朝に北海に遊び、暮には
蒼梧。
袖裏の
青蛇、
胆気粗なり。
三たび
嶽陽に入れども、人識らず。
朗吟して、
飛過す洞庭湖。
(以下、続きは次回以降に)
○その他
第4回 日中両国の杜子春を読み比べる
中国の原典では、杜子春は、南北朝時代末期から隋の時代の人物で、物語も真冬の長安から始まります。しかし芥川は、杜子春を唐の玄宗皇帝の時代の人物として描き、物語も春の洛陽から始めます。その他、原典の杜子春は中国的な性格の持ち主ですが、芥川版の杜子春は感性も日本的です。吉川英治の小説『三国志』もそうですが、日本の作家が書いた中国ものの小説を読むときは、あくまでも日本人むけに日本人が書いた創作である、という点を忘れてはなりません。
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○ポイント、キーワード
- 五岳 ごがく
中国道教の聖地である五名山。
東岳泰山(山東省泰安市泰山区)世界遺産
南岳衡山(湖南省衡陽市南嶽区)
中岳嵩山(河南省鄭州市登封市)世界遺産
西岳華山(陝西省渭南市華陰市)
北岳恒山(山西省大同市渾源県)
の5つ。中国版杜子春の後半部は「西岳華山」が舞台。芥川版は峨眉山。
- 華山雲台峰
華山の北峰にある実在の地名で、今は観光名所。「華山雲台峰図」など絵にも描かれる。
- 『観音経』かんのんぎょう
中国版の杜子春の「幻想」は、『観音経』(『法華経』の一部分)の影響と一部が似ている。
以下、okyou-kannon.htmlより自己引用。
- 或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心
wak chī on zoku nyō, kak shū tō kā gai, nen pī kan non riki, gen soku kī jī shin
- 或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊
wak sō ō nan kū, rin gyō yok shū jō, nen pī kan non riki, tō jin dan dan nē
- 或囚禁枷鎖 手足被杻械 念彼観音力 釈然得解脱
wak shū kin kā sā, shū soku hī chū kai, nen pī kan non riki, shak nen tok gē datsu
- 呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人
jū sō shō doku yaku, shō yok gai shin jā, nen pī kan non riki, gen jaku o hon nin
- 或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害
wak gū aku rā setsu, doku ryū shō kī tō, nen pī kan non riki, jī shitsu fū kan gai
- 若悪獣囲繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無辺方
nyak aku jū yī nyō, rī gē sō kā fū, nen pī kan non riki, shit sō mū hen bō
- 蚖蛇及蝮蝎 気毒煙火燃 念彼観音力 尋声自回去
gan jā gyū but kasu, kē doku en kā nen, nen pī kan non riki, jin shō jī ē kō
- 雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散
wun rai kū sē den, gō bak jū dai wū, nen pī kan non riki, ō jī tok shō san
○辞書的な説明
- 以下『日本大百科全書(ニッポニカ) 』より引用。引用開始
道士 どうし
出家得度して道教の教団に属し、道観や廟(びょう)に居住する人。道流、羽士(うし)、黄冠(こうかん)などの別称がある。秦(しん)・漢時代の方士(ほうし)はその先駆である。道士になるには、師を拝してその徒弟となり、所定の資格を得ると道?(どうろく)(免許証)や字号(法名)を授けられる。僧のように剃髪(ていはつ)はせず、髻(まげ)に結って冠(かんむり)や巾(きん)をつけ、道服を着る。女子もまた出家して女道士となるが、これは道尼(どうに)、道姑(どうこ)、また、髪を蓄えて冠をつけたから女冠(じょかん)ともよばれた。
正規の道士のほか、俗世間に住んで妻帯肉食をしながら祈祷(きとう)などに従事する者もあり、これを火居(かきょ)道士とよんだ。出家道士には階級や職名があるが、全真教ではたとえば長春真人丘処機(きゅうしょき)などのように学徳高い祖師を真人(しんじん)と敬称した。正一(しょういつ)教(天師道)では代々の管長は天師とよばれた。
[澤田瑞穂]
- 七情 しちじょう
人間がもつ7種類の感情。
儒教の経典『礼記』では喜・怒・哀・懼(く)・愛・悪・欲。
仏教では喜・怒・哀・楽・愛・悪(お)・欲。
ちなみに、日本語の「喜怒哀楽」の由来は、儒教の経典『中庸』の一節「喜怒哀樂之未發、謂之中(喜怒哀楽を未だ発せざる、これを中という)」
○中国版「杜子春伝」後半部分
『国訳漢文大成』の「杜子春伝」は、国立国会図書館デジタルコレクションでも読めます。
漢文訓読の読み下しはhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1913008/1/229 以下
漢文の原文はhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1913008/1/437 以下
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【原漢文】 既畢事、及期而往。老人者方嘯於二檜之陰。遂与登華山雲臺峰。入四十里余、見一処室屋厳潔、非常人居。彩雲遙覆、驚鶴飛翔。其上有正堂。中有薬爐、高九尺余、紫焔光発、灼煥窗戸。玉女九人、環爐而立、青龍白虎、分拠前後。
