「歴史」となった昭和  日米で問題提起の研究書相次ぐ
『朝日新聞』 2002年8月2日(夕)文化欄
ビックス氏 戦争指導に関与した姿描く
戦後改革とその遣産を検証 竹前栄治氏

 米国の歴史学者ハーバート・ビックス・ニューヨーク州立大教授による『昭和天皇』(上巻)が7月末、講談社から出た。天皇が戦争指導に深くかかわった姿を描いて「歴史の爆弾」(英エコノミスト誌)と評され、昨年ピュリツァー賞を受けた作品だ。春には竹前栄治・東京経済大名誉教授が連合国軍総司令部(GHQ)の戦後改革とその遺産を検証した『INSIDE GHQ』も米国で出版された。日米合作によって生み出された「戦後日本」を、日米交流を通して生み出された両国の歴史書が解き明かす。「昭和」が歴史になろうとしている、のだろうか。(藤生京子)

 原題は「HIROHITO AND THE MAKING OF MODERN JAPAN」(2000年)。

 邦訳版を監修した吉田裕・一橋大教授(日本近現代史)は「天皇タブーは後退している。21世紀の状況は、かなり変わってきているのではないか」と語る。日本での刊行に時間がかかったことをいぶかる声もあったが、出版妨害のような動きは皆無だったという。

 刊行直前に書いた「日本の読者ヘ」と題する序文で、ビックス氏は「本書で読者が出合うのは、ゆがめられた公的な天皇像とはまったく異なった天皇である」と宣言する。

 さらに、昭和天皇の指導性のポイントを「天皇と宮中グルーブは、内閣の決定が正式に提出される前に、天皇の見解や意思が決定に盛り込まれるよう尽力した。そして、天皇の賛否こそが決定的だった」とし、昭和の重要事件の多くに天皇が実は積極的にかかわったことを指摘する。戦後、日米両政府が「戦時中の天皇の役割をあいまいにするため、多大な努力を」払ったとも。

 本文は、昭和天皇が幼少時に受けた教育からその人格形成を説き起こし、日中戦争、太平洋戦争へと突き進んでいく一連の出来事に即して天皇の関与を跡づける。天皇は軍部のあやつり人形ではなく、重要な政治的役割を果たしながら、敗戦後は一転、平和主義者のイメージをまとって君臨し続けたとしている。戦争遂行にあたって、天皇の国民に対する「説明責任(アカウンタビリティー)」が欠落していたことも問題にした。

 吉田教授は「広い読者が得られる大手書店から出た意味は大きい。タブーにされがちだった問題が人々に広く論議され、昭和が歴史になっていく」と期待する。

 ビックス氏の著作に迫る750頁の大冊となった竹前氏の著書には、日本の敗戦、戦後をつづった『敗北を抱きしめて』でビックス氏の前年にビュリツァー賞を受けたジョン・ダワー氏が序文を寄せ、竹前氏の著書は日本の外の人々には理解しにくい日本現代史の格好の案内となる、と紹介している。

 ダワー氏は、731部隊、従軍慰安婦、捕虜虐待といった、戦後半世紀以上経てもなお残虐行為が注目を浴び続ける日本は、その超・現代的な装いにかかわらず、基本的な仕組みは戦前から変わっていないのか、と問う。そして、悲惨な戦争、敗戦に続いて、平和と民主主義の理想を掲げた占領改革によって、確かに日本は大きく変わったのだと答える。そのうえで、冷戦下の「逆コース」が持ち込んだ矛盾を今なおはらむ、入り組んだ事惰に着目する必要を説く。

 こうした日米の知的交流を支える基盤は、着実に充実してきた。ビックス氏の著作自体、日本の学者による先行研究を活用したものだ。欧米の日本学者の層も厚くなり、そのポジションを生かした研究が日本に還流する。

 昨年暮れ、編著『歴史としての戦後日本』を日本で出した、ハーバード大ライシャワー研究所長のアンドルー・ゴードン氏は「米国の方が、自由な研究環境に恵まれている面はある。天皇制に関する議論にまつわるプレッシャーからも自由だ。過去に英語で書かれた日本に関する歴史研究が少ないので、学問的な制約は少なく、幅広い領域を横断できる」と話す。

 こうした歴史研究の、今に果たす役割はなにか。

 邦訳出版を前に来日したビックス氏は、アフガニスタンを攻撃したブッシュ政権が、軍部の暴走を抑えきれなかった30年代の日本と似てきたた、という。

 「合衆国の指導者たちは、国際法を無視して進めたベトナム戦争で死んだ何百万人ものベトナム人に対してまったく責任を取らなかった」と憤るベトナム反戦世代の歴史家だ。「今日、私たちは、昭和天皇を免責したことに異議を唱える必要性をいっそう強く目覚している」。「その取り組みは、世界秩序を維持する時代の戦略方針によって踏みにじられている」とする視点は、日米二国間の文脈を超えた「世界の普遍的な枠組み」に据えられている。

 「民主主義を脅かすものをどう監視するか。ますます歴史から学ぶ必要のある時代だと思う」

 『昭和天皇』の下巻は秋に刊行される。

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