「心の科学の基礎論」研究会


研究会概要

「心の科学の基礎論」研究会は、自然の科学と同様の意味で心の科学は成立しうるのか、 科学的認識の主体である人間が自らを科学的に認識するとはどういうことか、 そもそも心とは何か、等々の根源的問題を、心理学2500年の歴史と、人工知能・神経科学など 最先端科学の成果を共に踏まえて根源的・徹底的に論じ合うための場として発足した研究会です。 心理学、コンピュータ科学、科学哲学など、各分野からの参加者があります。 [設立趣旨]

本サイトは移転しました!!

新しいホームページ



2017年以降の開催情報

⇒新しいホームページをご覧ください。

第76回研究会

日時:2016/12/3(土) 午後1:30〜5:30(午後1時開場)
場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟2階 第8会議室

(趣旨)本研究会の発起人の一人である高橋澪子氏の本著書は、 1999年に東北大学出版会から刊行されてのち絶版になっていましたが、 このほど講談社学術文庫版 として復刊されましたので出版記念の合評会を開催します。
(司会)渡辺恒夫(東邦大学/明治大学、心理学)

【書評担当1】渡邊芳之(帯広畜産大学、心理学)
【要 旨】本書は科学的な心理学の現在につながる歴史の中から「前近代のヨーロッパにおける プシュケー論とプネウマ論の変遷」と「十九世紀ドイツの科学思想とヴント心理学の論理」の 2つのテーマを取り上げて詳細に分析した大著であり,他に類を見ない偉大な業績と言える。 しかし評者はそうした「本論」よりむしろ「序説」や「補説」,あるいは(本論を超えるボリュームを持つ) 脚注の中にやや断片的に述べられた著者の心理学史研究への私見,心理学史観,心理学観,研究観, また心理学者としての人生観に興味をひかれ,強い感銘を受けた。発表では 著者の考えが最も直截に述べられた「序説」を中心にそうした著者の観点をいくつかの主題から整理する とともに,それらと特にこの本が書かれて以降の心理学史研究との関係について考えたいと思う。
【指定討論】溝口元(立正大学、科学史)

【書評担当2】溝口元(立正大学、科学史)
【要 旨】『○○の科学史』と題する著作には、しばしば“古代から現代まで”といった副題がつく。 実際、旧版が刊行された1999年には『光合成と呼吸の科学史 古代から現代まで』があり、 今回の学術文庫版が出版された今年は『心臓の科学史 古代の「発見」から現代の最新医療まで』が 出版された。しかるに本書の副題は“西洋心理学の源流と実験心理学の誕生”なのである。 ピンポイントで心理学の源流とエポックを扱う本書は、心理学における歴史の“通時性”を考えさせてくれる。 また、アリストテレス自然学、霊魂論の正確な理解と展開という逃げ出したくなるような課題、 通常、心理学史ではあっさり実験心理学の祖といってしまうヴントの分析から、心理学は哲学よりも 生理学からの独立であるという大変エキサイティングな捉え方も話題になろう。さらに、一体、 誰を読者対象としているのだろうかという素朴な疑問や 清涼剤としての著者の回想録あたりもネタにしたところである。
【指定討論】渡邊芳之(帯広畜産大学、心理学)


第77回研究会

第75回に引き続き、第77回研究会もエンボディード・アプローチ研究会(第5回)との合同研究会になります。

日時:2016/7/30(土) 14:00〜17:30
場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟2階 第8会議室

ワークショップ「人間科学と現象学――他者の経験にアプローチする」
【趣旨】質的方法にもとづく人間科学は、たとえば患者の苦しみや生徒の学びのように、 人々の生きられる経験を理解しようとしてきました。そこでは、研究参加者への インタビューを通じて得られる経験の記述とナラティヴが、データとして重視されます。 一方、質的研究の基礎となる現象学では、経験主体に与えられる通りに、一人称の パースペクティヴに沿って経験の意味と構造を理解することが強調されます。では、 質的研究において、参加者の生きられる経験を理解するとはどういうことを意味する のでしょうか。研究者にとって参加者は他者であり、同じ一人称のパースペクティヴを 持つ人ではありません。データとして利用される「経験の記述」や「ナラティヴ」は、 本当に参加者の経験を代弁しているのでしょうか。それとも、インタビューに 立ち会った研究者の視点を表現しているのでしょうか。あるいは、インタビューは 対話であって、参加者と研究者の協働によるものなのでしょうか。このワークショップ では、経験の記述やナラティヴに含まれるパースペクティヴの問題に焦点を当て、 人間科学と現象学の関係を問い直します。哲学、心理、教育、ソーシャルワークの 関連領域から話題提供を予定しています。人間科学のさまざまな分野で質的研究を 行っている研究者や大学院生を対象としていますが、どなたでも参加できます。
【使用言語】英語,日本語

