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中国権力者列伝

第7シーズン
最新の更新 2022年3月25日    最初の公開 2022年1月12日

 以下、https://www.asahiculture.jp/course/shinjuku/98fd6a90-a753-2934-f93d-616eacf0b814より引用。引用開始。
 古来、世界の権力者は、軍隊や治安組織などの「暴力装置」、宗教や学問を利用した「権威装置」、臣下や民衆の不満の暴発を防ぐ「安全装置」を力のよりどころにしてきました。日本や西洋と違い、中国では21世紀の今も安全装置が未熟なままです。前3世紀の秦の始皇帝から現代の国家主席まで、中国の歴代の権力者は「騎虎(きこ)の勢い」状態です。いったん虎(権力の比喩)にまたがって走り出したら、途中で止まれない。もし虎の背中から降りれば、たちまち自分が虎に食い殺される。中国はなぜ、このような国となったのでしょう。その理由と歴史的経緯を、豊富な図像を交えて、予備知識のないかたにもわかりやすく説き明かします。(講師・記)
日程 2022/1/13, 1/27, 2/24, 3/10, 3/24  第2週・第4週 木曜 10:30〜12:00 全5回 (引用終了)
  1. 太古の堯と舜 「昭和」の出典になった伝説の聖天子 2022年1月13日
  2. 蜀漢の劉備 「負け太り」で勝ち抜いた三国志の英雄 2022年1月27日
  3. 明の万暦帝 最後の漢民族系王朝の最後の繁栄 2022年2月24日
  4. 袁世凱 83日間で消えた「中華帝国」の「洪憲皇帝」 2022年3月10日
  5. 劉少奇 21世紀も終わらない毛沢東と劉少奇の闘争 2022年3月24日

参考 今までの講座
[「中国権力者列伝」第1シーズン] 2020年6月-9月
[「中国権力者列伝」第2シーズン] 2020年10月-12月
[「中国権力者列伝」第3シーズン] 2021年1月-3月
[「中国権力者列伝」第4シーズン] 2021年4月-6月
[「中国権力者列伝」第5シーズン] 2021年7月-9月
[「中国権力者列伝」第6シーズン] 2021年10月-12月

1.太古の堯と舜 「昭和」の出典になった伝説の聖天子
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-ko_y0qd7Uv_5DbvaDuKshj

○キーワード・ポイント

○辞書的な記載

○漢文に出てくる堯舜の事跡の例

『十八史略』五帝・帝尭陶唐氏より。現代語訳のみ。
 帝尭陶唐氏は、姓は伊祁である。名は放という説もある。帝嚳の息子である。
 その仁の心は天のようで、その知力は神のようだった。彼の近くにつきしたがえば輝く太陽のように思え、遠くから見ると高い恵の雲のように見えた。
 尭は、都を平陽(現在の山西省臨汾市堯都区の「堯廟」あたりか)に置いた。宮殿は「茅茨不翦(ぼうしふせん)、土階三等」 という質素なものだった(かやぶき屋根で、軒先も切りそろえておらず、土台の高さはわずか三段ぶんだけであった)。
 宮殿の庭に雑草が生えた。毎月の十五日までは、毎日葉が一枚づつ生えた。 毎月の後半は逆に一枚づつ葉が落ちた。 ただし三十日未満の月は(旧暦は、大の月は三十日、小の月は二十九日)葉が一枚だけ残って落ちなかった。 この草を「蓂莢」(めいきょう)と名付け、葉を観察して上旬・中旬・下旬の推移や、朔日を知った。
 尭が天下を統治して五十年たった。 冶まっているのかいないのか、 億兆(十万、百万)の民が自分を推戴することを願っているのか願っていないのか、 彼にはわからなかった。 左右の側近に聞いてもわからない。 朝廷の臣下に聞いてもわからない。 在野の識者に聞いてもわからない。
 そこで、尭はおしのびで外出し、康衢(こうく。道路が四方八方に通じている、町中)を歩きまわった。
 子供が歌っていた。
 立我烝民、莫匪爾極。不識不知、順帝之則。  (我が烝民を立つる、爾の極に匪ざる莫し。識らず知らず、帝の則に順う) ――私たち人民の生活が成り立つのは、みな、あのかたの究極の徳政のおかげ。みんなは知らないうちに、天子さまのお触れにしたがっている。
【堯は、プロパガンダのにおいを嗅ぎ取り、安心できなかった】

