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 三蔵法師と孫悟空

第652回 武蔵野大学 日曜講演会 2024年9月22日(日)10:00〜11:30
最新の更新2025年1月16日   最初の公開2024年8月7日

この講演の内容は、
(印刷中)『心』日曜講演会講演集・第43集(武蔵野大学、2025年4月1日刊行予定)pp.45-68
に掲載予定です。
https://drive.google.com/file/d/1PV-c7cifPtOCG5_DJzXVjZ6qyZ2TVaGH/viewdummy
目次
  1. 3つのキーワード
  2. YouTubeビデオ
  3. 講演の要旨と概要
  4. 『浄土宗回向文和訓図会』
  5. ヒストリー(歴史)からストーリー(物語)へ
  6. 作劇法から見たキャラ分類
  7. 古典小説『西遊記』に出てくる三蔵法師
  8. 日本の『西遊記』略史
  9. 京劇の三蔵法師と孫悟空
  10. もっと知りたい人のために
  11. 内部リンク

本日、お話しさせていただく内容の3つのキーワード
「真俗冥合」「世代累積型集団創作」「いじくられキャラ」
  1. 真俗冥合(しんぞくみょうごう)
     仏教のこの上ない「真諦」(しんたい)と、俗世間の道理である「俗諦」は、奥深いところで自然とつながる(かもしれない)という考えかた。
     一般的な仏教用語ではないが、この四文字の組み合わせは、中国の禅僧(法眼宗/ほうげんしゅう)永明延寿(904-976)の著作『宗鏡録』(ずきょうろく)巻30に見える。
    cf.関連する概念:「機法一体」「乃至童子戯(ないしどうじけ)」「非僧非俗」「王仏冥合」他
     三蔵法師と孫悟空の『西遊記』は通俗的な娯楽文芸だが、その中にも真諦に通じるものがあるかもしれない、という民衆の漠然とした期待感。
    cf.逸話:浄土真宗大谷派の僧・植木徹誠(うえき てつじょう)は、俗であることこの上ない歌「スーダラ節」を歌わねばならぬことを悩む息子(植木等)にむかい、 「青島君(作詞者の青島幸男)はいいところに気がついた。この『わかっちゃいるけどやめられねぇ』は仏教の・・・」云々と説いて慰めた。(昔、加藤がテレビで見たうろ覚えの逸話なので、出典は定かではありません)
  2. 世代累積型集団創作(せだいるいせきがたしゅうだんそうさく)
     中国語「世代累積型集創作」の日本語訳。「個人創作」の対義語。
     仏教も、孫悟空と三蔵法師の物語も、長い歳月をかけて人から人へ、国から国へと語りつがれてゆくうちに発展し、現在も進行中である (仏の「無上甚深微妙法」を「縁無き衆生」に理解させるための創意工夫の積み重ねを「世代累積型集団創作」と見なす場合)。
    cf.外山滋比古『異本論』
  3. いじくられキャラ
     「いじられキャラ」とは意味が違うので注意。
     『西遊記』系の作品群で、孫悟空や釈迦如来、猪八戒、沙悟浄、玉龍(三蔵法師の白馬の正体。白龍)のキャラは安定しており、派生作品や翻案作品でも大きな改変はない。
     7世紀に実在した人物である玄奘をモデルとして創作されたキャラ「三蔵法師」は、日本では「いじくられキャラ」となり、派生作品や翻案作品では好き勝手に改変される。例えば、
      おねえキャラ/おかまキャラ(by 野沢那智。TVアニメ『悟空の大冒険』1967)
      貪瞋痴(とんじんち)の俗物(吾妻ひでおの漫画『きまぐれ悟空』1972)
      女優(by 夏目雅子。TVドラマ『西遊記』『西遊記II』1978−1980)
      二重人格(漫☆画太郎の漫画『珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-』1990-1992)
    等。
     なぜ三蔵は日本でこれほどいじくられるのか? もし、民衆の「こんな面白いお坊さんがいたらいいのに」という願望が反映しているとしたら・・・

YouTubeビデオ
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-kLhuHI5uz7MUmSl3_JNL_H



講演の要旨と概要

明日 2024年9月22日 の武蔵野大学 日曜講演会
「三蔵法師と孫悟空」(加藤徹)の要旨です。
日本版の三蔵法師が「おかま言葉」(野沢那智)、俗物(吾妻ひでお)、女優(夏目雅子)、二重人格(珍遊記)など「いじくられキャラ」になった理由は・・・
YouTube 無料配信のURLなど詳細は
https://t.co/qrmjmaYVIp https://t.co/TyYR7NS5hn pic.twitter.com/USqKZl37Nt

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) September 21, 2024

以下、武蔵野大学のサイトの
https://www.musashino-u.ac.jp/event/detail/20240922-3554.html
より引用。閲覧日2024年9月21日。引用開始
第652回 武蔵野大学 日曜講演会
「三蔵法師と孫悟空」
日時: 2024年9月22日(日)10:00〜11:30
講師: 加藤 徹(明治大学 教授)
会場: 武蔵野大学武蔵野キャンパス雪頂講堂
当日は対面での実施に加え、YouTubeでのライブ配信も行います。動画は講演会終了後もご視聴いただけます。

動画配信URL: https://youtube.com/live/XMkwjx0pAdE?feature=share

予約不要・聴講無料(※お車でのご来場はご遠慮ください)
開催にあたり、感染予防対策にご協力を宜しくお願い致します。
体調不良(発熱のある方含む)の方はご来場をご遠慮下さい。
事情により開催を中止する場合があります。事前にホームページ等でご確認下さい。
建学の精神でもある仏教主義に基づいた講話を中心に、学内外問わず、著名な先生方の講演を受講できます。
日曜講演会は、8月と3月を除いて毎月1回(年10回)、聴講無料で開講しています。

