目標 ・歴史の真実を知る面白さを学ぶ。 ・現代と近未来の問題を歴史をヒントに考える。 ・今も昔も変わらぬ中国社会の特徴を理解することで、日本社会への教訓を得る。 講義概要 現在の中国はなぜ、西洋とも日本とも違う、あのような国になったのか。GDPが増えても、海外の情報が伝わっても、なぜ中国は変わらないのか。その理由は中国の歴史にあります。この講座では、現代の中国および東アジアに、明暗両面で多大の影響を残した4つの帝国、漢王朝、匈奴、唐王朝、清王朝を取り上げ、豊富な図版や映像資料も使いつつ、中国史の予備知識のないかたにもわかりやすく解説します。 |
種別 | 漢民族系古代帝国 |
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前身 | 劉邦の漢王国(漢中と 巴蜀) |
建国 | 紀元前206年、農民出身の劉邦が即位(前漢)。 25年、第6代景帝の子孫である劉秀(光武帝)が再興(後漢)。 |
滅亡 | 8年、外戚の王莽に簒奪されて滅亡(前漢)。 220年、献帝が魏の曹丕に禅譲して滅亡(後漢)。 ※263年、『三国志』の蜀漢が魏に降伏して滅亡(蜀漢、季漢) |
首都 | 長安(前漢)、洛陽(後漢) |
有名な君主 | 高祖(劉邦)、武帝(劉徹)、光武帝、献帝、昭烈帝(劉備)など。 |
最大人口 | 約6千万人(前漢末) |
種別 | 北族系遊牧帝国 |
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前身 | 周代の獫狁(けんいん)や葷粥(くんいく)? |
建国 | 前209年、近隣の諸族を併合した冒頓単于(ぼくとつ ぜんう)が「単于」に即位。 |
滅亡 | 48年、北匈奴と南匈奴に分裂。 93年、北匈奴が滅亡。南匈奴は後に中国化。 ※ヨーロッパのフン族の先祖は匈奴であるという「匈奴・フン同族説」もある。 ※439年、五胡十六国時代の末、匈奴系説もある北涼が北魏に吸収されて滅亡。 |
首都 | 頭曼城(現在の中華人民共和国内モンゴル自治区バヤンノール市)、美稷(同・オルドス市ジュンガル旗西北)、など |
有名な君主 | 冒頓単于、老上単于(井上靖の小説『宦者中行説』)、呼韓邪単于(王昭君の夫)など |
最大人口 | 不明 100万−200万? |
匈奴 きょうど
前4世紀末から後1世紀ごろまでモンゴルで活躍した遊牧騎馬民族
その人種はトルコ系・モンゴル系など諸説ある。前4世紀末から中国を脅かし,前3世紀末に頭曼 (とうまん) ,ついでその子冒頓単于 (ぼくとつぜんう) が部族統合に成功し,東は熱河,西は東トルキスタン,南はオルドスにわたる大帝国を建設して秦・漢を圧した。漢は初め和親政策をとり,武帝のとき攻勢に転じたが,前1世紀半ばに内紛のため東・西匈奴に分裂し,東匈奴は漢に親しんだ。1世紀半ばにはさらに南北に分裂,この北匈奴がヨーロッパに侵入したフン族となったのではないかという説が有力である。南匈奴は4世紀永嘉の乱によって西晋を滅ぼし,五胡のひとつとして,五胡十六国時代をむかえることとなった。ノイン・ウラの匈奴貴族の墓は,その文化を明らかにした。
ぜんう【単于 chán yú】
匈奴の最高権力者の称号。匈奴遊牧国家の事実上の創始者である冒頓(ぼくとつ)(冒頓単于)のときから用いられ,その地位は部族連合体である匈奴の中核部族の攣鞮(れんてい)氏(虚連題氏)に独占された。単于の継承は先代の単于の遺言で決まる場合が多かったが,各部族集団の首長による合同会議で承認を受ける必要があった。その語源,語義については,《漢書》に〈単于は広大の貌〉と注することから,モンゴル語で非常に広大を意味するdeng ughu(現tong aghuu)にあてる説や,ギリシア語文献の音写から同じくモンゴル語の〈広いdelgüü〉に関連づける説など数種あるが,いずれも憶測の域を出ない。