 老人がいた。口に食べ物を含んで自分の腹つづみをうち、地面を叩きながら歌った。
 日出而作、日入而息。鑿井而飲、畊田而食。帝力何有於我哉。
 (日出で作(な)し、日入りて息う。井を鑿うがちて飲み、田を畊(たがや)して食らう。帝力、何ぞ我に有らんや)
 日が出てりゃ働く。暮れれば休む。井戸堀り水飲む、耕し食べる。天子の力なんて関係ないね。
【堯は、民衆が真に自由であることを知り、ようやく安心した】

 尭は華山に行幸した。山の関所の番人が言った。
「おお、聖人に祝福の言葉を捧げます。あなた様が長生きしますよう。豊かになって多くの男子に恵まれますよう」
 尭は言った。「やめてくれ。男子が多いと心配事が増える。豊かになれば面倒が増える。 長生きすれば恥辱を受けることが増える(寿則多辱。いのちながければ、すなわち、はじ、おおし)」
 番人は反論した。
「天は万人をこの世に生むと、必ず職を授けます。 男の子が多くても、仕事を与えれば、何の心配事もありませんよ。 豊かになったら、富を人々に分配すれば、何の面倒も起きませんよ。 天下に道がある世なら、万物と共に繁栄を謳歌すればよろしいでしょう。 天下に道がない世なら、徳を修めて暇を楽しみ、千年のあいだ世間と距離を置き、 昇天して白い雲に乗り神様のいる天国に行けば、恥辱を受ける心配はありませんよ」

『十八史略』五帝・帝舜有虞氏より。現代語訳のみ。
 帝舜有虞氏は姚姓である。名は重華という、という説もある。瞽瞍(瞽叟。こそう)の息子で、 顓頊の六世の孫である。
 舜の父は、後妻の色香に惑溺(わくでき)し、後妻との間にできた象(しょう)という子を溺愛し、 いつも舜を殺そうとつけ狙った。が、舜は孝悌(こうてい)の道を尽くし、人格を修養して姦淫に至らなかった。
【説話では、舜は後妻から姦淫を迫られたが拒否し、焼き殺されそうになったとき屋根から原始的なパラシュートで 降りて脱出したり、と様々な苦労をしている。舜は実家を離れ、流浪の生活を送った。】
 舜が歴山で農耕生活を送ると、近くの人々は感化され畦を譲り合うようになった。
 舜が雷沢で漁師になると、人々は感化さ漁場を譲るようになった。
 舜が河岸で焼き物を焼くと、器はゆがまずきれいに焼き上がった。
 舜が住むと自然に人が集まって村ができ、二年で町になり、三年で都会になった。
 時の天子であった堯は、舜が聡明であることを聞いて、彼を民間から抜擢したいと考えた。  堯は、自分の2人の娘、娥黄と女英を舜の嫁にしようとして、嫁入り道具を調えて嬀汭(ぎぜい。山西省の地名)に行かせた。
 こうして舜は、堯の大臣となり、政務を行った。いわゆる「四罪」(舜四凶)【共工(きょうこう)、驩兜(かんとう)、鯀(こん)、三苗(さんびょう)の4人の悪神、ないし神話的人物】 を退けた。具体的には、驩兜を放逐し、共工を流刑にし、鯀を死刑にし、三苗を山奥へ追いやった。 その一方、才子である「八元八ト」の16人を登用し、九官を任命し、十二牧(12人の地方長官)と国政を協議した。 才能のある善良な者を十六人登用し、国政を分担する官僚を任命し、地方を統治する十二人の総督と相談した。こうして、四海の内(天下、の意)はみな舜の功績のおかげをこうむった。

 舜は「五絃之琴」を弾き、「南風之詩」を歌い、天下はうまく治まった。詩に曰く。  南風之棘a、可以觧吾民之慍兮、南風之時兮、可以阜吾民之戝兮。  (南風の薫ずる、以て吾が民の慍(いかり)を解くべし。南風の時なる、以て吾が民の財を阜(ゆたか)にすべし)
――南の風がかぐわしく吹く。わが民の心はやさしくなれる。南の風が吹くべきときに吹く。わが民の財産は豊かになれる。
時景星出、卿雲興。百工相和而歌曰、卿雲爛兮、糺縵縵兮、日月光華、旦復旦兮。
 (南風之薫れる、以て吾が民之慍りを解く可し、南風之時なる、以て吾が民之財を阜つむ可しと。  その時、空にめでたい星が輝き、めでたい雲がわいた。百官は唱和した。
 卿雲爛兮、糺縵縵兮、日月光華、旦復旦兮。
 (卿雲爛たり。糺(キュウ)縵縵(マンマン)たり。日月(ジツゲツ)光華あり、旦、復た旦)
――めでたい雲が輝いて、よじれて、ゆるゆる長く伸びる。太陽と月は光輝き、朝の次はまた朝。

