卒業生便り

交差点

会員の「情報交換の場」としてご利用ください。
同期会、クラス会、有志のゴルフコンペなどあらゆる情報を事務局までお寄せいただければ広報委員会にてHPへ掲載いたします。

投稿原稿募集

明治応用化学会広報委員会では、皆様からの投稿原稿を募集しています。

① 「化学の泉」では、水素をキーワードとして、水素にまつわるどんなことでも良いですから原稿をお寄せください。

② 皆さんの趣味について原稿をお寄せください。ゴルフ、テニス、絵画、など

趣味について、どんなことでも結構です。 投稿の際は、卒業年度、出身ゼミ、氏名を書いてください。

成竹会(懇親会)開催報告

竹内名誉教授を囲む2019年度成竹会(懇親会)が2月15日に開催されました。
 参加者は21名で昨年度よりやや少なめでしたが、幹事社 東海カーボンの新井さんに懇親会をユーモアたっぷりの言い回しで進行して頂きましたので、楽しい一時を過ごすことができました。
 竹内先生はご挨拶の中で、「最近は皆さんのお話がハッキリとは聞こえなくなっておりますが、このような近く(新百合丘)で開催して頂けるのであれば、もう少しは皆さんとお会いすることができるかと思います」と話しておられました。またその後何人かの近況報告がありましたが、それらを聞き逃すまいとする先生の姿勢は、昔と変わることがないように感じました。
 私も近況報告する機会を得ましたので、数年前より竹内先生から承っておりました「成竹会懇親会開催」について、恐れ多くも竹内先生を前にしてその趣旨を下記のように代弁致しました。
「成竹会として竹内研卒業生の方々の絆が保たれていることに感謝しております。しかし、私(竹内先生自身)の年齢もあり、懇親を深める会合への出席も体力的に負担を感じるようになりました。また、家内(奥様)の健康状態も芳しくないので自宅をあけるのは心配です。教え子である成竹会の皆さんとお会いできるのは大変うれしいのですが、是非、成竹会の皆さんと相談して今後の成竹会についてお考え下さい」
 そして、上記の竹内先生のご意向について皆様のお考えをお聞かせ頂きたいと思います、と呼びかけ、私の話を閉じました。

今回の懇親会には、遠路静岡県の湖西市から中村光宏ご夫妻が自家用車で来られ、終了後は泊まらずに帰路につかれました。遠くから有難うございました。
 今回は東海カーボンの方々に幹事を務めて頂きましたが、その後の反省会の折に、竹内先生と鈴木先生のお話に違いがあったけれど、どっちが本当なの?と問いかけられました。返事に困りましたが、竹内先生ご自身の心が揺れ動いているのだろうと推測しました。いずれにしても幹事の皆様、大変有難うございました。

追伸
竹内先生は今年のホームカミングデーを大変楽しみにされていますので、事業委員会の皆さんは、忘れずにご招待ください。

成竹会(懇親会)開催報告1

「貴家研究室OB会」が開催されました

工業分析化学の貴家研究室OB会(明貴会)が、令和元年12月21日(土)13時より市ヶ谷のホテルグランドヒル市ヶ谷B1「桂の間」で開催されました。本年度は2期生から17期生まで13名が集い、語らい、大いに飲み、食し、高らかに校歌を斉唱しました。

「貴家研究室OB会」が開催されました

ラグビー早明戦 観戦記
― 祝 対抗戦全勝優勝 ―

12月1日、ラグビー対抗戦Aグループの早明戦の応援に、昭和55年工業化学科卒業の同期5人と秩父宮ラグビー場に行ってきた。
 ここまで明治、早稲田の両チームは共に6戦全勝で、25年ぶりの全勝対決となった。前評判では明治が有利であったが、試合はやってみないとわからない。昨年の早明戦は、開始早々にトライ・ゴールを決められ、終盤に猛追したものの一度もリードすることなく惜敗した。
 そこで立ち上がりを心配していた。案の定序盤は早稲田に自陣(明治の陣地)に攻め込まれる時間帯が続いたが、堅いディフェンスで相手に得点を許さない。
 その後攻勢に出て、15分過ぎには箸本がトライし、山沢のゴールも決まって7点を先取した(反対側のエンドでの攻防なので、肉眼では誰がトライしたのか、その背番号すらわからなかったが…)。前半中盤にトライ・ゴールを返されたが、終盤にPGを決めて、リードして前半を終えたのが良かった。
 後半は明治が圧倒。FW戦で優位に立ち、FWが攻撃のラインに参加してトライを重ねて早稲田を完封。正に今年の流行語大賞に輝いた『ONE TEAM』で、終わってみれば36:7の圧勝だった。
 昨年の反省から、酒とつまみを買い込んで出かけた。試合開始時刻の1時間以上も前に観客席に着いたので、キックオフ時にはすでに缶ビールを1本空けていた。その後も飲み続け…。僕らの周囲は明治の学生や卒業生ばかりだったので、得点の度に大いに盛り上がり、また酒も旨かった。
 その後場所を御茶ノ水の居酒屋に移しての祝勝会。試合のビデオを見ながら、話題はもちろん今日のラグビー一色。
この調子を維持して大学選手権を勝ち上がり、二連覇を達成して欲しいものだ。

