6-5 特異能力者の研究

明治大学情報コミュニケーション学部教授
メタ超心理学研究室 石川 幹人

 顕著なPSI現象(とくにマクロPK)は,特異能力者の周辺で多く報告される。以下では,そうした過去の事例に触れた後で,特異能力者を対象にした研究上の問題点を述べる。

<1> 用語の意味について

 ここで「特異能力者」とは,一般人よりも強いPSI現象を,比較的安定して示すことに長じた人を意味する(文脈から「PSIの能力」であることが明らかな場合は,単に「能力者」と略記する)。アメリカで特異能力者は,一般に「サイキック」と呼ばれるが,日本でいう「占い師」の仕事をする人もこう呼ばれるために,超心理学の論文ではサイキックではなしに,「感覚の鋭い被験者(Sensitive Subject)」とか,「才能ある被験者(Gifted Subject)」と書かれる場合が多い。逆に,特異能力を職業としているサイキックは,日本語では「職業能力者」と訳し分けることもある。
 日本語の「超能力者」とは,おおむね「特異能力者」の現代的言換えに思われるが,メディアにおいてパフォーマンスする人という意味で使われる場合もあるようだ。その場合は,英語の「サイキック・スーパースター」に相当するのだろう。

<2> 霊媒の研究

 心霊研究の時代(1-2)には,「霊媒」と呼ばれる特異能力者が,交霊会の席上で多くの(今日言うところの)PSI現象を引き起こしたと報告されている。19世紀後半に活躍した霊媒の多くは「物理霊媒」と呼ばれ,一連のPK現象を起こした。中でも最も有名な物理霊媒は,D・D・ホームである。彼は,教育のある紳士であり,求めに応じて準備することなしに,それも明るい照明のもとで,現象を起こした。ホームが起こしたと報告されている現象には,地震のような家全体の振動,重厚な食堂テーブルの空中浮遊,叩く音や光や匂いの発生,物体の瞬間移動,様々な形や大きさの動く手(手首から先のみ)の出現がある。また,誰も手を触れてないアコーディオンを演奏するのも得意だったようだ。時には,ホーム自身の身長が30センチも長くなったり,空中に浮き上がったりしたとも言う。
 交霊会における手の物質化は日常的だったようである。「手」は交霊会が終わると消滅してしまうが,パラフィンに指紋を残したり,染料や石膏で手型を取ることがなされた。霊媒フローレンス・クックに至っては,「幽霊の全身」を物質化したと,物理学者のクリックによって報告されている。
 1900年前後に活躍した物理霊媒エウサピア・パラディーノは,ホームとは対照的に,無学で字も読めない農民であった。彼女は調子の良し悪しの変化が激しく,詐欺を弄することも見られたが,物質化を始め顕著なPK現象を引き起こした。それは,著名な奇術師サーストン(奇術師の間では「サーストンの三原則」で知られている)をうならせるほどであった。サーストンは1910年,パラディーノの起こす現象の種明かしに賞金をかけたが,その賞金を獲得する者はいなかった。
 ホーム以降,物理霊媒の起こす現象の規模は,奇妙なことに段々と縮小していった。また,心霊研究の興隆と共に増えた「霊媒」の多くから,詐欺行為が次々と見つかった。そのため,心霊研究の中心は「精神霊媒」へと移っていく。交霊会における精神霊媒は,「幽霊が憑依した状態」になって,該当「幽霊」でしか知り得ないとされる情報を口にする。時には,会席者の求めに応じてESP実験も行なわれた。活躍した精神霊媒には,ハイパー夫人,レナード夫人が挙げられる。ハイパー夫人について研究していたホジソンは,死後にハイパー夫人に憑依して現われたと伝えられている。

<3> 福来友吉の研究

 日本では20世紀初頭,東京帝国大学文学部の福来友吉助教授(心理学)が,御船千鶴子と長尾郁子という2人の特異能力者について実験を行なった。鉛管の中に文字を書いた紙を入れて潰してハンダ付けしたものを多数作り,そこから無作為に選択したターゲットの透視に成功したという。福来はさらに,開けて見ても文字が読めないように,文字を写真撮影した未現像の乾板を入れて透視させたところ,乾板が「部分的に」感光していた現象を捉え,透視に念写現象が伴うことがあると考えた。
 彼の研究は反響を呼び,帝国大学の物理学の教授を交えた実験に発展し,真偽をめぐった論争が起きる。ところが1911年には,千鶴子が服毒自殺し,郁子が急に病死するという事態に至り,福来は社会的な窮地に追い込まれる。研究は新たに高橋貞子という特異能力者を得て続けられるが,福来は帝国大学の辞職(当初は休職)を余儀なくされる。福来の辞職は,日本の心理学(しいては科学研究全体)の方向づけがなされた歴史上の重要な事件と見なされる。この辺の事情を知るには,佐藤・溝口編『通史・日本の心理学』(北大路書房)を参照されたい。
 なお,福来の研究は1913年,『透視と念写』(福来出版から復刊)という本にまとめられ,その英訳が1931年ロンドンで出版される。念写(Thoughtography)という言葉は,彼によって命名された。ライン以前の超心理学研究の重要な部分が,日本で行なわれていたことになる。

