「心の科学の基礎論」研究会

2000年の活動履歴


第25回研究会

日時:2000/11/11(土) 1:30-5:30

場所:明治大学駿河台校舎 研究棟4階 第3会議室

1)合評会:E.S.リード著 村田純一他訳「魂から心ヘ 心理学の誕生」青土社

本書の主題は、19世紀の心理学史である。ヘルムホルツやヴントを代表とする 「新(実験)心理学」の成立に至る事情が説明されているが、同時にこのオーソド ックスな心理学の流れに対抗し存在し続けた「アンダーグラウンド心理学」の意 義が本書では強調されている。この流れの代表者がエラズマス・ダーウィンであ り、シェリー夫妻などの文学者である。そして、19世紀末には、新心理学のもつ 不整合さに気付いたジグモンド・フロイトとウィリアム・ジェームスが出てきた。 心を常に合理的なものと見なす新心理学の見方をフロイトは勿論人間の動機づけ や精神作用の全てを説明するものとして、受け入れていた訳ではない。ジェーム スはフロイトよりさらに先に進んで、意識と無意識という二元論を拒否し、われ われの単純な感覚でさえ複合的でありフリンジをもっており、流れという形態を とりダイナミックであるということを強調した。本書の最後では、ジェームスの 新心理学に対する批判を検討することにより、リードの基本メッセージが述べら れている。(担当:大川 けい子/理研、BSI)

2)二子 渉(プロセスワークセンター公認教育プログラム在籍/心理臨床、プロセス指向心理学)

「プロセス指向心理学 〜臨床における心の智の模索〜」

心理臨床の現場においては、その都度一般性のない個々の事例に取り組むこと が要求されるため、科学技術のように再現性のある方法論よってセラピーを進め ることは事実上不可能である。つまり臨床においては心理学が提供する一般的な 心理モデルを使って現象をあとから解釈することはできても、モデルが直接的に その都度の事例に対する真に有効な方法論を提供することはないといっても過言 ではない。ここでユング派から発展したプロセス指向心理学は、臨床現場で起こ りつつあることが、そのプロセスを全うするのをサポートする臨床学であり、精 神分析における「理想化された健康な心」とでも言うべきソリッドな心理モデル を持たない。実際の臨床「プロセスワーク」では、起こりつつあること(症状や 人間関係、無意識的な動作など)を十分に認め、それとの関係を深めることで、 症状と共存する生き方を獲得したり、症状が役割を終えて去っていくという形で の終結を目指すが、プロセス指向心理学はそのための世界観や方法論を提供する ものとなっている。
今回はこのプロセス指向心理学に関して、従来の臨床心理学との関係における 位置づけと、この臨床学が提示するあたらしい心の智のあり方について議論し、 どこまで共有可能な形で語りうるのかを模索したい。


第24回研究会

日時:2000/9/16(土) 1:30-5:30

場所:明治大学駿河台校舎 リバティタワー9階1095教室  (お茶の水駅から明大通りを下り、右手の23階建ての高層ビル。 1階では通常別な学会の会合をやってます。1階に掲示を出す のが難しいので、必ず9階を目指しておこしください。)

1)合評会:金沢 創 著『他者の心は存在するか』(金子書房)

論理的にはありえないはずの「他者の心」という存在を、なぜ、われわれはあたり まえのように認識できてしまうのだろう。本書は「進化によって獲得してきた」「恒 常性を作り出すシステム」の産物として「他者の心」の謎を解きあかしていく。哲学 の根源的な問いに認知科学はどこまで答えられるのか。「心の科学の基礎論」真骨頂 のテーマである。(担当:小松栄一/早稲田大学大学院)

2)水本正晴(一橋大学社会学研究科博士課程/分析哲学)

「心の部屋プロジェクト」

この実験は、部屋を俯瞰する位置に取り付けたカメラからの映像をワイヤレスで眼 鏡型のモニター(ソニーのグラストロン)に送り、それをつけた被験者が、その中に 映った自分の身体を見ながらその部屋で長時間生活する、というもので、これによっ て被験者の空間感覚、身体感覚、「私」概念、言語使用などに生じる変化を観察する のが主なねらいです。私はこの夏3日間、この実験を自ら被験者として行いました。 今回はその報告を含め、この実験の背後にある哲学的関心と今後の展望について発表 させていただきます。出席者の皆様からの感想や意見を今後の実験の参考にさせてい ただきたいと考えていますので、どうかよろしくお願いします。


第23回研究会

日時:2000/7/8(土) 1:30-5:30

場所:明治大学駿河台校舎 研究棟4階第2会議室

1)崎川 修(上智大学非常勤講師/哲学)

