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平成28年7月30日(土)10:00-12:00 全国漢文教育学会・漢文教育研修会
教養講座・第2日「京劇」 湯島聖堂斯文会館にて 講師:加藤徹
最初の公開2016-7-10 最新の更新2016-7-29

【要旨】
 京劇のコンセプト(設計思想)は「中華世界の動く美術館」です。漢文も、京劇の舞台言語である「韻白」も、「永遠の中原」を再現するために作られた芸術的な人工言語です。

 学校の国語の授業では、通常、古文や漢文の文章を現代人の「標準語」のアクセントで、楷書的に音読します。そのうえでもし「行書的な音読」や「草書的な朗誦」の存在も授業で紹介できれば、古典の詩文の味わいをいっそう引き出すことができ、生徒も興味をもつだろうと思います。
読み方
活字的ボーカロイド
毛筆的楷書的ニュースのアナウンサー
行書的ドラマや映画の俳優・声優
草書的京劇や能、詩吟など、伝統的な朗誦
千字文,三体千字文,楷書,行書,草書,明朝体,徽宗
徽宗の草書千字文と、
明治16年刊・高等小学習字本
巻菱潭・書「三体千字文」より

 自分で草書の読み書きができなくても、草書の歴史や「連綿体の美」などの発想を知識として理解することはできます。同様に、能の謡(うたい)や詩吟、京劇などを習得しなくても、それらの音声美の根底にある哲学やセンスを頭で理解することは、簡単です。
 京劇の舞台言語は、語彙や文法の面から見ると、「漢文」(“古代汉语”)と「中国語」(“现代汉语”)の中間です。また京劇の音声は、日本の能や歌舞伎、詩吟などと同様、東洋人の伝統的な美意識を反映しています。東洋の伝統演劇の哲学、例えば「個人より古人」「美は普遍的なはずなので、個性は醜い」「新(しん)は辛(しん)なり。新たは荒たなり」などは、近現代とは別の発想です。それらを知識として理解しておくと、漢文や古文の授業、ひいては現代国語の授業についても、いろいろヒントを拾えるかもしれません。
 限られた時間ではありますが、京劇「覇王別姫」と「空城計」の歌詞とせりふを例して取り上げ、漢文と比較しつつ解説します。少しでも皆様のご参考になれれば幸いです。
配布教材プリントの原稿 [一太郎版(554 KB)] [PDF版(583 KB)] ダウンロードはご自由にどうぞ
資料ビデオ YouTube


京劇とは?
 「北京の芝居」の意で、日本でいえば能楽や歌舞伎にあたる音楽劇で、十八世紀末から形成された。海外では「ペキン・オペラ」とも呼ばれる。
 京劇俳優は「唱(うた)・念(せりふ)・做(しぐさ)・打(たちまわり)」の四技能を要求される。演目は、うた中心の「文戯」と、立ち回り中心の「武戯」に二分される。
 セリフや歌詞の言語は、「帝王宰相、才子佳人」が使う古雅な「韻白」と、庶民や道化役が使う下町の北京語「京白」がある。「韻白」は文語(いわゆる「漢文」)と口語の中間の言葉で、発音も発声法も語彙も語法も北京語とは異なるため、中国の観衆も劇通以外は理解困難である(日本の謡曲の言語が、現代日本語とかけ離れている状況と似ている)。
 伝統京劇の演目のストーリーは、『史記』などの史書や、『三国志演義』『西遊記』『水滸伝』などの古典小説に取材した作品も多い。このほか、近現代を舞台とする現代京劇の作品も作られている。
 昔の京劇は、舞台装置をほとんど使わず、女性役も含めてすべて男優が演じた。世界的に有名となった京劇俳優・梅蘭芳(メイランファン 1894-1961)も「おんながた」であった。中華民国期以降、舞台装置の導入や、女優の舞台進出など、さまざまな京劇改革が進められた。
 2010年、京劇はユネスコの世界無形文化遺産に登録された。
 なお日本語では、昭和中期まで「けいげき」と読んだが、昭和後期から「きょうげき」という読み方が広まり、今日に至っている。
cf.もっと知りたい人は→「京劇とは?」(内部リンク)、「楽戯舎・京劇を楽しもう〜初めて観る世界」「民音・はじめての京劇鑑賞」(外部リンク)

