★作者不明の謡曲「谷行(たにこう)」 金春禅竹(こんぱるぜんちく 1405-1471以前?)の作とされるが、真相は不明 ↓ Arthur Waley(1889-1966)による脚本の英訳 The No plays of Japan,London,1921 (日本語の原本とかなり違う自由訳※) ↓ (翻案) ★Bertolt Brecht(1898-1956)の戯曲 Der Jasager. Der Neinsager(1930) |
「阿弥衆」といっても、一般には通じないかもしれない。だが、観阿弥や世阿弥、さらに作庭家の善阿弥といえば、高校の日本史教科書にも出てくるので、なじみがあるだろう。能の世阿弥については、多くの研究書や紹介本があるが、世阿弥と時衆(「時宗」という表記は江戸期から)との関係については、ほぼ記されていない。
1960年代に能研究家の香西精(こうさいつとむ)氏によって、世阿弥が奈良の曹洞宗寺院(補巌寺(ふがんじ))で出家し、至翁善芳(しおうぜんぽう)という出家名を持っていたことが発見された。このことで、今日まで、「世阿弥と時衆との関係」については、一件落着のように思われてきた。だが、すでに時衆の先駆的研究者であった金井清光氏が鋭く批判していたように、「世阿弥」という名称は、彼の死後50年も経ってから現れた名前で、生前の伝書では、「世阿」か「世阿弥陀仏」である。
旧著(『一遍と時衆の謎』)でも検討を加えたが、今回の新著では、「○阿弥」と名乗る「同朋衆」という足利幕府の職制は、世阿弥の生きた時代にはまだ存在していなかったことに焦点をあてた。三代将軍足利義満の周囲にいたのは、義満に近侍した高位の武家の出家者(遁世者、「○阿〈弥陀仏〉」と名乗る時衆)のみであって、後の同朋衆のような仕事にはついていない。「世阿」は、足利義満が与えた「阿号(正確には○阿弥陀仏だが、略して○阿で阿号という)」だが、時衆としての「阿号」は、『時衆過去帳』にある「来阿弥陀仏(観世三郎)」だろうと思われる(梅谷繁樹氏の推定による)。
さらに同朋衆の祖型は、戦場におもむいて治療を施し、最後の十念をさずけ、遺骸を葬り、遺言や形見の品を遺族に届ける時衆の「陣僧」であった。彼らは「連歌や和歌」の達者でもあり、それが武将たちに「賞翫(しょうがん)される」同朋となった要因でもあった。
じん‐そう ヂン‥【陣僧】
[名] (「じんぞう」とも) 中世、武士とともに戦場へ赴き、臨終の念仏を勧めたり、菩提をとむらったりする僧。主に時宗の僧がつとめた。また、文筆の用をしたり、敵陣への使者となることもあった。
※足利季世記(1487‐1569頃)三好記「かの法師を陣僧に作り、廻状を書て彼の陣に送りける」
第1世代 | 観阿弥(かんあみ 1333―1384) 大和猿楽(やまとさるがく)の役者で、息子の世阿弥とともに能を大成した。 |
---|---|
第2世代 | 世阿弥(ぜあみ 1363?―1443?) 観阿弥の息子。日本の美学の古典『風姿花伝』(ふうしかでん)の作者 |
第3世代 |
音阿弥(おんあみ 1398−1467) 世阿弥の弟の息子。3代目観世大夫。 観世元雅(かんぜ・もとまさ ?ー1432) 世阿弥の息子。若くして死去。 金春禅竹(こんぱる・ぜんちく 1405-1471以前?) 世阿弥の娘婿。一休宗純(一休さん 1394-1481)の同時代人。 |
残暑を乗り切るには、美味しい食べ物と楽しい会話が効果抜群ですね! 昨夜、高橋秀華様のお招きで、お茶の水の明治大学の近くで会食。1枚目の写真の奥の2人の女性は高橋様(赤い服)と大森様(白い服)。手前の2人の男性は金春憲和様と私(加藤徹)。 pic.twitter.com/pmCegHZIDi
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) September 15, 2024
原文 | 現代語訳 |
---|---|