 舜の子の商均は、不肖の馬鹿息子だった。そこで舜は、禹を天に推薦した。引退した舜は南に巡狩(じゅんしゅ)し、蒼梧(そうご。湖南省永州市寧遠九疑山)の野で亡くなった。

○その他
  • 孔子の言行録『論語』には「堯曰(ぎょうえつ)第二十」という章がある。
     堯曰「咨爾舜。天之暦數在爾躬。允執其中。四海困窮。天禄永終」。舜亦以命禹。(以下略)
     堯いわく「ああ、なんじ舜。天の暦数、なんじのみにあり。まことにその中(ちゅう)を執れ。四海、困窮せば、天禄、永く終わらん」と。 舜もまたもって禹に命ず。
  • 『韓非子』難一の「矛盾」の寓話は、もともとは儒家の堯舜理想化を批判するためのものだった。
    (要約)堯の時代。歴山の農民は畑の境界を争い、 黄河の漁師は釣場を奪いあい、 東夷の陶工は粗悪な土器を作った。それぞれの地に 舜が一年住むと、舜の仁徳に教化されて、それぞれの人民は立派になったという。
     孔子は、舜は聖人だ、と感嘆した。
     が、これは矛盾である。
     もし堯が本当に完璧な聖天子なら、天下に不正や乱れはなかったはずだ。 舜が乱れを改めたというなら、堯は聖人ではなかったことになる。 堯と舜が同時に聖人であることは、「矛盾」の話と同じで、論理的に成り立たないのである。
     また、舜は1年に1箇所ずつ、つまり3年でたった3箇所を教化できたにすぎない。効率が悪すぎる。
     もし、私が主張しているとおり、信賞必罰の法令を天下の人民に施行すれば、すぐに天下は治まるだろう。
     また『韓非子』五蠹(ごと)にいう。
    (要約)昔、堯が王であった時代、王宮は質素だった。 屋根は「茅茨不剪」、たる木は丸太のままのクヌギ。堯の食べ物は粥とアカザや豆の葉のスープ。 衣服は、冬は鹿の皮、夏は葛(かずら)。現代の門番だってもっとましな暮らしをしている。
     禹が王となった時には、スキやクワをみずから持って率先して肉体労働にいそしみ、ふくらはぎの肉がなくなり、すねの毛がすり切れてなくなったという。 現代の奴隷だってこれよりは楽である。
     つまり、堯や舜が天子の位をあっさりと譲ったのは、門番の暮らしや奴隷の労働から自由になることと同義だった。 ゆえに、天下を譲る、なんて、当時はぜんぜん美談ではなかったのだ。
  • 堯から天下を譲られようとして断った「許由巣父」(きょゆうそうほ)の故事は、東洋美術の画題にもなった。
  • 金の第5代皇帝・世宗(在位1161−1189)は、金朝第一の名君で「小堯舜」 とも呼ばれた
  • 東洋史学者の白鳥庫吉(しらとり くらきち)は1909年、いわゆる「堯舜抹殺論」を発表し、学界で論争を巻き起こした。
