火曜日 10:40〜12:10 全5回 2025年07月01日 〜 07月29日
目標
・歴史の真実を知る面白さを学ぶ。
・現代と近未来の問題を歴史をヒントに考える。
・中国社会の特徴を理解することで、日本社会への教訓を得る。
講義概要
中国の「五行思想」は、あらゆる事物を五種類に整理して相互関係を設定するという、自然認知の哲学です。現代の科学から見ると奇妙な点もありますが、古代においては進歩的な世界観であり、日本や中国の歴史にも大きな影響を与えてきました。実際、複雑怪奇に見える中国史の事象も、五行的な視点で「五つの要素」に注目すると、すんなりと本質がわかることが多い。その理由は、中国人が過去二千年にわたり、個人レベルでも社会レベルでも「五行」を意識して生きてきたからです。本講座では、紀元前11世紀から現代までの中国文明史を「五行」の視座を使って読み解き、豊富な映像資料を使い、予備知識のないかたにもわかりやすく解説します。
2400年前の戦国時代から2千年前の漢代にかけて形成された「五行思想」は、中国人(以下、主に漢民族を指します)の日常生活から天下国家の政治運営に至るまで、絶大な影響を与えてきました。世界的に見ても、中国人の「分類マニア」ぶりは異常です。人や事物に対するレッテル貼りを好みます。「木・火・土・金・水」の「五行」を基本として、五方、五時、五倫、五臓、五味、五穀、五音、五族・・・など、さまざまな事物を強引に「五つ」に分類したうえで、それぞれの協調と敵対の関係を設定してきました。1949年に成立した中華人民共和国の国旗も五つの人間集団を黄色い星であらわす「五星紅旗」であり、文革中は出自家族のレッテル貼り「紅五類」「黒五類」が横行しました。中国人の強みでもあり弱みでもある「五行的視点の呪縛」について、わかりやすく解説します。参考 waseda20230718.html#01
また「自分という人間に対して、中国人が好意的なレッテルを貼るよう、相手を誘導する秘訣」という中国人相手の処世術についても言及します。
ごぎょう‐せつ〔ゴギヤウ‐〕【五行説】
中国古代の学説で、自然も人間・社会も、木・火・土・金・水の五つの元素の一定の循環法則に従って変化するという説。 木・火・土・金・水の各元素が順々に次の元素を生み出してゆくとする五行相生(そうせい)説と、木・土・水・火・金の各元素がそれぞれ次の元素にうち克ってゆくとする五行相克(そうこく)説とがある。→五行
五行説 ごぎょうせつ
中国古代人の世界観の一つ。五行はまた五材といい、『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』(左伝)に「天五材を生じ、民並びにこれを用う」とあるように、生活に必要な水、火、金、木、土の五つの素材(民用五材)である。 この五行の次序は、『書経』の「洪範(こうはん)」にあり、「生成の五行」という。この五行の次序を、自然の相生ずる関係に配して、木、火、土、金、水とし、四季の循環に取り入れたものを五行相生(そうせい)説という。 『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』の十二紀篇(へん)にみられる配当などはそれで、五行循環の自然観が神秘的な五行説に転化したものである。 これに対して、戦国時代、斉(せい)の鄒衍(すうえん)が、水、火、金、木、土と次序して、王朝交替の革命説とした。これを五行相剋(そうこく)説という。五行の相勝つ循環にのっとった武力革命説である。 漢代では、緯書(いしょ)説が五行相生説によって革命説を確立し、以後の王朝は、多くこれによってその王朝の徳を主張した。五徳終始(しゅうし)説とされるものである。 なお、漢代では五行説は陰陽(いんよう)説と結合して陰陽五行説となり、以後の中国人のものの見方、考え方の基調となった。
[安居香山]
五行 | 木 | 火 | 土 | 金 | 水 |
---|---|---|---|---|---|
五色 | 青 | 赤 | 黄 | 白 | 黒 |
