「心の科学の基礎論」研究会

2001年の活動履歴


第31回研究会

日時:2001/11/17(土) 1:30-5:30

場所:東京電機大学 神田キャンパス 本館2階217室

1)長谷瑞光(武久)(学習院大学非常勤講師・天台宗教学財団研究者/哲学)

「E.リードのデューイ解釈」

 本報告では、J・ギブソンによって提唱された生態心理学(ecological psychology)を展開させ、デューイ経験論の再評価を行っているE.リードの 議論に着目したい。リードは、その著作The Necessity of Experience, 1996. の中で、firsthand experienceとsecondhand experienceという言葉を頻繁に 使用するが、この概念は、デューイが『経験と自然』(1926)で使用する、 primary experienceとsecondary experienceという概念図式と類似している。
 無論、本発表の目的は、こうした概念的類似性を証文のようにして、アフォ ーダンスの視座とデューイの経験概念との共通性を指摘することではない。と いうのもリード自身が気がついていたように、両者の概念図式の間には、幾つ かの微妙な差異が存在するからである。そしてその中でも、もっとも根本的な 問題は、そもそも、知性や知識とは何かということの理解についての、両者の 差異であろう。それは、より具体的に述べれば、一体、知性や知識とは人間に 固有のものなのか、それとも、より広範な形で生物界全体に見られるものなの かという問題へと収斂するように思われる。そして無論、この問題は「心」と 「知性」との関連性への問いとも不可避な形で結びつけられている。
 以上のような、問題意識を包含しつつ、E.リードのThe Necessity of Experience,1996.の議論の行方を探ってみたい。

2)溝口 博(埼玉大学工学部情報システム工学科)

「ロボットの「心」? −ロボット研究開発の歴史的展望と最先端動向の紹介−」

 本講では、まず、過去数十年に亘るロボット研究開発の歴史的展望と、関連 諸技術の概説、およびそれら諸技術の現在までの到達段階の概観を行う。次い でそれらを踏まえ、研究分野における最先端の動向、ホットな話題を紹介する。
 最先端動向を敢えて一言で言えば、「予めプログラムされた行動を、特定の 環境や状況のもとでのみ実行可能な機械」から「環境や状況に応じて自ら行動 を作りだせる機械」へ、というものである。この環境や状況への適応能力を象 徴する課題として、「サッカーぐらいできなければ」とか、(気まぐれで、我 が儘な)「人間さまの相手ぐらいできなければ」といった様々な技術的挑戦が 提唱されている。
 一方、環境・状況適応能力を実現するための原理的議論としては、「真に知 的なシステムにとっては身体が不可欠」とする議論や、「真に知的なロボット 実現のためには『心』(『自我』、『自意識』、etc)が不可欠」とする議論 が、一部ではあるが活発に交わされている。本講の話題として主催者から与え られた「ロボットの心」というテーマは、このような文脈で位置付けられるも のである。講演では、こうした議論を紹介すると共に、議論と技術の乖離につ いても触れる予定である。


第30回研究会

日時:2001/9/15(土) 1:30-5:30

場所:東京電機大学7号館7704B室

1)中込照明(高知大学理学部数理情報科学科)