     cf.白鳥庫吉「『尚書』の高等批評 特に堯舜禹に就いて」 初出:「東亞研究」第二卷第四號 1912(明治45)年4月
  • 倉石武四郎『中国文学講話』(岩波新書)には、1915年頃のこととして以下の挿話を載せる。
     今から五十年ほどまえ、わたしが第一高等学校に入学したばかりのこと、一年生の東洋史の箭内亙先生が、東洋史のはじ めに、堯・舜などという帝王たちは実在の人物ではなくて後世のつくり話だと講義 された。そのとき、クラスのなかにいた中国の留学生が突然たちあがり、血相かえ て「先生!堯舜アリマス」といって抗議したという事件があった。堯と禹と舜で 「天・地・人」の思想を擬人化したものだといわれ、 それが少壮学者に支持されたわけです。しかし、この学説は当時の漢学者からみま すと、「まことにけしからん」というわけである。漢学者先生たちが堯・舜を抹殺 されてはといって論議されたのは、ちょうど中国の留学生が「先生!堯舜アリマ ス」といったのと、ほぼ同じ心境で、今から思うとほほえましい。
  • 日本の元号「昭和」の出典は、『書経』堯典の漢文「百姓昭明、協和万邦」である。
  • 芥川龍之介の小説『歯車』(『文藝春秋』1927年10月号)には、「僕」が高名な漢学者に堯舜非実在論を語る場面がある。
     以下「青空文庫」のhttps://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/40_15151.htmlより引用。引用開始。
    が、僕の心もちは明るい電燈の光の下にだんだん憂欝になるばかりだつた。 僕はこの心もちを遁れる為に隣にゐた客に話しかけた。彼は丁度獅子のやうに白い頬髯ほほひげを伸ばした老人だつた。 のみならず僕も名を知つてゐた或名高い漢学者だつた。従つて又僕等の話はいつか古典の上へ落ちて行つた。
    「麒麟はつまり一角獣ですね。それから鳳凰もフエニツクスと云ふ鳥の、……」
     この名高い漢学者はかう云ふ僕の話にも興味を感じてゐるらしかつた。僕は機械的にしやべつてゐるうちにだんだん 病的な破壊慾を感じ、堯舜を架空の人物にしたのは勿論、「春秋」の著者もずつと後の漢代の人だつたことを話し出した。 するとこの漢学者は露骨に不快な表情を示し、少しも僕の顔を見ずに殆ど虎の唸るやうに僕の話を截り離した。
    「もし堯舜もゐなかつたとすれば、孔子は譃をつかれたことになる。聖人の譃をつかれる筈はない。」
     僕は勿論黙つてしまつた。
  • 今から4000−4300年前に栄えた山西省臨汾市襄汾県・陶寺遺跡を、伝説の「堯」の都と見る説がある。
     参考記事「山西省・陶寺遺跡、伝説の「堯の都」か」人民網日本語版 2015年06月26日13:14
  • 宇都宮市には「堯舜国際幼稚舎」という名前の認可外保育施設がある。

