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中国歴史人物列伝 2

最新の更新2023年9月26日    最初の公開2023年7月12日

 歴史を理解することは、人間を理解すること。ヒストリー(歴史)とストーリー(物語)は、もとは同じ言葉でした。中国の伝統的な「紀伝体」の歴史書も、個々人の伝記を中心とした文学作品でした。
 本講座では、日本にも大きな影響を残した中国史上の人物をとりあげ、運や縁といった個人の一回性の生きざまと、社会学的な法則や理論など普遍的な見地の両面から、人生を紹介します。豊富な図像を使い、予備知識のないかたにもわかりやすく解説します。(講師・記) 日程  2023/7/13, 7/27, 8/3, 8/24, 9/14, 9/28
曜日・時間 第2週・第4週 木曜 10:30〜12:00
※8月だけは第1週と第4週間
詳細は朝日カルチャーセンター・新宿教室のサイトの[こちらをご覧ください]
  1. 扁鵲 超人的な医術を駆使した伝説の名医
  2. 孟子 仁義と王道政治を説いた戦国の亜聖
  3. 達磨 中国禅宗の祖師はインド人の仏教僧
  4. 白居易 清少納言と紫式部の推しの大詩人
  5. 鄭和 大航海時代を開いたムスリムの宦官
  6. 李小龍 哲学と映画に心血を注いだ武術家
  7. 参考 今まで取り上げた人物(中国権力者列伝 1-11を含む)
     [講座の日時順] [時代順]

1.扁鵲 超人的な医術を駆使した伝説の名医
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-lZ5WwXaqKdAOnvS-VNr6b6

○ポイント、キーワード
○辞書的な説明
○扁鵲は半ば伝説の人物であり、その事績は漢文古典のなかに出てくる。もっともよくまとまっているのは『』なので、以下、『史記』の内容を紹介する。訳文は、ところどころ省略したり、意訳をした箇所もある。

出典 司馬遷『史記』卷一百零五 扁鵲倉公列傳第四十五
参考 https://ja.wikisource.org/wiki/史記/卷105

 扁鵲は、勃海郡の鄭の地の人である。姓は秦、名は越人である。
 彼はわかい時、ある人の客館の舍長となった。舍の客に長桑君という隠者がいた。扁鵲だけは長桑君が常人ではないことを見抜き、いつもうやうやしく待遇した。長桑君もまた扁鵲の非凡さを知った。
 このようにつきあい十余年がたった。長桑君は扁鵲を呼び、こっそり打ち明けた。
「わたしは秘密の医術を身につけている。年老いたので、あなたに伝授しよう。他の人にはもらさないでくれ」
「わかりました」
 長桑君は懐中から薬を出し、扁鵲にあたえた。
「この薬を、上池の水【どんな水かは諸説あり】で三十日、服用しなさい。そうすれば、なんでも見通せるようにる」
 長桑君は、自分の書物をすべて扁鵲にあたえ、忽然として見えなくなった。ほとんど人間と思えなかった。

