教えはキリスト教から借りてきたのではないか」(同書p.51)と書いた。キリスト教徒の目には、日本仏教はこう見えたらしい。 pic.twitter.com/i5Lp8mAeWB
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) October 8, 2021
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能楽「谷行(たにこう)」(15世紀) | エヴァンゲリオン(20世紀) | |
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作者 | 金春禅竹(?) こんぱる・ぜんちく 1405〜? | 庵野秀明(監督) あんの・ひであき 1960〜 |
通過儀礼 Initiation | 稚児→山伏 | 人類補完計画、 (中二病,14歳) 「おめでとう」 |
母胎回帰 | 入山、谷(女性器の象徴)への投げ込み、 「衆生一子」 | L.C.L、エヴァの秘密 (歌)私に還りなさい…(「魂のルフラン」) |
BLテイスト | 松若(稚児)と師(山伏) | シンジと渚カヲル |
示現 | 役行者、伎楽鬼神 | 使徒、エヴァ |
少年 | 松若 母子家庭 | シンジ 父子家庭 |
母親 | 前シテ(母)→後シテ(伎楽鬼神)※ | ユイ→エヴァ初号機 |
機械仕掛けの神 Deus ex machina | 伎楽鬼神 | 「アヤナミリリス」(旧劇版)![]() |
TANIKŌ (THE VALLEY-HURLING) |
谷行 (谷への投げ込み) |
By ZENCHIKU | 金春禅竹 作 |
PERSONS A TEACHER. A YOUNG BOY. THE BOY'S MOTHER. LEADER OF THE PILGRIMS. PILGRIMS. CHORUS. |
登場人物 教師<師阿闍梨(ワキ) 子供<松若(子方) 子供の母<松若の母(前シテ) 巡礼のリーダー<小先達(ワキツレ) 巡礼たち<山伏(ワキツレ+立衆数名) 合唱隊<地謡 |
A.Waley(ウェイリー)の自由訳 | 左の大意 | 「谷行」原文の一例 |
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1.TEACHER. I am a teacher. I keep a school at one of the temples in the City. I have a pupil whose father is dead; he has only his mother to look after him. Now I will go and say good-bye to them, for I am soon starting on a journey to the mountains. (He knocks at the door of the house.) May I come in? | 師 私は教師です。都の寺で塾を開いています。生徒の中に、父親を亡くして女手一つで育てられた子がいる。 私はまもなく山へ旅に出るので、別れを告げに行きます。(家の戸をノックする)お邪魔します。 | ワキ これは都東山、今熊野に住居する客僧にて候。さても某稚き弟子を一人持ちて候。名をば松若と申し候。 かの者父には後れ、母一人に候ほどに、不便に候いて常は里に置き候。また明日は、峰入を仕り候間、立ち越え松若に暇乞をせばやと存じ候。 いかに此の内へ案内申し候。 |
2.BOY. Who is it? Why, it is the Master who has come out to see us! | 子 どなたです? ああ、先生がお見えになられた! | 子方 たれにてわたり候ぞ。や、師匠のおんいでにて候。 |
3.TEACHER. Why is it so long since you came to my classes at the temple? | 師 なぜこんなに長く寺の塾を休んでいるのかね? | ワキ 何とてこのほど寺へはおんあがりそうらわぬぞ。 |
4.BOY. I have not been able to come because my mother has been ill. | 子 母が病気で行けなかったのです。 | 子方 さん候、母御の風の心地におんいり候ほどに、さて参らず候。 |
5.TEACHER. I had no idea of that. Please tell her at once that I am here. | 師 それは知らなかった。私が来たと母上に伝えなさい。 | ワキ なにと母御の風の心地におんいり候とや。それがしが参りたるよしおん申しそうらえ。 |
6.BOY. (calling into the house). Mother, the Master is here. | 子 (奥に向かって)母さん、先生がいらした。 | 子方 かしこまって候。 いかに申し候。師匠のおんいでにて候。 |
7.MOTHER. Ask him to come in. | 母 お入りいただいて。 | シテ こなたへと申せ。 |
8.BOY. Please come in here. | 子 どうぞ中へ。 | 子方 かしこまって候 こなたへおんいりそうらえ。 |
9.TEACHER. It is a long time since I was here. Your son says you have been ill. Are you better now? | 師 ご無沙汰いたしました。ご病気とうかがいましたが、お加減は? | ワキ 心得申し候。 この間は久しく参らず候。風の心地におんいり候よし、松若殿仰せそうらいて承りてこそそうらえ。おん心地はなにとおんいり候ぞ。またみょうにった(明日は)峰入りをつかまつり候あいだ、おんいとまごいのために参りて候。 |
10.MOTHER. Do not worry about my illness. It is of no consequence. | 母 ありがとうございます。たいしたことはございません。 | |
11.TEACHER. I am glad to hear it. I have come to say good-bye, for I am soon starting on a ritual mountain-climbing. | 師 それは良かった。実はお別れに来たのです。まもなく儀式の山登りに出かけます。 | |
