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漳州曲ショウシュウキョク(明清楽資料庫)


2009-4-18 最新の更新2009-8-29
「漳」は、サンズイの右横に「章」という漢字です。
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[聴いてみる]  [歌詞]  [清楽譜]  [参考論文]
●「漳州曲」は、日本最古の清楽譜『花月琴譜』(亀齢琴譜。1831年跋)にも収録されている。
 歌詞は通常、三番まである。歌詞の内容はかなり淫猥なので、ここでは翻訳を控える。
●「漳州」(しょうしゅう)は、福建省の南東部に位置する。  かつては海外貿易で賑わった。
 陶磁器の歴史における「漳州窯」(しょうしゅうよう)は有名。 これは明の時代の後期(16世紀後半〜17世紀半ば)の粗製の輸出陶器で、 日本では「呉須赤絵」(ごすあかえ)、「呉須染付」(ごすそめつけ)と呼ばれ、西洋では「Swatou ware(スワトウ・ウェア)」と呼ばれた。 長い間生産地が不明であったが、近年、漳州が生産地であることが明らかになった。
●『中国民間歌曲集成・福建巻(上)』(中国ISBN中心、1996年)曲番号402〜405に漳州市に現存する民歌5曲を収録するが、 筆者の見るところ、いずれも長崎清楽「漳州曲」と似ていない。
 ただし鄭錦揚氏(福建師範大学教授)の論文では、上掲書曲番402「大渓出有渓辺沙」が「漳州曲」との類似性を論じている(後述)。
 この「大渓出有渓辺沙」は「摽歌」(褒歌とも呼ぶ)というジャンルの歌である。 「摽」(中国語の発音はbio1。手へんの右横に票という漢字)は男女のあいだの笑いを意味する。 摽歌は「茶歌対唱形式」の男女の歌で、茶摘み歌とも関連が深い。
 [MIDIで「大渓出有渓辺沙」の旋律を聴く]
●この他、「漳州」の地名を冠する清楽曲には、「漳州月花集」(『清楽曲牌雅譜』)、「漳州四季調」(『清楽詞譜』)などもある。


漳州曲の旋律を聴いてみる
MIDIで聴く  [C調]  [D調(1)]  [D調(2)]

歌詞は『亀齢琴譜』(1832ごろ)、旋律は『月琴楽譜』(1877)・『明清楽譜』(1898)等をもとに加藤が復元。



漳州曲の歌詞
歌詞の比較対照表(一番のみ)
亀齢琴譜1832紗帳裡飄蘭麝哨卟慣把簫吹玉臂忙揺金蓮高挙喃喃燕燕嚦嚦鶯声好似君瑞鶯娘
月琴詞譜1860紗帳裡飄蘭麝哨卟慣把簫吹玉臂忙揺金蓮高挙喃喃燕燕嚦嚦鶯声好似君瑞鶯娘
月琴楽譜1877紗帳裡飄蘭麝哨卟慣把簫吹玉臂忙揺金蓮高挙南南燕燕嚦嚦鶯声好似君瑞鶯娘
清楽曲牌雅譜1877紗帳裡飄蘭麝哨呀慣把簫吹玉臂忙揺金蓮高挙喃喃嚦嚦鶯声好似君瑞鶯娘
清風雅唱・外編1888紗帳裡飄蘭麝哨吓慣把簫吹玉臂忙揺金蓮高挙南南燕燕嚦嚦鶯声好似君瑞鶯娘

『月琴楽譜』(1877)に載せる歌詞。明らかな誤字も原本のママ転写した。
ドーレードーレーソーラソー
卟、
サアチヤンリイピヤウランジユイシヤウ
ドーレミレーらードそらードーらー
吹、
ゴウフウクワンパアスヤウチユイ マンニヤン
(ヤウ)
キンレンカウキユイ
らードーらーそー、ミソミレドーレー、みそみれどーれー
ナンナンヱンヱンインシン ハウスウキユンスイ
ミソミレドードそ レーレミ ソー
コウインニヤン
らーらド ドら ドら ドらそ、 みーみー そみそら ドードそ レー レミ ソー、ミソミレ ドードそ レーレミソーー