「心と人称的世界」

心というあり方において経験される世界認識には、物理的言語で記述可能な、 個別の身体と環境世界のあいだの機能的な関係には還元されない、独自の性格がある。 この独自性は一方では一人称的視点からの特権的な接近に由来するものとも考えられるが、 そのこと自身にはことさら「心」という述語をあてはめる必要はない。それはいわば 「私」という一人称の語りで十分なのである。では、「私」という語りと共に 「心」という語り方が必要とされるのは、いかなる場合だろうか。
本発表ではこの問題を人称的世界の成立という観点から議論したい。私たちにとって 世界とは物理的対象の組み合わせからなる単なる環界ではなく、 同時にそれが規範としても現れ、そのことが世界に対する身体の関与の形式を決定してしまうような 空間である。こうした世界の二重の性格を代表するのが他者の存在であり、他者はそこで 単なる環界としての世界を超え出る性格をもっている。そして私という一人称的主体も、 こうした世界の二重性に即したかたちで形成されていると思われるのである。
他方、こうした語りの重複は通常の生活の中では、「二人称的視点」において縮減 されていると見ることができる。こうした観点から、心についての言語の必然性を 「倫理的次元」から理解する方向性も示すことができればと思う。

2)佐藤敬三(埼玉大学/科学論)

「システムサイバネティクス科学論における心の問題」

概要:近代科学への批判が高まり、生命論など さまざまな新しい科学が提唱されているが、それらの中心に位置して 総合化を目指すシステムサイバネティクスの見地から、 心の研究に関する科学論的問題について論じたい。 近代科学について、生命の研究の立場からの批判が強まっている だけでなく、物質の研究においても再検討の動きがあり、 ましてや、心の研究においてをや、というべき状況に、 システムサイバネティクスが かかわりを持つと思われる話題を取り上げる。


第22回研究会

日時:2000/5/13(土) 1:30-5:30

場所:明治大学駿河台校舎 リバティタワー9階1095教室

1)竹林 暁(東京大学大学院/認知言語学)

「『心の理論』から語用論をみなおす-相互知識のパラドックスとアイロニー理解をめぐって-」

自閉症は「心の理論」を持てないことがその障害の中心であると考えられているが、 自閉症児の言語障害が語用論の分野に限られているのは有名な事実である。 この発表では、心の理論と語用論を結びつけて考えることによって、従来 語用論の分野で問題とされていたことの解決をめざす。
具体的には、相互知識のパラドックスをとりあげ、これが、現在の「心の理論」 の考え方と構造を等しくしていることを示す。
ただし、現在の「心の理論」研究では、メタ表象というものの考え方が曖昧で、 これをもとにする限り、相互知識のパラドックスは解消されない。そこで、 メタ性についての新しい解釈を提示することによりこの解消を目指す。
また、そこで得られる知見が、従来の語用論的な見方ではうまく説明できなかった アイロニー現象の解釈に役立つことを示す。

2)対談:「心とは何か」

西川泰夫(北大/認知科学)*月本洋(東芝/人工知能)

心身一元論 対 二元論 の間の論争を今に引き継ぐ「心の位置づけ」をめぐって。 心の記号論・計算論から演繹される心の機械論、ひいては 物質一元論に対する立場への典型的な批判ないしは反論は、機械論的、論理的数学的基盤からは 決して「心」という各自にとっての自明で自覚できるような意味での「心」を実現し得ない、という 反論であろうか。それは、明らかに「心」という固有の、独自の存在を想定すること になろう。したがって、身体原理(物理的機械的原理)とはまったく別個のある「何か」 を想定しなければならないことを強力に主張する。「心」とはそうしたものではない、 もっと別の豊かで、全体的で、神秘なそれ、というきわめて直感的な反論であろうか。 今回の論点の一つに、「イメージ」、あるいは「想像力」が提起されている。 そのさいのイメージとは、決して、この意味での物に還元できない、あるいは機械的な議論 を超えた、なにかあるものではない。これ自体が、記号処理の結果、つまり計算によって もたらされる付随現象である。この点をめぐる論争としては、「イメージ論争」が 繰り広げられていたことを思い返してほしい。結局は不毛な論争の挙げ句、いつのまにか うやむやになっていた。その亡霊の再来でないことを願う。いずれにせよ、論者は、 「心の科学基礎論」からの論点の指摘を試みる。(西川)

(人工)知能の記号的アプローチは数理論理学(の枠組み)に基づくものが多い。 しかしながら、それでは、知能に関する満足な分析ができない。その理由は 知能の実現に重要な役割を果たしている想像力を等閑視しているからである。そこで、想像力 のソフトウエアによる模倣を検討する。想像力自体は、公共的に議論できないので、 その言語的側面であるメタファー(等)のソフトウエアによる実現について述べる。(月本)


