拾玉[金蜀](しゅうぎょくしょく)Shi-yu-zhuo

 これから見ていただくのは、拾玉[金蜀]、「宝石のブレスレットを拾う」という芝居です。
 京劇の俳優は、四種類の芸をマスターしていなければならない、と言われています。四種類の芸とは、うた、せりふ、しぐさ、たちまわり、の四つです。この「宝石のブレスレットを拾う」という芝居は、俳優のしぐさが一番大きな比重をしめる芝居です。
 舞台は中国のとある農村。登場人物はたった三人です。主人公は、若く美しい娘・孫玉[女交](そん・ぎょくこう)。彼女は自分の家で、針仕事をしたり、庭のニワトリたちの世話をしたり、家事をしていました。するとそこへ傅朋(ふ・ほう)という名の若い青年が通りかかります。青年は、娘を見てひとめぼれ。そこで青年は、二人が言葉をかわすきっかけをつくるため、わざと、宝石のプレスレットを地面のうえに落とします。娘はそのブレスレットを拾いあげ、その青年と最初の言葉をかわします。
 ところが、ふたりのあいだの一部始終を、隣の家のおばさんが、しっかりのぞいて見ていました。
 芝居の前半は、若いふたりの男女の恋のかけひき、芝居の後半は、若い娘をからかう隣のおばさんの軽妙な身のこなしが、この御芝居の見どころです。しぐさが中心の御芝居なので、言葉があまりわからなくても、十分お楽しみいただけます。そのため、京劇の海外公演でもよく上演される人気演目となっています。
 それではどうぞ、御楽しみください。



 京劇では、小道具や大道具をあまり使いません。
 いま、主人公の女性がいるのは、中国の農村です。舞台の上には何もありませんが、観客のみなさんが、想像力で、農家のかやぶき屋根や、農家の土壁などを、おぎなってください。
 また、主人公は農村の女性なのに、ずいぶんと派手で豪華な頭かざりをつけています。これも、芝居のうえでの約束ごとです。実際の中国の農村の娘が、ふだん、このような豪華な服を着ているわけではありません。
 ただ、主人公の女性は、スカートではなくズボンをはいていますね。よく見ると、服も一種のエプロンのようです。これは、いわゆる「お姫さま」ではなく、働く女性であることを表わしています。
 実際、この女性も、針しごとをしたり、庭のニワトリの世話をしたりしています。

京劇研究会による日本語・中国語版の上演(2010.3)
YouTubeにアップした動画(無料)。
 主人公の娘がうたいます。
「毎日、毎日、家での仕事におわれ
娘の身ゆえ、外を出歩くこともままならない
若い春の日々はみじかすぎるというのに
だれか良い殿方が、私の前にあらわれてくれないかしら」

 そこへ、若い男の人が散歩にやってきました。
 この男性の声は、かんだかくて、なんだか変です。これも京劇の約束ごとの一つです。男性は、少年から大人になるあいだに「変声期」を経験しますが、京劇では、若い美男子はこの「変声期」の声をまねた発音をする約束ごとになっています。

 依然として舞台のうえには何もありませんが、農家のなかにいる女性と、道を歩いてきた青年のあいだには、垣根があるという約束になっています。想像力をはたらかせて、イメージしてみてください。

    おやおや。青年はどうやら、主人公の女性に一目ぼれしてしまったようです。

 青年は、なんとか女性と話をする最初のきっかけを考えました。
 もともと、むかしの中国は、儒教(じゅきょう)の教えを奉(ほう)じていた国。男女関係については、道徳的にとてもやかましい社会でした。
 昔の中国で男女が自由恋愛をするということは、それだけで犯罪行為すれすれの、とても大変なことだったのです。

 青年は「そこにいるニワトリを一羽、自分に売ってほしい」とウソを言いはじめました。<

 若い娘は、家の塀のなかから答えます。
「ニワトリを売るのはかまいませんが、あいにく、いま家族がではらっていて、わたくししかおりません。若い男女がふたりきりで顔を合わせるのは、孔子(こうし)さまの教えで禁じられています。申し訳ございませんが、ニワトリは、とうぞ、よそのお宅でお求めくださいますよう」

