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中国歴史人物列伝 4

最新の更新2024/02/21    最初の公開2024/01/08

  1. 第1回 趙飛燕 ― 妹とともに皇帝を虜にした舞姫
  2. 第2回 阮籍 ― 三国志の乱世を生きた竹林の七賢
  3. 第3回 後周の世宗 ― 五代一の名君となった養子
  4. 第4回 魏忠賢 ― 明王朝を傾けた史上最悪の宦官
  5. 第5回 ダライ・ラマ5世 ― チベット統一の英主
  6. 第6回 林則徐 ― アヘン戦争で善戦した欽差大臣
  7. 参考 今までとりあげた人物 実施順 時代順
以下、https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=4584576より引用。
教室・オンライン自由講座 見逃し配信あり 講座番号:4584576
 歴史を理解することは、人間を理解すること。ヒストリー(歴史)とストーリー(物語)は、もとは同じ言葉でした。中国の伝統的な「紀伝体」の歴史書も、個々人の伝記を中心とした文学作品でした。
 本講座では、日本にも大きな影響を残した中国史上の人物をとりあげ、運や縁といった個人の一回性の生きざまと、社会学的な法則や理論など普遍的な見地の両面から、人生を紹介します。豊富な図像を使い、予備知識のないかたにもわかりやすく解説します。(講師・記)
曜日・時間 第2・4木曜日 10:30〜12:00 全6回
2024/1/11, 1/25, 2/8, 2/22, 3/14, 3/28

第1回 趙飛燕 ― 妹とともに皇帝を虜にした舞姫
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-lXdVX55Gd6pZUu5WH1GViu

○ポイント、キーワード
○辞書的な説明
○略年表
○その他


第2回 阮籍 ― 三国志の乱世を生きた竹林の七賢
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-k4rr1Rhn942vfQ5tXDKIqM

○ポイント、キーワード
○辞書的な説明
参考 以下、『エスカイヤニュース 2023年夏号』(6月20日発行)に掲載された拙稿より自己引用。引用開始。
大隠朝市(たいいんちょうし)――乱世の生き方

「小隠(しょういん)は林藪(りんそう)に隠れ、大隠は朝市にまじわる」ということわざがある。四字熟語で「大隠朝市」とも言う。
 小粒で未熟な隠者は、人里離れた森林やヤブのなかに住む。大物でほんとうに悟った隠者は、朝廷や市場など人がたくさん住む都会のなかで隠れ住む、という意味だ。
 古来、中国では、隠者はあこがれの生き方だった。
 中国史ではおおむね二百年おきに、乱世と太平が繰り返す。乱世は、権謀術数と下剋上の汚い時代だ。乱世になると、良心的な教養人は世を避けて隠者となった。
 古代中国の隠者は牧歌的だった。許由(きょゆう)や伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)など古代の隠者は、無人の山中に隠れればよかった。昔は人口も少なく、国家権力は都市の周辺にしか及ばなかった。
 だが、二千年前くらいから、中国の国家権力は領土内のすみずみにまで及ぶようになった。そこで生まれたのが、身を都会に置きながら精神的な隠者となる「大隠」だった。
 日本や中国の屏風絵でもよく描かれる三世紀の「竹林の七賢」は、三国志の乱世の時代を生きた七人の大隠である。その顔ぶれは、

阮籍(げんせき) 二一〇年―二六三年
嵆康(けいこう) 二二三?年―二六二年?
山濤(さんとう) 二〇五年―二八三年
劉伶(りゅうれい) 二二一?年―三〇〇年?
阮咸(げんかん) 生没年不詳
向秀(しょうしゅう) 生没年不詳
王戎(おうじゅう) 二三四年―三〇五年

