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東アジア4大帝国の興亡

早稲田大学エクステンションセンター・中野校 講座
最新の更新2023年1月30日 最初の公開2023年1月6日

以下、https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/56932/より。
目標
・歴史の真実を知る面白さを学ぶ。
・現代と近未来の問題を歴史をヒントに考える。
・今も昔も変わらぬ中国社会の特徴を理解することで、日本社会への教訓を得る。

講義概要
現在の中国はなぜ、西洋とも日本とも違う、あのような国になったのか。GDPが増えても、海外の情報が伝わっても、なぜ中国は変わらないのか。その理由は中国の歴史にあります。この講座では、現代の中国および東アジアに、明暗両面で多大の影響を残した4つの帝国、漢王朝、匈奴、唐王朝、清王朝を取り上げ、豊富な図版や映像資料も使いつつ、中国史の予備知識のないかたにもわかりやすく解説します。
  1. 漢王朝 ―4百年の栄光と遺産 2023年1月10日
  2. 匈奴 ―遊牧民族の動く帝国 1月17日
  3. 唐王朝 ―世界首都・長安の繁栄と没落 1月24日
  4. 清王朝 ―世界の富の3分の1を占めた超大国 1月31日

第1回 漢王朝 ―4百年の栄光と遺産
漢王朝は、前漢と、いったん滅亡したあとに復興した後漢の2つの時代がある。
種別漢民族系古代帝国
前身劉邦の漢王国(漢中と 巴蜀)
建国紀元前206年、農民出身の劉邦が即位(前漢)。
25年、第6代景帝の子孫である劉秀(光武帝)が再興(後漢)。
滅亡8年、外戚の王莽に簒奪されて滅亡(前漢)。
220年、献帝が魏の曹丕に禅譲して滅亡(後漢)。
※263年、『三国志』の蜀漢が魏に降伏して滅亡(蜀漢、季漢)
首都長安(前漢)、洛陽(後漢)
有名な君主高祖(劉邦)、武帝(劉徹)、光武帝、献帝、昭烈帝(劉備)など。
最大人口約6千万人(前漢末)
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-kbqBS2RIDgXm8JTb8HYqao

○ポイント、キーワード
 「漢字」「漢民族」と言うとおり、漢は単なる王朝名ではなく、中国文明を代表する偉大な名称です。前漢(前202年-後8年)と後漢(25年-220年)あわせて約4百年にも及んだ漢王朝は、最盛期の人口は6千万に達し、儒教など漢文の学問が確立、朝鮮半島やベトナムにも支配を及ぼすなど、東アジアの歴史に絶大な影響を残しました。「三国志」の群雄割拠で歴史を閉じるまでの漢王朝の歴史を、わかりやすく解説します。
○辞書的な説明
○略年表 ○その他


第2回 匈奴 ―遊牧民族の動く帝国
種別北族系遊牧帝国
前身周代の獫狁(けんいん)や葷粥(くんいく)?
建国前209年、近隣の諸族を併合した冒頓単于(ぼくとつ ぜんう)が「単于」に即位。
滅亡48年、北匈奴と南匈奴に分裂。
93年、北匈奴が滅亡。南匈奴は後に中国化。
※ヨーロッパのフン族の先祖は匈奴であるという「匈奴・フン同族説」もある。
※439年、五胡十六国時代の末、匈奴系説もある北涼が北魏に吸収されて滅亡。
首都頭曼城(現在の中華人民共和国内モンゴル自治区バヤンノール市)、美稷(同・オルドス市ジュンガル旗西北)、など
有名な君主冒頓単于、老上単于(井上靖の小説『宦者中行説』)、呼韓邪単于(王昭君の夫)など
最大人口不明 100万−200万?
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-lsy0XkzU9G_VwV8keIokHG

○ポイント、キーワード
 漢王朝のライバルとして北方のモンゴル高原に君臨したのが、謎の遊牧民族「匈奴(きょうど)」による大帝国です。固定した領土も都市も持たず、国民皆兵の移動する騎馬民族の帝国は、謎に満ちた多民族国家でした。その一部はヨーロッパにまで移動してフン族となったとも言われます。紀元前4世紀頃から、最盛期の漢王朝との抗争を経て、匈奴系貴族が活躍した7世紀頃まで、千年に及ぶ匈奴民族のドラマチックな興亡を解説します。
○辞書的な説明
○略年表
 匈奴は自国の文字をもたなかった。匈奴についての記録は、漢王朝の歴史家であった司馬遷が漢文で書いた歴史書『史記』巻110匈奴列伝第五十
https://ja.wikisource.org/wiki/史記/卷110
など、中国側の漢文史料に頼ることが多い。 ○その他


第3回 唐王朝 ―世界首都・長安の繁栄と没落
種別拓跋国家、胡漢融合国家、中世世界帝国
前身隋の公国「唐」
建国618年、隋の唐国公だった李淵が即位(高祖)。
滅亡907年、節度使の朱全忠(後梁の太祖)によって滅亡。
首都長安。副都は洛陽
有名な君主太宗、武則天(則天武后)、玄宗(楊貴妃の夫)など
最大人口約5300万(玄宗皇帝の時代)
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-mmH1m6Yh-bvQ9fQUgInKm_

○ポイント、キーワード
 唐は漢と並び、今も中国人が誇りに思う世界帝国でした。唐の都・長安は、玄宗皇帝と楊貴妃の時代に繁栄の頂点をきわめ、日本の遣唐使を始め、世界各地から人々が集まりました。唐の詩人である李白や杜甫の漢詩や、唐の仏教文化は、今も日本人に大きな影響を与えています。貴族趣味と異国情緒に満ちた唐王朝の栄枯盛衰の歴史を、予備知識の無い初心者にもわかりやすく解説します。
○辞書的な説明
○略年表 ○その他


第4回 清王朝 ―世界の富の3分の1を占めた超大国
種別征服王朝、近世世界帝国、満漢併用制国家
前身満洲人(女真人)の国家・後金
建国1636年、ホンタイジ(太宗)が国号を後金から大清国へ、民族名を女真から満洲へと改称。
滅亡1912年、宣統帝溥儀が退位して滅亡。
首都盛京(1616-1644。奉天。現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市)、北京(1644-1912)
有名な君主康煕帝、雍正帝、乾隆帝、西太后など
最大人口約4億(19世紀)
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-lN4URoZrDvC1FmUrvVLf4U

○ポイント、キーワード
 中国最後の東洋的王朝となった清(しん 1616年-1912年)は、当初は万里の長城の外の小国から出発し、最盛期には世界の総人口と総生産の3分の1を占める中華帝国となりました。日本ではアヘン戦争や日清戦争など弱国化したあとの清王朝のイメージが強いですが、現代の中国人の心の中では、清王朝の最盛期の領土と経済規模のシェアが、中国のあるべき姿として認識されています。21世紀の今も中国に絶大な影響を与え続けている清王朝について、豊富な図版を使いながら説明します。
○辞書的な説明 ※満州は本来は「満洲」と書き、地域名称ではなく民族名でした。中国語では「・・・民族」を一律に「・・・族」と呼びます。日本語「漢民族」を中国語に訳すと「漢族」になります。
○略年表 ○その他

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