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近世福建系音楽の日本伝来と演歌の誕生   ──楽曲の実演も交えて

明治大学 リバティアカデミー 特別展開催記念講座
「東アジア・海のシルクロードと“福建”」
2009-5-8 最新の更新 2009-5-9 明治大学教授 加藤徹
目次 [はじめに]  [長崎来舶唐人]  [漳州曲]  [茉莉花]  [九連環]  [関連項目]
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オープン講座: 特別展開催記念講座
「東アジア・海のシルクロードと“福建”」

日時:2009.5/8(金)開場12:30
   13:00 ─ 17:00
会場:明治大学アカデミーホール
   (JR御茶ノ水駅下車徒歩3分。
   「アカデミーコモン」3階)

司会・コーディネータ:氣賀澤保規
   (明治大学教授)
講演1 世界遺産・福建土楼と客家の世界
  加藤千洋(朝日新聞編集委員
     ・明治大学兼任講師)
講演2 琉球使節団の「唐旅」と福建
  渡辺美季(東京大学助教)
注意:村井章介先生から渡辺先生に変更になりました】
講演3 近世福建系音楽の日本伝来と演歌の誕生
  ──楽曲の実演も交えて

  加藤徹(明治大学教授)

受講料:一般1,000円 明大生・関連会員は無料
  受講されると同時開催中の「特別展」の入場料(500円)が無料になります。
お問い合せ・お申し込み等
  リバティアカデミー事務局
  電話 03-3296-4423
詳しくは 同講座のチラシ http://academy.meiji.jp/ccs/pdf/S0915.pdf
※PDFなので少し重いです。
[当日配布予定のプリント原稿(htmlテキスト)]

はじめに
○ ヒトの交流、モノ・カネの交流、コトの交流
○ 江戸時代の日中間の交流:長崎〜寧波  那覇(琉球王国)〜福州
○ 寧波は浙江省に位置するが、船員は「閩北幇」なかんずく福清人が多かった。
○ 来舶唐船の船主(富商階層)の多くは「南京人」(江南出身者)、財副(中間管理職)は福州人、一般船員(肉体労働者)は福建人(その半数は福清人)。
大田蜀山人『瓊浦雑綴』より
「唐船の船主は多く南京人にて、財副は福州人多し。故に福州の語は南京人に通ぜざる事多し。 されば福州人より南京人に対話するは、官話を以て談ず。 俗語にては通しがたしと、唐通事周文二右衛門の話」
「乙丑二月二日唐館に戯場ありとききて行て見る。(中略) 今日は福州のものの戯をなす故に南京人にもわかりがたしといふ」(こちらも参照)
○ 南京人は日本の文人階層と、福建人は日本の庶民階層と交流
○「福建音楽」:福建固有の芸術音楽というニュアンス←→「福建系音楽」:福建人が好んだ外来の俗曲も含む
○長崎三福寺(長崎四福寺)
 名 称俗称 信 徒創建 備考
興福寺(こうふくじ)南京寺「南京人」(浙江省・江蘇省出身者)1624
福済寺(ふくさいじ)漳州寺閩南系(漳州・泉州出身者)1628原爆で消失
崇福寺(そうふくじ)福州寺閩東系(福州出身者)1629魏之琰、僧一圭
聖福寺(しょうふくじ)唐寺3ヶ寺の目付寺1677
  cf.「南京歌」「漳州踊」……
○ いわゆる「鎖国体制」の再評価
  「政冷経熱」で何が悪いか  ナショナリズムや国格意識は薄かった  日清戦争(1894-95)の以前と以降
  国家によって抹殺された中国伝来音楽流行の記憶

[
長崎来舶唐人]
「福建会館・天后廟」(長崎市館内町)。

海外叙郷情、難得扶桑如梓里

天涯崇廟祀、況承慈蔭到蓬瀛

 カイガイにキョウジョウをのぶれば、えがたし、フソウはシリのごとし。

 テンガイにビョウシをあつくすれば、ここにジオンをうけてホウエイにいたる。

長崎唐館交易図説 渡辺秀詮(1736〜1824)筆

 唐人部屋の広さは、大体において、一部屋27〜28坪、ないし30坪足らずであったようだ。二階には船主(頭)、脇船頭、財副、総管など一船の幹部たちと主な客唐人たちが住み、階下には一般乗組員らが入居していた。一般の唐人数からいうと、1坪あたり1〜2人ということになり、乗組員が多いときはさらに窮屈になったようである。(こちらを参照)

