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  中国文学研究者の目から見た謡曲『邯鄲』の魅力についてのメモ
加藤 徹(明治大学法学部)
ホームページ http://p.tl/KFz1
【要旨】 東洋の古典文芸には、現代の若者が好むホラー映画やアニメと共通する趣向が、すでに洗練された形で見られます。
【例】 「ループもの(輪廻構造)」「パラレルワールド(並行世界)」「夢オチ」「メタ夢構造(劇中  劇、夢中占夢)」「2・5次元感覚(明器感覚)」「実は死でいたオチ(未知身是鬼)」・・・等々。
 私の専門は、中国の「京劇」です。大学の授業では、留学生も含む若い学生たちを相手に、京劇作品やアニメ作品の分析もとりあげます。
 われながら邪道だとは思いますが、謡曲『邯鄲』を京劇やアニメと比較すると、また別の新たな魅力を発見できるかもしれません。
  平成二十六年 五月二十九日(木) 観世能楽堂「第三回 観世会能楽講座」にて
 
   ★謡曲『邯鄲』の盧生の特異性★
漢文原典とは違う謡曲独自の「隠し設定」を考える。
 なぜ出身地が「蜀の国のかたわら」に設定されたのか?
 なぜ、蜀から楚へ行くのに、わざわざ遠まわりして邯鄲を経由するのか?
 なぜ、自分の顕在的願望とかけはなれた夢を見るのか?
 なぜ「邯鄲男」の面は特別なのか?(「高砂」「弓八幡」「養老」では神の顔)
 なぜ「望みかなへて帰りけり」なのか?
 なぜ、食事も取らず宿代も払わぬまま去るのか? (これは半分冗談です)
→謡曲の盧生の隠し設定について、ある仮説が浮かびあがる。
 
   ★「邯鄲の夢」の物語の伝承の系譜★







 
A群


 
中国古典文学           ※詳細は、本資料末尾の「別表」も参照
 沈既済(750頃〜800頃)の伝奇小説(唐代伝奇)『枕中記』
『湖海新聞夷堅続志』後集巻一「一夢黄粱」
 湯顕祖(1550ー1616)の戯曲(崑曲)『邯鄲記』
B群

 
日本古典文学
『太平記』巻二十五「黄梁
(ママ)午炊の夢の事」
『和漢朗詠集和談鈔』仙家「壺中天地乾坤外、夢裏身名旦暮間」漢文注
C群 謡曲『邯鄲』
             【参考】伊藤正義『謡曲雑記』「邯鄲」(和泉書院、1989)
 
 ABCの各群では夢の質が違う。ABはリアルだが、Cはファンタジックである。
 Aは「夢中寵辱」で、リアルな並行世界(もう一つの現実)で成功と挫折をドラマチックに体験する夢。Bは「夢中栄達」で、順調に自己実現を果たす夢。
 Cは「帝王遊仙」で(【参考】松沢佳菜「謡曲《邯鄲》小考―遊仙枕説話との関わりを中心に―」同志社国文学、2006)、「来し方行く末の悟り」と結びついた幻想的な夢。
 
 謡曲『邯鄲』の詞章には、他の唐ものの謡曲作品共通の趣向が多い。例えば「雲龍閣」「阿房殿」(謡曲『天鼓』と共通)、「不老門の前には日月遅し」(謡曲『鶴亀』=『月宮殿』「不老門にて日月の光を天子の叡覽にて」。元詩は『和漢朗詠集』祝の慶滋保胤の漢詩「長生殿裏春秋富、不老門前日月心」)、不老不死の「菊の杯」(『菊慈童』および『太平記』巻第十三の漢籍由来故事)など。
 謡曲『邯鄲』の「楚国の帝」は、隠しイメージとして唐の玄宗皇帝(梨園の神)を下敷きにしている。漢文原典『枕中記』の時代設定は玄宗の治世・開元七年(719)である。
 この他、『太平記』や『平家物語』など音読文学との関連も暗示される。
C 謡曲『邯鄲』 B 『太平記』巻二十五
蜀(地名。三国志の蜀漢の故地)        ←
楚国の羊飛山(架空の地名)          ←
楚国の帝(みかど)              ←
漢朝(時代名)
ヨウキザン(楊亀山。人名)
楚国のコウオウ(侯王)
 
