5-8 シンクロニシティ

明治大学情報コミュニケーション学部教授
メタ超心理学研究室 石川 幹人

 本項では,シンクロニシティの理論と,それを提唱した深層心理学の大家,カール・グスタフ・ユングについて述べる。

<1> ユングと超心理学

 ユングは,患者の深層心理を分析する過程で,何度もPSI現象を体験していた。とくに治療が良い方向へと向かい始めるときに,PSI現象が起きやすいという。その一端は,彼の死後に刊行された『ユング自伝』(みすず書房)にも記されている。
 彼は超心理学にたいへんな関心を寄せていたが,超心理学の論文を著してはいないし,超心理学のコミュニティに積極的に参加することもなかった。ラインは,ユングに対し再三,PSI現象の体験や,それに対する考えを発表してくれるように書簡で依頼していたが,臨床上の知見では,専門外の人は説得できないと,断っていたのである。ユングとラインの書簡の遣り取りは1934年から1954年まであり,ユングの姿勢は次の書簡集からはっきりと読み取ることができる。

 湯浅泰雄著訳『ユング超心理学書簡』(白亜書房)

 ユングは分析のうえで,集合的無意識に注目していた。その集合性とは,我々人間が皆,無意識の深い部分で共有している,歴史的・社会的・生物的部分である。PSIの見方も,集合的無意識との関連性に重きが置かれていたようである。例えば,PSI現象は,被験者個人の性格とは無関係であると断定している。
 そうしたユングが,初めて超心理学を視野に入れて発表した理論が,1952年のシンクロニシティであった(『自然現象と心の構造』海鳴社)。この立論にあたっては,スイス連邦工科大学の同僚であるパウリの影響があった。パウリは量子の排他原理でノーベル賞を受賞した物理学者であるが,自分自身にPSI体験があり,ユングの心理分析も受けていた。
 しかし,シンクロニシティの傍証として取り挙げられたのは「占星術」であり,晩年は,UFOとの遭遇体験は集合的無意識の投影であるとする著書(『空飛ぶ円盤』朝日出版社)も出版したことから,理論化の対象は,PSI現象よりは広く超常現象までに渡ったと言える。

<2> シンクロニシティ(共時性)

 シンクロニシティは「共時性」とも訳され,複数の出来事が非因果的に意味的関連を呈して同時に起きる(共起する)こと,である。シンクロニシティの正確な理解は難しい。何故なら,「出来事」,「因果」,「意味」,「同時」とは何かについて,議論が必要だからである。言い換えれば,解釈の余地が残されている理論である。
 まずは単純な例で考えてみる。「花瓶が割れた」,その時,「病院で祖母が亡くなった」というのが,シンクロニシティであるとしてみよう。出来事というのは,単純な物理現象ではない。祖母が粘土から作って大切にしていた花瓶(歴史性)が突然奇妙な音とともに割れ(状況性),居合わせた人々が不吉に思った(体験)というような事柄全体が,1つの出来事となる。シンクロニシティである場合には,そうした「花瓶が割れた」という出来事と,「病院で祖母が亡くなった」という出来事との間に,通常の因果関係がない(一方が他方の原因になっていたり,共通の原因から両者が派生していたりしない)必要がある。因果から考えると,同時に起きたのは全くの偶然であり,両者は1日違っていても1週間違っても構わない。因果関係がない代わりに,それらの出来事は共起することに,意味があるのだ。花瓶というのは祖母の象徴であり,割れることは形を失うことである。意味的関連が両者の出来事を橋渡ししている。
 シンクロニシティは,それが起きることで「意味」を生成している,と捉えることができる。ユングは,シンクロニシティに現われる意味は,もっぱら元型(アーキタイプ)であると主張した。元型とは,「影」,「アニマ」,「老賢人」などの,集合的無意識に由来する象徴であり,ユング心理学における中核概念である。

