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湖北省京劇院 来日公演
「項羽と劉邦 覇王別姫」
特別講座 by 加藤徹

最初の公開2018-6-12 最新の更新2018-6-12
パワポビデオ(YouTube 無音)

https://youtu.be/ZnZTFyFPFmk
パワポの文字部分のプリント原稿 [WORD 縦書き]
(以下、パワーポイントの文字部分のみ転載)
  1. 京劇講座 at 東京芸術劇場(池袋)
    講師 加藤 徹 KATO Toru Ver.2018-6-14
  2. まずは物語の理解 つぎに京劇の理解
     京劇「項羽と劉邦 覇王別姫」(中国語原題『楚漢春秋』)は、京劇の2つの伝統演目
    蕭何月下追韓信(ショウカ、ゲッカにカンシンをオう)
     と
    覇王別姫(ハオウ、ヒメとワカる)
    を土台とした新作である。前半の主役は蕭何(漢王・劉邦の丞相)で、後半の主役は項羽(西楚の覇王)。
  3. 物語の時代背景
       物語は、司馬遷の歴史書『史記』の記述に基づく。
     ただし芝居として史実を脚色した部分も。
     物語の時代は紀元前3世紀。
     秦の滅亡から前漢の建国までの乱世。
     中国史の中でも早い時代である。

    殷、周、東周、春秋戦国(アルプス一万尺)
    秦、前漢、新、後漢(こやりのうえで)
    魏、蜀、呉、西晋、東晋(アルペン踊りを)
    宋、斉、梁、陳、隋(さあ踊りましょ)
    五胡十六、北魏、東魏(らんららんらん)
    西魏、北斉、北周(らんらんらんらん)
    隋、唐、五代十国(らんららんらん)
    宋、金、南宋、元、明、清(らんらんらんらんらん)
  4. 登場人物
     まず、この5人を覚えよう。出身地不明の虞姫を除き、全員、現在の江蘇省北部の出身。
    前半は「漢」の視点
     韓信・・・新入社員
     蕭何・・・専務
     劉邦・・・社長
    後半は「楚」の視点
     項羽
     虞姫(虞美人)
  5. 「漢」とは?
     本来は、長江に合流する川の名前。「漢水」「漢江」。
     水源は、陝西省漢中市(島根県出雲市と姉妹都市。トキやパンダでも有名)の山。漢中盆地の一帯の地名を「漢」と呼んだ。
     ちなみに湖北省京劇院の住所は、漢江が長江と合流する「武漢市」にある。
  6. 「楚」とは?
    「楚」は「左右の足のようにバラバラに離れた木」で、イバラや柴が原義。「清楚」(スッキリの意)の楚も同じ字。
     古代中国の南方の辺境地域を「イバラの地」と呼んだのが語源。ちなみに三国志の荊州の「荊」もイバラの意。
     楚の国土は「東楚」「西楚」「南楚」の三楚からなる。絶頂期の項羽はみずから「西楚の覇王」と号した。
  7. 項羽
     出自は楚の武門の名族。下相(江蘇省宿遷市)の人。
     身長8尺余(当時の1尺は約23センチ)。24歳で挙兵。天下の覇者となる。
     少年時代の名言。
    「文字は、自分の名と姓が書ければじゅうぶん。剣は1人と戦うだけ。学ぶに値しない。私は、万人と戦う兵法を学びたい」。結局、兵法もちゃんと学ばなかった。
  8. 略年表
    前256年(前247?) 劉邦、誕生
    前232年   項羽、誕生
    前230年頃? 韓信、誕生
    前221年 秦王政、「始皇帝」に
    前210年 始皇帝、死去
     各地で秦に対する反乱・挙兵
  9. 劉邦
     劉邦は農民出身で、親分肌の侠客。肩書きは沛県(江蘇省徐州市)の亭長(「道の駅」の駅長兼保安官)だった。
     徐州市は、愛知県半田市と姉妹都市で、項羽もここに都を置いた。
     蕭何はもともと沛県の下役人で、曹参・夏侯嬰は役人時代の彼の部下。
  10. 蕭何
    「漢の三傑」の筆頭。
     劉邦の無名時代から「チーム劉邦」の実務を取り仕切った。人材登用や、後方からの物資の補給により、劉邦の勝利に貢献した。
     劉邦が漢王になると、蕭何は「丞相」(現在の総理大臣に相当)に任じられた。
     漢の三傑   蕭何・張良・韓信
     維新の三傑  木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通
  11. 韓信
     貧しい庶民の出。転職と就活で苦労する青年。
    【漂母】【一飯千金】
     食事を恵んでくれる老女。若く貧しかった韓信に、洗濯をする老女が食事を恵んでくれた故事から。
    【韓信の股くぐり】
     大志を抱く人は、目先の小さな屈辱に耐えて無駄な争いはしない、の意。
     歌川国芳の絵「韓信胯潜之図」
  12. 前206年の動き
    〇十月 (秦の顓頊暦=センギョクレキ=では十月を歳首とする) 劉邦が項羽に先んじて秦の都・咸陽を占領。故事成語【法は三章のみ】
    〇十二月 「鴻門の会」(『史記』の名場面)。
       項羽、咸陽で破壊と略奪の限りを尽くす。
    〇二月 項羽は「西楚の覇王」と号して、彭城(今の徐州市)に都を置く。 【故郷へ錦を飾る】【沐猴にして冠す】
     劉邦は項羽から、漢中の地に封ぜられる。【左遷】 
  13. 劉邦軍は「桟道」を焼きながら西へ進み、漢中に入る
    ♪箱根の山は天下の岨
     蜀の桟道 数ならず