陸明斎、浄瑠璃を習う
『長崎名勝図絵』より
唐人と遊女の合奏
『長崎名勝図絵』より
左の拡大図


南方の小型の箏を弾く唐人と、
三味線を弾く遊女。
 唐人は元来が歌舞音曲とか宴会が好きな国民であって、その上、遊女とはいうものの女性との交情もある程度は自由であったから、極端な言い方をするならば、その在留期間(ふつう三ヶ月から六ヶ月)のあいだは、商売と遊興にあけくれて、それ以外は「没法子」の境地に徹せざるをえなかったとも考えられる。(こちらを参照)


[
漳州曲]
【楽譜一】MIDIで聴く  [C調]  [D調(1)]  [D調(2)]
歌詞は『亀齢琴譜』(1832ごろ)、旋律は『月琴楽譜』(1877)・『明清楽譜』(1898)等をもとに加藤が復元。


『月琴楽譜』(1877)に載せる歌詞。明らかな誤字も原本のママ転写した。
明・唐寅「吹簫仕女図軸」
ドーレードーレーソーラソー
卟、
サアチヤンリイピヤウランジユイシヤウ
ドーレミレーらードそらードーらー
吹、
ゴウフウクワンパアスヤウチユイ マンニヤン
(ヤウ)
キンレンカウキユイ
らードーらーそー、ミソミレドーレー、みそみれどーれー
ナンナンヱンヱンインシン ハウスウキユンスイ
ミソミレドードそ レーレミ ソー
コウインニヤン
らーらド ドら ドら ドらそ、 みーみー そみそら ドードそ レー レミ ソー、ミソミレ ドードそ レーレミソーー

←『月琴楽譜』(1877)

 「漳州曲」は18世紀初めから日本でも歌われていた。
 左の楽譜は、明治10年に刊行された『月琴楽譜』の一部。
 歌詞の「唐音」による発音をカナで、音階を「工尺譜」で書いてある。
 左の歌詞には一部、誤字も含まれている。




[
茉莉花]
中国各地の茉莉花→(福建)→長崎・清楽「茉莉花」→長崎民謡「紫陽花」「水仙花」
琉球王国「打花鼓」→沖縄県「伊集の打花鼓」

プッチーニのオペラ
「トゥーランドット」挿入曲

 1832年、琉球の「江戸上り」で、芝白金の島津邸で上演された中国語劇「打花鼓」。  劇中「茉莉花」も歌われる。


沖縄県中城村に今も残る琉球王国時代の芸能
「伊集の打花鼓」。2009年3月撮影。
中国演劇の「打花鼓」。20世紀初めの京劇脚本集の挿図より。
 劇中劇的に芸人夫婦が「茉莉花」も歌う。


【楽譜二】現代中国バージョンの旋律をMIDIで聴く [D調]   [F調]



好一朶美麗的茉莉花、 好一朶美麗的茉莉花。 芬芳美麗満枝椏、又香又白人人誇。
譲我来将你摘下、送給情郎家。 茉莉花呀茉莉花、茉莉花呀茉莉花。

hao yi duo mei li di mo li hua , hao yi duo mei li di mo li hua ! fen fang mei li man zhi ya, you xiang you bai ren ren kua. rang wo lai jiang ni zhai xia, song gei qing lang jia, mo li hua ya mo li hua, mo li hua ya mo li hua !