参加メンバーは、篠宮、塩野、鎌田(貴家研)、内海(倉田研)、髙久、髙橋(竹内研)でした。

ラグビー早明戦 観戦記1 ラグビー早明戦 観戦記2

(鎌田氏、高久氏写真提供)

吉野 彰 先生 ノーベル化学賞受賞 おめでとうございます

吉野 彰先生におかれましては、2011年11月19日の明治大学理工学部応用化学科創設50周年記念式典では、記念講演をしていただき、かつ懇親会にまでご出席していただきました。同日、明治応用化学会が発足したことを思い起こせば、応用化学科並びに明治応用化学会が吉野 彰先生との繋がりがありましたことは光栄でございます。
ここに改めてお祝いを申し上げます。

吉野 彰 先生 ノーベル化学賞受賞おめでとうございます

2019年10月9日 、旭化成名誉フェロー吉野彰先生がノーベル化学賞を受賞されました。このニュースが流れてからすぐに、数名の明治応用化学会のメンバーから「50周年の時、記念講演して頂いた吉野先生だよね」という確認の連絡を頂きました。そこで改めてここに報告しお祝いを申し上げたいと思います。
 2011年11月19日理工学部応用化学科創設50周年記念式典と記念講演会が2003教室、2004教室で行われました。この時吉野先生には、「リチウムイオン二次電池の開発経緯と将来展望」という演題で講演をして頂きました。先生は基礎研究と応用研究の大切さを熱く語られ、「ブレークスルーの糸口は常に材料だった」と振り返られ、将来展望として電気自動車の給電技術がワイヤレス化を目指していることに触れ、今後の開発に期待を込められていました。
 当時から吉野先生は、ノーベル賞に一番近い研究者と言われていました。
ここに改めてお祝い申し上げます。

令和元年度「工業化学科10期 同期会」が開催されました。

「令和元年度 工業化学科10期 同期会」が6月8日(土)13時より、新橋の新橋亭新館8階で開催されました。
ご来賓に中村名誉教授をお招きし、21名の懐かしい仲間が集い、旧交を温めました。

工業化学科10期 同期会

EV化その後

昨年の暮れに、「パリ協定とEV化」を投稿してから、EV化の情報には気を付けていました。この度石油学会の機関紙PETROTECHが8月号、9月号と連続して「電気自動車普及で国内のエネルギー供給はどう変わるのか?」を連載しました。また8月22日の読売新聞には、「EV充電器 日中共同開発へ」が報道されました。そこでこれらの文献から簡単にEV化その後を紹介したいと思います。
 先ず、PETROTECHでは座談会という企画で専門家達がいろいろな角度から討論しています。初めにEV(Electric Vehicle)をどのように定義するかということで1つ目は、エンジン車とHV(Hybrid Vehicle)、PHV(Plug-in Hybrid Vehicle)までを広義のエンジン車、EVとFCV(Fuel Cell Vehicle)を広義のEV車とする考え方。2つ目は、PHVを含めてEVとする考え方があります。各国がそれぞれの言い方をしているため、まだ定義があいまいです。各国の車の販売台数等には注意が必要です。
 昨年は7月に、イギリス、フランスが2040年にガソリン、ディーゼル車の販売禁止というニュースが流れ、EV化シフトといわれました。2017年の世界でのEV販売シェアは、PHVを含めて1.1%と言われています。 その内訳は、およそ50%が中国、15%がアメリカ、5%がノルウェー、日本が4%となっています。昨年も述べたように、EV化シフトには各国の政治的、経済的な思惑があります。座談会ではEV化が急速に進むためには、バッテリーの長寿命・大容量・急速充電につながる技術革新が必要であり、特に全固体電池の開発、非接触充電の技術開発が重要であるとしています。そして2030年頃が転換期かと想定しています。
 日本だけを考えると、ガソリン車、HV、PHV、EVの順で進行していくのではないでしょうか。政府の販売目標は以下の表のとおりで、2030年頃に転換期があるか否かという状況でしょう。

