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京劇の古い写真集


最初の公開 2010/09/01
 京劇および中国演劇に関係する古い写真や絵図をご紹介します。
 清朝時代の茶園(旧式劇場)のにぎわい。

 諸書に引用されている有名な絵。
 舞台の左右の柱には「金榜為名虚歓楽 」(科挙に合格、むなしい喜び)、「洞房花燭仮姻縁」(豪華な 挙式、うわべだけの婚姻)と、シニカルな対聯が書いてある。

 撫順の屋外舞台の写真。
 古い絵葉書、未使用。裏面には青紫のインクのスタンプ「宝庫撫順 4.5.16 視察記念」(原文は繁体字)が押してある。
 原タイトルは「THE CHINESE THEATRE DRAWING FULL HOUSE AT THE PLEASURE PLACE IN FUSHUN
(撫順)雑踏を極むる撫順歓楽園の支那(ママ)芝居」

【参考】撫順にあった「歓楽園」についいての説明。以下、『満州日報』1933(昭和8)年10月30日-11月1日「生産の合唱! 日満提携して響く産業行進曲 撫順の労働事情」の記事の一部を引用。 (出典は「神戸大学電子図書館システム」のこちらの頁より、2010/09/01閲覧)
「炭砿は大正十四年四月、新市街の西方に炭砿用地三万五千坪を画し満洲国工人の娯楽場として歓楽園を設けた、園内には花卉、草木を栽植して一般公園的設備を整え中央には規模の雄大にして壮麗な廟宇を建立し工人の尊崇篤き老君、関帝、財神、大神娘々の諸神を祭り神像は北平の名匠を招聘し塑像せしめた立派なものである、その規模の大きいことはまず全満一とほこっている、なおここには広大な劇場を設け無料で公開しているが、この機構をねらって附近には遊郭が密集し、そこには赤い灯、青い灯が明滅し、あやしげなウインクが流れる、ひねもす炭に黒こげした労働者もここへ来ると立派なスーちゃんになる―日毎、夜毎に深まるものはわしの想いと露夫堀―なンて夜毎夜毎に通いつめ、独身工人の大部分は収□の殆どをここではたいてしまう、出稼工人にとってこの歓楽園こそ唯一の心のウサの棄てどころである」
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