五方 | 東 | 南 | 中央 | 西 | 北 |
五時 | 春 | 夏 | 土用 | 秋 | 冬 |
五味 | 酸 | 苦 | 甘 | 辛 | 鹹 |
五常 | 仁 | 礼 | 信 | 義 | 智 |
五事 | 貌 | 視 | 思 | 言 | 聴 |
五神 | 魂 | 神 | 意 | 魄 | 志 |
五情 | 喜 | 楽 | 怨 | 怒 | 哀 |
五志 | 怒 | 喜・笑 | 思・慮 | 悲・憂 | 恐・驚 |
五臓 | 肝 | 心 | 脾 | 肺 | 腎 |
六腑 | 胆 | 小腸・三焦 | 胃 | 大腸 | 膀胱 |
五星 | 歳星 | 熒惑 | 鎮星 | 太白 | 辰星 |
五虫 | 鱗 | 羽 | 裸 | 毛 | 介 |
五獣 | 青龍 | 朱雀 | 黄龍・麒麟 | 白虎 | 玄武 |
五官 | 目 | 舌 | 口 | 鼻 | 耳 |
五音 | 牙音 | 舌音 | 唇音 | 歯音 | 喉音 |
五声 | 角 | 徴 | 宮 | 商 | 羽 |
五指 | 薬指 | 中指 | 食指 | 親指 | 小指 |
五液 | 涙 | 汗 | 涎 | 涕 | 唾 |
五主 | 筋・爪 | 血脈 | 肌肉・唇 | 皮毛 | 骨髄・髪 |
五果 | 李 | 杏 | 棗 | 桃 | 栗 |
五穀 | 麻・胡麻 | 麦 | 米 | 黍 | 大豆 |
五菜 | 韭 | 薤 | 山葵 | 葱 | 藿 |
五畜 | 鶏 | 羊 | 牛 | 馬 | 豚 |
五経 | 楽 | 書 | 詩 | 礼 | 易 |
五変 | 握 | 憂 | 噦 | 欬 | 慄 |
十干 | 甲・乙 | 丙・丁 | 戊・己 | 庚・辛 | 壬・癸 |
十二支 | 寅・卯・辰 | 巳・午・未 | 辰・未・戌・丑 | 申・酉・戌 | 亥・子・丑 |
八卦 | 雷・風 | 火 | 山・地 | 天・沢 | 水 |
五気 | 陽 | 陽 | 土用 | 陰 | 陰 |
九星 | 三碧・四緑 | 九紫 | 二黒・五黄・八白 | 六白・七赤 | 一白 |
五行 | 木 | 火 | 土 | 金 | 水 |
中国料理の五味は「酸・苦・甘・辛・鹹(塩辛い)」です。日本料理の五味「甘味・塩味・酸味・苦味・うま味」と少しだけ違います。 料理を芸術に高めた中国人は、料理に技術だけでなく哲学も求めました。 儒教の古典『礼記』月令篇では、五行思想にのっとり季節ごとの五味が規定されています。 宮廷料理だけでなく、庶民の家庭料理や郷土料理の味つけも、五味の影響が強い。 現代中国の民間のことわざで「東は酸っぱく、南は甘く、西は辛く、北はしょっぱい」と言います。 同じ中華料理でも東西南北では基本的な味が違う。東の山東料理はすっぱいが、南の広東料理は甘く、西の四川料理は辛く、北の北京料理はしょっぱい。 五行思想の「木火土金水」「東南中西北」「酸苦甘辛鹹」の配当と、21世紀現在の中華料理の味つけの現状をくらべると、東と西と北は今も五行思想のままです。 中国料理の味という卑近で具体的な事例から五行的な視点で読み解くと、中国人の地域差が、手に取るようにわかります。
漢方では、食べ物の性質を知る方法として「五味」という考え方があります。五気と同様に五行の法則にのっとり、食べ物をその味の違いによって5つの性質に分類したものです。また、五味と五臓は深く関係していて、特定の味を体が欲しているときは体のある部分が疲れていたり、弱っていたりすることもあります。 (中略)漢方の古い書物には、酸は肝・胆、苦は心・小腸、甘は脾(ひ)・胃、辛は肺・大腸、鹹は腎(じん)・膀胱に入るとあり、口から入った食べ物は味の違いによってそれぞれ違う臓器に働きかけると書かれています。 (中略)肝は、漢方においては肝臓だけでなく精神をコントロールする作用もあると考えられています。そのため、イライラした時などには酸味の強いものを口に入れることでストレスを発散させることができます。 (以下略)この他にも、中国人は庶民レベルで「薬食同源」の感覚をもっている。
五行 | 木 | 火 | 土 | 金 | 水 |