2020~2030年の乗用車車種別販売政府目標 PETROTECH 9月号 Page 673

結局、日本においてEV化のメリット、デメリットを考えたとき、現在のガソリン車で十分に排出規制をクリアしており、早急にEV化へ急ぐ状況はないのではと感じました。私事になりますが、今日産のノートe-POWERに乗っています。ガソリンエンジンは発電専用として、駆動は100%モーターとするハイブリッド車です。量販グレードにおいて34.0km/Lの低燃費を達している車です。以前はブルーバードに乗っていたのですが、明らかにガソリンの消費量が違います。次に8月22日の読売新聞によると、「EV向けの急速充電器について、日本と中国の業界団体が、次世代規格を統一することで合意した。さらに2020年をめどに、10分以下で充電できる機器の共同開発を目指す」と報じています。 日中で規格を統一すると、世界シェアの9割になるということです。
 上記の座談会でもありましたが、中国のほとんどの人がガソリン車に乗ったら、石油消費量が増えて世界は大変なことになるため、中国はあの手この手でEVに乗せることを考えているようです。
 これからもEV化への情報には気を付けたいと思っています。

出所 PETROTECH VOL.41 NO.8 p.586~598 2018
PETROTECH VOL.41 NO.9 P.672~682 2018
読売新聞、8月22日 朝刊 2018

「工業化学科10期 同期会」が開催されました。

「平成30年度工業化学科10期 同期会」が、7月7日(土)13時より新橋の新橋亭新館6階で開催されました。
 本年度も同期会幹事長・藤井雅則さんの呼び掛けに17名の懐かしい顔が集い、旧交を温めました。

工業化学科10期 同期会

「サピエンス全史を読んで」 その後サピエンスは?

今年も半分以上が過ぎ、サピエンスはその後どうなったでしょうか?
 ホモ(ヒト)は属名をサピエンスは種を表し、ホモ・サピエンスは、賢いヒトとなることは既に述べました。ここではホモ・サピエンスをサピエンスと呼びます。現在化石人類ということになると約25種存在した、と言われていますが最後に残ったのは我々サピエンスだけです。サピエンス全史では、認知革命があったからと考察していました。しかしサピエンスが生き残るときは、まだネアンデルタール人も存在していて、ネアンデルタール人が絶滅した理由については、いろいろな説があります。たとえばネアンデルタール人はサピエンスによって殺されてしまったとか、サピエンスの方が子沢山だったから、またその名のようにサピエンスは頭が良かったからとか諸説あります。
 どうして、なぜ、どうやってサピエンスが生き残ったのでしょうか。この半年の間に、興味ある情報が2件(小生の知る範囲で)ありましたので報告します。
 更科功著、絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか NHK出版新書  Voice、8月号、著者に聞く、「絶滅の人類史」p.240 PHP NHKスペシャル 「人類誕生」 3回の放送
 先ず更科功著ですが、私のような素人にとって、非常にわかり易く学術的な内容が記載されています。ここでは興味のあるなぜサピエンスが生き残ったのかについてのみ記述します。サピエンスが生き残ったとき、ネアンデルタール人がまだ存在していました。そして両者の共存期間は極寒の約7000年と、かなり短い間と言われています。どうしてネアンデルタール人は絶滅したのでしょうか。著書ではいろいろな可能性について記述されていますが、ここでは、Voice,8月号の著者に聞く、その一部を長くなりますが引用させていただきます。
 「私は大きな理由として、サピエンスが他の人類よりも痩せていたことが挙げられる、と考えています。サピエンスの体格は華奢で、そのために小食でもエネルギーが足ります。言い換えれば燃費が良い。サピエンスとネアンデルタール人が共に生きた時代は氷河期でした。つまり温暖なときよりも食糧が少ない時代で、獲物を捕まえるために動き回らざるを得ない。すると有利なのは燃費の悪いネアンデルタール人よりも、食料が少なくても生きることができ、動き回るのが得意な小さな体のサピエンスでした。だからこそ生き残ることができたわけです。 しかし、重ねて申し上げるとこれは「サピエンスが優れていた」ことを意味するものではありません。もし氷河期が訪れず、温暖で食料事情が豊かな時代が続いたとしたら、生き残ったのはネアンデルタール人だと考えられるからです。つまり、両者の運命を分けたのは種の優劣ではなく、どちらが当時の環境に適していたか、という点にすぎないのです。」更科談
 なぜ、どうしてサピエンスが生き残ったのか,という疑問に対していろいろな視点から解答を考えるものだなあ、と感心いたしました。近年の年代測定の進歩、DNA解析の進歩等により、正確な解答が得られてきているのでしょう。 小生が上記著書をまとめようとしているとき、タイミングよくVoiceが発売されました。そこで安易に引用で済ませてしまいました。詳しくは、上述の更科功著「絶滅の人類史」を読まれることを推奨します。
 次にNHKスペシャルですが、3週に渡り「人類誕生」が放送されました。
 第1回(第1集)は、「こうしてヒトが生まれた」 
 第2回(第2集)は、「最強ライバルとの出会いそして別れ」
 第3回(第3集)は、「ホモ・サピエンスついに日本へ!」   おおよその内容と感想は次のとおりです。
 多くの方が見られたのではないでしょうか。440万年前にアフリカに二本足で歩き始めた奇妙な生き物がいた。サルとヒトの特徴を合わせ持った生き物こそ人類進化の始まり。そして約20万年前に生まれたサピエンスはアフリカを旅立ち中東へ。そこで待っていたのはネアンデルタール人でした。最新のDNA解析によりネアンデルタール人とサピエンスが交配していたことが判明しました。サピエンスは極寒の中,大きな木を倒し,くり抜いて舟を作りました。必ず夫婦で舟に乗ったそうです。またヒトの骨で針を作って毛皮の着物を作りました。こうしてサピエンスは世界へ拡散していった。
 小生が一番興味を持ったところは、司会者の高橋一生さんには、ネアンデルタール人由来のDNA含有率が2.3~2.4%あるという点でした。ということは、私の体の中にもネアンデルタール人のDNAが、俄然ネアンデルタール人にも親しみを感じてきました。 先の更科著と合わせて考えると、サピエンスとネアンデルタール人はあるときは共生し、あるときは争って極寒を過ごしたのではないでしょうか。
 なぜ、どうやってサピエンスが生き残ったのかについては、放射性炭素による年代測定、ミトコンドリアDNA解析の精度の向上によってこれからもより明確な答えが期待されそうです。
 なおさらに情報を持ちの方は、是非投稿してください。待っています。

