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科挙と儒教
中華帝国の存続を支えたイデオロギー装置
最新の更新2025年10月3日 最初の公開2025年10月3日
朝日カルチャーセンター新宿教室 公式サイトより
2025/10/4 10:30〜12:00
以下、https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=8399831 より自己引用。
紀元前3世紀の始皇帝の秦から20世紀初めに滅亡した清王朝まで、歴代の「中華帝国」の皇帝は、臣民を物心両面で支配することに腐心しました。
臣民を政治や法律など外面から支配するだけでなく、思想や倫理道徳など内面からも支配することが、皇帝の目標です。
高級官僚登用試験である科挙は、試験勉強で知識人の頭をいっぱいにすることで自由な思想が生まれる芽をつみとる、巧妙な支配装置でした。
科挙の思想的支柱として悪用されたのは、孔子の儒教でした。科挙と儒教という巧妙な支配装置により、中華帝国という統治システムは、古代から近代まで持続しました。
豊富な図版を使い、予備知識のないかたにもわかりやすく解説します。(講師・記)
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-lWgIKS7RlOvCYpMQnPKGXq
VIDEO
○ポイント、キーワード
国家 こっか
国と家。諸橋轍次『大漢和辞典』の「國家」の項では、
(1)くに。王室と国土。(2)天子。王。(3)諸侯の国と卿大夫の家。(4)現在の朝廷。(5)一定の地域に居住する多数人から成り、統治権によって組織せられている国体。領土・人民・統治権が、その概念の三要素とされている。
という5つの意味を、用例とともに挙げている。
ちなみに、ルイ14世が言ったとされる「朕は国家なり」のフランス語原文は“L'État, c'est moi”(レタ・セ・モア)で、
英訳は“I am the state ”、
中国語訳は“朕即国家 ”(Zhèn jí guójiā)、
韓国語訳は“짐은 국가 (國家)이다”である。
修身斉家治国平天下 しゅうしん せいか ちこく へいてんか
儒教の根本思想。
中華帝国 ちゅうかていこく
紀元前3世紀の始皇帝の秦から、1912年に滅亡した清まで、中国を支配した一連の歴代王朝を総称する言葉。
ただし、国号としての「中華帝国」(1915年12月12日〜1916年3月22日)は短命に終わった袁世凱の帝政の自称である(国際的な承認を受ける前に取り消し)。
ドイツの哲学者ヘーゲル(1770-1831)は中華帝国を「持続の帝国」(Ein Reich der Daue)と呼んだ。世界史上、本格的な帝国は、紀元前千年紀からである。
西アジア 新アッシリア帝国 紀元前911−前609
インド マウリヤ朝 前322-前185頃
中国 秦(始皇帝の帝国) 前221−前206年
欧州 ローマ帝国 前27 - 1453
このうち、秦に始まる中華帝国だけが、20世紀まで生き残った。現在の中華人民共和国も「中央集権、統一至上主義、人間を内面と外面から支配、中華思想」を特徴とする点で、中華帝国のDNAを継承している。
散逸構造 さんいつこうぞう
散逸構造(dissipative structure)は物理化学の用語で、熱力学的に平衡でない状態にある開放系構造を指す。 生物も国家もろうそくの火も台風も、科学的に見れば散逸構造的な現象である。
古人主義 こじんしゅぎ
加藤徹の造語。西洋人の個人主義に対して、中国人は古人主義である。古人主義を儒教として集大成したのが孔子である。
儒教 じゅきょう confucianism
孔子(前552/551-前479)を始祖とする学問と宗教にまたがる思潮体系。
中国人自身は「儒教」という名称をあまり使わず、
近代以前は「礼教」「名教」、近現代は「儒家」「儒学」「孔孟思想」などと呼ぶ。