<プログラム>
14:00-14:10 イントロダクション(司会:田中彰吾)
14:10-14:40 マーク・アップルバウム(セイブルック大学)
 「現象学的心理学研究における志向性とナラティヴ性」
14:40-15:10 植田嘉好子(川崎医療福祉大学)
 「対人支援研究における現象学的理解の意義と過程」
15:10-15:40 ディスカッション1
15:40-16:00 休憩
16:00-16:30 スージー・フェラレロ(サンフランシスコ大学)
 「倫理的なものとしての自己性の構成――現象学的な見方」
16:30-17:00 能智正博(東京大学)
 「スナップショットを通じての他者経験へのアプローチ――重度言語障害者の自己語りを探求する」
17:00-17:30 ディスカッション2

・エンボディード・アプローチ研究会 http://www.geocities.jp/body_of_knowledge/

第76回研究会

第74回に引き続き、第76回研究会も人文死生学研究会(第14回)との合同研究会になります。

日時:2016/3/27(日) 午後1:30〜6:00(午後1時開場)
場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟2階 第8会議室

(内容)

1 死後の非在と生誕前の非在を較べることは可能か〜時間と世界の形而上学からの検討
 【話題提供】新山嘉嗣(秋田大学)
 【発表要旨】 かつてルクレティウスは、われわれは生誕前にも永遠の非在があったのにそれに 恐怖をもつものはいないのだから、死後の永遠の非在も同様に恐怖に足るものではな いと唱えた。しかし、現代の論者達はこの「ルクレティウスの対称説」にそろって異 を唱え、両方の非在は非対称であり死後にのみわれわれにとっての害悪は発生すると した。今回の発表では、仮にわれわれが二つの非在に対して非対称を支持しているの だとすれば、時間や世界に関わる形而上学についてはどのような立場をとっているこ とになるかを明確にしたい。すなわち、英米圏の現代時間論と可能世界意味論におけ る諸説に照らして、非対称とする立場はどのような主張をしているのかを見てゆきた い。そして、発表の最終的な到達点では、そこにおいて非対称性の根拠が示されるの ではなく、対称や非対称を問うことの困難が示される予定である。

2 生物進化・文化進化のカオス性と人間原理
 【話題提供】蛭川 立(明治大学)
 【発表要旨】 人間原理についての科学の側からの考察は、もっぱら物理学や天文学の分野で行わ れており、生物学や人類学の知見は軽視されてきた。物理定数が生命の存在に好適な ように「微調整」されているということから「強い人間原理」に議論を進めるのは飛 躍である。進化のプロセスはカオス的であり、進化生物学の知見は、単純な生物から 人間のような「知的な」生物が進化するのは場当たり的なプロセスだったことを示し ており、また文化人類学の知見は、知的な人間が必ずしも天文学的宇宙論に関心を持 つとはかぎらないことを示している。この宇宙とは別の宇宙は観測不能かもしれない が、系外惑星の発見が今では当たり前であるように、いずれは地球外生命も当たり前 のように研究されるようになり、宇宙は微生物とその化石に満ち溢れていることが明 からになれば、自己言及的な観測者が進化する必然性のなさが改めて認識されるだろ う。それまでは、オーストラリアのような、地理的に隔離された大陸で起こった進化 のプロセスが地球外進化の近似的なモデルになる。以上の議論を踏まえれば、むしろ 「弱い人間原理」、つまるところ観測選択効果で話を収めるのが穏当な結論であろ う。

(参加資格)趣旨に関心のある方は、どなたでも参加できます。
(世話人・代表)三浦俊彦
(世話人)渡辺恒夫
(世話人)蛭川 立
(世話人・事務局)重久俊夫 ts-mh-shimakaze[アットマーク]yacht.ocn.ne.jp


第75回研究会

第75回研究会はエンボディード・アプローチ研究会(第3回)との合同研究会になります。

日時:2015/7/11(土) 1:30〜5:45
場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟2階 第8会議室

(話題提供1)荒川直哉(ドワンゴAIラボ・人工知能)
【タイトル】ヒトのような人工知能と現象学
【要 旨】 ヒトのような人工知能を実現したいという欲求の背後には、(実用的な動機の他に)ヒトが持つ認知機能を理解しようという動機も隠れていると思われる。ここで理解の対象となる認知機能はヒトが実際に持つ認知機能そのものでなくてもよいから、その考察は心理学より哲学に近いものになるかもしれない。また、ヒトのような人工知能の研究は、身体性と、一人称的に得られる情報から学んでいくことを重視するという点で、現象学と類似しているともいえる。この発表では、ヒトのような人工知能の実現に関する最近の動向を紹介し、研究の現象学との関わりについて触れつつ、言語獲得や意味論の問題へのアプローチについて紹介を行う。
【指定討論】田中彰吾(東海大学・心理学)

(話題提供2)玉地雅浩(藍野大学・理学療法学/臨床哲学)
【タイトル】人と人とのやりとりを支える表情や視線はどのようにして生まれてくるのか
【要 旨】 医療や福祉の現場で病気などにより言葉を話せなくなった人たちと関わる時、なぜか医療や福祉従事者の話し方が変化する。さらに身振りや手ぶり表情や視線などの使い方が変化している。患者とのやりとりにおいてなぜこのような変化が起こるのかをまずは考えていきたい。この考察を通して私たちのコミュニケーションを支えている身体の営みを考えることになる。当日の発表では特に表情や視線が私たちのやりとりにおいてどのように生まれてくるかを丁寧に記述していきたい。そして表情や視線がなぜコミュニケーションを支えることになるのか、この点について考えていきたい。目的は言葉を話せない人とのやりとりだけでなく、私たちの普段のやりとりがなぜ可能なのかを考察したいからである。
【指定討論】村田憲郎(東海大学・哲学)