 リーダー格の阮籍は名門の豪族で、「白眼視」の故事で有名な大酒み。
 他の六人も、それぞれ才能や奇行で有名だったが、いずれも魏(ぎ)王朝の名士つまりエリートだった。
 三国志の戦乱の時代。魏は、外では蜀(しょく)や呉(ご)と戦った。魏の内部では、権謀術数の権力闘争が渦巻いていた。竹林の七賢が生きた三国志の乱世の事件を年表風に並べると、次のとおり。

二二〇年、魏の曹操が死去。
 息子の曹丕(そうひ)は後漢を滅ぼして皇帝となり、魏王朝を始める。 二二一年、劉備が蜀で皇帝に即位。魏・呉・蜀の三国がそろう。
二三四年、蜀の宰相・諸葛孔明が、魏の司馬仲達と対戦中に陣没。
二三九年、邪馬台国の女王・卑弥呼が魏に遣使。
二四九年、司馬仲達がクーデターで魏の実権を握る。
二六〇年、司馬昭(仲達の子)が魏帝を殺す。
二六五年、司馬炎(仲達の孫)が魏を滅ぼし、西晋王朝を創始。
二八〇年、西晋が天下を統一。

 竹林の七賢が生きた時代、名士は踏み絵をふまされた。
「あなたは魏に忠誠を誓うか。それとも、心のなかでは蜀をひそかに応援しているのか」
「あなたは魏の皇帝 (曹操の子孫)を支持する勤皇派か。それとも、魏の実権を握る司馬昭(司馬仲達の子)を支持する現実派か」
 魏の第四代皇帝(曹操のひ孫)は、司馬昭が帝位を狙っていることを知っていた。数え二十歳の若き皇帝は「司馬昭の心は、道路の通行人すらみな知っている」と言い、宮中の数百人の召使いとともに決起した。が、司馬派によって刺殺された。司馬昭は平然と嘘をついた。
「皇帝は乱心して太后を殺害しようとした。しかたなかった。とはいえ、人臣でありながら皇帝を刺殺する者は逆賊である」
 司馬昭は、皇帝殺害を実行した部下を一族皆殺しにした。トカゲの尻尾切りだ。道路の通行人も真相は知っている。だが誰も口を開けない。
 やっかいなことに、司馬昭じしん先祖代々の名士だった。魏の名士が面従腹背しても、お見通しだ。司馬昭は、疑わしい人間は適当な罪名を着せて処刑した。地方に逃げてもムダだった。同僚の密告や秘密警察の捜査ですぐに捕まった。
 竹林の七賢は、そんな恐怖政治の独裁国家の「大隠」だった。
 名士である彼らは、司馬昭とつかず離れずの距離を保った。司馬昭から、役職を与えるから国家のために働け、と言われればそれなりに働く。だが、司馬派の徒党となって他人をおとしいれることは絶対にしない。連日泥酔したり、そこそこの働きをしたあと辞職願いを出したり、絶妙なバランス感覚で司馬昭に近づきすぎないようにした。
 七人の名士は「パートタイムの隠者」だった。余暇の時間、彼らは竹の林のなかで集まり、酒をくみかわし、浮世離れした老荘思想(老子や荘子の思想)を語りあう「清談」を楽しんだ。
 なぜ「竹林」か? 竹は、中国では君子の徳を象徴するめでたい植物だ。自然にまっすぐに伸び、中身はからりとしている。しかも竹林は、都会のすぐ近くにもある。
 司馬昭は、竹林の七賢の腹の内を知っていた。そのうえで彼らを「探鉱のカナリア」とした。七賢のうち、司馬氏の野心に対する嫌悪を隠さなかった嵆康は、別件逮捕で処刑された。他の六人は生かされた。司馬昭は無言のうちに、世間の人々に微妙な一線を知らしめた。