お問い合わせ 仏教教育事務課 TEL:042-468-9424
E-Mail:bukkyou@musashino-u.ac.jp
引用終了


『浄土宗回向文和訓図会』

日本人は江戸時代から『西遊記』(さいゆうき)の物語に親しんできました。
孫悟空や三蔵法師というキャラクターは、民衆にとって、仏教のありがたい世界と、娯楽文芸の世界をつなぐ存在でした。
幕末の仏教書『浄土宗回向文和訓図会』(じょうどえこうもんわくんずえ。好花堂野亭・著、松川半山・画図、1846年)では、お釈迦様の手のひらの上の孫悟空の話を絵入りで援用し、悟空の神通力さえ、念仏の徳による「釈迦の六神通」には及ばない、と力説しています。

2024年9月22日、武蔵野大学で日曜講演会「三蔵法師と孫悟空」https://t.co/LgjeDRs2K9 を担当します。自分の本をスキャンして画像資料を作成。好花堂野亭『浄土宗回向文和訓図会』巻之中(1846年)の、松川半山による挿絵「孫悟空が神通、釈迦の六神通に及ばず」。 pic.twitter.com/PxqV93Tp6f

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) September 16, 2024

cf.高解像度の画像(PD) Wikimedia Commons 「File:孫悟空と釈迦の手のひら Sun Wukong and the palm of Shakyamuni Buddha.jpg」  「File:孫悟空 Sun Wukong or Monkey King and Shakyamuni Buddha 01.jpg」  「File:孫悟空 Sun Wukong or Monkey King and Shakyamuni Buddha 02.jpg
『浄土宗回向文和訓図会』は早稲田大学のサイトでも読めます。https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ha05/ha05_01811/index.html


ヒストリー(歴史)からストーリー(物語)へ

『西遊記』は、長い歳月をかけていろいろな人が練り上げてきた「世代累積型集団創作」の娯楽文芸です。
7世紀、唐の時代に実在した高僧・玄奘(げんじょう)のヒストリーを核として、雪だるまをころがすようにフィクションをふくらませたストーリーです。
昔の日本人にとって、『西遊記』の三蔵法師のモデルとなった玄奘は、『般若波羅蜜多心経』の訳者として身近な存在でした。
「一向一揆時代の仏教の匂い」が残る石川県の旧家で生まれ育った物理学者の中谷宇吉郎(なかや うきちろう 1900-1962)は、 仏壇と『西遊記』の親和性をエッセイに書いています。
cf.青空文庫 
https://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/53238_49810.html
中谷宇吉郎「『西遊記』の夢」
「文藝春秋」1943(昭和18)年1月1日
 子供の頃読んだ本の中で、一番印象に残っているのは、『西遊記』である。
 もう三十年も前の話であり、特に私たちの育った北陸の片田舎には、その頃は子供のための本などというものはなかった。(中略)
 漸く振仮名を頼りに読めるようになった時に、最初にとっついたのが『西遊記』であった。この頃になって、久しぶりで手にしてみると、劈頭から、南贍部洲(なんせんぶしゅう)とか、傲来(ごうらい)国とかいうようなむつかしい字が一杯出て来る。こういう画(かく)の多い字が一杯並んで、字づらが薄黒く見えるような頁が、何か変化(へんげ)と神秘の国の扉のように、幼い心をそそった。
 面白さは無類であった。学校から帰ると、鞄(かばん)を放り出して、古雑誌だの反故だののうず高くつまれた小さい机の上で『西遊記』に魂をうばわれて、夕暮の時をすごした。昼でも少し薄暗い四畳半の片隅には、夕闇がすぐ訪れた。その訪れにつれて、本を片手にだんだん窓際に移って行った。ふと顔をあげると、疲れた眼に、すぐ前の孟宗籔の緑が鮮やかにうつった。
 仏教の寓意譚であるという『西遊記』が、これほど魅魔的に感ぜられたのは、雰囲気のせいもあった。その頃の加賀の旧い家には、まだ一向一揆時代の仏教の匂いが幾分残っていた。
 一番奥の六畳間(ま)が、仏壇の間になっていた。仏壇の間は昼でも薄暗かった。家に不相応な大きい仏壇は旧くすすけていて、燈明の灯がゆるくゆれると、いぶし金の内陣が、ゆらゆらと光って見えた。(中略)
 時々燈明がぼうっと明るくなると、仏壇の中の仏像だの、色々な金色(こんじき)の仏様の掛軸だのが、浮いて見えた。そして孫悟空のいた時代がそう遠い昔とは感ぜられなかった。

★世代累積型集団創作である『西遊記』は、古来、読本(よみほん。小説)や講談、芝居、映画、漫画、テレビドラマ、アニメ、ゲームなど、それぞれの時代と地域で作られてきました。
16世紀末、中国・明の時代に古典小説・百回本『西遊記』が成立しました。一応、これが古典の「決定版」となっています。
三蔵法師が、孫悟空・猪八戒・沙悟浄の三人の弟子を伴い、白馬(正体は西海龍王の息子・玉龍、別名・白龍)に乗って天竺をめざす、という話の骨子は変わらぬものの、細かい点は時代や地域ごとにアレンジされています。
現代の日本では、沙悟浄はカッパで猪八戒は白ブタ、三蔵法師は実写では女優が演ずる、というパターンが定着しています。
こうした「進化」は21世紀の現在も続いています。
cf.最近も、「その後の孫悟空」を描いた中国のゲーム「黒神話:悟空」が中国のSNSで“辱女”(中国語)として炎上するなど、世代累積型集団創作は続いています。