藤若暇候はば、いま一度同道せられ候べく候。一日は美わしく心空なる様になりて候し。わが芸能は中々申すに及ばず、鞠・連歌などさえ堪能には、只者にあらず候。なによりも又顔立ち、振風情ほけほけとして、しかもけなわ気に候。かかる名童候べしとも覚えず候。源氏物語に、紫の上のことを書きて候にも、眉のあたりけぶりたると申したるは、ほけて、優のある形にて候。同じ人を物に譬へ候に、春の曙の霞の間より樺桜の咲きこぼれたると申したるも、惚けやかに、しかも、花のある形にて候。歌も連歌もよきと申すは、かかり面白く、幽玄なるを上品にはして候なり。(中略) | 藤若に暇があったら、もう一度、お連れ下さるようお願いします。先日は、藤若は端正で、私はすっかり夢中で心が空っぽになってしまいました。本職の芸能はわざわざ申すまでもなく、蹴鞠や連歌にまで優れている点を見ると、ただ者ではありません。何よりもさらに素晴らしいのは、藤若の顔立ちや振る舞いの風情は、こちらがぼうっとしてしまう感じで、他よりも格段に優れています。このような名童がいるでしょうとは信じられません。源氏物語に、紫の上のことを書いていますのにも、眉のあたりが美しいと申しているのは、こちらがぼうっと魅了され、優美な容貌であります。同じ紫の上を物にたとえますのに、春の曙の霞の間から樺桜の咲きこぼれていると申しているのも、見ているものをぼうっとして、さらに華やかな風情であります。歌も連歌も素晴らしいと申すのは、風情が面白く、幽玄なのを上品にしてみせるのです。 |
将軍様賞玩せられ候も理りとこそ覚え候へ。得がたきは時なりとて、かようの物の上手も折を得候こと、難き事にて候に、逢ひに逢ひて候事不思議に覚えて候。(中略) | 将軍様(足利義満)が藤若を賞玩しなさいますのももっともだと思います。得がたいのはタイミングでありまして、このような技芸に優れているのも時機があっておりますことは得がたい事でありますのに、ぴったりと重なりに重なっていますのが、不思議に思われます。 |
相構相構此間に同道候べく候。埋木に成り果てて身の何処にか心の花も残りてんと我ながら覚えて候。此状、やがて火中に入候べく候なり。 | どうかどうか、こちらにお連れくださいませ。このような埋もれ木のような年齢になり果てて、一体、自分のどこに、心の花が残っているのだろうと我ながら思います。この書状はすぐに火の中に入れていただきますようお願いいたします。 |
【原漢文】太和楊黼、辞親入蜀、訪無際大師。遇一老僧、問所往。 黼曰「訪無際」。僧曰「見無際、不如見仏」。黼曰「仏安在」。僧曰「汝但帰、見披衾倒屣者、即是也」。黼遂回。一日、暮夜抵家、釦門。其母聞声、甚喜、不及衫襪、遽披衾倒屣而出。黼一見、感悟、自此竭力孝親。年八十、誦偈而逝。 【訓読・書き下し】太和の楊黼(ようほ)、親を辞して蜀(しょく)に入り、無際大師を訪ねんとす。一老僧に遇ふ。往く所を問ふ。黼曰く「無際を訪ぬ」と。僧曰く「無際を見るは、仏に見(まみ)ゆるに如かず」と。黼曰く「仏、安(いづ)くに在りや」と。僧曰く「汝、但だ帰れ。衾(きん)を披(き)て屣(し)を倒(さかしま)にする者を見れば、即ち是れなり」と。黼、遂に回る。一日、暮夜に家に抵(いた)り、門を釦く。其の母、声を聞き、甚だ喜び、衫襪(さんべつ)に及ばず、遽(にはか)に衾を披て屣を倒にして出づ。黼、一見して感悟す。此より力を竭(つく)して親に孝たり。年八十にして偈(げ)を誦(じゅ)して逝く。 【訳】明(みん)の時代の話。太和(現在の雲南省太和県)の人、楊黼(ようほ)は、熱心な仏教信者だった。彼は親と別れ、はるばる蜀(現在の四川省)の地に入った。高僧である無際大師のもとに行く途中、一人の老僧に会った。「どこへ行くのかね?」「無際さまをお訪ねしに行くのです」「無際に会うより、仏陀にお会いするほうがよいぞ」「仏陀は、どこにいらっしゃるのですか」「家に帰りさえすれば、会えるよ。身にふとんをまとって、足に履き物を逆にはいているのが、仏陀だ」。そこで楊黼は、家に戻ることにした。ある日、家に着いて門を叩いた。もう夜だった。彼の母親は寝ていたが、息子の声を聞いてびっくりし、嬉しさのあまり、シャツや靴下を身につける余裕もなく、身にふとんをまとって、足に履き物を逆にはき、パッと飛び出してきた。それを見た楊黼は、ハッと悟った。その後、彼は力を尽くして親孝行につとめ、八十歳のとき偈(げ)をとなえながら亡くなった。 【注】楊黼・・・明の時代の民間の学者。『明史』巻二百九十八・列伝第一百八十六・隠逸に伝を載せる(原漢文は中国語版ウィキソースのこちらの頁)。 無際大師・・・唐の時代の高僧・石頭希遷(せきとう きせん、700年-790年)の諡(おくりな)だが、ここでは、明の時代の高僧・無際(1385年-1446年)を指す。