既にして事畢り、期に及んで往く。老人は方に二檜の陰にて嘯(うそぶ)く。遂に与(とも)に華山の雲台峰に登る。入ること四十里余、一処の室屋厳潔にして常人の居に非ざるを見る。彩雲、遙に覆ひ、鸞鶴飛翔す。其の上に正堂有り。中に薬爐(やくろ)有り。高さ九尺余。紫焔光発し、窗戸(さうこ)に灼煥(しやくくわん)す。玉女九人、爐を環(めぐ)りて立ち、青龍・白虎、分れて前後に拠る。其の時、日、将に暮れなんとす。老人は復た俗衣せず、乃ち黄冠・縫帔(ほうひ)の士なり。
【大意】 杜子春はことを済ませると、期日どおりに行った。くだんの老人は、日本の檜のあいだで長嘯(ちょうしょう)していた。そこで杜子春は、老人とともに、華山の雲台峰に登った。山に入ること四十里余り。厳潔にして常人の居にあらざる室屋が一箇所、あらわれた。彩雲がはるかにその場所をおおっており、鸞鶴が飛翔していた。その上に正堂があった。さらにその中に。薬爐(やくろ)があった。高さは九尺余り。紫の炎の光が発し、窓口にきらめいていた。玉女が九人、爐のまわりに立ち、青龍と白虎は分れて前後にひかえていた。その時にはもう、太陽はまさに沈もうとしていた。くだんの老人は平服から着替えていた。頭に黄色い冠をつけ、身には縫い目のあらい袖なしのゆるやかな衣をつけ、道士のいでたちであった。
注 芥川版の老人は仙人だが、中国版の老人は道士である。
薬爐の炎の光の描写から、拝火教(ゾロアスター教)の影響を考察する学者もいるが、筆者(加藤)はむしろ道教的な「八卦炉」(『西遊記』で太上老君が孫悟空を投げ込んだ炉)との類似性を感じる。
華山:中国五名山の一つ。長安(現在の陝西省西安市)から西に100キロメートル余り離れた陝西省華陰市にある。標高2154メートル。長安と華山の距離は、東京都心から千葉県銚子市くらいまでに近い。
縫帔(ほうひ):ゆったりとした服。縫は「絳」(こう。深い赤)の誤記である可能性がある。増子和男「唐代伝奇「杜子春伝」に見える道教的用語再考(上)」参照
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【原漢文】 持白石三丸、酒一巵、遺子春、令速食之。訖、取一虎皮鋪於西壁、東向而坐。戒曰、「慎勿語、雖尊神、悪鬼、夜叉、猛獣、地獄、及君之親属為所困縛万苦、皆非真実。但当不動不語、宜安心莫懼。終無所苦。当一心念吾所言。」言訖而去。子春視庭、唯一巨甕、満中貯水而已。
白石三丸、酒一巵(さけいつし)持して子春に遺(おく)り、速やかに之を食はしむ。訖(をは)れば、一虎皮を取りて内の西壁に鋪(し)き、東向して坐せしむ。戒しめて曰く「慎んで語ること勿かれ、尊神・悪鬼・夜叉・猛獣・地獄、及び君の親属の困縛する所と為りて万苦すと雖も、皆、真実に非ず。但だ当(まさ)に動かず語らざるべく、宜(よろ)しく心を安んじて懼(おそ)るること莫かるべし。終(つひ)に苦しむ所無からん。当に一心に吾が言ふ所を念ずべし」と。言ひ訖(をは)りて去る。子春、庭を視れば、唯だ一巨甕(いちきよをう)の満中に水を貯ふるのみ。
【大意】 老人は杜子春に、白石三丸と酒一巵(さけいつし)を手づから渡して、すみやかに服用させた。それが終わると、虎の皮を一枚、取って、屋内の西壁にしいたうえで、杜子春を東向してすわらせた。老人は、杜子春をいましめて言った。「けっして言葉を発してはいけないよ。尊神・悪鬼・夜叉・猛獣・地獄、および君の親戚縁者があらわれて、君は困縛させられてひどく苦しむことになるだろうが、それはみんな、リアルではないのだ。ただひたすら、体を動かさず口から言葉を出さず、心を安らかに保って恐怖をいだいてはならない。そうすれば最後は、苦しみがなくなるのだ。私が言ったことを一心に念じなさい」。老人はそう言い終えると、立ち去った。杜子春が庭を見ると、なみなみと水をたたえた巨大な甕(かめ)がひとつだけ、ポツンと置いてあった。
注:草、木、虫、石、穀の五種の薬剤を「五薬」という。薬は水でのむべきもので、酒(アルコール)で飲むと効果は早くあらわれるが危険である。
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【原漢文】 道士適去、旌旗戈甲、千乗万騎、徧満崖谷、呵叱之声、震動天地。有一人称大将軍、身長丈余、人馬皆着金甲、光芒射人。親衛数百人、皆杖劍張弓、直入堂前、呵曰、「汝是何人、敢不避大将軍?」左右竦剣而前、逼問姓名、又問作何物、皆不対。問者大怒、摧斬争射声如雷。竟不応。将軍者極怒而去。
俄而猛虎、毒龍、狻猊、獅子、蝮蝎、万計、哮吼拏攫而争前欲搏噬、或跳過其上。子春神色不動、有頃而散。
既而大雨滂澍、雷電晦瞑、火輪走其左右、電光掣其前後、目不得開。須臾、庭際水深丈余、流電吼雷、勢若山川開破、不可制止。瞬息之間、波及坐下。子春端坐不顧。
道士適(さ)り去(ゆ)けば、旌旗(せいき)・戈甲(くわかふ)、千乗万騎、崖谷に徧満し、呵叱(かしつ)の声、天地を震動せしむ。一人の大将軍と称する有り、身の長(たけ)丈余にして、人馬皆金甲を着け、光芒人を射る。親衞数百人、皆剣を杖(つ)き弓を張り、直ちに堂前に入り、呵(か)して曰く「汝は是れ何人ぞ。敢へて大将軍を避けざらん」と。左右、剣を竦(そばだ)てて前(すす)み、逼(せま)りて姓名を問ひ、又「何を作(な)す物ぞ」と問ふも、皆対へず。問ふ者は大いに怒り、摧斬(さいざん)し射を争ふ声、雷の如し。竟に応へず。将軍なる者、極怒して去る。
俄にして猛虎・毒龍・狻猊(しゆんげい)・獅子・蝮蝎(ふくかつ)、万計(ばんけい)哮吼(かうく)して拏攫(だくわく)せんとし、争ひ前(すす)みて搏噬(はくぜい)せんと欲し、或は其の上を跳び過ぐ。子春の神色動かざれば、頃(けい)有りて散ぜり。
既にして大雨滂澍(はうじゆ)し、雷電晦瞑し、火輪其の左右に走り、電光其の前後に掣(の)び、目開くを得ず。須臾(しゆゆ)にして、庭の際、水深きこと丈余となり、流電吼雷、勢ひは山川の開破するがごとく、制止すべからざるなり。瞬息の間、波、坐下に及ぶ。子春、端坐して顧みず。
【大意】 道士が去っていったあと、崖谷には旌旗(せいき)・戈甲(かこう)、千乗万騎が?満し、呵叱(かしつ)の声が天地を震動させた。「大将軍」と名乗る人物があらわれた。身の長(たけ)は一丈余りもあり、人馬ともに金甲を着け、その光芒は人の目を射すくめた。親衞隊が数百人つきしたがっていた。みな剣を杖(つ)き弓を張り、ただち堂前に入り、叱責して言った。「おまえは何者だ。大胆にも、大将軍さまを避けないのか」。大将軍の左右の者は、剣を竦(そばだ)てて前(すす)み、杜子春に逼(せま)って姓名をたずねた。そのうえで「おまえは何をするつもりか」と訊いた。杜子春はいずれの質問にも答えなかった。質問した者は激怒し、刃物をカチカチと打ち合わせ、弓の弦をビュンビュンと鳴らし、威嚇する音は雷のようだった。それでも杜子春は、最後まで無反応だった。将軍なる者は、赫怒したまま去った。