 扁鵲は、長桑君のことばどおり、三十日のあいだ薬を飲んだ。すると、土塀のむこうがわの人を透視できるようになった。患者の体を透視すると、五臓のしこりが見えた。が、それは世間には秘密として、ただ脈を診ているのだ、といって治療した。【いわゆる「レントゲン神話」】
 医者となった彼は、斉や趙など国々をわたりあるいた。趙にいるときは扁鵲となのった。
 晋は大国だった。晋の昭公の時代になると、下剋上が進み、諸大夫が強くなり、公族は弱かった。大夫となった趙簡子【趙鞅(ちょう おう、? - 前476年)春秋時代の晋の政治家。姓は嬴、氏は趙、諱は鞅、諡は簡】も、国政を壟断していた。
 そんな趙簡子もやはり人間。病気となり、五日のあいだ人事不省となった。大夫はみなおそれた。そこで扁鵲を召した。
 扁鵲は入って病をみた。趙簡子の家臣である董安于が扁鵲に、病状を問うと、扁鵲は答えた。
「血脈は安定しました。ご心配はありません」
 続けて扁鵲は、昔の病例を説明した。
「その昔、秦の穆公【ぼくこう。在位は前659年 - 前621年】も同様の症状で昏睡し、七日後に目覚めました。目覚めたその日、秦の穆公は、家来である公孫支と子輿に、昏睡状態だったときに体験したことを告げました。
『わたしは天帝のみもとにゆき、はなはだ楽しかった。わたしがしばらくこちらに帰ってこなかった理由は、あちらでいろいろ知識を学んだからだ。天帝はこうお告げになった。「晋国はまさに大いに乱れ、五世のあいだ平和でなくなるだろう。その後、晋の君主は天下の覇者となるだろうが、若いうちに亡くなって、その霸者の子が男女の風紀を乱してしまうだろう」と。そのように天帝は予言された』。
 公孫支は、穆公が伝えた天帝の予言を記録し『秦策』として保存しました。この予言がいま、あらわれたのです。
 そもそも、晋の献公のときの乱、晋の文公の霸業、そして晋の襄公が秦の師を殽の地で敗って帰国したあとあのように縱淫したことは、あなたもご存知でしょう。趙簡子どのの病気は、秦の穆公と同じです。三日を出でずして必ず癒えましょう。治癒すれば必ず言葉が戻るでしょう」
 かくて二日半、趙簡子は目覚め、諸大夫に語った。
「わたしは天帝の所にゆき、とても楽しかった。百神と天国で遊び、天の音楽の九奏や萬舞は地上の三代の音楽とはくらべものにならぬほどすばらしく、わたしは感動した。
 そのときなぜか、天国に一頭の熊があらわれ、わたしをかすめとろうとした。天帝はわたしに命じて熊を射させた。矢は熊にあたり、熊は死んだ。
 今度はヒグマがきた。わたしはヒグマを射た。矢はヒグマにあたり、ヒグマは死んだ。
 天帝はとてもお慶びになり、わたしに二つのはこをくださった。それぞれ一対のはこだった。わたしは、わが子が天帝の側にいるのを見た。天帝は、わたしに翟犬を預けられ、
『おまえの子が大きくなったら、この犬を与えなさい』
 とわたしに言われたうえ、さらに続けて
『晋国は世々衰えて七世にして亡びるだろう。嬴姓(趙氏の本姓)が強大となって周人(ここでは衛国のこと)を范魁の西に敗るだろうが、これもまた覇権をたもつことができない』
 と天帝は予言された」
 董安于は、趙簡子のことばを文字で記録し、書庫に収めた。そして、扁鵲の診断を、趙簡子に報告した。
 趙簡子は感心し、扁鵲に四万畝の農地をあたえた。