四川省各地の寺を遊歴して人々の信望を集め、最後は北京で示寂(じじゃく)した。 衾・・・かけぶとん 屣・・・サンダルのような履き物 倒屣・・・「倒屣相迎」に同じ。 (参考 中国の簡体字と繁体字による原漢文の表記) (繁体字)太和楊黼,辭親入蜀,訪無際大師。遇一老僧,問所往。 黼曰:「訪無際。」 僧曰:「見無際,不如見佛。」 黼曰:「佛安在?」 僧曰:「汝但歸,見披衾倒屣者,即是也。」 黼遂回。一日,暮夜抵家,扣門。 其母聞聲,甚喜,不及衫襪,遽披衾倒屣而出。 黼一見,感悟,自此竭力孝親。 年八十,誦偈而逝。 (簡体字)太和杨黼,辞亲入蜀,访无际大师。遇一老僧,问所往。 黼曰:「访无际。」 僧曰:「见无际,不如见佛。」 黼曰:「佛安在?」 僧曰:「汝但归,见披衾倒屣者,即是也。」 黼遂回。一日,暮夜抵家,扣门。 其母闻声,甚喜,不及衫袜,遽披衾倒屣而出。 黼一见,感悟,自此竭力孝亲。 年八十,诵偈而逝。 |
蔡志忠氏の『マンガ 禅の思想』は名著だ。『徳育古監』別名『感応類鈔』:太和楊黼、辞親入蜀、訪無際大師。遇一老僧、問所往。 黼曰「訪無際」。僧曰「見無際、不如見仏」。黼曰「仏安在」。僧曰「汝但帰、見披衾倒?者、即是也」。黼遂回。・・・ https://t.co/ygD57kRVZr pic.twitter.com/ijl4G1kgny
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) May 6, 2022
参考 「示現」と『谷行』の「衆生一子」について 『和英対照仏教聖典』(仏教伝道教会、平成26年第1352版)より引用 |
---|
p.67 仏はただ仏として現われるだけでなく、あるときは悪魔となり、あるときは神のすがたをとり、あるいは男のすがた、女のすがたとして現われる。 p.66 Buddha does not always appear as a Buddha.Sometimes He appears as an incarnation of evil, sometimes as a woman, a god, a king, or a statesman; sometimes He appears in a brothel or in a gambling house. p.491典拠:法華経第3、普門品 |
cf.普門品 fumonbon =観音経 kannonkyoo =妙法蓮華経 觀世音菩薩 普門品 第二十五 みょうほうれげきょう かんぜおんぼさつ ふもんぼん だいにじゅうご 具足神通力 guu soku jinnzuu riki 広修智方便 koo shuu chii hoo ben 十方諸国土 jippoo shoo koku doo 無刹不現身 muu setsu fuu gen shin |
p.65 この仏はすべての人びとの父母である。子が生まれて十六か月の間、父母は子の声に合わせて赤子のように語り、それからおもむろにことばを教えるように、仏もまた、人びとのことばに従って教えを説き、その見るところに従って相(すがた)を現わし、人びとをして安らかな揺らぎのない境地に住まわせる。 p.64 Buddha is both father and mother to the people of the world. For sixteen months after a child is born the faher and mother have to speak to him in babyish words; then gradually they teach him to speak as an adult. Like earthly parents, Buddha first takes care of the people and then leaves them to care for themselves. He first brings things to pass according to their desires and then He brings them to a peaceful and safe shelter. p.491典拠:大般涅槃経(だいはつねはんぎょう) |
★遠藤周作の小説『沈黙』。隠しテーマは顕現と示現。
映画化は、
1971年の篠田正浩監督の日本映画『沈黙 SILENCE』