---|---|---|---|---|---|
五時 | 春 | 夏 | 土用 | 秋 | 冬 |
五味 | 酸 | 苦 | 甘 | 辛 | 鹹 |
五事 | 貌 | 視 | 思 | 言 | 聴 |
五志 | 怒 | 喜・笑 | 思・慮 | 悲・憂 | 恐・驚 |
五臓 | 肝 | 心 | 脾 | 肺 | 腎 |
六腑 | 胆 | 小腸・三焦 | 胃 | 大腸 | 膀胱 |
五果 | 李 | 杏 | 棗 | 桃 | 栗 |
五穀 | 麻・胡麻 | 麦 | 米 | 黍 | 大豆 |
五菜 | 韭 | 薤 | 山葵 | 葱 | 藿 |
五畜 | 鶏 | 羊 | 牛 | 馬 | 豚 |
孟春之月,日在營室,昏參中,旦尾中。其日甲乙。其帝大r,其神句芒。其蟲鱗。其音角。律中大蔟。其數八。其味酸,其臭羶。其祀戸,祭先脾。 東風解凍,蟄蟲始振,魚上冰,獺祭魚,鴻鴈來。 天子居青陽左个。乘鸞路,駕倉龍,載青旂,衣青衣,服倉玉。食麥與羊,其器疏以達。 |
台所のガスコンロで鍋をささえる金具を「五徳」と言います。 五徳は本来、儒教の「温・良・恭・倹・譲」の五つの徳を指します。 儒教では、人間が常に備えるべき五つの性向を「仁・義・礼・智・信」の「五常」にまとめました。 また五つの社会的な人間関係を「父子・君臣・夫婦・朋友・長幼」の「五倫」としました。 五徳、五常、五倫など人間関係のエッセンスも、五行思想に収斂され、五つの要素として配当されました。 明治時代の「教育勅語」の「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ」「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」という言葉も五倫をふまえています。 西洋のnationの訳語が「国家」であることからもわかるように、中国の政治や社会は「家族」を出発点とする人間関係を延長するという発想で運営されてきました。 昔の中国でいわゆる「小乗仏教」が定着しなかった理由、近現代の中国が「社会主義」を受け入れた理由も、ここにあります。 儒教と中国共産党は真逆であると誤解する日本人は多いですが、中国文明史という巨視的な観点から見れば、中国は今も昔も個人主義より集団主義の国であり、人間関係こそ最大の資本であるとする価値観をもつ国です。「父子・君臣・夫婦・朋友・長幼」と「木火土金水」の配当をくらべると、中央(土)は「夫婦」です。現代日本語の「不倫」が、五倫のうち夫婦関係の不倫だけを指す理由も、実はここにあります。
1.くに。王室と国土。という5つの意味を挙げる。 cf.京劇『宇宙鋒』(うちゅうほう):ヒロインは、国の皇帝と、家父長である父親と戦う。
2.天子。王。
3.諸侯の国と卿大夫の家。
4.現在の朝廷。
5.一定の地域に居住する多数人から成り、統治権によって組織せられている団体。領土・人民・統治権が、その概念の三要素とされている。
五倫 | 五常 | 五行 | 説明 |
---|---|---|---|
父子の親 | 仁 | 木 | 木は生長・育成を象徴し、親が子を慈しみ、子が親を敬う「仁」に対応する。 |
君臣の義 | 義 | 金 | 金は義理・剛直・正義を象徴し、君臣関係の厳正な上下関係に通ずる。 |
夫婦の別 | 礼 | 火 | 火は明・礼・区別を象徴し、夫婦の役割の分化=「男女有別」に対応する。 |
長幼の序 | 智 | 水 | 水は智・柔順を象徴し、年長者と年少者の序列と導きに対応する。 |
朋友の信 | 信 | 土 | 土は万物を受け容れ安定させる性質があり、信頼に基づく朋友関係に通じる。 |
君臣、木に応ず。君徳ありて民を育む、木の条理に象(かたど)る。
父子、火に応ず。火は温かくして、恩愛を養う。
夫婦、土に応ず。土は万物を生じ、夫婦の和、家のもといとなる。
朋友、金に応ず。金は義を貴び、交わりに信を立てる。
長幼、水に応ず。水は下に流れて順なり。年長は導き、年少は従う。
五倫 (ごりん) Wǔ lún