・エンボディード・アプローチ研究会 http://www.geocities.jp/body_of_knowledge/

第74回研究会

第71回に引き続き、第74回研究会も人文死生学研究会(第13回)との合同研究会になります。

日時:2015/3/27(金) 午後2:00〜6:00(午後1時半開場)
場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟3階 第10会議室

(内容)
1 『他者問題で解く心の科学史』(渡辺恒夫、北大路書房、2014)の合評会
 【書評発表】鈴木聡志(東京農業大学、心理学)
 【書評発表要旨】「社会構成主義による他者の内面理解の可能性とその試み」
 著者はオリジナルの二次元平面モデルをつくり、過去の科学的心理学の諸潮流の 認識論を各象限に位置づける。その後、質的心理学の諸認識論を次のように特徴づける。 解釈学的転回は〈他者への視点/自己への視点〉という対立軸への中途半端な、 言語論的転回は同じ対立軸への、もの語り論的転回は〈意味理解/法則的説明〉 というスタンスの対立軸への無効化攻撃である、と。
 評者の関心から2つの問題を提起し、参加者と討論したい。
 1)社会構成主義のまま人間の内面にアプローチすることの可能性。著者は言語論的転回に 大きな影響を与えたウィトゲンシュタインに批判的であるが、評者は彼の言語ゲームの考え に基づいても、人間の内面や主観性、経験を研究することが可能と考えている。
 2)他者の痛みを感じないこと、感じるようになること。非行少年や発達障害児の中には 他者の痛みを感じない子どもがいる。他者の痛み、広く言うなら他者の気持ちが わからないとはどのようなことなのか、またどのような経験が他者の痛みを感じるように 成長させるのだろうか。この問題について、あるマンガ作品を資料にして考えたい。
 【指定討論者】渡辺恒夫(明治大学、心理学)

2 「高次思考理論(HOT理論)のメタ哲学的含意について」
 【話題提供】三浦俊彦(和洋女子大学、哲学)
 【討論】参加者による自由討論

(参加資格)趣旨に関心のある方は、どなたでも参加できます。
(世話人・代表)三浦俊彦
(世話人)渡辺恒夫
(世話人)蛭川 立
(世話人・事務局)重久俊夫 ts-mh-shimakaze[アットマーク]yacht.ocn.ne.jp

なお、本会のテーマに関する討論については、以下のHPで読むことができます。
 http://homepage1.nifty.com/t-watanabe/academic_meeting_4.htm


第73回研究会

日時:2014/12/6(土) 1:30〜5:45
場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟2階 第8会議室

(話題提供1)森口佑介(上越教育大学・科学技術振興機構さきがけ・発達心理学)

【タイトル】 見える他者と見えざる他者ー幼児期における空想の友達の検討
【要 旨】 子どもは,目に見えない存在と遊び,話をする。空想の友達(imaginary companion, IC) と呼ばれるこの現象は,かつては精神疾患や情緒障害と関連付けられていたが、現在では 普通の子どもに見られる現象であることが知られている。最近では ぬいぐるみのような実体を伴う存在もICとみなされており,それらを含めると約半数の子どもが ICを経験する。現在の発達心理学では,ICはふり遊びの一種であると考えられているが、 共通して報告されるのは、子どもがICに対して強いリアリティを感じている点である。 しかしながら、ほとんどの研究が子どもや養育者の逸話的な報告に依存している現状にある。 本トークでは、講演者の心理学・認知神経科学的研究をもとに、@空想の友達の生成メカニズム、 および、A子どもがICにリアリティを感じているか、について議論したい。
【指定討論】水本正晴(JAIST・哲学)

(話題提供2)小笠原 義仁(早稲田大学・数理科学)

【タイトル】「鳥瞰図的なものの見方」の鳥瞰図
【要 旨】 自然科学的なものの見方の特徴の1つとして、鳥瞰図的(上空飛行的)なものの見方 を挙げる事が出来るが、本報ではその見方そのものを、鳥瞰図的に眺められる可能性について指摘する。 具体的には、トポロジカルな概念であるHyperspaceの概念を紹介する。この概念を用いると、
   「鳥瞰図的なものの見方」の鳥瞰図,
   『「鳥瞰図的なものの見方」の鳥瞰図』の鳥瞰図,
   『『「鳥瞰図的なものの見方」の鳥瞰図』の鳥瞰図』の鳥瞰図,
   ・・・
といった無限列の存在が示される。
 さらに、この概念を用いたフラクタル構造について議論する。
【指定討論】 渡辺恒夫(明治大学/東邦大学・心理学)