 福来研究所のホームページ:http://www1.odn.ne.jp/fukurai-psycho/

<4> 現代の超能力者

 ラインが統計的なPSI実験を確立してから後は,主にマクロPKの研究(2-3)に特異能力者が使われる。現在,我々が「超能力者」と呼ぶ人々の登場である。
 1960年代のロシアでは,ワシリエフによって発見され,セルゲイエフによって研究されたニーナ・クラギナが注目された。彼女は,直立したタバコやマッチを手を触れずに動かしたという。冷戦時代に示された彼女の実験風景の映像は,西側諸国の研究者に衝撃を与えた。
 1964年から1967年には,念写能力者テッド・シリアスが活躍した。彼は,米国コロラド大学の精神科医カール・アイゼンバッドによって主に研究された。シリアスは,カメラのレンズに向かって「念じる」ことにより,ぼんやりした建築物の画像を写し出すことに成功している。
 最も世間を騒がせた「超能力者」は,プハリッチによって1972年に見い出されたイスラエルの青年ユリ・ゲラーである。ゲラーはESP実験で高スコアを示すこともあった(4-3)が,彼が得意としたのは,スプーン曲げに代表される金属曲げである。ロンドン大学のジョン・テイラー(応用数学)は1976年,圧力検知器を付した真鍮板の上にゲラーが手かざしをしたところ,大きな圧力は検出されないのに真鍮板が「上方に」曲がったと報告している。ところが驚いたことに,テイラーは1980年には,懐疑論者に転向するのである(『超自然にいどむ』講談社ブルーバックス)。
 ゲラーは超心理学者の実験に協力するよりも,テレビでの実演のほうに熱心であった。ゲラーは有能な奇術師であると考える研究者も多い。しかし彼の影響は大なるものがある。世界各地のテレビに出演しては,スプーン曲げの実演をしたため,自分も金属曲げができるという子供(ミニ・ゲラー)が次々に現われたのだ。日本でも1970年代後半の社会現象となった。
 日本のミニ・ゲラーの中で際立った能力を発揮したのは,清田益章である。彼は,スプーンの柄を指の間に挟んだまま「ねじる」のを得意としていた。また東京タワーなどの有名建築物の画像を念写すること,カメラに装填前のポラロイドフィルムパックのうち,内側の特定フィルムのみを感光させることに成功を収めていた。電気通信大学の佐々木茂美(機械工学)は,歪み検知器を付けた金属棒に清田氏が手かざしした際に,手で押したのでは得られないような,瞬間的な歪み変化を検出した。さらに,密封した容器内に光検出器を配置したものに清田氏が念写を試みたところ,光の湧き出し点が浮遊するのが記録された。清田氏は,1981年夏に渡米し,アイゼンバッドの研究室など3か所で実験を行ない,スプーンねじりと念写に成功を収めている。ただし,超心理学者の報告ではよくあるように,この場合も「さらなる研究が必要」と留保が付けられた(JASPR, 1982)。
 英国のミニ・ゲラーについて精力的に研究したのは,ロンドン大学のジョン・ハステッド(物理学)であった。彼は,天井に吊るした無数の鍵に歪み検知器を付け,ミニ・ゲラーたちのPKが波状に働くのを記録した。また,ガラス球の中に多数の針金を入れたものにPKをかけさせ,内部の針金を団子状に絡み合わせることにも成功したとされている。

<5> 特異能力者の研究

 特異能力者の研究は,一般人を対象にした研究に比べ難しい。顕著なPSIを捉えることができれば,超心理学研究の進展に結びつきやすいのであるが,現象は研究の網の目を巧みにすり抜ける(5-1)。また,性格などの心理学的要因とPSIとの関連を調べる(4-2)にはむしろ,多数の一般人を対象にしたほうが良い。これまで現われた特異能力者たちに,共通した性格などは見られないようである。
 能力者の中には,トリックを使う者も多いので,実験設定に厳重な管理と十分な注意が必要である(1-5)。ところが,能力者の多くは,研究者主導の状況を嫌う傾向がある。慣れたやり方でないと,能力が発揮できないと言うのである。研究者は,なるべく理想とする実験設定に近い形で能力を発揮させるよう,心理学的な誘導技能を持つことが要求される。
 メディアに知られている能力者の場合,さらに注意が必要である(1-6)。実験結果がメディアや能力者自身によって誇大表現されて,研究者が間接的に「お墨付き」を与えてしまうことがある。その後よくあるパターンでは,懐疑論者(1-4)が形だけの「実験」を行ない,インチキであると判明したとメディアによって喧伝される。もとの研究者は「インチキも見抜けない」と,いわれのない批判を受けることになるのだ。また,能力者の特異能力が失われやすいことも認識しておくべきである。事故や病気をきっかけにして突然能力を見出す者がいる一方で,そうしたきっかけで能力を突然失う者がいるという。
 最も重要な点は,能力者の人権である(1-8)。研究者は能力者と,研究が進展することの価値を共有できるかどうか,よく話し合う必要がある。そして,実験が能力者の心身面の健康を阻害していないか,という点に留意する必要がある。また,能力者が未成年である場合は,実験に協力することが精神発達上の問題となってないか(6-2)とくに注意を払うべきである。

<X> 付記

 本項の内容はSSPにおけるブラウディ氏とモリス氏の講演がもとになっている。一部『超心理学史』(1-2)で補った。日本に関する部分は独自に補った。


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