「心の科学の基礎論」研究会

2008年の活動履歴


第56回研究会

日時:2008/11/8(土) 1:30〜5:45

場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟2階 第8会議室

1)松本俊吉(東海大学)

「進化心理学の科学性を検証する」

本報告では、進化心理学の論理構造を科学方法論的な観点から批判的に検討する。スティーブン・ジェイ・グールドは、1970〜80年代にかけてなされた社会生物学論争において、リチャード・ルウェンティンとともに「適応主義」の嫌疑でもって社会生物学を批判したことで知られるが、彼はほぼこの同じ論理で、90年代に勃興してきた進化心理学を批判している。グールドの批判は、社会生物学と進化心理学の間の重要な相違点を看過していたという点で欠陥もあるが、しかし進化心理学が本質的に、検証も反証もできない推測的な前提に立脚したリサーチ・プログラムであるという彼の批判の骨子は正鵠を射たものであると考える。例えば、「進化的機能分析」と呼ばれる進化心理学の推論パターンは、しばしば健全な科学的推論の範例と見なされている仮説演繹法と同型であるとして正当化されるが、両者の間には看過できない重要な相違がある。一例を挙げれば、進化的機能分析は人類の主要な形態的・心理的形質が形成されたとされる更新世の時代のEEA(進化的適応環境)における「適応問題」の同定のステップから始まる――これは仮説演繹法における仮説発案のステップに対応する――が、このステップは、現代のわれわれがわれわれ自身についてすでに有している先行知識を更新世におけるわれわれの祖先に読み込むことによって初めて可能となる。しかしこのことは、仮説演繹法における「演繹された予測の検証」に対応するステップを、論理的循環なしには困難なものたらしめる。さらには、コズミデス、トゥービー、ピンカーといった進化心理学の代表的な唱道者の議論において共通して採用されている、「現代人の心の古代起源説」とも言うべき前提とそこから彼らが引き出す帰結――すなわち、現代人の心理メカニズムは太古の更新世の時代の適応として形成されたものであり、その後の約1万年間ほとんど不変に保たれているがゆえに、現代の高度に文明化された環境においてはかえって不適応性を示す、というもの――に関しても、彼らの前提を認めたとしても必ずしもそうした帰結は導かれないということを、現在かなりの支持を得ているマキアベリ的社会知能仮説や、自然選択は‘tinkerer’(不器用な修繕屋)であるという進化生物学の基本的な洞察に基づいて示したい。

2)Watanabe,Tsuneo (Toho University)

Title: What is the environmental science?

Abstract:Based on the comparisons of the modern science and the environmental science, I try to pick up three kinds of antagonism in the epistemology of science: objectivity vs. subjectivity, analysis vs. synthesis, and value-neutral vs. value-oriented. Modern science has emphasized the left-side of these binary oppositions, rejecting the right-sides. However, our consideration on two kinds of documents, those from the “Symposium about the environmental problem (1992)” and current several leading textbooks of environmental science, suggests that the underlying epistemology of this “post-modern science” stands on the right side: subjectivity, synthesis, value-oriented.


第55回研究会

日時:2008/7/26(土) 1:30〜5:45

場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟4階 第1会議室

1)塩野直之(福井県立大学)

「時間選好と意志の弱さ」

本発表は、アクラシアすなわち意志の弱さの問題に、時間選好という観点からアプローチする方法を紹介するものです。この方法は、近年ではエルスターやエインズリー、メレらによって開拓されてきました。私はそのアプローチを統合し、それを一つの哲学的モデルに組み立てることを試みます。まず、時間選好とは何かを説明し、その二つの数学的モデルを概観します。ついで、動機づけと価値評価の区別というワトソンやメレの考えを導入し、それが時間選好とどう関わるかを論じます。そして、そこから「意志の弱い行為」をどのようなものと捉えるべきかを考察します。最後に、時間があれば、この見解に伴う一つのパラドクスを紹介したいと思います。

2)水本正晴(北見工業大学)

「永井均著『哲学塾 なぜ意識は実在しないのか』を読む」

コメンテーター: 永井均

本書は、著者による意識と心の哲学についての初めての本格的な著作である。そのスタイルは極めて攻撃的で、直接のターゲットはD・チャルマーズのみならず、主流の分析哲学の方法論全体にまで及んでいるように思われる。だが、著者の批判はどこまで妥当なのであろうか。例えば「チャルマーズの言いたいことは、実は言えない」(p. 78)とする著者の主張は、自分自身にも跳ね返ってくるはずである。そして実際、最後には著者もそれを認めてしまっている。だとすれば、著者は実は虚に吠えただけであり、本書は全体が本来言えないことを言おうとする空虚なおしゃべりにすぎないのではないだろうか。本発表では、(大方の予想を裏切り?)私は著者の批判は全く正当なものであると論じる。チャルマーズは、(少なくとも彼の2次元主義に基づく限り)彼の意味での現象的意識について語り得ないのである。だがそれは、著者自身の極端な主張が正しいことを意味しない。ここでキーワードとなるのは、「中心を持つ世界」である。
(もし時間が許せば、赤瀬川原平の「宇宙の缶詰」についての考察、特にそれの non-well-founded なメレオロジーとの関係についても論じたい。)


第54回研究会

第54回研究会は人文死生学研究会(第6回)との合同研究会になります。

日時:2008/3/29(土) 1:30〜5:45

場所:明治大学 研究棟4階 第2会議室

(趣旨) かって死はタブーでしたが、近年は死生学の研究も盛んになっており、その多くは臨床死生学です。しかし、自分自身の死についての洞察が臨床死生学の基礎には必要と思われます。人文死生学研究会は、そうした一人称の死に焦点を当て、哲学、倫理学、宗教学、心理学、人類学、精神医学から宇宙論にまで及ぶ、学際的な思索と研究の場として発足しました。
 今回で六回目になりますが、これまでに「刹那滅」「輪廻転生」「死の非在論証」「人間原理」などがテーマとして取り上げられています。
 今回は、宗教人類学者の蛭川立氏と佐藤壮広氏からの話題提供を第一部とし、後半は、論理学者の三浦俊彦氏の近著「多宇宙と輪廻転生」の合評会を、著者をまじえて予定しています。

(内容)1 宗教人類学特集 1時30分より
      話題提供「シャーマニズム、死、沖縄、平和学」
        佐藤壮広(東邦大学、宗教人類学)
      話題提供「一人称的実験心理学としてのフィールドワー
        ク 〜臨死体験と過去生記憶体験を例に〜
        蛭川立(明治大学、宗教人類学)
    2 合評会「多宇宙と輪廻転生」(三浦俊彦、青土社、
       2007年) 3時45分より
      話題提供(書評担当) 重久俊夫(西洋史、哲学)
      指定討論 三浦俊彦(和洋女子大、論理学、哲学)
              4時30分より
      討論 4時45分より

    懇親会 6時頃より

 なお、人文死生学研究会のテーマに関連する討論については、以下のHPで読むことができます。
 http://homepage1.nifty.com/t-watanabe/academic_meeting_4.htm


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