第72回研究会

日時:2014/7/19(土) 1:30〜5:45
場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟3階 第10会議室

(話題提供1)岩渕 輝(明治大学、生命論/生命思想史)

【タイトル】グスタフ・フェヒナーの<死後生>論 〜精神物理学との関わり〜
【要旨】 精神物理学(Psychophysik)の創始者として知られるグスタフ・フェヒナー(Gustav Theodor Fechner; 1801-1887)は、精神物理学以外に哲学や宗教に関する著作も残している。その1つが『死後の生についての小冊子(Das Buechlein vom Leben nach dem Tode)』というエッセイ的著作である。初版は1836年にDr. Misesというペンネームで出版され、第2版以降は本名のフェヒナー名で刊行された。
 <死後生>はフェヒナーに限らず様々な人々によって論じられるテーマであるが、多くの論者が此岸(現世)と別世界である彼岸(いわゆる「あの世」)におけることとして<死後生>を語るのに対し、フェヒナーは別世界を否定し「此岸=彼岸」とみなす点に彼の死後生論の特徴がある。
 また、生命を波のイメージで捉えることも、フェヒナー死後生論の大きな特徴である。
 ところで、フェヒナーの主著『精神物理学原論(Elemente der Psychophysik)』(初版1860年)は、思弁的方法にたよっていた従来の心理学に自然科学的研究方法を導入し、心理学を自然科学の一員にする上で極めて重要な貢献をしたことにより評価される書であるが、実は同書には、自然科学的記述の他に、波のイメージで語られる「精神物理学的活動」など、フェヒナー死後生論にみられるのと類似した記述も散見される。
 そうした類似性が存在するのは単なる偶然ではないと思われる。換言すれば、フェヒナーの死後生論と精神物理学とは互いに無関係の独立した業績ではなく、フェヒナーが生涯にわたって追究した彼独自の生命思想を異なる形で表明したものであると推察される。
 話題提供者は2007年の論文で、『精神物理学原論』の発想の萌芽が、それより24年前に刊行された『死後の生についての小冊子』初版に認められることを論じたが、本発表では、その拙論の内容を中心に、フェヒナーの死後生論を精神物理学との関わりにおいて考察する。
 <参考文献>岩渕輝 (2007).「グスタフ・フェヒナーの生命思想 ―精神物理学との関わりにおいて―」『明治大学教養論集』, No. 416, pp. 1-27.
【指定討論】伊藤 直樹(法政大学、哲学/思想史)

(話題提供2)田中 彰吾(東海大学、心理学)

【タイトル】現象学と他者理解 〜「心の理論」を題材に〜
【要旨】 日本では近年、心の科学と現象学の接点を模索する書籍の翻訳・刊行が続いている。例えば、現象学的心理学を長らく牽引してきたA・ジオルジによる『心理学における現象学的アプローチ』(原著2009年,邦訳2013年)、認知科学と現象学の対話を試みたギャラガーとザハヴィの『現象学的な心』(原著 2008年,邦訳2011年)などがそうである。ただし、よく知られているように、現象学はもともと哲学として始まっており、超越論的な意識まで遡って事象そのものを明らかにすることを強調する。その意味では、一人称的な主観性を強調する立場であって、他者の理解がいかにして可能なのか、その道筋は必ずしも明確とは言えない(フッサールの『デカルト的省察』はその古典的な例であろう)。しかし、心理学であれ、認知科学であれ、現象学的な立場から心の科学を構想するには、「他者の心」をどのように理解しうるのか、という基礎的な問いを再考する必要がある。この発表では、いわゆる「心の理論」を題材にしながら、現象学と他者理解の問題を再考したい。
【指定討論】渡辺 恒夫(東邦大学、心理学)


第71回研究会

第68回に引き続き、第71回研究会も人文死生学研究会(第12回)との合同研究会になります。

日時:2014/3/29(土) 午後1:30〜5:30
場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟4階 第3会議室

(内容)
1 「思考実験の陥穽と心身問題」
        三浦俊彦 (和洋女子大学、哲学) 1時30分から
 【要旨】一人称の死を論じるさい、ほぼ全面的に思考実験に頼らねばならないのは当然のことである。 そこでまず「思考実験」の本質を、「シミュレーション」「フィクション」との対比において検討する。 次に、思考実験が陥りやすい罠を、いくつかの事例に即して分類する。 思考実験と称しながら方法的にシミュレーションに偏った場合、フィクションに堕してしまった場合、 作業仮説が間違っていた場合、物理的現物実験に頼るべきケースを無理に扱っている場合、などを個別に吟味する。 とりわけ、以上の諸パターンと誤謬推論とが組み合わさって多重の誤りに膨れあがった重篤な事例として、 「2封筒問題」と「点滅論法」をとりあげる。方法論的・論理的な批判が主となるが、合わせて、 この二例の誤謬を、心身問題と観測問題の新たな展望へと生かす方途を探りたい。
 なお、当日使用する資料は、以下に公表してある。
〈「点滅論法」なる誤謬推論について〉 http://green.ap.teacup.com/miurat/html/t.pdf
〈思考実験リアルゲーム〉 http://green.ap.teacup.com/miurat/html/shi.pdf