中国伝統演劇のコンセプト
「如死如生、如存如亡」(『荀子』)。死んでいるようでもあり生きているようでもあり、ここに居るようでもありここに居ないようでもある
 歴史劇の登場人物は「古人」であり「鬼(き)」である、という発想。→日常語とは違う音域、違う発音・語彙・句法。「お経読み」と類似の発想。
「備物而不可用也」(『礼記』)。死者への供え物は、わざと実用不可能に作るべきである。
 古人や神霊は敬して遠ざけるべきで、幽冥会と顕生界の一線を確保しなければならない、という発想。→「実用不可能」な舞台言語や身体演技、衣装、小道具など。

 祭祀儀礼や招魂儀礼の呪術的演出→中国伝統演劇の特徴。
cf.「京劇と呪術」(内部リンク)
 古人、鬼神←(仲介役)→生者、観衆
 古代中国の「葬礼」のコンセプトを知っていると、中国演劇の演出のコンセプトも理解しやすい。
★[京劇のことわざ](内部リンク)
「不能不像、不能真像」。それっぽくなきゃダメだ。そのまんまならなおダメだ。
「不像不成戯、真像不是藝」。それらしくなきゃ芝居じゃない。そのまんまなら芸じゃない。
 すべての根源は「明器感覚」にあり
『大辞林』より:【明器(めいき)】 死後の生活にそなえ、墓に副葬するために作った模型の器物。中国、漢・唐代に盛行。石・木・陶磁器などで作り、宋代以後、紙製品が漸増。動物・人物像を含めていう。神明の器。
→泥象(でいしよう)

中国演劇の三つの特徴「綜合性・虚擬性・程式性
 綜合性:演出における視聴覚的要素の総合的活用 < 生と死、恐怖と快楽、静と動、など相反する感覚の奇妙な混在
 虚擬性:「不像不成戯、真像不是芸(蕭長華)」。それらしくなきゃ芝居じゃない、そのまんまなら芸じゃない。
 程式性:型にはまった約束事の活用

『礼記』檀弓下第四より──孔子は言った。「明器を発明した人は、喪の道をよく知っている。死者への供え物は、わざと実用不可能に作るべきである。悲しいことだ。もし死者に、生きている人が使うのと同じ実用品を使うなら、それは生きた人間を殉死させるのと、ほとんど同じことになってしまうではないか」。そもそも、死者に供えるための非実用品を「明器」と呼ぶのは、死者を「神明」の存在と見なすからである。色を塗った模型の車や、草で作った人形を死者に供えることは、昔からある正しいやりかたで、明器の道にかなっている。孔子は、死者に供えるための草で作った人形を考案した者については「良い」と評価したが、死者に供えるために生きた人間そっくりの人形を考案した者については「不仁である。生きた人間を殉死させるのと、ほとんど同じじゃないか」と批判した。(原文:孔子謂「為明器者、知喪道矣。備物而不可用也。哀哉、死者而用生者之器也、不殆於用殉乎哉」。其曰明器、神明之也。塗車芻霊、自古有之、明器之道也。孔子謂為芻霊者「善」、謂為俑者「不仁、殆於用人乎哉」。)

