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3つの「杜子春」から見直す中国と日本
― シルクロードと芥川龍之介

最新の更新2024年7月7日 最初の公開2024年6月30日

以下、早稲田大学エクステンションセンターのhttps://www.wuext.waseda.jp/course/detail/61883/より引用。引用開始
 芥川龍之介の名作短編小説「杜子春」は、1920年(大正9年)に子どもむけの雑誌『赤い鳥』に発表されました。芥川は、唐(618-907)の時代の漢文の伝奇小説「杜子春伝」を大胆にアレンジし、日本人向けに再創作しました。実は、中国の「杜子春伝」もまた、インドに渡った高僧の玄奘三蔵(602-664)が現地で採取したインドの説話を、中国風にアレンジした再創作でした。インドから中国、そして日本へと、仏教の伝来と同様にシルクロードをリレー式に伝わってきた「杜子春」の変遷を見ると、インド、中国、日本の国民性の違いが、ありありと見えてきます。豊富な図版を使い予備知識のないかたにもわかりやすく解説します。
  1. 第1回 07/02 三蔵法師とインドの杜子春
  2. 第2回 07/09 中国の杜子春伝は中国的
  3. 第3回 07/16 芥川龍之介の杜子春は日本的
  4. 第4回 07/23 日中両国の杜子春を読み比べる
  5. 第5回 07/30 日本と中国の真逆の結末
参考サイト
第1回 三蔵法師とインドの杜子春
芥川の「杜子春」の起源は古代インドの説話です。唐の時代の初め、646年(貞観20年)に成立した『大唐西域記』は、インドにわたった三蔵法師こと玄奘(げんじょう 602-664)によるシルクロードおよびインド文明圏の見聞録です。『大唐西域記』が伝えるさまざまな物語は、日本の説話集『今昔物語』や近世中国の小説『西遊記』(孫悟空の物語)など後世の文芸にも大きな影響を与えました。『大唐西域記』巻7の第2章「烈士池及伝説」の説話は、杜子春の物語の原話です。杜子春の原話であるインドの説話と、玄奘が体験したインドについて、わかりやすく解説します。
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-mMD6TKAvuciSKCAIol5-iX

○ポイント、キーワード
○辞書的な説明
○略年表 玄奘の生涯と『大唐西域記』
○『大唐西域記』巻七より、玄奘がインドのベナレス(ヴァーラーナシー)で採取した、杜子春の原話。
ソース https://zh.wikisource.org/wiki/大唐西域記/07 閲覧日2022年6月20日
施鹿林東行二三里,至窣堵波,傍有涸池,周八十余歩,一名救命,又謂烈士。聞諸先誌曰:數百年前有一隱士,於此池側結廬屏跡,博習伎術,究極神理,能使瓦礫為寶,人畜易形,但未能馭風雲,陪仙駕。閲圖考古,更求仙術。其方曰:「夫神仙者,長生之術也。將欲求學,先定其誌,築建壇場,周一丈余。命一烈士,信勇昭著,執長刀,立壇隅,屏息絶言,自昏達旦。求仙者中壇而坐,手按長刀,口誦神咒,收視反聽,遲明登仙。所執銛刀變為寶劍,凌虚履空,王諸仙侶,執劍指麾,所欲皆從,無衰無老,不病不死。」是人既得仙方,行訪烈士,營求曠歳,未諧心願。後於城中遇見一人,悲號逐路。隱士睹其相,心甚慶ス,即而慰問:「何至怨傷?」曰:「我以貧窶,傭力自濟。其主見知,特深信用,期滿五歳,當酬重賞。於是忍勤苦,忘艱辛。五年將周,一旦違失,既蒙笞辱,又無所得。以此為心,悲悼誰恤?」隱士命與同遊,來至草廬,以術力故,化具肴饌。已而令入池浴,肥以新衣,又以五百金錢遺之,曰:「盡當來求,幸無外也。」自時厥後,數加重賂,潛行陰コ,感激其心。烈士屡求效命,以報知已。隱士曰:「我求烈士,彌歴歳時,幸而會遇,奇貌應圖,非有他故,願一夕不聲耳。」烈士曰:「死尚不辭,豈徒屏息?」於是設壇場,受仙法,依方行事,坐待日曛。曛暮之後,各司其務,隱士誦神咒,烈士按銛刀。殆將曉矣,忽發聲叫。是時空中火下,煙焔雲蒸,隱士疾引此人,入池避難。已而問曰:「誡子無聲,何以驚叫?」烈士曰:「受命後,至夜分,昏然若夢,變異更起。見昔事主躬來慰謝,感荷厚恩,忍不報語;彼人震怒,遂見殺害。受中陰身,顧屍嘆惜,猶願歴世不言,以報厚コ。遂見托生南印度大婆羅門家,乃至受胎出胎,備經苦厄,荷恩荷コ,嘗不出聲。洎乎受業、冠婚、喪親、生子,毎念前恩,忍而不語,宗親戚屬鹹見怪異。年過六十有五,我妻謂曰:『汝可言矣!若不語者,當殺汝子。』我時惟念,已隔生世,自顧衰老,唯此稚子,因止其妻,令無殺害,遂發此聲耳。」隱士曰:「我之過也!此魔嬈耳。」烈士感恩,悲事不成,憤恚而死。免火災難,故曰救命;感恩而死,又謂烈士池。
 上記の漢文の日本語訳は、平凡社・中国古典文学大系22『大唐西域記』 (1971年)pp.165−167に載せる「巻七の一、婆羅痆斯国」(Varanasi ヴァーラーナシー / ベラネス / Benares ベナレス)「1・11救命池の伝説」で読むことができる。
 ネット上で無料で読める解説・日本語訳としては、
堀謙徳・著『解説西域記』大正元年(1912)、大唐西域記巻第七・第一節・(11)「救命池の伝説」pp.507-510
がある。URLは以下のとおり。 要約(大意)―ベナレス郊外のサールナート(施鹿林/鹿野苑)は、釈迦が成道後はじめて仏法を説いた初転法輪の聖地であるが、そこから東に2里か3里ほど行ったところ水が涸れた池があり、その名前を「救命」あるいは「烈士」という。昔の本によると、数百年前、ひとりの隠士が、この池のほとりに庵を結んでいた。隠士はさまざまな魔法を使うことができた。瓦礫を宝に変えたり、人や動物を変身させることもできた。しかし、いまだ風雲にのって仙宮に遊んだり、不病不死になるというレベルには達していなかった。もし適切な壇場を築いて、適切な男性に命じてしかるべき修法(ずほう/しゅほう/すほう)を行えば、神仙術を完成することも可能だった。
 あるとき、隠士は、ベナレスの町の中で、道を歩きながら泣いている男を見かけた。隠士が声をかけると、男は答えた。
「わたしは烈士ですが、貧しい労務者です。五年契約で働いてきましたが、契約満了の直前に難癖をつけられ、報酬を得る前にくびになったのです」
 隠士は同情し、彼をいおりに連れ帰り、衣食や金銭を与えた。烈士は感動し、隠士のためなら何でもします、と恩返しを誓った。
 隠士はある日、夕方から夜明けにかけて、念願の修法を行うこととした。壇場を築いて烈士に刀を持たせ、自分は夜通し呪文を唱えた。隠士は烈士に、最後まで決して声を出してはならない、と命じた。烈士は言われたとおり、ずっと沈黙を守った。しかし、夜明けの直前、烈士は隠士の言いつけにそむき、突然、大声をあげた。空中から火炎がわきおこり、烈士の頭上めがけて落ちてきた。隠士は急いで烈士の体をひっぱり、池の水の中に入れた。烈士は焼死をまぬかれた。
 隠士が「沈黙を守れ、と言ったのに、なぜ叫んだのか」ときくと、烈士は答えた。
「夜中にいたり、身心が疲れて意識が朦朧となったときのことです。私の昔の主人があらわれ、私に謝りました。私は、隠士さまのお言いつけどおり、沈黙を守りました。すると昔の主人は激怒し、私を殺したのです。私は死に、魂は中陰をさまよいました。そのあいだも、生まれ変わっても決して声を出すまい、と誓いました。その後、私は南インドのバラモンの家の息子に転生しました。生まれ変わっても、隠士さまのお言いつけ通り、沈黙を守りました。家族や親戚は、みな、そんな私をいぶかりました。私は結婚し、子どもが生まれました。私はずっと、声を出さぬまま人生を過ごしました。年老いて、65歳をすぎたとき、妻は私に『なんで一言も喋らないの。喋らないのなら、あなたの子どもを殺します』と言いました。私は、妻が子どもを殺さないように、つい声をあげてしまったのです」
 隠士は「私は失敗した。天魔に邪魔された」と嘆いた。
 烈士は、隠士に恩返しできなかったことを恥じ、憤死した。
 烈士が焼死をまぬかれた池なので「救命」と呼ぶ。また烈士が隠士への恩義を感じつつ死んだ池なので「烈士池」とも呼ぶのである。


○その他


第2回 中国の杜子春伝は中国的
インド仏教と中国仏教は、全然違います。同様に、インドの「烈士池」の説話と、その説話を土台として舞台と人物を中国に置き換えて再創作した「杜子春伝」は、物語の骨子は同じですが、細部や見せ場はかなり違います。今も昔も、中国人(漢民族)は、この世で受けた恩義や復讐はかならずこの世でお返しする、という執念をもっています。また中国人にとって血縁は重要な社会インフラです。インドの原話と中国の「杜子春」の違いを比較すると、なぜ中国がああいう歴史や国の形をもつようになったのかが、よくわかります。
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-nGY4V5k9zZRWdCrQ3tI4YK
○ポイント・キーワード