2 「価値原理としての功利主義」
        重久俊夫 (西田哲学研究会、西洋史・哲学) 3時45分ごろから
 【要旨】死生学を論じる上で、価値の問題は避けがたい課題だといえる。 そして、価値とは何かを解明しようとする時、功利主義はきわめて有力な考え方であり、 ミクロ経済学や裁判実務などでも日常的に応用されている。 本発表の目的も、価値原理としての功利主義の有効性を立証することである。 一方、功利主義がさまざまな批判にさらされてきたことも事実>である。 しかし、そうした批判が生じる原因は、功利主義という語が、互いに異なるさまざまな意味で使われてきたからではなかろうか。 そこで、功利主義を「価値原理」「行動動機」「社会規範」の三つに分類し、それらの関係を明確にしたい。 そうした概念の交通整理を通じて、功利主義にまつわる誤解を払拭し、 ひいては、「人口問題」「格差問題」「倫理的ハードケース」等の課題にも回答を試みる。

(参加資格)趣旨に関心のある方は、どなたでも参加できます。
(世話人・代表)三浦俊彦
(世話人)渡辺恒夫
(世話人)蛭川 立
(世話人・事務局)重久俊夫 ts-mh-shimakaze[アットマーク]yacht.ocn.ne.jp

なお、本会のテーマに関する討論については、以下のHPで読むことができます。
 http://homepage1.nifty.com/t-watanabe/academic_meeting_4.htm


第70回研究会

日時:2014/1/11(土) 1:30〜5:45
場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟4階 第3会議室

(話題提供1)大橋靖史(淑徳大学・心理学)

【タイトル】超常体験の語りの分析から見えてくること
【要旨】超常現象そのものの真偽については議論が尽きないが、超常現象を体験したと人々が語るという事実は明らかに存在する。ここでは、宇宙人との遭遇体験、ポルターガイスト体験、霊との対話といった、超常現象に関わる体験語りを実証的なデータとして分析した結果、これまで何が明らかとなり、また、今後何が明らかとなる可能性があるかについて論じる。特に、体験語りといった想起行為(remembering)に着目し、信じがたい体験を語るという行為の社会文化的な意味について検討すると同時に、超常体験を想起するという行為が人と人との間でどのように生成されていくか、その動的なプロセスに着目する。
【指定討論】石川幹人(明治大学・認知科学)

(話題提供2)山竹伸二(著述家・哲学)

【タイトル】無意識の現象学
【要旨】演者は2006年に『「本当の自分」の現象学』(NHK出版)を上梓したが、そのテーマは、現代人が自己のあり方に悩み、「本当の自分」を求めてしまう理由を解明することにあった。その鍵となるのは「無意識」という概念である。「本当の自分」を知りたいという欲望は、自分の「無意識」を知りたいという欲望と結びついている。したがって、「無意識」の本質を解明することが必要になる。方法としては、現象学の考え方から「無意識」の本質に迫りたいと思うのだが、結論から言えば、それは「自己了解」と深く関わっている。
では、自己了解とは何か。ハイデガーの実存哲学を手掛かりにして、その意味をさらに考えてみると、それは苦悩を解消し、自由な自己決定をするために不可欠なものであることがわかる。とくに他者との関係性における自己了解こそ決定的に重要であり、それは人間の「承認欲望」という問題を抜きにしては語れない。こうして、人間が自由を求める存在であること、他者の承認を求める存在であることが、必然的にクローズアップされてくる。「本当の自分」を求めることは、自由と承認を求めることであり、これら二つの欲望が交差するところに「本当の自分」の実感が成立する。
近代において「自由」の条件が整ってきたことは、「自分はどうしたいのか、どうすべきなのか」という実存的問題をもたらし、自己の「無意識」を知りたい、「本当の自分」を知りたいという欲望を生み出した。その意味を現象学的観点から考察し、現象学の有効性を確認したいと思う。
【指定討論】渡辺 恒夫(東邦大学・心理学)


第69回研究会

日時:2013/10/5(土) 1:30〜5:45
場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟4階 第2会議室