    2.蜀漢の劉備 「負け太り」で勝ち抜いた三国志の英雄
    YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-mOpwXxA6C80SJIKTZQ8c3b

    ○キーワード・ポイント

    ○辞書的な記載
    ○劉備に関係する故事成語や名言
    ○略歴

    ○その他
    内部ミニリンク

    3.明の万暦帝 最後の漢民族系王朝の最後の繁栄
    YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-nxZNTAMoMby-FnTYqXEqlO

    ○キーワード・ポイント

    ○辞書的な記載

    ○略歴

    ○その他


    4.袁世凱 83日間で消えた「中華帝国」の「洪憲皇帝」
    YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-lyHjqvY6M7NAxXDrOdnw-T

    ○キーワード・ポイント

    ○辞書からの引用

    ○略歴
    ○その他
    5.劉少奇 21世紀も終わらない毛沢東と劉少奇の闘争
    YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-nt5HVpdILmcluV8Aw5IcXg

    Google 画像検索 検索結果 [劉少奇 王光美] [刘少奇 王光美]

    ○キーワード・ポイント

    ○辞書的な記載

    ○略歴

    ○その他 劉少奇の6人の妻
    1. 故郷の隣村の周某(名前は不明)と見合い婚。
    2. 1922年、何葆貞(何宝珍)と結婚。
       彼女は国民党に逮捕され1934年に南京で獄死。
      ○息子・劉允斌・・・1967年に鉄道自殺。
      ○息子・劉允若・・・文革で迫害を受け、1977年に北京で病死。
      ○娘・劉愛琴・・・・・文革の迫害を生き抜き、2020年に93歳で死去。
       文革中は「愛琴さんと兄と弟の3人は内蒙古自治区に連れて行かれて、拷問を受ける毎日を送る。文革では愛琴さんも「ソ連のスパイ」などと批判を受け「歯から血が流れ、腰がおかしくなり失禁」するほどの暴行を受けた。」(2015.05.17 07:00  NEWSポストセブン「非業の死遂げた劉少奇元主席の娘「普通の家に生まれてたら…」」https://www.news-postseven.com/archives/20150517_323105.html?DETAIL )
    3. 謝飛(1913年2月3日−2013年2月14日)、後に離婚。
    4. 王前(1923年−?)安徽省無為県生まれ。新四軍の看護婦だった。1942年2月に劉少奇と結婚。国共内戦の激化にともない、国民党の高官である2人の兄をもつ王前は、1946年に離婚。2人の兄のうち1人は国共内戦で戦死、もう1人は台湾に逃げた。
       文革が始まると迫害を受けたが、生き残るため、江青といっしょに王光美らを攻撃した。
       劉少奇とのあいだに一男一女をもうけた。
      ○劉允真(劉丁。1946年7月−2019年1月3日)延安生まれ。文革の初期、父・劉少奇の「悪事」を暴露する壁新聞(大字報)を妹とともに発表し、中国の内外を震撼させた。
      参考記事 中国語 https://www.163.com/dy/article/H1FGU2P70548I8RK.html ○劉涛(1944年10月−)延安生まれ。文革中は母や兄とともに劉少奇を批判して一線を画した。文革末期の1976年秋、江青ら四人組の迫害を逃れるため雲南省から鉄道でビルマへ脱出しようとしたが、見つかって逮捕され、2年間監禁された。文革後は詩を発表して話題となった。
    5. 王健 朱徳夫妻の紹介で結婚したが、彼女の健康上の理由で、わずか数日で事実上の離婚。
    6. 王光美(1921年9月26日−2006年10月13日)
       女性としては中国初の原子物理学(専門は光学)修士学位取得者。要するに、理系の大学院生という才媛だった。
       1946年、数え25歳のとき、「北平軍事調解処」の通訳だったとき、朱徳夫妻の紹介で劉少奇と知り合う。48年8月21日、簡素な婚礼をあげる。
       文化大革命が始まるまでは「中国のファーストレディ」であった。1963年の劉少奇夫妻の東南アジア歴訪では、チャイナドレスにハイヒールという姿が話題になった。毛沢東夫人(離婚時期は不明)の江青から嫉妬され、文革中は迫害といじめを受けた。
      参考動画 YouTube 【楊瀾訪談録】王光美 https://youtu.be/op5amQkclbY   YouTube 歴史真相:劉少奇之死和両個女人的戦争(VOA) https://youtu.be/1M-JEoLUtWM ○娘・劉平平(1949年5月13日−2009年12月3日)文革の当初は紅衛兵のリーダーだったが、父の関係で迫害を受けた。文革後の1980年に米国に留学し「王晴」と改名。帰国後は中国初の「工業化豆乳」に成功。1998年に脳溢血により植物状態になった。
      ○息子・劉源(1951年2月22日−) 文革後の1982年に中国共産党に入党。中国人民解放軍の上将までつとめあげ、2015年に退役。習近平の親友。
      参考記事 「劉少奇の息子と習近平の現在の関係に絶句!父親の何番目の子供?」https://mikano-kaiji.com/seijika/6802/
      ○娘・劉亭(1952年4月1日−):1981年から米国のボストン大学やハーバード大学に留学し、それぞれで学位号と修士号を取得。2020年9月には中国政府からコロナ対策での活躍を評価され「抗撃新冠肺炎疫情全国三八紅旗手」を授与される。
      ○娘・劉瀟瀟(1960年−):文革後の1979年に北京大学生物学系に入学し、その後はドイツにも留学。
      参考動画 YouTube「【中視新聞1000106】劉少奇女兒劉亭 台灣現身受矚目」https://youtu.be/khMKIBwinng


