2004年・報道記録一覧

On Mass Media

    帰還事業、59年文書に本音 −−『朝日新聞』5月18日(夕)【東京・大阪】
    THE TRUTH COMES OUT −−The Asahi Shimbun (May 19,2004)
    日本、北朝鮮送還事業は追放政策 −−韓国『東亜日報』5月18日
    北送・人道名目の追放だった  −−『民団新聞』5月26日
    59年極秘外交文書明るみに −−『統一日報』6月2日号
    出席・質問「ピッ」 携帯電話、講義に生かしちゃえ −−『朝日新聞』6月16日(夕)【東京】
    ケータイは講義の味方 −−『朝日新聞』7月06日(夕)【名古屋】
    携帯電話を利用した授業 −−NHK『おはよう日本』7月13日
    夢と絶望、軌跡を追う −−『朝日新聞』7月18日(朝)大特集
    ケータイ百景(2)教育――私、講義の味方です。−−『日経新聞』8月24日(夕)
    携帯使った授業支援システム−−『日刊工業新聞』12月9日
    論説 ユニーク講義で学生に喝−−『青山学院大学新聞』12月15日


論説 ユニーク講義で学生に喝−

『青山学院大学新聞』12月15日

携帯使った授業支援システム

『日刊工業新聞』12月9日

ケータイ百景(2)教育――私、講義の味方です。

『日経新聞』8月24日(夕)

 「居眠りしていると、すぐ分かるんだぞ」。埼玉県所沢市の早稲田大学人間科学部。永岡慶三教授は教室に集まった約百人の学生に半ば脅し交じりに語りかける。同学部は松下電器産業グループと共同で、携帯電話を授業に活用する実験を進めている。
 永岡教授の「遠隔教育論」では、学生は教室に入る前に、学籍番号と名前を職員に告げ、個別に割り当てられているカメラ付き携帯を受け取る。永岡教授の「出席を取ります」の言葉と同時に机の上のバーコードを撮影して送信、数秒で出席確認は終了する。出席カードや点呼に比べて時間と手間を省ける。
 教授の問いかけにも学生は携帯で答えを送る。携帯から学校のサーバー経由で教授の手元にあるパソコンに届く仕組み。いつまでも送信できないでいると、居眠りしていたり、授業を聞いていないことがばれてしまう。学生たちの態度も引き締まり気味だ。
 明治大学の川島高峰助教授の「政治学」でも昨年から、出席確認やアンケート調査などに携帯を使い始めた。
 「米国の対外政策が変われば中東問題は解決する?」。川島助教授のこんな質問に、学生は携帯電話で回答を送る。三分後にはアンケート結果がスクリーンに映し出される。学生が携帯で質問することもある。川島助教授は「学生の理解度が分かり、講義を進めやすくなった」と携帯利用のメリットを指摘する。
 学生の反応は様々だ。明大経営学部一年の木村梨恵さんは「匿名で質問できるのがうれしい」と好意的。一方、他の学生からは「講義ごとに回答方法が変わったり、アクセスに時間がかかったりするなど使い勝手が悪い」といった声も。
 メールに夢中で、授業は上の空――。これまで授業の妨げになると悪者扱いされていた携帯電話だが、要は使い方の問題だろう。早大の実験に協力したパナソニックモバイルコミュニケーションズ(横浜市)の遠藤和己システム営業グループ部長は「携帯による遠隔授業も近い将来に実現する」と自信を見せている。
【図・写真】携帯を使って授業の質問に答える学生(埼玉県所沢市の早稲田大)

夢と絶望、軌跡を追う(北朝鮮の素顔 日本のまなざし)