★『西遊記』とその周辺の歴史については、いろいろな本があります。
以下、『週刊エコノミスト』2024年9月10日号 p.56「歴史書の棚 『西遊記』のムック本登場 数奇な歴史と尽きぬ魅力 加藤徹」より自己引用。引用開始
 中国史のスケール感は、ムック本と相性がよい。 大判なので、広大な風景の写真は迫力がある。 地図も大きくて見やすい。 図版を軸として、渾沌(こんとん)とした膨大な事象が、すっきりまとめられている。 『時空旅人別冊 大人が読みたい西遊記』(三栄、1300円)は、ムック本の特長を満喫できる歴史書だ。
 7世紀、唐の玄奘(げんじょう)は命がけでインドに渡り仏法を学んだ。 彼は帰国後、旅で得た濃密な知見を弟子に口述筆記させた。 これが『大唐西域記』である。 後世、この史実をもとに、玄奘(三蔵法師)が孫悟空(そんごくう)や猪八戒(ちょはっかい)、沙悟浄(さごじょう)と天竺(てんじく)を目指す『西遊記』の物語が創られた。
 上原究一・東大准教授は『西遊記』の受容史をわかりやすい筆致で解説する。 玄奘の没後まもなく伝説化がはじまり、13世紀から物語や芝居が続々と仕組まれた。 16世紀末、明の時代に「百回本」(全100回で構成される版本)の古典小説『西遊記』が成立した。 これに関して日本の存在感は印象的だ。 現存する明代の『西遊記』刊本は10種18点。中国には1点しか残っていないが、日本には8種15点も現存する。 徳川家康に仕えた僧侶・天海も『西遊記』の原書のコレクターだった。 日本での変容も興味深い。 日本では沙悟浄はカッパとなり、三蔵法師は1978年のドラマで夏目雅子が演じてから女優の役柄になった。 鳥山明氏が漫画『ドラゴンボール』でアレンジした独自の要素は、中国人にも影響を与えた。
  歴史ライターの上永哲也氏らによる記事やインタビューも面白い。 子どものころ京劇(ペキンオペラ)の孫悟空を見て感動し、中国に渡り京劇俳優になった石山雄太氏。 史実の玄奘の足跡をたどり仏教聖地訪問の旅をした岡田真幸・大信寺住職。 第二次大戦中に日本にもたらされた玄奘の遺骨を今も埼玉県でまつる大嶋法道・華林山慈恩寺住職。 豊富な写真つきのインタビュー記事を読むと、玄奘と『西遊記』の数奇な歴史の旅は、今も終わっていないことに気づく。
 私たちがどんな本を読み、どんな作品を楽しむか。それもまた『西遊記』の歴史の一部になるのだ。
自己引用終了
 cf.https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20240910/se1/00m/020/018000c

以下はもっと知りたい人のために。
2011年9月25日、俳優座劇場にて。京劇の孫悟空役の石山雄太さんと。こちらも参照
 西遊記の物語で、孫悟空のお師匠さんである「三蔵法師」(中国語では「唐僧」)のモデルは、歴史に実在した玄奘である。
 史実の現状については、加藤徹「玄奘 孫悟空の三蔵法師のモデルはタフガイ」asahi20230413.html#03も参照。
 玄奘は隋の時代に生まれ、少年時代から出家し天才の誉が高かった。唐の初め、国禁を犯して密出国し、陸路でインドに渡ってインド仏教を学び、16年後に中国に戻った。 玄奘は長安で訳場(やくじょう。訳経道場)を開いて仏典(お経)の翻訳事業を行った。現代の日本人が読誦する「般若心経」は、鳩摩羅什訳(旧訳)ではなく玄奘訳(新訳)である。また口述により弟子に旅行見聞録『大唐西域記』を作らせた。
 653年に日本から遣唐使の一員として渡った道昭(629−700)は、玄奘と同室で暮らしながら指導を受けた。
 664年、玄奘は遷化(せんげ)。日本では、経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した高僧を指す「三蔵法師」と呼ばれることが多い。

 玄奘の旅行記『大唐西域記』については、加藤徹「三蔵法師とインドの杜子春」waseda20240702.html#01も参照。
 『大唐西域記』で玄奘が中国に紹介したインドの説話は、日蓮の手紙(兄弟抄 建治2年(1276)4月 55歳 池上宗仲・池上宗長あて)や、芥川龍之介の童話『杜子春』の元ネタになった。

 また玄奘の死後、民衆のあいだで「唐三蔵西天取経伝説」が生まれ、世代累積型集団創作により、数百年をかけて古典小説『西遊記』が誕生した。
 加藤徹「『西遊記』は子ども向け? もとはアダルトな成人向けエンターテインメントです」waseda20220517.html#05を参照。
 敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)からは、経巻を背負い虎を伴う行脚僧の絵(9世紀ごろ?)が発見されており、これを玄奘三蔵と見なす説もある。
cf.WikiMedia Commons https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Xuan_Zang.jpg PD



作劇法から見たキャラ分類

 「キャラクター」と「キャラ」を同義語として使う人もいれば、以下のようにニュアンスで使い分ける人もいる。
 「キャラクター」は個性をもつ登場人物・人物設定
 「キャラ」は記号化された「建て前キャラ」「本音キャラ」「おねえキャラ」「おかまキャラ」のように人格の一面を切り取り類型化したもの

★中国の古典小説『西遊記』の三蔵法師は、弱々しいものの、仏教に対する信念は強い人物です。
史実の玄奘は屈強な人物でしたが、物語では「作劇法」の定石(じょうせき)にしたがい、弟子の孫悟空が活躍できるように、三蔵は弱いキャラにしてあります。