 その後、扁鵲は小国である虢(かく)を訪問した。たまたま虢の太子が死んだときだった。
 扁鵲は、虢の宮門の下に至り、主君の側近「中庶子」で医術を好む者に質問した。
「太子は何の病だったのですか。国中のご祈祷は、ただごとではありませんでしたが」
 中庶子は言った。
「太子の病は血気の流れが不順で、陰陽が交錯して発散できず、外に暴発して臓器が害され、精神は邪気を止むめられず邪気が畜積して発散できず、陰と陽の二気の緩急のバランスが崩れ、にわかに逆上して亡くなられました」
 扁鵲が「亡くなった日時は?」ときくと、
「明け方からさきほどまでが、ご臨終でした」
「納棺は?」
「まだです。半日もたってませんから」
「わたしは、斉の勃海の秦越人と申すものです。家は鄭にあります。今まで一度も、こちらの殿さまに拝謁のチャンスがありませんでした。太子が不幸にして亡くなったとうかがいましたが、わたしなら、蘇生させることができます」
 中庶子は言った。
「先生、ご冗談はやめてください。何をもって太子は蘇生が可能だとおっしゃるのですか。私はこう聞いております。
――上古の時、医に俞跗というものがいた。病を治するに湯液・醴灑・鑱石(さんせき。石針)・撟引(きょういん)・案扤(あんがん)・毒熨(どくい)などは使わず、パッと患者の服を開いて病気の徴候を診、五臓のツボによって皮膚を切り脈を通し、切れた筋を結び脊髄と脳をもみ抑え、心臓の下の隔膜を綺麗にし、胃と腸を洗浄し、五臓を清め、心身をととのえる、という超人的な医療だった、と。
 もし、先生の方術がこのくらいものすごい医術ならば、太子は生き返るでしょう。
 でも、そうでないのに、亡くなった太子を蘇生させることは、赤ちゃんにも話せないくらい馬鹿げた話です」
 終日かたりあったあげく、扁鵲は天を仰ぎ、嘆息して言った。
「あなたの医術に対する知識は、よしのずいから天井をのぞいているにひとしい。
 わたしの医術は、脈をとり、顔色を見て、五臓の音をきき、体の症状を見るまでもなく病気の本質を言い当てます。病の陽を聞けば論じてその陰を得、病の陰を聞けば論じてその陽を得る、というものです。病の徴候は体の表面にあらわれます。千里のかなたに往診するまでもなく、徴候を聞く問診だけで病気を判断できるケースが多いのです。
 もし、あなたが私のことをほらふきとお思いならば、よろしい、あなたが太子を診察なさってください。太子の耳が鳴って鼻がうごめいている音が聞こえるはずです。太子の両股をなでて太子の局部にいたれば、まだきっとあたたかみがあるはずです」
 中庶子は、扁鵲の言を聞き、呆然となり、またたきもできず、舌もこわばってしまうほどだった。彼はさっそく参内し、扁鵲のことばを虢君に報じた。
 虢君はこれを聞き大いに驚き、出でて扁鵲を内門と外門との間の門で引見して言った。
「かねがね先生の令名はうかがっておりました。されど、いまだかつてお目にかかる機会がありませんでした。先生が小国にお立ち寄りくださったおかげで、お会いできました。ありがたいことです。先生がいらっしゃった以上、わが子は生き返れることでしょう。さもなくば、わが子は埋葬され、二度とこの世に戻れぬところでした」
 言葉が終わる前に、虢君は顔かたちが変わるほど大泣きした。扁鵲は言った。
「太子の病は、いわゆる尸蹷(シケツ)というものです。
 そもそも陽が陰の中に入るをもって胃を動かし、中経と維絡にまといつき、別れて三焦・膀胱に下るのです。かくて陽脈は下にすすみ、陰脈は上にのぼって争い、会気は閉じて通ぜず、陰は上り陽は内行し、下っては内に鼓動して外には起こらず、上ったものは外とのつながりは絶えて使うことをなさず、上には絶陽の絡が、下には破陰の紐があって、陰を破り陽を絶ち、顔色は廃し脈は乱れて、それ故に顔かたちは静かになって死相を呈するのですが、太子はいまだ亡くなってはいないのです。
 そもそも、陽が陰に入ったせいで内臓がさえぎられて止まったものは助かりますが、陰が陽に入ったせいで内臓がさえぎられて止まったものは助からずに死ぬのです。
 およそこのいくつかの現象は、どれも五臓の中で陰陽の気が逆流するときに、突発的に起こることなのです。
 良い医者はこの説を採用し、腕前がよくない医者はこの説を信用しません」
 扁鵲は弟子の子陽に、とぎ石で鍼(はり)をとがせ、体の外の三陽五会のツボを刺したところ、太子は蘇生した。そこで子豹に、熱のどあいが五分の膏薬を作らせ、通常の八割の量の調合剤を煎じさせ、太子の両脇の下に貼り付けた。太子は体を起こしてすわれるようになると、さらに陰陽をととのえた。その後は、薬湯を服すること二旬(二十日間)で、もとどおりに快復した。
 こうして、天下の人はみな、扁鵲は死人を生き返らせるほどすごい名医だ、と思った。扁鵲は言った。
「わたしは、死人を生き返らせることができるわけじゃない。わたしにできるのは、もともと生きるはずの人を快復させることである」

