死へのダイビング



"SUPER INTERESSANTE" インタビュー記録
『特攻の「思想」』講義録・受講生の感想など


 2001年5月、神風特攻隊についてブラジルの "SUPER INTERESSANTE" 誌からインタビューを受けた。同誌は国内では入手が困難であるが、その時のインタビューのやりとりを掲載する。肝心な雑誌記事本体の方だが、必ずしも私の意をうまく伝えてはいない。記事を書いてくれたのは Ms. Fernanda Campanelli Massarotto 記者だが、彼女は多くの人にインタビューをしており、私の発言を多く掲載することはできなかったのである。

  "SUPER INTERESSANTE" 誌 7月号に記事が掲載されて間もなく、あの911テロ事件がおきた。この事件は、かつてのニューヨーク留学時に遭遇した大韓航空撃墜事件の記憶と重なる部分があり衝撃だった。事件後、私はこのインタビューの記録を掲載した。それは突っ込む側の論理なり、心理ということを考えることも必要ではないか、と考えたからである。「テロはいけない」ということと、「なぜ、テロを起こすのか」を追求することは、区別されるべきである。

 そして、この突っ込む側の心理には、半世紀以上前の日本人と重なる部分がある。侵略として始めたとはいえ、最後には「絶望的な祖国防衛戦争」に追い詰められ、特攻を通常攻撃とした日本人は、インティファーダという投石以外に為すすべが無くなり、ついには自爆「テロ」を日常化させるに至ったったパレスチナの人々と一致する部分があるのだ。日本人の中には「テロと特攻は違う」と拒絶反応を示す人が多いが、違うのは「テロと特攻」なのではなく、「日本占領とパレスチナ占領の実情」が違うのである。

 これまでイスラム原理主義は、日本とは無縁の遠い世界での話だった。しかし、 911テロを契機に、我々日本人は過去との思わぬ対面を強いられることになった。それは 911テロ直後、ホワイトハウスの記者会見に際し、報道官の後ろに大きく引き伸ばされた張られていた真珠湾の写真である。アメリカにとって、それは真珠湾奇襲攻撃以来のアメリカ本土に対する卑劣な攻撃だったのである。五十年前の合言葉 "Remember Perl Harbar" は、瞬く間にアフガン報復戦争へと変わった。

 そして、私の身の上に、神風とテロはどうちがうのか? という世界のジャーナリストからの問い合わせが飛びこんでくることになった。最初にきたのはドイツの "SPIGEL" 誌だった。このインタビューは、結局、中東情勢緊迫化により掲載が見送られたと聞く。私は、この時、テロと神風はどう違うのか、という質問に回答をしながらも、 911テロの政治的意味について、次ぎのように話した。彼等はアメリカに大陸弾道弾に匹敵する攻撃手段を自分たちが持っていること、中東の危機はアメリカ市民にとっての危機であるということ、つまり、危機のパリティ、危機において対等であるということを分からせたかったのだろう。ちょうど、かつて米ソ間で中距離核全廃をめぐり、西欧社会が危機の対等を求めこれに反対したのと同じように。

 その後、いくつかの小さな問い合わせがあったが、最も印象深かったのはイスラエル第一の日刊紙『イェディオット・アハロノット』のジャーナリスト、ロニー・シャケッド氏であった。

 そのインタビューは外務省外郭団体からの依頼であった。飯田橋のホテルで待ち合わせをしたが、通訳一人、同行の案内人一人を連れ、これにお迎えの案内人一人が控えるという「厚遇」ぶりに、事前に知らされていた同氏の経歴に治安警察テロ対策担当官という肩書きがあったことを思い浮かべた。ハマスなどの研究で博士の学位を持つ同氏には学者肌の側面も見られた。これほど詳細にノートを取るジャーナリストもいないと、びっしりと書きこまれる見慣れぬヘブライ語の文字を妙に珍しく眺めたものである。

 外務省外郭団体が私に彼を引き合わせたのは正解だと、私は思っている。先方によると、日本の特攻関係の旧軍人は、殆ど全てこの会見を峻拒したそうで、先方の取材申し込みに対し、斡旋先を探しあぐねていたようだった。しかし、峻拒した気持ちが、私には幾分かわかる。比較の対象にされた、というだけで充分に心外なのだろう。

 そもそも、特攻は日本人の間ですら誤解をされている。かりに誤解がないとしても、強烈な過去の記憶は、しばしば、その他者との共有を拒むものである。マスメディアが語る安手のセンチメンタリズムは、大衆迎合という事大主義と市場主義の産物に過ぎない。それを彼らが手放しで歓迎していると思ったら大間違いである。彼等の多くは、その心情をきちんと理解されることはないと諦めている。せめて、記憶の鎮魂にならないようにと、メディアに応じているのである。一体、そんな特攻を、戦友の死を、どうして外国のテロと比較して説明しろ、というのか? しかも、テロとの対比を、「英霊」・「聖戦」の冒涜と受け止め、死者への鎮魂をないがしろにするものと感じる者も少なからずいるはずである。今や、自らの死と直面する年齢に達し、かつて「神去りし」あまた戦友の元へと近づきつつある彼等の余生を、私はわずらわせたくなかった。