〇西遊記のキャラクター配置
 「知・情・意」と「雅・雅俗共賞・俗」で分類。
三蔵法師
雅俗共賞孫悟空白龍
猪八戒沙悟浄
 三蔵法師は雅知。孫悟空は、最初は知・俗、後に知・雅俗。猪八戒は情俗。沙悟浄は意・雅俗。
 白龍(玉龍とも。三蔵法師が乗る馬の正体)の出番は少ない。
 「建前キャラ」と「本音キャラ」で分けると、三蔵法師は建前キャラ。孫悟空は、最初は本音キャラ、後に建前キャラ。孫悟空が建前キャラになったあと、猪八戒が登場して本音キャラを担当する。
 本音キャラは、読者や視聴者と、作品世界の超人的存在のあいだの距離を埋めるキャラクター。
 ちなみに、中国の古典小説『三国志演義』のキャラにも、同様の分担分けが見られます。
諸葛孔明関羽
雅俗共賞劉備
張飛


16世紀ごろの古典小説『西遊記』の三蔵法師
 以下、古典小説『西遊記』百回本・第十三回「陷虎穴金星解厄 双叉嶺伯欽留僧」後半部分より抜粋。
 中国(唐)を出発した三蔵法師は、国境の手前で、妖怪に襲われ二人の従者を食われてしまう。 辺境は、妖怪や猛獣がうようよいる危険地帯。 ひとりぼっちになり途方にくれる三蔵を救ったのは、劉伯欽という名の地元の猟師でした。 劉伯欽は三蔵を自宅に泊めます。伯欽の母は、夫の一周忌だったので、三蔵にお経をあげてもらいました。 その夜、伯欽の父親の霊が一家の枕元に立ち、三蔵のお経のおかげで救われた、と感謝を述べます。 一家は三蔵に感謝し、天竺への旅に送り出しました。
 劉伯欽は三蔵を国境の山まで送ります。でも、ここから先は、凶暴な妖怪だらけ。突然、国境の山からは「俺のお師匠さまがいらした!」と謎の叫び声が聞こえてきます。・・・・
古典小説『西遊記』原文日本語訳(加藤徹) わざと直訳的にしてます。
次早、那合家老小都起來、就整素齋、管待長老、請開啓念経。 這長老浄了手、同太保家堂前拈了香、拝了家堂。 三蔵方敲響木魚、先念了浄口業的真言、又念了浄身心的神呪、然後開『度亡経』一巻。 誦畢、伯欽又請写薦亡疏一道、再開念『金剛経』『観音経』。 一一朗音高誦。誦畢、吃了午齋、又念『法華経』『弥陀経』、各誦幾巻、又念一巻『孔雀経』、及談苾蒭洗業的故事、早又天晩。 献過了種種香火、化了衆神紙馬、燒了薦亡文疏。仏事已畢、又各安寝。 次の朝。家じゅうの老いも若きもみな起きるや、御斎(おとき)を整え御坊(ごぼう。ここでは三蔵法師を指す)をもてなし、開経(かいきょう)、読誦(どくじゅ)をお願いした。 かくて御坊は手を清め、太保(親分さん。ここでは劉伯欽を指す)とともに家堂の前で香をたき、家堂を拝した。 三蔵は木魚をポクポク叩き、まずは口業(くごう)を清める真言(しんごん)をとなえ、次に身心を清める神呪をとなえ、そのあと『度亡経』(どもうきょう)一巻を読んだ。 誦(ず)し終わると、劉伯欽からまた薦亡疏(せんもうそ)一通を書くことを請われ、そのあと『金剛経』『観音経』を開き、それぞれを高らかに朗誦。 誦し終わり、午(ひる)の御斎を食べ、また『法華経』『弥陀経』をそれぞれなん巻か読誦。『孔雀経』(くじゃくきょう)一巻を読み、苾蒭洗業(ひっしゅせんごう)の故事を談ずれば、早くも日は暮れた。 種々の香火を献じ、神々の紙馬を焼き、薦亡文疏を炊き上げ、仏事が終わると、おのおの安らかに就寝した。
却説那伯欽的父親之霊、超薦得脱沈淪、鬼魂児早来到自家宅内、託一夢与合宅長幼道。
「我在陰司裏苦難難脱、日久不得超生。今幸得聖僧念了経巻、消了我的罪業、閻王差人送我上中華富地、長者人家託生去了。 你們可好生謝送長老、不要怠慢、不要怠慢。我去也。」
さて、かの劉伯欽の父親の霊は、供養のおかげで浮かばれて、霊魂は早くも自宅に帰り、夢に託して家中(いえじゅう)の老若に言った。
「わしは、あの世で苦難から脱しがく、久しく生まれ変われずにおった。今、幸いに聖僧が経巻(きょうがん)をお読みくださり、わが罪業(ざいごう)を消してくださった。 閻魔大王の差配人により、わしは中華の富裕な地の長者の家へと送られ、生まれ変われることにあいなった。 おまえたち、よくよく御坊に感謝し、お送りせよ。ぬかるな、ぬかるな。では、さらば」
(中略。劉伯欽の一家は三蔵法師に感謝する。劉伯欽は、三蔵法師を国境の山まで見送る。)
行経半日、隻見対面処有一座大山、真個是高接青霄、崔巍険峻。 三蔵不一時到了辺前。
那太保登此山如行平地、正走到半山之中、伯欽回身、立於路下道、
「長老、請自前進、我却告回。」
三蔵聞言、滾鞍下馬道、
「千万敢労太保再送一程。」
伯欽道、
「長老不知。此山喚做両界山、東半辺属我大唐所管、西半辺乃是韃靼的地界。 那廂狼虎不伏我降、我却也不能過界、你自去罷。」
三蔵心驚、掄開手、牽衣執袂、滴涙難分。
正在那叮嚀拝別之際、隻聴得山脚下叫喊如雷道、
「我師父来也! 我師父来也!」
諕得個三蔵痴呆、伯欽打掙。
畢竟不知是甚人叫喊、且聴下回分解。
道を行くこと半日で、正面に大きな山があらわれた。まことに青空に接するほどの高さ。巍巍(ぎぎ)として崔嵬(さいかい)たる険峻な山だった。 三蔵は、ほどなくふもとに着いた。かの太保といえば、この山を登ること平地を行くがごとく、山の半ばまで来ると、伯欽はくるりと身を回し、道ばたに立って言う。
「御坊、これよりは、おひとりでお進みくだされ。わたしは戻らせていただきます」
三蔵は、馬の鞍からころげ落ちるようにおりて言う。
「なにとぞ、太保どの、どうかこの先も、お送りくだされ」
劉伯欽は言う。
「御坊はご存知ないでしょうが、この山は両界山と申しまして、東の半分はわが大唐の所管なれど、西半分は韃靼(だったん)の領域です。 かの地の虎狼(ころう)はわが手に負えず、われも国境を越えられず、おひとりでお行きくださいまし」
三蔵は仰天し、腕をふりまわし、劉伯欽の服やたもとを引っ張り、涙を流して別れがたく、ねんごろに拝別の言葉をかわすそのうちに、山のふもとより雷のような叫びが聞こえてきた。
「わがお師匠が来たれり! わがお師匠が来たれり!」
たまげた三蔵は呆然。劉伯欽はかろうじてふんばる。
さて、この叫び声の主は何人(なんぴと)ぞ。続きは次回のお楽しみ。
中国の古典小説版の文体は、講釈師の口調のように生き生きとしてリズミカルです。
『西遊記』の仏事など仏教関係の描写は、僧侶や仏教学者が読むと不正確だったり偏った描写も多いのですが、庶民の仏教に対するイメージを知るうえでは史料的な価値もあります。
なお、中国の古典小説『西遊記』は長い作品なので、日本語訳はかいつまんで訳した「抄訳」が多いです。
第13回について、お経云々の部分も省略していない「全訳」は岩波文庫版『西遊記』中野美代子訳などで読めます。
ネットで読める抄訳は、
https://dl.ndl.go.jp/pid/1174963/1/24 弓館小鰐『西遊記 世界大衆文学全集 第67巻』改造社、昭和6年 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1873301/1/97 伊藤貴麿・訳『西遊記 上巻』童話春秋社、1941年 国立国会図書館デジタルコレクション
などがあります。