12.MOTHER. A mountain-climbing? Yes, indeed; I have heard that it is a dangerous ritual. Shall you take my child with you? | 母 山登り? ああ、たしか、危険な儀式と伺っております。うちの子もお連れになるのですか? | シテ 風の心地は苦しからず候。また峰入りのおんことは、こと(殊)なる大事のおん行(ぎょう)とこそ承りてそうらえ。 さて松若は召し連れられ候か。 |
13.TEACHER. It is not a journey that a young child could make. | 師 お子さんが来られるような旅ではないのです。 | ワキ いやいや峰入りと申すは、難行捨身の行にて、おぼろげにてはかなわぬ事にて候。 めでとうやがて参ろうずるにて候。 |
14.MOTHER. Well,--I hope you will come back safely. | 母 まあ、──ご無事でお戻りくださいますよう。 | |
15.TEACHER. I must go now. | 師 それでは。 | |
16.BOY. I have something to say. | 子 先生、ちょっと。 | 子方 いかに師匠に申し候。 |
17.TEACHER. What is it? | 師 何かね? | ワキ 何事にて候ぞ。 |
18.BOY. I will go with you to the mountains. | 子 山にお供したいのです。 | 子方 松若も峰入のおん供申し候べし。 |
19.TEACHER. No, no. As I said to your mother, we are going on a difficult and dangerous excursion. You could not possibly come with us. Besides, how could you leave your mother when she is not well? Stay here. It is in every way impossible that you should go with us. | 師 いや、だめだ。母上にも申し上げたように、これは難しくて危険な旅だ。君を連れては行けない。それに、君はどうして病気の母上を残してゆけるのだ? 残りたまえ。君が一緒に来るのはとても無理だ。 | ワキ ただいまも申し候ごとく、難行捨身の行にて、幼き者はかなわぬ事にて候。そのうえ母御の風の心地にござ候ほどに、かたがた思いもよらぬ事にて候。 |
20.BOY. Because my mother is ill I will go with you to pray for her. | 子 母が病気なので、お供して、母のために祈りたいのです。 | 子方 いや母御の風の心地におんいりそうらえばこそ、おん祈りのため、かようには申しそうらえ。 |
21.TEACHER. I must speak to your mother again. (He goes back into the inner room.) I have come back,--your son says he is going to come with us. I told him he could not leave you when you were ill and that it would be a difficult and dangerous road. I said it was quite impossible for him to come. But he says he must come to pray for your health. What is to be done? | 師 母上にお話ししよう。(奥の部屋に戻る)戻りました。──お子さんが、ついて来たいと申されます。 私は、さとしました、病気のあなたを残しては行けまい、それに難しく危ない旅路になる、と。ついて来るのは本当に無理だと申しました。 が、お子さんは、あなたの快復を祈るため、ぜひ来たいそうです。どうします? |
ワキ げによく仰せ候ものかな。さらばそのよし母御に申そうずるにて候。 また参りて候。松若殿峰入りの供しょうずるよし仰せ候ほどに、母御の風の心地にござ候折節と申し、幼き者のかなわぬよし申してそうらえば、母御のおん祈りのため、峰入りしょうずるよし仰せそうらえども、まずこの度はおんとめあれかしと存じ候。 |
22.MOTHER. I have listened to your words. I do not doubt what the boy says,--that he would gladly go with you to the mountains: (to the BOY) but since the day your father left us I have had none but you at my side. I have not had you out of mind or sight for as long a time as it takes a dewdrop to dry! Give back the measure of my love. Let your love keep you with me. | 母 お話しはわかりました。 息子の言葉は本心でしょう──山に喜んでお供したい、と。(子供に)でも、父上が亡くなられたその日から、私のそばにはおまえだけしかいなかった。 夜露が乾くほどの短い時間も、私はおまえを忘れたことも、目を離したこともない。 この親心に報いておくれ。後生だから、そばにいて。 |
シテ 峰入りのおんことは殊なる大事のおん行にて、幼き者のかなわぬよし仰せ候。そのうえ母が風の心地を見捨つべきか。かたがた思いとまりそうらえ。まずは松若申すごとく、師匠のおん供申し、峰入りをせん事こそ尤も望む所なれども、 おん身の父におくれし日より、ただひとりごのひたすらに、杖柱とも頼むかげの、身に添う時だに見ぬひまは、露ほどだにも忘られず、思う心を思えかし。ただただ思いとまりそうらえ。 |
23.BOY. This is all as you say. Yet nothing shall move me from my purpose. I must climb this difficult path and pray for your health in this life. | 子 母さんの言うとおりです。でもぼくの心は変わりません。 この難しい道を登り、母さんの今生の健康を祈りたいのです。 | 子方 仰せはさる事にてそうらえども、心をとめておん身に添え、身は難行の道にいでて、母の現世を祈らんと、思い立ちたるばかりなりと、 |
24.CHORUS.