 扁鵲は、斉の国を訪問した。斉の桓侯【春秋五覇のひとりである斉の桓"公"とは別人か】はこれを客とした。扁鵲は入朝してまみえて、言った。
「殿さまはご病気ですね。幸い、病気はまだ皮膚の外側にとどまっております。いまなおさねば、深くなります」
「余に病気なぞない」
 扁鵲が退出すると、桓侯は左右の側近に言った。
「まったく、医者というものは金儲け主義だ。健康な人間まで治療しようとするわい」
 五日後、扁鵲はまたまみえて言った。
「殿さまのご病気は、血脈に入りました。いまなおさねば、深くなりますぞ」
「余に病気なぞない」
 扁鵲が退出すると、桓侯は不機嫌だった。
 五日後、扁鵲はまたまみえて言った。
「殿さまのご病気は、腸と胃のあいだに入りました。いまなおさねば、深くなってしまいますぞ」
 桓侯は無言だった。扁鵲は退出し、桓侯は不機嫌だった。
 五日後、扁鵲はまたやってきたが、桓侯を遠くから見ただけで、退いて走り去った。桓侯が人をつかわしてその理由を扁鵲に問うと、
「病気が皮膚にあるうちなら、煎じ薬や膏薬でなおせます。血脈にあるうちは、金属の鍼や石の鍼で治療できます。病気が腸や胃に入ってしまったら、アルコールの薬で治療できます。しかし、病気が骨髓に達してしまったら、人の寿命を決める司命の神でさえ、もうどうにもできません。いま、殿さまのご病気は骨髄に達し、もはや手遅れです。だからわたくしは、もう、治療をおすすめしなかったのです」
 五日後、桓侯は発病し、人をやって扁鵲を召し出そうとしたが、扁鵲はすでに逃れ去っていた。桓侯は結局、亡くなった。

 もし人が早期に病気の徴候を知り、良い医者から早期治療を受けることができるなら、病気は治り、生きることができる。普通の人は世の中の病気の種類が多いことを心配するが、医者は病気の治療法が少ないことを心配するのである。
 もし人の病気が治らないのなら、それは「六つの不治」のせいである。
 驕慢で病理の知識をかえりみようとしないのは、一の不治。
 自分の体を大切にせずお金ばかり重視するのは、二の不治。
 自分にあった衣服や食事ができないのは、三の不治。
 交感神経と副交感神経、陰と陽の体内循環が安定しないのは、四の不治。
 顔かたちがやせても薬を服用できないのは、五の不治。
 野巫医などの民間療法を信じ医者の標準治療を信じないのは、六の不治。
 この六つのうち、ひとつでもある患者は、治療が難しい。

 扁鵲の名は天下にとどろいた。
 趙のみやこ邯鄲に滞在したときは、婦人を貴ぶと聞いて「帯下の医(婦人科医)」となった。
 周のみやこ雒陽(洛陽) に滞在したときは、周人は老人を大事にすると聞いて「耳目痺の医」(耳・目・手足のしびれを診る医者)となった。
 秦のみやこ咸陽に入ると、秦人は子どもを愛すと聞いて小児の医となった。
 このように、彼は民俗にあわせて変化した。
 秦の太医令の李醯(りき)は自分の技術が扁鵲におよばないことを知ると、人をつかって刺殺させた。
 今に至るまで天下の脈を言う者は、扁鵲に由来するのである。
(以上、『史記』の訳文、終わり)
○その他


2.孟子 仁義と王道政治を説いた戦国の亜聖
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-mwY1vPQYrdXtUDyVaUKbOH

○ポイント、キーワード
○辞書的な説明
○略年表
○『孟子』の内容(意訳です。省略した箇所も多いです)

王、何ぞ必しも利を曰わん

梁恵王章句上より
 孟子が梁(戦国時代の魏)の恵王と会見した。
 恵王いわく「先生は、千里の道も遠しとせず、わざわざおいで下さった。きっと、我が国に大きな利益をもたらしてくださるのでしょうね」
 孟子いわく「王さま。なぜ利益の話ばかりなさるのですか。重要なのは仁義なのです。王さまが『わが国の利益』ばかりおっしゃるなら、王さまの臣下は『わが家の利益』を言い出し、その下の士族や庶民も『私の利益』と言いだして、国中がエゴのぶつかりあいになり、社会が危なくなります。
 か我が国に利益を”と言い出せば、大臣は”何か我が家に利益を”と言い出し、士族や庶民も”何か私に利益を”と言い出すのが当然です。となれば上から下まで、三つ巴になって利益を争い、国が危うくなるでしょう。
 今は戦国の乱世です。戦車万乗の大国の王家を下剋上で滅ぼすのは、戦車千乗の大臣の家です。戦車千乗の中規模国の君主を滅ぼすのは、戦車百乗の家来です。現実社会でも、万乗の王が千乗の大臣を召し抱え、千乗の君主が百乗の家来を召し抱えるている例は、少なくありません。
 もし「義」をあとまわしにして「利」ばかり優先に考えたら、どうなりますか? 下剋上の無限ループが始まってしまいますよ。
 仁の人は身内を決して見捨てません。義の人は主君を決してないがしろにしません。王さまも、どうぞ、ただ仁義だけをおっしゃってください。利を話題にする必要はございません」