   ★用語解説1 能楽のコンセプトと中国文学の発想の類似性★
 
【再話文学】
 古典作品の原話を再構築した再話文学では、作者がオリジナリティを出すため大胆な改作を加えることもある。漢文原典『枕中記』に対する湯顕祖の昆劇(崑曲)『邯鄲記』、芥川龍之介の短編小説『黄粱夢』など。また、謡曲『邯鄲』に対する三島由紀夫『近代能楽集』「邯鄲」など。
 
【次元の魔】
 芸術作品を本来の「次元」から別の次元に改作すると往々にして失敗作になる。例えば、小説で読むと面白いのに実写化するとつまらなくなる作品があるのは「次元の魔」というメカニズムのせいである。
 漢文原典(言語芸術)は1次元芸術だが、能楽などの舞台芸術は「2・5次元芸術」である。現実界は3次元、幽冥界は4次元である。
 
【明器感覚】
 神霊に対する畏怖の念から、あえて写実性を抑制する感覚。明器とは、死者のための非写実的な副葬品である「塗(と)(しゃ)(すう)(れい)」(色を塗った模型の車や、草で作った人形)の類を指す。
 孔子は、生きた人間そっくりの人形「俑」を死者に供えることに反対した(『礼記』)。
 ■『礼記』檀弓下第四より
孔子謂「為明器者、知喪道矣。備物而不可用也(下略)」。
 孔子謂へらく「明器を為(つく)る者は、喪の道を知れり。物を備ふるに、用ふべからざるなり(下略)」と。
 孔子は言った。「明器を発明した古人は、喪の道を知っていた。実用品を死者に供えてはいけない」
 古代人は、神霊が住まう幽冥界に対して、あこがれと恐怖の両方の感情をもっていた。
 死者に実用品や「写実的なもの」を供えると、冥界と顕界の境界線が曖昧になり、神霊のパワーがこの世にまであふれてきてしまう、という根源的な恐怖感を、昔の人間はいだいていた。明器は、現実界のモノやヒトの形をまねしつつ、サイズやプロポーション、色彩、材質などの面で、わざと「非写実性」を加える。明器は供養の品であると同時に、神霊のパワーがこの世にあふれてこないようせきとめるための防波堤でもあった。
 能面をわざと人間の顔より小さめに作る理由や、京劇の関羽(関羽は道教神の神でもある)のくまどりの「破(は)(れん)」のコンセプトには、古代の明器感覚の名残がある。
 
【如死如生】
 古代の喪礼のコンセプト。中国の古典劇は、舞台用語「鬼門道」や書籍『録鬼簿』、楽隊編成や演技のコンセプトなど、鬼(キ。死者の霊。オニではない)と関係が深い。
 ■『荀子』礼論篇第十九より
喪礼者、以生者飾死者也。大象其生、以送其死也。故如死如生、如存如亡、終始一也。
 喪礼の本質とは、死者を、生きている人のように粉飾することだ。死者が生きていたときと同じ態度で、送ってあげるのである。つまり、この人は死んでいるようでもあり生きているようでもあり、ここに居るようでもありここに居ないようでもある、という態度を始終つらぬくのだ。
 
【衆生は夢魂なり】
 金聖歎(1608ー1661)が、元雑劇の最高傑作『西廂記』の評の中で述べた語句。
 ■金聖歎『第六才子書』(西廂記)四之四「驚夢」より
 今夫天地夢境也、衆生夢魂也。無始以来我不知其何年斉入夢也、
無終以後我不知其何年同出夢也。
 今夫(そ)天地は夢境なり、衆(しゅ)(じょう)は夢魂なり。無始以来、我は其れ何(いづ)れの年より斉(ひと)しく夢に入れるかを知らず。無終以後、我は其れ何れの年に同じく夢より出づるかを知らず。
 謡曲『邯鄲』の詞章「憂き世の旅に迷ひ来て、夢路をいつと定めん」の意味内容は、右の漢文と同じである。
 
【夢中占夢】
 「メタ夢」構造のこと。「夢を占う夢を見た。目がさめたあと考える。いま見た夢は吉か凶か。『夢を占う夢』を占う今の自分は、現実なのか夢なのか」という「メタ夢」の無限ループ構造は、老荘思想や、仏教の「無記」の哲学とも通底する。
 ■金聖歎『第六才子書』(西廂記)四之四「驚夢」より
 夢之中又有夢、則於夢中自占之、及覚而後悟其猶夢焉、因又欲占夢中占夢之爲何祥乎。
 夢の中に夢有れば、則ち夢の中に自(みづか)ら之を占ふ。覚むるに及びて後に、其れ猶ほ夢のごとしと悟るなり。因りて又、夢中に夢を占ふの何の祥為(た)るかを占はんと欲するか。
 謡曲『邯鄲』の夢は、主人公は夢の中で帝王となり遊仙体験(一種の夢)をする、という「夢中夢」的な夢であり、それが演じられる能舞台もまた幽玄で夢のようである。
 