『荀子』礼論篇第十九より──もとより装飾と粗悪、鳴り物と哭泣、歓喜と哀悼は、それぞれ互いに相反するものである。しかし喪礼においては、これらを兼ね合わせて活用し、かわるがわる用いることで、コントロールするのである。装飾と鳴り物と歓喜は、平常心を維持して幸運を呼び込むための方策である。粗悪さと哭泣と哀悼は、危機意識を持って凶事に対処するための方策である。(原文:故文飾、麤悪、声楽、哭泣、恬愉、憂戚。是反也。然而礼兼而用之、時挙而代御。故文飾、声楽、恬愉、所以持平奉吉也。麤悪、哭泣、憂戚、所以持険奉凶也。)
 喪礼の本質とは、死者を、生きている人のように装飾することである。死者が生きていたときと全く同じ態度で、その死を送ってあげるのである。つまり、この人は死んでいるようでもあり生きているようでもあり、ここに居るようでもありここに居ないようでもある、という態度を、始終つらぬくことである。(原文:喪礼者、以生者飾死者也。大象其生、以送其死也。故如死如生、如存如亡、終始一也。)
 死者の前にすすめる明器については、実用性を排除する。冠は頭にかぶる部分はあっても髪つつみはないようにし、酒を入れるカメは空っぽのままにして中身をつめてはならず、竹で編んだムシロはあっても寝台やスノコはつけず、木製の器はわざと仕上げを荒いままにしておき、陶器はわざとプロポーションを狂わせて作り、竹やアシで編んだ器もわざと中身を入れられぬようにし、死者に供える楽器についても、笙や竽はわざと調律せず、琴や瑟も弦は張っても調弦はわざと狂わせておき、ひつぎを運ぶ車は墓に埋めるが、車を引っぱる馬は埋めずに帰ってくるようにする。これらはすべて、実用品ではない、ということを明示するための措置なのである。(原文:薦器、則冠有鍪而毋縰、罋廡虚而不実、有簟席而無床笫、木器不成斲、陶器不成物、薄器不成内、笙竽具而不和、琴瑟張而不均、輿蔵而馬反、告不用也。)

漢文は「中国語」か?
 結論を先に言うと、漢文イコール“古代汉语”(「古代漢語」。古代中国語の意)ではない。
 「古代漢語」とは、昔の「漢語」(中国人は、中国語を“汉语”=漢語と呼ぶ。日本語の「漢語」と意味あいは異なる)であり、方言や幼児語、卑語などさまざまな諸相を含む。「古代漢語」の中には、昔の中国語(自然言語)も含まれるし、漢文(人工言語)も含まれる。「古代漢語」の中には、漢文でないものも多い(例えば揚雄『方言』に出てくる古代中国語の方言など。「黨、曉、哲,知也。楚謂之黨,或曰曉,齊宋之間謂之哲。」)
 漢文とは、人工言語として作られた書記言語であり、理論的にnative speakerは存在しえない。
 京劇の主要言語である「韻白」は、「漢文」と「中国語」の中間の性質、あるいは双方にまたがる性質をもつ、芸術的な人工言語である。京劇俳優の子弟といえども、「韻白」は学習言語として習得するものであり、「韻白」のnative speakerは理論的に存在できない。
漢詩平仄、平水韻「中原」の自然言語を意識して作られた人工言語
京劇の歌詞中州韻、十三轍
中国語の詩その時代の口語の発音(人工言語の影響を受けた)自然言語

 漢文も京劇も、「古人」たちの永遠なる「中原」の世界への憧憬が、その根底にある。

永遠の中原
【中原(ちゅうげん)とは】
 中華文化の発祥地である、黄河の中・下流域にある平原地帯を漠然と指す言葉。古代では「中原」「中国」「中州」は同義語。
 狭義では、「中州」すなわち現在の河南省一帯と同義。
 広義では、広く華北平原一帯を指す。