五十歩百歩

梁恵王章句上より
 恵王いわく「私だって、良い政治をしてるんですよ。国内で飢饉が起きれば、民を移動させたり、穀物を運んだりして、飢え死にしないよう配慮してます。でも、なぜでしょうね。わが国の人口は増えません。本当なら、隣の敵国の民が、私の国に逃げ込んできて、わが国の人口が増えるはずなのですが」
 孟子いわく「王様は戦争がお好きだそうですね。では、戦争を例に、その理由をご説明しましょう。
 ある戦いで、百歩うしろに逃げた者がいました。別の者が、五十歩うしろに逃げました。五十歩ほど逃げた者が、百歩逃げた者を『やーい、この臆病者め』と笑ったら、いかがでしょう?」
 恵王いわく「それはないわ。五十歩も百歩も、逃げたことにかわりはない」
 孟子「それと同じことなのです。王さまの政治は、本当の王道政治ではありません。
 本当の王道政治を行えば、民は豊かな農産物を享受し、五十の老人が絹の服を着て、七十の老人が肉食し、子どもが学校に通って道徳を学び、白髪交じりの老人が重労働をすることもなく、庶民は飢えの恐怖から解放されます。これが王道政治です。
 でも、王さま、あなたの国では、人が食べるべき穀物を家畜が食べ、道路に餓死者がいても公庫からの炊き出しもなく、不作は異常気象のせいだ、と王さまはおっしゃってるそうですね。
 人を刀で刺した人が「私は殺してない。刃物が殺したのだ」と言うのと、王さまの態度と、どこか違いがありますか? もし王さまが、飢饉が起きるのは自分の政治の責任だ、と自覚なさるなら、それだけで、天下の民がこの国に移住して人口が増えるでしょう」

人間を食う

梁恵王章句上より
 梁の恵王が言った。
「寡人は願わくばお教えを受けましょう」
 孟子は答えて言った。
「人を殺すのに、凶器が杖と刃とで違いはありますか」
「違いはない」
「厨(くりや)に肥肉があり、厩(うまや)に肥馬があるのに、民が飢えて野に餓死する者がいるのは、動物をひきいて人間を食わせているも同じです。動物どうしが食い合うのさえ、人は憎みます。まして、民の父母も同じ王の地位にあって政治を行い、動物をひきいて人間を食べさせるとは。それで民の父母と言えましょうか」

左右を顧みて他を言う

梁恵王章句下より
 孟子が、斉の宣王に語って言った。
「王様のご家来の中に、自分の妻子を友人に託して楚の国に出張した人がいます。彼が帰国したとき、友人に託していた妻と子が飢えて凍えていたら、そんな友人はどうしましょう」
 王は「棄てる」と答えた。孟子はつづけて、
「ある役人が無能で、部下たちを統率できなければ、その役人をどうしましょう」
「更迭する」
「では、国境の内側の政治がうまくいかないときは、どうしましょう」
 王は左右の者を顧みて、別の話題の話をはじめた。

一夫の死

梁恵王章句下より
 斉の宣王が孟子にたずねた。
「かつて湯王は桀王を追放し、武王は紂王を盗伐したというが、本当か」
「そう伝えられております」
「臣下でありながら自分の主君を弑逆(しいぎゃく)してもよいのか」
「仁を賊する者を賊と申し、義を賊する者を残と申します。残賊の人間は、一夫と言います。紂という一夫が誅殺(ちゅうさつ)されたことは聞いております。主君が弑逆されたことは聞いておりません」