中国において,人の重んずべき五つの人間関係をいう。父子の親,君臣の義,夫婦の別,長幼の序,朋友の信をいう。 五倫という語は,児童に人の守るべき道を教える,明の沈易の《五倫詩》,また君道,臣道,父道,子道,夫婦の道,兄弟の道,朋友の道について述べた,明の宣宗の御撰《五倫書》に初めて現れる。 しかし,その内容としての五つの人倫とそれぞれの徳目は《孟子》に由来する。 后稷(こうしよく)を用いて民生を安定させた舜が,つぎに契(せつ)を起用して,〈父子に親あり,君臣に義あり,夫婦に別あり,長幼に序あり,朋友に信あり〉と人倫道徳を教えさせた。 これが《礼記(らいき)》では,順序が君臣,父子,夫婦,昆弟,朋友に変わって〈天下の達道五〉にかぞえられ,漢初の《淮南子(えなんじ)》では〈君臣の義,父子の親,夫婦の弁,長幼の序,朋友の際〉と表現されている。 五倫の教えは実践道徳として尊重され,朱熹(子)は教育の綱領として掲げ,陸九淵(象山)は内面化して心学を唱えた。 日本でも熊沢蕃山の《五倫書》,室鳩巣の《五倫名義》などが述作され,明治の教育勅語にとり入れられた。
執筆者:日原 利国
むえん‐しゃかい〔‐シヤクワイ〕【無縁社会】
社会の中で孤立して生きる人が増加している現象を表す言葉。平成22年(2010)にNHKの報道番組の中で用いられた造語。未婚・非婚率の上昇、家族・親族や地域社会における人間関係の希薄化、個人情報保護の行き過ぎ、終身雇用制の崩壊、長期にわたる不況などが原因とされ、孤独死の増加といった問題が生じている。
近代西洋の音韻学が伝わる以前、東アジアの漢字文化圏では、子音の発音を五種の「五音」に大別していました。五音は「唇・舌・歯・牙・喉」の5つです。歌舞伎の『外郎売』(ういろううり)の口上「そりゃそりゃそらそりゃ、廻って来たわ、廻って来るわ。アワヤ喉、サタラナ舌にカ牙サ歯音、ハマの二つは唇の軽重。開合爽やかに、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ」も、五行思想の五音をふまえたセリフです。また音楽の五音(五声)は「宮・商・角・徴・羽」で、それぞれ西洋音階のド・レ・ミ・ソ・ラにあたります。本講座の講師(加藤徹)はNHKテレビの番組『中国語!ナビ』の担当講師でもあり、また研究の専門は京劇や明清楽(みんしんがく)などの音楽文化です。日本語と中国語は、同じ東アジアの国どうしなのに、どうしてこんなに発音のしかたが違うのか。中国と日本の歌曲は、どうしてこんなに風格が違うのか。中国人の音声は、日常生活の会話も、歌声も、「メリハリをはっきり、くっきりと区別する」という五行思想の発想が根底に流れています。音楽や言語に興味のないかたにもわかりやすく、「耳で聞けばわかる中国人の心のくせ」を解き明かします。
五行 | 木 | 火 | 土 | 金 | 水 |
---|---|---|---|---|---|
五声 | 角 | 徴 | 宮 | 商 | 羽 |
五音 | 牙音 | 舌音 | 唇音 | 歯音 | 喉音 |
五官 | 目 | 舌 | 口 | 鼻 | 耳 |
五色 | 青 | 赤 | 黄 | 白 | 黒 |
五方 | 東 | 南 | 中央 | 西 | 北 |
五時 | 春 | 夏 | 土用 | 秋 | 冬 |
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 1 | 6 | 7 | 1 | |||||||
日本在来音階 | 沖縄音階 | ド | ミ | ファ | ソ | シ | ド | ||||||||
わらべ歌音階 | ド | bミ | ファ | ソ | bシ | ド | |||||||||
律音階 | ド | レ | ファ | ソ | ラ | ド | |||||||||
都音階 | ド | bレ | ファ | ソ | bラ | ド |
七音 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
五音 | |||||||
