古代中国の人々は、「死」や「死後の世界」をどのように捉えていたのでしょうか。本講座では、甲骨文字や金文といった古代漢字の字源に着目し、墓葬や青銅器などの考古学的出土資料とあわせて、古代人の死生観を読み解いていきます。
たとえば「亞(亜)」という漢字は、建物や墳墓の基礎を十字型に掘り下げた形に由来します。実際、紀元前13世紀ごろの殷墟にある1001号大墓は、「亞」の字形に似た十字型の深い地下墳墓として築かれていました。
古代中国人は、人間には精神的な「魂(こん)」と肉体的な「魄(はく)」という二種類のたましいがあると考えました。人が死ぬと、魂は天に帰り、魄は地に帰ると信じられていたのです。したがって彼らは、「招魂」と「土葬」を非常に重視しました。遺体が五体満足の状態で土中に葬られ、子孫が「祭祀血食(さいしけっしょく)」の儀礼を絶やさなければ、その人は完全には死なない??このような死生観が共有されていたのです。
本講座では、「亞」「祭」「霊」「魂」「魄」「死」「葬」「古」などの字の成り立ちを紐解くことで、古代中国人の死生観を浮き彫りにします。豊富な図版を用い、中国史の予備知識がない方にもわかりやすく解説します。(講師・記)
『荘子』知北遊篇より
人之生,氣之聚也,聚則為生,散則為死。若死生為徒,吾又何患。 人の生くるは、気のあつまるなり。あつまればすなわち生と為し、散ずればすなわち死と為す。 若(も)し死と生と徒(とも)と為さば、吾れまた何をか患(うれ)えんや。 |
漢詩「薤露歌」(かいろのうた) 『古詩源』巻五より、無名氏の作 薤上露、何易晞。露晞明朝更復落、人死一去何時帰。 薤上(かいじょう)の露、何ぞ晞(かわ)き易き。露、晞くも明朝、更に復(ま)た落ちん。人、死して一たび去れば何れの時か帰らん。 余談 夏目漱石の小説『薤露行』(かいろこう)のタイトルは、この漢詩に由来。 |
司馬遷の歴史書『史記』始皇本紀の記述より引用
九月,葬始皇酈山。始皇初即位,穿治酈山,及并天下,天下徒送詣七十餘萬人,穿三泉,下銅而致槨,宮觀百官奇器珍怪徙臧滿之。令匠作機弩矢,有所穿近者輒射之。以水銀為百川江河大海,機相灌輸,上具天文,下具地理。以人魚膏為燭,度不滅者久之。二世曰:「先帝後宮非有子者,出焉不宜。」皆令從死,死者甚衆。葬既已下,或言「工匠為機,臧皆知之,臧重即泄,大事畢」。已臧,閉中羨,下外羨門,盡閉工匠臧者,無復出者。樹草木以象山。 九月、始皇を驪山(りざん)に葬った。始皇が即位した当初から、驪山陵の造営が開始された。始皇帝が天下を併合すると、天下から驪山に送られた労働者は七十余万人にのぼった。 地下深く、三つの泉の下まで掘り下げた地下空間を作り、銅を置いて槨の台とし、宮殿を造り百官の像を並ばせせ、稀少な器物や珍宝を地上から移して墓を満たせた。 工匠に機械式のいしゆみを作らせ、地面を掘って近づく者があれば射るようにした。 水銀を流して百の河川、長江、黄河、大海をジオラマのように再現し、機械仕掛けで水銀が自動的に流れつづけるようにした。 地下空間の天井には天文を再現し、床には地理を再現した。 「人魚」の脂をともし、半永久的に消えない火をともした。 始皇帝の息子で、あとをついだ二世皇帝は言った。 