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明楽関雎(かんしょ) 」 「秋風辞(しゅうふうじ)

最初--の公開2008-05-22 最新の更新2017/11/3

[関雎]付:唐代雅楽の関雎 [中国語ジャーナル・関雎]
[秋風辞]  [古秋風辞]  [中国語ジャーナル・秋風辞]
[参考図書]  [ミニリンク]
工尺譜の読み方 一口メモ
 例えば「上」は「ド」。1オクターブ高い「ド」も「上」。

2008.4.28姫路文学館にて。クリックすると拡大。
 この頁では、明清楽(みんしんがく)で唱われた「関雎」と「秋風辞」を紹介いたします。
 もともとは、いわゆる「魏氏明楽」の曲ですが、「月琴楽譜」はじめ清楽の本にも収録されており、清楽でも唱われました。
 江戸時代から明治にかけての日本人は、漢詩を、漢文訓読で吟詠するだけでなく、唐音(中国語の発音)で唱っていたのです。

 「魏氏明楽」の復元演のなかでも、坂田古典音楽研究所による復元演奏(写真)は、多数の『魏氏楽譜』を比較対照して打譜した楽譜を使用し、楽器も当時の古楽器を使用するなど、最もすぐれています。
 ただ残念ながら、坂田古典音楽研究所による演奏の録音や楽譜は、いまのところまだ非公開です・・・・・・筆者は持っていますけど(^^;;

 そこで、次善の苦肉の策として、現在、中国や日本で公刊されている復元楽譜(参考図書)を参考にして、私が編曲してDTM化した音源と、清楽の工尺譜などを公開します。
 坂田古典研究所の演奏楽譜とは微妙に違います(プロの音楽家なら聞いてわかる)。

 東京の湯島聖堂などで、ときどき坂田古典音楽研究所による明楽の復元演奏が行われることがありますので、興味のあるかたは聴きに行ってください。


関雎
歌つき。
カラオケ。

『詩経』の詩。『魏氏楽譜』凌雲閣六巻本には、3種類の「関雎」が収録されている(歌詞は同じ)。
g13(魏氏楽譜の通しナンバー13)と、g206、g218である。
【g13】  伴奏コード(BmとかAなどの記号)は加藤徹のアレンジ。
 以下略
[mp3でg13の歌を聴く] [mp3カラオケ]  [MIDI版]。
[魏氏楽譜の画像 凌雲閣本・第一巻より]
【g206】
 以下略
[MIDIでg206を聴く]    [魏氏楽譜の画像 凌雲閣本・第五巻より]
【g218】
 以下略
[MIDIでg218を聴く]  [魏氏楽譜の画像 凌雲閣本・第五巻より]

【参考】 唐代雅楽「関雎」
南宋・趙彦粛が伝えた「唐開元風雅十二詩譜」には、唐の時代の雅楽で歌われた「関雎」の律呂譜も収録されている。
これは、朱子(朱熹)『儀礼経伝通解』や、南宋・熊朋来編『瑟譜』巻二「詩旧譜」にも収録されており、原注には「無射清商、俗呼越調」とある。
[
MIDIで聴く] 

以下、本項ではg13の「関雎」について述べる。
↓『月琴楽譜』の板眼(、。)と、『魏氏楽譜』の方格を合成し、工尺譜を「ドレミ」に置き換えたもの。
(伴奏コードは加藤徹が加えた)
五 、 、 上五合 工合五合 工合五合 尺。
ラーラーーードラソーミソラソミーソラソーレーーー
合 工 合 五上五、。 五合工 合五合 尺、。
ソーミーソーラドラーーーーーラソミーソラソーレーーーーー


↓『魏氏楽譜』(明和5年=1768)より。
 肉筆で書き込まれた楽譜が微妙に違うことに注意。
 良質な複数の本を比較対照しなければ、原曲の復元が難しいことがわかる。

