★作者不明の謡曲「谷行(たにこう)」 金春禅竹(こんぱるぜんちく 1405-1471?)の作か? ↓ Arthur Waley(1889-1966)による脚本の英訳 The No plays of Japan,London,1921 (日本語の原本とかなり違う自由訳※) ↓ (翻案) ★Bertolt Brecht(1898-1956)の戯曲 Der Jasager. Der Neinsager(1930) ↓ ★ブレヒト研究会「イエスマン、ノーマン」 岩淵達治による日本語訳 ↓(京劇風の演出) ★京劇研究会「イエスマン、ノーマン」(1994/2010) ※後述の「台本比較」も参照。また参考論文に張偉雄「「谷行」と「黄鳥」から見る アーサー・ウェイリーの訳文の変容」がある。 |
![]() 「イエスマン」少年・師・四人の弟子 (C)Kyougeki Kenkyuukai,1994 |
教育劇はドイツ語で「レールシュテュック」と言う。 「観客を教育する劇」という意味ではない。 自分が上演に参加し、人生を擬似体験することで世界を見直し、新たな発見を得るための芝居を「教育劇」と言う。 ドイツ語の「レーレン(lehren 教える)」には潜在的に「レルネン(lernen 学ぶ)」という意味も含まれる。 そのため、レールシュテュックはむしろ「教材劇」「学習劇」と訳したほうがよい、という意見もある。 レールシュテュックの英訳も「ラーニング・プレイズ(learning-plays 学ぶ芝居)」と「ティーチング・プレイズ(teaching-plays 教える芝居)」が併存している。 もし、教師が、ある思想なり道徳観を生徒に押しつけるために芝居を演じさせるとしたら、それは最も「教育劇」の趣旨から遠い行為である。 教育劇は、その趣旨からいって、演者もまた「観客」を兼ねる。 すなわち、教育劇は観客をかならずしも必要としない。 教育劇は、演者と観客の境界線(boundary between actor and audience)を意図的に取りはらった実験的な演劇形式でもある。 参考 岩淵達治訳『ブレヒト戯曲全集』第8巻(1999)p.402 |
![]() ![]() ![]() 「イエスマン」(C)Kyougeki Kenkyuukai,1994 |
日本語京劇「ホラティ人とクリアティ人」 原作はブレヒト。1992年「麻布演劇市」にて。 後列右が筆者。 ![]() 詳しくはこちらの頁。 拙著『梅蘭芳 世界を虜にした男』(2009)の「あとがき」で書いた 千田是也先生の思い出は、この公演のときのこと。 |
![]() ![]() ![]() 「ノーマン」 (C)Kyougeki Kenkyuukai,1994 |
![]() 「ノーマン」合唱隊 (C)Kyougeki Kenkyuukai,1994 |
コラム ブレヒト劇の「根っこ」となった、広場の絵解き師の歌 筆者(加藤)の独断と偏見によれば、「イエスマン ノーマン」の本質は、東洋の古い「少年殺し」事件をあつかったモリタートである。 昔のドイツには、ベンケルゼンガー(Bänkelsänger)と呼ばれた大道歌手がいた。彼らは、実際にあった殺人事件や戦争、災害などの事件を、歌物語にしたてあげ、手にもった棒で絵を指しながら歌い、聴衆を楽しませた。伴奏には手回しオルガンが使われた。ベンケルゼンガーは、昔の日本の読売(瓦版売り)や演歌師と同様、縁日など人の集まる広場で絵解き歌を歌い、物語の内容を刷った紙や冊子を聴衆に売っ日銭をかせいだ。特に人気があったのは殺人事件を生々しく語る歌で、そうしたジャンルの歌はモリタート(Moritato)と呼ばれた。ベンケルゼンガーの歌は、登場人物の立場になって直接話法的に歌う代言体的な部分と、語り手として事件を客観的に説明する叙事体的な部分からなる。ベンケルゼンガーは、歌のなかで登場人物を演ずるが、同時に自分が語り手であることを忘れず、登場人物の行動を批評し、物語から教訓を引き出すのである。 ブレヒトが提唱した「叙事詩的演劇」という発想の根底には、ベンケルゼンガーが歌ったベンケルザング(大道歌)の影響があると言われる。(市川明編『ブレヒト 詩とソング』所収、「シンガーソングライター、ブレヒト」参照) |