その後、突如とて、猛虎・毒龍・狻猊(しゆんげい)・獅子・蝮蝎(ふっかつ)など猛獣や害虫がウジャウジャとあらわれた。それらは、うなり声をあげ、杜子春をなんとかして捕まえようと、先を争って襲いかかってきた。杜子春は噛まれそうになり、頭上を飛び越えられたりしたが、顔色をまったく変えなかった。しばらくすると、みな散り散りになって消えた。
その後も、大雨が滂澍(ほうじゅ)し、雷電が晦瞑し、火輪が彼の左右に走り、電光が彼の前後に掣(の)びた。杜子春は目を開くこともできない。ほどなくして、庭にジャバジャバと水がわいてたちまち一丈余りの深さとなり、流電吼雷の勢いは山の川がドバッと鉄砲水になったようで、制止のしようもない。あっというまに水の波が杜子春の坐下まで来た。だが彼は端坐したまま顧みなかった。
注 杜子春の受難の描写は、『観音経』(『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五 okyou-kannon.html)の経文の影響があるかもしれない。
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【原漢文】 未頃、而将軍者復来、引牛頭獄卒、奇貌鬼神、将大钁湯而置子春前。長鎗両叉、四面週匝。伝命曰、「肯言姓名、即放。不肯言、即当心取叉置之钁中!」又不応。
未だ頃(しばら)くならずして、将軍なる者、復た来たり、牛頭の獄卒、奇貌の鬼神を引き、大钁(だいくわく)の湯を将(もつ)て子春の前に置く。長鎗、兩叉、四面に週匝(しうさふ)す。命を伝へて曰く「姓名を言ふを肯(がへ)んぜば即ち放たん。言ふを肯んぜずんば、即ち当(まさ)に心(しん)を叉に取り、之を钁中に置くべし」と。又応へず。
【大意】 ほどなくして、さきほどの将軍という人物がまた来た。牛頭(ごず)の獄卒とか、奇貌の鬼神を引きつれ、グツグツと煮えたぎる湯を満たした巨大な鼎钁 (ていかく) を杜子春の前にドンと置いた。彼はまわりを、長鎗や両叉などの武器でぐるりと取り囲まれた。将軍の部下は、将軍の命令を伝えた。「おまえが素直に姓名を名乗れば、解放してやる。名乗るのを承知しなければ、おまえの心臓を刃物でえぐりだし、グツグツと煮込んでやる」。杜子春は無反応のままだった。
注:鼎钁:罪人を釜ゆでにして殺すための古代の道具。
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【原漢文】 因執其妻来、拽於階下、指曰、「言姓名免之。」又不応。及鞭捶流血、或射或斫、或煮或焼、苦不可忍。其妻号哭曰、「誠為陋拙、有辱君子。然幸得執巾櫛、奉事十余年矣。今為尊鬼所執、不勝其苦。不敢望君匍匐拜乞。但得公一言、即全性命矣。人誰無情、君乃忍惜一言!」雨涙庭中、且呪且罵。春終不顧。将軍且曰、「吾不能毒汝妻耶?」令取剉碓、従脚寸寸剉之。妻叫哭愈急、竟不顧之。
因りて其の妻を執(とら)へて来たり、階下に拽(ひ)き、指して曰く「姓名を言はば之を免(ゆる)さん」と。又応へず。鞭捶(むちう)ちて流血し、或は射、或は斫(き)り、或は煮、或は焼くに及びて、苦しみ忍ぶべからず。其の妻、号哭して曰く「誠に陋拙為(た)りて、君子を辱しむる有り。然るに幸ひに巾櫛(きんしつ)を執ることを得て、奉事すること十余年なり。今尊鬼の執(とら)ふる所と為り、其の苦に勝へず。敢へて君の匍匐(ほふく)拜乞(はいきつ)するを望まず。但だ公の一言を得ば、即ち性命を全うす。人、誰か情無からん。君、乃ち一言(いちげん)を忍惜(にんせき)するか!」と。庭中に涙を雨ふらし、且つ呪ひ且つ罵る。春、終に顧みず。将軍、且つ曰く「吾、汝の妻を毒すること能はざらんや」と。剉碓(ざたい)を取り、脚より寸寸に之を剉(き)らしむ。妻、叫哭すること愈(いよいよ)急なるも、竟に之を顧みず。
【大意】 そこで悪鬼たちは、杜子春の妻を捕まえて連れてきた。杜子春がいる土壇の階下に彼女をひきすえたうえ、指さしながら言った。「おまえが命名を名乗れば、この女は放免してやろう」。杜子春は無反応だった。悪鬼たちは、杜子春の妻をムチで打った。彼女は流血した。その後、彼女を矢で射たり、刀で体を切ったり、熱湯をかけたり、焼きごてをあてたり、拷問の限りを尽くした。杜子春の妻は、苦痛にたえきれず、号泣しながら叫んだ。「わたしは良い妻じゃないかもしれない。あなたとふつりあいかもしれない。でも、結婚してもう十年余りになるのよ。私はこちらのみなさんに捕まって、こんなに苦しんでいるというのに。なにもあなたに、土下座してくれ、と頼んでるんじゃないのよ。たった一言、口を開いて言葉を発してくだされば、私の命は助かるのです。人間の感情ってもんが、あなたにもあるでしょう。あなたは、たった一言さえ、言葉をケチるのですか!」。杜子春の妻は涙をボタボタ流しながら、呪いと罵りの言葉を吐き散らした。杜子春は最後まで妻を無視した。将軍は言った。「おまえの妻を害することはできないと、おまえは見くびってるんじゃないのか」。人、誰か情無からん。君、乃ち一言(いちげん)を忍惜(にんせき)するか!」と。庭中に涙を雨ふらし、且つ呪ひ且つ罵る。春、終に顧みず。将軍、且つ曰く「吾、汝の妻を毒すること能はざらんや」と。手足を骨ごと切断する器具を持ってこさせると、杜子春の妻の足を、一寸きざみで切断させた。妻の悲鳴と絶叫はますます激しくなったが、杜子春は無視した。
注 芥川版の杜子春に妻は出てこない。
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【原漢文】 将軍曰、「此賊妖術已成。不可使久在世間。」敕左右斬之。
斬訖、魂魄被領見閻羅王。曰、「此乃雲臺峰妖民乎? 捉付獄中!」于是鎔銅、鉄杖、碓擣、磑磨、火坑、鑊湯、刀山、剣樹之苦、無不備嘗。然心念道士之言、亦似可忍、竟不呻吟。
将軍曰く「此の賊、妖術已に成れり。久しく世間に在らしむべからず」と。左右に敕(ちよく)して之を斬らしむ。
斬り訖(をは)れば、魂魄は閻羅王に領(ひ)き見(あ)わさる。曰く「此れ乃ち雲台峰の妖民か? 捉へて獄中に付せ」と。是に于(おい)て鎔銅・鐵杖・碓擣(たいたう)・磑磨(がいま)・火坑・鑊湯(くわくたう)・刀山・剣樹の苦、備(つぶさ)に嘗めざるは無し。然れども心に道士の言を念ずれば、亦忍ぶべきに似て、竟に呻吟せず。