第1部 『フッサール心理学宣言:他者の自明性のひび割れる時代に』(渡辺恒夫著、講談社、2013)の合評会
【話題提供(評者)】村田憲郎(東海大学、哲学/現象学)
【題】私の視野における私の身体の居合わせについて
【要旨】
本書『フッサール心理学宣言』では、著者が集めた豊富な事例をもとに、独我論的体験・自我体験等々といった心理学的体験が、フッサールの現象学上の用語や著者独自の方法論をつかって明確化された上で、これらが「定型発達」の中でも生じうるとされ、最終的には壮大な、魂の形而上学とでも言うべき世界観が描かれる。これらの体験は印象深く、形而上学的にも大変興味深いが、これらはやはり、フッサールが記述しようとした経験の一般的構造からは外れる特殊な体験であるように思われる。評者はこの相違をできるだけ本書とフッサールに即して明確化したい。特に問題にしたいのは以下の二点である。
1.マッハの自画像と、現象学的還元後に見えてくる現象野との相違。この絵が誤解を招くものである理由の一つは、フッサールの事物知覚理論において言われる、事物の見えない側面もまたある別の意味では見えている、という論点を忘れがちになるということである。ところで見えない側面が見えているということは、潜在的他者の視線がすでに私の知覚野のうちに含まれているということである。
2.ハーディング「頭のない私」の事例と、『第五省察』での固有領分への還元。本書では、マッハの自画像を敷衍するような形で「頭のない私」という特異な自己観が説得的に語られる。ところで通常私たちがそういう自己観をもたないのは、やはり私たちの知覚意識には(さらには想起・予期・想像意識等でも)、私自身の身体像がいくぶん随伴しており、それが暗黙裏に参照されることで、頭を備えた人間としての私自身を自明なものとして受け容れているからだろう。それを可能にするのは、上と同様、潜在的他者の視線であるように思われる。ではフッサールの言うような固有領分への還元は、本当に「頭のない私」のようなものを出現させるのか、そしてそれは本当に感情移入する「唯一の自我」の条件になるのか?
【指定討論】渡辺恒夫
第2部 『ウィトゲンシュタインvs.チューリング:計算・AI・ロボットの哲学』(水本正晴著、勁草書房、2012)の合評会
【話題提供(評者)】三浦俊彦(和洋女子大学、論理学/美学)
【題】計算は実験か――CTテーゼの理論的位置づけをめぐって
【要旨】
チューリングによる「決定問題の否定的解決」の根底にあるCTテーゼを、数学的にどう位置づけ、意義づけるべきか、が本書の主題となっている。計算についてウィトゲンシュタインが提起した問題意識をもとに本書で定式化されている「不一致論法」「矛盾論法」「志向性論法」「破壊的選言」等を吟味し、その含意と妥当性を、他の分野との類比(経験科学における非決定論的世界観など)を視野に入れながら論ずる。とくに、計算は実験の一種ではない、というウィトゲンシュタインの見解を受けて、計算と実験の相違なるものが論理的・方法論的にどれほど有意義なのかを議論の主目標とし、その議論にとって「志向性」がいかなる役割を演じるのか、演ずるべきなのかについて、諸見解をまとめられたらと思う。「計算」と「実験」を比較する過程で、関連する他の諸概念、たとえば「シミュレーション」「思考実験」「仮説検定」「フィクション」といった一連の世界制作行為との比較に広げながら、改めて計算と実験について著者の見解を質し、諸概念の常識的な区別がCTテーゼの性格づけ(仮説か、定義か、概念分析か……)にどう光を当てるかを確認したい。
【指定討論】水本正晴

第68回研究会

第65回に引き続き、第68回研究会も人文死生学研究会(第11回)との合同研究会になります。

日時:2013/3/23(土) 1:30〜5:45
場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟3階 第10会議室

(趣旨)かって死はタブーでしたが、近年は死生学の研究も盛んになっており、その多くは臨床死生学です。しかし、自分自身の死についての洞察が臨床死生学の基礎には必要と思われます。人文死生学研究会は、そうした一人称の死に焦点を当て、哲学、倫理学、宗教学、心理学、人類学、精神医学から宇宙論にまで及ぶ、学際的な思索と研究の場として発足しました。今年で11回目になりますが、これまで「刹那滅」「輪廻転生」「死の非在証明」「人間原理」などがテーマとして取り上げられました。
 今年は、昨年出版された『仏教心理学キーワード事典』に関して、編者を迎えて合評会を行います。

(内容)『仏教心理学キーワード事典』(井上ウィマラ・加藤博己・葛西賢太編、春秋社)合評会
   1 渡辺恒夫(明治大学/東邦大学): 司会者挨拶
   2 葛西賢太(宗教情報センター): 編者を代表して、事典編纂の趣旨など。
   3 蛭川立(明治大学): 『トランスパーソナル心理学/精神医学誌』書評に書いた件などについての批判。
   4 加藤博己(駒澤大学)・葛西賢太(宗教情報センター):批判に対する回答。
   5 岩崎美香(明治大学): 臨死体験研究などの視点からの感想。
   6 葛西賢太(宗教情報センター): 岩崎発表へのコメント。
   7 加藤博己(駒澤大学): 最後に編者からの回答。
   8 全員: 全体討論。

(参加資格)趣旨に関心のある方は、どなたでも参加できます。
(世話人・代表)三浦俊彦
(世話人)渡辺恒夫
(世話人)蛭川 立
(世話人・事務局)重久俊夫 ts-mh-shimakaze[アットマーク]yacht.ocn.ne.jp

なお、本会のテーマに関する討論については、以下のHPで読むことができます。
 http://homepage1.nifty.com/t-watanabe/academic_meeting_4.htm


第67回研究会

日時:2012/10/13(土) 1:30〜5:30
場所:明治大学 駿河台キャンパス リバティタワー6階 1064教室

(話題提供1)山田健二(北見工業大学・倫理学、科学哲学)