【未知身是鬼】
 現代のサブカル作品によくある「自分は生きていると思いこんでいたが、実はすでに死んでいた」という「実は死んでいたオチ」の趣向は、すでに古典文芸でも見られる。
 ■曹(そう)?(ぎょう)(816ー875)の漢詩「呉宮宴」
 呉宮城闕高、竜鳳遥相倚。四面鏗鼓鍾、中央列羅綺。春風時一来、蘭麝聞数里。
 三度明月落、青娥酔不起。江頭鉄剣鳴、玉座成空塁。適来歌舞処、未知身是鬼
 呉宮 城(じょう)(けつ) 高し、竜鳳 遥かに相倚る。四面 鼓鍾 鏗(こう)たり、中央 羅綺を列(つら)ぬ。春風 時に一たび来たり、蘭(らん)(じゃ) 数里に聞(きこ)ゆ。三度 明月落ち、青娥 酔ひて起たず。江頭 鉄剣鳴り、玉座 空塁と成る。適(たま)?(たま)来たる 歌舞の処(ところ)未だ知らず 身は是れ鬼(き)なるを
 吉川幸次郎他編訳『唐詩選』(筑摩叢書203 1973/1988)の訳では、
江のほとりに鉄剣が鳴ると/饗宴の座はからっぽの土塁と化した/なにかの拍子で その歌舞の跡へやってくると/このおれまで幽霊になったのに気がつかぬ
 ■鐘嗣成(1279?〜ー1360?)『録鬼簿』序より
 人之生斯世也、但知以已死者為鬼、而未知未死者亦鬼也。酒甕飯?
或醉或夢、塊然泥土者、則其人雖生、与已死之鬼何異。(下略)
 人の斯(こ)の世に生くるや、但だ、已(すで)に死せる者を以て鬼と為すことを知るのみ。而も未だ、未死者も亦(ま)た鬼なることを知らざるなり。酒(しゅ)(おう)・飯?、或は醉ひ或は夢み、塊然として泥土たる者、則ち其の人は生くると雖(いへど)も、已死(いし)の鬼と何ぞ異ならん。
 この世で生きている人は、すでに死んだ者が幽霊(鬼)であることを知っているだけで、まだ死んでいない者もまた実は幽霊であることは気づいていない。酒がめと飯袋のような人、酔って夢みて、土くれのかたまりであるような人は、生きていても、すでに死んだ幽霊と何の違いもない。
 
   ★用語解説2 謡曲『邯鄲』と中国文学の関連★
 
【盧生】
 盧は姓、生は「男」の意(盧姓の男)。漢文原典『枕中記』では、枕の持ち主である道士の人名は「呂翁」(呂姓の老人)。「盧」と「呂」は近音で、この人名の対比は暗示的である。なお史実では、盧生は始皇帝を手玉にとった方士の名前でもある(司馬遷『史記』)。
 
【道仏混淆】
 道仏習合、仙仏混交とも言う。漢文原典『枕中記』は道教的だが、謡曲『邯鄲』は道仏混淆である。
 
【邯鄲】
 現在の中華人民共和国河北省邯鄲市。春秋戦国時代には趙国の都として繁栄。邯鄲に由来する故事成語も多い。漢文原典『枕中記』の唐の時代にはさびれた宿場町となっていた。
 ■「邯鄲の歩み」「刎(ふん)(けい)の友」「奇貨置くべし」・・・
  「邯鄲の夢」「邯鄲の枕」「盧生の夢」「一炊の夢」「黄粱一炊の夢」
 
【蜀】
 現在の四川省あたり。西の辺境。成語「蜀犬、日に吠ゆ」や、日本の黄泉比良坂(島根県)ないし恐山(青森県)にあたる「?都鬼城(現在の重慶市豊都県)」があることでも有名。
 