○辞書的な説明

○中国版『杜子春』前半部
  1. 【原漢文】杜子春者、蓋周隋間人。少落拓不事家産。然以志気間曠、縦酒間遊、資産蕩尽。投於親故、皆以不事事見棄。
     方冬、衣破、腹空、徒行長安中。日晩未食、彷徨不知所往。於東市西門、飢寒之色可掬、仰天長吁。
    【書き下し】杜子春は、蓋(けだ)し周・隋の間の人なり。少(わか)くして落拓にして、家産を事とせず。然して志気間曠(かんくわう)にして酒を縱(ほしいまま)にして間遊するを以て、資産蕩尽す。親故に投ずるも、皆事に事(つか)へざるを以て棄てらる。
     冬に方(あた)り、衣破れ腹空しくして、長安の中を徒行す。日晩(く)れて未だ食せず、彷徨して往く所を知らず。東市の西門に於いて、饑寒の色掬すべく、天を仰ぎて長吁(ちやうく)す。

    【訳】杜子春はたぶん北周(556-581)から隋(581-618)の人である。若くして落拓したが、家産を事としなかった。そのうえ志気は間曠(かんこう)であり、酒をほしいままにして間遊したため、資産は蕩尽した。困窮した杜子春は親戚や旧知に身を投じたが、みんなから、まともに仕事をしないから、という理由で見捨てられた。
     冬になった。杜子春は、衣は破れ腹は空しくなり、長安の町の中を徒行した。日はくれたのに、いまだ食べられない。彷徨して、どこに行くべきかもわからない。長安の東市の西門。杜子春は、饑寒の色がはっきり顔にあらわれ、天を仰いで長いため息をついた。
  2. 【原文】 有一老人策杖於前。問曰、「君子何嘆?」春言其心、且憤其親戚之疎薄也、感激之気、発於顏色。老人曰、「幾緡則豊用?」子春曰、「三五万、則可以活矣。」老人曰「未也。」更言之、「十万。」曰、「未也。」乃言、「百万。」亦曰、「未也。」曰、「三百万。」乃曰、「可矣。」於是袖出一緡、曰、「給子今夕。明日午時、候子於西市波斯邸。慎無後期。」
     及時、子春往。老人果与銭三百万、不告姓名而去。
    【書き下し】一老人有り、杖を前に策く。問ひて曰く「君子、何をか歎く?」と。春、其の心を言ひ、且つ其の親戚の疎薄なるを憤るや、感激の気、顏色に発す。老人曰く「幾緡(いくびん)ならば則ち用に豊(た)る?」と。子春曰く「三、五万ならば則ち以て活(い)くべし」と。老人曰く「未しなり」と。更に之を言ふ、「十万」と。曰く「未しなり」と。乃ち言ふ「百万」と。亦た曰く「未しなり」と。曰く「三百万」と。乃ち曰く「可なり」と。是に於いて袖より一緡(びん)を出して、曰く「子の今夕(こんせき)に給せん。明日午時、子を西市の波斯邸(はしてい)に候(ま)たん。慎みて期に後(おく)るること無かれ」と。
     時に及びて、子春往く。老人は果して銭三百万を与へ、姓名を告げずして去る。
    【訳】ある老人があらわれた。杖を前についていた。老人は問うた。
    「君子よ。そなたは何を嘆いておられる?」
     杜子春は自分の心を言った。自分の親戚の疎薄ぶりを憤り、興奮の気色が顏にあらわれた。老人は言った。
    「幾緡(いくびん)あれば、生活の用に足りるか?」
     杜子春が「三、五万あれば生きられます」と答えると、老人は「まだ足りぬ」。杜子春がさらに「十万緡」と言うと、老人は「まだだ」。「百万」「まだまだ」。杜子春が「三百万」と言うと、老人は「よかろう」と言い、そのあと袖から一緡を出して、
    「きみに今夜のぶんをあげよう。あすの正午の時間に、きみを、西市の波斯邸(はしてい)(ペルシャやしき)で待っている。けっして、遅刻してはいけないよ」
     と言った。翌日、その時刻に杜子春が行くと、老人は果して銭三百万緡を杜子春に与えたが、老人は自分の姓名を告げぬまま去った。
  3. 【原漢文】子春既富、蕩心復熾、自以為、終身不復羈旅也。乗肥、衣軽、会酒徒、徴糸管、歌舞於倡楼、不復以治生為意。
     一二年間、稍稍而尽。衣服車馬、易貴從賤、去馬而驢、去驢而徒。倏忽如初。
     既而復無計、自嘆於市門。発声而老人到。握其手曰、「君復如此。奇哉! 吾将復済子。幾緡方可?」子春慚不応。老人因逼之。子春愧謝而已。老人曰、「明日午時、来前期処。」子春忍愧而往、得銭一千万。未受之初、憤発、以為、従此謀身治生、石季倫猗頓小豎耳。
     銭既入手、心又翻然。縦適之情、又却如故。不一二年間、貧過旧日。
    【書き下し】子春既に富み、蕩心復た熾(さかん)となり、自ら以為(おも)へらく「終身、復た羈旅せざらん」と。肥に乗り、軽を衣(き)、酒徒を会し、絲管を徴し、倡楼に歌舞し、復た生を治むる以て意と為さず。
     一、二年の間に、稍稍(せうせう)にして尽く。衣服車馬、貴を易へ賎に従ひ、馬を去りて驢とし、驢を去りて徒(かち)す。倏忽(しゆくこつ)として初の如し。
     既にして復た計無く、自ら市門に歎ず。声を発すれば而(すなは)ち老人到る。其の手を握りて曰く「君、復た此くの如し。奇なるかな。吾、将に復た子を済(すく)はんとす。幾緡あらば方に可ならんか?」と。子春、慚(は)ぢて応(こた)へず。老人、因(よ)りて之に逼(せま)る。子春、愧(は)ぢて謝すのみ。老人曰く「明日午時、前(さき)に期せし処へ来たれ」と。子春、愧を忍びて往き、銭一千万を得。
     未だ受けざるの初め、憤発し、以為へらく「此れより身を謀り生を治むれば、石季倫・猗頓(いとん)も小豎のみ」と。銭既に手に入れば、心又飜然たり。縱適(しようてき)の情、又卻(かへ)つて故(もと)の如し。一、二年ならざるの間に、貧なること旧日に過ぎたり。
    【訳】杜子春は富むと、蕩心がまたさかんになり、みずからこう思った。
    「この先、死ぬまで二度と放浪の身にならずにすむ」
     肥えた名馬に乗り、薄いお洒落な服を着て、酒のみの仲間を集め、管弦楽を演奏させ、、絲管を徴し、倡楼で歌舞を楽しみ、生計をちゃんと立てようという気持ちにはならなかったことは、以前と同様であった。
     一、二年の間に、だんだんと貯蓄は尽きた。衣服や車馬は、高価なものから安価なものへ買い換えた。馬の維持費が払えなくなるとロバに乗った。ロバが無理になると、足で歩くようになった。あっというまに、最初の貧乏生活に戻ってしまった。
     もはや生計を立てるすべもなく、ひとりで市場の門でため息をついた。声を発したところ、すぐに老人があらわれた。老人は、杜子春の手を握って言った。
    「きみ。また、こうなっちゃったね。奇なるかな。わたしはもう一度、きみを救ってさしあげよう。幾緡あればいいかな?」
     杜子春は恥ずかしくて答えない。老人は杜子春に答えを強要した。杜子春は恥ずかしくて、謝絶するだけだった。老人は、
    「明日の正午、この前の所に来なさい」
     と言った。翌日、杜子春は恥をしのんでそこに行き、銭一千万緡をもらった。
     お金をもらう前は、杜子春は憤発して心のなかで思った。
    「これを元手として、私が身を謀って生を治め、大富豪になってやる。いにしえの伝説的な大富豪である石季倫・猗頓(いとん)も小僧にしか見えないくらいの大富豪に」
     ところが、いざ銭を入手した杜子春は、心がまた飜然として変わった。放蕩生活を満喫したいという欲望の情がわきおり、結局、もとのとおりになってしまった。一、二年もたたぬうちに、貧窮ぶりは旧日をこえるほどになってしまった。
  4. 【原漢文】復遇老人於故処。子春不勝其愧。掩面而走。老人牽裾止之、又曰、「嗟乎、拙謀也!」因与三千万曰、「此而不痊、則子貧在膏肓矣。」子春曰、「吾落拓邪遊、生涯罄尽。親戚豪族、無相顧者。独此叟三給我。我何以当之?」因謂老人曰、「吾得此、人間之事可以立、孤孀可以衣食、於名教復円矣。感叟深恵、立事之後、唯叟所使。」老人曰、「吾心也。子治生畢、来歳中元見我於老君双檜下。」
    【書き下し】復た老人に故の処にて遇ふ。子春、其の愧(はぢ)に勝(た)へず。面を掩(おほ)ひて走る。老人、裾(すそ)を牽(ひ)きて之を止め、又曰く「嗟乎、拙謀なり!」と。因りて三千万を与へて曰く「此れにして痊(い)えずんば、則ち子の貧は膏肓(こうこう)に在り」と。
     子春曰く「吾、落拓邪遊して、生涯罄(ことごと)く尽(つ)くす。親戚豪族も相顧(あひかへり)みる者無し。独り此の叟(そう)のみ三たび我に給す。我、何を以てか之に当らん?」と。因りて老人に謂ひて曰く「吾、此(これ)を得(え)ば、人間(じんかん)の事は以て立つべく、孤孀(こそう)も以て衣食すべく、名教に於て復た円(まど)かならん。叟の深き恵みに感ず。事を立つるの後(のち)は、唯だ叟の使ふ所とならん」と。老人曰く「吾が心なり。子、生を治め畢(をは)らば、来歳の中元、我を老君の双檜の下に見よ」と。