(1)紗帳裡飄蘭麝、哨卟、我負慣把簫吹、玉臂忙揺、金蓮高挙、南南燕燕嚦嚦鶯声、好似君瑞過鶯娘。
サア チヤン リイ ピヤウ ラン ジユイ、シヤウ ヤ、ゴウ フウ クワン パア スヤウ チユイ、ヨ ヒ マン ニヤン キン レン カウ キユイ、ナン ナン ヱン ヱン リ リ イン シン、ハウ スウ キユン スイ、コウ イン ニヤン。
【加藤注】最古の『亀齢琴譜』(1832ごろ)では「哨卟」を小字、「負」を「屓(キ。中国語音は「xi4」)、「南南」を「喃喃」、「過鶯娘」を「遭遇鶯娘」とする。
 『清楽曲牌雅譜』(1878)では「負慣」を「肩慣」に、「南南燕燕」を「喃喃燕声」とする(下記の写真参照)。
(2)春天桃李開、噯卟、鴛鴦戯水、蝶迷花卟、多情郎、跳過粉墻折一枝卟、並不怕被人罵卟。
チユン テン タウ リイ カイ、アイ ヤ、ヱン ヤン ヒイ シユイ、デ ミイ フハア ヤ、トウ ジン ラン、テヤウ コウ フン シヤン ツイ イ ツウ ヤ、ビン ポ パア ピイ ジン マア ヤ。
(3)春来百花開、噯卟、情郎不是愁、更添卟、也想思、情郎永是去奴去卟、早還奴香羅怕卟。
チユン ライ ペ フハア カイ、アイ ヤ、ジン ラン ポ ズウ スエウ ケン テン ヤ、 エエ スヤン スウ、ジン ラン ヨン ズウ キユイ ヌ キユイ ヤ、ツアウ ワン ヌ ヒヤン ルウ パア ヤ。
【加藤注】『清風雅唱・外編』(1888)では「香羅怕卟」を「香罷怕卟」とする(下記参照)。正しくは「香羅帕」であろう。


漳州曲を収録する清楽譜 いずれの写真もクリックすると拡大。
↓現存最古の清楽譜刊本『亀齢琴譜』(1832ごろ)より

↓『月琴詞譜』(1860)より。『亀齢琴譜』の「我屓慣」が「我負慣」となっている。

↓『月琴楽譜』(1877)より。『亀齢琴譜』の「遇鶯娘」が「過鶯娘」となっている。


『声光詞譜』(1878)の工尺譜。音長を示す墨点は肉筆による書き込み。 『清楽曲牌雅譜』(1877)より。

『弄月余音』(1885)より↓

月琴独習自在』(1893)より↓



明清楽譜』(1898)
に載せる工尺譜。
清月舎編・富田渓蓮閲『清風雅唱・外編』(1888)に載せる「漳州曲」(部分)。
全文を「近代デジタルライブラリー」で読む(こちらをクリック)


漳州曲についての論文
 福建師範大学の鄭錦揚教授が、漳州曲を分析・考察した論文を書いている。
【論文題名】
《洋峨乐谱·坤》所载《漳州曲》初探
『洋峨楽譜・坤』に載せる「漳州曲」初探
【執筆者】
郑锦扬 (福建师范大学音乐系主任、教授)
鄭錦揚 (福建師範大学音楽系主任、教授)
【掲載誌】季刊『音楽芸術』(上海音楽学院)2003年第二期
【論文要旨】
日本明治17年出版的《洋峨乐谱·坤》所收《漳州曲》的歌词是夹有闽南音调的汉语,这种以片假名注汉字并且夹有方言音调的特点是《漳州曲》其时流传日本的一个佐证。漳州歌舞在明治之前已传入日本。《漳州曲》采用重用羽音的五声微调式,其字乐关系是清代歌曲中所常见的,亦与今存漳州的传统情歌——褒歌《大溪出有溪边沙》有不少相似之处。 (共5页)
日本で明治17年に出版された『洋峨楽譜・坤』に収める「漳州曲」の歌詞は、閩南(びんなん)音調の漢語を含んでおり、 カナで漢字の発音を標記して方言の音調を含むというこの特徴は、 「漳州曲」が当時、日本に流伝したことを示す証左である。 漳州の歌舞は明治以前にすでに日本に伝わっていたのだ。 「漳州曲」の曲の音階は、羽音(西洋音階のラにあたる)を重用する徴調(ちちょう)式の五音階(ソラドレミ、という音階)であり、 字句と楽曲の関係は清代歌曲でよく見られるものである。 また、現存する漳州の伝統的な恋歌──褒歌「大溪出有溪辺沙」と似ているところが少なくない。

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