↓『月琴楽譜』(明治10年=1877年)より。
 明楽の一部は清楽に吸収されて残存した。

【訓読】
  1. 関関たる雎鳩は 河の洲に在り 窈窕たる淑女は 君子の好逑。
     カンカンたるショキュウ かわのすにあり ヨウチョウたるシュクジョは クンシのコウキュウ
  2. 参差たる[草/行]菜は 左右に之を流る 窈窕たる淑女は 寤寐に之を求む。
     シンシたるコウサイは サユウにこれをとる ヨウチョウたるシュクジョは ゴビにこれをもとむ
  3. 之を求めて得ざれば 寤寐に思服す 悠なるかな悠なるかな 輾転反側す。
     これをもとめてえざれば ゴビにシフクす ユウなるかなユウなるかな テンテンハンソクす
  4. 参差たる[草/行]菜は 左右に之を采る 窈窕たる淑女は 琴瑟もて之を友とす。
     シンシたるコウサイは サユウにこれをとる ヨウチョウたるシュクジョは キンシツこれをともとす
  5. 参差たる[草/行]菜は、左右に之を[草/毛]る 窈窕たる淑女は 鐘鼓もて之を楽しましむ。
     シンシたるコウサイは サユウにこれをとる ヨウチョウたるシュクジョは ショウコもてこれをたのしましむ
【大意】
  1. カンカンと鳴くミサゴ(猛禽類の一種) つがいで川の中洲にいる しっとりとしたおばこは とのがたの良きつれあい
  2. ふぞろいに伸びたアサザ(ハナジュンサイ)の葉は 左に右につまみとる しっとりとしたおばこは 寝ても覚めても探し求める
  3. 求めても見つからないので 寝ても覚めても思い悩む 悩ましや悩ましや 悩んで何度も寝がえりをうつ
  4. ふぞろいに伸びたアサザの葉は 左に右ににぎりとる しっとりとしたおばこと 琴と瑟の楽器をかなでて遊ぶ
  5. ふぞろいに伸びたアサザの葉は 左に右にむしりとる しっとりとしたおばこと 鐘と太鼓を鳴らして遊ぶ

月刊『中国語ジャーナル』2008年11月号より
[連載] 『中国小唄物語』中国語副題「雅俗共賞 中国古老歌曲」
第8回 明楽「関雎」──三千年前の歌詞を六百年前のメロディーで
同誌付録CDよりMP3化したもの [mp3 歌] [mp3カラオケ] 

( 1 ) Guānguān jūjiū , zài hé zhī zhōu . Yǎotiǎo shūnǚ , jūnzǐ hǎoqiú .
关关雎鸠,在河之洲。窈窕淑女,君子好逑。
( 2 ) Cēncī xìngcài , zuǒyòu liú zhī . Yǎotiǎo shūnǚ , wùmèi qiú zhī .
参差荇菜,左右流之。窈窕淑女,寤寐求之。
( 3 ) Qiú zhī bù dé , wùmèi sīfú . Yōuzāi yōuzāi , zhǎnzhuǎn fǎncè .
求之不得,寤寐思服。悠哉悠哉,辗转反侧。
( 4 ) Cēncī xìngcài , zuǒyòu cǎi zhī . Yǎotiǎo shūnǚ , qínsè yǒu zhī.
参差荇菜,左右采之。窈窕淑女,琴瑟友之。
( 5 ) Cēncī xìngcài , zuǒyòu mào zhī . Yǎotiǎo shūnǚ , zhōnggǔ lè zhī.
参差荇菜,左右芼之。窈窕淑女,钟鼓乐之。