「先帝の後宮の女たちのうち、子のない者は、外に出すとまずい」 女たちは全員、殉死させられた。死者はとても多かった。 始皇帝の埋葬は終わった。ある人が進言した。 「機械を作った工匠たちは、陵墓の中身をみな知っています。副葬品は宝物なので、秘密が外に漏れたら、たいへんなことになります」 副葬品を安置する収蔵作業が終わり、地下空間から外に出る通路の羨門(せんもん)を閉じたあと、収蔵作業をしていた工匠が地上に戻る前に、外側の羨門もおろしてしまった。収蔵の工匠たちは一人残らず閉じ込められ、誰も出てこれなくなった。 その後、草や木を植えて、自然の山のようにした。 中の物の収蔵が終わって、途中の仙門を閉鎖した直後、外側の仙門も下ろしてしまい、工匠として収蔵に関わった者らはことごとく閉じ込められた。一人も出てくる者はなかった。 陵墓の上に樹や草を植えて、山のように見せかけた。 |
王充『論衡』論死篇
孔子葬母於防,既而雨甚至,防墓崩。孔子聞之,泫然流涕曰「古者不修墓」。遂不復修。 孔子、母を防に葬る。既にして雨甚だしくして、防の墓崩る。孔子、之(これ)を聞きて、泫然(げんぜん)として涕(なみだ)を流して曰く「古(いにしえ)の者は墓を修めず」と。遂に復た修めず。 |
唐の詩人・孟郊の漢詩(五言古詩)「弔国殤」
徒言人最霊 白骨乱縦横 如何当春死 不及群草生 堯舜宰乾坤 器農不器兵 秦漢盗山岳 鋳殺不鋳耕 天地莫生金 生金人競争 徒(いたづ)らに言ふ、人、最も霊なりと。白骨、乱れて縦横たり。 如何(いかん)ぞ春に当って死し、群草の生ずるに及ばざる? 堯舜(ぎょうしゅん)、乾坤(けんこん)を宰(さい)し、農を器(つく)りて兵を器らず。 秦漢(しんかん)、山岳を盗み、 殺(さつ)を鋳(い)て耕(こう)を鋳ず。 天地、金(きん)を生ずる莫(な)かれ。 金を生ずれば、人、競争せん。 自称「万物の霊長」の白骨が、野原に散乱している。 春なのに戦死。雑草でさえ生きられるというのに。 いにしえの堯舜(asahi20220113.html#01)は、農機具を作り兵器は作らなかった。 秦漢の帝国は大自然から資源を略奪し、農機具は作らず殺人兵器を製造する。 天地よ、金属資源を生むな。金属があると人は争うのだ。 |
[漢詩] 去者日以疎 去(さ)る者(もの)は日(ひ)に以(もっ)て疎(うと)し 漢 無名氏(むめいし) 去者日以疎 去(さ)る者(もの)は日(ひ)に以(もっ)て疎(うと)く 生者日以親 生(い)くる者(もの)は日に以て親しむ 出郭門直視 郭門(かくもん)を出(い)でて直視すれば 但見丘与墳 但(た)だ丘と墳(はか)を見るのみ 古墓犂為田 古墓(こぼ)は犂(す)かれて田(はたけ)と為(な)り 松柏摧為薪 松柏(しょうはく)は摧(くだ)かれて薪(たきぎ)と為(な)る 白楊多悲風 白楊(はくよう)、悲風(ひふう)多(おほ)く 蕭蕭愁殺人 蕭蕭(しょうしょう)として人を愁殺(しゅうさつ)す 思還故里閭 故(もと)の里閭(りりょ)に還(かへ)らんと思ふ 欲帰道無因 帰らんと欲(ほっ)するも、道、因(よ)る無し 死去した者とは一日ごとに遠ざかり、生きている者とは一日ごとに親しくなる。にぎやかな町の城門を出て、目をそむけず、まっすぐ前をごらん。見えるのは、土を盛り上げて作った墓ばかりだ。 古い墓は牛に鋤(す)きかえされて畑になり、永遠の命を象徴するために植えられた墓地の常緑樹さえ、たきぎにされてしまった。「きっとまた会える」という祈りをこめて植樹されたハコヤナギの枝に、寂しい風がまとわりついている。ヒュウ、ヒュウ、と、幽霊のようにすすり泣いてるよ。 (もとのお家(うち)に帰りたい! 帰りたいけど、もう、道が無い!……) |