【楚】
 現在の湖北省・湖南省を中心とする広大な南の辺境。古代の楚国の辞賦文学『楚辞』は遊仙文化の淵源の一つ。
 
【帝王遊仙】 
 「遊仙」は、人間が一時的に俗世を離れて神仙世界を遊歴するという、中国文化のモチーフの一つ。その中でも、人間界の栄華をきわめた君主が不老不死の神仙の世界を垣間見るという遊仙説話の趣向を、特に「帝王遊仙」と呼ぶ。
 西王母と会った周の穆王(穆天子伝)や漢の武帝(漢武帝内伝、黄帝素女経)、月の宮殿に遊んだり遊仙枕を入手した唐の玄宗、女神と交わる「巫山の夢」を見た楚の懐王、龍に乗って昇天した太古の黄帝(列仙伝)、等の説話は、特に有名。
 盧生の夢を帝王遊仙として描く脚色は、謡曲『邯鄲』のオリジナルである。
 
【遊仙枕】
 玄宗の遊仙説話に登場する魔法の枕。名利の心を消す作用もある。漢文原話「邯鄲の枕」は「遊仙枕」ではないが、謡曲『邯鄲』の作者は枕の機能を改変した。
 ■五代・王仁裕『開元天宝遺事』遊仙枕 
 亀茲国進奉枕一枚、其色如瑪瑙、温温如玉、製作甚朴素。枕之寝、
則十洲、三島、四海、五湖尽在夢中所見、帝因立名為遊仙枕。

 
 ■元・張可久(1270頃ー1348頃)「閲金経·訪道士」曲より
尋洞天深又深、遊仙枕、頓消名利心
 
【月人男】
 謡曲『邯鄲』の詞章「月人男(つきひとおとこ)の舞なれば、雲の羽(は)(そで)を重ねつヽ、喜びの歌を、謡(うと)ふ夜もすがら」は、唐の玄宗皇帝の月宮遊仙説話を下敷きにしている。
 楽史(930ー1007)の伝奇小説『楊太真外伝』に引用する「霓(げい)(しょう)(う)(い)(きょく)」の起源説話二種のうちの一つによると、玄宗は道士の導きで天上の月宮殿に遊び、そこで聞いた
天女の舞楽を忘れられず、地上に戻ってから霓裳羽衣の曲を作ったという。
 ■楽史『楊太真外伝』より
 又『逸史』云:羅公遠天宝初侍玄宗、八月十五日夜、宮中玩月、曰「陛下能従臣月中遊乎」。乃取一枝桂、向空擲之、化為一橋、其色如銀。請上同登、約行数十里、遂至大城闕。公遠曰「此月宮也」。有仙女数百、素練寛衣、舞于広庭。上前問曰「此何曲也」。曰「霓裳羽衣也」。上密記其声調、遂回橋、却顧、随歩而滅。旦諭伶官、象其声調、作霓裳羽衣曲。」
 右の説話は『十訓抄』第十篇でも紹介されている。
 
(平成二十六年五月二十九日)
 
   ★中国古典の「邯鄲」の物語の系譜【別表】★
 「邯鄲の夢」にまつわる小説や芝居は、現在も再生産され続けている。中国の歴代の作品の中では、唐代伝奇『枕中記』と明代の戯曲『邯鄲記』が白眉である。
【小説】
 南朝宋の劉義慶『幽明録』焦湖廟祝(まだ「邯鄲」ではない)、唐の沈既済『枕中記』(「邯鄲の夢」の出典)、宋代話本『黄粱夢』、『太平広記』中の「呂翁」「純陽帝君神化妙通紀」、『湖海新聞夷堅続志』後集巻一「一夢黄粱」、蒲松齢『続黄粱』、『黄粱続夢』、『反黄粱』、『黄粱夢』等。
【戯曲】仙人になる前の呂洞賓が「八仙」の鍾離権(漢鐘離)によって仙道に導かれる話(呂洞賓は『枕中記』の盧生の役回り)や、仙人になったあとの呂洞賓が盧生を導く話(呂洞賓は『枕中記』の「呂翁」の役回り)など、呂洞賓が出てくることが多い。
 元雑劇は『開壇闡教黄粱夢』、『呂洞賓黄粱夢』、馬致遠の『邯鄲道省悟黄粱夢』等。
 明曲は、湯顕祖「玉茗堂四夢」の中の『邯鄲記』が最も有名。その他にも、谷子敬『邯鄲道盧生枕中記』、無名氏『呂翁三化邯鄲店』、車任元の南雑劇『邯鄲夢』、蘇漢英の伝奇『呂真人黄粱夢境記』、徐霖の『枕中記』等。