They saw no plea could move him. Then master and mother with one voice: "Alas for such deep piety, Deep as our heavy sighs." The mother said, "I have no strength left; If indeed it must be, Go with the Master. But swiftly, swiftly Return from danger." |
合唱隊 どう言っても、彼は聞きいれそうになかった。 母と先生は声をそろえて言った。 「ああ、深い親孝行 われらの嘆きと同じくらい深い」 母は言った。 「もう、しかたない。 もしどうしてもと言うなら、 先生といらっしゃい。 でも早く、早く、 無事に戻っておくれ。」 |
地謡 かきくどきたるそのけしき、師匠も母ももろともに、あわれ孝行の深きや、涙なるらん。 シテ この上なれば力なし。さらば師匠のお供して、とくとく帰り給えや。 |
25.BOY.
Checking his heart which longed for swift return At dawn towards the hills he dragged his feet. |
子 子どもは、早く帰りたいと思う気持ちを押し殺し、 夜明けに足を引いて山に向かった。 |
ワキ・子方 帰るさの心をとめていづる日も、やがて急ぐやあしびきの大和路遠き思いかな。(以下省略) |
Footnote Here follows a long lyric passage describing their journey and ascent. The frequent occurrence of place-names and plays of word on such names makes it impossible to translate. |
脚注 原文ではこのあと彼らの旅と登攀を述べた長い詩が続く。地名や地名をもじった言葉遊びが頻出するため、翻訳不可能である。 |
英訳 | 大意 | 原文 |
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1.TEACHER. We have climbed so fast that we have already reached the first hut. We will stay here a little while. | 師 速く登った。もう最初の山小屋に着いた。少し休もう。 | ワキ (前略)急ぎ候ほどに、これははや、かづらきいちのむろ(葛城一の室)に着きて候。今夜はこの所に逗留しょうずるにて候。 |
2.LEADER. We obey. | リーダー わかりました。 | オモヅレ 尤もにて候。 ワキ まずこうわたりそうらえ。 |
3.BOY. I have something to say. | 子 申し上げたいことが。 | 子方 いかに申すべき事の候。 |
4.TEACHER. What is it? | 師 何だね? | ワキ 何事にて候ぞ。 |
5.BOY. I do not feel well. | 子 気持ち悪いのです。 | 子方 道より風の心地に候。 |
6.TEACHER. Stay! Such things may not be said by those who travel on errands like ours. Perhaps you are tired because you are not used to climbing. Lie there and rest. | 師 待て! このような使命の旅では、そんなことを口にしてはならぬ。 たぶん山登りに慣れてないので疲れたのだろう。横になって休みなさい。 | ワキ しばらく。この道にいでてさようの事をば申さぬ事にて候。それはただ習わぬ旅の疲れにて候べし、苦しからず候。 |
7.LEADER. They are saying that the young boy is ill with climbing. I must ask the Master about it.. | リーダー あの子は登り疲れて病んだ、と、みなが言う。先生に聞かねばなるまい。 | |
8.PILGRIMS. Do so. | 巡礼たち そうしろ。 | |
9.LEADER. I hear that this young boy is ill with climbing. What is the matter with him? Are you anxious about him? | リーダー この子は登り疲れて病んだそうですが、本当なのですか? ご心配ではないのですか? | オモ いかにせんだち(先達)へ申し候。松若殿風の心地いかようにござ候ぞ。 |
10.TEACHER. He is not feeling well, but there is nothing wrong with him. He is only tired with climbing. | 師 気分はよくないそうだが、心配は無用。山登りで疲れただけだ。 | ワキ いやいや風の心地にてはなく候。これはただ習わぬ旅の疲れにて候あいだ苦しからず候。 |