【大意】 将軍は言った。「こいつは、すでに妖術が完成してしまっている。この世に置いておくわけにはゆかない」。将軍は左右の者に命じて、杜子春を斬殺させた。
斬り殺された杜子春の魂魄は、あの世に行き、閻魔(えんま)の前に引きずり出された。閻魔は「こいつが雲台峰の妖民か。こいつをとらえて、地獄の中に入れろ」。こうして杜子春は、鎔銅・鐵杖・碓擣(たいとう)・磑磨(がいま)・火坑・鑊湯(かくとう)・刀山・剣樹の苦しみを、すべてつぶさに味わさせる目にあった。しかし彼は、心の中で道士の言葉を念じていたので、なんとかがまんできそうであり、結局、一言もうめき声をあげなかった。
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【原漢文】 獄卒告受罪畢。王曰、「此人陰賊、不合得作男。宜令作女人、配生宋州単父県丞王勧家。」生而多病、針灸薬医、略無停日。亦嘗墜火墮牀、痛苦不齊、終不失声。
俄而長大、容色絶代。而口無声。其家目唖女。親戚狎者、侮之万端、終不能対。
同郷有進士盧珪者。聞其容而慕之。因媒氏求焉。
其家以唖辞之。廬曰、「苟為妻而賢、何用言矣。亦足以戒長舌之婦。」乃許之。廬生備六礼、親迎為妻。
獄卒、罪を受け畢(をは)れるを告ぐ。王曰く「此の人は陰賊なれば、合(まさ)に男と作(な)すことを得べからず。宜(よろ)しく女人と作(な)し、配して宋州単父県(そうしうぜんぽけん)の丞、王勧の家に生まれしむべし」と。
生れて多病、針灸・薬医、略(ほ)ぼ停日無し。亦嘗(つね)に火に墜(お)ち牀(しやう)より墮ち、痛苦斉(ひと)しからざるも、終(つひ)に声を失せず。俄(にはか)にして長大し、容色絶代なり。而るに口に声無し。其の家、目して唖女(あぢよ)と為す。親戚の狎(な)るる者、之を侮ること万端なりも、終に対ふる能はず。
同郷に進士の盧珪(ろけい)なる者有り。其の容(かたち)を聞き之を慕ふ。媒氏(ばいし)に因りて焉(これ)を求む。其の家、唖なるを以て之を辞す。盧曰く「苟(いや)しくも妻と為りて賢なれば、何ぞ言を用ひん。亦以て長舌の婦を戒むるに足る」と。乃ち之を許す。盧生は六礼を備へ、親迎して妻と為す。
【大意】 獄卒は、杜子春が刑罰を受け終わったことを告げた。閻魔大王は言った。
「彼は陰賊である。男に生まれ変わらせるのはダメだ。女に転生させ、宋州単父県(そうしゅうぜんぽけん)の丞である王勧の家の娘として生まれさせよう」。
女児に生まれ変わった杜子春は、生まれつき多病で、ほぼ毎日、針灸や薬医を受けた。火の中に誤って落ちたり、ベッドからころげ落ちてひどく痛い目にあっても、声をあげることはなかった。まもなく成長して、絶世の美女になったものの、口から声を出すことはなかった。家族は、口がきけないのだ、と思った。親戚は、生まれ変わった杜子春をあれこれひどくバカにしたが、杜子春は返答も反論もできないままだった。
同郷に、科挙の最終試験に合格して進士となった盧珪(ろけい)という者がいた。彼は、美女である杜子春の容貌を伝え聞いて、好意をもち、正式に媒酌人を立てて求婚した。杜子春の家族は「うちの娘は口がきけませんから」と辞退したが、盧は言った。「ただ良妻賢母でありさえすれば、言葉なんていらない。むしろ、おしゃべりすぎる婦人への戒めにもなるだろう」。結局、杜子春の家族は結婚を同意した。盧はは儒教の六礼をととのえて、みずから花嫁である杜子春を迎えにきて、夫婦となった。
注 インド版の「烈士」は男性に転生。中国版では美女に転生。芥川版は転生しない。
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【原漢文】 数年、恩情甚篤。生一男、僅二歳、聡慧無敵。盧抱児与之言、不応。多方引之、終無辞。盧大怒曰、「昔賈大夫之妻、鄙其夫、纔不笑。然観其射雉、尚釈其憾。今吾又陋不及賈、而文藝非徒射雉也。而竟不言。大丈夫為妻所鄙、安用其子!」乃持両足、以頭撲於石上、応手而碎、血濺数歩。子春愛生于心、忽忘其約、不覚失声云、「噫!」
数年、恩情甚だ篤し。一男(いちだん)を生むに、僅(わづ)か二歳にして聰慧(そうけい)なること敵(かな)ふ無し。盧、児(こ)を抱き之と言へども、応へず。多方に之を引くも、終に辞無し。盧、大いに怒りて曰く「昔、賈大夫(かたいふ)の妻、其の夫を鄙(いや)しみ、纔(わづ)かにも笑はず。然れども其の雉(きじ)を射たるを観て、尚ほ其の憾(うら)みを釈(と)けり。今、吾は陋(ろう)にして賈に及ばざれども、文藝は徒(ただ)に雉を射るに非ざるなり。而も竟に言(ものい)はず。大丈夫、妻の鄙しむ所と為(な)らば、安んぞ其の子を用ひん!」と。乃ち両足を持ち、頭(かしら)を以て石上に撲(う)つ。手に応じて碎け、血は数歩に濺(そそ)ぐ。子春は、愛、心に生じ、忽ち其の約を忘れ、覚えず声を失して云ふ、「噫(ああ)!」と。
【大意】 その後、数年がたった。夫はとてもやさしかった。男の子が生まれた。二歳になったばかりで、もう比べものがないくらい頭が良かった。夫の盧は、子どもを抱いて杜子春と語りあおうとしたが、杜子春は黙ったままだった。夫はあれこれと試みたが、杜子春は口を閉ざしたままだった。とうとう夫はキレた。「いにしえの賈大夫(かたいふ)はブオトコだった。美人の妻をめとったが、妻は夫をバカにして三年のあいだ口もきかず笑いもしなかった。だが夫が見事にキジを射止めると、妻ははじめて笑い、口をきいた。私は、いにしえの賈大夫には及ばないが、私の文筆能力はキジを射るというレベルに留まらないぞ。なのに、おまえは私に口をきいてくれない。一人前の男であるのに、妻からバカにされるとは。こんな息子は、もういらない」。夫はそう言うと、子どもの両足を持ち、子どもの頭を石に叩きつけた。頭はグシャリとくだけ、血が数歩さきまで降り注いだ。杜子春は、愛の心が生じて、一瞬、老人との約束を忘れて思わず「ああ」という一言を漏らしてしまった。
注:賈大夫の話の出典は『春秋左伝』昭公二十八年。「昔賈大夫惡,娶妻而美,三年不言不笑,御以如皋,射雉獲之,其妻始笑而言,賈大夫曰,才之不可以已,我不能射,女遂不言不笑夫」。
インド版では烈士が転生した老人の子は殺されそうになるだけだが、中国版では杜子春が転生した女性が生んだ二歳の幼子は頭蓋骨を割られて殺される。後世の作品だが、古典小説『水滸伝』で朱仝(しゅどう)が世話をしていた幼い男の子(小衙内)を李逵(りき)が殺したくだりも連想される。