2016年のマーティン・スコセッシ監督の米国映画『沈黙 -サイレンス-』(Silence, 2016 film, directed by Martin Scorsese)
・日本語版予告動画 https://youtu.be/0cUtOR-DL1A?si=yc7sYW2n8XnMK5wN
・英語版予告動画 https://www.youtube.com/watch?v=IqrgxZLd_gE
★レフ・トルストイの創作民話(短編小説)「愛あるところに神あり」別名「靴屋のマルチン」
典拠は、『新約聖書』マタイ伝・第25章31節−40節。「まことに汝らに告ぐ、わが兄弟なる此等のいと小き者の一人になしたるは、即ち我に爲したるなり」
https://ja.wikisource.org/wiki/マタイ傳福音書(文語訳)
英訳「欽定訳聖書」 https://en.wikisource.org/wiki/Bible_(King_James)/Matthew#chapter_25
【授業用 資料】自分の著作から自分で引用します。加藤徹『漢文力』中公文庫 ISBN-13 : 978-4122049024 より。
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) May 17, 2024
「示現と顕現」「宗教と迷信の違い」「遠藤周作『沈黙』」「トルストイの民話『靴屋のマルチン』」 pic.twitter.com/Y43erNkvku
土屋恵一郎『能、ドラマが立ち現れるとき』(角川選書、 2014/1/24)より引用
p6-p7 「能」という言葉は、世阿弥(ぜあみ)がその言葉を使うまでは、かならずしも芸能の一つのジャンルをあらわす言葉ではなかった。世阿弥は「申楽(さるがく)」とい う言葉も使っているが、ジャンルとしては、「猿楽の能」「田楽(でんがく)の能」というものがあって、「能」という言葉は芸能のさまざまな領域につけられていて、むしろ身体芸をあらわす一般名詞であった。それを、世阿弥は自分たちの「申楽」に固有な芸能の名称にしたのである。 (中略) 世阿弥は(中略)近年のポップカルチャー批評の用語を使えば、第一次作品群である「文学」を、世阿弥は「能」という身体芸のうちに解体・再構築して第二次作品群としての能の作品群を作ったということができる。 世阿弥を中心とする能作家たちの先進性は、この第二次作品群としての「能」を作るために、能独自の装置を考案したことにある。つまり、「文学」をそのまま身体芸のうちに物語として導入したのではない。能という装置のうちに解体して、再構築しているのだ。 それがどのように行われたのかを、この本は分析する。映画やアニメ、コミック、ゲーム、フィギュアにおいて今日までつづく物語の解体、複製、再構築の歴史上の出発点に立ち戻って、その革新的手法を分析したい。 p237 能は、世界の演劇のなかでも、もっとも子供の問題に関心をもった演劇であった。『丹後物狂』だけでなく、多くの能の作品が、子供を中心においている。女物狂は母と子の問題であるからわかりやすい。それ以外にも、やはり子供が中心にいる場合が多い。 |
土屋恵一郎『能 現在の芸術のために』(新曜社、1989年)p.209-p.210
能を現在の芸術として考えてみるということは、けっして、能の歴史と伝統を無視するということではない。逆である。能と世阿弥のことを追っていくと、そこに見えてくるのは、世阿弥がいかにはっきりと「現在」のものとして能をとらえていたかということである。世阿弥にとって伝統というものはそもそも存在しない。いつでも、ここで今、ということが問題であった。その「現在」の試練に耐えうるものでなければならかった。そのことが、能の劇作術に革新をもたらし、その身体論に具体的なイメージと思想をあたえることになった。安定した人気にすらたよることのできないものであった。たとえ名人芸であろうとその芸になれてしまえば観客はあきてしまうことを知っていた。だからいつもあたらしさが問題であった。テキストも芸もあたらしくなければならない。観客の感覚をそのあたらしさによって蘇らさなければならなかったのだ。 この過酷な試練によって能は「現在」の芸術となった。世阿弥の時代から六世紀をへてなお能がその生命を維持できているとするならば、その「現在」の試練に耐えようとする者たちが、つねに能の表現を更新してきたからである。 |
