「心の科学の基礎論」研究会

2004年の活動履歴


第44回研究会

日時:2004/9/20(月 [祝日]) 1:30-5:30 

場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟3階 第10会議室

1)小松 明(東京女子医科大学)

「プラシーボ効果の神経科学」

 プラシーボは偽薬と訳されていて医薬品の効果判定の対照薬として使われているが、患者にプラシーボを投与したばあいでも効果があることは医療関係者の間では暗黙の了解になっていた。プラシーボ効果が注目されるようになったのは、1955年のH.K.Beecherの論文(The powerful placebo. JAMA 159: 1602-6.)以降で、その後多くの心理学的な分析がなされてきて、条件反射、認知(例えば期待感)、性格特性、社会的学習などがその効果の基盤にあることが知られるようになってきた。しかし、プラシーボがそれらのプロセスからどのような生理学的な過程を経て免疫系や消化器系、循環器系などの部位に作用を及ぼすのかについては、ほとんど調べられていなかった。最近、神経科学的なアプローチによって心理・社会的な過程から生理学的な過程への転換がどのようにして起こるのかを解明する試みがなされはじめた。ここでは、プラシーボ効果の心理的なアプローチを概観した後、神経科学的なアプローチによってプラシーボ効果のメカニズムがどこまで分かってきたか、その現状を紹介する。

2)塩野 直之(東京大学)

「心の哲学は<心>を残してくれるだろうか?」

 今回の発表は、勁草書房より最近公刊された、三巻からなる「シリーズ心の哲学」の書評になります。現代の心の哲学は、物理主義ないしは自然主義という大きな枠組みの中で進められており、今回のシリーズにおさめられた諸論文もおおむねその枠組みのなかに位置づけられるものです。しかし物理主義ないし自然主義の考え方に対しては、それを推し進めるとそもそもの被説明項である<心>そのものを消し去ってしまうことになるのではないか、という疑問があります。そしてこの疑問には、いわゆる消去主義として知られるタイプのものと、心的因果に関する形而上学的議論から導かれるタイプのものと、二つがあります。「シリーズ心の哲学」の中では、第1巻の金杉論文が前者に、美濃論文が後者に、それぞれ正面から取り組んだものであり、また翻訳編では、チャーチランド論文が前者の、そしてキム論文が後者の基本的な背景を提供してくれます。それゆえ今回の私の発表は、これら4本の論文をていねいに紹介しながら、それぞれに簡単な論評を加えるものにすることにします。


第43回研究会

日時:2004/7/31(土) 1:30-5:30

場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟3階 第10会議室

1)関口達彦((株)ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパン)

「ナメクジの嗅覚学習と記憶」

 チャコウラナメクジ(Limax marginatus)における嗅覚の学習と記憶について、行動実験と神経活動の計測によって明らかになったことを紹介する。行動実験では「冷却による逆行性健忘」という現象に注目した。これは、学習に用いた刺激を与えた直後にナメクジを冷やすとその学習内容を忘れるという現象である。この現象を道具に、ニオイの記憶がどのように認知され、associateされているか、記憶の状態が時間的にどう変化していくか、を調べた。神経活動の計測からは、ナメクジの嗅覚中枢に約1Hzの振動的活動が存在することがわかった。この振動は、嗅覚中枢に存在する多数の振動要素が引き込むことによって生じるものであり、その周波数は学習したニオイの価値によって変化する。種々の計測を通じて明らかになった、嗅覚中枢の機能的構造、学習したニオイの嗅覚中枢上での表現、触覚上に存在する他の振動的活動との関係についても発表する。

2)指定討論:岩渕輝(明治大学/心理学)

「神経細胞の電気的振動現象の意義」

 ナメクジの嗅覚中枢やサルの大脳皮質など、いくつかの生物の神経細胞において、電気的な振動現象が観察されることが知られている。そのような現象の生物学的な意義について議論する。


第42回研究会

日時:2004/5/15(土) 1:30-5:30

場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟3階 第10会議室

1)渡辺邦夫(茨城大学/哲学)

「心の科学の起源:アリストテレス『デ・アニマ』の知覚と思考の議論から」

 機能主義や物的一元論という現代認知科学の主流の考え方を採るときに、過去の哲学者のうちでもっともこれに近いとされるのがアリストテレスですが、他方で専門の解釈者の間では、アリストテレスにとっての意識はそれ自体が説明されないような世界の基底的存在だという考えも根強く残っています。今回の発表で私は『デ・アニマ』の若干の材料を使って、アリストテレスの主張が意識の根源性をいう立場というよりは物的一元論によっていること、したがって心の科学の生みの親であるともいえること、しかし同時に、科学を「生む」という歴史上の類例が皆無である状況で日常性の中のあれこれの考えを科学のために取捨選択する際、かなり大胆な「推測」によらざるを得なかったことの2点を示そうと思います。大胆さとともに野性的であることも指摘しようと思います。自然主義/反自然主義の論争ではアリストテレスを自然主義者と形容できますが、かれの「自然」は価値を問題にする人間ないしヒトがそこで発生でき、自己表現でき、そしてそこで死んでゆけるような自然なので、単純に客体的「客観的」であるような、自然科学の「設定された領域」にはじめから収まるものではありませんでした。このことはかれが科学が誕生した現場に立ち会いえたことと深く関係すると私は考えます。