芥川版では、子への愛ではなく、親への情へと改変されている。
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【原漢文】 噫声未息、身坐故処。道士者亦在其前。初五更矣。
見其紫焔穿屋上、大火起四合、屋室倶焚。道士嘆曰、「錯大誤余乃如是!」因提其髮投水甕中。
未頃、火息。道士前曰、「吾子之心、喜怒哀懼悪慾、皆忘矣。所未臻者、愛而已。向使子無噫声、吾之薬成、子亦上仙矣。嗟乎、仙才之難得也! 吾薬可重煉、而子之身猶為世界所容矣。勉之哉!」遙指路使帰。子春強登基観焉、其爐已壊。中有鉄柱、大如臂、長数尺。道士脱衣、以刀子削之。
子春既帰、愧其忘誓。復自效以謝其過、行至雲臺峰、絶無人跡。嘆恨而帰。
噫の声未だ息(や)まざるに、身は故(もと)の処に坐す。道士は亦其の前在り。初めて五更なり。
其の紫焰、屋上を穿ち、大火起こりて四合し、屋室倶(とも)に焚(や)くるを見る。
道士歎じて曰く「錯大(そだい)、余を誤ちて乃ち是のごとし!」と。因りて其の髮を提(と)り、水甕(すいをう)の中に投ず。未だ頃(しばらく)ならずして、火、息(や)む。
道士、前(すす)みて曰く「吾子(ごし)の心、喜・怒・哀・懼(く)・悪(を)・慾は皆、忘れたり。未だ臻(いた)らざる所の者は、愛のみ。向使(もし)、子の噫の声無くんば、吾が薬成り、子も亦、上仙せんものを。嗟乎(ああ)、仙才の得難きや! 吾が薬は重ねて煉るべし。而して子の身は猶ほ世界の容るる所と為るがごときなり。之を勉めよ」と。遙かに路を指して帰らしむ。
子春、強(し)ひて基観に登りれば、其の爐、已に壊(こぼ)ちたり。中に鉄柱有り、大いさ臂(ひぢ)ごとく、長さ数尺。道士は衣を脱ぎ、刀子を以て之を削る。
子春、既に帰り、其の誓ひを忘れしを愧づ。復た自ら效(つと)めて、以て其の過ち謝せんとして、行きて雲台峰に至るに、絶えて人跡無し。歎き恨みて帰れり。
【大意】 「ああ」という声がまだやまないうちに、杜子春の身はもとのところに座ったままだった。道士もまた彼の前にいるままだった。夜明けの五更になったままだった。
見れば、紫焰は屋上に大穴をあけて、大火が起きて四方で組み合わさり、部屋は建物ごとメラメラと燃えていた。
道士は嘆息して言った。「素寒貧の書生め。おまえのせいで大失敗だ」。道士は、杜子春の頭髪を手にとると、彼の頭をドブンと水がめの中につけた。その後まもなくして、火事はおさまった。
道士は身を進めて言った。「きみの心は、喜・怒・哀・懼(く)・悪(を)・慾は、どれも忘れることができた。最後に残ったのは、愛だけだ。もし、きみの、ああ、という一声さえなければ、わしの薬は完成し、きみも仙人になれたのに。ああ、仙才とは得難いものよ。わが薬は重ねて煉ることとしよう。きみは身を世間に置くほうがよかろう。がんばりなさい」。道士は、帰り道を指さして、杜子春を帰らせた。
杜子春は帰りかけたが、気になったので、炉の土台にのぼって中をのぞいた。炉は壊れていた。中に鉄の柱があった。長さは数尺、太さは臂くらいだった。道士は服を脱ぎ、ナイフで炉心の鉄柱を削っていた。
杜子春は帰ったあとも、自分が一瞬、誓いを忘れたことを恥じた。あらためて老人にお詫びを述べようと、華山の雲台峰に登った。だが、人のありかはどこにもない。歎息し、悔恨を抱きながら帰った。
注:中国版の杜子春は「信」を守れなかったことを恥じた。ここが芥川版と著しい対比をなす。
○その他
- 中国版杜子春は、中国の道士が水銀や金液を使って不老不死の薬を作る「錬丹術」をモチーフとしている。
中国の四大発明のひとつ「火薬」は、錬丹術の副産物として偶然に発明された可能性が高い。唐代の書物『真元妙道要路』には硝石・硫黄・炭を混ぜると爆燃する、と、すでに原始的な黒色火薬についての記述がある。
中国版杜子春で、錬丹に失敗し、建物に大穴が空いて燃えたという描写は、火薬を連想させる。
第5回 日本と中国の真逆の結末
日本版と中国版の杜子春の結末は、ほとんど「真逆」と言ってもよいほど違います。なぜ芥川は、あのような結末を作ったのか。そこには、日本人と中国人の、民族的な倫理観、宗教観の違いが反映しています。あなたは、芥川版と中国版のどちらの杜子春が、納得できますか? 1920年の芥川版「杜子春」の発表から百年余りたった現在の視点から、日本人と中国人の物の考え方の違いを整理し、歴史を知る教訓を探ります。
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-mJuTFxeCl3QvzXJPCzVrE7
○ポイント、キーワード
- 三国 さんごく
古典においては「日本・唐土(中国)・天竺(インド)」または「日本・中国大陸・朝鮮半島」を指すことが多い。
平安時代末期に成立した説話集『今昔物語』も、天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の三部構成。
- 信用
中国人は他人をなかなか信用しないが、いったん相手を信用すると、とことん信用する、という傾向がある。
戦前の上海で「内山書店」を営業した内山完造(1885-1959)も、粗衣粗食に耐える勤勉な苦力(クーリー)や信用を重んじる商人など、中国の庶民に深い共感を覚えた(藤井省三 『魯迅 東アジアに生きる文学』岩波新書、2011年)。
漢字では、人の言葉と書くと「信」になる。言葉が成る、と書くと「誠」となる。
「尾生の信」という故事成語がある。芥川龍之介も「尾生の信」という短編を書いている。https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/24_15235.html
- 鉄冠子
鉄冠子が作中で吟じた七言絶句は、呂洞賓の作。芥川自身が「1927年2月3日付 河西信三宛書簡」(『芥川龍之介全集』第11巻 書簡 2 岩波書店 1978年 p.497)で次のように書いている。
あの詩は唐の蒲州永楽の人、呂巌、字は洞賓と申す仙人の作に有之候。年少の生徒には字義などを御説明に及ばざる乎。
なほ又拙作「杜子春」は唐の小説杜子春傳の主人公を用ひをり候へども、話は2/3以上創作に有之候。
なほなほ又あの中の鉄冠子と申すのは三国時代の左慈と申す仙人の道号に有之候。
三国時代には候へども、何しろ長生不死の仙人故、唐代に出没致すも差支へなかるべく候。
呂洞賓や左慈の事はいろいろの本に有之候へども、現代の本にては東海林辰三郎氏著の支那仙人列伝を御らんになればよろしく候。