能「谷行」 流派ごとに差異がある | ブレヒト劇 | クルト・ヴァイル版 | 加藤版(案) |
---|---|---|---|
松若(子方) | Knabe 少年 | ボーイソプラノ | 娃娃生or(武)小生 |
松若の母(前シテ) | Mutter 母親 | メゾソプラノ | 老旦or青衣 |
師阿闍梨(ワキ) 小先達(ワキツレ) | Lehrer 師 | バリトン | (武)老生or(武)浄 |
山伏(ワキツレ) 山伏(立衆。5〜7人) | 1.Student 弟子1 | ボーイソプラノ orテノール | 生(武生or武小生) |
2.Student 弟子2 | ボーイソプラノ orテノール | 旦(武旦or花旦) | |
3.Student 弟子3 | ボーイソプラノ orバリトン | 浄(武浄or正浄) | |
−− | 丑(武丑or文丑) | ||
地謡 | Grosser Chor 合唱隊 | コーラス | 幇腔・龍套・検場 (三役を兼演) |
役行者(後シテツレ) 伎楽鬼神(後シテ) |
![]() ![]() 「イエスマン」(C)Kyougeki Kenkyuukai,1994 |
能「谷行」原文(下掛宝生流)
ワキ これは都東山、今熊野に住居する客僧にて候。さても某稚き弟子を一人持ちて候。名をば松若と申し候。かの者父には後れ、母一人に候ほどに、不便に候ひて常は里に置き候。また明日は、峰入を仕り候間、立ち越え松若に暇乞をせばやと存じ候。 いかに此の内へ案内申し候。 | Waleyの英訳
TEACHER I am a teacher. I keep a school at one of the temples in the City. I have a pupil whose father is dead; he has only his mother to look after him. Now I will go and say good-bye to them, for I am soon starting on a journey to the mountains. (He knocks at the door of the house.) May I come in? |
Hauptmannによる重訳
DER LEHRER Ich bin der Lehrer. Ich habe eine Schule in einem Tempel in der Stadt. Ich habe einen Schüler, dessen Vater tot ist. Er hat nur seine Mutter, die für ihn sorgt. Ich will Jetzt zu ihnen gehen und ihnen Lebewohl sagen, denn ich begebe mich in Kürze auf eine Reise in die Berge. Er klopft an die Tür des Hauses. Darf ich eintreten? |
Brechtの「Neinsager」
DER LEHRER Ich bin der Lehrer. Ich habe eine Schule in der Stadt und habe einen Schüler, dessen Vater tot ist. Er hat nur mehr seine Mutter, die für ihn sorgt. Jetzt will ich zu ihnen gehen und ihnen Lebewohl sagen, denn ich begebe mich in Kürze auf eine Reise in die Berge. Er klopft an die Tür. Darf ich eintreten? |