朝日新聞 2004年07月18日

 約25年間続いた在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業に対し、日本政府や関係当局はどのような考えを持っていたのか。その一端を示す文書が、川島高峰・明治大悟報コミュニケーション学部助教授の情報公開請求で明らかになってきた。川島氏は「帰還事業には、在日朝鮮人を『追放』するような側面もあった点などが資料から浮かび上がった」としている。
 川島氏は外務省が開示した約2千づの文書を分析した。
 このうち57年5月、日本赤十字社の井上益太郎外事部長が赤十字国際委員会総裁にあてた電文の一節には、「朝鮮人が南北どちらに帰還を希望するか調べ始めれば、北朝鮮系、韓国系団体の間で説得合戦が始まり、混乱になる。個人の意志は秘密にしておくことが不可欠」と記されていた。
 当時、日朝間の接近を警戒した韓国は帰還の動きに反対していた。電文は、帰還が始まる2年あまり前から、日赤が傭人の意思の重要性を強調していたことを示す。しかし事業を決めた59年2月 の閣議了解の時点で、日本政府は「人道上の措麿」とは別の考え方ももっていた。
 開示された「閣議了解に至るまでの内部事情」という文書にある。

 「在日朝鮮人は犯罪率が高く、生活保護を受けているものが8万1千名に及ぶ。本人が帝望するならば帰還させたいという声が一般世論となり、与党内でも圧倒的」
 「北朝鮮側及び国内左翼系政党は(帰還を)許可しなければ、非人道の名目で政府を揺すぶらんとする。この際、認めることに潜み切り、彼らの政治的謀略を封じる」

 実際には、政治的思惑からくる牽制などの狙いもあったことをうかがわせる。
 帰還事業は、60年までは毎回の帰国者が千人前後に及んだ。61年に入ると急減。政府内でも「ピークを越した」との見方が出始めた。同年7月19日に外務省北東アジア課が作成した「北側鮮帰還協定更新問題に関する辿絡会議の件」と超する文讃には、「新潟を通ずる北朝鮮からの工作を継続させることは好ましくない」という意見が記されている。会議には警察庁や公安調査庁も出席していた。当時の工作活動の実態は不明だが、公安当局が北朝鮮の「工作」を警戒し、始まって約2年たった段階で事業に懸念を抱いていたことがみてとれる。
 結果的には、日朝赤十字は同月、北朝鮮側が提案した協定の無修正延長に合意した。
 北東アジア課の文書は「協定延長闘争を盛り上げようとする北朝鮮側に肩すかしをくわせる」と説明している。一方、帰還運動を推進した朝鮮総達は事業を「集団帰国」と位置づけていた。政府文書とともに保管されていた総達の文書「帰国者に対する実務蹴郵要綱」(59年4月)は「総達の指導で祖国建設に必要な品物を買っていく」と記している。川島氏は資産処理などが「集団の意思で決定されていた」と分析する。
 川島氏は「帰還事業は厳しい冷戦のさなかで始まった。今回、公開された資料からは、当時の東アジアの対立構造の中で、日本と北朝鮮が人道問題の政治取引を囲った側面が浮かび上がる」と話している。

 携帯電話を利用した授業

NHK『おはよう日本』 2004年7月13日 午前5時40分・6時40分 

 放映動画資料、mpeg形式で43Mbです。暇な人どうぞ。  download

 ケータイは講義の味方
  今どき学生気質を狙う

朝日新聞 2004年07月06日 夕刊 社会 【名古屋】

 授業中に「ケータイ」をいじる学生は、大学にとって悩みの種。そんな「授業の障害」を逆手にとって、携帯電話を講義に利用する試みが始まっている。「手を挙げるのはイヤだけど、携帯メールなら気軽に質問できる」というのが最近の学生気質。学生の態度にも、変化が表れている。
 東京都杉並区の明治大学。経営学部の現代政治学の講義の冒頭に、こんな質問が出された。

