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| Who's Takane ? | |
| & His Etcetra..... |
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近代日本民衆思想史を専門としています。民衆史というのは、簡単に言うと、その時代、時代の権力の側にはいなかった人々の意識を研究する学問です。私の研究者としてのバックボーンは政治学と史学にありますから、非エリートの歴史、と言えばいいでしょうか。 政治学とは、基本的に意思決定と価値形成をめぐる科学だと考えています。この意思決定や価値形成に民衆−権力の側にいない人々−が、影響力を行使することは、余りないように思われます。しかし、実は、そうではありません。古今東西を問わず支配者や権力者というものは、常に民意・民情を気にするものなのです。つまり、権力の側は一定の民衆観を持っているわけです。 このような時々の権力者の民衆観を追ってゆくのも中々、面白いものです。それでは、当の民衆は、どんな民衆観、つまり自画像を持っているのでしょうか? 世相とか、世論といったことが、民衆により強く意識されるようになるのは、概ね近代以降です。出版・ジャーナリズムの発展が大きく影響しますが、それはナショナリズムとして、あるいは、階級意識として、地域横断的な意識というものが、自覚されるようになるのです。 さて、私のもう一つのバックボーンである史学とはものごとの来歴を問う学問だと思っています。ですから、この民衆意識の来歴を問う、というのが、私の学問ということになるでしょう。過去と現在の架橋をするのです。 総じて、社会科学は大量観測と個別分析の間に接点を設けることに醍醐味があります。それは民衆思想史においては、要約することで失われる本質と、要約しなければ見えてこない本質の間に、言葉の架橋を模索することです。 現在と過去、全体と個の間での位置づけを模索してみる。民衆思想史はそんな学問です。しかし、これだけだと窮屈ですよね。 民衆は、時に位置づけにとらわれ、時に位置づけから飛躍します。未来へのベクトルは、既成概念から離れて想像してみることも必要だからです。概して知識人は、位置づけが得意ですが、飛躍が苦手です。 しかし、本当に難しいのは、今は位置づけを模索すべき時なのか、そこから解き放たれて飛躍すべき時なのか、という判断です。 どうでしょうか? 少しは、私の民衆思想史に興味を持っていただけたでしょうか? |
| 1963年 | 東京都、神田生 |
| 1987年 | 明治大学政治経済学部政治学科卒業 |
| 1993年 | 明治大学情報科学センター・嘱託職員(至、2003年末) |
| 1995年 | 早稲田大学理工学部複合領域・非常勤講師 |
| 1997年 | 明治大学大学院・政治経済学研究政治学専攻修了(政治学博士) |
| 1998年 | 明治大学政経学部・非常勤講師
和光大学経済学部・非常勤講師(至、2003年) |
| 2000年 | 明治高校・非常勤講師(至、2003年)
立教大学大学院文学研究科・非常勤講師(至、2001年末) |
| 2002年 | 四国学院大学文学部・非常勤講師(至、2003年) |
| 2003年 | 立教大学文学部・・非常勤講師 |
| 2004年 | 明治大学情報コミュニケーション学部・助教授
明治大学大学院ガバナンス研究科・兼任勤講師 |
私にとっての明治、そして、神田
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私は、生粋の神田子です。御茶ノ水は、アカデミーコモン前の杏雲堂病院で生を受けました。 私にとって神田駿河台は生まれ故郷というわけです。今建っているアカデミーコモンには、昔、大学院の建物がありました。7階建ての「白亜」の建築物でしたが、5階から上には鉄骨がないと噂されていました。事実、5階から上の部屋では、アルミの窓枠が微妙に曲がり、窓の開閉ができない部屋があったくらいです。私は、この大学院で約10年間を過ごしました。 大学院時代の私は、一言で言うと「気合」の人でした。 なにしろ、研究室の扉を開けると正面の壁には「室内緊張」の四文字が掲げられ、文弱の輩が無駄話にでも来ようものなら、鉄拳をもって窓外へ叩き出しかねない気迫がみなぎっていたものです。 しかし、要するに世間知らずの青年が若さと体力にまかせて気を吐いていただけであり、そうした性分が災いしたか、就職には思いのほか苦労しました。学位(政治学博士)取得後、7年も浪人する破目になりました。 それでも、明治大学に進学し、こうして明大の専任教員となったわけですから、私は余程、明治と縁が深いのでしょう。そういえば、私の父も明治です。父は、陸軍士官学校から敗戦後、明治に進学し、政経学部を首席で卒業しました。そのことをとても誇りに思っています。そして、私の妻も明治です。 明治が好きか?、と問われれば、多分、好きと答えます。しかし、明治のことを悪く言われると、すごく腹が立ちます。 私は、研究者として明治で生まれ、明治で育ちました。 だから、ぼくは明治で死ぬ、そんなふうに感じています。 |