五音の名称 | 唇音 | 舌音 | 歯音 | 牙音 | 喉音 | 半舌音 | 半歯音 |
現代中国語の声母 | 唇音(bpmf) | 舌尖音(dtnl) 捲舌音(zh,ch,sh,r) |
舌面音(jqx) 舌歯音(zcs) |
舌根音(gk) | 舌根音(h) | (l) | (r) |
江戸時代の日本語 | ハマ | タラナ | サ | カ | アワヤ |
西洋階名 | Do | Re | Mi | Fa | Sol | La | Si | Do | |||||
「簡譜」 | 1 | #1 | 2 | #2 | 3 | 4 | #4 ♭5 | 5 | #5 | 6 | #6 ♭7 | 7 | 1 |
五正声 | 宮 | 商 | 角 | 徴 | 羽 | 宮 | |||||||
七音(1) 古音階二変 |
宮 | 商 | 角 | 変 徴 | 徴 | 羽 | 変 宮 | 宮 | |||||
七音(2) 新音階二変 |
宮 | 商 | 角 | 清 角 | 徴 | 羽 | 変 宮 | 宮 | |||||
七音(3) 清商音階二変 |
宮 | 商 | 角 | 清 角 | 徴 | 羽 | 閏 | 宮 | |||||
日本雅楽 | 宮 | 変 商 | 商 | 嬰 商 | 呂 角 | 律 角 | 変 徴 | 徴 | 変 羽 | 羽 | 嬰 羽 | 変 宮 | 宮 |
民間工尺(旧) | 上 | 尺 | 工 | 凡 | 六 | 五 | 乙 | 仩 | |||||
民間工尺(新) | 上 | 尺 | 工 | 凡 | 六 | 五 | 乙 | 仩 |
音楽を好む(ことは君主の十のあやまちの一つである)とは、どういうことか。
昔、衛の霊公という君主が晋に向かう途中、濮水(ぼくすい)という川のほとりに到着した。 彼は馬車を止めて馬を放ち、仮の宿を設けて一夜を過ごすことにした。 夜が半ばを過ぎたころ、不思議な音楽がどこからともなく聞こえてきた。霊公はその音楽に心を奪われ、家臣たちに「どこから聞こえるのか調べよ」と命じた。 しかし誰一人として、その音の出どころを確認することができなかった。 そこで霊公は音楽に通じた家臣・師涓(しけん)を呼び、 「この音はまるで人の演奏ではなく、鬼神のしわざのようである。お前が聴き取って楽譜に記してくれ」と命じた。 師涓は「かしこまりました」と答え、静かに座って琴(きん)を奏でながら、その音を再現し、書き留めた。
翌日、師涓は霊公に「音楽は把握できましたが、まだ習得しておりません。もう一晩、練習する時間をください」と願い出た。霊公はそれを許し、師涓はさらに一晩とどまって練習し、その音楽を身につけてから晋へと出発した。
晋に到着すると、晋の平公は霊公を施夷の台で宴でもてなした。酒が進み、霊公が席を立ったところで、平公が言った。
「新しい曲を、得られたそうですね。ぜひお聞かせください。」
霊公は「わかりました」と答え、師涓に演奏させた。師涓は、晋の名音楽家・師曠(しこう)のそばに座って琴を奏で始めた。 曲の途中で、師曠が演奏を制して言った。
「これは亡国の音楽でございます。最後まで演奏してはなりませぬ」
平公が「この曲の出所は?」と尋ねると、師曠は答えた。 「これは殷王朝の末期、暴君・紂王(ちゅうおう)のもとで師延という音楽家が作った退廃的な音楽です。 周の武王が紂を討つと、師延は東へ逃れ、濮水にたどり着いて自ら命を絶ちました。 以来、この音楽は、濮水のほとりでしか耳にすることがありません。 この音楽が流れた国は、必ず国運が衰えます。演奏すべきではありません」
それでも平公は「わしは音楽が好きなのじゃ。演奏を続けよ」と命じた。師涓は命に従い、曲を最後まで演奏した。
演奏が終わると、平公は師曠に問うた。
「この音楽は何というのか?」
師曠は「これは清商(せいしょう)と呼ばれるものです」と答えた。
「清商は、もっとも悲しい音楽なのか?」
「いえ。これより悲しいのは清徵(せいち)でございます」
「その清徵は聞くことができるのか?」
「それは難しゅうございます。古代に清徵を聴いたのは、みな徳と義を兼ね備えた立派な君主ばかりでした。 おそれながら、わが殿は徳が浅く、聴くことはできませぬ」
