ハーバート・ビックス著 『昭和天皇』の読まれ方
訳 者 の 一 言

 このページはハーバート・ビックス著『昭和天皇』について考えるページです。

 訳者自らがこうしたページを立ち上げた理由を説明します。私は、よく「あなたはビックスと考えが同じなのですか?」ということを尋ねられます。これだけの話題作ですし、しかも、私は翻訳家ではなく歴史研究者だから、そのような質問が寄せられるのは当然でしょう。中には、あなたは内容に責任を持ちますか?、というちょっと意地の悪い質問も受けます。私はビックスのとらえ方に非常に近いです。全く同じではありませんが、その相違は議論にたるほどのものではありません。しかし、私は、訳者なので内容についてあれこれ言うことは控えたいです。

 私が一番、興味を持つのは、この本がどんな読まれ方をするのか、ということです。具体的には、「書評」の「書評」を行いたいと思います。そのことを通じて、日本のマスメディア状況を見極めたいのです。一体、日本のマスコミは、いつまで「冷戦の同窓会」のようなことを続けるつまりなのでしょうか?より正しくではなく、より熱く、より多く売れるためにはどうすれば良いのか、これがマスコミの発想です。ですから「戦争責任は有る・無い」といった all or nothing の二項対立型の激論というのは、実は、商業化した言論市場にとって一番、都合がよいのです。

 しかし、ビックスが語り掛ける昭和天皇像は、あきらかに、この従来型の二者択一的な像ではありません。彼は、そのことを「日本の読者へ」の中で明言しています。問われているのは、受け皿である日本のマスコミの力量ではないでしょうか。程度は質を伴うという尺度が求められています。

 私は、この十年、「冷戦の責任と冷戦後責任の思想」について考えることを大きな研究テーマとしてきました。奇しくもビックスさんがこの『昭和天皇』の執筆に着手したのが、ほぼ十年前だといいます。

 私には、この優れた天皇の一代記が、論調の鎖国体制に陥った日本の言論に訪れた黒船のように思えます。

〔オンライン書店・リンク〕
書評が掲載されているものがあります。
   BOOKアサヒコム
    アマゾン・コム『昭和天皇 上』
    アマゾン・コム『昭和天皇 下』
   e-hon
   

〔ビックスさんはこんな方です〕

〔書評の書評〕
   朝日新聞文化欄・紹介記事
   原 武史氏・書評
   松本建一氏・書評
   上田紀行氏・書評
   井上ひさし氏・書評

〔ウエッツラーのビックス批判〕
   P・ウエッツラー氏 1
   P・ウエッツラー氏 2

    船橋洋一氏の書評
   
   
   
   


訳者としての感想

 私が翻訳を担当したのは満州事変から敗戦までの章です。訳者としてというよりは、日本人の一歴史研究者として、最初に抱いた感想は、先を越されたな、という非常にある意味で俗な感想でした。

 昭和天皇については、その死後、これまで多くの文献が発表されてきました。しかし、このような詳細な一代記というものはなかったように思います。やはり、戦中、つまりアジア太平洋戦争期の天皇に関する記述に集中しています。これに対しビックスはその著書の英語版で見ると本文全 688ページのうち、アジア太平洋戦争期を扱っているのは 295ページ、全体の約43%に過ぎません。東京裁判期までを含めたとしても約56%です。単純化したとらえ方ではありますが、この数値の対比から、我々戦後日本人の昭和天皇に対する意識のありようを知ることができるでしょう。

 非政治化された象徴天皇制の下とはいえ、君主国に生きるものが自国を相対的に捉えることの難しさを感じざるを得ませんでした。

 ここで描かれている昭和天皇は、優柔不断で資質としては果断・決断力を問われる武人には向かないが、しかし、決して悪意のある人物ではありません。平和な時代であれば「名君」とまではいかないまでも、君主としての凡庸さと気品を保ち、まさにウエッツラーが言うような「家庭と皇室」を愛した人であったと思いました。ビックスは、基本的に政治史であるこの書物にも、昭和天皇の人柄を伝える記述を多く盛り込むように努力しています。ウエッツラーがなぜあのような批判をするのか、私には不可解でなりません。

 問題は、このような天皇の資質と彼が生きた時代との間のギャップにあるのではないでしょうか。

 上巻が出て間もなく、「東京裁判史観」と同じ歴史観による書物であるとの批判を散見しましたが、昭和天皇の訴追を免責したのが東京裁判であり、その意味では、昭和天皇の戦争責任を追及したビックス批判として、このように東京裁判を引き合いに出す程度の低さには、辟易するものがありました。

 訳しながら、しばしば、筆を置いて考えさせられたことは、もし、自分がこの「大元帥」の立場におかれていたら、どうだっただろうか、ということです。自分ならどうしただろうか?このことは、読者の皆さんにも、是非、考えて欲しいことです。

 お前はどうなのか、と問われるでしょう。私は相当に優柔不断な性格なので、おそらく、作戦指導は昭和天皇よりも、さらにまずいことをしていたと思います。もちろん、私と昭和天皇が受けてきた教育の相違まで考慮に入れて、判断することは不可能です。しかし、正しければ責任はない、とか、間違っていたから責任がある、というものでもないでしょう。都合のいい結果にも、都合の良い結果に対しても、等しく責任を担わなければなりません。

 戦争責任問題について、よく「過去を断罪するな」ということが言われます。しかし、これはもう古すぎるのではないでしょうか?今時、「断罪」という感覚で過去の検証をしている人は少ないでしょう。責任の追及には、次のような二つの要素があると思います。第一が責任の所在や程度の定義。第二が糾弾や処罰です。これからは、この二つを分けて過去をとらえ、そして検証する時代になったのではないでしょうか?

 また戦争責任問題について、しばしば、今日の常識で判断すれば間違いだが、当時の常識ではそのように判断したのは仕方がなかっただろう、だから過去の責任を問うことはできない、ということが言われます。これは一見、説得力があるように見えますが、大きな誤りを含んでいます。

 まず、どれくらい隔たった過去なら「当時の常識」として仕方がないという許容範囲になるのでしょうか。こう考えてみると、この許容範囲というのは、意外と大昔でないと成立しません。石器時代の人間に科学知識の欠如を問うているのではありません。

 20年前じゃ仕方がない、50年前じゃ仕方がないというような言葉は、結局、主観の問題に過ぎません。論争にになることはあっても、客観的な基準ができるということはまずないでしょう。

 次に、最も重要なことが「常識」とは何か、ということです。科学知識のような場合には単に知らなかった、そんなに発達していなかったということは、かなり大きな理由として成立しうるでしょう。しかし、政策判断ということになると、中々、そのような基準は求めがたいです。

 人が判断を誤るのは、今でも、過去でも、何時でも、往々にして自らの常識にとらわれたときに起こるものです。それでは、昭和天皇は、当時、どのような常識にとらわれていたのでしょうか?ビックスさんの著作はこの問いに明確に答えてくれます。そして、そのような答えの中から、我々が今、現在、生きているこの時代に、我々がとらわれている「常識」とは何なのかを考えてみてはどうでしょうか。