    【訳】杜子春はまた、老人と、前と同じ場所で遭遇した。杜子春は、あまりの恥ずかしさにたえきれず、顔を手でおおって走って逃げた。老人は杜子春のズボンのすそを手でつかんで、引き留めて言った。
    「ああ、生活下手なお人じゃ」
     そして今度は、三千万緡という大金を杜子春に与え、
    「もし、これでもきみの金欠病が治らないのなら、まさに『やまい、膏肓(こうこう)に入る』だね」
     杜子春は思った。
    「私は落拓邪遊して、一度しかない生涯をことごとく浪費し尽くした。親戚の有力者は、みな私を無視した。ただ、この老人だけは、三度も私にお金をくれた。私は、どうやってこの老人の恩にむくいるべきか?」
     そこで杜子春は老人に言った。
    「わたくしは、いただいたこのお金で、終活をさせていただきます。これほどの金額があれば、人間(じんかん)の事にけりをつけることができます。身内の弱者、親のない幼い親戚や夫に死なれた親戚たちに、今後の衣食を保障することもできます。名教においても完璧な後始末ができます。あなたさまの深い恵みに感動いたしました。世間での後始末をすませたあとは、ただ、あなたさまに、ご存分に私を使っていただきたいと存じます」
     老人は「わたしの心である。きみが人生の後始末をすませたあと、来年の中元、七月十五日に、老子廟の二本の檜のもとに来てくれ。そこで再会しよう」と言った。
  5. 【原漢文】子春以孤孀多寓淮南、遂転資揚州、買良田百頃、郭中起甲第、要路置邸百余間、悉召孤孀分居第中。婚嫁甥姪、遷祔族親、恩者煦之、讐者復之。

    【書き下し】子春は孤孀の多く淮南(わいなん)に寓するを以て、遂に資を揚州に転じ、良田百頃(りやうでんひやくけい)を買ひ、郭中に甲第(かふてい)を起(た)て、要路に邸百余間を置き、悉(ことごと)く孤孀を召して、第中に分居せしむ。甥姪(せいてつ)を婚嫁せしめ、族親を遷祔し、恩ある者には之に煦(むく)い、讐(あだ)ある者には之に復す。
    【訳】杜子春は、身内の孤孀の多くが淮南(わいなん)の地に身を寄せていたので、資本を揚州に転じ、良田を百頃(ひゃっけい)ほども買い、町の城郭の中に豪邸を建て、町の要路に邸を百余間も設置し、親戚の孤孀たちを全て呼び寄せて、邸の中に分居させた。甥っ子や姪っ子たちは結婚させて、せしむ。甥姪(せいてつ)を婚嫁せしめ、族親の墓を移転して改葬した。かつて恩を受けた人には恩返しをした。讐(あだ)がある人には復讐した。
(以上で前半は終わり。後半に続く)

○その他


第3回 芥川龍之介の杜子春は日本的

作家の芥川龍之介は中国通でした。また東西の古典や宗教書にも精通し、創作に生かしました。童話「蜘蛛の糸」はポール・ケラス著・鈴木大拙訳『因果の小車』の焼き直しです。芥川の「杜子春」も、中国・唐代の伝奇小説である鄭還古作「杜子春伝」を、再創作したものです。芥川は河西信三宛の手紙で「拙作『杜子春』は唐の小説杜子春伝の主人公を用ひをり候へども、話は2/3以上創作に有之候。」と打ち明けています。
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-nZxNV32ENBJ3n2X2s0H8Na

○ポイント、キーワード
○辞書的な説明

○芥川龍之介 略年表
芥川は中国通だった。漢文古典だけでなく、同時代の中国にも通じており、胡適や章太炎、荀慧生(白牡丹)はじめ有名人らとも話し合った。
「杜子春」は、28歳ときの作品である。

○芥川龍之介「杜子春」 前半部分
 参考 toshishun.html
 以下、青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/170_15144.html 閲覧日2024年7月15日 より引用。引用開始。

 或春の日暮です。
 唐の都洛陽らくやうの西の門の下に、ぼんやり空を仰いでゐる、一人の若者がありました。
 若者は名は杜子春とししゆんといつて、元は金持の息子でしたが、今は財産をつかつくして、その日の暮しにも困る位、あはれな身分になつてゐるのです。
 何しろその頃洛陽といへば、天下に並ぶもののない、繁昌を極めた都ですから、往来わうらいにはまだしつきりなく、人や車が通つてゐました。門一ぱいに当つてゐる、油のやうな夕日の光の中に、老人のかぶつたしやの帽子や、土耳古トルコの女の金の耳環や、白馬に飾つた色糸の手綱たづなが、絶えず流れて行く容子ようすは、まるで画のやうな美しさです。
 しかし杜子春は相変らず、門の壁に身をもたせて、ぼんやり空ばかり眺めてゐました。空には、もう細い月が、うらうらとなびいた霞の中に、まるで爪のあとかと思ふ程、かすかに白く浮んでゐるのです。
「日は暮れるし、腹は減るし、その上もうどこへ行つても、泊めてくれる所はなささうだし――こんな思ひをして生きてゐる位なら、一そ川へでも身を投げて、死んでしまつた方がましかも知れない。」
 杜子春はひとりさつきから、こんな取りとめもないことを思ひめぐらしてゐたのです。
 するとどこからやつて来たか、突然彼の前へ足を止めた、片目すがめの老人があります。それが夕日の光を浴びて、大きな影を門へ落すと、ぢつと杜子春の顔を見ながら、
「お前は何を考へてゐるのだ。」と、横柄わうへいに言葉をかけました。
「私ですか。私は今夜寝る所もないので、どうしたものかと考へてゐるのです。」
 老人の尋ね方が急でしたから、杜子春はさすがに眼を伏せて、思はず正直な答をしました。
「さうか。それは可哀さうだな。」
 老人はしばらく何事か考へてゐるやうでしたが、やがて、往来にさしてゐる夕日の光を指さしながら、
「ではおれが好いことを一つ教へてやらう。今この夕日の中に立つて、お前の影が地に映つたら、その頭に当る所を夜中に掘つて見るが好い。きつと車に一ぱいの黄金が埋まつてゐる筈だから。」
「ほんたうですか。」
 杜子春は驚いて、伏せてゐた眼を挙げました。所が更に不思議なことには、あの老人はどこへ行つたか、もうあたりにはそれらしい、影も形も見当りません。その代り空の月の色は前よりもなほ白くなつて、休みない往来の人通りの上には、もう気の早い蝙蝠かうもりが二三匹ひらひら舞つてゐました。

       二

 杜子春とししゆんは一日の内に、洛陽の都でも唯一人といふ大金持になりました。あの老人の言葉通り、夕日に影を映して見て、その頭に当る所を、夜中にそつと掘つて見たら、大きな車にも余る位、黄金が一山出て来たのです。
 大金持になつた杜子春は、すぐに立派な家を買つて、玄宗げんそう皇帝にも負けない位、贅沢ぜいたくな暮しをし始めました。蘭陵らんりようの酒を買はせるやら、桂州の竜眼肉りゆうがんにくをとりよせるやら、日に四度色の変る牡丹ぼたんを庭に植ゑさせるやら、白孔雀しろくじやくを何羽も放し飼ひにするやら、玉を集めるやら、錦を縫はせるやら、香木かうぼくの車を造らせるやら、象牙の椅子をあつらへるやら、その贅沢を一々書いてゐては、いつになつてもこの話がおしまひにならない位です。
 するとかういふうはさを聞いて、今までは路で行き合つても、挨拶さへしなかつた友だちなどが、朝夕遊びにやつて来ました。それも一日毎に数が増して、半年ばかり経つ内には、洛陽の都に名を知られた才子や美人が多い中で、杜子春の家へ来ないものは、一人もない位になつてしまつたのです。杜子春はこの御客たちを相手に、毎日酒盛りを開きました。その酒盛りの又盛なことは、中々口には尽されません。ごくかいつまんだだけをお話しても、杜子春が金の杯に西洋から来た葡萄酒を汲んで、天竺てんぢく生れの魔法使が刀を呑んで見せる芸に見とれてゐると、そのまはりには二十人の女たちが、十人は翡翠ひすゐの蓮の花を、十人は瑪瑙めなうの牡丹の花を、いづれも髪に飾りながら、笛や琴を節面白く奏してゐるといふ景色なのです。
 しかしいくら大金持でも、御金には際限がありますから、さすがに贅沢家ぜいたくやの杜子春も、一年二年と経つ内には、だんだん貧乏になり出しました。さうすると人間は薄情なもので、昨日までは毎日来た友だちも、今日は門の前を通つてさへ、挨拶一つして行きません。ましてとうとう三年目の春、又杜子春が以前の通り、一文無しになつて見ると、広い洛陽の都の中にも、彼に宿を貸さうといふ家は、一軒もなくなつてしまひました。いや、宿を貸す所か、今では椀に一杯の水も、恵んでくれるものはないのです。
 そこで彼は或日の夕方、もう一度あの洛陽の西の門の下へ行つて、ぼんやり空を眺めながら、途方に暮れて立つてゐました。するとやはり昔のやうに、片目すがめの老人が、どこからか姿を現して、
「お前は何を考へてゐるのだ。」と、声をかけるではありませんか。
 杜子春は老人の顔を見ると、恥しさうに下を向いたまましばらくは返事もしませんでした。が、老人はその日も親切さうに、同じ言葉を繰返しますから、こちらも前と同じやうに、
「私は今夜寝る所もないので、どうしたものかと考へてゐるのです。」と、恐る恐る返事をしました。
「さうか。それは可哀さうだな、ではおれが好いことを一つ教へてやらう。今この夕日の中へ立つて、お前の影が地に映つたら、その胸に当る所を、夜中に掘つて見るが好い。きつと車に一ぱいの黄金が埋まつてゐる筈だから。」 
 老人はかう言つたと思ふと、今度もまた人ごみの中へ、掻き消すやうに隠れてしまひました。
 杜子春はその翌日から、たちまち天下第一の大金持に返りました。と同時に相変らず、仕放題しはうだいな贅沢をし始めました。庭に咲いてゐる牡丹の花、その中に眠つてゐる白孔雀、それから刀を呑んで見せる、天竺から来た魔法使――すべてが昔の通りなのです。
 ですから車に一ぱいあつた、あのおびただしい黄金も、又三年ばかりつ内には、すつかりなくなつてしまひました。