「わしは音楽が好きなのじゃ。試しに聴かせてくれ」
師曠はやむなく琴を取り出し、清徵を演奏した。
1回目の演奏で、黒い鶴16羽が南から飛んできて、宮殿の門に舞い降りた。2回目の演奏で鶴たちは整列し、3回目の演奏で首を伸ばして鳴き、翼を広げて舞った。音は五音の「宮」「商(しょう)」にぴたりと合い、音色は天まで響いた。
平公はたいへん喜び、宴席の人々もみな歓喜した。平公は杯を手にして立ち、師曠に寿(ことほ)ぎの言葉を贈ったのち、再び問いかけた。
「清徵よりも悲しい音楽はないのか?」
「それよりも悲しいのは清角(せいかく)でございます」
「清角は聞くことができるのか?」
師曠は説明した。
「昔、黄帝が泰山で鬼神を集めて大祭を行ったときに清角という音楽が生まれました。 象に引かせた車に乗り、六頭の蛟龍がこれを引き、畢方(ひっぽう)という神獣が並走し、蚩尤(しゆう)が先導し、風の神が道を掃き、雨の神が水をまき、虎や狼が前を行き、鬼神がその後に従い、騰蛇は地に伏し、鳳凰は空から覆いかぶさりました。 そのような荘厳な神々の行列のなかで奏されたのが清角なのでございます。 この音楽を聴くにふさわしいのは、卓越した徳を備えた君主だけです。しかし、わが殿は徳が薄く、聴くべきではありません。 もし演奏すれば、災厄が起こるでしょう」
平公は言った。
「わしは老い先短い。音楽だけが楽しみなのだ。ぜひ聴かせてくれ」
師曠はついに折れて、清角を演奏した。 1回目の演奏で、西北の空から黒雲が湧き上がった。 2回目で烈風が吹き荒れ、激しい雨が降り、 幕は裂け、祭具は壊れ、瓦屋根が崩れ、参列者は皆逃げ出した。 平公は恐れて、廊下の隅に身を伏せた。
その後、晋の国は大干ばつに見舞われた。大地は3年間も赤く、ひび割れたままとなった。 平公自身も重い下半身不随の病にかかることとなった。
だからこそ、古人は言ったのである。
「政治を顧みず、音楽の快楽にふけり続ければ、いずれ身を滅ぼすことになる」と。
呉(ご)の赤烏(せきう)三年、句章(こうしょう)の農夫楊度(ようたく)という者が余姚(よよう)というところまで出てゆくと、途中で日が暮れた。※小泉八雲の怪談「狢(むじな)」の元ネタと思われる。
ひとりの少年が琵琶(びわ)をかかえて来て、楊の車に一緒に載せてくれというので、承知して同乗させると、少年は車中で琵琶数十曲をひいて聞かせた。 楊はいい心持で聴いていると、曲終るや、かの少年は忽(たちま)ち鬼のような顔色に変じて、眼を瞋(いか)らせ、舌を吐いて、楊をおどして立ち去った。
それから更に二十里(六丁(ちょう)一里。日本は三十六丁で一里))ほど行くと、今度はひとりの老人があらわれて、楊の車に載せてくれと言った。 前に少しく懲(こ)りてはいるが、その老いたるを憫(あわ)れんで、楊は再び載せてやると、老人は王戒(おうかい)という者であるとみずから名乗った。 楊は途中で話した。
「さっき飛んだ目に逢いました」
「どうしました」
「鬼がわたしの車に乗り込んで琵琶を弾きました。鬼の琵琶というものを初めて聴きましたが、ひどく哀(かな)しいものですよ」
「わたしも琵琶をよく弾きます」
言うかと思うと、かの老人は前の少年とおなじような顔をして見せたので、楊はあっと叫んで気をうしなった。
「五族」は漢文古典では五つの氏族・親族を指す言葉でした。時代がくだると、五つの「民族」を指すようになります。「五胡十六時代」の「五胡」は、五つの非漢民族「匈奴・鮮卑・羯・?・羌」です。20世紀初めに成立した中華民国のスローガン「五族共和」では「漢・満・蒙・回・蔵」(蔵はチベット人)の5つの民族とされました。満洲国の「五族協和」では「満・漢・蒙・日・鮮」(この順番は『大漢和』の五族の項)で、満洲国の国旗の五色と各民族が結びつけられました。1949年に成立した中華人民共和国の国旗「五星紅旗」の五つの星は民族ではなく、五つの社会階級です。「五族」をキーワードに、統合の理想と内訌の現実の歴史を解き明かします。