田中千禾夫訳 先達 (橋がかりの途中で)ここにいるわたしは、京都今熊野に住む修行僧である。さてわたしは幼い弟子を持っておるが、名は松若と言い、父親に先立たれ、母親ひとり。だからかわいそうで、ふだんは親の家においてある。でわたしは、大和、葛城の山深く入る修行をするので、これから行って松若に別れを告げたいと思う。 (道を歩き、松若の家の玄関にたどり着く)ごめんください。 | 拙訳 先生 私は教師だ。都の寺で学校を開いてる。うちの生徒に、父を亡くして、母親に女手一つで育てられた子がいる。私はまもなく山へ旅に出かけるので、彼らにさよならを言いに行こう。 (家のドアを叩く)入ってもよろしいかな |
(意味内容は、Waleyによる英訳とほぼ同じ) |
岩淵達治訳 師 私は教師だ。町に学校を開いている。生徒のうちに父親のない子がいる。彼の親身のものは母親ひとりだ。これから彼らのうちへ出かけて、別れを告げてこよう。私はまもなく、山に旅に出るのだ。 (扉をたたく)入ってもよろしいかな。 |
参考【能『谷行』原文・別本】 これは今熊野、[木那]の木の坊に帥の阿闍梨と申す山伏にて候。さても某、弟子を一人持ちて候が、かの者の父、空しくなり、母ばかりに添ひて候。また某は近き間に峯入を仕り候程に、暇乞の為に只今出京仕り候。いかに案内申し候。(廿四世観世左近、檜書店版) |
参考【岩淵達治訳「ブレヒト研究会」上演台本(補綴済み)】 私は教師で、この町に塾を開いています。生徒のうちに早く父をなくし、女手ひとつで育てられた子供がいる。これから出かけて、別れを告げてこようと思います。私はまもなく、山へ研修旅行に出発します。苦難に耐え、心や体を鍛えるためです。(扉をたたく)入ってもよろしいかな。 |
能「谷行」 田中千禾夫訳 | ブレヒト「イエスマン」 岩淵達治訳 |
先達 急いだので早いもの、もう葛城山の一の岩室に着いた。今夜はここで泊まることにしよう。 | 師 急いで登ってきたものだ。ここに最初の小屋がある。そこで少し休もう。 |
小先達 道理でございます。 | 三人の弟子 そういたします。 |
先達 まず、こうおはいり。 | |
松若 (はいり)あのう、お話があります。 | 少年 先生にちょっと申し上げることが。 |
先達 なんだね。 | 師 なんだね? |
松若 途中から寒気がするようです。 | 少年 気分が悪いんです。 |
先達 待った。この旅に出たからには、かりそめにもそんなようなことを口には出さぬもの。それは、ふだんしつけない旅をした疲れだろう。なんでもあるまい。 (松若、先達の膝を枕にして横になる) | 師 待て。そういうことはこういう旅では、言ってはいけないのだ。きっと登り坂に慣れていないので、疲れたのだろう。ちょっと立ち止まって休みなさい。 (師、壇に上がる) |
【地謡】 葛城山の名も高き、役の優婆塞(えんのうばそく)まのあたり、来現も孝行ゆゑ。あらありがたやの御事や。 もとより衆生一子にて、もとより衆生一子にて、愛愍(あいみん)あれば親心、仏の慈悲にかくばかり、今顕(あら)はさん待てしばし、使者の鬼神の伎楽伎女(ぎがくぎにょ)よ、とくとく参拝、申すべし。 【後ジテ登場。地謡】伎楽鬼神(ぎがくきじん)は飛び来たり、伎楽鬼神は飛び来たつて、行者のお前に膝まづいて、首(コーベ)を傾け仰せを受けて、谷行に飛び翔けり、上に蔽(おお)へる土木磐石、押し倒し取り払つて、上なる土をばはらはらと静かに翻(かえ)して彼(か)の小童(しょうどう)を、恙(つつが)もなく抱きあげ、行者のお前に参らすれば、行者は喜悦の色をなし、慈悲の御手に髪を撫で、善哉善哉(ぜんざいぜんざい)孝行切なる、心を感ずるぞとて、則ち師匠に与へ給ひ、帰らせ給へば伎楽も共に、御先(みさき)を払つてさがしき路を、分けつくぐつつ登るや高間の雲霧つたふ(ツトー)や葛城の、人の目にこそかからざれどもまことは渡せる岩橋を、大峯かけて遙遙(はるばる)と、大峯かけて遙遙と、虚空を渡つて失せにけり。(留拍子)(野上豊一郎『解註・謡曲全集』第五巻、昭和26年版、中央公論新社より。原文総ルビ) |
土台にしたメロディーは京劇『九江口』で名優の袁世海が張定辺を演じて歌った「心似火燃・・・」の一段(原曲のMIDIファイルは[D調]と[C調])である。 |