 「明楽」(みんがく)は、明王朝(みんおうちょう)の廟堂音楽(びょうどうおんがく)である。廟堂音楽とは、朝廷の奥深くで演奏される荘重な雅楽のこと。
 1644年、明王朝が滅亡し、満洲人の清王朝に取って代われた。当時、中国本土の戦乱を避けて、多数の中国人が海外に逃げた。福建省出身の商人であった魏之琰(ぎしえん 1617年?-1689年)は、日本との交易で財産を作り、長崎に永住した。
 魏之琰から四代目にあたる魏皓(ぎこう。日本名は鉅鹿民部規貞)は、長崎の自分の家で代々伝承されていた「明楽」(みんがく)を世に広めたいと考え、京にのぼって公家や大名たちの前で明楽を演奏した。荘重で力強い男声合唱と伴奏音楽を聴いた江戸時代の日本人は「これが本物の雅楽か」と驚いた。
 日本のいわゆる「雅楽」は、7〜8世紀ごろ、唐王朝の宮廷の宴会で演奏されていた「燕楽」(えんがく)がベースとなっている。遣唐使が輸入した宴会音楽を、日本人は「雅楽」と呼ぶ。だが中国で雅楽と言えば、本来は、廟堂音楽を指す。
 姫路藩主の酒井忠恭(さかいただずみ)は、文化を愛好する大名だった。酒井は明楽に惚れこみ、魏皓のパトロンとなった。中国本土が清王朝に支配されていた時代、隣の日本では、すでに滅びて久しい明王朝の雅楽が、武士の合唱団によって中国語で歌われ、演奏された。1774年に魏皓が死ぬと、明楽のブームは下火になったが、楽譜や楽器など貴重な資料が残された。
 明楽は中国本土では消滅したが、日本に伝わったおかげで絶滅をまぬかれた。今日の中国の音楽研究者も、明楽については日本の資料に頼っている。現在、東京の坂田古典音楽研究所で、ときどき明楽の復元演奏・合唱が行われている。
 CDに収録した明楽の曲「関雎」(かんしょ)の歌詞は、漢文の古典『詩経』そのままで、三千年前のものだ。歌詞の大意は──(1)カンカンと鳴くミサゴ(猛禽類の一種)が つがいで川の中洲にいる しとやかな淑女(しゅくじょ)は とのがたの良きつれあい。(2)ふぞろいに伸びたハナジュンサイの葉は 左に右につまみとる しとやかな淑女は 寝ても覚めても探し求める。(3)求めても見つからないので 寝ても覚めても思い悩む 悩ましや悩ましや 悩んで何度も寝がえりをうつ。(4)ふぞろいに伸びたハナジュンサイの葉は 左に右ににぎりとる しとやかな淑女と 琴と瑟(しつ)の楽器をかなでて遊ぶ。(5)ふぞろいに伸びたハナジュンサイの葉は 左に右にむしりとる しとやかな淑女と 鐘と太鼓を鳴らして遊ぶ。


秋風辞
歌付き。Gmに移調。

カラオケ。Gmに移調。

カラオケ。原調の高さ(Bm)。

漢の武帝の詩。[
歌付き・mp3(Gmに移調)]  カラオケ[(midiカラオケ Gm移調版]  カラオケ[MIDI版])。

五 合 工合 五、工 尺、上、。 ラーーーソーミソラーーーーーミーレーーーーーーードーーーーーーー
五合 五合 尺上、五。尺上五 、、。 ラーソーラーソーレードーラーーーレードーラーーーーラーーーーーーー
尺 工 尺上 尺上 五合 五、、、。 レーミーレードーレードーラーソーラーーーーーーーラーーーーーーー
五 上 五 合、、 上尺 工、尺上、。 ラードーラーーーソーーーーードレミーーーーーレードーーーーーーー
五 上 五 合、、工、、、、。 ラードーラーーーソーーーーーーーミーーーミーーーミーーーーーーー
尺 工 尺 上 尺、 上 五 、、。 レーミーレードーレーーーーーーードーーーラーーーラーーーーーーー
尺 工 尺 上 尺、 上 五 、、。 レーミーレードーレーーーーーーードーーーラーーーラーーーーーーー
五 合 五 合五、 尺 、 、、。 ラーソーラーソーラーーーーーーーレーーーレーーーレーーーーーーー
上 尺工 尺 上 五、 五 合五 合五、 ドーレミレードーラーーーーーーーラーソーラーソーラーーーーーーー