 「『マンハッタン・プロジェクト』について知っていますか?」

 学生たちが一斉に、携帯電話のキーを親指で押し始めた。数十秒後、教壇のスクリーンに結果がグラフで現れた。「詳しく説明できる」が4%、「全く知らない」が56%だった。その後も質問と回答が繰り返された。
 同大情報コミュニケーション学部の川島高峰助教授は、今年4月、携帯を講義に利用し始めた。専用サイトにアクセスして回答すると、自動集計される仕組みだ。
 この日のテーマは広島・長崎への原爆投下計画(マンハッタン・プロジェクト)。約250人が出席し、出欠も携帯で取る。携帯のない学生は紙の出席票だが、手間が大幅に減る。メールでの質問にもその場で答える。
 学生の反応は上々だ。「講義が面白い。携帯を机に置くだけで怒る教授もいるなか、画期的」(1年男子)。「周囲の学生の考えがわかって興味深い」(2年女子)
 同助教授は以前から、パソコンで双方向の授業をしており、「携帯の方が簡単だ」と思いついた。相談したソフト会社が無償協力を申し出た。
 「質問や意見が増え、学生との距離が縮まった。理解できなくても今の学生は手を挙げないが、メールなら送りやすいらしい」
 金城学院大学(名古屋市守山区)では3年前、英語の講義に携帯メールを活用した。米国人の英語講師らが、学生の苦手な英単語約500を選び出し、意味や例文を添えて1日3単語ずつ、約250人の学生に1年間配信し続けた。「通学途中にも覚えられる」「メールだと読まずにいられない」などと評判は上々。成績の上がった学生の割合は、メール学習をした方がしなかった学生より約40%も高かったという。
 費用がかかるため1年間のみの実施だったが、システムを考案した米国人のクリストファー・ハウザー助教授は、昨春から、自分の情報文化概論の講義で、携帯サイトで学生へのアンケートや質問受け付けをしている。
 【写真略】  携帯メールで出席をとったり、学生から質問を受けたりする授業=東京都杉並区の明治大学で



  出席・質問「ピッ」
 携帯電話、講義に生かしちゃえ 学生反応上々

朝日新聞 2004年06月16日 夕刊 1社会 【東京】

携帯メールで出席をとったり、学生から質問を受けたりする授業=東京都杉並区の明治大学で
【写真説明】 携帯メールで出席をとったり、学生から質問を受けたりする授業=東京都杉並区の明治大学で

 授業中に携帯電話をいじる学生は、大学にとって悩みの種だ。そんな「授業の障害」を逆手にとって、ケータイを講義に利用する試みが始まっている。「手を挙げるのはイヤだけど携帯メールなら気軽に質問できる」というのが最近の学生気質。ただ講義を聴くだけだった学生の態度に、変化も現れている。
 東京都杉並区の明治大学キャンパス。経営学部の現代政治学の講義が始まるとすぐ、こんな質問が出された。

 「『マンハッタン・プロジェクト』について知っていますか?」

 学生たちは一斉に携帯電話を取り出し、親指でキーを押し始めた。数十秒後、教壇のスクリーンに結果がグラフで表示される。「詳しく説明できる」が4%、「全く知らない」が56%だった。
 同大の川島高峰助教授(情報コミュニケーション学部)は今年4月、携帯のインターネット機能を活用した講義を始めた。助教授が作った携帯サイトに学生がアクセスし、番号を選ぶと、自動的に集計される仕組みだ。
 この日の講義は、広島・長崎への原爆投下計画(マンハッタン・プロジェクト)がテーマで、出席した学生は約250人だった。「原爆投下の理由として最も重要と思われたものは何か?」などと次々質問が出され、結果がすぐ表示される。
 学生の9割以上が携帯を持っており、出欠もこのシステムで取る。携帯のない生徒は従来通り紙の出席票を使うが、手間と時間は大幅に節約できる。メールで質問も寄せられ、その場で答える。
 学生の反応は上々だ。「講義が面白い。携帯を机の上に出しているだけで怒る教授もいるなか、画期的だと思う」(1年男子)。「周囲の学生がどう思っているかわかって興味深い。講義は全部出てます」(2年女子)
 同助教授は以前から、パソコンを通じて双方向授業をしていて、「携帯電話を使えばもっと簡単にできる」と思いついた。相談を持ちかけられたソフト会社の「エイエン」(本社・福岡市)がシステムの無償協力を申し出た。
 学生たちの理解度や共感度を確認し、それをフィードバックして講義を進めるという少人数のゼミでしかできなかったことが、携帯を使うことで数百人規模の大教室でもできるようになった。学内では他の教員も関心を示しているという。
 「質問や意見が増え、学生との距離が縮まった。理解できない点があっても今の学生は手を挙げないが、メールなら送りやすいらしい」と川島助教授。「先生なのに遅刻するな」とメールで抗議を受けることもある。
 学校全体で、「ケータイ授業」に取り組む大学もある。佛教大学(京都市北区)では、一昨年から、携帯電話とパソコンのどちらからでもアクセスできるサイトを作製し、授業中にアンケートをしたり、質問を受け付けたりしている。現在、全体の1割程度の講義で利用している。
 教員からは「学生のメールでの発言が増え、反応が早くなった」「授業が終わってもコミュニケーションできる」と肯定的な意見が多い。一方、「学生が目の前にいるのに、どうしてわざわざ携帯電話を通じて連絡する必要があるのか」と疑問の声も出ているという。