       三

「お前は何を考へてゐるのだ。」
 片目眇の老人は、三度杜子春の前へ来て、同じことを問ひかけました。勿論彼はその時も、洛陽の西の門の下に、ほそぼそと霞を破つてゐる三日月の光を眺めながら、ぼんやりたたずんでゐたのです。
「私ですか。私は今夜寝る所もないので、どうしようかと思つてゐるのです。」
「さうか。それは可哀さうだな。ではおれが好いことを教へてやらう。今この夕日の中へ立つて、お前の影が地に映つたら、その腹に当る所を、夜中に掘つて見るが好い。きつと車に一ぱいの――」
 老人がここまで言ひかけると、杜子春は急に手を挙げて、その言葉をさへぎりました。
「いや、お金はもう入らないのです。」
「金はもう入らない? ははあ、では贅沢をするにはとうとう飽きてしまつたと見えるな。」
 老人はいぶかしさうな眼つきをしながら、ぢつと杜子春の顔を見つめました。
「何、贅沢に飽きたのぢやありません。人間といふものに愛想がつきたのです。」
 杜子春は不平さうな顔をしながら、突慳貪つつけんどんにかう言ひました。
「それは面白いな。どうして又人間に愛想が尽きたのだ?」
「人間は皆薄情です。私が大金持になつた時には、世辞も追従つゐしようもしますけれど、一旦貧乏になつて御覧なさい。やさしい顔さへもして見せはしません。そんなことを考へると、たとひもう一度大金持になつた所が、何にもならないやうな気がするのです。」
 老人は杜子春の言葉を聞くと、急ににやにや笑ひ出しました。
「さうか。いや、お前は若い者に似合はず、感心に物のわかる男だ。ではこれからは貧乏をしても、安らかに暮して行くつもりか。」
 杜子春はちよいとためらひました。が、すぐに思ひ切つた眼を挙げると、訴へるやうに老人の顔を見ながら、
「それも今の私には出来ません。ですから私はあなたの弟子になつて、仙術の修業をしたいと思ふのです。いいえ、隠してはいけません。あなたは道徳の高い仙人でせう。仙人でなければ、一夜の内に私を天下第一の大金持にすることは出来ない筈です。どうか私の先生になつて、不思議な仙術を教へて下さい。」
 老人は眉をひそめた儘、暫くは黙つて、何事か考へてゐるやうでしたが、やがて又につこり笑ひながら、
「いかにもおれは峨眉山がびさんんでゐる、鉄冠子てつくわんしといふ仙人だ。始めお前の顔を見た時、どこか物わかりが好ささうだつたから、二度まで大金持にしてやつたのだが、それ程仙人になりたければ、おれの弟子にとり立ててやらう。」と、快く願をれてくれました。
 杜子春は喜んだの、喜ばないのではありません。老人の言葉がまだ終らない内に、彼は大地に額をつけて、何度も鉄冠子に御時宜おじぎをしました。
「いや、さう御礼などは言つて貰ふまい。いくらおれの弟子にした所で、立派な仙人になれるかなれないかは、お前次第できまることだからな。――が、兎も角もまづおれと一しよに、峨眉山の奥へ来て見るが好い。おお、さいはひ、ここに竹杖が一本落ちてゐる。では早速これへ乗つて、一飛びに空を渡るとしよう。」
 鉄冠子はそこにあつた青竹を一本拾ひ上げると、口の中に呪文じゆもんを唱へながら、杜子春と一しよにその竹へ、馬にでも乗るやうにまたがりました。すると不思議ではありませんか。竹杖はたちまち竜のやうに、勢よく大空へ舞ひ上つて、晴れ渡つた春の夕空を峨眉山の方角へ飛んで行きました。
 杜子春はきもをつぶしながら、恐る恐る下を見下しました。が、下には唯青い山々が夕明りの底に見えるばかりで、あの洛陽の都の西の門は、(とうに霞にまぎれたのでせう。)どこを探しても見当りません。その内に鉄冠子は、白いびんの毛を風に吹かせて、高らかに歌を唱ひ出しました。

あしたに北海に遊び、暮には蒼梧さうご
袖裏しうり青蛇せいだ胆気たんきなり。
三たび嶽陽がくやうに入れども、人識らず。
朗吟して、飛過ひくわす洞庭湖。

(以下、続きは次回以降に)


○その他


第4回 日中両国の杜子春を読み比べる
中国の原典では、杜子春は、南北朝時代末期から隋の時代の人物で、物語も真冬の長安から始まります。しかし芥川は、杜子春を唐の玄宗皇帝の時代の人物として描き、物語も春の洛陽から始めます。その他、原典の杜子春は中国的な性格の持ち主ですが、芥川版の杜子春は感性も日本的です。吉川英治の小説『三国志』もそうですが、日本の作家が書いた中国ものの小説を読むときは、あくまでも日本人むけに日本人が書いた創作である、という点を忘れてはなりません。
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-mibBMBvcRZdtefqie7BesX

○ポイント、キーワード
○辞書的な説明

○中国版「杜子春伝」後半部分

『国訳漢文大成』の「杜子春伝」は、国立国会図書館デジタルコレクションでも読めます。
漢文訓読の読み下しはhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1913008/1/229 以下
漢文の原文はhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1913008/1/437 以下


  1. 【原漢文】 既畢事、及期而往。老人者方嘯於二檜之陰。遂与登華山雲臺峰。入四十里余、見一処室屋厳潔、非常人居。彩雲遙覆、驚鶴飛翔。其上有正堂。中有薬爐、高九尺余、紫焔光発、灼煥窗戸。玉女九人、環爐而立、青龍白虎、分拠前後。
     既にして事畢り、期に及んで往く。老人は方に二檜の陰にて嘯(うそぶ)く。遂に与(とも)に華山の雲台峰に登る。入ること四十里余、一処の室屋厳潔にして常人の居に非ざるを見る。彩雲、遙に覆ひ、鸞鶴飛翔す。其の上に正堂有り。中に薬爐(やくろ)有り。高さ九尺余。紫焔光発し、窗戸(さうこ)に灼煥(しやくくわん)す。玉女九人、爐を環(めぐ)りて立ち、青龍・白虎、分れて前後に拠る。其の時、日、将に暮れなんとす。老人は復た俗衣せず、乃ち黄冠・縫帔(ほうひ)の士なり。
    【大意】 杜子春はことを済ませると、期日どおりに行った。くだんの老人は、日本の檜のあいだで長嘯(ちょうしょう)していた。そこで杜子春は、老人とともに、華山の雲台峰に登った。山に入ること四十里余り。厳潔にして常人の居にあらざる室屋が一箇所、あらわれた。彩雲がはるかにその場所をおおっており、鸞鶴が飛翔していた。その上に正堂があった。さらにその中に。薬爐(やくろ)があった。高さは九尺余り。紫の炎の光が発し、窓口にきらめいていた。玉女が九人、爐のまわりに立ち、青龍と白虎は分れて前後にひかえていた。その時にはもう、太陽はまさに沈もうとしていた。くだんの老人は平服から着替えていた。頭に黄色い冠をつけ、身には縫い目のあらい袖なしのゆるやかな衣をつけ、道士のいでたちであった。
    注 芥川版の老人は仙人だが、中国版の老人は道士である。
     薬爐の炎の光の描写から、拝火教(ゾロアスター教)の影響を考察する学者もいるが、筆者(加藤)はむしろ道教的な「八卦炉」(『西遊記』で太上老君が孫悟空を投げ込んだ炉)との類似性を感じる。
    華山:中国五名山の一つ。長安(現在の陝西省西安市)から西に100キロメートル余り離れた陝西省華陰市にある。標高2154メートル。長安と華山の距離は、東京都心から千葉県銚子市くらいまでに近い。
    縫帔(ほうひ):ゆったりとした服。縫は「絳」(こう。深い赤)の誤記である可能性がある。増子和男「唐代伝奇「杜子春伝」に見える道教的用語再考(上)」参照


  2. 【原漢文】  持白石三丸、酒一巵、遺子春、令速食之。訖、取一虎皮鋪於西壁、東向而坐。戒曰、「慎勿語、雖尊神、悪鬼、夜叉、猛獣、地獄、及君之親属為所困縛万苦、皆非真実。但当不動不語、宜安心莫懼。終無所苦。当一心念吾所言。」言訖而去。子春視庭、唯一巨甕、満中貯水而已。
     白石三丸、酒一巵(さけいつし)持して子春に遺(おく)り、速やかに之を食はしむ。訖(をは)れば、一虎皮を取りて内の西壁に鋪(し)き、東向して坐せしむ。戒しめて曰く「慎んで語ること勿かれ、尊神・悪鬼・夜叉・猛獣・地獄、及び君の親属の困縛する所と為りて万苦すと雖も、皆、真実に非ず。但だ当(まさ)に動かず語らざるべく、宜(よろ)しく心を安んじて懼(おそ)るること莫かるべし。終(つひ)に苦しむ所無からん。当に一心に吾が言ふ所を念ずべし」と。言ひ訖(をは)りて去る。子春、庭を視れば、唯だ一巨甕(いちきよをう)の満中に水を貯ふるのみ。
    【大意】 老人は杜子春に、白石三丸と酒一巵(さけいつし)を手づから渡して、すみやかに服用させた。それが終わると、虎の皮を一枚、取って、屋内の西壁にしいたうえで、杜子春を東向してすわらせた。老人は、杜子春をいましめて言った。「けっして言葉を発してはいけないよ。尊神・悪鬼・夜叉・猛獣・地獄、および君の親戚縁者があらわれて、君は困縛させられてひどく苦しむことになるだろうが、それはみんな、リアルではないのだ。ただひたすら、体を動かさず口から言葉を出さず、心を安らかに保って恐怖をいだいてはならない。そうすれば最後は、苦しみがなくなるのだ。私が言ったことを一心に念じなさい」。老人はそう言い終えると、立ち去った。杜子春が庭を見ると、なみなみと水をたたえた巨大な甕(かめ)がひとつだけ、ポツンと置いてあった。
    注:草、木、虫、石、穀の五種の薬剤を「五薬」という。薬は水でのむべきもので、酒(アルコール)で飲むと効果は早くあらわれるが危険である。