↓『魏氏楽譜』より。


↓『月琴楽譜』1877年刊より。

【訓読】
秋風起りて白雲飛び、草木黄落して雁南帰す
 ツエウ フヲン キイ ヒイ ペ イユン フイ、ツアウ モ ワン ロ ヒイ ヱン ナン クイ
 シュウフウおこりて ハクウンとび、ソウモク コウラクして ガン ナンキす
蘭 秀有りて菊 芳有り、佳人を懐ひて忘る能はず
 ラン ユウ スエウ ヒイ キヨ ユウ フワン、ワイ キヤア ジン ヒイ ポ ネン ワン
 ラン シュウありて キク ホウあり、カジンをおもいて わするあたわず
楼船を泛べて汾河を済る、中流をぎりて素き波を揚ぐ、簫鼓鳴りて棹歌発る
 ハン レウ ヂエン ヒイ ツイ フヱン ホウ(「ホン」は誤り)、ホン チヨン リウ ヒイ ヤン スウ ポウ、
 スヤウ クウ ミン ヒイ ハ デヤウ コヲ
 ロウセンをうかべてフンガをわたる、チュウリュウをよこぎりて しろきなみをあぐ ショウコなりてトウカおこる
歓楽極りて哀情多し、少壮幾時ぞ老いを奈何せん
 フワン ロ ギ ヒイ アイ ジン トウ、シヤウ チヤン キイ ズウ ヒイ ナイ ラウ ホウ
 カンラクきわまりてアイジョウおおし、ショウソウいくときぞ おいをいかんせん

月刊『中国語ジャーナル』2010年1月号より
[連載] 『中国小唄物語』中国語副題「雅俗共賞 中国古老歌曲」
第10回 明楽「秋風辞」 ──贅沢をきわめた帝王の孤独

秋风起兮白云飞,Qiūfēng qǐ xī báiyún fēi ,
草木黄落兮雁南归。cǎomù huángluò xī yàn nán guī .
兰有秀兮菊有芳,Lán yǒu xiù xī jú yǒu fāng ,
怀佳人兮不能忘。huái jiārén xī bù néng wàng .
泛楼船兮济汾河,Fàn lóuchuán xī jì Fénhé ,
横中流兮扬素波,héng zhōngliú xī yáng sùbō ,
箫鼓鸣兮发棹歌。xiāogŭ míng xī fā zhàogē .
欢乐极兮哀情多,Huānlè jí xī āiqíng duō ,
少壮几时兮奈老何? shàozhuàng jǐshí xī nài lǎo hé ?

