評判記 上田紀行
読売新聞社 2003年1月26日

 天皇をめぐる本が話題だ。ハーバート・ピックス著『昭和天皇』(講談社)とピーター・ウエッツラー著『昭和天皇と戦争』(原書房)が相次いで出版された。ドナルド・キーン著『明治天皇』(新潮社)、原武史著『大正天皇』(朝日新聞社)に続く、天皇の伝記作品だが

 「昭和天皇の戦争への関与」に焦点を合わせた刺激的な著作だ。特に前者は、昭和天皇に戦争責任ありとの立場を明確にして、二○○一年のピュリツァー賞を受賞し、日本でも上下巻あわせて十万部を超えるが、既にその内容に批判が続出している話題本だ。

 しかし実際に読み始めるとピックスの『昭和天皇』は面白い。ここで描かれるのは、政治家や軍部の操り人形ではなくむしろ彼らを積極的に導く、強力なリーダーとしての天皇である。天皇は鋭い質間を皆に浴ぴせ、自ら決断する。私のような戦後生まれの多くが持つ「無力で実権なき平和主義者としての天皇」というイメージは打ち砕かれる。この本だけを読めぱ、多くの人々は、目から鱗だろう。

 だが、より客観的なウエッツラーの『昭和天皇と戦争』を読むと、ビックス本がかなり強引な著作だということが分かってくる。史料が欠けた部分を独断的な解釈で補い、何が何でも天皇を断罪しようとする。こんな本がどうしてピュリツァー賞なのか、とも思えてくる。しかし、ウエッツラーにしても、天皇は一貫した平和主義者ではない。実は内外の専門家たちの間では、昭和天皇の戦争政策への多大な関与は既に常識なのだ。それが天皇個人の責任なのか、システムの責任なのかは措いておくにしても。

 にもかかわらず、国民の多くは昭和天皇を、終戦の英断を下す実権を持ちつつ、戦争には関与しなかった無力な平和主義者だと思っている。"昭和天皇本"の出現は、その温度差にこそ根源がありそうだ。教科書問題等とも通底する、極めて現代的な政治問題なのだ。(文化人類学者)

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