  3. 【原漢文】  道士適去、旌旗戈甲、千乗万騎、徧満崖谷、呵叱之声、震動天地。有一人称大将軍、身長丈余、人馬皆着金甲、光芒射人。親衛数百人、皆杖劍張弓、直入堂前、呵曰、「汝是何人、敢不避大将軍?」左右竦剣而前、逼問姓名、又問作何物、皆不対。問者大怒、摧斬争射声如雷。竟不応。将軍者極怒而去。
     俄而猛虎、毒龍、狻猊、獅子、蝮蝎、万計、哮吼拏攫而争前欲搏噬、或跳過其上。子春神色不動、有頃而散。
     既而大雨滂澍、雷電晦瞑、火輪走其左右、電光掣其前後、目不得開。須臾、庭際水深丈余、流電吼雷、勢若山川開破、不可制止。瞬息之間、波及坐下。子春端坐不顧。
     道士適(さ)り去(ゆ)けば、旌旗(せいき)・戈甲(くわかふ)、千乗万騎、崖谷に徧満し、呵叱(かしつ)の声、天地を震動せしむ。一人の大将軍と称する有り、身の長(たけ)丈余にして、人馬皆金甲を着け、光芒人を射る。親衞数百人、皆剣を杖(つ)き弓を張り、直ちに堂前に入り、呵(か)して曰く「汝は是れ何人ぞ。敢へて大将軍を避けざらん」と。左右、剣を竦(そばだ)てて前(すす)み、逼(せま)りて姓名を問ひ、又「何を作(な)す物ぞ」と問ふも、皆対へず。問ふ者は大いに怒り、摧斬(さいざん)し射を争ふ声、雷の如し。竟に応へず。将軍なる者、極怒して去る。
     俄にして猛虎・毒龍・狻猊(しゆんげい)・獅子・蝮蝎(ふくかつ)、万計(ばんけい)哮吼(かうく)して拏攫(だくわく)せんとし、争ひ前(すす)みて搏噬(はくぜい)せんと欲し、或は其の上を跳び過ぐ。子春の神色動かざれば、頃(けい)有りて散ぜり。
     既にして大雨滂澍(はうじゆ)し、雷電晦瞑し、火輪其の左右に走り、電光其の前後に掣(の)び、目開くを得ず。須臾(しゆゆ)にして、庭の際、水深きこと丈余となり、流電吼雷、勢ひは山川の開破するがごとく、制止すべからざるなり。瞬息の間、波、坐下に及ぶ。子春、端坐して顧みず。

    【大意】 道士が去っていったあと、崖谷には旌旗(せいき)・戈甲(かこう)、千乗万騎が?満し、呵叱(かしつ)の声が天地を震動させた。「大将軍」と名乗る人物があらわれた。身の長(たけ)は一丈余りもあり、人馬ともに金甲を着け、その光芒は人の目を射すくめた。親衞隊が数百人つきしたがっていた。みな剣を杖(つ)き弓を張り、ただち堂前に入り、叱責して言った。「おまえは何者だ。大胆にも、大将軍さまを避けないのか」。大将軍の左右の者は、剣を竦(そばだ)てて前(すす)み、杜子春に逼(せま)って姓名をたずねた。そのうえで「おまえは何をするつもりか」と訊いた。杜子春はいずれの質問にも答えなかった。質問した者は激怒し、刃物をカチカチと打ち合わせ、弓の弦をビュンビュンと鳴らし、威嚇する音は雷のようだった。それでも杜子春は、最後まで無反応だった。将軍なる者は、赫怒したまま去った。
     その後、突如とて、猛虎・毒龍・狻猊(しゆんげい)・獅子・蝮蝎(ふっかつ)など猛獣や害虫がウジャウジャとあらわれた。それらは、うなり声をあげ、杜子春をなんとかして捕まえようと、先を争って襲いかかってきた。杜子春は噛まれそうになり、頭上を飛び越えられたりしたが、顔色をまったく変えなかった。しばらくすると、みな散り散りになって消えた。
     その後も、大雨が滂澍(ほうじゅ)し、雷電が晦瞑し、火輪が彼の左右に走り、電光が彼の前後に掣(の)びた。杜子春は目を開くこともできない。ほどなくして、庭にジャバジャバと水がわいてたちまち一丈余りの深さとなり、流電吼雷の勢いは山の川がドバッと鉄砲水になったようで、制止のしようもない。あっというまに水の波が杜子春の坐下まで来た。だが彼は端坐したまま顧みなかった。
    注 杜子春の受難の描写は、『観音経』(『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五 okyou-kannon.html)の経文の影響があるかもしれない。


  4. 【原漢文】 未頃、而将軍者復来、引牛頭獄卒、奇貌鬼神、将大钁湯而置子春前。長鎗両叉、四面週匝。伝命曰、「肯言姓名、即放。不肯言、即当心取叉置之钁中!」又不応。
     未だ頃(しばら)くならずして、将軍なる者、復た来たり、牛頭の獄卒、奇貌の鬼神を引き、大钁(だいくわく)の湯を将(もつ)て子春の前に置く。長鎗、兩叉、四面に週匝(しうさふ)す。命を伝へて曰く「姓名を言ふを肯(がへ)んぜば即ち放たん。言ふを肯んぜずんば、即ち当(まさ)に心(しん)を叉に取り、之を钁中に置くべし」と。又応へず。
    【大意】 ほどなくして、さきほどの将軍という人物がまた来た。牛頭(ごず)の獄卒とか、奇貌の鬼神を引きつれ、グツグツと煮えたぎる湯を満たした巨大な鼎钁 (ていかく) を杜子春の前にドンと置いた。彼はまわりを、長鎗や両叉などの武器でぐるりと取り囲まれた。将軍の部下は、将軍の命令を伝えた。「おまえが素直に姓名を名乗れば、解放してやる。名乗るのを承知しなければ、おまえの心臓を刃物でえぐりだし、グツグツと煮込んでやる」。杜子春は無反応のままだった。
    注:鼎钁:罪人を釜ゆでにして殺すための古代の道具。


  5. 【原漢文】 因執其妻来、拽於階下、指曰、「言姓名免之。」又不応。及鞭捶流血、或射或斫、或煮或焼、苦不可忍。其妻号哭曰、「誠為陋拙、有辱君子。然幸得執巾櫛、奉事十余年矣。今為尊鬼所執、不勝其苦。不敢望君匍匐拜乞。但得公一言、即全性命矣。人誰無情、君乃忍惜一言!」雨涙庭中、且呪且罵。春終不顧。将軍且曰、「吾不能毒汝妻耶?」令取剉碓、従脚寸寸剉之。妻叫哭愈急、竟不顧之。

     因りて其の妻を執(とら)へて来たり、階下に拽(ひ)き、指して曰く「姓名を言はば之を免(ゆる)さん」と。又応へず。鞭捶(むちう)ちて流血し、或は射、或は斫(き)り、或は煮、或は焼くに及びて、苦しみ忍ぶべからず。其の妻、号哭して曰く「誠に陋拙為(た)りて、君子を辱しむる有り。然るに幸ひに巾櫛(きんしつ)を執ることを得て、奉事すること十余年なり。今尊鬼の執(とら)ふる所と為り、其の苦に勝へず。敢へて君の匍匐(ほふく)拜乞(はいきつ)するを望まず。但だ公の一言を得ば、即ち性命を全うす。人、誰か情無からん。君、乃ち一言(いちげん)を忍惜(にんせき)するか!」と。庭中に涙を雨ふらし、且つ呪ひ且つ罵る。春、終に顧みず。将軍、且つ曰く「吾、汝の妻を毒すること能はざらんや」と。剉碓(ざたい)を取り、脚より寸寸に之を剉(き)らしむ。妻、叫哭すること愈(いよいよ)急なるも、竟に之を顧みず。
    【大意】 そこで悪鬼たちは、杜子春の妻を捕まえて連れてきた。杜子春がいる土壇の階下に彼女をひきすえたうえ、指さしながら言った。「おまえが命名を名乗れば、この女は放免してやろう」。杜子春は無反応だった。悪鬼たちは、杜子春の妻をムチで打った。彼女は流血した。その後、彼女を矢で射たり、刀で体を切ったり、熱湯をかけたり、焼きごてをあてたり、拷問の限りを尽くした。杜子春の妻は、苦痛にたえきれず、号泣しながら叫んだ。「わたしは良い妻じゃないかもしれない。あなたとふつりあいかもしれない。でも、結婚してもう十年余りになるのよ。私はこちらのみなさんに捕まって、こんなに苦しんでいるというのに。なにもあなたに、土下座してくれ、と頼んでるんじゃないのよ。たった一言、口を開いて言葉を発してくだされば、私の命は助かるのです。人間の感情ってもんが、あなたにもあるでしょう。あなたは、たった一言さえ、言葉をケチるのですか!」。杜子春の妻は涙をボタボタ流しながら、呪いと罵りの言葉を吐き散らした。杜子春は最後まで妻を無視した。将軍は言った。「おまえの妻を害することはできないと、おまえは見くびってるんじゃないのか」。人、誰か情無からん。君、乃ち一言(いちげん)を忍惜(にんせき)するか!」と。庭中に涙を雨ふらし、且つ呪ひ且つ罵る。春、終に顧みず。将軍、且つ曰く「吾、汝の妻を毒すること能はざらんや」と。手足を骨ごと切断する器具を持ってこさせると、杜子春の妻の足を、一寸きざみで切断させた。妻の悲鳴と絶叫はますます激しくなったが、杜子春は無視した。
    注 芥川版の杜子春に妻は出てこない。