 今も昔も、中国の有名人は気が抜けない。権力者に疑われ、にらまれただけで、社会的生命は終わる。権力者と絶妙な距離感を保った竹林の七賢は、歴代の中国人のあこがれの的となった。漢詩に詠まれ、「竹林七賢図」の絵に描かれた。
 今の日本は乱世ではない。独裁者もいない。が「大隠は朝市にまじわる」という高雅な紳士の社交場は、日本の都会にもある。そこでは今日も、今夜も、社会の第一線で活躍する名士がつどい、酒と食事と、心をリフレッシュする清らかな談話を楽しんでいるという。
引用終了。
以下、『エスカイヤニュース 2023年秋号』(8月20日発行)に掲載された拙稿より自己引用。引用開始。
 白眼青眼――相手によって変わるまなざし
 相手に冷淡な態度をとることを「白眼視」と言う。反対の言葉は「青眼」で、好きな人を迎える好意にあふれたまなざしを言う。相手によって対応をかえることを「白眼青眼」と言う。
 白眼も青眼も、語源の由来は阮籍(げんせき、二一〇年―二六三年)だ。彼は、三国志の魏の詩人で、前回とりあげた竹林の七賢のひとりである。世間体や利益にこだわる俗物が来ると白い目で迎え、気に入った人が来ると黒い目で迎えた。
 漢文では、西洋の白人の青い目は「碧眼」と言う。漢文の「青眼」の「青」は、私たちアジア人のひとみの、青みがかった黒色をさす。
 青には「純粋ですみきっている」イメージがある。清はすみきった水。晴はすみきった日の光。情は純粋な心。請はすみきった請願のことば。故事成語「画竜点睛」(がりょうてんせい)の「睛」はひとみの意で、常用漢字にはないため右半分のつくりが旧字体になっているが、これもすみきったイメージだ。
 阮籍は、魏の名門の家に生まれた文人で、変人だった。三国志の乱世、人々は自分をいつわり、保身にあけくれるた。が、彼は自分に正直に生きた。
 子が母親を殺す事件が起きた。阮籍は「父親を殺すのならまだしも、母親とは」と感想を述べた。魏の権力者で帝位をねらう野心家の司馬昭(のちの文帝。昭の父親は、諸葛孔明のライバルだった司馬懿)が「父親を殺すのは天下の大罪だぞ」とたしなめると、阮籍は「父親殺しはケダモノの所業です。が、ケダモノすら自分の母親はわかります。母親殺しはケダモノ以下です」と答えた。
 阮籍の母親が亡くなった。悲報が届いたとき、阮籍は人と囲碁をさしていた。阮籍はそのまま対局を続けたあと、酒を二斗飲んで絶叫し、数升の血を吐いた。葬儀のとき、阮籍は肉料理を食べ二斗の酒を飲んだ。告別でただ一言「窮矣」(きわまれり。もうおしまいだ)と叫ぶと慟哭し、またも口から血を数升ほど吐いた。その後、阮籍はげっそり痩せ衰え、死にかけた。
 名士の裴楷が弔問に訪れた。阮籍は泥酔したまま、じーっと裴楷を直視した。裴楷は、儒教の礼にかなった弔問を行った。彼は周囲に「阮籍は方外の士(世間の枠組みにはまらぬ傑物)だから形だけの礼典をたっとばない。でも私は俗中の士(俗世間で生きる人物)なので型通りの礼儀作法をとる」と語った。当時の人々は、阮籍も裴楷もそれぞれ礼の本質をわきまえている、と感心した。