日本の清楽の茉莉花
【楽譜三】 長崎清楽「茉莉花」の旋律をMIDIで聴く [単旋律]  [和音]  [和音(2)]  [WAVE形式](重いです)



[五線譜の頁] [ABC譜]
『月琴楽譜』(1877)より。

 「茉莉花」は中国各地で今も歌われているが、地方ごとに歌詞やメロディーに違いがある。
 日本で江戸時代から明治まで歌われていた茉莉花は、福建省に現存するバージョンに近い。



長崎民謡「紫陽花」(あじさい)
【楽譜四】旋律をMIDIで聴く[その1] [その2] [その3]

中西啓・塚原ヒロ子『月琴新譜』より


A.Farsari,1886

(一番)ハアー 花ならばヨー わたしゃ紫陽花ヨー
 ほんに良い良いあの花は 今日も小雨の塀のうち
 青に紫 いろかえて うつむきがちに咲く 別れたあの人を
 いつまでも待って暮らす

(二番)ハアー 花ならばヨー わたしゃ紫陽花ヨー
 ほんに良い良いあの花は 湊の見える丘のうえ
 船の出入りを眺めては うつむきがちに咲く いとしい シーボルト
 思い切れないオタキさん

【参考】歌で巡るながさき・長崎の歌(9)


伊集の打花鼓(いじゅのターファークー)
【楽譜五】「伊集の打花鼓」の旋律を[MIDIで聴く]。
喜名盛昭・岡崎郁子『沖縄と中国芸能』(おきなわ文庫,1984)p.142より(歌・三絃 井口浦戸)




[
九連環]
中国の小調「九連環」→ 長崎・清楽「九連環」 → 法界節→新法界節→サノサ節→サノサくずし→紫節→
 鴨緑江節→…
かんかんのう→とっちりとん→梅ヶ枝の手水鉢→
 もしも月給が上がったら→…
  ↓
北京の「福建調」

【参考】長崎文化ジャンクション・明清楽「九連環」

九連環。Chinese rings
中国の伝統的な知恵の輪。
『長崎古今集覧名勝図絵』より。
九連環の歌舞を楽しむ唐人と丸山遊女。



長崎・清楽「九連環」【楽譜六】[MIDI 簡素版(D)]  [MIDI 和音版(D)]  [MIDI 和音版(Eb)]  [WAVE コード伴奏版(キーはD)]



『月琴楽譜』(1877)





かんかんのう(群馬県上野村)  【楽譜七】[聴く(上野村)]  [聴く]


【参考】上野村商工会・カンカンノー
『看々踊きんらの唐金』文政5年(1822)刊。蘭奢台薫・作、歌川国安(初代。1794-1832)画。
(国会図書館 統一タイトル:看々踊きんら廼唐金‖カンカンオドリキンラノカラカネ)

楽隊四人の楽器は手前から順に「銕鼓(てっこ。トライアングル)」「胡弓」「蛇皮線」「太鼓」。

梅ヶ枝の手水鉢 【楽譜八】[聴く]


【参考】YouTube 「若しも月給が上がったら」林伊佐緒・新橋みどり
「日本最初のシンガーソングライター」と称された林伊佐緒(本名・林勲。1912-1995)氏は、明治大学在学中の昭和6年にアルバイトでレコード吹き込みを開始したが、学校側に発覚して中退した。その後、昭和12年7月発売のレコードの歌「もしも月給が上ったら」がヒットして有名な歌手となった。


【明治中期の月琴の流行ぶりを表す絵図】
長原梅園『月琴俗曲今様手引草(1889)』明治22年(1889)5月刊 『東京朝日新聞』明治21年(1888)12月2日号
詳しくはこちらの頁 渡辺霞亭の小説「三人同胞」(さんにんきょうだい)の挿絵。
月琴を弾く書生。
この小説と挿絵は「近代デジタルライブラリー」でも読める。


法界節 【楽譜九】[聴く]

『滑稽新聞』明治40年(1907)2月20日号 『団団珍聞』明治17年(1884)3月12日号
「此絵は堕落の男女が法界節をやッて渡世する様を描いたもの」。
女が月琴を弾き、男が法界節を歌っている。
「新陳盛衰流行物首ッ引」。
擬人化された月琴と三味線の首相撲。新興の月琴が旧来の三味線を圧倒。


新法界節 【楽譜十】[聴く]



サノサ節 【楽譜十一】サノサ節のメロディーをMIDIで聴く [その1] [その2]
明治32年(1899)


(一)花づくし 山茶花 桜に 水仙花 寒に咲くのは梅の花 牡丹 芍薬 ネ 百合の花 おもとの事なら南天 菊の花 サノサ
(二)月づくし 三笠の山では春の月 四条がわらの夏の月 石やまでらのネエ秋の月 田ごとさらしな冬の月 サノサ