  6. 【原漢文】 将軍曰、「此賊妖術已成。不可使久在世間。」敕左右斬之。
     斬訖、魂魄被領見閻羅王。曰、「此乃雲臺峰妖民乎? 捉付獄中!」于是鎔銅、鉄杖、碓擣、磑磨、火坑、鑊湯、刀山、剣樹之苦、無不備嘗。然心念道士之言、亦似可忍、竟不呻吟。

     将軍曰く「此の賊、妖術已に成れり。久しく世間に在らしむべからず」と。左右に敕(ちよく)して之を斬らしむ。
     斬り訖(をは)れば、魂魄は閻羅王に領(ひ)き見(あ)わさる。曰く「此れ乃ち雲台峰の妖民か? 捉へて獄中に付せ」と。是に于(おい)て鎔銅・鐵杖・碓擣(たいたう)・磑磨(がいま)・火坑・鑊湯(くわくたう)・刀山・剣樹の苦、備(つぶさ)に嘗めざるは無し。然れども心に道士の言を念ずれば、亦忍ぶべきに似て、竟に呻吟せず。

    【大意】 将軍は言った。「こいつは、すでに妖術が完成してしまっている。この世に置いておくわけにはゆかない」。将軍は左右の者に命じて、杜子春を斬殺させた。
     斬り殺された杜子春の魂魄は、あの世に行き、閻魔(えんま)の前に引きずり出された。閻魔は「こいつが雲台峰の妖民か。こいつをとらえて、地獄の中に入れろ」。こうして杜子春は、鎔銅・鐵杖・碓擣(たいとう)・磑磨(がいま)・火坑・鑊湯(かくとう)・刀山・剣樹の苦しみを、すべてつぶさに味わさせる目にあった。しかし彼は、心の中で道士の言葉を念じていたので、なんとかがまんできそうであり、結局、一言もうめき声をあげなかった。


  7. 【原漢文】 獄卒告受罪畢。王曰、「此人陰賊、不合得作男。宜令作女人、配生宋州単父県丞王勧家。」生而多病、針灸薬医、略無停日。亦嘗墜火墮牀、痛苦不齊、終不失声。
     俄而長大、容色絶代。而口無声。其家目唖女。親戚狎者、侮之万端、終不能対。
     同郷有進士盧珪者。聞其容而慕之。因媒氏求焉。
     其家以唖辞之。廬曰、「苟為妻而賢、何用言矣。亦足以戒長舌之婦。」乃許之。廬生備六礼、親迎為妻。

     獄卒、罪を受け畢(をは)れるを告ぐ。王曰く「此の人は陰賊なれば、合(まさ)に男と作(な)すことを得べからず。宜(よろ)しく女人と作(な)し、配して宋州単父県(そうしうぜんぽけん)の丞、王勧の家に生まれしむべし」と。
     生れて多病、針灸・薬医、略(ほ)ぼ停日無し。亦嘗(つね)に火に墜(お)ち牀(しやう)より墮ち、痛苦斉(ひと)しからざるも、終(つひ)に声を失せず。俄(にはか)にして長大し、容色絶代なり。而るに口に声無し。其の家、目して唖女(あぢよ)と為す。親戚の狎(な)るる者、之を侮ること万端なりも、終に対ふる能はず。
     同郷に進士の盧珪(ろけい)なる者有り。其の容(かたち)を聞き之を慕ふ。媒氏(ばいし)に因りて焉(これ)を求む。其の家、唖なるを以て之を辞す。盧曰く「苟(いや)しくも妻と為りて賢なれば、何ぞ言を用ひん。亦以て長舌の婦を戒むるに足る」と。乃ち之を許す。盧生は六礼を備へ、親迎して妻と為す。
    【大意】 獄卒は、杜子春が刑罰を受け終わったことを告げた。閻魔大王は言った。
    「彼は陰賊である。男に生まれ変わらせるのはダメだ。女に転生させ、宋州単父県(そうしゅうぜんぽけん)の丞である王勧の家の娘として生まれさせよう」。
     女児に生まれ変わった杜子春は、生まれつき多病で、ほぼ毎日、針灸や薬医を受けた。火の中に誤って落ちたり、ベッドからころげ落ちてひどく痛い目にあっても、声をあげることはなかった。まもなく成長して、絶世の美女になったものの、口から声を出すことはなかった。家族は、口がきけないのだ、と思った。親戚は、生まれ変わった杜子春をあれこれひどくバカにしたが、杜子春は返答も反論もできないままだった。
     同郷に、科挙の最終試験に合格して進士となった盧珪(ろけい)という者がいた。彼は、美女である杜子春の容貌を伝え聞いて、好意をもち、正式に媒酌人を立てて求婚した。杜子春の家族は「うちの娘は口がきけませんから」と辞退したが、盧は言った。「ただ良妻賢母でありさえすれば、言葉なんていらない。むしろ、おしゃべりすぎる婦人への戒めにもなるだろう」。結局、杜子春の家族は結婚を同意した。盧はは儒教の六礼をととのえて、みずから花嫁である杜子春を迎えにきて、夫婦となった。
    注 インド版の「烈士」は男性に転生。中国版では美女に転生。芥川版は転生しない。


  8. 【原漢文】 数年、恩情甚篤。生一男、僅二歳、聡慧無敵。盧抱児与之言、不応。多方引之、終無辞。盧大怒曰、「昔賈大夫之妻、鄙其夫、纔不笑。然観其射雉、尚釈其憾。今吾又陋不及賈、而文藝非徒射雉也。而竟不言。大丈夫為妻所鄙、安用其子!」乃持両足、以頭撲於石上、応手而碎、血濺数歩。子春愛生于心、忽忘其約、不覚失声云、「噫!」

     数年、恩情甚だ篤し。一男(いちだん)を生むに、僅(わづ)か二歳にして聰慧(そうけい)なること敵(かな)ふ無し。盧、児(こ)を抱き之と言へども、応へず。多方に之を引くも、終に辞無し。盧、大いに怒りて曰く「昔、賈大夫(かたいふ)の妻、其の夫を鄙(いや)しみ、纔(わづ)かにも笑はず。然れども其の雉(きじ)を射たるを観て、尚ほ其の憾(うら)みを釈(と)けり。今、吾は陋(ろう)にして賈に及ばざれども、文藝は徒(ただ)に雉を射るに非ざるなり。而も竟に言(ものい)はず。大丈夫、妻の鄙しむ所と為(な)らば、安んぞ其の子を用ひん!」と。乃ち両足を持ち、頭(かしら)を以て石上に撲(う)つ。手に応じて碎け、血は数歩に濺(そそ)ぐ。子春は、愛、心に生じ、忽ち其の約を忘れ、覚えず声を失して云ふ、「噫(ああ)!」と。
    【大意】 その後、数年がたった。夫はとてもやさしかった。男の子が生まれた。二歳になったばかりで、もう比べものがないくらい頭が良かった。夫の盧は、子どもを抱いて杜子春と語りあおうとしたが、杜子春は黙ったままだった。夫はあれこれと試みたが、杜子春は口を閉ざしたままだった。とうとう夫はキレた。「いにしえの賈大夫(かたいふ)はブオトコだった。美人の妻をめとったが、妻は夫をバカにして三年のあいだ口もきかず笑いもしなかった。だが夫が見事にキジを射止めると、妻ははじめて笑い、口をきいた。私は、いにしえの賈大夫には及ばないが、私の文筆能力はキジを射るというレベルに留まらないぞ。なのに、おまえは私に口をきいてくれない。一人前の男であるのに、妻からバカにされるとは。こんな息子は、もういらない」。夫はそう言うと、子どもの両足を持ち、子どもの頭を石に叩きつけた。頭はグシャリとくだけ、血が数歩さきまで降り注いだ。杜子春は、愛の心が生じて、一瞬、老人との約束を忘れて思わず「ああ」という一言を漏らしてしまった。
    注:賈大夫の話の出典は『春秋左伝』昭公二十八年。「昔賈大夫惡,娶妻而美,三年不言不笑,御以如皋,射雉獲之,其妻始笑而言,賈大夫曰,才之不可以已,我不能射,女遂不言不笑夫」。
     インド版では烈士が転生した老人の子は殺されそうになるだけだが、中国版では杜子春が転生した女性が生んだ二歳の幼子は頭蓋骨を割られて殺される。後世の作品だが、古典小説『水滸伝』で朱仝(しゅどう)が世話をしていた幼い男の子(小衙内)を李逵(りき)が殺したくだりも連想される。
     芥川版では、子への愛ではなく、親への情へと改変されている。