 名士の嵆喜が弔問にきた。嵆喜は俗物だった。阮籍は白眼で迎えた。嵆喜は不愉快になって帰った。
 嵆喜の弟の嵆康は、竹林の七賢のひとりで、阮籍の親友だった。嵆康は酒と琴をたずさえ弔問に訪れた。阮籍は喜び、青眼で迎えた。
 阮籍は常識破りだったが、常識知らずではなかった。彼は俗物を白眼視で迎えた。しかし、他人への批判や悪口はいっさい口にしなかった。野心家の司馬昭におもねらなかった。が、反抗もしなかった。司馬昭から文書の起草を命じられれば、泥酔状態で筆をとったが、できあがった文書は毎回、名文だった。
 阮籍はただの変人ではない。その本質を見抜いたのは、皮肉にも、野心家の権力者である司馬昭だった。
「阮籍の非礼は目に余ります。喪中も礼に違反し、酒や肉をくらっております。彼を左遷してくださいますよう」
 司馬昭の臣下がそう進言しても、司馬昭は、
「阮籍はやせ衰えている。肉や酒をとらねば死ぬ。死ねば、亡くなった親も悲しむだろう」
と阮籍を擁護した。
司馬昭は、阮籍と姻戚関係を結ぼうと考えた。息子の司馬炎(のちの晋の武帝)の嫁に阮籍の娘をもらおうとした。司馬昭の使者が阮籍のもとに行くと、阮籍は泥酔していた。使者は話を切り出せずに帰った。その後も連日、使者は訪れたが、阮籍は泥酔していた。泥酔は六十日も続いた。司馬昭は縁組みをあきらめた。
 阮籍の息子は、父の型破りの生き方にあこがれた。阮籍は息子に「わが一族では、すでに阮咸(竹林の七賢のひとり。阮籍の甥っ子)が私と同じ流儀を楽しんでる。お前はやめておけ」と、常識人として生きるよう促した。
 二六二年、司馬昭は、阮籍の親友であった嵆康を処刑した。嵆康の妻は曹操の子孫。つまり嵆康は魏の皇帝の身内だった。嵆康は命をまっとうできなかった。
 二六三年、蜀漢は魏に攻められて滅亡した。司馬昭は朝廷を動かし、自分を晋公へ封爵させた。魏の滅亡と三国志の時代の終わりは、秒読みに入った。この年の冬、阮籍は病死した。享年五十四。
 平均寿命が短かった昔、しかも乱世であった当時、天寿をまっとうした、と言えよう。
 阮籍は大酒飲みだった。が、不思議なことに、彼が詠んだ漢詩には飲酒を楽しむことばは見えない。陶淵明や李白、杜甫などが好んで酒を詠んだのとは、大違いだ。阮籍は混濁の世を生きた孤高の知識人だった。泥酔していても、心の一点は覚醒していた。
 さて、今の日本語では「白眼視」のほうが有名だが、昔は「青眼」もよく使った。吉田兼好は随筆『徒然草』第百七十段で「阮籍が青き眼(まなこ)、誰にもあるべきことなり」云々と書いた。阮籍が気のあった友を青眼で迎えたという話は、私たちの誰でもよくあることで、特に用事がない人が来て何となく話して帰るのは、喜ばしいことだ、と兼好は述べた。
 たいした用事がなくても、青眼の友と紳士の社交場にくりだし、杯を交わすことは、今も昔も好ましいことである。
引用終了。
○略年表
○その他