 59年極秘外交文書明るみに
  帰国事業 日本も総連を後押し

統一日報 2004年 6月 2日号

「犯罪率高く、生活保護負担重い」
総連も財産持ち出し指示、帰国促す

 日本外務省に保管されていた一九五九年から始まった在日朝鮮人の北朝鮮への帰還、いわゆる帰国事業に関する極秘資料から、日本が同事業を人道の美名の下、実際には追放措置として後押ししていたことや、現在では「帰国事業は日本赤十字社により行われた」と強調する在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が、当時、全財産を総連を通じて祖国に持ち出すことを指示するなど組織として帰国を促していたことなどが明らかになった。帰国事業に至る経緯の一端を裏付ける貴重な文書として注目されそうだ。


238世帯975人を乗せて清津に向け新潟港を出港する帰国船第1号
(ソ連船トボリスク号ー1959年12月14日)


 この極秘文書は、「北朝鮮関連領事事務(アジア局北東アジア課)1959年1月30日〜8月8日」といい、明治大学の川島高峰助教授が2001年8月に情報公開法に基づいて外務省に開示請求を行い、昨年11月に同教授が入手したもの。総数は約2000ページにおよび、特に帰国事業の意思決定で重要と思われる日本政府の閣議了解前後から帰国事業を話し合ったジュネーブ会談までの2カ月間に関する約550ページに、日本側の対応や朝鮮総連の姿勢をうかがわせる内容が記されている。
 帰国事業を決定づけた59年2月13日の閣議了解では、帰国問題を「基本的人権に基づく居住地選択の自由という国際通念に基づいて処理する」としているが、「閣議了解に至るまでの内部事情」と題する文書には、日本政府の本音ともいえる事実上の追放の側面がでてくる。
 同文書(1)には、「治安上も本問題の早期処理を必要とする段階になる」としながら、「在日朝鮮人は犯罪率が高く(人口1000名に対し日本人の犯罪率は0.5名であるのに対し、在日朝鮮人の場合は3名で6倍)、また生活保護を受けているものが1万9000世帯8万1000名に及んでいる等の事実から(これに要する経費年額17億円、うち国庫負担分約13億5000万円、地方負担分3億5000万円)、本人が希望するならば帰還させたいという声が中央、地方の一般与論となり与党内でも圧倒的となった」としている。
 また同文書(2)をみると、北朝鮮と国内左翼系政党などの攻撃をかわそうという当時の政治的な意図もうかがえる。「政府が(帰還を)許可しなければ非人道の名目で政府をゆすぶらんとする政治的意図を蔵していたと観察されたし、また総連でも政府が帰還を認めないときには、帰還希望者に対する生活保護の強化を政府に迫る考えであろう」としたうえで、「政府としては帰還を認めることで彼等の政治的謀略を封じ、仮に帰還者が少数となっても、むしろこれにより北鮮(ママ)側の政治的意図が明瞭に暴露されるという利点もある」としている。