「故」の効用

離婁章句下より
 孟子は言う。
「天下で人間の本性を論ずる者のよりどころは『故』にほかならない。故の根本は智である。ときとして智が憎まれるのは、穿鑿しすぎるためである。もし智者が、古代の禹(う)の治水技術のように智の働く方向を正しく導くならば、智が憎まれることはなくなる。禹は洪水の荒波を、無理のない場所に導いたのである。もし智者もまた、無理のない場所に智慧を働かせたならば、智の働きも偉大なものとなる。いかに天が高く、星辰が遠くにあろうとも、仮にその『故』を求められたならば、千年後の冬至・夏至の日付も坐して知ることができるのである」

牛山の木、嘗(かつ)て美なりき

告子章句上より
 孟子は言う。
「牛山はむかし森が美しかった。が、大都会の郊外にあったため、斧で木材を伐採され、美しい山とは言えなくなってしまった。昼夜をわかたず生長する植物の生命力と雨露のめぐみによって、新しい芽が出ない訳ではないが、牛の羊の過放牧がさらに環境破壊要因となり、あのようなハゲ山になってしまったのだ。世人はあのハゲ山を見て、昔からあのような樹木の生えぬ山だったと誤認しかねないが、今の姿が山の本性なのではない」

民が最高

尽心章句下より
 孟子は言う。
「民がもっとも貴く、社禝(しゃしょく)の神が次に位置し、主君はもっとも軽い。それゆえに人民に認められたものが天子となり、天子に認められたものが諸侯となり、諸侯に認められたものが大夫(たいふ)となる。もし諸侯が社禝を危うくするときは、改めてふさわしい人物を立てよ。もし、犠牲が肥え供えの穀物も清浄で祭りの時期が正確であるにもかかわらず、旱魃や洪水に見舞われるならば、改めて新しい社禝を立てよ」


○その他


3.達磨 中国禅宗の祖師はインド人の仏教僧
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-nxo8O6f2ZTyiaRNtX_trfb

○ポイント、キーワード
○辞書的な説明
○略年表 ※達磨は歴史上、実在しなかった人物である可能性がある。 ○その他


4.白居易 清少納言と紫式部の推しの大詩人
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-lUqLZ7RoWobYHgusDXJg_g

○ポイント、キーワード
○辞書的な説明
○略年表 ○その他


5.鄭和 大航海時代を開いたムスリムの宦官
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-n4hNn9PrG2eUrzVvlBvxiN

○ポイント、キーワード
○辞書的な説明
○略年表 ○その他



6.李小龍 哲学と映画に心血を注いだ武術家
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-kcKzVFQH55QFmr1stv5ziy