『礼記』郊特牲より
凡祭,慎諸此。魂氣歸于天,形魄歸于地。故祭,求諸陰陽之義也。殷人先求諸陽,周人先求諸陰。 凡(およ)そ祭は、諸(こ)れを此(ここ)に慎(つつし)む。魂気(こんき)は天に帰し、形魄(けいはく)は地に帰す。 故に祭は、諸(こ)れを陰陽の義に求む。殷人はまず諸(こ)れを陽に求め、周人はまず諸(こ)れを陰に求む。 |
『礼記』檀弓下第四より 孔子謂「為明器者、知喪道矣。備物而不可用也(下略)」。 孔子謂へらく「明器を為(つく)る者は、喪の道を知れり。物を備ふるに、用ふべからざるなり(下略)」と。 孔子は言った。「明器を発明した古人は、喪の道を知っていた。実用品を死者に供えてはいけない」 |
『荀子』礼論篇第十九より 喪礼者、以生者飾死者也。大象其生、以送其死也。故如死如生、如存如亡、終始一也。 喪礼の本質とは、死者を、生きている人のように粉飾することだ。死者が生きていたときと同じ態度で、送ってあげるのである。つまり、 この人は死んでいるようでもあり生きているようでもあり、ここに居るようでもありここに居ないようでもある、という態度を始終つらぬくのだ。 |
故頭之円也、象天、足之方也、象地。天有四時・五行・九解・参百六十六日、人亦有四支・五蔵・九竅・参百六十六節。天有風雨寒暑、人亦有取与喜怒。故胆為雲、肺為気、肝為風、腎為雨、脾為雷、以与天地相参也、而心為之主。是故耳目者日月也、血気者風雨也。日中有[足歉烏、而月中有蟾蜍。日月失其行、薄蝕無光、風雨非其時、毀折生災、五星失其行、州国受殃。
故に頭の円なるや、天に象り、足の方なるや、地に象る。 天に四時・五行・九解(九野)・参百六十六日有り、人に亦た四支・五蔵・九竅・参百六十六節有り。 天に風雨寒暑有り、人に亦た取与喜怒有り。 故に、胆を雲と為し、肺を気と為し、肝を風と為し、腎を雨と為し、脾を雷と為し、以て天地と相参(まじ)はりて、心、之が主たり。 是の故に耳目は日月なり、血気は風雨なり。日中に[足歉烏(しゅんう)有り、月中に蟾蜍(せんじょ)有り。日月、其の行を失へば、薄蝕して光なく、風雨其の時に非ざれば、毀折して災を生じ、五星其の行を失へば、州国、殃(わざわひ)を受く |
白居易(はくきょい)の漢詩「李夫人」 谷口孝介「日本における漢詩の注釈・翻訳 ―「訓読」のちから、白居易「李夫人」を題材にして―」参照 漢武帝、初喪李夫人。夫人病時不肯別、死後留得生前恩。君恩不尽念不已、甘泉殿裏令写真。 丹青画出竟何益? 不言不笑愁殺人。又令方士合霊薬、玉釜煎錬金炉焚。 九華帳深夜悄悄、反魂香降夫人魂。夫人之魂在何許?香煙引到焚香処。既来何苦不須臾?縹渺悠揚還滅去。 去何速兮来何遅?是耶非耶両不知。翠蛾彷彿平生貌、不似昭陽寝疾時。魂之不来君心苦、魂之来兮君亦悲。 背灯隔帳不得語、安用暫来還見違。傷心不独漢武帝、自古及今皆若斯。 君不見穆王三日哭、重璧台前傷盛姫。