左慈の道号が鉄冠子、というのは、芥川の記憶違いかウソである。成瀬哲生「芥川龍之介の「杜子春」:鉄冠子七絶考」(『徳島大学国語国文學 2』, 20-29, 1989-03-31)p.28を参照。https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/ja/96160。
左慈は古典小説『三国志演義』にも登場する有名な仙人で、日本の戦国時代の果心居士と似ている。
呂洞賓は「八仙」の一人。故事成語「黄粱夢」(こうりょうむ。芥川も短編 https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/88_15189.html を書いている)の「呂翁」の正体は呂洞賓であるともいう。
- 峨眉山 がびさん
asahi20240106.html「峨眉山と楽山大仏」
- 泰山 たいざん
20210427.html「中国の聖地 泰山」
芥川版『杜子春』後半。
toshishun.html#15も参照のこと。
以下「青空文庫」の
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/170_15144.html より引用。閲覧日2024年7月28日。引用開始
四
二人を乗せた青竹は、間もなく峨眉山へ舞ひ下りました。
そこは深い谷に臨んだ、幅の広い一枚岩の上でしたが、よくよく高い所だと見えて、中空に垂れた北斗の星が、茶碗程の大きさに光つてゐました。元より人跡の絶えた山ですから、あたりはしんと静まり返つて、やつと耳にはひるものは、後の絶壁に生えてゐる、曲りくねつた一株の松が、こうこうと夜風に鳴る音だけです。
二人がこの岩の上に来ると、鉄冠子は杜子春を絶壁の下に坐らせて、
「おれはこれから天上へ行つて、
西王母に御眼にかかつて来るから、お前はその間ここに坐つて、おれの帰るのを待つてゐるが好い。多分おれがゐなくなると、いろいろな
魔性が現れて、お前をたぶらかさうとするだらうが、たとひどんなことが起らうとも、決して声を出すのではないぞ。もし一言でも口を利いたら、お前は到底仙人にはなれないものだと覚悟をしろ。好いか。天地が裂けても、黙つてゐるのだぞ。」と言ひました。
「大丈夫です。決して声なぞは出しはしません。命がなくなつても、黙つてゐます。」
「さうか。それを聞いて、おれも安心した。ではおれは行つて来るから。」
老人は杜子春に別れを告げると、又あの竹杖に
跨つて、夜目にも削つたやうな山々の空へ、一文字に消えてしまひました。
杜子春はたつた一人、岩の上に坐つた儘、静に星を眺めてゐました。すると
彼是半時ばかり経つて、深山の夜気が肌寒く薄い着物に
透り出した頃、突然空中に声があつて、
「そこにゐるのは何者だ。」と叱りつけるではありませんか。
しかし杜子春は仙人の教通り、何とも返事をしずにゐました。
所が又暫くすると、やはり同じ声が響いて、
「返事をしないと立ち所に、命はないものと覚悟しろ。」と、いかめしく
嚇しつけるのです。
杜子春は勿論黙つてゐました。
と、どこから登つて来たか、
爛々と眼を光らせた虎が一匹、
忽然と岩の上に躍り上つて、杜子春の姿を睨みながら、一声高く
哮りました。のみならずそれと同時に、頭の上の松の枝が、烈しくざわざわ揺れたと思ふと、後の絶壁の頂からは、四斗樽程の
白蛇が一匹、炎のやうな舌を吐いて、見る見る近くへ下りて来るのです。
杜子春はしかし平然と、眉毛も動かさずに坐つてゐました。
虎と蛇とは、一つ餌食を狙つて、互に隙でも
窺ふのか、暫くは睨合ひの体でしたが、やがてどちらが先ともなく、一時に杜子春に飛びかかりました。が、虎の牙に噛まれるか、蛇の舌に呑まれるか、杜子春の命は
瞬く内に、なくなつてしまふと思つた時、虎と蛇とは霧の如く、夜風と共に消え失せて、後には唯、絶壁の松が、さつきの通りこうこうと枝を鳴らしてゐるばかりなのです。杜子春はほつと一息しながら、今度はどんなことが起るかと、心待ちに待つてゐました。
すると一陣の風が吹き起つて、墨のやうな黒雲が一面にあたりをとざすや否や、うす紫の稲妻がやにはに闇を二つに裂いて、凄じく
雷が鳴り出しました。いや、雷ばかりではありません。それと一しよに
瀑のやうな雨も、いきなりどうどうと降り出したのです。杜子春はこの天変の中に、恐れ気もなく坐つてゐました。風の音、雨のしぶき、それから絶え間ない稲妻の光、――暫くはさすがの
峨眉山も、
覆るかと思ふ位でしたが、その内に耳をもつんざく程、大きな雷鳴が
轟いたと思ふと、空に渦巻いた黒雲の中から、まつ赤な一本の火柱が、杜子春の頭へ落ちかかりました。
杜子春は思はず耳を抑へて、一枚岩の上へひれ伏しました。が、すぐに眼を開いて見ると、空は以前の通り晴れ渡つて、向うに
聳えた山山の上にも、茶碗程の北斗の星が、やはりきらきら輝いてゐます。して見れば今の大あらしも、あの虎や白蛇と同じやうに、
鉄冠子の留守をつけこんだ、魔性の
悪戯に違ひありません。杜子春は
漸く安心して、額の冷汗を拭ひながら、又岩の上に坐り直しました。
が、そのため息がまだ消えない内に、今度は彼の坐つてゐる前へ、金の
鎧を
着下した、身の丈三丈もあらうといふ、厳かな神将が現れました。神将は手に
三叉の
戟を持つてゐましたが、いきなりその戟の切先を杜子春の胸もとへ向けながら、眼を
嗔らせて叱りつけるのを聞けば、
「こら、その方は一体何物だ。この峨眉山といふ山は、天地
開闢の昔から、おれが
住居をしてゐる所だぞ。それも
憚らずたつた一人、ここへ足を踏み入れるとは、よもや唯の人間ではあるまい。さあ命が惜しかつたら、一刻も早く返答しろ。」と言ふのです。
しかし杜子春は老人の言葉通り、
黙然と口を
噤んでゐました。
「返事をしないか。――しないな。好し。しなければ、しないで勝手にしろ。その代りおれの
眷属たちが、その方をずたずたに斬つてしまふぞ。」
神将は
戟を高く挙げて、向うの山の空を招きました。その途端に闇がさつと裂けると、驚いたことには無数の神兵が、雲の如く空に
充満ちて、それが皆槍や刀をきらめかせながら、今にもここへ一なだれに攻め寄せようとしてゐるのです。
この景色を見た杜子春は、思はずあつと叫びさうにしましたが、すぐに又鉄冠子の言葉を思ひ出して、一生懸命に黙つてゐました。神将は彼が恐れないのを見ると、怒つたの怒らないのではありません。
「この剛情者め。どうしても返事をしなければ、約束通り命はとつてやるぞ。」
神将はかう
喚くが早いか、