11.LEADER. So you are not troubled about him? | リーダー では、ご心配ではないのですね? | オモ さてはめでとう候。 |
(A pause.) | (間) | |
12.PILGRIMS. Listen, you pilgrims. Just now the Master said this boy was only tired with climbing. But now he is looking very strange. Ought we not to follow our Great Custom and hurl him into the valley? | 巡礼たち 聞け、諸君。先生は、この子は山登りで疲れただけだと言われた。が、どう見てもおかしい。 大いなる掟にしたがい、この子を谷に投げ込むべきじゃないか? |
オモ いかにわたり候か。 ツレ 何事にて候か。 オモ 松若殿風の心地の事、先達へ尋ね申してそうらえば、習わぬ旅の疲れにて苦しからぬよし仰せそうらえども、 今は存命不定(ぞんめいふじょう)に見え給いて候。さてこれは何と候べき。 ツレ われらの存じ候は、痛わしながら大法(たいほう)にまかせ、谷行におんのこない(御行い)あれかしと存じ候。 オモ さあらばそのよし先達へ申そうずるにて候。 オモ いかに先達へ申し候。 松若殿風の心地苦しからぬよし仰せそうらえども、 今は存命不定に見え給いて候。 痛わしながら大法にまかせ、谷行におんのこないあれかしと、おのおの申され候。 |
13.LEADER.
We ought to indeed. I must tell the Master. Sir, when I enquired before about the child you told me he was only tired with climbing; but now he is looking very strange. Though I say it with dread, there has been from ancient times a Great Custom that those who fail should be cast down. All the pilgrims are asking that he should be thrown into the valley. |
リーダー そのとおりだ。先生に申し上げねば。 ──先生、さっきこの子の様子をうかがったとき、山登りで疲れただけだとおっしゃられましたが、この子の様子は変です。 口にするのも恐ろしいですが、いにしえからの大いなる掟によれば、病んだ者は投げすてねばなりません。巡礼たちはみな、この子が谷に投げ込まれることを望んでおります。 | |
14.TEACHER. What, you would hurl this child into the valley? | 師 何、この子を谷に投げ込むつもりか? | |
15.LEADER. We would. | リーダー いかにも。 | |
16.TEACHER. It is a Mighty Custom. I cannot gainsay it. But I have great pity in my heart for that creature. I will tell him tenderly of this Great Custom. | 師 この大いなる掟には、私も逆らえぬ。が、あの子がかわいそうでならない。この大いなる掟について、やさしく教えてやろう。 | ワキ おのおのの仰せ候事尤もにて候。さあれば谷行の仔細を、松若に申し聞かしょうずるにて候。しばらくおん待ちそうらえ。 |
17.LEADER. Pray do so. | リーダー お願いします。 | オモ 心得申し候。 |
18.TEACHER.Listen carefully to me. It has been the law from ancient times that if any pilgrim falls sick on such journey as these he should be hurled into the valley,--done suddenly to death. If I could take your place, how gladly I would die. But now I cannot help you. | 師 よく聞きなさい。いにしえからの習わしでは、もしこのような旅で巡礼が病んだら、谷に投げこまれて──すみやかに死なねばならぬ。 もし、おまえと代わってやれるものなら、私は喜んで死ぬ。が、もはや助けてやれぬ。 | ワキ いかに松若たしかに聞け。この道にいでてかように病気する者をば、谷行とて遙かに谷に落としいれ、忽ち命を失う事、これ昔よりの大法なり。 命に代わるものならば、おん身のために捨てん身の、何か命も惜しからん。返すがえす進退(しんだい)きわまりてこそそうらえ。 |
19.BOY.
