メタ超心理学研究室

研究報告


報告者:石川幹人

「メタ超心理学の可能性」

 

0.はじめに

 超心理学の現状は、データを積み重ねても通常科学には対抗できないとされる科学史上の知見の、現在進行中の典型例であるし、研究成果が排斥されるダイナミズムは、科学社会学の格好の研究題材である。また、超心理学は科学の周縁に位置し、科学というものの境界設定の問題を再認識させる科学論上の興味深さもある。こうした超心理学の社会学や哲学を、「メタ超心理学」として捉えて行きたい。

 

1.超心理学者の主張

 近年、厳密に設定した超心理学実験(超心理学講座2-1)から、肯定的な実験データが積み上げられている。次のような実験の成果をメタ分析(超心理学講座2-9)した結果によって、超心理現象(PSI、超心理学講座1-1)の存在は統計学的に裏付けられている。

     ガンツフェルト実験(超心理学講座3-2)では、感覚遮断状態にある被験者へのテレパシーが見られた。

     予感実験(超心理学講座3-4)では、数秒後の感情的経験の内容が無意識のうちに生理学指標に予知的に現れた。

     乱数発生器実験(超心理学講座3-5)では、すでに発生された乱数に対して事後的に念力が働くような現象が得られた。

 

どうもPSIには次のような特性があるらしい。

     PSI実験では、実験を続けるうちにスコアが低下する(下降効果)。良い結果を出したいという達成動機が低下するのが原因か(超心理学講座4-1)。

     PSIを信じない被験者は、スコアが低いか、スコアの分散が小さい傾向がある(超心理学講座4-1)。

     心理学的、生理学的にPSIを誘導しやすい状態(安静状態、自発的な想像状態など)が存在する(超心理学講座4-2)。

     PSIの発現は、時空間の隔たりも大きな障壁にならない。むしろ時空間での転移(時空間内でのターゲットの混同)が見られる(超心理学講座4-6)。

     PSIは、その源となる人間(の達成目的)によって、なかば無意識的に引き起こされる(超心理学講座4-8)。

     良い実験結果が得られるかどうかは、被験者よりも実験者のPSI能力に依存する(実験者効果、超心理学講座4-9)。

     実験設定環境では、日常的環境よりもPSIは発現しにくく、その規模も小さくなる(超心理学講座6-1)。

 

2.超心理学者と取り巻く人々

 超心理学者:研究ポストと研究資金が極端に少ない。良い実験結果が得られる者と、そうでない者がはっきり二分される。良い実験結果が得られない者は、理論家になるか、懐疑論者になるか、分野を去るかの選択を迫られてしまう(超心理学講座1-3)。過去にはデータ捏造に手を染めてしまった者もいる(超心理学講座1-7)。

 本流科学者PSIを認めると自然科学の基盤が揺らいでしまう。超心理学は根拠のないイカサマ学問として、十分な調査をせずに無視をしたり、かたくなな批判をしたり、論文誌へ投稿される超心理学論文を不当に排斥したりする(超心理学講座1-4)。

 宗教家:伝統的宗教では、PSIは悪魔的なものとして排斥する傾向がある。一方で新興宗教では、超心理学の研究結果を自己の教義の補強的知見に利用しようとする傾向があり、その場合、しばしば研究結果が曲解されてしまう超心理学講座1-4

 奇術師:超心理学の内外を活躍の場としている。PSIは奇術で行えるとして、懐疑論の先頭に立つ者が大勢いる一方、奇術では行えないものがあるとして、超心理学者を助ける者も多い(超心理学講座1-5)。

能力者:超心理学の実験に協力するものの、捧げる労力の割りには、研究の進展は遅々としている。一方、霊媒や占い師を職にすると時には結構な商売となる。その場合、超心理学者によるお墨付きが欲しくなる(超心理学講座6-5)。

 一般人:漠然とPSIの存在を信じているものの、その裏には未知のものへの恐怖が伴っている(超心理学講座5-1)。科学的な解明が進むと「ロマンが失われる」と嘆く傾向もある。PSI実験の被験者には協力的であるが、概して超心理学全般に対してはアンビバレントな(両価値的でどっちつかずの)態度をとる。

 メディア:一般人と本流科学分野の温度差を利用して、「売れる」番組づくりに超心理現象が利用される(超心理学講座1-6)。そこに能力者や宗教家がからむと、各々の思惑がさらに交錯してドロドロの状況となる。

 

3.PSIの理論

 今のところ、PSI現象を一貫して説明する理論はない。それこそが、PSIが科学の一部として受け入れられない主因とも思われる。自然認識の基本ともいえる「時空間の近接性」に基づく相互作用さえも、PSIの場合には疑わしいため、PSIの発現に寄与する条件が絞り込めない。

 量子的観測理論(超心理学講座5-6)は、人間が過去に向かって状態を決定することによってPSI(とくにPK)を発揮すると説明し、決定増大理論(DAT、超心理学講座5-4)は、人間が将来に向かって予知判断することによってPSI(とくにESP)を発揮すると説明する。しかし両者とも、PSI源としての人間とPSI発揮対象事象との近接性を要請する点で、広くPSI現象を説明する理論とはならない。

