上石川岳堂先生書 いしかわ がくどう せんせい に たてまつる の しょ |
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岳堂吾師壇席: 敬粛者、夙仰 典型、未親 清誨。譬如:北斗燦然、可望而悵弗及;泰山遼遠、漸邇而瞻愈高。徹昔曾七歩八叉而錦嚢看綻01、今日三年二句而素紳存皤02。宜矣、本是菲才、況虧詩友! 曩編習作、聊示同門。無一作癒頭風之方03、没人云覆酒甕之用04。或如韓康伯、答以無言05;多似曲阿湖、納而不出耳06。欲題聖澤、漫念皎然07;値見早梅、徒思鄭谷08。若此久哉。於斯忽聞 櫻林詩會、精英滿座、俊秀如雲。領袖 岳堂先生、藝苑名家、詞壇祭酒。 胸蔵八斗、筆掃千軍。嗚呼 ! 南郭濫竽、且能充數09;北聲鼓瑟、猶可升堂10。茲忝片玉於崑山、竊一枝於桂林。而謹呈小詩一章、似瀆 電矚。如蒙 雷斧、幸何如之。耑粛寸稟、統維 澂詧 謹應 櫻林詩會詩題「七夕」而作詩 學生 加藤徹敬叩
丁卯九月廿六日 選自「丁卯集」稿 |
岳堂(がくどう)吾師(ごし)壇席(だんせき)。敬粛(けいしゅく)すれば、夙(つと)に典型を仰(あお)ぐも、未(いま)だ清誨(せいかい)に親しまず。譬(たと)ふれば、北斗(ほくと)燦然(さんぜん)として、望(のぞ)むべくも及(およ)ばざるを悵(かな)しみ、泰山(たいざん)遼遠(りょうえん)として、漸(ようや)く邇(ちか)づけば愈(いよ)いよ高きを瞻(あお)ぐが如し。 徹、昔曾(むかし)、七歩八叉(しちほはっさ)にして錦嚢(きんのう) 看(みる)みる綻(ほころ)び、今日、三年二句にして素紳(そしん) 皤(はん) を存す。宜(むべ)なるかな、本(もと)より是(こ)れ菲才(ひさい)、況(いわん)んや詩友を虧(か)くをや。曩(さき)に習作を編み、聊(いささ)か同門に示す。一として頭風を癒(いや)すの方と作(な)す無く、人として酒甕(しゅおう)を覆(おお)ふの用を云(い)ふ没(な)し。或(あるい)は韓康伯(かんこうはく)の如く、答ふるに無言を以てするも、多くは曲阿湖(きょくあこ)の似(ごと)く、納(い)れて出ださざるのみ。聖澤(せいたく)に題せんと欲しては漫(みだ)りに皎然(きょうねん)を念(おも)ひ、早梅を見るに値(あた)りては徒(いたず)らに鄭谷(ていこく)を思ふ。此(かく)の若(ごと)きこと久しきかな。 斯(ここ)に於(おい)て忽(たちま)ち聞く、櫻林詩會(おうりんしかい)、精英(せいえい)座に滿ち、俊秀(しゅんしゅう)雲の如し、領袖(りょうしゅう)岳堂(がくどう)先生は藝苑(げいえん)の名家、詞壇(しだん)の祭酒(さいしゅ)にして、胸に八斗を蔵(ぞう)し、筆は千軍を掃(はら)ふと。 嗚呼(ああ)。南郭(なんかく)の濫[竹/于,音ウ](らんう)すら、且(か)つ能(よ)く數(かず)に充(あた)り、北聲(ほくせい)もて瑟(しつ)を鼓(こ)するも、猶(な)ほ堂に升(のぼ)るべし。茲(ここ)に片玉(へんぎょく)を崑山(こんざん)に忝(かたじけ)なうし、一枝を桂林(けいりん)に竊(ぬす)まんとす。而(しか)して謹(つつし)みて小詩(しょうし)一章を呈し、電矚(でんしょく)を瀆(けが)すに似(に)たり。如(も)し雷斧(らいふ)を蒙(こうむ)らば、幸(さいわ)ひ何(いず)れか之(これ)に如(し)かん。耑(もっぱ)ら寸稟(すんぴん)を粛(しゅく)し、統(す)べて澂[(祭-示)/言,音サツ]を維(ねが)ふ。 謹(つつし)みて櫻林詩會(おうりんしかい)詩題「七夕」(たなばた)に應(おう)じて作れる詩 哀怨(あいえん)は詩家の訴陳(そちん)する所 銀河 璀璨(さいさん)として 鵲橋(じゃくきょう)新(あら)たなり 未(いま)だ知らず 夜夜 針を紉(じん)するの意 却(かえ)って憫(あわ)れむ 壽張(じゅちょう) 百忍(ひゃくにん)の人 學生 加藤徹敬叩 丁卯九月廿六日 |