三叉の
戟を
閃かせて、一突きに杜子春を突き殺しました。さうして峨眉山もどよむ程、からからと高く笑ひながら、どこともなく消えてしまひました。勿論この時はもう無数の神兵も、吹き渡る夜風の音と一しよに、夢のやうに消え失せた後だつたのです。
北斗の星は又寒さうに、一枚岩の上を照らし始めました。絶壁の松も前に変らず、こうこうと枝を鳴らせてゐます。が、杜子春はとうに息が絶えて、
仰向けにそこへ倒れてゐました。
五
杜子春の体は岩の上へ、仰向けに倒れてゐましたが、杜子春の魂は、静に体から抜け出して、地獄の底へ下りて行きました。
この世と地獄との間には、
闇穴道といふ道があつて、そこは年中暗い空に、氷のやうな冷たい風がぴゆうぴゆう吹き
荒んでゐるのです。杜子春はその風に吹かれながら、暫くは
唯木の葉のやうに、空を漂つて行きましたが、やがて
森羅殿といふ額の懸つた立派な御殿の前へ出ました。
御殿の前にゐた大勢の鬼は、杜子春の姿を見るや否や、すぐにそのまはりを取り捲いて、
階の前へ引き据ゑました。階の上には一人の王様が、まつ黒な
袍に金の
冠をかぶつて、いかめしくあたりを睨んでゐます。これは兼ねて
噂に聞いた、
閻魔大王に違ひありません。杜子春はどうなることかと思ひながら、恐る恐るそこへ
跪いてゐました。
「こら、その方は何の為に、峨眉山の上へ坐つてゐた?」
閻魔大王の声は雷のやうに、階の上から響きました。杜子春は早速その問に答へようとしましたが、ふと又思ひ出したのは、「決して口を利くな。」といふ鉄冠子の戒めの言葉です。そこで唯頭を垂れた儘、
唖のやうに黙つてゐました。すると閻魔大王は、持つてゐた鉄の
笏を挙げて、顔中の
鬚を逆立てながら、
「その方はここをどこだと思ふ?
速に返答をすれば好し、さもなければ時を移さず、地獄の
呵責に
遇はせてくれるぞ。」と、
威丈高に
罵りました。
が、杜子春は相変らず
唇一つ動かしません。それを見た閻魔大王は、すぐに鬼どもの方を向いて、荒々しく何か言ひつけると、鬼どもは一度に
畏つて、忽ち杜子春を引き立てながら、森羅殿の空へ舞ひ上りました。
地獄には誰でも知つてゐる通り、
剣の山や血の池の外にも、
焦熱地獄といふ焔の谷や
極寒地獄といふ氷の海が、真暗な空の下に並んでゐます。鬼どもはさういふ地獄の中へ、代る代る杜子春を
抛りこみました。ですから杜子春は無残にも、剣に胸を貫かれるやら、焔に顔を焼かれるやら、舌を抜かれるやら、皮を剥がれるやら、鉄の
杵に
撞かれるやら、油の鍋に煮られるやら、毒蛇に脳味噌を吸はれるやら、熊鷹に眼を食はれるやら、――その苦しみを数へ立ててゐては、到底際限がない位、あらゆる
責苦に遇はされたのです。それでも杜子春は我慢強く、ぢつと歯を食ひしばつた儘、一言も口を利きませんでした。
これにはさすがの鬼どもも、呆れ返つてしまつたのでせう。もう一度夜のやうな空を飛んで、森羅殿の前へ帰つて来ると、さつきの通り杜子春を
階の下に引き据ゑながら、御殿の上の閻魔大王に、
「この罪人はどうしても、ものを言ふ
気色がございません。」と、口を揃へて
言上しました。
閻魔大王は眉をひそめて、暫く思案に暮れてゐましたが、やがて何か思ひついたと見えて、
「この男の
父母は、畜生道に落ちてゐる筈だから、早速ここへ引き立てて来い。」と、一匹の鬼に云ひつけました。
鬼は忽ち風に乗つて、地獄の空へ舞ひ上りました。と思ふと、又星が流れるやうに、二匹の獣を駆り立てながら、さつと森羅殿の前へ下りて来ました。その獣を見た杜子春は、驚いたの驚かないのではありません。なぜかといへばそれは二匹とも、形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母の通りでしたから。
「こら、その方は何のために、峨眉山の上に坐つてゐたか、まつすぐに白状しなければ、今度はその方の父母に痛い思ひをさせてやるぞ。」
杜子春はかう
嚇されても、やはり返答をしずにゐました。
「この不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さへ都合が好ければ、好いと思つてゐるのだな。」
閻魔大王は森羅殿も崩れる程、凄じい声で喚きました。
「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまへ。」
鬼どもは一斉に「はつ」と答へながら、鉄の
鞭をとつて立ち上ると、四方八方から二匹の馬を、
未練未釈なく打ちのめしました。鞭はりうりうと風を切つて、所嫌はず雨のやうに、馬の皮肉を打ち破るのです。馬は、――畜生になつた父母は、苦しさうに身を
悶えて、眼には血の涙を浮べた儘、見てもゐられない程
嘶き立てました。
「どうだ。まだその方は白状しないか。」
閻魔大王は鬼どもに、暫く鞭の手をやめさせて、もう一度杜子春の答を促しました。もうその時には二匹の馬も、肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えに
階の前へ、倒れ伏してゐたのです。
杜子春は必死になつて、鉄冠子の言葉を思ひ出しながら、
緊く眼をつぶつてゐました。するとその時彼の耳には、
殆声とはいへない位、かすかな声が伝はつて来ました。
「心配をおしでない。私たちはどうなつても、お前さへ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と
仰つても、言ひたくないことは黙つて
御出で。」
それは確に懐しい、母親の声に違ひありません。杜子春は思はず、眼をあきました。さうして馬の一匹が、力なく地上に倒れた儘、悲しさうに彼の顔へ、ぢつと眼をやつてゐるのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思ひやつて、鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む
気色さへも見せないのです。大金持になれば御世辞を言ひ、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何といふ有難い志でせう。何といふ健気な決心でせう。杜子春は老人の戒めも忘れて、
転ぶやうにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、「お母さん。」と一声を叫びました。……
六