 ところで、いくつかのかなり政治色の強い団体からはこれに応じる気配があったようだ。この点についても、結局、私のところに来てくれたのが正解だったと、思っている。こうした政治色の強い団体が、神風特攻隊は、テロとは全く異なると、懸命に説明すればするほど、相手の思う壺ということになるだろう。まして、「そもそも、皇祖皇宗に奉り」などと、始められた日には目も当てられないだろう。単に、狂信主義、原理主義と同一視されるだけである。そもそも、自爆テロを狂信主義としてしか見ていない傾向がある外国人に、かつての日本の精神主義は自爆テロとは全然違うものなのである、と説明するのは、とにかく無駄である。

 しかし、「特攻とテロは違う」と、パレスチナに出向いて訴えた旧軍人もいた。戦友のために行動した。私にはそう映った。そして、間違いなくそれは誤解しかされないのだろう。訴えれば、訴えるほど、どこが違うのか、という無限の好奇心と懐疑の眼にさらされるのである。写真に映る日の丸と白いティーシャツの旧軍人の姿が、巨大な誤解に包囲されているようで私の目には痛かった。

 従って、私は、この特攻というおおよそ理解もされにくいことがらについて、誤解と偏見を助長し、対日イメージを悪化させることに加担したくはないのだ。そこで、特攻とテロの相違に関する形式的な要因について説明〔主体の相違;国家と非国家・正規軍と非正規軍、対象の相違;対軍事攻撃と無差別攻撃などなど〕をして、それでお茶を濁そうかと考えていた。しかし、先方は直前に質問一覧(下記)を寄せていた。

 こうして、二時間を超えるインタビューが始まった。

 一体、どんな治安対策上の思惑があってきたのだろうかと、内心、いぶかっていた私に、シャケッド氏は、冒頭で特攻とテロはどう違うのか、という質問について、

  It is not my question, everybody talks about it.
  Many papers in the world discuss it. The World Questions You.
と、先手を打ってきた。なるほど、確かにそうだ。 911は、kamikaze attack と書かれ、この近代戦で前例のない通常兵器が、911テロと結び付けられるのは、止めようのないことだ。第一、このところその種の海外からの問い合わせに慣れぬ英語で事前に準備をしてきたために、かなり睡眠不足に陥っていた私は、そのことをよくよく実感していた。

 特攻は、国家権力が生み出した悲劇であり、多くのパイロットが犠牲となった、というような戦争責任の糾弾一編調な説明では、何も説明したことにはならない。世界は、特攻を「攻撃行為」と理解している。それを悲劇という捉え方に終始するのは、所詮、井の底の蛙にしかならないことにいい加減、気づくべきだろう。特攻で死んだ若者は平和憲法に転生したという、ご都合主義的な解釈に随分と長い間、依拠してきた部分が戦後の民主主義思想にはあったが、それが世界に通用するわけがない。それを言うなら、太平洋戦争で戦死したアメリカの将兵たちにこそあてはまることだろう。そのような美意識は供養する側にとっての自己満足に過ぎない。

 まさか、自爆テロはイスラエルの不当な占領に対する抗議であるが、「神風特攻隊」は侵略戦争の悲劇的末期現象だから異なると言う向きは少ないだろう。しかし、自国の愛国は否定すべき対象だか、他国の帝国主義と対決する愛国は正しい、と無意識のうちにとらえる心理は日本の左派にありがちなことだ。要するに、今現在の自分にとって都合のいい過去や、過去の一側面だけをとらえ、無意識のうちに辻褄あわせをしてきたわけだ。

  大東亜戦争を肯定した論理と、同じ論理構造に陥っている。 ところがある。こうなると、自爆テロには民族解放のための大義があるが、特攻は大義がないということになる。実際にそういうことを書いた印刷物を眼にしたことはないが、会話レベルでは、多くの左派知識人がこのようなくだらない認識を私に示してくれた。

 

 そうそう、同じ。自爆テロをするものも、テロに際して報道する決意表明の映像と、決行直前に家族向けに撮影したビデオとでは、言ってることに格差がある。彼らも家族に対しては、涙ながらに別れを語っている。
と、得意げな表情で彼は語っていた。この時、私は彼の顔に占領者の優越感を見た。一体、家族向けにとった惜別のビデオをこの元テロ対策担当官は、どんな方法で手入したのだろうか。そして、脳裏に瓦礫となったパレスチナ人の居住区がよぎった。

 私は、ここは国際儀礼を踏まえ、失礼のないように接しようと考えてきたし、正直なところ、ここで中東政策全般の問題点を話してみたところで、仕方がない。そもそも、私は質問を受ける立場であり、話はあくまで特攻の件に限定してと思っていたが、やはり、私の意見としてアメリカ・イスラエルの中東政策そのものに問題がありやしないかと、やんわりといった時のことである。

 それまでは、もっぱら彼が質問をし、私がそれに長々と説明するという展開だったのが、今度は逆に彼が大演説を始めたのであった。要するに、テロリストは悪党であり、我々はパレスチナ人の脳みその中身を民主的なものに入れ替えなければならないんだ、と力説するのである。この時は、通訳も呆れて私の方を見た、というか、思わず、顔を見合わせるような格好になったが、私は、ここでは神風の話に限定しましょう、と言うと、彼も話の矛先を収めた。そして、やけに上機嫌になって帰っていった。