 歴史に実在した「史的中原」は、現在の中華人民共和国河南省(古称は「中州」)を中心とする一帯を指すが、当該地域の中国語の方言(自然言語)は、漢文や京劇の言語とはイコールではない。日本の京都弁や奈良弁が古文や能楽の言語とイコールでないのと、同様である。
 文学や芸術でイメージされている「永遠の中原」は、「雅言・斯文」(人工言語)を使う「古人」が住む世界であり、「史的中原」とは別物である。
 西洋の学術において、キリスト教の信仰の対象としての「イエス・キリスト」と、歴史に実在した人物としての「史的イエス」は峻別される。それと同様に、漢文や京劇など文化芸術における「永遠の中原」と、無名の庶民も暮らしてきた「史的中原」は、区別する必要がある。
 「イエス・キリスト」が信者の国籍や民族に関係なく等距離の存在であるのと同様、「永遠の中原」に付随する漢文・漢字は、日本・朝鮮・中国のいずれからも等距離にある。
cf.漢字の起源からの「等距離」について
加納喜光『数の漢字の起源辞典』(東京堂出版、2016年)p38-p39より引用
 漢字は中国のものである、朝鮮と日本の漢字は借りものである、などといった差別意識は持つべきではない。漢字は外来の言語であるから廃止すべきであるという偏狭な国粋主義も捨てた方がよい。
 筆者は漢字の位置をこう考えている。漢字は紀元前に生まれた古典漢語の表記体系である。これが周辺国に伝わり、古典漢語の音形、字形、意味が甚だしく変容しないうちに、各国語に組み込まれた。朝鮮が最も古く、日本はそれに次ぐ。中国では音形、字形、意味とも変容が甚だしく、現代語からの距離が大きい。したがって朝鮮語、日本語における漢字は古典漢語の直系の子孫である。違いを強調しすぎた嫌いもあるが、少なくとも漢字は朝鮮、日本、中国では等距離にあると言ってさしつかえない。
 江戸時代の漢学者・新井白石は、同時代の中国や朝鮮よりむしろ日本のほうが「いにしえの永遠の中原」の美風を継承していると主張した。殷周時代の中原は世襲制であり、江戸時代もそうだが、中国や朝鮮の王朝は「科挙」という孔子の時代には存在しなかった官吏登用制度でささえられていた。また日本には和服や雅楽など、中国本土ではとうに滅んだ古い文化がたくさん残っている。
 白石の主張の是非はさておき、少なくとも、近現代の中国人と「永遠の中原」のあいだには大きな距離があること、現代中国人もそれをよく自覚していることは、事実である。

 京劇の「韻白」の起源や性格については、「方言説」(自然言語説)と「芸術言語説」(人工言語説)がある。筆者(加藤徹)の見解は後者である。

「斯文」と「方言」
 「斯文」は「儒教的な古典を典範とする普遍的な高次言語であるところの漢文」の意。
 「方言」の意味は「地方の言語」であるだけでなく、「民族の固有語を含む、日常の方便に合致したところの現代語」の意もあった。その意味では、日本語や朝鮮語、中国語すらも「方言」であった。

木下順庵(1621-1699)が、来日した朝鮮通信使との「筆談唱和」で贈った漢詩
「卒賦一律呈成学士」
卓犖高標挙彩霞タクラク コウヒョウ サイカあがる
英才況又玉無瑕エイサイ いわんやまたギョクにきずなきをや
登科蚤折三秋桂カにのぼり つとにおる サンシュウのかつら
随使遙浮八月槎つかいにしたがい はるかにうかぶ ハチゲツのいかだ
筆下談論通地脈ヒッカのダンロンはチミャクにツウじ
胸中妙思吐天葩キョウチュウのミョウシはテンパをはく
相逢何恨方言あいあう なんぞうらみん ホウゲンのことなるを
四海斯文自一家シカイのシブンはおのずからイッカなり
 大意は――あなたは学才も人格もすばらしい。はるばる日本にお越しいただきましたが、私たちは「方言」(日本語や朝鮮語などの民族語)が違うため、会話はできません。でも、それを残念がる必要はありません。世界の共通語である「斯文」による筆談で、まるで家族のように思いを語り合えるのですから。

cf.朝鮮通信使歴史館・キャラクター(外部リンク)

京劇と「呉大澂篆書論語」のコンセプト(設計思想)の類似性
「伯牛有疾子問之自牖執其手曰亡之命矣夫斯人也而有斯疾也斯人也而有斯疾也」
 下の二つの『論語』についてはこちらも参照
 この二冊は、どちらが「古い本」か?