第3回 後周の世宗 ― 五代一の名君となった養子
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-mNQHLxJFHt6RmedFvm2m1x

○ポイント、キーワード
○今までとりあげた五代十国時代の人物
○辞書的な説明
○略年表
○その他


第4回 魏忠賢 ― 明王朝を傾けた史上最悪の宦官
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-mQTnSC19BW-YdyrdimV6-B

○ポイント、キーワード cf.明の劉瑾――帝位をねらった宦官 #asahi20220714.html#05
○辞書的な説明
○略年表
○その他


第5回 ダライ・ラマ5世 ― チベット統一の英主
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-npojtXUcf6nNt5fO3v2g62

○ポイント、キーワード
○辞書的な説明
○略年表

○その他

第6回 林則徐 ― アヘン戦争で善戦した欽差大臣
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-kTWnXF2Ykqu8o8d2GgGZVE

○ポイント、キーワード
○辞書的な説明
○略年表
○その他


【参考】 今まで取り上げた人物
★講座の実施日順
  1. 秦の始皇帝
  2. 前漢の高祖・劉邦
  3. 宋の太祖・趙匡胤
  4. 清末の西太后
  5. 中華人民共和国の毛沢東
  6. 共通祖先の作り方 黄帝
  7. 東アジアに残した影響 漢の武帝
  8. インフラ化した姓 後漢の光武帝
  9. 汚れた英雄のクリーニング 唐の太宗
  10. 史上最強の引き締めの結末 明の洪武帝
  11. 打ち破れなかった2つのジンクス 蒋介石
  12. パワーゲーマーの栄光と転落 唐の玄宗
  13. 織田信長もあこがれた古代の聖王 周の文王
  14. 「19浪」の苦節をのりこえた覇者 晋の文公
  15. 早すぎた世界帝国 元のクビライ
  16. 中国統治の要道を示した大帝 康煕帝
  17. 21世紀の中国をデザイン ケ小平
  18. 魏の曹操 漢・侠・士の男の人間関係
  19. 殷の紂王 酒池肉林の伝説の虚と実
  20. 斉の桓公 中国史上最初の覇者
  21. 唐の武則天 中国的「藩閥」政治の秘密
  22. 清の乾隆帝 世界の富の三割を握った帝王
  23. 周恩来 失脚知らずの不倒翁
  24. 古代の禹王 中華文明の原体験
  25. 蜀漢の諸葛孔明 士大夫の典範
  26. 宋の徽宗 道楽をきわめた道君皇帝
  27. 明の永楽帝 世界制覇の見果てぬ夢
  28. 清の李鴻章 老大国をささえた大男
  29. 臥薪嘗胆の復讐王・勾践
  30. 始皇帝をつくった男・呂不韋
  31. 劉邦をささえた宰相・蕭何
  32. チンギス・カンの側近・耶律楚材
  33. 大元帥になった国際人・孫文
  34. 清と満洲国の末代皇帝・溥儀
  35. 太古の堯と舜 「昭和」の出典になった伝説の聖天子
