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この講座では、日本人の教養となってきた中国古典のうち、漢文の「論語」「老子」「孫子」と、物語の「三国志」「西遊記」、あわせて5作品を取り上げ、わかりやすく説明します。中国人の世界観や価値観を読み解くのと同時に、日本人の祖先がこれらの作品から中国人とは一味違う知恵や教訓を引き出してきた歴史についても解説します。豊富な図版や映像資料を使い、わかりやすく具体的に説明します。「中国史も文学史も、予備知識がまったくない」「よく名前は聞くけど、どんな内容の本かは知らない」「ちょっと読んでみたけど、どこが面白いのか、わからない」というかたも、安心してこ受講いただけます。
キーワード・ポイント Confucianism(儒教と儒学) The Analects(『論語』) 古典 志縁 学縁 集約農業 持続可能社会 エントリーコスト |
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子曰、学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎。 |
子曰、知之者、不如好之者。好之者、不如楽之者。 |
伯牛有疾、子問之、自牖執其手、曰、亡之、命矣夫、斯人也而有斯疾也、斯人也而有斯疾也。 |
『呉大澂 篆書 論語』より | 江戸時代の和本の『論語』より |
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樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣。 |
季路問事鬼神。子曰。未能事人。焉能事鬼。曰。敢問死。曰。未知生。焉知死。 |
子在斉、聞韶、三月不知肉味、曰、不図為楽之至於斯也。 |
食不厭精、膾不厭細、食饐而餲、魚餒而肉敗不食、色惡不食、臭惡不食、失飪不食、不時不食、割不正不食、不得其醤不食、肉雖多不使勝食氣、唯酒無量、 不及亂、沽酒市脯不食、不撤薑食、不多食、祭於公不宿肉、祭肉不出三日、出三日不食之矣、…… |
キーワード・ポイント The Art of War(『孫子』) 戦術と戦略 南轅北轍 不戦必勝 上兵伐謀 攻心為上 |
『Sun Tzu's The Art of War』(一九六三年) =英訳『孫子』に、リデル・ハート(B.H. Liddell Hart)が寄せた序文より。
Sun Tzu's essays on The Art of War form the earliest of known treatises on the subject, but have never been surpassed in comprehensiveness and depth of understanding. They might well be termed the concentrated essence of wisdom on the conduct of war. Among all the military thinkers of the past, only Clausewitz is comparable, and even he is more `dated' than Sun Tzu, and in part antiquated, although he was writing more than two thousand years later. Sun Tzu has clearer vision, more profound insight, and eternal freshness. [注] 〇The Art of War=「(孫子の)兵法」の英訳名 〇Sun Tzu=孫子 〇Clausewitz=『戦争論』の著者、クラウゼヴィッツ。 |
斉使者如梁。孫臏以刑徒陰見、説斉使。斉使以為奇、窃載与之斉。斉将田忌善而客待之。忌、数与斉諸公子馳逐重射。孫子見其馬足、不甚相遠。馬有上、中、下輩。於是、孫子謂田忌曰「君弟重射。臣能令君勝」。田忌信然之、与王及諸公子逐射千金。及臨質、孫子曰「今以君之下駟与彼上駟、取君上駟与彼中駟、取君中駟与彼下駟」。既馳三輩畢、而田忌一不勝而再勝、卒得王千金。於是、忌進孫子於威王。威王問兵法、遂以為師。 |