 日本人妻の国籍離脱や帰国者の拡大など指示

 一方、朝鮮総連が組織として帰国事業を積極的に推し進めていたことを示す資料が、59年4月に総連の中央帰国対策委員会が作成した「帰国者に対する実務推進要綱」。ここには、帰国者を集団として組織する上でのこと細かい要領が示され、財産持ち出しに関しては「祖国の富強な建設に供給することが自己の幸福をもたらす」としながら、帰国者の一切の財産を祖国に持ち出し、持って行く品物の購入は総連の指示を通じて行うよう促している。また帰国者集団は「帰国者の拡大」を目的の一つにすることも明記されている。さらに同文書には、帰国者の日本人妻に関し、日本国籍を離脱して朝鮮国籍に編入するよう、帰国者に指示している。
 これらの内容は、当時、日本社会で差別に遭っていた在日朝鮮人たちの祖国帰還への熱い思いからでてきたものとも解釈できるが、結果的には、こうした事実上の組織動員が帰国者の拡大につながり、「地上の楽園」などと宣伝された内容とは全く異なる現実を前に帰国者の多くが絶望のどん底に突き落とされている。

 不十分だった帰国の意思確認

 帰国の意思確認をめぐっては、今回開示された文書のなかに興味深い内容がある。日本赤十字外事部長・井上益太郎氏が上司宛てに送った電文(1957年3月24日)には、帰国者の意思確認の重要さが指摘されており、帰国者は「帰国条件を正しく理解しているか?(殊に再び日本に来れないことを知っているか?)」など、帰国の意思確認を慎重に行う必要性を指摘し、中立的立場にある国際赤十字社が帰国者本人の意思確認を行ってから帰国者リストを作成すべきと主張している。しかし実際には、最も重要な帰国の意思確認は十分になされなかった。
 川島助教授は、「この文書でわかった日本側の問題点は、初めから帰国者の日本再入国はほとんど可能性がないことを承知していたことと社会の中の差別を改善するのではなく差別対象そのものを減少させることを選択したこと。また北朝鮮と朝鮮総連の問題点は、帰国意思を民族集団の当然の意思とみなして集団帰国方式に固執したことだろう」と述べている。



 北送・人道名目の追放だった
  明大助教授が59年文書で裏付け

(2004.5.26 民団新聞)


 本音は「治安上」の理由…日本政府

 北送事業とは「人道主義の名を借りた在日同胞に対する日本政府による体のいいやっかい払い」とするこれまでの説が、このほど公開された日本の外務行政文書で改めて裏付けられた。この文書は明治大学情報コミュニケーション学部の川島高峰助教授が情報公開法に基づき、開示請求していたもの。
 川島助教授は01年8月20日に外務省情報公開室を通じて開示請求を行っていた。この結果、03年10月31日までに総数にして約2000nにおよぶ文書が公開された。
 川島助教授はこれらの文書のうち、日本政府が北送事業を閣議了解した59年2月13日前後から朝日両赤十字がジュネーブ会談を開始した4月13日までの、帰国事業の意思決定で重要だと思われる文書約550nについて分析した。
 なかでも「閣議了解に至るまでの内部事情」と題した極秘文書は今回、初めて明らかになったもので注目を集めた。同文書からは韓国政府の猛反対にもかかわらず、「人道」の名のもとなんとか在日同胞の北送事業を急ぎたいとする日本政府の「本音」が透けて見える。
 いちばんの動機は「治安上」の理由だった。同文書は「在日朝鮮人の犯罪率は日本人の約6倍」と指摘、「本問題の早期処理を必要とする段階になる」と説明。生活保護世帯も1万9000世帯8万1000人で、年額17億円の経費が国庫と地方の負担となっていると露骨に在日同胞への忌避感をにじませている。

 再入国への言及なし

 在日同胞の北送事業を推進するため、北韓と交渉していた日本赤十字社の井上益太郎外事部長がジュネーブから日本側に送った電報(59年3月24日付)によれば、井上外事部長は、「帰還者」の「意思確認」を重視。乗船直前まで確認作業をする必要性を説き、「帰国条件を正しく理解しているか?(殊に再び日本に来られないことを知っているか?)」などを問う必要性を説いているが、実際は十分な確認作業は実行されなかったとみられている。
 川島助教授は「今回明らかになったどの公開文書を読んでも、再入国できるとは書いていない。まったくのワン・ウエイだった。しかも、帰還条件の重要な案件である帰還先での待遇について調査された形跡も確認できていない。(日本政府は)日本社会における既存の朝鮮差別を改善するのではなく、差別対象そのものが減少することを選択した」と締めくくった。