<3> 因果性と共時性

 上では,シンクロニシティは,通常の因果関係にない出来事に起きるとしたが,実は因果関係自体が哲学的議論になっている(8-3)。因果関係を科学的に定義すれば,過去の物理事象が未来の物理事象に影響することである。だが,この定義では,心的世界から物的世界への影響は除かれ,「私が手を挙げようと思った」から「私の手が挙がった」というのは,因果関係ではなくなってしまう。我々の日常の直感に基づいて,これも因果関係に入れる拡張した立場もある。シンクロニシティで比較される「通常の因果関係」とは,この拡張した因果関係を指すのであろう。
 ちなみに,心的世界から物的世界への影響は,科学的世界観(唯物論)では認められない(8-3)。だから,「私の手が挙がった」原因は,特定の生理学的脳状態であり,「私が手を挙げようと思った」という意志は全くの幻想であるか,良くてもその脳状態に伴う随伴現象(エピフェノメナ)であって,手の運動には何ら影響を与えることができない,とされる。
 ところが「目的因」という,さらに変則的な因果を考えることもできる。これは古代アリストテレスが提唱した概念で,万物は目的を持ち,その目的が原因となって,目的を達成するように変化するとされる。アリストテレスは,今日の科学的因果関係に相当する「運動因」とともに,2つの因果関係があるとした。この考えを発展させたのが,ライプニッツのモナド論である。モナドは自然界を構成する最小単位であるが,心的性質を合せ持ち,それらは全体として,あらかじめ定められた調和的関係を反映するとした(予定調和説)。中込照明は,このモナド論をもとにした物理理論によって,観測問題が解決できると主張している(『唯心論物理学の誕生』海鳴社)。
 ユングは自ら,モナド論からシンクロニシティの着想を得たと語っている。彼は,過去から未来へと時間発展する因果性と,同一空間を意味で折り合わせる共時性との2つの原理から世界は構成されるとしたのだ。こうした歴史から判断するに,シンクロニシティを変則的因果と見ることもできる。実際,ホワイトマンは,シンクロニシティを上位の階層における目的論的因果関係であると解釈している。ブラウディは,ユング自身が「元型がシンクロニシティを引き起こす」とも述べていることを指摘し,シンクロニシティは因果的理論であると主張している。
 スタンフォードは,適合行動理論(5-3)を提唱するに当たり,シンクロニシティと違って「因果的」理論であるとして,適合行動理論の独自性を主張した。ところが,シンクロニシティに目的因を見て取れば,適合行動理論の「傾向性」を,シンクロニシティの「意味」の一部と見なすことで,適合行動理論がシンクロニシティに包含される。両者は極めて類似した性格の理論である。

<4> 共時性と場の理論

 シンクロニシティにおける「同時」という概念を文字通り取ると,困ったことが起きる。超心理学においては,予知の説明に不都合が起きる。予知を行なうという出来事と,予知された現象の出来事とは同時ではないので,シンクロニシティであると容易には見なせない。物理学においては,そもそも同時性を絶対的に定義することが不可能である。(アインシュタインの)相対論的時空間では,同時刻の現象も,異なる速度で移動する系から捉えれば,異なる時刻になってしまう。
 どうも「同時」とは,何か意味論的な概念と捉えるのが良さそうだ。「同時」を,物理的な「時間軸上の距離がゼロの関係」から脱却し,「抽象空間上の意味距離がゼロの関係」などとするのが,シンクロニシティの本来の意図を汲んだ解釈なのかも知れない。シンクロニシティは本来,共鳴理論であるが,多次元空間理論とも,場の理論とも捉えることができる(5-5)。
 ロルの汎記憶理論は,記憶が世界に広がっていて,広がった先で関連したPSI現象を起こすというものであったが,その記憶主体の出来事と,PSI現象とされる出来事が,記憶の内容を意味的関連にして共起すると見なせば,シンクロニシティに相当する。長期記憶と集合的無意識との間に類似性を見つけるのも難しくはない。また,シェルドレイクの形態形成も,反復性を意味の1つと見なし,同時性を拡大解釈すると,まさにシンクロニシティであると言えよう。
 シンクロニシティは一見突飛な理論に見えるが,深く考えると,超心理学の諸理論と関係づけられ,理論を整理するうえで有効なものである。しかし,理論としての実効性は,あらかじめ「意味」をどう捉えておくかに,大きく依存している。「意味」が(元型などとして)事前定義されていないと,逆にシンクロニシティによって意味の定義を見出すようになってしまう。そうなるとシンクロニシティは,世界を予測する理論ではなく,意味とは何かを定義する手段となる。偶然の一致から迷信を生み出す手段にもなるので,注意が必要である(6-6)。

<X> 付記

 本項の内容はSSPにおけるブラウディ氏とパーマー氏の講演をもとにしている。また,上述の『ユング超心理学書簡』で補っている。


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