    【参考】 今まで取り上げた人物
    ★講座の実施日順
    1. 秦の始皇帝
    2. 前漢の高祖・劉邦
    3. 宋の太祖・趙匡胤
    4. 清末の西太后
    5. 中華人民共和国の毛沢東
    6. 共通祖先の作り方 黄帝
    7. 東アジアに残した影響 漢の武帝
    8. インフラ化した姓 後漢の光武帝
    9. 汚れた英雄のクリーニング 唐の太宗
    10. 史上最強の引き締めの結末 明の洪武帝
    11. 打ち破れなかった2つのジンクス 蒋介石
    12. パワーゲーマーの栄光と転落 唐の玄宗
    13. 織田信長もあこがれた古代の聖王 周の文王
    14. 「19浪」の苦節をのりこえた覇者 晋の文公
    15. 早すぎた世界帝国 元のクビライ
    16. 中国統治の要道を示した大帝 康煕帝
    17. 21世紀の中国をデザイン ケ小平
    18. 魏の曹操 漢・侠・士の男の人間関係
    19. 殷の紂王 酒池肉林の伝説の虚と実
    20. 斉の桓公 中国史上最初の覇者
    21. 唐の武則天 中国的「藩閥」政治の秘密
    22. 清の乾隆帝 世界の富の三割を握った帝王
    23. 周恩来 失脚知らずの不倒翁
    24. 古代の禹王 中華文明の原体験
    25. 蜀漢の諸葛孔明 士大夫の典範
    26. 宋の徽宗 道楽をきわめた道君皇帝
    27. 明の永楽帝 世界制覇の見果てぬ夢
    28. 清の李鴻章 老大国をささえた大男
    29. 臥薪嘗胆の復讐王・勾践
    30. 始皇帝をつくった男・呂不韋
    31. 劉邦をささえた宰相・蕭何
    32. チンギス・カンの側近・耶律楚材
    33. 大元帥になった国際人・孫文
    34. 清と満洲国の末代皇帝・溥儀
    35. 太古の堯と舜 「昭和」の出典になった伝説の聖天子
    36. 蜀漢の劉備 「負け太り」で勝ち抜いた三国志の英雄
    37. 明の万暦帝 最後の漢民族系王朝の最後の繁栄
    38. 袁世凱 83日間で消えた「中華帝国」の「洪憲皇帝」
    39. 劉少奇 21世紀も終わらない毛沢東と劉少奇の闘争
    ★時代順 ★時代順
    先秦時代(三皇五帝、夏・殷・周、春秋・戦国)
    1. 共通祖先の作り方 黄帝
    2. 太古の堯と舜 「昭和」の出典になった伝説の聖天子
    3. 古代の禹王 中華文明の原体験
    4. 殷の紂王 酒池肉林の伝説の虚と実
    5. 織田信長もあこがれた古代の聖王 周の文王
    6. 斉の桓公 中国史上最初の覇者
    7. 「19浪」の苦節をのりこえた覇者 晋の文公
    8. 臥薪嘗胆の復讐王・勾践
    秦・漢・三国(漢末)
    1. 秦の始皇帝
    2. 始皇帝をつくった男・呂不韋
    3. 前漢の高祖・劉邦
    4. 劉邦をささえた宰相・蕭何
    5. 東アジアに残した影響 漢の武帝
    6. インフラ化した姓 後漢の光武帝
    7. 魏の曹操 漢・侠・士の男の人間関係
    8. 蜀漢の劉備 「負け太り」で勝ち抜いた三国志の英雄
    9. 蜀漢の諸葛孔明 士大夫の典範
    魏晋南北朝(五胡十六国時代、六朝時代)
    1. 工事中
    隋・唐から宋・元
    1. パワーゲーマーの栄光と転落 唐の玄宗
    2. 汚れた英雄のクリーニング 唐の太宗
    3. 唐の武則天 中国的「藩閥」政治の秘密
    4. 宋の太祖・趙匡胤
    5. 宋の徽宗 道楽をきわめた道君皇帝
    6. チンギス・カンの側近・耶律楚材
    7. 早すぎた世界帝国 元のクビライ
    明・清
    1. 史上最強の引き締めの結末 明の洪武帝
    2. 明の永楽帝 世界制覇の見果てぬ夢
    3. 明の万暦帝 最後の漢民族系王朝の最後の繁栄
    4. 中国統治の要道を示した大帝 康煕帝
    5. 清の乾隆帝 世界の富の三割を握った帝王
    6. 清末の西太后
    7. 清の李鴻章 老大国をささえた大男
    8. 清と満洲国の末代皇帝・溥儀
    民国・中華人民共和国
    1. 大元帥になった国際人・孫文
    2. 袁世凱 83日間で消えた「中華帝国」の「洪憲皇帝」
    3. 打ち破れなかった2つのジンクス 蒋介石
    4. 中華人民共和国の毛沢東
    5. 周恩来 失脚知らずの不倒翁
    6. 劉少奇 21世紀も終わらない毛沢東と劉少奇の闘争
    7. 21世紀の中国をデザイン ケ小平

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