猛暑の夏8月1日

宮沢賢治に魅せられて

私は、宮沢賢治の故郷に近い東北出身です。賢治の作品に多く出てくる訛りを、注解なしで、微妙な言い回しを理解できる。言わば、シェクスピアを原文で読めるようなものだ。又、幼いころ、我が町では、塾が無く、補習は、もっぱら日蓮宗の寺子屋でした。授業に入る前、必ず唱和するのは、[雨にも負けず、風にも負けず]でした。今でも鮮明に覚えている。
 賢治の作品には、交響楽のような独特の音を奏でる、語彙が多く出て来る。「風の又三郎」の冒頭は、「どっどど どどうど どどうど どどう、青いくるみも吹きとばせ すっぱい かりん もふきとばせ どっどど どどうど どどうど どどう」良く知られているベートーベンの第九と第五を連想させる。「風の又三郎」の作品は昭和6年ごろ、私の小学生時代で、時代には差があるが、生活環境が似ているので、比較しながら、その当時の記憶を辿ることにする。
 小学校の校舎は木造で、木枠の窓があり、強い風が吹くと「ガタガタ」鳴り、雨が降ると、窓のレール、廊下に雨水が浸み出し、その水を拭き取る作業は、日常茶飯事でした。校庭は、校舎の割に、「ダダ広く」表面は手入れが行き届かないので、風が吹く度に「つむじ風」が土埃を上げ、校庭を横切る。この作品では、登校時は、「生徒は土手沿いに進み、校庭を横切り学校に来た」とある。多分土手に沿って、北上川の支流が流れていたと推測する。私の中では、小学校での勉強した記憶より、もっぱら野山での遊んだ記憶が、圧倒的に多い。
 高田三郎は、9月1日 二百十日台風の季節に、北海道から転校して来た。田舎の小学校は、少人数で転校はほとんど稀で、他からの転校なので、大変珍しく、文化の違い、言葉の違い等、好奇心も相まって、一挙手一投足注目されたと思う。 三郎の井出たちは「鼠色の上着・白い半ズボン・赤い革のハン靴・顔は熟したリンゴの様で、眼はまん円でまっ黒、髪は赤い」と何とも異様だったので、尚更である。この地域は、奥羽山脈の和賀岳山麓、中間山地に位置し、栗、野葡萄、茸等「山の幸」が豊富に採取できる。 しかし気候・土壌の関係から稲作には向かず、粟、蕎麦、現在は少なくなったが煙草の栽培に向いている。この作品でも又三郎が知らないで、煙草の葉をむしり、一郎に注意される場面がある。