I understand. I knew well that if I came on this journey I might lose my life. Only at the thought Of my dear mother, How her tree of sorrow For me must blossom With flower of weeping.-- I am heavy-hearted. |
子 わかりました。この旅に出たら命を失うかもしれないと、覚悟しておりました。 ただ心残りは ぼくのお母さん 母の悲しみの木は 涙の花でいっぱいになるでしょう…… 私もつらいです |
子方 仰せ承り候。この道に出でて命を捨てんこそ、望みのままの心なれ。 一つ心にかかる事は、母のおん歎きの色、それこそ深き悲しみなれ。 また仮初めも他生の縁、みなおん名残こそ惜しうそうらえ。 |
20.CHORUS.Then the pilgrims sighing For the sad ways of the world And the bitter ordinances of it, Make ready for the hurling. Foot to foot They stood together Heaving blindly, None guiltier than his neighbour. And clods of earth after And flat stones they flung. |
合唱隊 かくて巡礼たちは 世の悲しい習いと 辛い掟を嘆きつつ 投げ込む用意をする 誰も隣より罪深くならぬように 足と足を 並べて立ち 目を閉じ、投げこんだ そして土くれと 平らな石をあとからほうった |
地謡 何と言いやる方もなく、皆声をのみ涙にむせぶ心ぞ悲しき。 立衆 かくて面々一同に、あわれ悲しき世の習ひ、殊更これは大法の、 冥見私なきままに、谷行にこそ行いけれ。 地謡「何と言ひ遣る方もなく。皆声を上げ涙にむせぶ心ぞ哀れなる。 重ツレ地ツレサシ「かくて面々一同に。あはれ悲しき世の習。殊更これは大法の。冥見私なきまゝに。谷行にこそ行ひけれ。 ワキ「先達も師弟の契の中なれば。何と言ひ遣る方もなく。唯くれ/\と目もあやなく。 地「泣く涙せかれぬ道なれば。身も諸共にともかくも。ならばやと思ふさへ。適はぬ事ぞ悲しき。悲の。至りて悲しきは。生別離の心なり。なか/\死別ならば。かほどの歎よもあらじ。 クセ「一切有為の世の習。如夢幻泡影如露亦如電。応作如是観の心をも。思ひ知らずやさしもこの。行者の道には出でながら。火宅の門を去りやらで。猶安からぬ三界の。親子恩愛の。歎に等しかりけり。 重ツレ「かくて時刻も移るとて、皆面々に思い切り、邪見の剣 身を砕く、心をなしてかの人を、嶮しき谷に陥れ、上に覆うや石瓦、雨土くれを動かせる。 心を痛め声をあげ、皆面々に泣き居たり。皆面々に泣き居たり。 |
Footnote I have only summarized the last chorus. When the pilgrims reach the summit, they pray to their founder, En no Gyōja, and to the God Fudō that the boy may be restored to life. In answer to their prayers a Spirit appears carrying the boy in her arms. She lays him at the Priest's feet and vanishes again, treading the Invisible Pathway that En no Gyōja trod when he crossed from Mount Katsuragi to the Great Peak without descending into the valley. |
脚注 最後の合唱は要約である。原文ではこの後、巡礼たちは頂上に着き、開祖であるエンノギョージャとゴッド・フドーに子供の復活を祈る。その祈りにこたえ、女の精霊が子供を抱えてあらわれる。精霊は子供を僧の足もとに横たえたあと、かつてエンノギョージャがカツラギ・マウンテンからグレート・ピークまで谷に落ちることなく渡った見えない小道を渡り、姿を消す。 |
以下の(※)【別枠】内を参照 |
重ツレ詞「はや日のたけて候。急ぎ御立ちあらうずるにて候。 | 山伏A「もう、かなり時間がたってしまいました。早く出発しましょう。 |
