『昭和天皇と戦争』P・ウエッツラーさんに聞く
毎日新聞社 2002年12月16日
伝統を守る家族思いの人

 昭和天皇の戦争責任を厳しく追及した米国人学者、ハーバート・ビックスさんの著書が話題を呼ぶなか、同じ米国の歴史家、ピーター・ウエツラーさん=写真が『昭和天皇と戦争』(原書房)を出版した。ビックスさんとは違う、皇統を守ろうとした姿を前面に押し出している。揺れる天皇像について、ウエッツラーさんに聞いた【岸俊光】

 日本に留学し、古代、中世史を学んだウエッツラーさんは現在、独ルドヴィヒスハフェン州立経済大学教授。日本と取引のある企業の顧問も務めてきた。『昭和天皇と戦争』は98年にハワイ大学出版局から刊行された『Hirohito and War』の邦訳で、専門の古代史やビジネスの経験が生かされている。

 「きっかけは、70年代に出たデイヴィッド・パーガミニの『天皇の陰謀』を読んでおかしいと感じたこと。一次史料にあたるべきなのに、秘話の出所を明らかにしていない。現代の考え方は古代、中世にルーツがある。しかし、従来の研究は、昭和天皇を平和主義者か債極的な軍事指導者と見るか、で止まっていた」

 『昭和天皇と戦争』では、天皇が受けた教育に力点が置かれている。皇太子時代の教師、杉浦重剛の『倫理御進講草案』は古代史を取り上げているが、それは近代的イデオロギーに合うように脚色されたものだった。〈日本人の道徳性の特異性−日本国民の卓越した資質と皇室の最高の身分−に特別な注意を払いなさい、ということであった〉とウエッツラーさんは書いている。

 そうした背景を持つ昭和天皇は、戦争でどんな役割を果たしたのか。強調されるのは日本的な意思決定の手法だ。

 「天皇や首相らが相談しながら、御前会議の前に結論を出していた。天皇に責任がなかったとし到底言えない。しかし、一人で決め、無理にやらせたことはなかった。グループで判断する時、反対ばかりしていては自分のカがなくなってしまう。それは、今の日本企業のトップも余り変わらない」

 一貫して西欧流の立憲君主だったとか、いや積極的な軍事指導者だったと決めつける根拠はない−。そう結論付けたウエッツラーさんは〈自分の家系と伝統を守ることに心を傾けていたファミリーマン(家族思いの人)だった〉という天皇像を導き出した。

 一方、積極的軍事指導者の側面を強調したビックスさんの著書『昭和天皇 上・下』(講談社)には批判的だ。

 「天皇がカイザーかキングのように命令し、立場や家を守るため、それを隠そうとしたととらえている。ビックスさん自身の考えにすぎず、賛成できない。引用史料と、あの本の解釈は結び付かない」

 歴史学にできること、としてウエッツラーさんは、序文にこう書いている。〈歴史を書くことを、人を裁く行為と混同してはならない……〉

 翻訳者の森山尚美さんとの対談で、ウエッツラーさんは『昭和天皇』を次のように評しでいる。〈私が問題にしているのほ、解釈の違いではない。歴史を書くペイシックな手法です。古いタイプの歴史家であれば、「……あったかもしれないが、いまの時点では証拠はない」と書きます。こんな基礎的な問題があるのは、そういう書き方をすると、あまり売れそうもないと見たからではないか……〉

 『昭和天皇』が、昨年のピュリツァー賞を受賞するほど米国で評価された理由は何か。ウエッツラーさんの著書は、解釈論争以外の問題を考えるヒントにもなりそうだ。

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