「量子モナド論―物質と意識を両立させる世界モデルの試み」

 物理学をやっているとどうしても,意識は存在しないという結論になってし まう.しかし,意識はどうみても存在する.少なくとも私は意識を経験するし, 私だけが特別だとも思われないから,いたるところに意識は存在するだろう. では何ゆえ物理学は意識を排除するのか.それは物質の言葉だけで閉じた理論 を構成しているからである.すでに閉じてしまっているので,後から意識を入 れようにも,入れる場所がない.無理やり入れると矛盾が出る.もっとも,閉 じているというのは理念上のことで,じっさいには観測の問題や,決定性と非 決定性の問題などいくつかの綻びはある.さらに言えば,量子力学は使えるけ れどさっぱり解釈できないという本質的な問題もある.
 このような状況を改善すべくひとつの世界モデルを提案する.これはライプ ニッツのモナド論に似た世界モデルであり,それによって量子力学に新しい解 釈を与えるという意味で,量子モナド論と呼んでいる.あるいはその唯心論的 性格から唯心論物理学などと呼んだりもする.
 発表はまず量子モナド論の一般構造を提示するところから始まります.これ はライプニッツのアイデアに数学的記述を与えたものですが,一般論の段階で は形式的数学に終始し,量子力学も相対論も出てこない.一般論を展開する目 的は二つある.ひとつはモナド論としての仕組みを明にすることにである.こ の仕組みだけで,予定調和の成立の根拠,物質(意識を持たない機械)と生物 (意識を持つ機械)の違い,意志作用の拡大過程,進化の可能性,ついでに観 測問題などについて,何がしかのことが言える.目的のもうひとつは量子モナ ド論を世界記述の基礎理論としてだけではなく,もっと一般的にさまざまなモ ナド論的現象たとえば社会現象やコンピュータネットワークなどに適用できる 可能性を残しておきたいという点にある.ただし,今回の発表ではこの点につ いてはあまり触れない.
 後半では前半に述べた一般論に量子力学と相対性理論を使って具体的形を与 える.これにより,量子力学が記述するものが何であるか,ローレンツ変換と 予定調和の関係,相対論的時間とわれわれが経験する時間との関係,自分と他 人の区別などについて論じてみたい.
 なお,『唯心論物理学の誕生』(海鳴社)から3年余りがたち,自分としては, 大幅な『成長』を遂げたつもりですが,忌憚のない批判を期待しております.

2)中込講演に関する討論会

コメンテーター:平澤雅彦(放射線医学総合研究所/数理物理学)
司会:石川(明治大学)

今回の企画趣旨:心の科学の基礎論になぜ理論物理学の話なのだろうか? 心理学が既存の自然科学的世界像と折り合いが悪い以上、Churchlandの言うよう に心理学は神経生理学に置き換えられるべきであるというのが 「科学的」には 正しいことになりかねない。「神経症に心因なし」という最近の精神医学の傾向 もこの流れにあろう。しかしながら東京'99などでも発表された中込氏の説は、 問題は心理学の側だけでなく物理学の側にもある可能性を示すものであった。 理論物理の話といっても、中込氏の論理の運びは明快であって、文科系出身の 企画者にも意義がよく分かる。とかく人間や社会の研究に物理学は無関係 だと考えられやすいが、諸分野の研究方法論を根本から問いなおすような 独創的な発想が、物理学には豊富にある。そうした発想自体は、数学的記述 に慣れてないとしても理解は可能である。今回の企画では、中込氏の独創的 発想を手掛かりに、学問諸分野を超えた学際的研究の推進を目指している。 当日は、平澤氏に物理学の分野から中込理論の意義や独創性を解説して いただいたあとで、来場者がそれぞれの立場から自由に中込理論に切り 込んでいくことにしたい。専門分野を問わず、21世紀における「心と科学」 の運命に関心を抱く者なら聞き逃せない内容となるはずである。 (企画:渡辺+石川)


第29回研究会

日時:2001/7/14(土) 1:30-5:30

場所:東京電機大学11号館16階1603室

1)上原 泉(東京大学総合文化研究科認知行動科学講座)