 青年は、あきらめないで、また別の手を考えました。

   青年は、自分がいま、ちょうど一対(いっつい)のブレスレットを持っていることを思い出しまして、独り言を言います。
「この、二つでペアになっているブレスレットのうち、一つだけをわざと地面に落としてゆこう。そして、彼女に拾わせよう。もし彼女がこのブレスレットを拾いあげてくれたら、彼女もぼくに気があるということだ」

 青年は、わざとブレスレットを地面のうえに置いて、その場を立ち去ります。そしてもの影から、こっそり様子を見ています。

 主人公の女性が、家の門をあけて外をのぞいてみると、青年のすがたは見えません。地面のうえに、ブレスレットがひとつ落ちているばかり。
(このブレスレットは、あの若い殿方が落としていったものに違いない。拾いたいけれど、もしもだれかに見られたら・・・)

 娘は、恥じらいとためらいの中、とうとう拾うことを決意します。
 彼女は、隣のおせっかいなおばさんが、しっかり、のぞいていることに気付きません。

 娘は、とうとう、ブレスレットを拾いあげました。
 すると、さっきの青年が帰ってきました。

   娘は、真っ赤になって、
「この腕輪は、あなたの落としものでしょう。どうぞお持ちかえりになって」
 青年は笑って言いかえします。
「この腕輪は、プレゼントとしてさしあげます。ぼくの気持ちとして、お受けとりください」

 むかしの中国の習慣では、若い男女が、自分の身につけているアクセサリーを相手にプレゼントするというのは、ちょうど、西洋の婚約指輪と同じ意味がありました。

   結局、娘は、ペアになっている宝石のブレスレットの片方を受取りました。
 これで二人は、秘密の恋人どうしです。

 青年は帰りました。ひとりきりになった娘は、有頂天です。

 と、そこへ、一部始終を見ていた隣のおばさんがやってきました。このおばさんは、根は悪い人ではないのですが、ちょっとおせっかい焼きの性格のようです。

 むかしの中国では、男女が結婚を前提に交際するときは、かならず一種の「なこうど」を立てる必要がありました。このおばさんは、自分がひと肌ぬいでやろうと、勝手に決意をかためたようです。

 隣のおばさんは歌います。
「彼女がブレスレットを拾う一部始終を、
しかとこの目で見てしまったからには、
ふたりの仲も、とりもってやらねば。
これぞ、おせっかいなおばさんの、おばさんたるゆえん」

 舞台のうえには何もありませんが、おばさんがドアをたたくしぐさ、しきいをまたぐしぐさ、などで、建物があることを想像してください。

 日頃おせっかいやきで有名なおばさんがやって来たので、娘は、内心、気が気ではありません。とにかく、中にはいってもらい、話をきくことにしました。

 ここから先は、若い娘とおばさんと、ふたりの女の腹のさぐりあいと駆け引きをお楽しみください。

 おばさんはたずねます。
「ひとりで留守番なのかい」
 娘はこたえます。
「ええ、母は尼寺に、お経(きょう)を聞きにいってるもので」
「で、ひとりで留守番してるときに、お客さんと一緒だったって訳なのかい」
「・・・・・・」
「どこのお客さんかい」
「・・・・・・」

 娘は、なんとか話をそらせようとしています。
 でも、相手は百千練磨のおばさん。そう簡単には、問屋がおろしてくれません。

 おばさんは重ねてききます。
「あんたのお母さんは、どこに行っちまったんだい」
「尼寺に、お経を聞きに行きました」
「どっちの尼寺だい?」
「あちらです」
「どっちだって?」
「だからあちらですよ」

 おばさんは、わざと何回も同じことを聞き、娘の手の袖口をのぞきこみます。娘が、若い殿方と口を聞いていたという、動かぬ証拠の品を腕につけているからです。
 娘はおばさんの企みに気付き、ぱっと身を引きます。
 おばさんは、娘の袖口の中をのぞきこもうと、更にあの手この手を考えます。