○ポイント、キーワード
○辞書的な説明
○略年表 ○その他


【参考】 今まで取り上げた人物
★講座の実施日順
  1. 秦の始皇帝
  2. 前漢の高祖・劉邦
  3. 宋の太祖・趙匡胤
  4. 清末の西太后
  5. 中華人民共和国の毛沢東
  6. 共通祖先の作り方 黄帝
  7. 東アジアに残した影響 漢の武帝
  8. インフラ化した姓 後漢の光武帝
  9. 汚れた英雄のクリーニング 唐の太宗
  10. 史上最強の引き締めの結末 明の洪武帝
  11. 打ち破れなかった2つのジンクス 蒋介石
  12. パワーゲーマーの栄光と転落 唐の玄宗
  13. 織田信長もあこがれた古代の聖王 周の文王
  14. 「19浪」の苦節をのりこえた覇者 晋の文公
  15. 早すぎた世界帝国 元のクビライ
  16. 中国統治の要道を示した大帝 康煕帝
  17. 21世紀の中国をデザイン ケ小平
  18. 魏の曹操 漢・侠・士の男の人間関係
  19. 殷の紂王 酒池肉林の伝説の虚と実
  20. 斉の桓公 中国史上最初の覇者
  21. 唐の武則天 中国的「藩閥」政治の秘密
  22. 清の乾隆帝 世界の富の三割を握った帝王
  23. 周恩来 失脚知らずの不倒翁
  24. 古代の禹王 中華文明の原体験
  25. 蜀漢の諸葛孔明 士大夫の典範
  26. 宋の徽宗 道楽をきわめた道君皇帝
  27. 明の永楽帝 世界制覇の見果てぬ夢
  28. 清の李鴻章 老大国をささえた大男
  29. 臥薪嘗胆の復讐王・勾践
  30. 始皇帝をつくった男・呂不韋
  31. 劉邦をささえた宰相・蕭何
  32. チンギス・カンの側近・耶律楚材
  33. 大元帥になった国際人・孫文
  34. 清と満洲国の末代皇帝・溥儀
  35. 太古の堯と舜 「昭和」の出典になった伝説の聖天子
  36. 蜀漢の劉備 「負け太り」で勝ち抜いた三国志の英雄
  37. 明の万暦帝 最後の漢民族系王朝の最後の繁栄
  38. 袁世凱 83日間で消えた「中華帝国」の「洪憲皇帝」
  39. 劉少奇 21世紀も終わらない毛沢東と劉少奇の闘争
  40. 楚の荘王――初めは飛ばず鳴かずだった覇者
  41. 斉の孟嘗君――鶏鳴狗盗の食客を活用した戦国の四君
  42. 呉の孫権――六朝時代を創始した三国志の皇帝
  43. 梁の武帝――ダルマにやりこめられた皇帝菩薩
  44. 南唐の李U――李白と並び称せられる詩人皇帝
  45. 台湾の鄭成功――大陸反攻をめざした日中混血の英雄
  46. 趙の藺相如――国を守った刎頸の交わり
  47. 前秦の苻堅――民族融和を信じた帝王の悲劇
  48. 北魏の馮太后――欲深き事実上の女帝
  49. 隋の煬帝――日没する処の天子の真実
  50. 明の劉瑾――帝位をねらった宦官
  51. 林彪――世界の中国観を変えた最期
  52. 項羽――四面楚歌の覇王
  53. 司馬仲達――三国志で最後に笑う者
  54. 太武帝――天下を半分統一した豪腕君主
  55. 憑道――五朝八姓十一君に仕えた不屈の政治家
  56. チンギス・カン――子孫は今も1600万人
  57. 宋美齢――英語とキリスト教と蒋介石
  58. 平原君―食客とともに乱世を戦う
  59. 陳平―漢帝国を作った汚い政治家
  60. 秦檜―最も憎まれた和平主義者
  61. 曽国藩―末世を支えた栄光なき英雄
  62. 汪兆銘―愛国者か売国奴か
  63. 江青―女優から毛沢東夫人へ
  64. 孔子 東洋の文明をデザインした万世の師表
  65. 司馬遷 司馬遼太郎が心の師とした歴史の父
  66. 玄奘 孫悟空の三蔵法師のモデルはタフガイ
  67. 李白 酒と旅を愛した詩人の謎に満ちた横顔
  68. 岳飛 中華愛国主義のシンボルとなった名将
  69. 魯迅 心の近代化をはかった中国の夏目漱石
  70. 扁鵲 超人的な医術を駆使した伝説の名医
  71. 孟子 仁義と王道政治を説いた戦国の亜聖
  72. 達磨 中国禅宗の祖師はインド人の仏教僧
  73. 白居易 清少納言と紫式部の推しの大詩人
  74. 鄭和 大航海時代を開いたムスリムの宦官
  75. 李小龍 哲学と映画に心血を注いだ武術家