 孔子の時代、まだ紙も楷書体も印刷も存在しなかった。紙に楷書体で印刷した『論語』は、後世の人間にとっては文字情報を伝達する媒体として有用だが、イメージ的には孔子の時代とかけはなれている。
 呉大澂(1835-1902)は篆書を使って『論語』を書いた。篆書体イコール「孔子の時代の魯の国の文字」ではない。が、楷書体より篆書体のほうが、いにしえの趣がある。
 楷書体と篆書体の関係は、中国語と京劇の舞台言語(特に「韻白」)の関係と、似ている。

cf.『論語』の言語は、意外に演劇的であり、京劇と通ずるところがある。
 まず状況は「ト書き」的で、形容詞は最小限におさえられている。
 孔子の言葉も、紀元前6世紀当時の口語体ではなく、演劇的な芸術性に富んだ独特の文語体である。例えば『論語』雍也第六の本文を見ると、ト書き的な部分は字数を切り詰めた簡潔な表現であるのに対して、セリフについては冗長性を恐れず、孔子の心理を示すために「矣夫」「也而」「也」など助辞も多く盛り込んだり、「斯人也而有斯疾也」をリフレインとして繰り返すなど、劇的な効果を計算している。


京劇は「中華世界の動く美術館」
京劇,舞台,撫順,歓楽園,昭和,1930年前後
この写真の解説はこちら

 京劇の歴史は18世紀末からだが、京劇の舞台上では「中国四千年の歴史」が再現される。
계산기정,薊山紀程,李海応,燕行録,演劇  京劇が成立した清朝時代は「華夷変態」後の時代であり、漢民族本来の伝統的な服飾文化や衣冠の礼制は演劇の世界の中でのみ、かろうじて保たれていた。
 現代人の起居座臥の動きや礼儀作法は西洋の影響が強い。京劇の舞台上では、演劇的に誇張されてはいるが、中国本来の古雅な美意識と礼儀作法が貫いている。
 例えば『論語』に何度も出てくる「趨」の足さばきは、現代中国人は行わないが、京劇の舞台上では「円場」の足さばきとして今も常用されている。
 京劇の舞台言語も同様で、現代中国語が失った「いにしえ」の言葉の特徴をいろいろと保存した、「白話」と「文言」(中国語と漢文)の中間のような特殊な言語である。語彙だけでなく、文法や発音も、普通の中国語とは違う。

  「天地大舞台、舞台小天地」「天円地方」
『漢書』芸文志:仲尼有言「礼失而求諸野」
 『三国志』巻三十・東夷伝;雖夷狄之邦,而俎豆之象存。中國失禮,求之四夷,猶信。

李海応『薊山紀程』(계산기정)十四日 (1803年)
清簟楼台絳帳垂セイタンのロウダイ、コウチョウたる。
城南大路匝胡児ジョウナンのおおじにコジめぐる。
王風委地求諸野オウフウはチにすてられ、これをヤにもとむれば、
礼楽衣冠尽在斯レイガクとイカンとは、ことごとくここにあり。
 清代、北京に派遣された朝鮮国の使節団の一員が、中国の町で詠んだ漢詩。
 大意は――清王朝が統治している今の中国は、もはや本当の中国ではない。今の中国では、民間人も役人も、髪は屈辱的な辮髪を強要され、服装も異民族風である。わが朝鮮国(李氏朝鮮)の官服が、明王朝までの中華風であるのとは大違いだ。中国本土では、いにしえの中華の伝統文化はすたれ、地に落ちた。だが、それがかろうじて残っている例外的な場所がある。中国の町の南の大路、辮髪をした連中がむらがって見物している芝居の舞台。いにしえの中華の礼楽や衣冠は、タイムカプセルのように、すべて芝居の舞台上に保存されている。