上記の引用文のうち「物語の分析」云々はナラトロジーのこと。 ←「「文学」をそのまま身体芸のうちに物語として導入したのではない。能という装置のうちに解体して、再構築している」 「映画やアニメ、コミック、ゲーム、フィギュアにおいて今日までつづく物語の解体、複製、再構築の歴史上の出発点に立ち戻って、 その革新的手法を分析したい。」)。 ★用語 ナラティブ narrative > ナラトロジー narratology (日)物語論/物語学 (中)叙事学/叙述学 (韓)서사학 「ナラティブ」は「ストーリー」とは異なる意味合いの文芸理論上の用語である。 英単語 narrative の意味は、ネット辞書 https://eow.alc.co.jp/search?q=narrative などを参照のこと。 文芸理論の学術用語としてのナラィブの意味は、ネット辞書の https://kotobank.jp/word/ナラティブ-590017 を参照のこと。 ナラトロジーとは、何を(what)、どのように(how)物語る(ものがたる)かを分析し、考察する学問のこと。言語芸術のみならず、視覚芸術や、芸術以外の人間の営為も研究対象にできる。 以下、ネット記事、本田哲也「最近よく聞くキーワード「ナラティブ」についての理解が深まるナラティブ関連本おすすめ5選」2022年6月3日 10:21 閲覧日2022年11月25日) より引用。 個人的に納得したのが、経験の編集作業をナラティブと呼ぶとしたところだ。 本書【やまだようこ『ナラティヴ研究ーー語りの共同生成』2021年、 ISBN 978-4788517035】の中の言葉を借りると、ナラティブを「経験を組織化し、意味化する行為」と定義している。 人間は一般的に自分の判断で人生を歩み、それぞれに経験があるけれど、その経験が編集される行為がナラティブということだ。 だから、一人ひとりにその人なりのナラティブがある。 |
能楽「谷行(たにこう)」(15世紀) | エヴァンゲリオン(20世紀) | |
---|---|---|
作者 | 金春禅竹(?) こんぱる・ぜんちく 1405〜? | 庵野秀明(監督) あんの・ひであき 1960〜 |
通過儀礼 Initiation | 稚児→山伏 | 人類補完計画、 (中二病,14歳) 「おめでとう」 |
母胎回帰 | 入山、谷(女性器の象徴)への投げ込み、 「衆生一子」 | L.C.L、エヴァの秘密 私に還りなさい…(「魂のルフラン」) |
BLテイスト | 松若(稚児)と師(山伏) | シンジと渚カヲル |
示現 | 役行者、伎楽鬼神 | 使徒、エヴァ |
少年 | 松若 母子家庭 | シンジ 父子家庭 |
母親 | 前シテ(母)→後シテ(伎楽鬼神)※ | ユイ→エヴァ初号機 |
機械仕掛けの神 Deus ex machina | 伎楽鬼神 | 「アヤナミリリス」(旧劇版)![]() |
言葉遊び |
[Arthur Waley訳『谷行』の脚注] Footnote:Here follows a long lyric passage describing their journey and ascent. The frequent occurrence of place-names and plays of word on such names makes it impossible to translate. (脚注: 原文ではこのあと彼らの旅と登攀を述べた長い詩が続く。地名や地名をもじった言葉遊びが頻出するため、翻訳不可能である。) |
・Evangelion → angel(天使。エヴァでは「使徒」)が入っている。 ・使徒 → shito hito(ヒト。人類)が入っている。 ・TV版第24話「最後のシ者」(1996年3月13日放送) 英語タイトル The Beginning and the End, or "Knockin' on Heaven's Door" シ者 → 使者≒使徒 渚カヲル → 「シ者」「オワリ(終わり)」オ→カ ワ→ヲ リ→ル 渚は「海でも陸でもない境界領域」→【旧劇場版】や映画『シン・レッド・ライン』(The Thin Red Line 1998)のラストシーン |