「4歳前後にみられる認知発達の変化」

我々が過去の出来事を振り返ってみると,3,4歳以前の乳幼児期については, ほとんど想起することができない.これは乳幼児健忘といわれ,古くから論じら れてきたが,その原因については解明されていない.その解明をめざし幼児を対 象にさまざまな調査を実施した結果,3,4歳頃に変化が生じることを示すデー タをいくつか得ることができた.第一に,我々成人と同様の再認(乳児期の非言 語的な再認ではなく)ができるようになるのは3〜4歳であることが縦断的調査 によって確認された.第二に,2,3歳頃からエピソードを語り始めるのだが, 我々成人がもつようなエピソード記憶を獲得するのはそれよりも遅れる可能性が 高いことが縦断的調査から推測された.そこで,幼児におけるエピソード記憶の 未熟さを明確にするために実験を行った結果,5歳以降の子どもでは確認されな かったものの,4歳前後の子ども(3歳半から4歳半)において,ある体験後に 偽り情報を聞かされると実体験の方ではなく偽りの伝聞情報の方を実体験として 語る子どもの存在が確認された.これら2つの調査,実験結果は,4歳頃までは それ以降の年長の子どもや我々成人が有するエピソード記憶を獲得するには至っ ていないことを示すものと考える.第三に,4歳前後の子どもを対象に再認課題 と選好課題(新旧刺激のうち好きな方を指差させる課題)を実施した結果,再認 ができる場合は旧刺激を,再認ができない場合は新刺激を好む傾向が確認された.
以上の結果は,いずれも4歳前後に記憶が質的に変化する可能性を示すものだ が,記憶以外の他の認知能力においても4歳前後が重要である可能性を示す結果 を得ている.今後は,これらのデータが示す4歳前後の変化を乳幼児健忘とどの ように結びつけることができるのかを検討していきたいと考える.

2)五十嵐靖博(山野美容専門学校)

Colin McGinn著「意識の<神秘>は解明できるか」の紹介

McGinnは心と身体の関係を説明するという問題に対して,自然主義的立場 を取りながらも,人間は脳が意識を生み出す仕方を理解することはできないと してコグニティブ・クロージャー説を展開していることで知られる.邦訳書 が刊行される機会に,その主張を紹介する.


第28回研究会

日時:2001/5/12(土) 1:30-5:30

場所:東京電機大学11号館16階1603室

1)渡辺恒夫(東邦大学理学部心理学研究室)

「独我論的体験――世界観発達研究への新たなる地平」

他者の存在が疑わしくなるという独我論的体験の実態を解明し、世界観発達 過程に位置づけることを試みた。まず、この体験の偶発例を提示し、病理的体験や自 我体験との異同を論じた。次に大学生対象の2つの質問紙調査の結果を報告した。調 査1では332名中8.1%、調査2では414名中8.9%がこの体験をしたと判定された。平均 初発年齢は調査1で8.2歳、調査2で10.3歳だった。頻度の高さや自由記述例の検討等より、 この体験を平均的でなくとも病理とはいえない一階梯として位置づけ可能な世界観発 達理論の必然性が強調された。後半では、この理論の概略が示される――子どもはま ず主観的世界に生き、4-5歳までに客観的世界像を獲得するが、反省的意識の出現が 主観的と客観的の2つの世界像の間に矛盾を生み、独我論的体験や自我体験を出現さ せ、この矛盾の解決の多様に応じて世界観発達は多型分岐する。最後に、この矛盾の 「解決」の可能性が論じられた。

2)渡邉 修(神奈川リハビリテーション病院/リハ医学科)