この異化を有効に生かすためには、メロディーよりこういうシュプレヒゲザングのほうが聞き取りやすいのだ。(中略)これまで見逃されてきたのは、詩形の部分にシュプレヒゲザングや朗誦形式が用いられることが多いということだ。デッサウやアイスラー、ワーグナー=レーゲニやBEの座付き作者だったホザラ(Hans Dieter Hosalla)の音楽を担当した作品は、すべて台詞、ソング、詩の朗詠調もシュプレヒゲザングの三つのレベルを意識して区分して使っている。(中略)デッサウの作曲のない詩型の部分は台詞でもソングでもない別の語り口で上演すると、上演時間の三分の一は短くなるうえに分かり易くなる。 ──以上、岩淵達治「ブレヒト劇とかかわった日本の作曲家たち」より引用(市川明編『ブレヒト 音楽と舞台』pp170-171) |
ヴァイルの版権がべら棒に高いのは有名だが、ヴァイル以外の作曲家デッサウ(Paul Dessau)、アイスラー(Hanns Eisler)などがブレヒトの劇につけた音楽も、使うと版権が高いのだろうと勝手に思い込んで日本の作曲家に依頼するケースが多かったが、ヴァイル以外の作曲家の場合は、何を何回上演しても楽譜貸出し料として一律3万円ほど払えば済んでしまう。それに気がついたのはブレヒトの演出をやりだして四年ほど経ち、演出協力という形で千田是也先生と『肝っ玉』のモデルブック通りの上演をしたときであった。俳優座だから高い版権料も払うのだろうと思っていたら、デッサウの作曲したソングのみならず、音楽伴奏譜(いわゆる劇伴)もすべて送られてきて、それを全上演一括して3万円ほどで使えることが分かった。それ以後私は、予算の少ない自分のブレヒト上演は、ヴァイル以外の作曲の場合はすべて台本の版権をとると自動的に付帯されてくる原曲を使うことにした。 (岩淵達治「ブレヒト劇とかかわった日本の作曲家たち」、市川明編『ブレヒト 音楽と舞台』2009年,p.163より引用) |
【蛇足】 非営利の学生演劇も著作権料を支払う必要があるのか? 著作権法の第38条1項によると、役者がノーギャラで入場無料なら、著作権料を支払う必要はありません。
でも実際問題として、チケット代2千円〜3千円ていどの小劇場などは、ほとんどが赤字覚悟の公演です。もし仮に黒字になっても、「もうけ」とは言えない微々たるものです。 そういう小劇場的な舞台上演については「著作権料を払ってくれなくてもいいですよ。ご自由にどうぞ」と公言する気前のよい著作権者も、昔はけっこういました。 しかし近年の傾向として、小劇場にも「上演料を払ってください」とシッカリ要求する著作権者や団体が、増えています。 脚本や楽譜の使用料として請求される金額は、著作権者によってまちまちですが、相場は1万円から3万円ていどです。昔とちがい、今はインターネットが普及してます。子供の観客ですら、自分のブログに芝居の感想を写真つきでアップする時代です。もし著作権者に連絡せず「もぐり」で上演しても、すぐに情報をキャッチされるでしょう。 知的財産の保護は大切です。でも、行き過ぎも問題です。 ![]() 著作権法の第38条1項の条文をすなおに読むかぎり、ふつうの学校演劇では、著作権者に上演料を払う必要はありません。 しかし実際には、法律とは関係なく、学校演劇にも5千円ていどの脚本使用料を請求する著作権者や演劇団体が、多数派になりつつあります。 こうした問題についてご興味のあるかたは、[2008-08-20[高校演劇と上演許可]高校演劇の上演料は、なぜ5000円なのか?]とか、[ネコにもわかる知的財産権──音楽や演劇に関わる権利]などのサイトをご覧ください。 【蛇足の蛇足】 私は大学1年生の秋(1983)、「駒場祭」の「文三劇場」で、筒井康隆作の戯曲『12人の浮かれる男』の上演に参加しました。 自分のセリフとか、「俺たちゃあ、陽気な、陪審員〜!」「出てくる被告は、みんな有罪さ!」という歌は、今も部分的に覚えています。 著作権料は……誰か払ったのかなあ(^^;; 2009年12月10日放送のTV番組「ビーバップ! ハイヒール」(こちら)に 出演したとき、筒井康隆先生と初めてお会いしました(上の写真)。 上演から26年後にして、やっと著作者にご報告し、「事後承諾」を得ることができました。 ようやく肩の荷がおりました(^^;; |