日本の『西遊記』略史

2016年6月5日、池袋の京劇「白蛇伝」楽屋にて。
法海(に分した俳優さん)とともに合掌。
詳細はこちら
法海禅師は歴史に実在した唐末の高僧だが、後世の物語「白蛇伝」では悪役にされてしまった。
中国でも『西遊記』の映像作品は続々と作られている。


中国の芝居「京劇」における三蔵法師と孫悟空

日本の歌舞伎にあたる中国の京劇でも、孫悟空は大人気です。
京劇では三蔵法師を「唐僧」と呼びます。孫悟空は「孫悟空」のままです。
新潮劇院 京劇公演 「孫悟空 vs 孫悟空(中国語原題「真仮孫悟空」)」
 2010年5月・6月 cf.KGevent2010.html 写真つき
 新潮劇院のサイト https://www.shincyo.com/zhenjia/index.htm
 孫悟空(本物):石山雄太 孫悟空(偽物):馬征宏 三蔵法師:中川晃教(横浜公演)/張冠玉(中野公演)  観音菩薩:盧思 釈迦如来:殷秋瑞、他

京劇の衣装・小道具
 三蔵法師がかぶるのは「五仏冠」ないし「毘盧帽(びるぼう)」、身には「錦襴袈裟」、手には「九環錫杖」。
 孫悟空の頭の輪の名前は「緊箍児(きんこじ)」。武器は「如意棒」。
 観音菩薩が手にもつのは「払子(ほっす)」。殺生戒の象徴。


もっと知りたい人のために

●宗教と娯楽芸能
 民衆に宗教の教えを理解させるために、寺院や神社で芸能や娯楽を活用することは、昔から行われていた。
昔の民衆の識字率は低く、また必ずしも宗教に興味をもたなかったため、娯楽芸能を教化(きょうけ)に活用した。

【拡散希望】10月25日水曜のフライヤーを作りました。#明治大学 映像資料プログラム
「坊主バンド」@vowzband
浄土真宗の僧侶でミュージシャンでもある藤岡善信先生をお招きし、先生の動画を鑑賞し、お話と弾き語りもうかがいます。入場無料、予約不要。詳細は、https://t.co/XwAshqboqS pic.twitter.com/NuqhfhZIIZ

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) September 23, 2023

【日本の場合】
 日本の娯楽芸能の起源は、おおむね仏教と関係がある。
21世紀の今も、日本のACG文化(アニメ・漫画・ゲーム文化)は仏教の多大の影響下にある。
『鬼滅の刃』主題歌「紅蓮華」(ぐれんげ 2019)も、仏教用語と関連がある。

【中国の場合】
 日本仏教のルーツは中国仏教である。日本史における仏教と民衆の娯楽芸能の関係も、中国におけるそれの影響が大きい。
 民衆の娯楽芸能の発展は、中国のほうがおおむね数百年くらい先行していた。
 唐の後半(9世紀ごろ)、寺院では「俗講」「変文」など民衆を教化するための講唱文芸が栄え、専門の俗講僧がこれを担当した。
 宋代(10世紀-13世紀)の大都市には「瓦子」(がし)と呼ばれた盛り場があり、寄席や芸者屋、飲食店などが軒を連ね、芝居や語り物、謡い物など庶民文芸のゆりかごとなった。
 唐の初期、7世紀に実在した玄奘(げんじょう 602-664)も、このような流れの中で、ヒストリーからストーリーに改変された。