【参考】夏目漱石『坊っちゃん』(明治39年=1906)より  ──「うらなり」の送別会のシーン
『新版引札見本帖』
明治36年(1903)

1903年の引札(当時のチラシ広告)の見本。
詳細は国会図書館のこちらの頁
『滑稽新聞』第102号
明治38年(1905)8月25日

「現今女学生の遊戯
通れ通れ角帽お通りなされ角帽
行きはよいよい戻りもよくッて」
 すると、いつの間にか傍(そば)へ来て坐った、野だが、鈴ちゃん逢いたい人に逢ったと思ったら、すぐお帰りで、お気の毒さまみたようでげすと相変らず噺(はな)し家みたような言葉使いをする。知りまへんと芸者はつんと済ました。野だは頓着(とんじゃく)なく、たまたま逢いは逢いながら……と、いやな声を出して義太夫の真似をやる。おきなはれやと芸者は平手で野だの膝を叩いたら野だは恐悦して笑ってる。この芸者は赤シャツに挨拶をした奴だ。芸者に叩かれて笑うなんて、野だもおめでたい者だ。鈴ちゃん僕が紀伊(き)の国を踴(おど)るから、一つ弾いて頂戴と云い出した。野だはこの上まだ踴る気でいる。
 向うの方で漢学のお爺さんが歯のない口を歪めて、そりゃ聞えません伝兵衛(でんべい)さん、お前とわたしのその中は……とまでは無事に 済したが、それから? と芸者に聞いている。爺さんなんて物覚えのわるいものだ。一人が博物を捕(つら)まえて近頃こないなのが、で けましたぜ、弾いてみまほうか。よう聞いて、いなはれや――花月巻(かげつまき)、白いリボンのハイカラ頭、乗るは自転車、弾くはヴァイオリン、半 可(はんか)の英語でぺらぺらと、I am glad to see you と唄うと、博物はなるほど面白い、英語入りだねと感心している。
 山嵐は馬鹿に大きな声を出して、芸者、芸者と呼んで、おれが剣舞(けんぶ)をやるから、三味線を弾けと号令を下した。芸者はあまり乱暴な声なので、あっけに取られて返事もしない。山嵐は委細構わず、ステッキを持って来て、踏破千山万岳烟(ふみやぶるせんざんばんがくのけむり)と真中(まんなか)へ出て独りで隠し芸を演じている。ところへ野だがすでに紀伊(き)の国を済まして、かっぽれを済まして、棚の達磨さんを済して丸裸の越中褌(えっちゅうふんどし)一つになって、棕梠箒(しゅろぼうき)を小脇に抱(か)い込んで、日清談判破裂して……と座敷中練りあるき出した。まるで気違いだ。
(cf.青空文庫「坊っちゃん」)
【参考】中内蝶二・田村西男編『俗曲全集』(昭和2年刊、昭和3年第2版、昭和62年影印復刻)p.377「さのさ節」の項より
踏破千山万嶽(ふみやぶるせんざんばんがく)の、書生さんに惚れて、月々仕送る学資金、末は博士かね、大臣か、国会議員か頼もしや。サノサ。
加藤注:「踏破千山万嶽煙」は、斉藤監物(1822-1860)の七言律詩「児島高徳、桜樹に書するの図に題す」の第一行。


【楽譜十二】むらさき節(1911)のメロディーをMIDIで聴く [簡素伴奏版] [和音伴奏版]



参考 『日本のうた 第1集明治・大正』野ばら社、1998年
添田唖蝉坊

大衆歌謡の流れ
時代 江戸〜大正 昭和前期 昭和中・後期 平成 【参考】古賀政男(1904-1978)
1923年 明治大学予科入学
1926年 同・商学部に進学
1929年 明大マンドリン倶楽部の演奏会で『影を慕いて』発表
 →YouTube「影をしたいて
呼称 流行り唄 流行歌
 国民歌謡
  戦時歌謡
歌謡曲 J-POP
媒体 口承・唄本等 蓄音機・ラジオ等 テレビ・レコード等 CD・ネット等

[関連項目]
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