  9. 【原漢文】 噫声未息、身坐故処。道士者亦在其前。初五更矣。
     見其紫焔穿屋上、大火起四合、屋室倶焚。道士嘆曰、「錯大誤余乃如是!」因提其髮投水甕中。
     未頃、火息。道士前曰、「吾子之心、喜怒哀懼悪慾、皆忘矣。所未臻者、愛而已。向使子無噫声、吾之薬成、子亦上仙矣。嗟乎、仙才之難得也! 吾薬可重煉、而子之身猶為世界所容矣。勉之哉!」遙指路使帰。子春強登基観焉、其爐已壊。中有鉄柱、大如臂、長数尺。道士脱衣、以刀子削之。
     子春既帰、愧其忘誓。復自效以謝其過、行至雲臺峰、絶無人跡。嘆恨而帰。
     噫の声未だ息(や)まざるに、身は故(もと)の処に坐す。道士は亦其の前在り。初めて五更なり。
     其の紫焰、屋上を穿ち、大火起こりて四合し、屋室倶(とも)に焚(や)くるを見る。  道士歎じて曰く「錯大(そだい)、余を誤ちて乃ち是のごとし!」と。因りて其の髮を提(と)り、水甕(すいをう)の中に投ず。未だ頃(しばらく)ならずして、火、息(や)む。
     道士、前(すす)みて曰く「吾子(ごし)の心、喜・怒・哀・懼(く)・悪(を)・慾は皆、忘れたり。未だ臻(いた)らざる所の者は、愛のみ。向使(もし)、子の噫の声無くんば、吾が薬成り、子も亦、上仙せんものを。嗟乎(ああ)、仙才の得難きや! 吾が薬は重ねて煉るべし。而して子の身は猶ほ世界の容るる所と為るがごときなり。之を勉めよ」と。遙かに路を指して帰らしむ。
     子春、強(し)ひて基観に登りれば、其の爐、已に壊(こぼ)ちたり。中に鉄柱有り、大いさ臂(ひぢ)ごとく、長さ数尺。道士は衣を脱ぎ、刀子を以て之を削る。
     子春、既に帰り、其の誓ひを忘れしを愧づ。復た自ら效(つと)めて、以て其の過ち謝せんとして、行きて雲台峰に至るに、絶えて人跡無し。歎き恨みて帰れり。
    【大意】 「ああ」という声がまだやまないうちに、杜子春の身はもとのところに座ったままだった。道士もまた彼の前にいるままだった。夜明けの五更になったままだった。
     見れば、紫焰は屋上に大穴をあけて、大火が起きて四方で組み合わさり、部屋は建物ごとメラメラと燃えていた。
     道士は嘆息して言った。「素寒貧の書生め。おまえのせいで大失敗だ」。道士は、杜子春の頭髪を手にとると、彼の頭をドブンと水がめの中につけた。その後まもなくして、火事はおさまった。
     道士は身を進めて言った。「きみの心は、喜・怒・哀・懼(く)・悪(を)・慾は、どれも忘れることができた。最後に残ったのは、愛だけだ。もし、きみの、ああ、という一声さえなければ、わしの薬は完成し、きみも仙人になれたのに。ああ、仙才とは得難いものよ。わが薬は重ねて煉ることとしよう。きみは身を世間に置くほうがよかろう。がんばりなさい」。道士は、帰り道を指さして、杜子春を帰らせた。
     杜子春は帰りかけたが、気になったので、炉の土台にのぼって中をのぞいた。炉は壊れていた。中に鉄の柱があった。長さは数尺、太さは臂くらいだった。道士は服を脱ぎ、ナイフで炉心の鉄柱を削っていた。
     杜子春は帰ったあとも、自分が一瞬、誓いを忘れたことを恥じた。あらためて老人にお詫びを述べようと、華山の雲台峰に登った。だが、人のありかはどこにもない。歎息し、悔恨を抱きながら帰った。
    注:中国版の杜子春は「信」を守れなかったことを恥じた。ここが芥川版と著しい対比をなす。


○その他


第5回 日本と中国の真逆の結末 日本版と中国版の杜子春の結末は、ほとんど「真逆」と言ってもよいほど違います。なぜ芥川は、あのような結末を作ったのか。そこには、日本人と中国人の、民族的な倫理観、宗教観の違いが反映しています。あなたは、芥川版と中国版のどちらの杜子春が、納得できますか? 1920年の芥川版「杜子春」の発表から百年余りたった現在の視点から、日本人と中国人の物の考え方の違いを整理し、歴史を知る教訓を探ります。
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-mJuTFxeCl3QvzXJPCzVrE7

○ポイント、キーワード


芥川版『杜子春』後半。
toshishun.html#15も参照のこと。
以下「青空文庫」のhttps://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/170_15144.html より引用。閲覧日2024年7月28日。引用開始
       四

 二人を乗せた青竹は、間もなく峨眉山へ舞ひ下りました。
 そこは深い谷に臨んだ、幅の広い一枚岩の上でしたが、よくよく高い所だと見えて、中空に垂れた北斗の星が、茶碗程の大きさに光つてゐました。元より人跡の絶えた山ですから、あたりはしんと静まり返つて、やつと耳にはひるものは、後の絶壁に生えてゐる、曲りくねつた一株の松が、こうこうと夜風に鳴る音だけです。
 二人がこの岩の上に来ると、鉄冠子は杜子春を絶壁の下に坐らせて、
「おれはこれから天上へ行つて、西王母せいわうぼに御眼にかかつて来るから、お前はその間ここに坐つて、おれの帰るのを待つてゐるが好い。多分おれがゐなくなると、いろいろな魔性ましやうが現れて、お前をたぶらかさうとするだらうが、たとひどんなことが起らうとも、決して声を出すのではないぞ。もし一言でも口を利いたら、お前は到底仙人にはなれないものだと覚悟をしろ。好いか。天地が裂けても、黙つてゐるのだぞ。」と言ひました。
「大丈夫です。決して声なぞは出しはしません。命がなくなつても、黙つてゐます。」
「さうか。それを聞いて、おれも安心した。ではおれは行つて来るから。」
 老人は杜子春に別れを告げると、又あの竹杖にまたがつて、夜目にも削つたやうな山々の空へ、一文字に消えてしまひました。
 杜子春はたつた一人、岩の上に坐つた儘、静に星を眺めてゐました。すると彼是かれこれ半時ばかり経つて、深山の夜気が肌寒く薄い着物にとほり出した頃、突然空中に声があつて、
「そこにゐるのは何者だ。」と叱りつけるではありませんか。
 しかし杜子春は仙人の教通り、何とも返事をしずにゐました。
 所が又暫くすると、やはり同じ声が響いて、
「返事をしないと立ち所に、命はないものと覚悟しろ。」と、いかめしくおどしつけるのです。
 杜子春は勿論黙つてゐました。
 と、どこから登つて来たか、爛々らんらんと眼を光らせた虎が一匹、忽然こつぜんと岩の上に躍り上つて、杜子春の姿を睨みながら、一声高くたけりました。のみならずそれと同時に、頭の上の松の枝が、烈しくざわざわ揺れたと思ふと、後の絶壁の頂からは、四斗樽程の白蛇はくだが一匹、炎のやうな舌を吐いて、見る見る近くへ下りて来るのです。
 杜子春はしかし平然と、眉毛も動かさずに坐つてゐました。
 虎と蛇とは、一つ餌食を狙つて、互に隙でもうかがふのか、暫くは睨合ひの体でしたが、やがてどちらが先ともなく、一時に杜子春に飛びかかりました。が、虎の牙に噛まれるか、蛇の舌に呑まれるか、杜子春の命はまたたく内に、なくなつてしまふと思つた時、虎と蛇とは霧の如く、夜風と共に消え失せて、後には唯、絶壁の松が、さつきの通りこうこうと枝を鳴らしてゐるばかりなのです。杜子春はほつと一息しながら、今度はどんなことが起るかと、心待ちに待つてゐました。
 すると一陣の風が吹き起つて、墨のやうな黒雲が一面にあたりをとざすや否や、うす紫の稲妻がやにはに闇を二つに裂いて、凄じくらいが鳴り出しました。いや、雷ばかりではありません。それと一しよにたきのやうな雨も、いきなりどうどうと降り出したのです。杜子春はこの天変の中に、恐れ気もなく坐つてゐました。風の音、雨のしぶき、それから絶え間ない稲妻の光、――暫くはさすがの峨眉山がびさんも、くつがへるかと思ふ位でしたが、その内に耳をもつんざく程、大きな雷鳴がとどろいたと思ふと、空に渦巻いた黒雲の中から、まつ赤な一本の火柱が、杜子春の頭へ落ちかかりました。
 杜子春は思はず耳を抑へて、一枚岩の上へひれ伏しました。が、すぐに眼を開いて見ると、空は以前の通り晴れ渡つて、向うにそびえた山山の上にも、茶碗程の北斗の星が、やはりきらきら輝いてゐます。して見れば今の大あらしも、あの虎や白蛇と同じやうに、鉄冠子てつくわんしの留守をつけこんだ、魔性の悪戯いたづらに違ひありません。杜子春はやうやく安心して、額の冷汗を拭ひながら、又岩の上に坐り直しました。
 が、そのため息がまだ消えない内に、今度は彼の坐つてゐる前へ、金のよろひ着下きくだした、身の丈三丈もあらうといふ、厳かな神将が現れました。神将は手に三叉みつまたほこを持つてゐましたが、いきなりその戟の切先を杜子春の胸もとへ向けながら、眼をいからせて叱りつけるのを聞けば、
「こら、その方は一体何物だ。この峨眉山といふ山は、天地開闢かいびやくの昔から、おれが住居すまひをしてゐる所だぞ。それもはばからずたつた一人、ここへ足を踏み入れるとは、よもや唯の人間ではあるまい。さあ命が惜しかつたら、一刻も早く返答しろ。」と言ふのです。
 しかし杜子春は老人の言葉通り、黙然もくねんと口をつぐんでゐました。
「返事をしないか。――しないな。好し。しなければ、しないで勝手にしろ。その代りおれの眷属けんぞくたちが、その方をずたずたに斬つてしまふぞ。」
 神将はほこを高く挙げて、向うの山の空を招きました。その途端に闇がさつと裂けると、驚いたことには無数の神兵が、雲の如く空に充満みちみちて、それが皆槍や刀をきらめかせながら、今にもここへ一なだれに攻め寄せようとしてゐるのです。
 この景色を見た杜子春は、思はずあつと叫びさうにしましたが、すぐに又鉄冠子の言葉を思ひ出して、一生懸命に黙つてゐました。神将は彼が恐れないのを見ると、怒つたの怒らないのではありません。
「この剛情者め。どうしても返事をしなければ、約束通り命はとつてやるぞ。」
 神将はかうわめくが早いか、三叉みつまたほこひらめかせて、一突きに杜子春を突き殺しました。さうして峨眉山もどよむ程、からからと高く笑ひながら、どこともなく消えてしまひました。勿論この時はもう無数の神兵も、吹き渡る夜風の音と一しよに、夢のやうに消え失せた後だつたのです。
 北斗の星は又寒さうに、一枚岩の上を照らし始めました。絶壁の松も前に変らず、こうこうと枝を鳴らせてゐます。が、杜子春はとうに息が絶えて、仰向あふむけにそこへ倒れてゐました。