  36. 蜀漢の劉備 「負け太り」で勝ち抜いた三国志の英雄
  37. 明の万暦帝 最後の漢民族系王朝の最後の繁栄
  38. 袁世凱 83日間で消えた「中華帝国」の「洪憲皇帝」
  39. 劉少奇 21世紀も終わらない毛沢東と劉少奇の闘争
  40. 楚の荘王――初めは飛ばず鳴かずだった覇者
  41. 斉の孟嘗君――鶏鳴狗盗の食客を活用した戦国の四君
  42. 呉の孫権――六朝時代を創始した三国志の皇帝
  43. 梁の武帝――ダルマにやりこめられた皇帝菩薩
  44. 南唐の李U――李白と並び称せられる詩人皇帝
  45. 台湾の鄭成功――大陸反攻をめざした日中混血の英雄
  46. 趙の藺相如――国を守った刎頸の交わり
  47. 前秦の苻堅――民族融和を信じた帝王の悲劇
  48. 北魏の馮太后――欲深き事実上の女帝
  49. 隋の煬帝――日没する処の天子の真実
  50. 明の劉瑾――帝位をねらった宦官
  51. 林彪――世界の中国観を変えた最期
  52. 項羽――四面楚歌の覇王
  53. 司馬仲達――三国志で最後に笑う者
  54. 太武帝――天下を半分統一した豪腕君主
  55. 憑道――五朝八姓十一君に仕えた不屈の政治家
  56. チンギス・カン――子孫は今も1600万人
  57. 宋美齢――英語とキリスト教と蒋介石
  58. 平原君―食客とともに乱世を戦う
  59. 陳平―漢帝国を作った汚い政治家
  60. 秦檜―最も憎まれた和平主義者
  61. 曽国藩―末世を支えた栄光なき英雄
  62. 汪兆銘―愛国者か売国奴か
  63. 江青―女優から毛沢東夫人へ
  64. 孔子 東洋の文明をデザインした万世の師表
  65. 司馬遷 司馬遼太郎が心の師とした歴史の父
  66. 玄奘 孫悟空の三蔵法師のモデルはタフガイ
  67. 李白 酒と旅を愛した詩人の謎に満ちた横顔
  68. 岳飛 中華愛国主義のシンボルとなった名将
  69. 魯迅 心の近代化をはかった中国の夏目漱石
  70. 扁鵲 超人的な医術を駆使した伝説の名医
  71. 孟子 仁義と王道政治を説いた戦国の亜聖
  72. 達磨 中国禅宗の祖師はインド人の仏教僧
  73. 白居易 清少納言と紫式部の推しの大詩人
  74. 鄭和 大航海時代を開いたムスリムの宦官
  75. 李小龍 哲学と映画に心血を注いだ武術家
  76. 夏姫 衰えぬ美貌で多くの君臣と関係した美魔女
  77. 孫子 戦争哲学を説いた春秋と戦国の二人の孫子
  78. 張騫 武帝の命令で西域を探検した前漢の冒険家
  79. 慧能 日本・中国・韓国・ベトナムの禅僧の源流
  80. 洪秀全 清末の太平天国の乱を起したカルト教祖
  81. 梅蘭芳 毛沢東が「私より有名だ」と言った名優
  82. 趙飛燕 ― 妹とともに皇帝を虜にした舞姫
  83. 阮籍 ― 三国志の乱世を生きた竹林の七賢
  84. 後周の世宗 ― 五代一の名君となった養子
  85. 魏忠賢 ― 明王朝を傾けた史上最悪の宦官
  86. ダライ・ラマ5世 ― チベット統一の英主
  87. 林則徐 ― アヘン戦争で善戦した欽差大臣