「脳梁梗塞患者にみる右脳と左脳の機能、およびリハビリテーション」

帯状回および脳梁が選択的に梗塞を起こす例はきわめて稀である。今 回、我々は、本症例に対し各種神経心理学的検査を行い、リハビリテーションを施行 したので報告したい。【症例】51歳 男性。右利き。自営の鉄の鋳物の工場、社 長。教育歴14年。〔主 訴〕両上肢の運動障害。〔現病歴〕平成12年2月8日、仕事中 に右上下肢の脱力を自覚し、近医に入院。入院後、右上下肢の麻痺が進行し、発語も 全くなくなったが意識は清明であった。左帯状回、脳梁部の脳梗塞の診断のもと、保 存的治療が行われ、1週間後から発語とともに麻痺の回復をみた。独歩が可能となっ たが、両上肢の意思に反する運動が問題となり、その評価を目的に3月16日当院リハ 科に入院となった。〔所 見〕意識清明、見当識良好。右片麻痺はあるも手指の巧緻 性は良好。歩行、日常生活動作も自立。?半側空間無視;線分二等分検査では、右上 肢を使用すると、中点より右へ偏位。左上肢では中点より左へ偏位。?触覚認知:右 上肢では呼称可能。左上肢では不能。?キメラ図形(例えば向かって右にサル、左に パンダの図)提示。見たものについて質問すると、右手で意思どおり右視野のサルを 指し示すが、左手はそれに反しパンダを指差した。?左手の観念運動失行(WAB  VII.行為の項目で検査)。?右手の強迫的道具の使用。?WAIS-R:言語性IQ;87。右 手動作での動作性IQ=47、左手動作での動作性IQ=72。〔経 過〕?ADL上は入浴を含 め自立していた。しかし時に右上肢に道具の強迫的使用が出現した。また精神的緊張 時に、左手の意思に反する動作(拮抗失行)と右手の強迫的使用がみられることか ら、1)動作時には、一息おくこと、複雑な動作の前には十分リラクゼーションを図 ること、2)左手を机の下で柱に握らせ、使用しないようにすること、3)十分習得し ている動作を中心に行うこと、4)新規な動作については、繰り返し学習することを 指導した。?復職能力は実際に自営する家業を長男の監視下で確認した。社長とし て、社員や訪れる客への会話、対応には全く問題がなかった。自動車の運転も可能で あることが確認された。ただし、複雑な業務については今後の課題である。


第27回研究会

日時:2001/3/10(土) 1:00-5:00

場所:神保町 学士会館本館303号(〒101-0054 千代田区神田錦町3-28 電話 03-3292-5931)

1)村井潤一郎(東京大学大学院教育学研究科/心理学)

「日常生活の実態を探る一つの試み 〜青年の日常生活における欺瞞〜」

例えば,心理学では,しばしば実験的手法を用いた研究がなされるが,そう した研究に対する代表的な批判の一つは,生態学的妥当性を問うものである. 厳密な統制下で得られた知見は,日常生活にどの程度まで一般化可能なのか, つまりは,Cook&Campbellの言う外的妥当性の是非であろう.それでは,身近な 日常生活には,いかにして切り込んだらいいのだろうか.身近な日常生活が, 研究のまな板にのせにくいという現況は,まさに「灯台下暗し」ではないだろ うか.そこで,今回の発表では,日記法を用いて青年の日常生活の実態を探っ た,ある一つの試みを紹介したい.日記を用いた研究は,例えば,発達心理学 などでは,「日誌法」という名称で古くから行われていたアプローチであろう が,本研究は社会心理学的であり,本邦では比較的珍しい試みかと思う.私は 「うそ」という現象に興味を持っているが,そもそも,日常生活で「うそ」は どのように生起しているのか,そうした点について明らかにすることは,「う そ」に関する実験室研究の日常的基盤について検討を加えることにつながり, 意義あることと思われる.

2)五十嵐靖博(山野美容専門学校/心理学)

「Sigmund Kochと理論心理学」

理論心理学は心理学の諸理論と理論に関する問題を研究対象とする心理学の メタサイエンスであるが、Kochは理論心理学の先駆者、第一人者と称され、特 に行動主義の哲学的分析や心理学の共約不可能性に関するその所説はひろく知 られている。本発表では1940年代の論理実証主義に関する論考やHullの動機づ け理論に関する実験研究から、50年代から60年代前半にAPAの後援を受けて アメリカ心理学を代表する主要な研究者を網羅して推進された心理学諸理論の 比較研究、その後の心理学の共約不可能性をめぐる研究へと展開したKochの軌 跡をたどり、新行動主義の全盛期から諸パラダイムが並立する現在にいたる心 理学の展開との関連を検討する。わが国においてはKochは“Psychology: A study of a science(6vols.)”を編纂した心理学者として、また新-新行 動主義(後期行動主義)の呼称の提唱者として、また近年、欧米において理論 心理学的研究が活発化した後には理論心理学のパイオニアとしての側面が断片 的に知られていることが多い。“Psychology in human context: Essays in dissidence and reconstruction”の刊行(1999)を機に、その全体像を考察し たい。