種別 | 拓跋国家、胡漢融合国家、中世世界帝国 |
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前身 | 隋の公国「唐」 |
建国 | 618年、隋の唐国公だった李淵が即位(高祖)。 |
滅亡 | 907年、節度使の朱全忠(後梁の太祖)によって滅亡。 |
首都 | 長安。副都は洛陽 |
有名な君主 | 太宗、武則天(則天武后)、玄宗(楊貴妃の夫)など |
最大人口 | 約5300万(玄宗皇帝の時代) |
時代 | 殷周 秦漢 | 六朝 隋唐 | 宋元 明清 | 中華民国、中華人民共和国 |
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世紀 | 前11世紀− | 3世紀ー | 10世紀− | 20世紀− |
京都大学系(昔) | 古代 | 中世 | 近世 | 最近世(近現代) |
東京大学系(昔) | 古代 | 中世 | 近代(近現代) |
唐 とう
中国,隋に続く統一王朝(618ー907)
都は長安。李淵 (りえん) (高祖)が隋末の反乱を平定して建国。隋のあとをうけて均田制を基盤とする中央集権国家体制を確立,外征によってその領土を拡大し,大帝国となった。周辺の諸国家は,その律令体制や国際色豊かな文化から多大な影響をうけた。日本は630年以後しばしば遣唐使を派遣して,唐文化の摂取につとめ,律令制的中央集権国家を建設し,白鳳・天平の文化が開花した。8世紀中ごろの安史の乱後,藩鎮(節度使)が台頭し,黄巣の乱を経て滅亡した。
遣唐使 けんとうし
日本から唐に送った使節
630(舒明 (じよめい) 天皇2)年犬上御田鍬 (いぬがみのみたすき) の派遣に始まり,894(寛平6)年菅原道真の提議による停止まで十数回派遣。奈良朝では船舶4隻,総員500人内外で,航海は困難をきわめ,難破遭難した例が多い。随伴した人物には,玄ム・最澄・空海らの仏僧,山上憶良・吉備真備・橘逸勢など古代日本の発展に貢献した人物が多い。また阿倍仲麻呂のように唐において重用された人物もいた。
「春望」 杜甫 國破山河在 国破れて山河在り 城春草木深 城春にして草木深し 感時花濺涙 時に感じては花にも涙を濺ぎ 恨別鳥驚心 別れを恨んで鳥にも心を驚かす 烽火連三月 烽火 三月に連なり 家書抵萬金 家書 万金に抵る 白頭掻更短 白頭掻けば更に短く 渾欲不勝簪 渾て簪に勝えざらんと欲す シュンボウ。トホ。クニ、ヤブれてサンガ、アり。シロ、ハルにしてソウモク、フカし。トキにカンじてはハナにもナミダをソソぎ、ワカれをウラんではトリにもココロをオドロかす。 ホウカ、サンゲツにツラなり、カショ、バンキンにアタる。ハクトウ、カけばサラにミジカく、スベてシンにタえざらんとホッす。 「杜甫「春望」 唐代長安音(推定)」 https://youtu.be/7-js1_JK_zw |
種別 | 征服王朝、近世世界帝国、満漢併用制国家 |
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前身 | 満洲人(女真人)の国家・後金 |
建国 | 1636年、ホンタイジ(太宗)が国号を後金から大清国へ、民族名を女真から満洲へと改称。 |
滅亡 | 1912年、宣統帝溥儀が退位して滅亡。 |
首都 | 盛京(1616-1644。奉天。現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市)、北京(1644-1912) |
有名な君主 | 康煕帝、雍正帝、乾隆帝、西太后など |
最大人口 | 約4億(19世紀) |