●玄奘の史実から『西遊記』まで
略年表

●『西遊記』の虚構の背後にある史実
 玄宗皇帝等の「道先仏後」と則天武后「仏先道後」。
 昔の日本人が神仏習合であったように、中国の民間信仰も「仙仏融合」「道仏習合」であった。
 西洋人はオープンエンドの未知の冒険譚を好むが、中国人はクローズエンドの既知の冒険譚を好む。コロンブスと、鄭和の違い。『ガリバー旅行記』と『西遊記』の違い。
 『西遊記』の世界観では、セレンディピティはありえない。宇宙や世界は無限ではなく有限。全ては「お釈迦様の掌」の中。「九九八十一難」をクリアすれば目標達成。

●大人も西遊記が大好き

毛沢東(1893-1976)が詠んだ漢詩「和郭沫若同志」一九六一年十一月十日
※毛沢東が、「孫悟空、天宮で大暴れ」と「孫悟空、三たび白骨の精を打つ」の話をふまえ、みずからを孫悟空にたとえ、後の「文化大革命」の発動をほのめかした漢詩。

一従大地起風雷、  一たび大地に風雷の起こりてより
便有精生白骨堆。  便ち精の白骨の堆きより生ずる有り
僧是愚氓猶可訓、  僧は是れ愚氓なるも猶ほ訓ふべし
妖為鬼蜮必成災。  妖は鬼蜮と為りて必ずや災を成さん
金猴奮起千鈞棒、  金猴 奮起す 千鈞の棒
玉宇澄清万里埃。  玉宇 澄清す 万里の埃
今日歓呼孫大聖、  今日 孫大聖を歓呼するは
只縁妖霧又重来。  只に妖霧の又重ねて来るに縁る

 ヒトたびダイチにフウライのオコりてより、スナワちセイのハッコツのウズタカきよりショウずるアり。ソウはコれグボウなるもナおオシうべし。ヨウはキイキとナりてカナラずやワザワイをナさん。キンコウ、フンキす、センキンのボウ。ギョクウ、チョウセイす、バンリのホコリ。コンニチ、ソンタイセイをカンコするは、ヒトエにヨウムのマタカサねてキタるにヨる。

 大地に嵐と雷が起きてから、白骨の山からとんでもない妖怪が生まれた。三蔵法師は愚かだがまだ再教育できる。妖怪は陰険な化け物なのできっと災厄をもたらすだろう。金色のサルが、千鈞の重さの如意棒を勢いよく振り回す。天上界の神々の宮殿の万里のほこりは、綺麗にはらわれる。今こそ、斉天大聖・孫悟空を歓呼の声で迎えるべきだ。その理由は、妖しい霧がまたぞろただよっているからに他ならない。

吉川英治(1892ー1962)『小説のタネ』「西遊記の面白さ」
 雑誌「文藝春秋」1957(昭和32)年11月号
 僕の読書ですか、読書といっても、くつろぎの気持で手を伸ばす本は、きまって美術書だとか、平易な科学書とか旅行記みたいな物ですね。この頃は怠けぐせになったんでしょうか、勉強のためになんて、読みませんな、ひとの小説もよほどでないとめったに読まない。以前は、暇さえあると、神田、本郷の古本屋街を日課のように歩いては買い集めましたがね、またその当時は片っ端から買って来るとすぐ読んだものですが、近年は買ってもすぐには読まんですな。読まないくせに、古書目録を見るとつい買いこんで、それがだんだん溜っちゃうんで、いまでは書庫に困ってますよ。けれど唯、カードだけは頭にあるんで、必要にせまると、もちろん役に立つわけです。ともかく、雑書雑然というやつです。
 最近、ちょっと思い寄りがあって、「西遊記」に関する本を大分集めましたよ。あの中の、孫悟空ってものは実におもしろい。少年時代から「西遊記」は三、四回ぐらい読んでいますね。今年は軽井沢で暇があったので、孫悟空研究ってほどじゃないけど、ひとつ、おさらいをしてみようと思って、もう一回全編を読んでみました。そして「西遊記」の作者の空想力にあらためて驚嘆したですよ。いかに僕が空想家だと云っても、あれにはとてもかなわない。日本の古典とおなじように、「西遊記」の作者も誰なのか、よく分ってませんが、魯迅の説だと、明代の呉承恩だといってますね、ま、それはとにかく、あの雄大な空想力というものは、島国に生れた作家の小ッさい空想などとはてんでケタが違うんだな。まったく天衣無縫ですよ。
 けれど、あの「西遊記」も、今日読んでみると、おもしろいのは、全編の五分の一ぐらいのところ迄でしょうか。あとはどうも面白くない。然し、その空想力の逞しさは、たとえば今日の科学者が電子、量子へ向って、挑みかけている夢とも匹敵するほどなもんですよ。東洋の四大奇書の一つといわれるわけですね。惜しむらくは、前半以後になると、悪魔外道の出没とおなじ手法のくり返しになっちゃって、退屈を感じ出させますが、少年時分によくも克明にあんな大部な物を読んだもんだと、幼い頃の読書慾にも、われながら、つくづく感心しちゃったな。
 ところで、その「西遊記」は、今日までに幾たびも翻訳翻案されてますが、これを現代にとって書いたらどうなるかなんて、ついまた空想をほしいままにしてみたんです。
 悟空というあの半人半猿の性格は、現代人のたれの中にもいる一種の怪物ですからね。三蔵法師が天竺に経を求めにゆく願望を、今にすれば、さしずめ、人類の浮沈にかかわる原水爆のことになるでしょうな。人類が原水爆を使うか使わないかというのがラストでいいでしょう。悟空がよく駈けつける観世音菩薩は、真理の象徴とか、愛の具現とかになりますね。猪八戒と沙悟浄とは、われわれ仲間の現代人です。そういった仮設で、あの悟空を現代に用いて、二十世紀の三千世界を舞台にする。地球はもちろん、地軸から地上、天上から九天までを大舞台として現代を書けば今のあらゆる世態が書けると思う。思想、政治諷刺、小さくは銀座から汚職までね、飯茶碗の中まで書けるんじゃないですか。僕の空想癖でやれば……いや今は書きはしませんよ、もし書くとすればですね、悟空が自分の毛を抜いて、ふッと吹きさえすれば、変身の術を行うから、彼を用いて、一度は女体の子宮にも入れてみたいなんて思いますね、悟空という半人間の生命を一ぺん精子に戻して、そこから再出発させてみたい。まだ世に出ない子宮の中で、篤と、人間っていうものの出発を考え直さしてみたいような気がしますね。そして現行の政治方式というものやら何々主義などと絶対的に思われているものが、果してほんとに人間の社会の暮し方に好適なものか、どうかなんてことを、悟空に考えさせてみるわけです。
 いや、そんなことを云っても、やっぱり書くのはむずかしいな。一朝一夕にはやれないな。空想ってやつは、孫悟空が何万里を一瞬に駈けるようなもんで、とめどもないが、われに返ッてみたら、如来の手のヒラを駈けていたに過ぎなかったっていうようなもんですな。……しかしこの夏は「西遊記」を手に悟空と共に宏大無辺を遊びましたよ。
 「西遊記」には、後代に書かれた「後西遊記」もあるけれど、「後西遊記」はつまらない。「続金色夜叉」の類で、いけないですね。また、小説の「西遊記」には、史実の種本があるんですよ。千三百年の昔、大唐の長安から、その頃の中央亜細亜を通って、十八年がかりで印度へ行った玄奘三蔵法師の旅行記がそれなんです。その「大唐西域記」は三蔵自身の記録といわれてるから、ほとんど史実ですからね、そんな厳然たる史実をとって、あんな奔放きわまる空想を書いたんですから、じつに自由無礙な想像力です、いわゆる大陸文学というもんでしょう、とても小国作家の頭脳ではありませんね、敬服しますな。

