7月9日(火)から9月16日(月・祝)まで東京国立博物館で特別展「三国志」が開催されます。近年、曹操(155年-220年)の墓とされる「曹操高陵」の発掘をはじめ、三国志の時代の研究に新しい展開が見られます。本講座では「三国志」展にも出展される発掘成果の出土品をいくつか紹介しつつ、時代背景と、昔の生活の実像をリアルに再現する面白さと困難さについて解説します。「曹操高陵」の真偽をめぐる論争や、中国の名人芸レベルの贋作や盗掘の技、歴史学者と考古学者の仲の悪さなど、裏話にも言及します。中国史の予備知識のないかたも理解できるよう、映像資料も使ってわかりやすく解説します。 2019/7/13 土曜 10:30〜12:00 |
関尾史郎『三国志の考古学』副題「出土資料からみた三国志と三国時代」 (東方選書 52、2019/6/24)より引用
「はしがき」より引用。引用開始。 三国時代は、『三国志演義』とそのもとにもなった「正史」の『三国志』の存在感があまりに大きいためもあってか、出土資料への注目度はなかなか高くならない。本書はそのような傾向に抗って、副題に示したように、走馬楼呉簡をはじめとする出土資料を紹介しながら、それらを手がかりとして『三国志』と三国時代について考えてみたものである。取り上げた出土資料には三国時代(220〜280年)のものと断定できないものや、明らかに後代のものも含まれているが(略)、『三国志』と三国時代を考えるための史料としたことには変わりない。また主題にはあえて「考古学」の三文字を入れたが、取り上げた出土資料は全て考古学の発掘調査により出土したものばかりであるという理由によっている(一部に盗掘品を含む)。 「あとがき」より引用。引用開始。 というわけで、私の三国時代へのアプローチは、「正史」→出土資料→『演義』という順序をたどっている。これは歴史研究者のなかでも、『演義』→「正史」(→出土資料)というアプローチ派が多数を占めているようなので(近年は『演義』以前にさらにさまざまなメディアが用意されているようだが、残念ながらそれは私の理解を超えている)、まさしく少数派、それこそ異端である。だからであろう、歴史研究者の著作も、「正史」を含む編纂史料と出土資料も含む一次史料とを悉皆的に博捜した上でこの時代を論ずるのではなく、文学研究者のそれと同じように、「正史」と『演義』だけで論じて事足れりとするような風潮には(それが販売戦略であるにせよ)以前からひじょうに不満であった。手元にある渡邉義浩『三国志事典』を開いても、『演義』は出てくるが、走馬楼呉簡は出てこない。高陵の写真はあるが、朱然墓への言及はない(引用終了。以下省略)。 |
曹操の遺令 正史『三国志』魏書武帝紀より
天下尚未安定、未得遵古也。葬畢、皆除服。其将兵屯戍者、皆不得離屯部。有司各率乃職。斂以時服、無蔵金玉珍宝。 天下はなおいまだ安定せず。いにしえの礼を守ることはできない。私の葬儀が済んだら、みなすぐに喪服を脱げ。基地で働いている将兵は、持ち場を離れるな。役人は、平常どおり働け。遺体は平服で十分。黄金や宝石を副葬品とするな。 |