兵者詭道也。故能而示之不能、用而示之不用、近而示之遠、遠而示之近、利而誘之、乱而取之、実而備之、強而避之、怒而撓之、卑而驕之、佚而労之、親而離之。攻其無備、出其不意。此兵家之勢、不可先伝也。 |
知彼知己者、百戦不殆。不知彼而知己、一勝一負。不知彼不知己、毎戦必殆。 |
夫未戦而廟算勝者、得算多也。未戦而廟算不勝者、得算少也。多算勝、少算敗。況無算乎。吾以此観之、勝負見矣。 |
故上兵伐謀、其次伐交、其次伐兵、其下攻城。 |
孫子曰、凡用兵之法、全国為上、破国次之。全軍為上、破軍次之。全旅為上、破旅次之。全卒為上、破卒次之。全伍為上、破伍次之。是故百戦百勝、非善之善者也。不戦而屈人之兵、善之善者也。 |
故用衆之法、高陵勿向、倍丘勿迎、佯北勿従、囲師遺闕、帰師勿遏。此用衆之法也。 |
用兵之道、攻心為上、攻城為下。心戦為上、兵戦為下。 |
ある時、弟子に「合気道で一番強い技はなんですか?」と聞かれた塩田は、「それは自分を殺しに来た相手と友達になることさ」と答えたという。塩田自身は『日常、それ即ち武道』を信条としており、普段普通に道を歩いている時でも一切の隙が無かったと言われているが、生前弟子に対して「人が人を倒すための武術が必要な時代は終わった。そういう人間は自分が最後でいい。これからは和合の道として、世の中の役に立てばよい」と語り、護身術としての武道の意義を説いていた。 https://ja.wikipedia.org/wiki/塩田剛三 閲覧日2022年5月22日 |
キーワード・ポイント Taoism(道家思想、道教) Tao Te Ching(道徳経=『老子』) 無為自然 無用の用 小国寡民 処世術 |
古来、中国が乱世になると、庶民は救世主たる聖人が登場して、民たち全員を食べさせてくれることを願った、と司馬良太郎は指摘する。文革末期の中国を旅した司馬は、毛沢東の権力構造の基礎に共同幻想としての聖人待望論を見た(『長安から北京へ』)。・死後の世界や宇宙論への関心は薄い
ある人がたずねた。―― 「怨みに報いるに徳をもってしたら、いかがでございましょう。」 先師(孔子)がこたえられた。―― 「それでは徳に報いるのには、何をもってしたらいいかね。怨みには正しさをもって報いるがいいし、徳には徳をもって報いるがいい。」 出典:下村湖人『現代訳論語』 |
道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。 |
天下皆知美之爲美、斯惡已。皆知善之爲善、斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭、生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。 |
谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門。是謂天地根。綿綿若存、用之不勤。 |
上善若水。水善利萬物而不爭。處衆人之所惡。故幾於道。居善地、心善淵、與善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。夫唯不爭、故無尤。 |
持而盈之、不如其已。揣而鋭之、不可長保。金玉滿堂、莫之能守。富貴而驕、自遺其咎。功成名遂身退、天之道。 |
大道廢、有仁義。智惠出、有大僞。六親不和、有孝慈。國家昬亂、有忠臣。 |
有物混成、先天地生。寂兮寥兮。獨立而不改、周行而不殆。可以爲天下母。吾不知其名。字之曰道。強爲之名曰大。大曰逝。逝曰遠。遠曰反。故道大。天大。地大。王亦大。域中有四大、而王居其一焉。人法地、地法天、天法道、道法自然。 |
不出戸、知天下、不闚牖、見天道。其出彌遠、其知彌少。是以聖人不行而知、不見而名、不爲而成。 |
爲無爲、事無事、味無味。大小多少、報怨以徳。圖難於其易、爲大於其細。天下難事必作於易、天下大事必作於細。是以聖人終不爲大。故能成其大。夫輕諾必寡信、多易必多難。是以聖人猶難之。故終無難。 |
人之生也柔弱、其死也堅強。草木之生也柔脆、其死也枯槁。故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。是以兵強則滅、木強則折。強大處下、柔弱處上。 |
小國寡民、使有什伯之器而不用。使民重死而不遠徙。雖有舟轝、無所乗之、雖有甲兵、無所陳之。使民復結繩而用之、甘其食、美其服、安其居、樂其俗。鄰國相望、雞犬之聲相聞、民至老死不相往來。 |
キーワード・ポイント Romance of the Three Kingdoms(『三国志演義』) 分久必合、合久必分 商人気質 漢・侠・士 天時・地利・人和 雅俗共賞 |