cf.江戸時代の日本人も朝鮮人も「異民族に支配されている清朝は、ほんものの『中国』ではない。自分たちこそ中華文明の真の継承者である」という自負心をもっていた。
 新井白石は来日した朝鮮通信使に日本の雅楽の舞台を見せて、日本にこそ「いにしえ」の中華文明の精粋が保存されていることを誇示した(こちら)
cf.参考 『薊山紀程』(계산기정)の記載
十四日(甲戌),朝陰,風。中前所二十七里,民人曹姓家午餐,膏水河四十五里,旗下張姓家宿。中前所城南門外,以自簟構二層屋,架設倡戲於前,觀者雲屯,有兩人裝以女子紅粧,其雲髻粉白,少不毫髮之殊,手持柄扇一把,凟而搖之,其聲作豔唱,其聲嫋嫋,雖不知為何語,而濃臉倩笑,蓮步輕盈,百般情態,眩人視瞻,此真以聲音笑貌為者也。翻然入絳帳中,又有白髮二老人,聯臂而出,其髮白者,亦假面也,一 𤥢 闊袖、團領、頭帽、腰帶,一應我國朝士之服,跪揖進退,皆中節奏,大抵胡兒見我國朝服之人,則必曰倡氏云者,蓋以此也,此等戲皆演椑史奇書,以一回所錄,作一場戲,戲訖而輒換以他面,故知者猶可摸捉名物,而不知者不解其何樣趣味,況我國人,則又不識其言語酬酌之妙處乎? 路傍有關帝廟,此亦大剎,又有所謂虫聖廟,意其享西陵氏、馬頭娘之類也。
清簟樓臺絳帳垂,城南大路匝胡兒,王風委地求諸野,禮樂衣冠盡在斯。


京劇「覇王別姫」
 詳しくは[こちらの頁も参照]。
 漢文の歴史書の記載。
司馬遷『史記』項羽本紀より
【原漢文】
 項王軍壁垓下。兵少食尽。漢軍及諸侯兵囲之数重。
 夜聞漢軍四面皆楚歌、項王乃大驚曰「漢皆已得楚乎? 是何楚人之多也!」。
 項王則夜起、飲帳中。有美人名虞、常幸従。駿馬名騅、常騎之。
 於是、項王乃悲歌慨、自為詩曰「
力抜山兮気蓋世、
時不利兮騅不逝。
騅不逝兮可奈何、
虞兮虞兮奈若何?
」。
 歌数闋、美人和之。項王泣数行下、左右皆泣、莫能仰視。
 於是項王乃上馬騎、麾下壮士騎従者八百余人、直夜潰囲南出、馳走。平明、漢軍乃覚之、令騎将潅嬰以五千騎追之。
【書き下し文】
 項王の軍、垓下に壁す。兵少なく食尽く。漢軍及び諸侯の兵、之を囲むこと数重なり。
 夜、漢軍の四面に皆楚歌するを聞き、項王乃ち大いに驚きて曰く「漢、皆已に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや」と。
 項王、則ち夜起ちて帳中に飲す。美人有り、名は虞、常に幸せられて従ふ。駿馬あり、名は騅、常に之に騎す。
 是に於て、項王乃ち悲歌慷慨し、自ら詩を為りて曰く、「
力、山を抜き、気、世を蓋ふ。
時、利あらずして騅逝かず。
騅の逝かざる、奈何とすべき。
虞や虞や若を奈何せん
」と。
 歌ふこと数闋。美人、之に和す。項王、泣数行下る。左右皆泣き、能く仰ぎ視るもの莫し。
 是に於て項王乃ち上馬して騎す。麾下の壮士、騎従する者八百余人。直ちに夜、囲みを潰して南に出でて馳走す。平明、漢軍乃ち之を覚り、騎将灌嬰をして五千騎を以て之を追はしむ。
【読みかた】
 コウオウのグン、ガイカにヘキす。ヘイスクなくショクツく。カングンオヨびショコウのヘイ、コレをカコむことスウチョウなり。
 ヨル、カングンのシメンにミナソカするをキき、コウオウスナワちオオいにオドロきてイワく「カン、ミナスデにソをエたるか。コれナンぞソヒトのオオきや」と。
 コウオウ、スナワちヨルタちてチョウチュウにインす。ビジンアり、ナはグ、ツネにコウせられてシタガう。シュンメアり、ナはスイ、ツネにコレにキす。
 ココにオイて、コウオウスナワちヒカコウガイし、ミズカらシをツクりてイワく、
チカラ、ヤマをヌき、キ、ヨをオオう。トキ、リあらずしてスイユかず。スイのユかざる、イカンとすべき。グやグや、ナンジをイカンせん」と。
 ウタうことスウケツ、ビジンコレにワす。コウオウ、ナンダスウギョウクダる。サユウミナナき、ヨくアオぎミるものナし。
 ココにオイてコウオウ、スナワちジョウバしてキす。キカのソウシ、キジュウするモノハッピャクヨニン。タダちにヨル、カコみをカイしてミナミにイでてチソウす。ヘイメイ、カングンスナワちコレをサトり、キショウカンエイをしてゴセンキをモッてコレをオわしむ。