 漢の武帝は、姓を劉(りゅう)、名を徹(てつ)という。彼は、漢王朝の最盛期に君臨し、美人と文学を愛好した。北方謙三氏の小説『史記 武帝紀』をはじめ、日本の歴史小説にもよく登場する有名な皇帝である。
 武帝は紀元前113年の秋、数え44歳のとき、群臣を連れて汾陽の地に旅行した。汾陽という地名は、山西省を流れる「汾河」の日あたりの良い側(北側)の土地、という意味である。洛陽という地名が「洛河の北側」の意であるのと同様。日本では、名酒「汾酒(フェンチウ)」の産地として有名。
 汾陽の地で、武帝は大河に巨船を浮かべ、群臣たちと豪華な宴会をもよおした。武帝は「秋風の辞」という漢詩を詠んだ。訓読すると──秋風(しゅうふう)起こりて白雲(はくうん)飛び、草木(そうもく)黄落(こうらく)して雁(がん)南帰(なんき)す。蘭(らん)に秀(しゅう)有りて菊に芳(ほう)有り。佳人(かじん)を懐(おも)いて忘る能(あた)わず。楼船(ろうせん)を泛(うか)べて汾河(ふんが)を済(わた)る。中流をぎりて素(しろ)き波を揚(あ)ぐ。簫鼓(しょうこ)鳴りて棹歌(とうか)発(おこ)る。歓楽(かんらく)極(きわ)まりて哀情(あいじょう)多(おお)し。少壮(しょうそう)幾時(いくとき)ぞ、老いを奈何(いかん)せん。
この詩の大意は──秋の風。青空を白い雲が飛ぶ。草木の葉は黄ばんで落ち、雁たちは南へ帰る。佩蘭(はいらん。フジバカマ)の花は美しく色づき、菊の花はかぐわしい。季節のうつろいのなか、私は、美しいあの人を思い出す。彼女のおもかげが忘れられない。……私は群臣とともに、豪華な船遊びを楽しむ。汾河に巨船を浮かべ、大河の流れを横切る。白い波があがり、笛や太鼓の音楽が鳴り、漕ぎ手たちの合唱が響きわたる。私は皇帝として、風流の贅沢をきわめた。が、このむなしさは、何だろう。若き日は、あっというまに過ぎさった。老いてゆく自分を、さて、どうしよう。──
漢字の「愁」は「秋の心」と書く。人生の思秋期、武帝がつぶやいた「歓楽極まりて哀情多し」という言葉は、ことわざとなった。
 古来、武帝のこの漢詩に合わせて、さまざまな曲が作られてきた。中国のテレビドラマ『漢武帝』 (主演は周里京)でも、武帝が晩年に人生を回想するシーンで、この「秋風辞」が男女の合唱曲として流れる。ここでは、江戸時代から明治にかけて日本でも流行した明清楽(みんしんがく)の「秋風辞」の曲を紹介する。
同誌付録CDよりMP3化したもの→[歌・mp3] 



「古秋風辞」
年代不明の筆写本(明治後期? 
こちらも)の、秋風辞の工尺譜と歌詞。




参考図書

【「関雎」と「秋風辞」の楽譜】
 『魏氏楽譜』の収録曲の一部を五線譜や数字譜に直したものとしては、
○中西啓監修・著、塚原ヒロ子編・著『月琴新譜──長崎明清楽のあゆみ』(1991年、長崎文献社)(ISBN-13: 978-4888510653 )
○【中文書】林光旋編『中国古典詩詞歌曲』1994年、中国青年出版社(北京市) ISBN 7-5006-1507-8
○【中文書】劉崇徳訳譜『楽府歌詩 古楽譜百首』2001年、河北大学出版社(保定市) ISBN 7-81028-697-8/I・126
などがある。
 中西・塚原『月琴新譜』は、『魏氏楽譜』原本の「関雎」の部分の影印と、「清楽の楽符を明楽の楽符の右に朱書した長崎丸山の伝書によって採譜した」五線譜を載せる(「秋風辞」は無い)。
 林光旋『中国古典詩詞歌曲』には、「関雎」と「秋風辞」の数字譜も収録されている。同書の「関雎」は雷雨声の作曲であり、「秋風辞」は「古曲 林光旋整理編配」であり、いずれも『魏氏楽譜』を直接の出典とはしていない。 しかし、雷雨声作曲の「関雎」の旋律は魏氏明楽と似ている部分がある。また「古曲」である「秋風辞」の旋律も魏氏明楽と似ている。
 劉崇徳『楽府歌詩 古楽譜百首』は、復元演奏のCD付の本である。『魏氏楽譜』の「関雎」と「秋風辞」を五線譜に直したものと、それぞれの復元演奏が収録されている。 伴奏は現代中国の楽器によるもので、またCDも「関雎」は女声独唱、「秋風辞」は男声独唱であるなど本来の風格とはだいぶ違い(本来の魏氏明楽は男子の斉唱)、また演奏のテンポやアレンジも現代風になっているが、中国のものとしては良心的な復元演奏と言える。

【魏氏明楽そのものについての概説】
○坂田進一「魏氏明楽と姫路」(特別展「酒井宗雅の夢」図録パンフレット所収2008年、姫路文学館)
○朴春麗「江戸時代の明楽と『魏氏楽譜』」(明木茂夫主編『楽は楽なり──中国音楽論集』、2005年、好文出版)
などが読みやすい。




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