儒教は宗教の1つであり、儒教の「非行動的禁欲」というエートスが中国の歴史を決定づけた。
cf.江戸時代の幕府は「儒学」は奨励したが「儒教」は弾圧した。例「儒者捨場」
焚書坑儒 ふんしょこうじゅ
始皇帝が行った思想統制を象徴する四字熟語で、結果的に失敗した。中華帝国は、漢の武帝以降、国家教学としての儒教を採用することで、永続性を獲得した。
士大夫 したいふ
「官吏」のうち「官」の人材源となる中間支配階層。時代によって実態や意味用法は変化してきた。
古代には天子、諸侯、大夫、士、庶民の5階級のうちの大夫と士をあわせたもの。孔子も士大夫だった。
漢から三国志の時代には、士族と称せられた世襲的な名士階層があらわれた。諸葛孔明もこれ。
隋唐時代に科挙官僚が登場すると、士大夫階層は科挙官僚の供給源となり、科挙の試験勉強のためもあって「読書人」の傾向がますます強まった。
清の滅亡後、士大夫は消滅し、近代的な「知識人」「知識分子」が官僚層の供給源になるようになった。
諸葛孔明は、孔子とならび、東アジアの儒教的な「士」の典範とされてきた。
日本の武士は、江戸時代から中国的・儒教的な「士」(士大夫)に作り替えられた。
科挙 かきょ
598年、隋の文帝の時代に始まり、清末の1905年まで約1300年間、中国の歴代王朝が行った官吏登用試験の制度。
内容は、国家が指定した儒教的古典の「つめこみ教育」である。
有名な合格者は、白居易 asahi20230713.html#04 、蘇軾 asahi20240411.html#05 、朱子 asahi20250109.html#04 、
文天祥 asahi20250410.html#04 、林則徐 asahi20240111.html#06 、李鴻章 20210708.html#05 、等々。
著名な不合格者は、杜甫 asahi20250109.html#03 、黄巣 asahi20250710.html#04 、洪秀全 asahi20231012.html#05 、等々。
科挙の試験制度は時代によって異なるが、清代では、
童試 予備試験その1。合格者は「秀才」と呼ばれる
歳試 予備試験その2。合格者は「挙子」と呼ばれる
郷試 本試験その1。合格者は「挙人」と呼ばれる。首席合格は「解元」。
会試 本試験その2。合格者は「進士」と呼ばれる。首席合格は「会元」。
殿試 皇帝みずからが試験管となる最終面接試験。首席合格は「状元」。
であり、進士になれるのはおおむね数千人に一人であった。
挙人になればたいしたもので、地方の名士として一目置かれ、そのまま有力者の幕僚になることもあった。
ちなみに、麻雀用語の「大三元」の語源は、解元・会元・状元という説がある。
高考 ガオカオ
現代中国の全国統一大学入学試験の通称で「普通高等学校招生全国統一考試」の略称。毎年6月に行われる。現代版の科挙である。
○略年表
○その他
日本では神道・儒教・仏教の3つの思想・宗教をまとめて「神儒仏(しんじゅぶつ)」と呼ぶ。この3つはどれも水と油のような思想であり、「習合」はしても「融合」はしなかった。
江戸時代の日本人は学問教養としての「儒学」は受け入れたが、宗教としての「儒学」は拒否した。
日本では儒者も葬儀は仏式(!)が普通で、あえて儒教式の墓を作ると、その後は社会的に見捨てられた。今も残る大塚先儒墓所(儒者捨場)はその一例。
日本は遣唐使の時代から中国の文物制度を熱心に学んだが、中国の科挙・宦官・城郭都市・纏足(てんそく)などは取り入れなかった。
平安時代から室町時代まで行われた「方略試」を日本版科挙と見なす説もあるが、規模も影響力も中国の科挙とは比較にならなかった。
以下、饒村曜「国公立大学後期試験の天気は曇りのち雨 菅原道真は東日本大震災級の貞観地震翌年の試験を「中の上」で合格」2023/3/11(土) 4:00 https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/6366c5ceb782cb1a81f426f704448c2765f7b495 より引用。閲覧日2025年10月3日。引用開始