第21回研究会

日時:2000/3/11(土) 1:15受付、1:30-5:30

場所:明治大学駿河台校舎 研究棟4階第2会議室

1)岡田浩之((株)富士通研究所/機械学習)

「注意の切り替えを学習する神経回路 -前頭葉損傷患者の固執性の検討から」

概要:前頭葉の一部を損傷した患者は以前に報酬を受けた行動を,報酬を受けなくなっても し続ける固執性を示す.著者らは,固執性は状況の変化に応じた適切な行動の切り替 えができなくなる,すなわち,刺激と報酬の連合のリセットが行えなくなった結果生 じたと考える.そこで,前頭葉損傷により固執性を示す患者からの知見をもとに,刺 激―行動―報酬の連合のリセットが前頭葉眼窩部のニューロン群によって処理され, その過程には嫌悪性刺激による負の報酬が重要な役割を果たすという仮説を立て,そ の脳内機構のモデルを提案する.モデルの計算機シミュレーションの結果は,前頭葉 損傷患者に対する臨床試験の結果を再現した.この結果と従来の知見をあわせ,脳に おける負の報酬系のメカニズムについて議論する.

2)渡辺恒夫(東邦大学/心理学)

「『心の科学史:西洋心理学の源流と実験心理学の誕生』(高橋澪子著,東北大学出 版会)の書評」

概要:科学的心理学が,ギリシャ以来の長い「前史」を経てヴントによる心理学実験室開設 (1979)から始まるという,正統的な「二つの心理学」史観を否定し,アリストテレ ス以来の心の科学的探究の歩みを,方法論的革命と認識論的革命のくり返しとして一 貫して捉えるという,日本のみならず世界でもあまり類をみない,文献実証的である と共に科学哲学的でもある心理学史の労作が出た。ヴントら19世紀の実験心理学は, 客観的な科学の方法はまとっても,対象が主観的(=意識)という矛盾をはらんでい たため分裂は必至であり,対象をも客観的(=行動)とした行動主義による認識論的 革命によって初めて,近代科学の仲間入りをした。その後,認知心理学等による認識 論的揺れ戻しが起こっていることは,近代心理学が心身問題を未解決のまま暗黙裡に 抱え込んでいる表れである。またそのような科学としての特異性ゆえに,エクスター ナルな社会学的科学史の盛行にもかかわらず心理学にはインターナルな哲学的科学史 が求められる,とする。未完成な作であるゆえ、問題点も多くはらむ。


第20回研究会

日時:2000/1/22(土) 1:15受付、1:30-5:30

場所:明治大学駿河台校舎 リバティタワー16階1164教室

1)中山康雄(大阪大学人間科学部/哲学)

「感覚質に関する全体論的機能主義」

近年、欧米や日本において、感覚質(qualia)や意識の問題がさかんに 議論されるようになった。しかし、これまで哲学でなされてきた感覚質に 関する議論は不十分である。特に、感覚質の分析においてこれらの議論 が見落としていた点がある。本発表では、私が指摘したいと思う感覚質の 側面について、三部に分けて議論したい。

1. [感覚質の複雑性]:私達が感ずる質は集まって構造を持つ。以下、 ある時点における体験された感覚質の集まりを「感覚質群」と呼び、 その感覚質群が持つ構造のことを「感覚質群構造」と呼ぶことにする。 この観点から、一人称的感覚体験とその三人称的記述の関係を解明 したい。

2. [感覚質群構造と記憶との関係]:体験される感覚質群は、その体験が 強度なものである時、記憶されることがある。つまり、過去と類似の 感覚質群が体験される時、その感覚質群を通して過去のエピソードが 思い起こされることがある。この感覚質群構造の持つ時間的次元は、 単純な機能主義ではとらえることができない。そこで、時間を考慮に 入れた機能主義として全体論的機能主義を提案する。

3. [感覚質をめぐる心の哲学]:第1部と第2部の議論をふまえ、 心の哲学に関するこれまでの議論を批判、検討することにより、 本発表の立場をいっそう鮮明に特徴づける。

2)月本 洋(東芝/人工知能)

「心の語り方に付いて」

概要:心を、社会(人間集団)の構成要素(人間)間の相互作用、と捉えること で、心に関するいくつかの哲学的な問題(こころと脳の関係の問題等)がそれなり に解決される可能性を示唆したい。 特に、心に関するいくつかの問題は、科学的な問題としてよりは、近代合理主義の (宗教的)問題として扱うほうが適切であることも述べる。 また、心に関する記述はしばしば抽象的であるが、その抽象的な記述中で意識的か 無意識的に多用される想像力やメタファーの使用に関する問題についても議論したい。


管理者:明治大学文学部 石川幹人