又不見泰陵一掬涙、馬嵬坡下念貴妃。 縦令妍姿艶質化為土、此恨長在無銷期。生亦惑、死亦惑、尤物惑人忘不得。人非木石皆有情、不如不遇傾城色。 漢の武帝(asahi20201008.html#02)、初めて李夫人を喪えり。 夫人の病むとき別れを肯んぜず。死して後も生前の恩を留め得たり。 君恩は尽きず、念もまた止まず。甘泉殿裏に真を写さしむ。 丹青、画き出だすも、竟に何の益かあらん。 言わず笑わず、人を愁殺す。 又方士をして霊薬を合せしめ、玉釜に煎錬して金炉に焚く。 九華の帳は深くして夜は悄悄たり。反魂香に、夫人の魂を降す。 夫人の魂はいずれのもとにか在る。香煙、引きて焚香の処に到る。 既に来たるも、何ぞはなはだ須臾(しゅゆ)ならざる。 ?渺(ひょうびょう)、悠揚としてまた滅し去る。 去ることは何ぞ速くして来たることは何ぞ遅き。 是なるか非なるか、ふたつながら知らず。 翠蛾は?佛たり、平生の貌に。昭陽に寝疾(しんしつ)せし時には似ず。 魂の来たらざるとき君の心は苦し。魂の来たるとき君また悲し。 灯に背き帳を隔て語るを得ず。 何ぞ用いん、暫く来りて還た違うを見るを。 傷心は独り漢武帝のみにあらず。 古より今に及ぶまで皆、斯くの如し。 君見ずや、穆王(ぼくおう)の三日も哭して重璧台の前に盛姫を傷むを。 又見ずや、泰陵の一掬の涙もて馬嵬坡(ばかいは)の下に貴妃(20211109.html)を念うを。 たとひ妍姿艶質(けんしえんしつ)は土と化すとも、この恨は長く在りて銷(しょう)する期、無し。 生もまた惑い、死もまた惑う。 尤物(ゆうぶつ。うつくしい女性)は人を惑わせて忘れ得ざらしむ。 人は木石に非ず、皆、情有り。如(し)かじ、傾城(けいせい)の色に遇わざるに。 |
西郷隆盛の漢詩(七言律詩)「獄中有感」(獄中、感有り)
朝蒙恩遇夕焚抗 人生浮沈似晦明 縦不回光葵向日 若無開運意推誠 洛陽知己皆為鬼 南嶼俘囚独竊生 生死何疑天附与 願留魂魄護皇城 朝(あした)に恩遇を蒙り、夕べに焚抗(ふんこう)せらる。 人生の浮沈は晦明(かいめい)に似たり。 たとい光をめぐらさずとも葵(ひまわり)は日に向かう。若し開運無くとも意は誠を推す。 洛陽の知己は皆、鬼と為る。南嶼(なんしょ)の俘囚は独り生を竊(ぬす)む。 生死は、何ぞ疑わん、天の附与なり。願わくば魂魄を留めて皇城を護(まも)らん。 朝は厚遇されても夕方には迫害。人生の浮き沈みは昼夜の交代に似ている。 ヒマワリは日がささなくても太陽の方を向く。 私も運に恵まれずとも誠実第一に生きたい。 京都の同志たちは皆、国難に殉(じゅん)じた。 南の島の囚人となった私ひとりが生き恥をさらしている。 人間の生死は疑いもなく天から与えられるもの。 願わくば、私は魂魄を留めて天皇陛下の都をお守りしたい。 |
頼山陽の漢詩(五言古詩)「述懐」
十有三春秋 逝者已如水 天地無始終 人生有生死 安得類古人 千載列青史 十有三春秋。逝く者はすでに水のごとし。 天地は始終、無く、人生に生死、有り。 いずくんぞ古人に類して、千載(せんざい)、青史に列するを得ん。 13歳の今、人生を振り返ると、川の流れのように戻らぬ日々ばかり。天地は永遠だが、人生は生死があり有限だ。 どうしたら古人と並んで千年の歴史書に自分の名を残せるだろうか。 |