その声に気がついて見ると、杜子春はやはり夕日を浴びて、洛陽の西の門の下に、ぼんやり佇んでゐるのでした。霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、――すべてがまだ峨眉山へ、行かない前と同じことです。
「どうだな。おれの弟子になつた所が、とても仙人にはなれはすまい。」
片目
眇の老人は微笑を含みながら言ひました。
「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかつたことも、
反つて嬉しい気がするのです。」
杜子春はまだ眼に涙を浮べた儘、思はず老人の手を握りました。
「いくら仙人になれた所が、私はあの地獄の森羅殿の前に、鞭を受けてゐる父母を見ては、黙つてゐる訳には行きません。」
「もしお前が黙つてゐたら――」と鉄冠子は急に
厳な顔になつて、ぢつと杜子春を見つめました。
「もしお前が黙つてゐたら、おれは即座にお前の命を絶つてしまはうと思つてゐたのだ。――お前はもう仙人になりたいといふ望も持つてゐまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になつたら好いと思ふな。」
「何になつても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」
杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子が
罩つてゐました。
「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には遇はないから。」
鉄冠子はかう言ふ内に、もう歩き出してゐましたが、急に又足を止めて、杜子春の方を振り返ると、
「おお、
幸、今思ひ出したが、おれは泰山の南の
麓に一軒の家を持つてゐる。その家を畑ごとお前にやるから、早速行つて住まふが好い。今頃は丁度家のまはりに、桃の花が一面に咲いてゐるだらう。」と、さも愉快さうにつけ加へました。
(大正九年六月)
引用終了
○比較対照表
| 印度 | 中国 | 日本 |
ジャンル | 説話 | 伝奇小説 | 小説(児童文学) |
出典 | 大唐西域記(見聞録) | 太平広記(類書) | 赤い鳥(雑誌) |
物語の時代 | 玄奘の時代から数百年前 | 北周から隋にかけて(6世紀末ごろ) | 唐の玄宗皇帝の時代(8世紀) |
物語の舞台 | 「施鹿林東行二三里」 | 冬の長安(冒頭) 華山の雲台峰(後半) | 春の洛陽(冒頭) 峨眉山(後半) |
主人公 | 「烈士」 | 杜子春 | 杜子春 |
相手役 | 「隠士」 | 「道士」 | 仙人(鉄冠子) |
目的 | 「更求仙術」 | 仙薬の完成 | 人間らしさとは何かを教える |
失敗の原因 | 「魔嬈」(まにょう)。
原文:隠士曰「我之過也。此魔嬈耳」 | 七情のうち「愛」だけ捨てられなかった。 | 「孝」の心と、人間らしい心をもっていたから。 |
主人公の結末 | 申し訳なくて憤死。
原文:烈士感恩,悲事不成,憤恚而死。 | 恥じて帰る。 原文:愧其忘誓・・・嘆恨而帰。 | あるべき自分をみつけ、晴れ晴れした調子。 人間らしい正直な暮し(泰山のふもとの畑付きの家) |
価値観 | 報恩
原文:感恩而死,又謂烈士池。 | 信(言葉や約束を守ること) | 嘘も方便 |
主人公:インドの烈士や中国の杜子春は、恩人の期待にこたえられなかったことを恥じた。日本の杜子春は「かえって嬉しい気がする」と晴れ晴れと述べた。
相手役:インドの隠士も中国の道士も、自分の目的のため主人公を「実験台」としたが、主人公に嘘はつかなかった。日本版の「仙人」は「もしお前が黙つてゐたら、おれは即座にお前の命を絶つてしまはうと思つてゐた」と、自分が嘘をついて杜子春を騙したことを臆面もなく述べる。
結末:インド版も中国版も失敗。日本版は「失敗してかえってよい場合もある」「平凡でも人間らしく生きることが幸せ」という価値観にもとづけば「成功」である。
日本人の国民性は「職人気質」(しょくにんきしつ/しょくにんかたぎ)だが、中国人の国民性は「商人気質」(しょうにんきしつ/あきんどかたぎ)である、とよく言われる。
商人は利益に敏感で、「信用」を重んじる。
参考
明智光秀「仏の嘘をば方便といひ、武士の嘘をば武略といふ。これをみれば、土民百姓は可愛いことなり」(『老人雑話』)
宮沢賢治「ミンナニデクノボートヨバレ / ホメラレモセズ / クニモサレズ / サウイフモノニ / ワタシハナリタイ」(参考
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html)
インド→中国→日本と「リレー」するうちに大きな文化変容が見られた例。
参考 植木雅俊『仏教、本当の教え インド、中国、日本の理解と誤解』中公新書
- 北枕:インドでは教養のある人の日常の寝方。日本では死ぬ時の寝方。
- 夫婦(ふうふ)と「めおと(妻+夫)」
インドのサンスクリット語が漢訳された時点で、原典の「夫が妻に奉仕する」を、中国儒教の家父長制的な男尊女卑にあわせて「妻が夫に奉仕する」と逆に訳した例もある。
- インドでは集団よりも個人を重視したが、中国を経て日本に伝わるにつれて逆転した。仏教用語「義理」は物事の正しい道理という意味なのに、日本では長上に対する義務という意味になってしまった。
- インドでは「人」より「法」を重視したが、中国では法を具現化した人を重視し、日本では特定の偉い人への崇拝や帰依が重視された。
- インドでは観音菩薩は男性だったが、中国で女性化した観音像が作られ、日本では観音の「超性」性が強調される。
○その他
- 「杜子春」は日本でこそ有名だが、中国では「杜子春伝」はあまり知られていない(芥川版「杜子春」を知っている中国人はいる)。
- 芥川龍之介の蔵書は『芥川龍之介文庫目録』で知ることができる。和漢書465点1822冊のうち、57点の漢籍は1912年(民国元年)から1926年にかけて出版されたものである。
芥川は子供のころから「西遊記」「水滸伝」を愛読し、また芥川の旧蔵書には『淵鑑類函』『元詩選』『香艶叢書』『太平広記』『唐詩百名家集』『楓文韻府』などが見られる。「杜子春伝」は『太平広記』の一部である。
- 芥川の「杜子春」と、新約聖書『ルカによる福音書』15章11?32節の「放蕩息子のたとえ話」の類似性を指摘する研究もある。
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