●古典小説『西遊記』の名場面。
 以下の【原文】は https://zh.wikisource.org/wiki/西遊記 を使用し、字体や句読点などは加藤徹が改変した。【大意】は拙訳。

  1. 呉承恩『西遊記』第7回より
     八卦炉中逃大聖  老子の八卦炉から逃げ出した悟空は
     五行山下定心猿  如来の五行山の下に封じ込められる
    (その昔、下界のサルの妖怪であった孫悟空は、みずから「斉天大聖」(せいてんたいせい。天にひとしき偉大で神聖な存在)と名乗り、天界になぐりこみをかけた。悟空は、暴れん坊の子どものように単純な性格だったが、神通力は強大で、天宮の神々すらも歯が立たない。神々は、西天の釈迦如来に助けを求めた。釈迦如来は、悟空をさとした)

    【原文】仏祖聴言、呵呵冷笑道「你那廝乃是個猴子成精、焉敢欺心、要奪玉皇上帝尊位? 他自幼修持、苦歴過一千七百五十劫。毎劫該十二万九千六百年、你算他該多少年数、方能享受此無極大道? 你那個初世為人的畜生、如何出此大言? 不当人子、不当人子、折了你的当算。趁早皈依、切莫胡説。但恐遭了毒手、性命頃刻而休、可惜了你的本来面目。」
    【大意】お釈迦様は孫悟空の言葉を聞くと、ハハハ、と冷笑なさり、
    「おまえごとき化け猿が、天帝の位を奪うとは笑止千万。天帝は幼少から1750劫もの修行を積んで天帝になったのじゃ。1劫は12万9600年だ。何年かかったか計算してみよ。おまえのような、人になったばかりの畜生が大口をたたきおって。人でなしめ、人でなしめ。命を縮めることになるぞ。さっさと、おとなしく帰順しなさい。お仕置きを受けたら、おまえはたちまち命も何もかもなくすことになるぞ」

    【原文】大聖道「他雖年幼修長、也不応久占在此。常言道:『皇帝輪流做、明年到我家。』只教他搬出去、将天宮譲与我、便罷了;若還不譲、定要攪攘、永不清平。」
    【大意】悟空は「天帝が子どものころからどれだけ修行しようと関係ねえ。いつまでも地位を独占するだなんて。ほれ、『皇帝はまわりもち、来年はうちがなる』って言うだろ。やつを引越しさせて、天宮は俺がもらうぜ。ぐすぐすしやがると、また大暴れするぞ」

    【原文】仏祖道「你除了長生変化之法、再有何能、敢占天宮勝境?」
    【大意】お釈迦様は「おまえは長生変化の法術のほかに、どんな技能がある? 天宮を占拠する資格があるというのか?」

    【原文】大聖道「我的手段多哩:我有七十二般変化、万劫不老長生;会駕觔斗雲、一縦十万八千里。如何坐不得天位?」
    【大意】悟空は「俺さまの技は多いぜ。72とおりの変身術に、1万劫にわたる不老不死、それに觔斗雲に跳び乗りゃあ10万8千里をひとっ飛びだ。どうだ、これでも俺様が天帝になれねえ、ってか?」