 おばさんは言います。
「あんたの髪形、なかなかいいねえ。私にも見せておくれよ」

 おばさんが動かぬ証拠のブレスレットを見つける寸前、娘は気がついて、ぱっととびのきます。
 しかし、相手は百千練磨のおばさん。なかなか許してくれません。

   今度は、おばさんは、「あれ、大きな虫が、あんたの頭のうえにいるよ」と脅かします。

 娘はあわてて、頭のうえの虫を手で追い払おうとします。
 あれあれ、とうとう、腕にしているブレスレットをおばさんに見られてしまいました。

 おばさんのネチネチ攻撃は、まだまだ続きます。
「あれまあ、ほんとに素敵なブレスレットだこと。腕からはずして、よく見せておくれ」

 娘はしかたなく、おばさんの言うとおり、ブレスレットを腕からはずして渡します。

 おばさんは問い詰めます。
「このブレスレット、誰からのプレゼントだい? 白状しなさい」

 おばさんは、さらに問い詰めます。
「ふだん、あんたがこんなブレスレットをしているのを見たことがないのに、どうして突然、こんな豪華なブレスレットがあんたの腕にはまってたんだい?」

 娘はウソをついて答えます。
「買ったんです。値段は五銭でした」

「お、そりゃ安い。ほれ、二倍のお金をやるから、あたしに売っておくれよ」

 娘は困り、実は偶然、道でひろったのだ、と言います。おばさんは、それでも許してくれません。

 おばさんは追究します。
「拾ったんじゃなくて、男の人からプレゼントされたんだろ」
 娘はウソをつきます。
「親がいないときに、勝手に若い男の人と言葉をかわすなんて、そんな恥ずかしいことは絶対にしません」

 おばさんは追究します。
「あたしは知っているんだよ。相手の男の人が傅朋という名前だということまで、お見通しなのさ」
 それでも、娘は、知らぬ存ぜぬで、シラをきりとおそうとします。

 おばさんは、とうとう決定的なパンチを繰り出してきました。
「トボけても無駄だよ。このブレスレットは、あいつがわざと地面に落としたんだろう。あたしは、ぜーんぶ、見てたんだよ。ほれ、あそこの大きな木の影からね」
 娘は、おばさんの言葉を信じません。
「おばさんが見ていたなんて、ウソでしょう。わたしを誘導尋問にかけようとしているんでしょう」
 おばさんは、言いました。
「あたしの言葉がウソかどうか、よーく、お聞き。
あたしは全部、おぼえてるんだよ」
 おばさんは、さっきの二人のやりとりを、自分でまねしはじめました。

 さっき、主人公の娘が、一言のせりふもなしで演じたブレスレットを拾う演技を、おばさんは勝手に自分のせりふを加えて、自分でなぞって演技して見せています。
「あんとき、あなたは内心こう考えていたのさ」

 おばさんは熱演が終わると、いなおります。
「さあ、これでもまだ、シラをきりとおすつもりかい。さあ、さあ、さあ」

 娘をひとしきりイジメて気が済んだおばさんは、自分が、ふたりの仲をとりもってやろうじゃないか、と、申し出ます。
 娘は、今度は素直に、おばさんの申し出を喜びます。

 おばさんは娘にたずねます。
「男女交際の約束のしるしに、今度はあんたから、彼にプレゼントを贈る番だよ。なにか良い品はないかい」

 娘は、自分がさっき刺繍をしていたハンカチを、プレゼントすることにしました。
 おばさんは、プレゼントの品を受け取ると、先方の男性と話をつけるため、さっそく出発することにしました。
 娘は聞きます。
「相手のご返事をいただけるまで、幾日かかります? 」
「三年はかかるよ」
「そんなに待てません」
「じゃあ三カ月」
「待てません」
「なら特別に三日のうちに」
「三日? 本当に三日ね」

 期待に胸をふくらませる娘をあとにして、おばさんは、こうして今日も、甲斐甲斐しく御近所のなかを走り回ってゆくのでした。

(完)


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