今から1153年前の貞観12年(870年)3月23日、後に学問の神様となる菅原道真(当時26歳)が、方略試(ほうりゃくためし)という、最高位の官吏試験を受けています。
220年間に65人しか合格していない非常に難しい試験ですが、合格の最低点である「中の上」で合格 しています。
地震について論ぜよ
菅原道真が方略試を受けた貞観12年(870年)の試験問題は、「氏族を明らかにせよ」と「地震について論ぜよ」の2つで、ともに1000字程度の漢文で解答するものでした。
このうち、地震の問題が出題されたのは、前々年の播磨国地震、前年の貞観地震と大きな被害を出した地震が相次いだからです。
播磨国地震は、貞観10年7月8日(868年8月3日)に播磨の国府が置かれていた兵庫県姫路市付近の直下型地震(山崎断層)で、「日本三代実録」には、諸郡の官庁や寺院の堂塔が「皆尽(ことごとく)く頽(くず)れ倒れき」とあり、3500人位が死亡したと推定されています。
平成7年(1995年)1月17日に神戸市付近の直下(野島断層)で発生し、6000人以上が死亡した兵庫県南部地震と比べると、山城の国(現在の京都府)付近の被害の記録もあることや当時の人口密度などを考えると、播磨国地震の方がより大きな地震と考えることができるでしょう。
貞観地震は、東日本大震災をもたらした東北地方太平洋沖地震と似ている地震で、貞観11年5月26日(869年7月13日)に、大きな地震と津波の被害が発生しています(表)。
貞観12年(870年)の試験問題の出題者は都良香(みやこのよしか)で、道真の解答と共に良香の講評と採点結果も残されています。
問題と解答、講評と採点が揃って現存していることは極めて珍しく、さすが菅原道真ということでしょうか。
それによると、菅原道真は、地震の原因を、儒教、道教、仏教に関する該博な知識を駆使して論じています。
儒教では、君主に対する戒めで発生するとしていますが、貞観地震については触れず、中国の地震で説明しています。
この理由は、貞観地震に言及すれば、儒教的には為政者の失政の結果であることから、今上天皇(清和天皇)の批判になりかねないからだと思われます。
また、道教では、陸が海の上に浮んでいて、陸を支える15匹の大亀が時折交代することによって地震が生じると説明しています。
さらに仏教では、大地の下に水があり、その下に風があることから風が地震を起こすと説明しています。
加えて、地震動の伝搬に関しては、雷鳴を聞いて鳥が鳴く例を使って説明しています。
勿論、地球南部のマントル対流によって地表のプレートが動き、そのプレートが衝突するところで地震が発生するというプレートテクニクスに基づく現在の地震論からは、遠く離れていますが、中国の最新の学問をよく知ったうえで、漢文という外国語で書いた解答です。
ちなみに、道教と仏教では、大地が何者かの上に乗っかっていて、その何者かによって地震が発生するということであるので、この何者かをマントルだとすれば、プレートテクトニクスになるといえないこともありません。
そして、「文章は彩を成し、文体には観るべき点が有り、筋道はほぼ整っている」ことなどから、合格最低基準の「中の上」で合格となっています。
朝鮮王朝(李氏朝鮮)は中国より早く1894年に科挙を実質的に廃止し、ベトナムは中国よりも遅く1919年に科挙を廃止した。
中国の歴代王朝は、外廷と内廷(後宮)から成り立っており、両者の組織は儒教的なヒエラルキー(階層性)を採用していた。
詳しくは、加藤徹『後宮 殷から唐・五代十国まで』および『後宮 宋から清末まで』(ともに角川新書 book.html#koukyuu )を参照。
以下は、加藤徹『後宮 宋から清末まで』のあとがき。
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