2020年10月18日(日)「覇王別姫〜能楽と京劇 日中ユネスコ無形文化遺産の融合〜」南青山の銕仙会能楽研修所にて。不肖・加藤徹が前説を担当させていただきます?? 満員御礼。当日券も。「コンテンツグローバル需要創促進事業費補助金」採択で後日、動画配信。詳細は https://t.co/vguHqHUqqb pic.twitter.com/aauzAQmqQ9
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) October 15, 2020
「中国文学研究者の目から見た謡曲『邯鄲』の魅力についてのメモ」([htm] [PDF])より自己引用 ■鐘嗣成(1279?〜ー1360?)『録鬼簿』序の言葉 人之生斯世也、但知以已死者為鬼、而未知未死者亦鬼也。酒甕飯嚢、 或醉或夢、塊然泥土者、則其人雖生、与已死之鬼何異。(下略) 人の斯(こ)の世に生くるや、但だ、已(すで)に死せる者を以て鬼と為すことを知るのみ。而も未だ、未死者も亦(ま)た鬼なることを知らざるなり。酒(しゅ)甕(おう)・飯嚢、或は醉ひ或は夢み、塊然として泥土たる者、則ち其の人は生くると雖(いへど)も、已死(いし)の鬼と何ぞ異ならん。 この世で生きている人は、すでに死んだ者が幽霊(鬼)であることを知っているだけで、まだ死んでいない者もまた実は幽霊であることは気づいていない。酒がめと飯袋のような人、酔って夢みて、土くれのかたまりであるような人は、生きていても、すでに死んだ幽霊と何の違いもない。 |
「天鷹戦士」に関する記録は少ない。中国のアニメファンたちがネットに投稿している情報を統合すると、元になったのは1995年から日本で放映されたTVシリーズ。 この映像を広東省のテレビ局が購入すると、東北部・遼寧省にある「遼寧人民芸術劇院」が中国版への加工を担うことになったという。 なお、テレビシリーズを広東省のテレビ局が買ったとされるが、この時日本側の同意を経ずに香港などから購入したのでは、との指摘もある。 (中略) しかし、難解な設定や言葉が頻繁に登場するうえ、中国では厳しく禁止されていた性的な描写やグロテスクなシーンはすべて取り除く必要がある。 当局の審査を合格するまでに切り詰めに切り詰めた結果、生まれたのが「天鷹戦士」なのだ。 ちなみに「エヴァンゲリオン」は通常中国語で「福音戦士」と書く。 なぜ当時「天鷹」とされたかは判然としないが、宗教的なイメージを避けたのではという推測もされている。 ■早く奇跡を起こせ 数々の困難を乗り越え、「天鷹」は2001年に中国のテレビ画面に登場する。 しかし、待っていたのは中国の「エヴァ」ファンからの大ブーイングだった。 血液が噴き出すなどの描写はもちろん、性的な要素のあるパートは大きく加工ないしはカットされ不自然な出来になったからだ。 (中略) しかし、なぜここまで不評だったのか。 中国でのアニメ関連のイベントなどを手がけ、現地のサブカルチャー事情に詳しい北京動卡動優文化傳媒有限公司の峰岸宏行さんは、2001年の放送前から「エヴァ」がある程度中国に浸透していたことが背景にあると指摘する。 「当時から中国には、カットされていない海賊版が出回っていましたし、何より雑誌の影響力が大きかったのです。エヴァのスタッフやキャスト、それに物語の背景を特集した記事などは多くあり、改変後のおかしさに気づく事が出来ました」 (中略) またエヴァの魅力とも言える部分も、結果的に大きく削がれてしまったという。 「コンテキスト(文脈)を読み解くという深いことはしていませんでした。作品全体が何を伝えたいか、ではなく、ヒーローが世界を救うという事象しか見ていないのだと思います。性的描写も物語上、意味があったのですが、全て削除されてしまいました」 (中略) 「中国の検閲は当時よりも厳しくなっています。元々、当局が保守的なことに加え、性描写やグロテスクなシーンにクレームを入れる人も増えている事が背景にあります。共産党にとっては“全ての人が見られる”ことがいい作品の条件です」 中国のテレビでは、2021年2月から国営放送・CCTVで清水茜さん原作の「はたらく細胞」が放送され「異例中の異例」と話題になった。 姿を大きく変えながらもテレビデビューを果たした「天鷹戦士」は、実は偉大な先駆者なのかもしれない。 |
![]() セフィロトの樹と M-Style誌(2015.4) |