「垓下歌」の京劇での歌い方について
 中国語では「唱歌」と「唱戯」は違う。根本にある発想が違うため、発声法や歌いかたも異なる。
唱戯京劇など以字行腔言葉のアクセントや抑揚にあわせてメロディーやリズムを微調整する。五線譜では表記不可能な「こぶし」や「声のかすれ」も重要な意味をもつ。日本の謡曲や詩吟、演歌に近い。
唱歌歌劇など以腔行字メロディーとリズムは楽譜どおりである。五線譜など楽譜からはずれすぎるのはよくないとされる。オペラのアリアなどに近い。
 若い人がよく知っている例でたとえると、アニメ映画『アナと雪の女王』の劇中歌「ありのままで」(松たか子)は「唱戯」のフィーリングにやや近く、エンディング(May J)は「唱歌」にやや近い。

【京劇での発音】
力抜山兮気蓋世li ba shan xi qi gai shiりー ばー シゃん しー ちー がい シー
時不利兮騅不逝shi bu li xi zhui bu shiシー ぶー りー しー ぢゅい ぶー シー
騅不逝兮zhui bu shi xi ko nai hoぢゅい ぶー シー しー こ ない ほー
虞兮虞兮奈若yu xi yu xu nai ruo hoゆぃ しー ゆぃ しー ない る゛(濁音)お ほー
  注)「可」「何」は、京劇では北京語と違って「コー」「ホー」のように発音する。

【京劇でのうたいかた】 五線譜 [こちら]も参照。 [MIDIで聴く]


【虞美人(虞姫)が詠んだ漢詩】
『楚漢春秋』(『史記』の注釈書『史記正義』(736)年に引く)にある虞美人が詠んだとされる漢詩。『史記』項羽本紀の「美人、之に和す」の『正義』の注…和音胡臥反。楚漢春秋云:「歌曰『漢兵已略地,四方楚歌聲。大王意氣盡,賤妾何聊生』。

漢兵已に地を略しカンペイすでにチをリャクし
四方 楚歌の声シホウ ソカのこえ
大王の意気尽くダイオウのイキ つく
賎妾何ぞ生を聊んぜんセンショウ なんぞセイをやすんぜん

「和項王歌」
 京劇『覇王別姫』で虞美人が歌う「楚歌」。京劇では、原文(『史記正義』)の「四方」を「四面」に、「大王」を「君王」に替えて歌う。旋律は、京劇の「哭相思」のふしまわしをアレンジしたもの。歌詞も旋律も、前3世紀のものではない。
漢兵已略地han bing yi lyuo diはん びん いー りゅお でぃー
楚歌声si mian cu ge shengすー みぇん つー がー シぇん
王意気尽jun wang yi qi zinじゅん わん いー ちー ずぃーん
賎妾何聊生zien cie ho liao shengずぃえん つぃえ ほー りゃお シぇーん
  注)京劇の発音では「略」「楚」「尽」「賎」「妾」「何」などの字は、北京語とやや違う発音になる。
 [MIDIで聴く]

ミニリンク
内部リンク
  1. 京劇城
  2. 漢詩を歌う
  3. 京劇・地方劇の歌詞
  4. 京劇の言語
  5. 明清楽資料庫
  6. 京劇「覇王別姫」を楽しむための講座
外部リンク
  1. 全国漢文教育学会
  2. 明治大学の京劇の授業「アジア文化B」魯大鳴先生
  3. 新潮劇院 東京の京劇団
  4. 楽戯舎 NPO京劇中心
  5. 東京京劇クラブ
  6. はじめての京劇鑑賞
  7. 民音 京劇の韻白に関する音響音声学的研究
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