【タイトル】ジェームズはどこまで心霊主義に近づいたか
【要旨】19世紀末、英米で流行していた心霊学に、ウィリアム・ジェームズもまた強い 関心をもち、一時は英国心霊協会の会長職も務めていたという事実は、いまとな ってはジェームズ哲学の一つのスキャンダルであるともいえる。とはいえ、ジェ ームズ自身はその事実を隠すどころか、心霊協会向けのみならず、一般聴衆向け に公然と、また積極的に、心霊学の意義や成果を紹介したし、反心霊学者があび せる激しい批判に、一般雑誌上で何度も果敢に反論してもいた。実際、心霊学へ の言及は『宗教的経験の諸相』はもちろん、『プラグマティズム』や『根本的経 験論』といったジェームズ哲学の根幹をなす著書においても、重要な局面で繰り 返し登場している。そうだとすると、心霊学とジェームズ哲学とがどの程度関係 しているのか、当然問われるべきである。ジェームズは心霊主義にどこまで近づ いたのか、あるいは、ジェームズ哲学は心霊主義をどの程度うちに含むものなの か。ジェームズ哲学の全体像を把握するためには、我々はこれらの問いに尻込み するべきではない。
【指定討論】石川幹人(明治大学・認知科学)

(話題提供2)小笠原 義仁(早稲田大学・数理科学)

【タイトル】Primitive Chaosからの探求
【要旨】講演者によって提案されているPrimitive Chaosと呼ばれる概念は、決定論、因果 律、自由意志、不可逆性の問題に関連する興味深いものである。そして、この Primitive Chaosをトポロジカルな観点から探求する事により、nondegenerate Peano continuumとCantor setの概念が現れてくる様子を見る事が出来る。これは、階層構 造、粗視化、自己相似性、論理といった概念が現れてくる事を意味する。
[参考文献]
・Y. Ogasawara: Sufficient Conditions for the Existence of a Primitive Chaotic Behavior, Journal of the Physical Society of Japan 79 (2010) 15002.
・Y. Ogasawara and S. Oishi: Addendum to “Sufficient Conditions for the Existence of a Primitive Chaotic Behavior”, Journal of the Physical Society of Japan 80 (2011) 67002.
・Y. Ogasawara and S. Oishi: Consideration of a Primitive Chaos Journal of the Physical Society of Japan 81 (2012) 103001.
・Y. Ogasawara, S. Oishi: Space guaranteeing a primitive chaotic behavior, arXiv:1203.0087v1.
・小笠原義仁「ものの見方としての位相空間論入門」培風館, 2011.
【指定討論】渡辺 恒夫(東邦大学/明治大学・心理学))、田中彰吾(東海大学・心理学)


第66回研究会

日時:2012/7/7(土) 1:30〜5:45
場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟3階 第10会議室

(話題提供1)杉尾 一(慶應義塾大学・科学哲学)

【タイトル】時間対称化された量子力学と認識論的弱値
【要旨】コペンハーゲン解釈は、重ね合わせの状態における実在(物理量が値をもつこと)について考えることを禁じてきた。 しかし、近年になり『弱測定』という状態の収縮を起こさない新たな測定法が可能となったことで、重ね合わせの状態 における真値の存在についての哲学的議論が再燃している。さらに、ハイゼンベルクの不等式を書き換えた小澤の 不等式が実験的に検証されたことによって、議論はさらに盛り上がりを見せている。なぜならば、小澤の不等式に 表れる誤差の定義は、物理量の真値と測定値の差の二乗平均と定義されているためだ。アインシュタインが信じたように、 測定以前から物理量は値をもつのだろうか。
 コッヘン-シュペッカーの定理は、全ての物理量が確定値をもつことを禁じている。しかし、これによって真値の存在が 完全に否定されるわけではない。全ての物理量が値をもつことができなくても、一部の物理量が値をもつことは許されている。 そこで、もし真値があるならば、真値をもつような物理量がどのようしてに決まるのかということが問題となる。さらに、 真値の具体的数値を、我々がどのようしてに知ることができるのかということもまた問題となる。
 本発表では、『時間対称化された量子力学』という新たな量子力学の形式を紹介しながら、弱測定について解説する。 そして、物理量・値・測定といった物理学における基本概念を分析する。これにより、物理学における認識論的側面を 浮き彫りにし、量子力学に内在する認識論的問題について考える。そして、重ね合わせの状態おける物理量の真値を 『認識論的真値』とする新しい解釈を提案する。
【指定討論】森田 邦久(早稲田大学・科学哲学)

(話題提供2)多屋 頼典(岡山大学・心理学)

【タイトル】「こころ」の居場所の歴史
【要旨】「こころ」は一体どこにいるのか、という問に対して、古代ギリシャから中世にかけての時代には「脳室の何処か」だと 考えられてきたようだ。中世になってからもアウグスティヌスなどの有名な僧も脳室に言及している。こころは身体の何処か にいるはずで、その有力候補が脳室だと考えられてきたらしい。
 日本での解剖は前野良沢・杉田玄白たちが解体新書の内容を確認しようとして行ったものが最初で、ようやく1771年の ことであったが、「こころ」の居場所は特に問題になっておらず、解剖する目的も西洋の場合と全く違っていた。
【指定討論】渡辺 恒夫(東邦大学/明治大学・心理学)