ワキ「愚僧は罷り立つまじく候。 | 先生「出発したくない。 |
重ツレ「先達の御立なく候ひては。我々は何と仕り候ふべき。唯急いで御立ち候へ。 | 山伏A「先生がご出発なさらねば、私たちも出発できません。どうぞお急ぎください。 |
ワキ「まづ案じても御覧候へ。われら都へ上り。かの者の母には何と申すべきぞ。所詮病気も歎も同じ事にて候へば。われらをも谷行に行ひて賜はり候へ。 | 先生「考えてご覧。都へもどったあと、松若のおかあさんに、何と報告したらよいのか。病気になった松若も、悲嘆のあまり絶望したわしも、もはや前へ進めぬという点では同じだ。いっそわしも谷行にしてくれ。 |
重ツレ「御歎尤もにて候。いかにかた/\へ申し候。先達の仰せ候ふは。病気も歎も同じ事なれば。先達も谷行に行ひ申せと仰せ候。さて何と仕り候ふべき。 | 山伏A「先生のお嘆きはごもっともです。ではみんなと相談します。(仲間の山伏たちに向かって)先生は、松若の病気も先生のご悲嘆も同じことだから、いっそ自分も谷行にしてくれ、と、こうおっしゃる。さて、どうしたものか。 |
ツレ「げに/\御歎尤もにて候。われわれ存じ候ふは。この年月の行徳もかやうの時にてこそ候へ。開山役の優婆塞。ならびに大聖不動明王の索にかけ。松若殿の御命を二度蘇生させ申さうずるにて 候。 | 山伏たち「そうですね。考えてみますと、私たちが長年、修行をつみ功徳をためてきたのは、まさに、このような非常時のためであった、と思われます。われら山伏の修験道の開山祖師たる役の優婆塞さま(役小角=えんのおづぬ。役行者=えんのぎょうじゃ)と、最強の明王である不動明王にお祈りし、松若どののお命を、復活させてはいかがでしょう。 |
重ツレ「これは尤もにて候。いかに申し候。皆々申され候ふは。この年月の行徳もかやうの時にてこそ候へ。開山役の優婆塞。殊には大聖不動明王の索にかけ。 松若殿の御命を蘇生させ申さうずるよし皆々申され候。 | 山伏A「それは良い考えだ。・・・・・・先生、みんなが言うには、私たちの長年の修行は、このような時のためのものであり、 われらの開山祖師たる役の優婆塞さまと、特に不動明王にお祈りし、松若どののお命を復活させましょう、と皆々が申しております。 |
ワキ「さやうの事こそ聞かまほしう候へ。われらもこれにて祈念申さうずるにて候。 | 先生「その言葉を待っていた。では、これから祈念いたそう。 |
重ツレツレ地「さても師匠の其歎。理過ぐるありさまを。見聞くも同じ心かな。 | 山伏一同と地謡「さて先生の、ものすごい悲しみぶりを、目で見て耳で聞くと、自分も同じ悲しい心になる。 |
ワキ「さりとも年月頼を掛くる。大聖不動明王の威力。 | 先生「いろいろと長年のあいだ頼りにしてきた、不動明王さまの神の力 |
重ツレツレ地「又は山神護法善神。 | 山伏一同と地謡「そして山の神と、仏教の護法善神の神々 |
ワキ「殊には開山 役の優婆塞。 | 先生「特にわれらが開山祖師たる役の優婆塞さま |
重ツレツレ地「哀愍納受垂れ給ひ。 | 山伏一同と地謡「われらが祈りをお聞き届けください。 |
地「使者の鬼神伎楽伎女を。遣はし助けおはしませ。 | 地謡「使者たる鬼神・伎楽伎女を遣わして、お助けください |
早笛「。 (参考 赤尾照文堂『謠曲二百五十番集』) |
葛城山の名も高き、役の優婆塞(えんのうばそく)まのあたり、来現も孝行ゆゑ。あらありがたやの御事や。 もとより衆生一子にて、もとより衆生一子にて、愛愍(あいみん)あれば親心、仏の慈悲にかくばかり、今顕(あら)はさん待てしばし、使者の鬼神の伎楽伎女(ぎがくぎにょ)よ、とくとく参拝、申すべし。 【後ジテ登場。地謡】 伎楽鬼神(ぎがくきじん)は飛び来たり、伎楽鬼神は飛び来たつて、行者のお前に膝まづいて、首(コーベ)を傾け仰せを受けて、谷行に飛び翔けり、 上に蔽(おお)へる土木磐石、押し倒し取り払つて、上なる土をばはらはらと静かに翻(かえ)して彼(か)の小童(しょうどう)を、 恙(つつが)もなく抱きあげ、行者のお前に参らすれば、行者は喜悦の色をなし、慈悲の御手に髪を撫で、 善哉善哉(ぜんざいぜんざい)孝行切なる、心を感ずるぞとて、則ち師匠に与へ給ひ、帰らせ給へば伎楽も共に、 御先(みさき)を払つてさがしき路を、分けつくぐつつ登るや高間の雲霧つたふ(ツトー)や葛城の、 人の目にこそかからざれどもまことは渡せる岩橋を、大峯かけて遙遙(はるばる)と、大峯かけて遙遙と、 虚空を渡つて失せにけり。(留拍子) (野上豊一郎『解註・謡曲全集』第五巻、昭和26年版、中央公論新社より。原文総ルビ) |