★時代順
先秦時代(三皇五帝、夏・殷・周、春秋・戦国)
  1. 共通祖先の作り方 黄帝
  2. 太古の堯と舜 「昭和」の出典になった伝説の聖天子
  3. 古代の禹王 中華文明の原体験
  4. 殷の紂王 酒池肉林の伝説の虚と実
  5. 織田信長もあこがれた古代の聖王 周の文王
  6. 斉の桓公 中国史上最初の覇者
  7. 「19浪」の苦節をのりこえた覇者 晋の文公
  8. 楚の荘王――初めは飛ばず鳴かずだった覇者
  9. 孔子 東洋の文明をデザインした万世の師表
  10. 扁鵲 超人的な医術を駆使した伝説の名医
  11. 臥薪嘗胆の復讐王・勾践
  12. 孟子 仁義と王道政治を説いた戦国の亜聖
  13. 斉の孟嘗君――鶏鳴狗盗の食客を活用した戦国の四君
  14. 平原君―食客とともに乱世を戦う
  15. 趙の藺相如――国を守った刎頸の交わり
秦・漢・三国(漢末)
  1. 秦の始皇帝
  2. 始皇帝をつくった男・呂不韋
  3. 項羽――四面楚歌の覇王
  4. 前漢の高祖・劉邦
  5. 劉邦をささえた宰相・蕭何
  6. 陳平―漢帝国を作った汚い政治家
  7. 東アジアに残した影響 漢の武帝
  8. 司馬遷 司馬遼太郎が心の師とした歴史の父
  9. インフラ化した姓 後漢の光武帝
  10. 魏の曹操 漢・侠・士の男の人間関係
  11. 蜀漢の劉備 「負け太り」で勝ち抜いた三国志の英雄
  12. 蜀漢の諸葛孔明 士大夫の典範
  13. 司馬仲達――三国志で最後に笑う者
  14. 呉の孫権――六朝時代を創始した三国志の皇帝
魏晋南北朝(五胡十六国時代、六朝時代)
  1. 前秦の苻堅――民族融和を信じた帝王の悲劇
  2. 北魏の太武帝――天下を半分統一した豪腕君主
  3. 北魏の馮太后――欲深き事実上の女帝
  4. 梁の武帝――ダルマにやりこめられた皇帝菩薩
  5. 達磨 中国禅宗の祖師はインド人の仏教僧
隋・唐から宋・元
  1. 隋の煬帝――日没する処の天子の真実
  2. 汚れた英雄のクリーニング 唐の太宗
  3. 玄奘 孫悟空の三蔵法師のモデルはタフガイ
  4. 唐の武則天 中国的「藩閥」政治の秘密
  5. パワーゲーマーの栄光と転落 唐の玄宗
  6. 李白 酒と旅を愛した詩人の謎に満ちた横顔
  7. 白居易 清少納言と紫式部の推しの大詩人
  8. 憑道――五朝八姓十一君に仕えた不屈の政治家
  9. 南唐の李U――李白と並び称せられる詩人皇帝
  10. 宋の太祖・趙匡胤
  11. 宋の徽宗 道楽をきわめた道君皇帝
  12. 秦檜―最も憎まれた和平主義者
  13. 岳飛 中華愛国主義のシンボルとなった名将
  14. チンギス・カン――子孫は今も1600万人
  15. チンギス・カンの側近・耶律楚材
  16. 早すぎた世界帝国 元のクビライ
明・清
  1. 史上最強の引き締めの結末 明の洪武帝
  2. 明の永楽帝 世界制覇の見果てぬ夢
  3. 鄭和 大航海時代を開いたムスリムの宦官
  4. 明の劉瑾――帝位をねらった宦官
  5. 明の万暦帝 最後の漢民族系王朝の最後の繁栄
  6. 台湾の鄭成功――大陸反攻をめざした日中混血の英雄
  7. 中国統治の要道を示した大帝 康煕帝
  8. 清の乾隆帝 世界の富の三割を握った帝王
  9. 曽国藩―末世を支えた栄光なき英雄
  10. 清の李鴻章 老大国をささえた大男
  11. 清末の西太后
  12. 清と満洲国の末代皇帝・溥儀
民国・中華人民共和国
  1. 大元帥になった国際人・孫文
  2. 袁世凱 83日間で消えた「中華帝国」の「洪憲皇帝」
  3. 魯迅 心の近代化をはかった中国の夏目漱石
  4. 汪兆銘―愛国者か売国奴か
  5. 打ち破れなかった2つのジンクス 蒋介石
  6. 中華人民共和国の毛沢東
  7. 周恩来 失脚知らずの不倒翁
  8. 宋美齢――英語とキリスト教と蒋介石
  9. 劉少奇 21世紀も終わらない毛沢東と劉少奇の闘争
  10. 21世紀の中国をデザイン ケ小平
  11. 林彪――世界の中国観を変えた最期
  12. 江青―女優から毛沢東夫人へ
  13. 李小龍 哲学と映画に心血を注いだ武術家

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