       五

 杜子春の体は岩の上へ、仰向けに倒れてゐましたが、杜子春の魂は、静に体から抜け出して、地獄の底へ下りて行きました。
 この世と地獄との間には、闇穴道あんけつだうといふ道があつて、そこは年中暗い空に、氷のやうな冷たい風がぴゆうぴゆう吹きすさんでゐるのです。杜子春はその風に吹かれながら、暫くはただ木の葉のやうに、空を漂つて行きましたが、やがて森羅殿しんらでんといふ額の懸つた立派な御殿の前へ出ました。
 御殿の前にゐた大勢の鬼は、杜子春の姿を見るや否や、すぐにそのまはりを取り捲いて、きざはしの前へ引き据ゑました。階の上には一人の王様が、まつ黒なきものに金のかんむりをかぶつて、いかめしくあたりを睨んでゐます。これは兼ねてうはさに聞いた、閻魔えんま大王に違ひありません。杜子春はどうなることかと思ひながら、恐る恐るそこへひざまづいてゐました。
「こら、その方は何の為に、峨眉山の上へ坐つてゐた?」
 閻魔大王の声は雷のやうに、階の上から響きました。杜子春は早速その問に答へようとしましたが、ふと又思ひ出したのは、「決して口を利くな。」といふ鉄冠子の戒めの言葉です。そこで唯頭を垂れた儘、おしのやうに黙つてゐました。すると閻魔大王は、持つてゐた鉄のしやくを挙げて、顔中のひげを逆立てながら、
「その方はここをどこだと思ふ? すみやかに返答をすれば好し、さもなければ時を移さず、地獄の呵責かしやくはせてくれるぞ。」と、威丈高ゐたけだかののしりました。
 が、杜子春は相変らずくちびる一つ動かしません。それを見た閻魔大王は、すぐに鬼どもの方を向いて、荒々しく何か言ひつけると、鬼どもは一度にかしこまつて、忽ち杜子春を引き立てながら、森羅殿の空へ舞ひ上りました。
 地獄には誰でも知つてゐる通り、つるぎの山や血の池の外にも、焦熱せうねつ地獄といふ焔の谷や極寒ごくかん地獄といふ氷の海が、真暗な空の下に並んでゐます。鬼どもはさういふ地獄の中へ、代る代る杜子春をはふりこみました。ですから杜子春は無残にも、剣に胸を貫かれるやら、焔に顔を焼かれるやら、舌を抜かれるやら、皮を剥がれるやら、鉄のきねかれるやら、油の鍋に煮られるやら、毒蛇に脳味噌を吸はれるやら、熊鷹に眼を食はれるやら、――その苦しみを数へ立ててゐては、到底際限がない位、あらゆる責苦せめくに遇はされたのです。それでも杜子春は我慢強く、ぢつと歯を食ひしばつた儘、一言も口を利きませんでした。
 これにはさすがの鬼どもも、呆れ返つてしまつたのでせう。もう一度夜のやうな空を飛んで、森羅殿の前へ帰つて来ると、さつきの通り杜子春をきざはしの下に引き据ゑながら、御殿の上の閻魔大王に、
「この罪人はどうしても、ものを言ふ気色けしきがございません。」と、口を揃へて言上ごんじやうしました。
 閻魔大王は眉をひそめて、暫く思案に暮れてゐましたが、やがて何か思ひついたと見えて、
「この男の父母ちちははは、畜生道に落ちてゐる筈だから、早速ここへ引き立てて来い。」と、一匹の鬼に云ひつけました。
 鬼は忽ち風に乗つて、地獄の空へ舞ひ上りました。と思ふと、又星が流れるやうに、二匹の獣を駆り立てながら、さつと森羅殿の前へ下りて来ました。その獣を見た杜子春は、驚いたの驚かないのではありません。なぜかといへばそれは二匹とも、形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母の通りでしたから。
「こら、その方は何のために、峨眉山の上に坐つてゐたか、まつすぐに白状しなければ、今度はその方の父母に痛い思ひをさせてやるぞ。」
 杜子春はかうおどされても、やはり返答をしずにゐました。
「この不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さへ都合が好ければ、好いと思つてゐるのだな。」
 閻魔大王は森羅殿も崩れる程、凄じい声で喚きました。
「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまへ。」
 鬼どもは一斉に「はつ」と答へながら、鉄のむちをとつて立ち上ると、四方八方から二匹の馬を、未練未釈みれんみしやくなく打ちのめしました。鞭はりうりうと風を切つて、所嫌はず雨のやうに、馬の皮肉を打ち破るのです。馬は、――畜生になつた父母は、苦しさうに身をもだえて、眼には血の涙を浮べた儘、見てもゐられない程いななき立てました。
「どうだ。まだその方は白状しないか。」
 閻魔大王は鬼どもに、暫く鞭の手をやめさせて、もう一度杜子春の答を促しました。もうその時には二匹の馬も、肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えにきざはしの前へ、倒れ伏してゐたのです。
 杜子春は必死になつて、鉄冠子の言葉を思ひ出しながら、かたく眼をつぶつてゐました。するとその時彼の耳には、ほとんど声とはいへない位、かすかな声が伝はつて来ました。
「心配をおしでない。私たちはどうなつても、お前さへ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何とおつしやつても、言ひたくないことは黙つて御出おいで。」
 それは確に懐しい、母親の声に違ひありません。杜子春は思はず、眼をあきました。さうして馬の一匹が、力なく地上に倒れた儘、悲しさうに彼の顔へ、ぢつと眼をやつてゐるのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思ひやつて、鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む気色けしきさへも見せないのです。大金持になれば御世辞を言ひ、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何といふ有難い志でせう。何といふ健気な決心でせう。杜子春は老人の戒めも忘れて、まろぶやうにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、「お母さん。」と一声を叫びました。……

       六

 その声に気がついて見ると、杜子春はやはり夕日を浴びて、洛陽の西の門の下に、ぼんやり佇んでゐるのでした。霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、――すべてがまだ峨眉山へ、行かない前と同じことです。
「どうだな。おれの弟子になつた所が、とても仙人にはなれはすまい。」
片目すがめの老人は微笑を含みながら言ひました。
「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかつたことも、かへつて嬉しい気がするのです。」
 杜子春はまだ眼に涙を浮べた儘、思はず老人の手を握りました。
「いくら仙人になれた所が、私はあの地獄の森羅殿の前に、鞭を受けてゐる父母を見ては、黙つてゐる訳には行きません。」
「もしお前が黙つてゐたら――」と鉄冠子は急におごそかな顔になつて、ぢつと杜子春を見つめました。
「もしお前が黙つてゐたら、おれは即座にお前の命を絶つてしまはうと思つてゐたのだ。――お前はもう仙人になりたいといふ望も持つてゐまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になつたら好いと思ふな。」
「何になつても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」
 杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子がこもつてゐました。
「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には遇はないから。」
 鉄冠子はかう言ふ内に、もう歩き出してゐましたが、急に又足を止めて、杜子春の方を振り返ると、
「おお、さいはひ、今思ひ出したが、おれは泰山の南のふもとに一軒の家を持つてゐる。その家を畑ごとお前にやるから、早速行つて住まふが好い。今頃は丁度家のまはりに、桃の花が一面に咲いてゐるだらう。」と、さも愉快さうにつけ加へました。
(大正九年六月)
引用終了


○比較対照表
印度中国日本
ジャンル説話伝奇小説小説(児童文学)
出典大唐西域記(見聞録)太平広記(類書)赤い鳥(雑誌)
物語の時代玄奘の時代から数百年前北周から隋にかけて(6世紀末ごろ)唐の玄宗皇帝の時代(8世紀)
物語の舞台「施鹿林東行二三里」冬の長安(冒頭)
華山の雲台峰(後半)
春の洛陽(冒頭)
峨眉山(後半)
主人公「烈士」杜子春杜子春
相手役「隠士」「道士」仙人(鉄冠子)
目的「更求仙術」仙薬の完成人間らしさとは何かを教える
失敗の原因「魔嬈」(まにょう)。
原文:隠士曰「我之過也。此魔嬈耳」
七情のうち「愛」だけ捨てられなかった。「孝」の心と、人間らしい心をもっていたから。
主人公の結末申し訳なくて憤死。
原文:烈士感恩,悲事不成,憤恚而死。
恥じて帰る。
原文:愧其忘誓・・・嘆恨而帰。
あるべき自分をみつけ、晴れ晴れした調子。
人間らしい正直な暮し(泰山のふもとの畑付きの家)
価値観報恩
原文:感恩而死,又謂烈士池。
信(言葉や約束を守ること)嘘も方便
主人公:インドの烈士や中国の杜子春は、恩人の期待にこたえられなかったことを恥じた。日本の杜子春は「かえって嬉しい気がする」と晴れ晴れと述べた。
相手役:インドの隠士も中国の道士も、自分の目的のため主人公を「実験台」としたが、主人公に嘘はつかなかった。日本版の「仙人」は「もしお前が黙つてゐたら、おれは即座にお前の命を絶つてしまはうと思つてゐた」と、自分が嘘をついて杜子春を騙したことを臆面もなく述べる。
結末:インド版も中国版も失敗。日本版は「失敗してかえってよい場合もある」「平凡でも人間らしく生きることが幸せ」という価値観にもとづけば「成功」である。

日本人の国民性は「職人気質」(しょくにんきしつ/しょくにんかたぎ)だが、中国人の国民性は「商人気質」(しょうにんきしつ/あきんどかたぎ)である、とよく言われる。
商人は利益に敏感で、「信用」を重んじる。

参考
明智光秀「仏の嘘をば方便といひ、武士の嘘をば武略といふ。これをみれば、土民百姓は可愛いことなり」(『老人雑話』)
宮沢賢治「ミンナニデクノボートヨバレ / ホメラレモセズ / クニモサレズ / サウイフモノニ / ワタシハナリタイ」(参考 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html)

インド→中国→日本と「リレー」するうちに大きな文化変容が見られた例。
参考 植木雅俊『仏教、本当の教え インド、中国、日本の理解と誤解』中公新書
○その他

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