知 | 情 | 意 | |
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雅 | 孔明 | 関羽 | |
雅俗 | 劉備 | ||
俗 | 張飛 |
キーワード・ポイント Journey to the West(『西遊記』) 知情意 三教文化(儒道仏) 予定調和 クローズドエンド セレンディピティー |
知 | 情 | 意 | |
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雅 | 三蔵 | ||
雅俗共賞 | 孫悟空 | 白龍 | |
俗 | 猪八戒 | 沙悟浄 |
毛沢東(1893-1976)が詠んだ漢詩「和郭沫若同志」一九六一年十一月十日
※毛沢東が、「孫悟空、天宮で大暴れ」と「孫悟空、三たび白骨の精を打つ」の話をふまえ、みずからを孫悟空にたとえ、後の「文化大革命」の発動をほのめかした漢詩。 一従大地起風雷、 一たび大地に風雷の起こりてより 便有精生白骨堆。 便ち精の白骨の堆きより生ずる有り 僧是愚氓猶可訓、 僧は是れ愚氓なるも猶ほ訓ふべし 妖為鬼蜮必成災。 妖は鬼蜮と為りて必ずや災を成さん 金猴奮起千鈞棒、 金猴 奮起す 千鈞の棒 玉宇澄清万里埃。 玉宇 澄清す 万里の埃 今日歓呼孫大聖、 今日 孫大聖を歓呼するは 只縁妖霧又重来。 只に妖霧の又重ねて来るに縁る ヒトたびダイチにフウライのオコりてより、スナワちセイのハッコツのウズタカきよりショウずるアり。ソウはコれグボウなるもナおオシうべし。ヨウはキイキとナりてカナラずやワザワイをナさん。キンコウ、フンキす、センキンのボウ。ギョクウ、チョウセイす、バンリのホコリ。コンニチ、ソンタイセイをカンコするは、ヒトエにヨウムのマタカサねてキタるにヨる。 大地に嵐と雷が起きてから、白骨の山からとんでもない妖怪が生まれた。三蔵法師は愚かだがまだ再教育できる。妖怪は陰険な化け物なのできっと災厄をもたらすだろう。金色のサルが、千鈞の重さの如意棒を勢いよく振り回す。天上界の神々の宮殿の万里のほこりは、綺麗にはらわれる。今こそ、斉天大聖・孫悟空を歓呼の声で迎えるべきだ。その理由は、妖しい霧がまたぞろただよっているからに他ならない。 |
吉川英治(1892ー1962)『小説のタネ』「西遊記の面白さ」 雑誌「文藝春秋」1957(昭和32)年11月号 僕の読書ですか、読書といっても、くつろぎの気持で手を伸ばす本は、きまって美術書だとか、平易な科学書とか旅行記みたいな物ですね。この頃は怠けぐせになったんでしょうか、勉強のためになんて、読みませんな、ひとの小説もよほどでないとめったに読まない。以前は、暇さえあると、神田、本郷の古本屋街を日課のように歩いては買い集めましたがね、またその当時は片っ端から買って来るとすぐ読んだものですが、近年は買ってもすぐには読まんですな。読まないくせに、古書目録を見るとつい買いこんで、それがだんだん溜っちゃうんで、いまでは書庫に困ってますよ。けれど唯、カードだけは頭にあるんで、必要にせまると、もちろん役に立つわけです。ともかく、雑書雑然というやつです。 最近、ちょっと思い寄りがあって、「西遊記」に関する本を大分集めましたよ。あの中の、孫悟空ってものは実におもしろい。少年時代から「西遊記」は三、四回ぐらい読んでいますね。今年は軽井沢で暇があったので、孫悟空研究ってほどじゃないけど、ひとつ、おさらいをしてみようと思って、もう一回全編を読んでみました。そして「西遊記」の作者の空想力にあらためて驚嘆したですよ。いかに僕が空想家だと云っても、あれにはとてもかなわない。日本の古典とおなじように、「西遊記」の作者も誰なのか、よく分ってませんが、魯迅の説だと、明代の呉承恩だといってますね、ま、それはとにかく、あの雄大な空想力というものは、島国に生れた作家の小ッさい空想などとはてんでケタが違うんだな。まったく天衣無縫ですよ。 けれど、あの「西遊記」も、今日読んでみると、おもしろいのは、全編の五分の一ぐらいのところ迄でしょうか。あとはどうも面白くない。然し、その空想力の逞しさは、たとえば今日の科学者が電子、量子へ向って、挑みかけている夢とも匹敵するほどなもんですよ。東洋の四大奇書の一つといわれるわけですね。惜しむらくは、前半以後になると、悪魔外道の出没とおなじ手法のくり返しになっちゃって、退屈を感じ出させますが、少年時分によくも克明にあんな大部な物を読んだもんだと、幼い頃の読書慾にも、われながら、つくづく感心しちゃったな。 