     劉邦は、張良の策を容れ、自分が東進の野心を持たぬことをアピールするため、桟道を焼いた。
  14. 韓信、劉邦の「漢」で就活
     韓信は、無名の青年であったが、天才的な軍事的才能をもっていた。
     初め項羽の「楚」に仕えたが、重用されず、見切りをつけた。
     劉邦の軍師であった張良(漢の三傑の一人)は、韓信の天才を見抜き、劉邦あてに推薦状を書いた。
     韓信は、漢が仕えるに値する就職先かどうか見極めるため、あえて推薦状を見せず、自分の才能だけで面接に挑むが・・・。
  15. 蕭何は劉邦に韓信を推薦
     漢の夏侯嬰(劉邦と同郷の腹心)は、韓信の才能を見抜き、蕭何に韓信を推薦した。蕭何も、韓信と会話し、韓信の天才ぶりに驚いた。
     蕭何は韓信を大将軍に抜擢するよう、劉邦に進言する。しかし劉邦は・・・
  16. 韓信、漢に見切りをつける
     劉邦は、張良からの手紙にあった「推薦状を持参する賢者」の到来を待っていた。まさかその賢者が韓信のことだとは、さすがの劉邦も気づかなかった。
     韓信は、目のまえの自分の才能に気づかぬ劉邦に見切りをつけた。韓信は辞表を残し、夜、馬に乗って漢を去る。
  17. 蕭何、月下に韓信を追う
     夜。蕭何の使用人が報告する。
    「韓信が夜逃げしました」
     蕭何はあわてて、みずから馬に乗り、韓信を追う。
         司馬遷の『史記』によると、劉邦から「他に何十人と逃亡してるのに、なぜ韓信のときだけ追いかけたのか」と聞かれた蕭何は【国士無双】と答えた。
  18. 韓信、漢の大将軍となる
     無名の若造だった韓信は、漢の大将軍に抜擢された。彼は、劉邦、蕭何、夏侯嬰、曹参、樊噲、呂馬通(呂馬童)らの前で、漢軍に【十面埋伏】の布陣の軍事演習を行う。
     翌年の前205年、「楚漢戦争」が本格化。韓信率いる漢軍は【明修桟道、暗渡陳倉】の計で、東への進出に成功。その後も韓信は【背水の陣】など天才的な作戦で勝利を重ねるのであった。
  19. 後半の物語 前202年
    覇王、姫と別る
     楚の項羽は「戦闘」「戦術」の天才で、腕っぷしも強く、戦場では無敗だった。
     漢の劉邦は、「漢の三傑」をはじめとする有能な部下たちをうまく使うことで、「戦略」と「(人事や補給力を含む)政治力」で項羽を追いつめた。
     項羽は、垓下の戦いで漢軍に包囲された。
     戦略を理解できなかった項羽は「天が我を滅ぼすのだ。私の戦いぶりのせいじゃない(天亡我、非戦之罪也)」とうそぶき続けた。
  20. 四面楚歌
     夜。垓下で楚軍を包囲する漢軍の陣地から、楚の歌が聞こえてきた。
    「まさか、故郷の楚は、もう漢軍に占領されたのか」
     司馬遷の『史記』によると、項羽は、