2)吉村浩一(法政大学/心理学)

「鏡像反転問題の謎を解く」

「鏡はなぜ,左右のみ反転し,上下は反転しないのか?」という,いわゆる鏡像反転問題に対しては,これまでさまざまな考え方が提案されています.最近では,いずれも心理学者である高野陽太郎氏やR.L.グレゴリーが,これまでの諸説を解説批判した上で,自らの説を提案しています.このたび私は,これまでの諸説は「狭義の鏡像問題」しか扱っていないと位置づけ,「広義の鏡像問題」に行き着き,『鏡の中の左利き―鏡像反転問題の謎―』という書物にその考え方の全容を示しました(出版は,研究会当日に間に合うかどうか微妙なところです).これまでの諸説をなぜ「狭義」と位置づけたかと言うと,それらが「左右反転する場合」しか説明対象にしていないためです.私の説は,鏡を覗いたとき,そこに映し出されたものに左右反転感を抱く場合もあれば,抱かない場合もあり,何が両者の分岐点となるかを明らかにしています.その意味で,「広義の鏡像問題」に対する解答を与えたと考えています.そして,その考え方を,「座標系の共用−個別化説」と名づけました.左右反転感を抱くのは,現実空間にある物体や自分自身と,鏡に映ったそれとに個別の座標系を与えるためで,両者に共通の座標系を当てはめているときには鏡像に左右反転感を抱きません.たったこれだけの考えを示すのに200ページにわたる議論を必要としたのは,考え得るさまざまなケースを帰納法的に検討し,その結果として上記の説に行き着いたためです.


第41回研究会

日時:2004/2/14(土) 1:30-5:30 

場所:東京電機大学 神田キャンパス 本館2階 本館会議室

1)中村麻里子(慶応大学/哲学)

「内観することと経験の透明性」

 内観するとは実際のところどのような作業だろうか。内観に関する説は、経験自体に注意を向けることが可能なのかどうかという点をめぐって、大きく二つに分かれている。それは、内観することは経験自体に何らかの仕方で接近することであるとする高階説と、経験の「透明性」という考えに基づいて、経験自体に直接接近することは不可能であり、我々は経験内容を用いて内観を行っていると主張する表象説の二つである。本発表では、内観に関する表象説を検討するために、その説の主唱者であるDretske(1995)の提案する知覚の転換モデル(Displaced Perception Model)の基本的特徴を考察する。そして、Dretskeのモデルにおいて内観は完全に説明できるのか、そのモデルにおいて経験の透明性がどのような役割を演じているかを論じる。

2)河野哲也(防衛大学校/哲学)

「エコロジカルな心の哲学−存在の具体性について」

 心に関する「生態学的立場の哲学」の確立を目指します。現在のわたしたちは、心についてつぎのような想定をしていないでしょうか。
1.個体内主義:心は個体の内部、とくに脳のなかに存在する。
2.心の非立脚性:心を考える場合にも身体や環境についてはさしあたり考慮する必要はない。
3.「中央参謀本部」理論:心は、感覚器官からの情報を処理し、身体に指令する「中央参謀本部」のようなはたらきをする。
4.心のカテゴリーの自然性:心のカテゴリー(知能、動機、記憶など、心にかんする分類)は、生理学的にあたえられた自然なはたらきである。
しかし、わたしはこれらの前提はすべて誤っていると思います。上の想定に抗して、生態学的哲学が主張したいことはつぎのことです。
1.世界内存在としての心:脳内の過程としての「心」は、身体に埋め込まれ、環境に立脚した世界内存在である。
2.心と身体・環境の交換可能性:心(脳)と、身体の物理的特性、道具の使用、環境の特性、社会制度とは交換可能である。
3.心のカテゴリーの社会実践性:心のはたらきは、自然の所与ではなく、社会実践的(政治的、教育的、経済的、宗教的)文脈によってかたどられたものである。
こうした心の哲学上の立場を敷衍して、人間関係論、社会論、倫理学、教育学などにも示唆を与えられる、包括的な「生態学的立場の哲学」を展開します。
以下の拙著を参考文献といたします。
 河野哲也 『エコロジカルな心の哲学』 勁草書房


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