★時代順
先秦時代(三皇五帝、夏・殷・周、春秋・戦国)
  1. 共通祖先の作り方 黄帝
  2. 太古の堯と舜 「昭和」の出典になった伝説の聖天子
  3. 古代の禹王 中華文明の原体験
  4. 殷の紂王 酒池肉林の伝説の虚と実
  5. 織田信長もあこがれた古代の聖王 周の文王
  6. 斉の桓公 中国史上最初の覇者
  7. 「19浪」の苦節をのりこえた覇者 晋の文公
  8. 夏姫 衰えぬ美貌で多くの君臣と関係した美魔女
  9. 楚の荘王――初めは飛ばず鳴かずだった覇者
  10. 孫子 戦争哲学を説いた春秋と戦国の二人の孫子
  11. 孔子 東洋の文明をデザインした万世の師表
  12. 扁鵲 超人的な医術を駆使した伝説の名医
  13. 臥薪嘗胆の復讐王・勾践
  14. 孟子 仁義と王道政治を説いた戦国の亜聖
  15. 斉の孟嘗君――鶏鳴狗盗の食客を活用した戦国の四君
  16. 平原君―食客とともに乱世を戦う
  17. 趙の藺相如――国を守った刎頸の交わり
秦・漢・三国(漢末)
  1. 秦の始皇帝
  2. 始皇帝をつくった男・呂不韋
  3. 項羽――四面楚歌の覇王
  4. 前漢の高祖・劉邦
  5. 劉邦をささえた宰相・蕭何
  6. 陳平―漢帝国を作った汚い政治家
  7. 東アジアに残した影響 漢の武帝
  8. 張騫 武帝の命令で西域を探検した前漢の冒険家
  9. 司馬遷 司馬遼太郎が心の師とした歴史の父
  10. 趙飛燕 ― 妹とともに皇帝を虜にした舞姫
  11. インフラ化した姓 後漢の光武帝
  12. 魏の曹操 漢・侠・士の男の人間関係
  13. 蜀漢の劉備 「負け太り」で勝ち抜いた三国志の英雄
  14. 蜀漢の諸葛孔明 士大夫の典範
  15. 司馬仲達――三国志で最後に笑う者
  16. 呉の孫権――六朝時代を創始した三国志の皇帝
魏晋南北朝(五胡十六国時代、六朝時代)
  1. 阮籍 ― 三国志の乱世を生きた竹林の七賢
  2. 前秦の苻堅――民族融和を信じた帝王の悲劇
  3. 北魏の太武帝――天下を半分統一した豪腕君主
  4. 北魏の馮太后――欲深き事実上の女帝
  5. 梁の武帝――ダルマにやりこめられた皇帝菩薩
  6. 達磨 中国禅宗の祖師はインド人の仏教僧
隋・唐から宋・元
  1. 隋の煬帝――日没する処の天子の真実
  2. 汚れた英雄のクリーニング 唐の太宗
  3. 玄奘 孫悟空の三蔵法師のモデルはタフガイ
  4. 唐の武則天 中国的「藩閥」政治の秘密
  5. 慧能 日本・中国・韓国・ベトナムの禅僧の源流
  6. パワーゲーマーの栄光と転落 唐の玄宗
  7. 李白 酒と旅を愛した詩人の謎に満ちた横顔
  8. 白居易 清少納言と紫式部の推しの大詩人
  9. 憑道――五朝八姓十一君に仕えた不屈の政治家
  10. 後周の世宗 ― 五代一の名君となった養子
  11. 南唐の李U――李白と並び称せられる詩人皇帝
  12. 宋の太祖・趙匡胤
  13. 宋の徽宗 道楽をきわめた道君皇帝
  14. 秦檜―最も憎まれた和平主義者
  15. 岳飛 中華愛国主義のシンボルとなった名将
  16. チンギス・カン――子孫は今も1600万人
  17. チンギス・カンの側近・耶律楚材
  18. 早すぎた世界帝国 元のクビライ
明・清
  1. 史上最強の引き締めの結末 明の洪武帝
  2. 明の永楽帝 世界制覇の見果てぬ夢
  3. 鄭和 大航海時代を開いたムスリムの宦官
  4. 明の劉瑾――帝位をねらった宦官
  5. 明の万暦帝 最後の漢民族系王朝の最後の繁栄
  6. 魏忠賢 ― 明王朝を傾けた史上最悪の宦官
  7. ダライ・ラマ5世 ― チベット統一の英主
  8. 台湾の鄭成功――大陸反攻をめざした日中混血の英雄
  9. 中国統治の要道を示した大帝 康煕帝
  10. 清の乾隆帝 世界の富の三割を握った帝王
  11. 林則徐 ― アヘン戦争で善戦した欽差大臣
  12. 曽国藩―末世を支えた栄光なき英雄
  13. 洪秀全 清末の太平天国の乱を起したカルト教祖
  14. 清の李鴻章 老大国をささえた大男
  15. 清末の西太后
  16. 清と満洲国の末代皇帝・溥儀
民国・中華人民共和国
  1. 大元帥になった国際人・孫文
  2. 袁世凱 83日間で消えた「中華帝国」の「洪憲皇帝」
  3. 魯迅 心の近代化をはかった中国の夏目漱石
  4. 汪兆銘―愛国者か売国奴か
  5. 打ち破れなかった2つのジンクス 蒋介石
  6. 中華人民共和国の毛沢東
  7. 梅蘭芳 毛沢東が「私より有名だ」と言った名優
  8. 周恩来 失脚知らずの不倒翁
  9. 宋美齢――英語とキリスト教と蒋介石
  10. 劉少奇 21世紀も終わらない毛沢東と劉少奇の闘争
  11. 21世紀の中国をデザイン ケ小平
  12. 林彪――世界の中国観を変えた最期
  13. 江青―女優から毛沢東夫人へ
  14. 李小龍 哲学と映画に心血を注いだ武術家

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