 特異的場の理論(超心理学講座5-5)やシンクロニシティ(超心理学講座5-8)のような、「時空間の近接性」を超越した緩い理論を立てると、何でも説明できる万能理論となりがちで、現実的な予測には役に立たない。

 PSI現象が存在するとすれば、そのPSIの理論にもっとも必要な要件は、次のものであろう。現代科学技術やそれに基づく我々の生活がなぜPSIによって損なわれることがないのか、言い換えれば、なぜPSIは我々の日常生活の表層から隠れているかである(超心理学講座5-1)。ラカドウは、情報理論にもとづいたシステム論(超心理学講座5-7)でもってその説明に挑戦している。

 

4.PSIの価値

 PSIは、資源探査、経営判断、代替医療、警察捜査、軍事参謀に利用できると注目されてきた。なかでもアメリカのスターゲート計画では、軍事利用を目的に24年もの間、遠隔視(リモートビューイング、超心理学講座3-3)の研究が続けられた。その最終報告は、「統計的に有意な結果もあるものの、諜報活動への有効性は見られなかった」というものであった。計画に従事した超心理学者からは、不当な過小評価であるとか、懐疑論者を評価委員に起用した「やらせ」であるとかの批判があった。だが公平に見て、現状報告されているPSIの不確実性の高さは、軍事などの実用には向かないと言わざるを得ない。

 反面、不用意なPSIの肯定は、大きな問題を引き起こす恐れがある。霊能を偽る詐欺師や、ニセ治療者(超心理学講座2-4)の類が巷に蔓延する素地をつくってしまう。幻覚がESPかもしれないとなると心理臨床の場でも混乱をきたすであろう(超心理学講座6-2)。超心理学の研究は、怪しいものを排斥することで社会を安定化させているメカニズムを注視したうえで、科学と非科学との境界を再設定する道(超心理学講座8-2)を探るものでなくてはならない。

 しかし、実用的レベルでなくとも、PSIが多少なりとも存在するというのであれば、その哲学的含蓄は大きい。不可知とされた他者の心をESPで知ることができるとなれば、心理学に新たな地平を提供するだろう。そこでは、人間性心理学やトランスパーソナル心理学が勢いをもつだろう。科学技術がPKを排斥している可能性が指摘されれば、科学的実在の社会的構成主義を支持する論拠ともなるであろう。

 現代の哲学者の中では心身二元論を擁護する者は皆無に等しいが、超心理学者の中には二元論の立場に立つ研究者が数多い(超心理学講座8-3)。その背景には、PSIが存在しないことが、二元論の否定の傍証になっている構図がある。例えば、自然主義哲学者の信原幸弘による著書『考える脳・考えない脳』(講談社現代新書 pp.8-11)の冒頭には、次のようなくだりがあり、超能力が普遍的に見られないことによって、唯物一元論が正当化されている。

 わたしたちは超能力というものを容易に信じることができません。たとえば、手を使わずに念力でコップをもちあげることが、ほんとうに種も仕掛けもなくできるのか、はなはだ疑わしく思えます。この疑念の根底にあるのは、コップのような物理的な事物を動かすには何か物理的な力がいるはずだ、という日常的な信念でしょう。念力はこの日常的な信念に反するのです。
 ところが、素朴二元論では、そうした念力のような現象が、日常茶飯事として起こっていることになってしまいます。
 ・・・
 手を動かそうという意志は、心の働きです。それにたいして、脳の働きは、物の働きの一種です。したがって、手を動かそうと思えば脳の働きが起こるというのは、心の働きによって物が動くということにほかなりません。これはまさしく念力です。
 ・・・
 素朴二元論では、このように心の働きと脳の働きのあいだに、念力や透視のような超能力現象が日常茶飯事として起こることになります。しかも、非常に奇妙なことに、このような超能力現象は、心の働きと脳の働きのあいだにのみ起こり、それ以外のところでは起こらないのです。脳もまた物の一種にほかならないとすれば、なぜ脳だけがそのような心との相互作用という特異な性質を持つことができるのでしょうか。まったく不可解としかいいようがありません。
 ・・・
 ところが、もし心の働きが脳の働きと同じだとすれば、超能力のような理解しがたい話にはなりません。

日常からは隠れたところにPSIが存在するとなれば、心身二元論も一転して、信憑性が高まるというものである。だとすれば、PSIの存在は、近年の哲学における自然主義的転回に次いで、PSI的転回をもたらす可能性があると言えよう。では、そこへの具体的アプローチにはどんな可能性があるのだろうか。著名な超心理学者のチャールズ・タートによれば、研究者自身がPSIを実践的に経験することで新たな認識論的視点が得られ、状態特異科学(とくに変性意識状態に特異的な科学、超心理学講座8-5)が形成可能だというが、どうだろうか。

 

以上


本論稿は、38回心の科学の基礎論研究会での議論をうけて5月24日に加筆訂正したものである。


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