■□ 北送事業とは

 59年12月14日に第1次船が975人の在日同胞らを乗せて清津港に出航したのが始まり。以後、67年12月まで155回にわたり計8万8611人が北に渡った。いったん中断したものの、71年5月に再開されその数、9万3000人(日本人配偶者を含む)に達した。50年代、極度の貧困と差別のため、在日朝鮮人は日本で暮らすことに困難を感じていた。それに乗じて総連は「(朝鮮民主主義人民共和国は)教育も医療も無料の社会主義祖国」「地上の楽園」などと事実に反するキャンペーンを展開した。
 民団は59年12月、「在日韓国人北送反対闘争中央委員会」の名前で声明を発表。「在日韓国人の強制追放を計画した日本の政策に便乗し、実行したこの悲劇的な事態に直面し、実に民族愛と同胞愛からこみあがる憤慨を禁じることができず、全世界の公正な世論に対してこの問題の非合法性を再び訴え」た。



 日本、北朝鮮送還事業は追放政策

韓国『東亜日報』 2004.5.18


 朝日新聞が18日、日本政府と各民間団体が1959年から、人道主義を名分に積極的に支援していた在日朝鮮人の北朝鮮送還事業は、実は「貧しく犯罪率の高い、頭を悩ませる存在」を追放した側面が強いとの見方を報じた。
 明治大・川島高峰教授が調べた外務省資料によると、1959年12月13日付の日本政府資料「閣議承認」は、北朝鮮送還事業を承認した目的について「基本的な人権による居住地選択の自由、という国際社会の通念に基づいたもの」と説明している。
 しかし、川島教授が入手した「閣議承認に達するまでの内部事情」と題付けられた極秘文書は「在日朝鮮人は、犯罪率が高く、生活保護対象の家庭が1万9000世帯にものぼり、それに必要とされる経費が年間17億円に達する」とした後「本人が希望する場合(北朝鮮に)帰還させようというのが、一般の世論であり、与党内での圧倒的な意見」とし、北朝鮮送還事業の政治的な側面を強調している。
 また、この文書は、北朝鮮送還事業の時期と関連「(国交正常化に向けた)日韓会談が再開された後に実施すれば、反響が大きいだけに、会談が中断されている時期に、最も大きな障害を除去」することを明示し、韓国の反発を意識し、急いで承認したとの事実を裏付けた。当時、北朝鮮側との交渉にあたった日本赤十字社・井上益太郎外事部長は、59年3月24日付の電報で「北朝鮮送還者らが、再び日本に戻れないとのことを認識しているのかどうか、確認する必要がある」と強調している。
 これについて、川島教授は「当時、日本政府が北朝鮮帰国者に、日本への再入国はほぼ不可能だとの事実を隠したまま、北朝鮮送還事業を進め、社会的な差別を抜本的に解消しようとせず、差別対象者を減らす方法で、問題を解消しようとしたもの」との見方を示した。



 THE TRUTH COMES OUT:
  Ulterior motive at work in '50s, '60s

The Asahi Shimbun (May 19,2004)