第65回研究会

第62回に引き続き、第65回研究会も人文死生学研究会(第10回)との合同研究会になります。

日時:2012/3/31(土) 1:30〜5:45
場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟3階 第10会議室

(趣旨)かって死はタブーでしたが、近年は死生学の研究も盛んになっており、その多くは臨床死生学です。しかし、自分自身の死についての洞察が臨床死生学の基礎には必要と思われます。人文死生学研究会は、そうした一人称の死に焦点を当て、哲学、倫理学、宗教学、心理学、人類学、精神医学から宇宙論にまで及ぶ、学際的な思索と研究の場として発足しました。今回で十回目になりますが、これまで「刹那滅」「輪廻転生」「死の非在証明」「人間原理」などがテーマとして取り上げられました。今年は、心理学からの問題提起として独我論を取り上げ、合わせて、哲学史における時間と自我の理解を回顧します。

 
(内容)1 独我論への/独我論からの現象学と心理学
       渡辺恒夫 (東邦大学、心理学) 
         1時30分から
(発表要旨)
独我論への現象学と心理学とは、私が、元来は独我論的世界に誕生したことを発見するにいたるまでの、時間を遡る経験的探求である。最初この探求は、自我体験、独我論的体験の心理学として、質的心理学であっても現象学的とはいえない方法でなされてきたのだった。そのうち、Blankenburg、木村敏、Spiegelbergら、現象学(的精神医学)にヒントを得て、現象学的心理学としてやり直し、発達性エポケーのアイディアを掴むに至った(Watanabe, 2011;渡辺、印刷中)。Blankenburg の患者でもなく自閉症スペクトラムでもない「定型発達」途上の子どもでも、自然発生的な現象学的還元によってフッサール世界へと「第二の誕生」を遂げることがありうるのだ。この探求の道筋が第一部をなす。
独我論からの現象学と心理学とは、自明性の世界のただなかに、自明性の世界に裂け目を入れながら私が第二の誕生を遂げてからの、「可能な」物語である。現象学的反省によっては決して「構成」されえないという意味で、私の絶対に理解できない自明性の世界、相互主観性の世界を、いかにして、納得しうる世界として再構成してきたか。そして将来もどのような再構成の可能性が展望されるかの、現象学的解明である。そのような再構成の企てを「現象学的反抗」と呼ぼう。その結果、構成されうる世界観・死生観として、純粋独我論の他に、キリスト教的化身教義、プロチノス的「一者」、転生輪廻などが、神秘主義という扱いとは異なる現象学的観点から分析されるだろう。
 
    2 「自己」と「時間」の解釈をめぐる哲学思想の再検討
       〜西田哲学の場合〜
       重久俊夫 (西田哲学研究会、西洋史・哲学)
         3時45分ごろから
(発表要旨)
西田幾多郎(1870〜1945)の哲学は、往々にして禅仏教と結び付けられ、神秘的なイメージで語られやすい。しかしその実態は、古今東西の古典哲学を再構成し、20世紀的な合理性のもとに体系化したものであり、扱われるテーマの広さと、論理への徹底したこだわりが特徴である。今回の話題提供では、西田哲学(特に後期)の全貌を紹介しつつ、本研究会の趣旨とも関係の深い「自己」と「時間」を中心にして、思想の基本構造を解明する。
今日、哲学に関心を持つ研究者や読書人の間で、西田哲学(あるいは古典哲学)と英米系現代哲学とは、二つの流行をなしている。しかし、これらは互いに背中合わせに無視し合っているのが現状である。だが、いずれも「現役」の哲学である以上、両者の論点を突き合わせ、架橋することは今後の重要な課題である。その点で、20世紀の数学や自然科学にも造詣が深く、英米哲学にも関心の強かった西田の思想は、またとない「たたき台」になることが期待される。
 
       指定討論者 三浦俊彦 (和洋女子大学、哲学)

 人文死生学研究会のテーマに関連する討論については、以下のHPで読むことができます。
 http://homepage1.nifty.com/t-watanabe/academic_meeting_4.htm


これまでの履歴

◆ 2011年(第62回〜第64回)
◆ 2010年(第60回〜第61回)
◆ 2009年(第57回〜第59回)
◆ 2008年(第54回〜第56回)
◆ 2007年(第51回〜第53回)
◆ 2006年(第48回〜第50回)
◆ 2005年(第45回〜第47回)
◆ 2004年(第40回〜第44回)
◆ 2003年(第37回〜第39回)
◆ 2002年(第32回〜第36回)
◆ 2001年(第26回〜第31回)
◆ 2000年(第20回〜第25回)
◆ 1999年(第14回〜第19回)
◆ 1998年(第8回〜第13回)
◆ 1997年(第3回〜第7回)
◆ 1996年(第1回〜第2回)

研究活動成果

『心理学の哲学』

『心とは何か‐心理学と諸科学との対話』


管理者:明治大学 石川幹人