卒業生便り

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工業化学科2期生として駿河台に学び駿河台で卒業した世代です。生田キャンパスへは卒業時に駿河台からの引越しの手伝いで来たのが最初ですが、まさに白亜の殿堂ともいうべき建屋を見て、ここで学べる後輩諸君を羨ましく感じたことを覚えています。それから約40年後に教える立場で母校に戻り、今度は研究施設の充実に驚きを感じました。
私の在学中には大学院は設置されていなく、また分析関係の機器も数えるばかりでした。それが40年後に戻ってみると、Ⅹ線回折計、原子吸光光度計などの無機分析機器、赤外や紫外分光光度計、NMR,GC-MSなどの各種有機分析機器が所狭しと並んでおり、まさに隔世の感です。
これも大学当局、学科の先生方の長年の努力のお陰と思います。建物は40年も過ぎており、外見上は老朽化が目立ちますが、それに反比例して研究環境が充実し、多くの論文が発表され、多数の博士が誕生できたことを、OB,OGの皆さんと一緒に喜びたいと思います。
 応用化学科の新しい建屋もができます。これで教育・研究環境はさらに良くなります。
今後、100年、150年完成し、明治の応用化学が永遠に続くよう、ご支援いただければと思います。またOB教員の一人として、その責任を痛感しています。

著者

応用化学科の前身である工業化学科は1960年に工学教育の重要性から、当時お茶の水校舎にあった工学部に増設されました。その後工学部拡充計画で工学部は生田キャンパスに移転し、1989年工学部に理系3学科が加わり理工学部に改組し、その後工業化学科は応用化学科に発展的に改称しました。これが50年に渡る応用化学科の歩みです。その間に卒業生は六千人を超え、社会の第一線で活躍しています。正に日本経済を発展させ支えてきた創設時から七回生までの卒業生の多くはすでに定年を向かえています。
 この度応用化学科が50周年を迎えますが、現在建築計画中の応用化学科の新校舎が完成した暁に記念式典とホームカミングを開催し、お祝いすることは大変喜ばしいことです。この節目を卒業生、教職員、関係者の皆様とともに祝い、来る60周年、いや100周年に向けて更なる学科の充実と発展を切に願い、新たなスタートにしましょう。

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2年ほど前に大阪で松原研究室出身で私と同じ会社に入社した大阪在住の後輩二人(昭和47年3月、昭和50年3月卒業)と何年かぶりに晩飯をともにしました。その後その二人より母校を訪問したい旨の連絡を受けたので私は倉田教授にも久しぶりに会いたかったこともあり教授を訪ねて状況を説明し快諾を受けました。 その折に教授より来年は応用化学科の50周年記念行事がある予定で現在企画を検討している最中だとの話がありました。
 明大校友会の活動が在住の千葉県船橋地域でも行われており時折参加して新たな仲間が出来ていますが対象が全学部である為なんとなく交遊の充足感に物足りなさを感じていました。
 今回このような行事があることを知り、これをきっかけに応用化学科出身者の集まりが体系的に構築出来たら出身者にとっても、学校にとっても有益なことと思っています。都合の付く方は是非今回の行事に参加して頂き新たな絆作りの出発としたらどうでしょうか。
 今回の私の後輩二人の母校訪問希望も応用化学科の絆の一端と思っており、母校訪問を考えている出身者は他にも多くおられることと想像しております。
 先ずは日ごろの仲間とともに行事に参加して絆の輪を広げようではありませんか。

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応援してまーす!
 2010年に我が応用化学科が50周年を迎え、また、時を同じくし化学科の新校舎が完成しました。
私は、1977年に卒業し、以来消火剤の専門会社で頑張っています。最近、応用化学科の3年生に自分の経験を踏まえながら、働くことや会社の在り方などについて話す機会がありました。
拙い話ではありましたが、後輩達は一生懸命耳を傾けてくれ、自分の学生の頃よりも優秀に育っていると思いました。
このような教育環境を維持し、今後も多くの後輩を育てて行くには節目である50年を振り返り、更なる発展を支援することが必要だと思います。

著者

振り返れば日本の戦後復興の高度経済成長期、1960年(昭和35年)4月のスタートから半世紀50年、社会発展の基盤を担う種々の分野に多くの化学技術者を輩出し続けて来ました。その人数は優に5,000名を超えています。当初は工業化学科の名称で発足しましたが、工学部が2006年に教育・研究内容を一層充実すべく理工学部に変容すると同時に、応用化学科となり時代の求めるカリキュラムへ脱皮しました。
 この記念すべき年を更に飛躍のステップとする、新たな化学棟も完成しました。このように時代と共に実績を刻んできた化学科の歴史に温故知新の言葉を重ねつつ、応用化学科の発展を新たな時代へつなげるために、多くの同窓生が参加してくださることを念じています。

著者

私は2005年度卒業の工業化学科としての最後の卒業生になります。卒業後 は応用化学科として新たに生まれ変わった学科へと進学することとなり、幸運にも工業化学科から応用化学科へ時代が変遷してい くまさにその瞬間に立ち会うことが出来ました。2011年春には学び舎も新たに生まれ変わりました。
、学科設立以来50年間、諸先輩方が築き上げて来られた伝統は受け継がれ、襷はまた次の世代へと引き継がれています。学科の節目を迎えるにあたり 皆様それぞれが過ごした思い出のキャンパスを懐かしんでみてはいかがでしょうか。私も一人のOBとしてこの50周年記念行事を 応援しています。応用化学科が素晴らしい節目を迎え、そして今後、益々発展していくことを期待して卒業生一同一丸となって応援しましょう。

著者

早いもので私が工業化学科を卒業して27年になります。
先日、久々に母校生田校舎を訪れましたが立派な校舎が建ち圧迫感を感じるほどで校内の風景が当時と随分変わってしまっていた ことに驚きました。
当時は古い建物(部室等)もまだ残っており、のどかな感じがしたことを覚えております。私が学んだ研究室は当時とほとんど変わっていませんでした。ホットしました。
現在私は校友会町田支部の幹事を務めています。母校の校友会は毎年持ち回りで各都道府県で総会を行っており開催地の知事等が挨拶するほどの一大イベントとなっています。
校友会組織としては日本一しっかりしているということです。また、最近リクルートが調査した「高校生に聞いた志望したい大学」ランキングでは関東地方で1位となり、非常に喜ばしく思っております。
我が母校明治大学のますますの発展と今後、これを期に化学科の輪が大きく広がることを願っております。