ところで、その「西遊記」は、今日までに幾たびも翻訳翻案されてますが、これを現代にとって書いたらどうなるかなんて、ついまた空想をほしいままにしてみたんです。 悟空というあの半人半猿の性格は、現代人のたれの中にもいる一種の怪物ですからね。三蔵法師が天竺に経を求めにゆく願望を、今にすれば、さしずめ、人類の浮沈にかかわる原水爆のことになるでしょうな。人類が原水爆を使うか使わないかというのがラストでいいでしょう。悟空がよく駈けつける観世音菩薩は、真理の象徴とか、愛の具現とかになりますね。猪八戒と沙悟浄とは、われわれ仲間の現代人です。そういった仮設で、あの悟空を現代に用いて、二十世紀の三千世界を舞台にする。地球はもちろん、地軸から地上、天上から九天までを大舞台として現代を書けば今のあらゆる世態が書けると思う。思想、政治諷刺、小さくは銀座から汚職までね、飯茶碗の中まで書けるんじゃないですか。僕の空想癖でやれば……いや今は書きはしませんよ、もし書くとすればですね、悟空が自分の毛を抜いて、ふッと吹きさえすれば、変身の術を行うから、彼を用いて、一度は女体の子宮にも入れてみたいなんて思いますね、悟空という半人間の生命を一ぺん精子に戻して、そこから再出発させてみたい。まだ世に出ない子宮の中で、篤と、人間っていうものの出発を考え直さしてみたいような気がしますね。そして現行の政治方式というものやら何々主義などと絶対的に思われているものが、果してほんとに人間の社会の暮し方に好適なものか、どうかなんてことを、悟空に考えさせてみるわけです。 いや、そんなことを云っても、やっぱり書くのはむずかしいな。一朝一夕にはやれないな。空想ってやつは、孫悟空が何万里を一瞬に駈けるようなもんで、とめどもないが、われに返ッてみたら、如来の手のヒラを駈けていたに過ぎなかったっていうようなもんですな。……しかしこの夏は「西遊記」を手に悟空と共に宏大無辺を遊びましたよ。 「西遊記」には、後代に書かれた「後西遊記」もあるけれど、「後西遊記」はつまらない。「続金色夜叉」の類で、いけないですね。また、小説の「西遊記」には、史実の種本があるんですよ。千三百年の昔、大唐の長安から、その頃の中央亜細亜を通って、十八年がかりで印度へ行った玄奘三蔵法師の旅行記がそれなんです。その「大唐西域記」は三蔵自身の記録といわれてるから、ほとんど史実ですからね、そんな厳然たる史実をとって、あんな奔放きわまる空想を書いたんですから、じつに自由無礙な想像力です、いわゆる大陸文学というもんでしょう、とても小国作家の頭脳ではありませんね、敬服しますな。 |
中谷宇吉郎(1900-1962)「『西遊記』の夢」 「文藝春秋」1943(昭和18)年1月1日 子供の頃読んだ本の中で、一番印象に残っているのは、『西遊記』である。 もう三十年も前の話であり、特に私たちの育った北陸の片田舎には、その頃は子供のための本などというものはなかった。(中略) 漸く振仮名を頼りに読めるようになった時に、最初にとっついたのが『西遊記』であった。この頃になって、久しぶりで手にしてみると、劈頭から、南贍部洲(なんせんぶしゅう)とか、傲来(ごうらい)国とかいうようなむつかしい字が一杯出て来る。こういう画(かく)の多い字が一杯並んで、字づらが薄黒く見えるような頁が、何か変化(へんげ)と神秘の国の扉のように、幼い心をそそった。 面白さは無類であった。学校から帰ると、鞄(かばん)を放り出して、古雑誌だの反故だののうず高くつまれた小さい机の上で『西遊記』に魂をうばわれて、夕暮の時をすごした。昼でも少し薄暗い四畳半の片隅には、夕闇がすぐ訪れた。その訪れにつれて、本を片手にだんだん窓際に移って行った。ふと顔をあげると、疲れた眼に、すぐ前の孟宗籔の緑が鮮やかにうつった。 仏教の寓意譚であるという『西遊記』が、これほど魅魔的に感ぜられたのは、雰囲気のせいもあった。その頃の加賀の旧い家には、まだ一向一揆時代の仏教の匂いが幾分残っていた。 一番奥の六畳間(ま)が、仏壇の間になっていた。仏壇の間は昼でも薄暗かった。家に不相応な大きい仏壇は旧くすすけていて、燈明の灯がゆるくゆれると、いぶし金の内陣が、ゆらゆらと光って見えた。(中略) 時々燈明がぼうっと明るくなると、仏壇の中の仏像だの、色々な金色(こんじき)の仏様の掛軸だのが、浮いて見えた。そして孫悟空のいた時代がそう遠い昔とは感ぜられなかった。 |