評者・原武史 (明治学院大学助教授・近代政治思想史)
『東京新聞』 2003年1月5日
戦争指導者の側面を描く
資料を駆使し描く

 一昨年、米国でピュリツァー賞を受賞した話題の本の全訳である。上巻は誕生から日中戦争まで、下巻は日中戦争から死去までの昭和天皇の生涯が、さまざまな資料を駆使して描き出されている。その努力には敬意を表するが、評者とは見解を異にする部分が多いことも事実である。

 一例をあげよう。

 著者は、一九二一年に当時皇太子だった昭和天皇が訪欧した際に、英国のジョージ五世から君主制の危機を乗り越えるための儀礼の重要性を学んでいたとする。これは鋭い指摘である。当時、大正天皇は体調を崩しており、皇太子は帰国後に摂政になることが予定されていた。「大正」から「昭和」への転換は、昭和天皇が姿を見せ、天皇を主体とする儀礼を頻繁に開き、「国体」を可視化してゆくことにあった。

 しかし、著者は「昭和天皇は時とともに、国民の前に姿を現すことが少なくなった」とし、敗戦後の伊勢、京都訪問を機に「以後も巡幸を続けようと決意」したとしている。これは間違いだし、せっかく英国の君主制からの影響を指摘しているのに、それが天皇制をどう変容させてゆくかという問題につながらないことに違和感を覚えた。

 著者がもっばら考察の対象とするのは、支配される「国民」ではなく、支配する政府の側から見た天皇の動きである。しかもその動きは、戦争指導者としての側面だけが肥大 化してとらえられている。ビックスの描く天皇像がすべて問違っているとまでは言わない。だが、文章には学者にあるまじき性急さが目立ち、一般受けを狙ったような単純な像を作り上げている印象は否めない。

 一九四五年三月の段階でも、「日本中を戦場とすることで日本は有利となると考えていた」とする幣原喜重郎を引き合いに出しながら、根拠もなしに「おそらく昭和天皇も同じ考えであった」といちいち一言付け加えずにはいられない著者の傾向が、本書の学術的価値を貶めている。

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