    【原文】仏祖道「我与你打個賭賽:你若有本事、一觔斗打出我這右手掌中、算你贏、再不用動刀兵、苦争戦、就請玉帝到西方居住、把天宮譲你;若不能打出手掌、你還下界為妖、再修幾劫、却来争吵。」
    【大意】お釈迦様は「では、私とおまえとで勝負しよう。もしおまえが、觔斗雲の術で私の右手の手のひらの中から飛び出すことができたら、おまえの勝ちとしよう。いくさをするまでもなく、天帝には西天に引っ越してもらい、天宮をおまえに譲らせる。だがもし、おまえが私の手のひらの外に出られなかったら、おまえは下界に戻り、修行をやり直して、出直してこい」

    【原文】那大聖聞言、暗笑道「這如来十分好獃。我老孫一觔斗去十万八千里、他那手掌方円不満一尺、如何跳不出去?」急発声道「既如此説、你可做得主張?」
    仏祖道「做得、做得。」伸開右手、却似個荷葉大小。
    【大意】孫悟空はこれを聞いて、心のなかでせせら笑いました。「如来のやつはバカだねえ。俺様の觔斗雲は10万8千里をひとっ飛びだ。やつの手のひらのサイズは一尺にも満たない。飛び出せないわけはない」。悟空はすぐに「よっしゃ、じゃ、勝負だな」と答えました。
     お釈迦様は「では、いざ勝負だ」と右手を開くと、ハスの葉くらいの大きさでした。

    【原文】那大聖収了如意棒、抖擻神威、将身一縦、站在仏祖手心裏、却道声「我出去也。」你看他一路雲光、無形無影去了。仏祖慧眼観看、見那猴王風車子一般相似不住、只管前進。
    【大意】孫悟空は、如意棒をしまうと、神通力でサッと身をひるがえし、お釈迦様の手のひらの中心に立ち「じゃ、行くぜ」と言いました。悟空は、みるみるうちに雲か光のような速さで進み、影も形も見えなくなりました。お釈迦様が慧眼でご覧になると、悟空は風車みたいにクルクル回転しながら進んでゆきます。

    【原文】大聖行時、忽見有五根肉紅柱子、撐著一股青気。他道「此間乃尽頭路了。這番回去、如来作證、霊霄宮定是我坐也。」又思量説「且住、等我留下些記号、方好与如来説話。」
    抜下一根毫毛、吹口仙気、叫「変!」、変作一管濃墨双毫筆、在那中間柱子上写一行大字云:「斉天大聖、到此一遊。」
    写畢、収了毫毛。又不荘尊、却在第一根柱子根下撒了一泡猴尿。
    【大意】悟空は進むうちに、五本の肉色の柱が目に入りました。青い気が立ち上っています。「さしずめ、ここが宇宙の果てだな。戻ったら、如来を保証人にして霊霄宮を俺のもんにしてやる」と思った悟空は「まてよ。如来と話をつけやすいように、ここまで来た印を残しとくか」
     悟空は毛を一本抜き「変われ」と仙気を吹きかけ、墨をたっぷり含んだ筆にすると、5本の柱の真ん中の柱に「斉天大聖、ここに一遊す」と大書し、ついでに1本目の柱の根元に向かって立ち小便をしました。

    【原文】翻転觔斗雲、径回本処、站在如来掌内道「我已去、今来了。你教玉帝譲天宮与我。」
    如来罵道「我把你這個尿精猴子、你正好不曾離了我掌哩。」
    大聖道「你是不知。我去到天尽頭、見五根肉紅柱、撐著一股青気、我留個記在那裏、你敢和我同去看麼?」
    如来道「不消去、你只自低頭看看。」
    那大聖睜円火眼金睛、低頭看時、原来仏祖右手中指写著「斉天大聖、到此一遊」。大指丫裏、還有些猴尿臊気。
    【大意】悟空は觔斗雲をひるがえし、如来の手のうちに戻り、
    「さあ、戻ってきたぜ。約束どおり、天帝が俺様に天宮を譲るよう、天帝に言いな」
    お釈迦様は怒って「この小便ザルめが。おまえは私の手のひらから出ておらん」
     悟空は「俺が天の端っこまで行ってきたのを知らねえのか。肉みてえな赤い色の柱が5本立って、青い気が立ち上ってたぞ。証拠の印をつけてきた。いっしょに見に行くかい」
    「見に行くまでもない。下を見よ」
     悟空が火眼金睛を見開いて下のほうを見ると、あれれっ? お釈迦様の手のひらの中に「斉天大聖、ここに一遊す」と書いてあるじゃありませんか。親指の付け根からは、アンモニア臭がたちのぼっています。

    【原文】大聖吃了一驚道「有這等事? 有這等事? 我将此字写在撐天柱子上、如何却在他手指上? 莫非有個未卜先知的法術? 我決不信、不信。等我再去来。」
    【大意】悟空はびっくりして「ありえねえ、ありえねえ。天をささえる柱に書いた字が、なんでやつの指の上に? まさかこれって、未卜先知の法術、かよ。ウソだ、ウソだ。もういっぺん行ってくる」

    【原文】好大聖、急縦身又要跳出。被仏祖翻掌一撲、把這猴王推出西天門外、将五指化作金、木、水、火、土五座聯山、喚名「五行山」、軽軽的把他圧住。
    衆雷神与阿儺、迦葉一個個合掌称揚道「善哉、善哉!」
    【大意】悟空がパッと身を躍らせて飛び出ようとすると、お釈迦様は手のひらをパンとひっくりかえし、悟空を西天の門の外に押し出しました。5本の指はそれぞれ金、木、水、火、土の5つの山となりました。この一連の山脈、人呼んで「五行山」は、悟空を軽々と下敷きにしたのです。
     雷神たちや、仏弟子の阿難や迦葉は、みな合掌して「よきかな、よきかな」と賛美しました。

    (山の下に封じ込められた孫悟空は、五百年後、通りかかった三蔵法師の弟子となり、いっしょに天竺まで取経の旅のお供をすることになる)
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