 A repatriation program that resulted in tens of thousands of pro-Pyongyang Koreans leaving Japan decades ago to settle in North Korea was anything but altruistic, says a researcher who perused declassified documents from the period.
 In fact, it was more of a de facto mass eviction under the guise of a humanitarian gesture, says Takane Kawashima, associate professor of political communication at Meiji University.
 The repatriation program was initiated in part because of a high crime rate among Koreans, Kawashima said, quoting from one document.
 More than 90,000 people, mostly Koreans brought to Japan before and during World War II, and their relatives, including Japanese spouses, went to North Korea between 1959 and 1984. Most left in the 1950s and '60s.
 Kawashima analyzed about 2,000 pages of Foreign Ministry documents on the repatriation programs that he had obtained since August 2001 under the information disclosure law.
 Records of the Cabinet endorsement of the program on Feb. 13, 1959, said repatriation was aimed at ensuring Korean residents' freedom to choose their place of residence ``on the basis of their basic human rights.''
 But an annex paper to the Cabinet approval, which was among the recently declassified documents, reveals the real motive for encouraging Koreans to depart.
 ``The crime rate among Korean residents is high, and there are 19,000 households on livelihood assistance,'' it said. ``It costs 1.7 billion yen annually.''
 It noted growing public calls to allow Koreans to return if they wanted, adding that ``such voices have become dominant in the ruling party as well.''
 The political climate was also a factor in the program, which was staunchly opposed by South Korea.
 Kawashima said the document suggested ``the largest obstacle should be cleared'' before talks resumed on normalizing bilateral relations with Seoul. If this was not achieved, it said the ``repercussions would be greater.''
 Kawashima said the government also did not bother to confirm the intentions of the repatriates or explain the conditions for repatriation.
 Masutaro Inoue, a Japanese Red Cross Society official involved in the negotiations to ship the Koreans, insisted that the terms be explained.
 In a telegram sent from Geneva on March 24, 1959, Inoue wrote, ``Do they understand conditions for their return correctly?'' Inoue went on to ask if they understood they probably could never come back to Japan.
 ``These documents show the Japanese government back then pushed the project without telling repatriates there was little or no possibility for their coming back to Japan again,'' Kawashima said.
 ``Rather than eliminate discrimination, the government tried to resolve the problem by reducing the number of those discriminated against.''



帰還事業、59年文書に本音
 「在日朝鮮人は犯罪率が高い」と記載

朝日新聞 2004年05月18日 夕刊 2社会【東京】


 「在日朝鮮人は犯罪率が高く、帰還させたい」。59年から日本が官民あげて支援し、在日朝鮮人9万人余が北朝鮮に渡った帰還事業に関する外交文書の一部が、川島高峰・明治大助教授の調査で明らかになった。「人道的措置」の名目の一方で、日本政府の本音ともいえる「事実上の追放」の側面が同文書から浮き彫りになったという。
 川島助教授は01年8月、情報公開法に基づき、外務省に対して帰還事業に関する文書の開示を請求。約2千ページに及ぶ文書が少しずつ公開され、同助教授が分析を続けてきた。
 事業を決定づけた59年2月13日付の「閣議了解」には「基本的人権に基づく居住地選択の自由との国際通念に基づく」とうたわれた。しかし、今回「極秘」指定が解除された行政文書の中から「閣議了解に至るまでの内部事情」と題した付属文書が見つかった。
 同文書は「在日朝鮮人は犯罪率が高く、生活保護家庭が1万9千世帯」と指摘。「これに要する経費年額17億円。本人が希望するなら帰還させたいとの声が一般世論となり、与党内でも圧倒的となった」としている。
 当時は韓国が北朝鮮への送還に激しく反発していたため、「(国交正常化のための)日韓会談再開後、本件を実施すればかえってリパーカッション(影響)が大きいので、会談休会中に最大の障害を除去し」と、政治的意図も説明している。
 同時に、事業を推進するために北朝鮮側と交渉した日本赤十字社の井上益太郎・外事部長がジュネーブから日本側に送った59年3月24日付電報も公開された。
 それによると、井上氏は帰還者の「意思確認」を重視。乗船直前まで確認作業をする必要性と、「帰国条件を正しく理解しているか?(殊に再び日本に来られないことを知っているか?)」などを問う必要性を説いているが、実際は十分な確認作業は実行されなかった。
 川島助教授は「当時の日本政府が、帰還者の再入国の可能性などほとんどないことを隠して事業を進め、社会の中の差別を解消するのではなく、差別対象者そのものの減少を図る方法で問題解決をめざしたことが分かる」と話している。


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