評者 評論家 松本健一
『週刊朝日』2003年1月24日

 昭和天皇、というのが邦訳タイトルであるが、原題は、「ヒロヒト」である。この原題そのものに、著者の八−バート・ビックスが昭和天皇を政治的主体である「個人」として扱おうとした意思が明らかにみてとれよう。

 その意思は、原題のヒロヒトに付された「近代日本の形成(メイキング・オプ・モダン・ジヤパン)という添え書きをみれぱ、より一層明らかになる。つまり、天皇ヒロヒトは、戦争もふくめて近代日本をこのように「作った(メイキング)、それゆえその作為の責任を「個人」として負わなけれぱならない、というのである。

 こういったビックスの意思は、個人主義のうえに成り立っている欧米社会や、個人主義に馴れ親しんできた戦後の日本人には、きわめて分かりやすい論理として映った。それが、本書をして一昨年のピュリッァー賞を受賞せしめ、日本でも多くの読者を獲得した理由にちがいない。

 わたしなどは「天皇はいわぱ神輿である。民族がかついでゆくままにかつがれる」(拙著『昭和最後の日々』)と考える。しかし、ビックスはこういう天皇制論にはげしく対立する。たとえぱ、ヒロヒトが「独裁的天皇制の枠組みにおける単なる御輿」であり、「軍部のあやつり人形」にすぎなかった、という見方に挑戦する、と。

 いやこれは、著者のビックス以上に、訳者たち(吉田裕監修)の意気込みのありようを物語っているのかもしれない。ビックスの原文に「フィギュアヘッド(船首像・名目上の頭首)』とある言葉を、わざわざ「神輿」と訳しているのだから。

 それはともかく、ビックスは明治以後の天皇制国家の影の部分を、すべてヒロヒト「個人」の責任に還元してゆく。−ヒロヒトは明治天皇の「先例」、つまり天皇機関説的な位置づけをこえ、対外政策を転換させ、しだいに「領土の拡大と戦争への情熱にとらわれていった」、と。

 分かりやすいといえば、これ以上分かりやすい図式はない。あの戦争のいっさいの責任は昭和天皇「個人」にある、というのだから。しかし、本書に引用された多くの文献にもかかわらず、昭和天皇が「領土の拡大と戦争への情熱にとらわれていった」という断定は、ビックスひとりの想像であり、先入観にすぎない。

 たとえば、日本軍の侵略戦争のみならず毒ガス使用も天皇に責任がある、というのがビックスの考えである。「多くの欧米人、アジア人にとって日本の侵略戦争は蛮行と捕虜虐待を意味した。それは無慈悲で残忍な日本人という、固定観念をつくり出すものでしかなく、けっして忘れられることはなく許されることもなかった。このような残虐行為の背景には中国への国際法の適用を拒む陸軍の存在があり、国際法が実効牲を持たなかったことについては天皇にも責任があった。……さらに昭和天皇は毒ガスの使用について直接的な責任がある。……『日華事変』が全面戦争となる前、すでに天皇は化学兵器の要員と装備を中国に送ることを裁可していた」

 この論理は、毒ガスも昭和天皇が「独裁的天皇制」のもとで裁可していた作戦であるから、いっさいの責任は天皇にある、というに等しい。そういう批判をするなら、三笠宮(=若杉参謀)のように、「日華事変」は日露戦争や大東亜戦争のように天皇が開戦の詔勅のもとにおこなった戦争でないから、いっさいの責任は独走した陸軍にある、と反論することも可能である。

 要するに、ビックスの論理は、昭和天皇が現実政治の上で天皇機関説に立っていた事実は採用せず、あの戦争はヒロヒト「個人」の独裁のもとにおこなわれた、という想像へと還元するものなのである。それゆえ、天皇は政治的主体性としての「説明責任」(アカウンタビリティ)をはたしておらず、「現代の君主のなかでもっとも素直ならざる人物のひとり」だ、と断罪するのである。

Herbert P Bix=1938年、米国生まれ。ニューヨーク州立大学教授。三十年にわたり日本近現代史に関する著述活動を行う。二○○一年まで一橋大学大学院教授。

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