加藤徹 漢文習作抄 目 次
- はじめに (この右を御覧ください)
- 丙寅楽府稿自序 四六駢儷文(しろくべんれいぶん)
大意 丙寅(へいいん)は1986年。最近「日本人として漢詩漢文を作
る」という「蛮勇」をふるう学生はいなくなってしまった。「文学部」は、昔は文学の現場だっ
たのに、今は「文学」学のお勉強の場になってしまった。みんなもっと、やぶれかぶれでも良い
ではないか。
- 本郷賦後序 四六駢儷文
大意 30年前に自ら命をたった宅見晴海(たくみはるみ)大先輩(当時
、東大中文科の学生)を、当時まだ生まれていなかった後輩として追悼した文章。
- 憐菊詩 并序 四六駢儷文・七言律詩
大意 一年の花は、春の梅に始まり晩秋の菊に終わる。ある晩秋初
冬の日、大学の片隅のガランとした花壇に、黒ずんだ菊が一本だけ残っていた。まるで、同窓
生が早々と卒業して社会で活躍するのをしりめに大学院に残ってしまった自分のようだ。
- 上石川岳堂先生書 四六駢儷文・七言絶句
大意 漢詩を作る会「桜林詩会」に参加させていただくことになりま
した。これまでは、切磋琢磨しようにも、周囲に漢詩を作る友人がおらず、残念でしたが、これ
からは皆様に鍛えていただくのを楽しみにしております。今回の詩題は「七夕」ということでした
ので、私も「牽牛織女の愛情が長続きしているのは別居しているからこそ」という内容の腰折れ
を作って参りました(題名の「岳堂」は石川忠久教授の号)。
- 春夜偶成 并序 四六駢儷文・七言絶句
大意 大自然は永遠だ、というけれど、宇宙の星を見ると、二千年
前とはだいぶ様子が違っている。地球の歳差運動のせいで、北極星の位置も、北斗七星の角度
も、孔子が見たころと違う。
むしろ、自然は有限だが、人間の文化や英知こそが永遠なのではあるまいか。
- 哀景天文 并序 四六駢儷文・楚辞体
大意 中学校時代の畏友・鈴木達朗(たつろう)氏は、わずか20歳と
いう若さで事故死した。常に彼を目標にしていた私は、もう永久に彼に追いつけない。私がして
いることと言えば、自己満足にすぎぬ下手な漢文を書いているだけだ。
- 駿臺雜詩序 古文
大意 ぼくは大学2年生の加藤徹と申します。この4月から中国文学科
に進学します。半年、先生の中国哲学の授業に出させていただきましたが、その「レポート」と
して旧稿の漢詩文を提出いたします。すべて杜撰(ずさん)な匹夫(ひっぷ)の字句です。が「匹夫もその志を奪うこ
とはできぬ」と申しますゆえ、ご笑覧ください。
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はじめに
- ここは、わたくし加藤徹が書いた漢文のサイトです。いまどき漢詩や漢文を「書く」人は昔よりずっと減りましたが、絶滅したわけではありません(リンクをご覧ください)。
- 本ページは、大学在学中の1989年5月にワープロとコピー機で
自作した『加藤徹・漢文習作抄』をwww化したものです。
- 当時こんな冊子を作った動機は、1989年秋から一年間、中国(北京大学)に留学することが決定していたので、むこうの知識人と漢詩文の応酬をするのにこんなのがあれば便利だろう、と考えたからでした。
最後の一つを除き駢儷文(べんれいぶん)ばかり選んだのは、中国語で音読したとき平仄(ひょうそく)の関係で美しく響くこと、また典故を多用できるので「倭臭」(和習)を避けやすいことがその理由でした。
- 学生時代の旧稿を読み返してみると、変に気負った表現、稚拙でおかしい点も目立ちますが、ささやかな「青春」の記念として、あえて一字一句変えずに載せました。
- www 化に際し、文字コードの都合上、一部に合成字を使用しています。
合成文字というのは、例えば「休」を[人木]、「寺」を「土/寸」「土/寸」、「持」を[手+(土/寸)]、「辺」を[(道-首) > 刀]等と分解して表す方法です。
- ご感想、ご叱正等をeメイルでお寄せくだされば幸甚に存じます。

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