第26回研究会

日時:2001/1/13(土) 1:30-5:30

場所:明治大学駿河台校舎 研究棟4階 第2会議室  (お茶の水駅から明大通りを下り、右手の23階建て高層校舎の裏手、10階建てビルが 研究棟。高層校舎リバティタワー3階より研究棟4階への連絡通路があります。)

1)足立自朗(埼玉大学教育学部/教育心理学)

「個体発達の位置および個体発達におけるマクロとミクロ」

系統発生・歴史的発達と関連させて「人間の」個体発達を位置づけ、その上 で、個体発達をミクロに見るとはどういうことか考えてみたい。
1.個体発達位置づけの基本モデル(マクロモデル)を次のようにスケッチ する。知の個体発達は、系統発生の結果与えられた生物学的条件から出発し、 ある歴史的時点での社会的標準を獲得していく一般的過程とみる(社会的標準 e.g. 学習指導要領は、集団の文化によって異なる)。健常者の与えられた生物 学的条件は、基本的に同一であると仮定される(誕生時におけるフィジカルな 障害は、生物学的条件の欠損・変形として理解される)。個体発達の過程は、 一般的能力の連続的な変化として捉えられ、S曲線によって近似されるものと 仮定する(異なった知識領域の独立性は、それぞれ異なったグラフを描くこと により表現される)。各個体の成体における到達点は、社会的標準の周りに分 布する。最高点は、類的知の形成に一致する。
2.個体発達のマクロモデルを前提として、マイクロジェネシスの構想にふ れつつ、ミクロな発達に関する諸問題について考えてみたい。発達における質 と量、不連続と連続について(発達段階の問題)。時間単位の問題、どのレベ ルで発達現象を捉えるのかについて。どんな問題を解決したいのかへの依存に ついて。最後に、教えるという行為を、学ぶ活動の組織化として捉えなおすこ と、目標としての子ども像の構築に心理学研究者がコミットしていくことの意 義について述べたい。

2)合評会:T.J. ロンバート著『ギブソンの生態学的心理学』 古崎・境・河野監訳、剄草書房

本書は、J.J.ギブソンの心理学を、古代ギリシャから現代にいたる哲学史・ 科学史のなかに位置づけると同時に、彼の知覚理論の発展を詳細に追った大部 の解説書である。
全体は4部から構成されており、第1部では、古代ギリシャから中世アラビ ア世界をへて、ルネサンス時代に通ずる認識論史が概説され、第2部では、科 学革命からギブソンが登場するまでの光学史・知覚心理学史が解説される(ア ラビア世界やルネサンスの視覚論を詳細に解説した科学史の本は少なく、本書 は科学史の研究者にとっても有益である)。第3・4部では、初期の精神物理 学から晩年の生態学的立場に至るギブソンの理論的発展が解説される。
本書の独創的な点は、古代ギリシャ哲学から現代にいたる知覚理論史を、プ ラトン派とアリストテレス派に二分し、ギブソンを後者に分類していることで ある。ロンバートによれば、ガリレイやデカルト以降の近代科学は、プラトン 的な伝統を継承しており(これは正しいと思われる)、科学的な心理学もその 揺籃のなかで生まれてきた。ギブソンの生態学的心理学は、この伝統に抗して、 アリストテレス的な認識論と存在論を受け継いでいるのである。本書が指摘す る哲学的伝統との関係に焦点を当てながら、ギブソンの認識論と存在論を明ら かにしたい。(担当:河野哲也/防衛大学校人間文化学科)


管理者:明治大学文学部 石川幹人