「心の科学の基礎論」研究会

2011年の活動履歴


第64回研究会

日時:2011/12/18(日) 午後1:30〜5:30

場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟4階第2会議室
 http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/access.html
 の「キャンパス案内」をご参照ください。

(話題提供1)森田邦久(早稲田大学・科学哲学)

【タイトル】世界は不確定なのか−量子力学の新しい解釈
【要旨】量子力学の古典力学とは大きく異なる特徴として「不確定性関係」というものがある。たとえば、古典力学では、ある時刻のある物体の位置と運動量が正確にわかれば、ほかの任意の時刻でその物体がどのような位置と運動量をもつかが正確に予測できる。ところが、量子力学では、位置と運動量を正確に予測することができないのである。これを「不確定性関係」と言うのであるが、アインシュタインが最後まで認めることのできなかったものである。本発表では、まず、簡単に不確定性関係と、それを反駁しようとするアインシュタインらの議論を説明して、その後、現在の状態が過去の状態だけからではなく、未来の状態によっても決定されているとする考えかたをとることで不確定性関係が避けられるという議論を紹介する。
【指定討論】石川幹人(明治大学・認知科学)

(話題提供2)玉地雅浩(藍野大学・理学療法学,臨床哲学)

【タイトル】空間知覚は身体表現と共になされるものである-半側空間無視を呈する人に現れる現象から考える
【要旨】脳卒中後遺症としての半側空間無視を呈する人に現れる現象を通して、私たちが普段何気なく行っていると考えられている「今、ここから」世界を知覚するという事について、主として哲学者のメルロ=ポンティの記述を参考にしながら考察していきたい。
 半側空間無視を呈する人は左の世界に注意が向きにくい、向ける事ができても上手く情報を処理できないと医学の世界では考えられている。今回の発表ではそもそも「左側の世界に注意を向けることができない、あるいは向きにくい」状態で生活していく事がどういう状態であるのか、この事について根本的に考えてみたい。
 半側空間無視を呈する人に現れる現象の中には非常に奇異に感じられたり、異質なものとして扱われるものがある。患者が示す現象は特徴的なものとして周囲の人たちには目につきやすい。
 しかし今回の発表では半側空間無視を呈しない人たちとの差異の部分のみに着目して考察するのではなく、半側空間無視を呈する人を含めて私たちはいかにして上下・左右・前後という方向性を持つ事ができるのか、あるいはパースペクティブを失うという事態はありえるのかなど、私たちがこの世界で生きていく上で知覚世界とどのような関係をきり結んでいるのか、そのあり方を丁寧に記述していきたい。そして知覚世界が変容しているかもしれない半側空間無視を呈する人たちが、その状況をいかに乗り越えようとしているか、その契機は何かという事について考察していく予定である。
【指定討論】田中彰吾(東海大学・心理学)


第63回研究会

日時:2011/10/1(土) 午後1:30〜5:45

場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟2階第8会議室
 http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/access.html
 の「キャンパス案内」をご参照ください。

(話題提供1) 小松 明(帝京大学・神経科学)

【タイトル】臨床におけるプラシーボ治療の現在
【要旨】プラシーボ(偽薬)は治験で実薬に対する対照として使用され、現在では被験者からインフォームドコンセント(I.C.)を得た上で行われる。一方、臨床現場ではプラシーボ効果をねらって「薬」として患者に与薬する、治療を目的とした使用法がある(プラシーボ治療)。プラシーボ治療は患者本人に知られると意味を失う処置であるためI.C.の取得が困難である。I.C.の取得なしでプラシーボ治療を行えば生命倫理の四原則の中の『自立性の原則』と『正義の原則』に抵触する。反面、患者を治療するので『善行の原則』に則り、薬理学的に不活性な物質を与薬するので『無加害の原則』に抵触しない。このようにプラシーボ治療は倫理的な問題をかかえた医学的処置である。 臨床現場におけるプラシーボ治療の現状を医師、看護師を対照に全国調査した結果を報告し、プラシーボ治療の問題点を考察する。また、日本の生命倫理学において前提視されているビーチャムとチルドレスの四原則の基盤をなす直感主義を反省的に考察したい。
【指定討論】水本正晴(北見工業大学・哲学)

(話題提供2) 福田敦史(慶應義塾大学・哲学)

【タイトル】自我であることのミニマルな条件を巡って
【要旨】G.ストローソンによって考えられているMinimal Selfとは、1)経験の主体であり、2)ものであり、3)心的存在であり、4)単一であるような存在者である。本発表では、このMinimal Selfという概念をとりあげ、自我であるために必要な条件とは何かという問題(の一部)について検討したい。まず、Narrative Selfという概念と対比させてMinimal Selfについての概略を示し、その後、条件1)の「経験の主体」であるためには、どのようなことが必要なのか考えたい。
【指定討論】渡辺恒夫(東邦大学・心理学)


第62回研究会

第60回に引き続き、第62回研究会も人文死生学研究会(第9回)との合同研究会になります。

日時:2011/7/23(土) 1:30〜5:45
場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟3階 第10会議室

(趣旨)かって死はタブーでしたが、近年は死生学の研究も盛んになっており、その多くは臨床死生学です。しかし、自分自身の死についての洞察が臨床死生学の基礎には必要と思われます。人文死生学研究会は、そうした一人称の死に焦点を当て、哲学、倫理学、宗教学、心理学、人類学、精神医学から宇宙論にまで及ぶ、学際的な思索と研究の場として発足しました。今回で九回目になりますが、これまで「刹那滅」「輪廻転生」「死の非在論証」「人間原理」などがテーマとして取り上げられました。これらのテーマは、死に対する洞察が、哲学や科学において古くから問題にされている自我と時間の探求を、おのずから要請していることを明らかにしています。今回は、哲学的時間論の問題として、「現在主義」。理論物理学と自我の問題として、「量子自殺」を話題に取り上げます。

 
(内容)1 「人文死生学研究会」の従来の議論の経緯
       重久俊夫 (人文死生学研究会世話人・西洋史、哲学)
         1時30分から
 
     2 時間の経過について
       〜現在主義の観点から〜
       左金武 (哲学・大阪大学) 2時15分ごろから
 
       時間は本質的に変化を含む。なぜなら、時間とは経過
       するものであり、経過はそれ自体変化だからである。
       本論において私は、すべては現在にある(現在のみが
       存在する)という現在主義の立場に基づき、この時間の
       経過の実在論を擁護する。ただし、時間の経過は、もの
       の性質における変化に派生する、ある種の比喩にすぎ
       ない。そして、ものの性質における変化のゆえに、言明
       の真理値における変化が可能となる。
       これこそが、時間の経過という考えの実質なのである。
    
     3 量子自殺の可能性
       〜「私」の存在の客観的価値について〜
       三浦俊彦 (哲学・和洋女子大学、「人文死生学研究会世話人」) 4時ごろから
 

 人文死生学研究会のテーマに関連する討論については、以下のHPで読むことができます。
 http://homepage1.nifty.com/t-watanabe/academic_meeting_4.htm


2011年4月に予定していた研究会は震災のため急きょ中止となりました。


管理者:明治大学情報コミュニケーション学部 石川幹人