    力 山を抜き 気 世を蓋う 時 利あらずして 騅 逝かず 騅の逝かざる 奈何すべき 虞や虞や 若を奈何せん
    と【抜山蓋世】の思いを【悲歌慷慨】し、妻の虞姫(虞美人)が唱和したという。
  21. 捲土重来の語源
     項羽は漢軍との壮烈な戦いの末、烏江の渡し場で自決した。「西楚四年」十二月(前202年の初め)だった。

    題烏江亭  杜牧
    勝敗兵家事不期
    包羞忍恥是男児
    江東子弟多才俊
    巻土重来未可知
    「烏江亭に題す」勝敗は兵家も事 期せず/羞を包み恥を忍ぶは是れ男児/江東の子弟 才俊多し/巻土重来 未だ知るべからず

     「楚漢戦争」に勝利した漢王劉邦は皇帝に即位した(前漢王朝)。後方で兵馬と物資の補給を担当した蕭何が戦功第一とされ、韓信は楚王に封じられた。皇帝となった劉邦は功臣たちの粛清を始めるが、それはまた別の物語である。
  22. 虞美人草の伝説
     虞姫は、自分が項羽の足手まといになることを恐れ、自らの命を絶った。
     彼女の兄(虞子期)も最後まで項羽に付き従い、討ち死にした。
     後世の説話によると、虞姫が自決したとき流れた血から、真っ赤なヒナゲシの花が咲いた。ヒナゲシの前で楚の歌を歌うと、風がないのにゆらゆらと舞う。人々は虞姫の魂の生まれ変わりであるヒナゲシを「虞美人草」と呼ぶようになった。
  23. 故事成語の宝庫の時代
     漢と楚の戦いの記憶は、歴史物語として、今も語りつがれている。
    【多々益々弁ず】【将に将たる器】など、韓信や劉邦ゆかりの故事成語は多い。
  24. 京劇についての基礎知識
     京劇は、18世紀の末に北京で誕生した伝統演劇である。京劇のコンセプトは、日本の能狂言や歌舞伎と似ている点も多い。
    〇写実より「写意」
    〇個人より「古人」
    〇「述べて作らず」
     音楽も「作曲」ではなく「節付け」
  25. 京劇役者のことわざ
    〇器用な役者は大成しない
      台上三秒鐘、台下三年功。
    「舞台上の三秒間、舞台外の三年間」
    〇演技の型を極めよ
       守成法而不拘於成法、
       脱成法而不背乎成法。
    「常識知らずになるな。常識破りになれ」
    〇写実を超えたリアルさを目指せ
       不像不成戯、真像不是藝。
    「それらしくなきゃ芝居じゃない。そのまんまなら芸じゃない」
    〇TPOをわきまえよ
       寧穿破、不穿錯。
    「間違いを着るくらいならボロを着ろ」
  26. 京劇の演技の約束事
     〇小道具・衣装について
    手にムチを持つ →乗馬中
    ムチの色 →乗っている馬の色
    大鎧の騎馬武者の立ち回り →騎馬戦
    頭にかぶりものがない →大ピンチ
  27. 化粧法は3種類
    ☆「きれいな顔(俊扮)」
     美男美女ではない一般人も含め、美男美女風に化粧をする。韓信と兵士、虞姫と侍女兵も、メイクは同じ。
    ☆ 「くまどり」
     豪傑と道化役は隈取を描く。項羽と樊噲は豪傑の隈取。夏侯嬰と大宦官は道化役の隈取。
    ☆ 「その他」 右の二つ以外。
  28. セリフや音楽について
    〇京劇の言葉
    「古人」の役は高い声の古雅な言葉を使う(韻白)。庶民の役や道化役は、普通の中国語で演ずる(京白)。韻白は能の言葉、京白は狂言の言葉にあたる。
    〇京劇の音楽
     作曲よりも「節付け」。楽隊の位置は舞台の上手(むかって右)の奥。
     京劇公演事務局「楽戯舎」のサイトに楽器の写真と解説あり。
  29. どうぞ芝居をお楽しみください
    加藤徹のHP  http://www.geocities.jp/cato1963/
  (パワーポイントの文字部分、終わり)


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