 ①甘いものが少ない中、野葡萄は特に貴重な果物だった。 栽培している葡萄より小粒で、甘すっぱい美味しいのが特徴です。 野葡萄を食べると、口が紫になるが、本人は気づかず、相手の口を見て初めて異様さに気付く。 「お互いの口を見て、笑い転げた」と、私の体験から想像する。
又 栗も良く取れるが、まだ9月初旬は、栗が熟しておらず、毬が割れていないので、実は白く、柔らかだが、美味しくない。 

 ②この地域は競走馬の産地でした。
作品には、放牧した馬を操る遊びが記されている。 又三郎はみんなと違って馬を扱った経験がないので、戸惑ってしまう。挙句の果てには平原で迷子になる始末でした。 当時、岩手県は盛岡競馬・花巻競馬・水沢競馬と競馬が盛んで、競走馬が多く放牧されていた。水沢競馬場は現在でも地方競馬場として残っている。 ちなみに花巻の近く雫石に農林畜産を目的の「小岩井牧場」がある。

 ③川での水泳について。
季節は九月なので、「川の水が、かなり冷たかったのではないか」と思う。 「唇が紫、わくわく震えた」とある。 
白い石を川に投げて、それを拾う遊びは、私も行った。 水の屈折率で、近くに見えるが、それを取るには、なかなか届かず、難しかった記憶がある。 兎に角川は奇麗だった。その河原で、「町の祭りのときのガスのような匂い」と記されているが、アセチレンガスの匂いだ。 境内で行われる祭では、電気が無いので、照明にアセチレンガスが使用される。 このガスは、きつい匂いがし匂いが消えるまでには長時間かかる。 その匂いと推測する。 

そんな楽しい生活も終わりが近づく。又三郎は、お父さんの仕事の関係で、突然 北海道に帰ってしまう。 「どっどど どどうど どどうど どどう・・、」 学校が休みの風の強い日に転校した。一郎、嘉助が、登校した時、又三郎が来ていない事に気づいた。と言うのは、田舎の学校は共同体意識が強く、固い絆で結ばれているので、欠席、遅れが、すぐ判る。又三郎の転校が、学校中に知れ渡った時、衝撃が走ったと思う、教室が悲しみに包まれた事は、想像に難くない。そして生徒の心の中で、風が吹く度に、又三郎と短かったが一緒に過ごした楽しい思い出が蘇った事と思う。
 「風邪の又三郎」を読むたびに、幼いころの自分が、そこにあるような錯覚を感ずる。

「サピエンス全史」を読んで

45億年前に地球という惑星が形成されてから今日までを1年365日に置き換えた地球カレンダーをご存知と思います。我々のルーツであるホモ・サピエンスが東アフリカに誕生したのは20万年前で、地球カレンダーでは12月31日11時37分になります。地球の歴史から見るとつい最近の出来事になります。

「サピエンス全史」は、ホモ・サピエンス(賢いヒトの意、著者はサピエンスと呼んでいる)が地球上に現れてから、21世紀までたどってきた道のりを振り返り、将来を見据える大書(世界48か国で刊行されいる)と言われています。

正月に田舎の幼なじみから年賀状を受け取りました。そこには「サピエンス全史」を読んだよ、という一行が書かれていました。小生はというと、読まなければと思いながら、日本でもNHKをはじめ多くのマスコミで取り上げられており、読むのを先延ばしにして、積読でした。今回年賀状に触発され、とにかく読むことにしました。ここでは、詳細は書きませんが、著書の構成と概要、インパクトを受けた文章、感想等を書いてみたいと思います。

1)著書の構成と概要

第1部 認知革命
 約10万年前はサピエンス以外にも複数の人種がいたが、なぜサピエンスだけが生き残ったのか?。答えは認知革命です。約7万年前サピエンスは、想像力(空想的思考)、複雑な言語、意思疎通の方法能力を可能にしました。サピエンスだけが、虚構すなわち架空の事物について語れるようになったからです。

第2部 農業革命
 約1万年前に始まった農業革命によって、人の数が爆発的に増加しました。それは、これまでの狩猟生活から定住農耕生活により統合への道を歩み始めたからです。そしてその動きを加速させた原動力は、貨幣と帝国と宗教(イデオロギー)という三つの普遍的秩序だと主張しています。

第3部 人類の統一
 農業革命以降、人間社会はしだいに大きく複雑になり、社会秩序を維持している想像上の構造体も精巧になっていきました。こうして膨大な数の見ず知らずの人同士が効果的に協力できるようになりました。このネットワークのことを文化といいます。

第4部 科学革命
 約500年前、サピエンスは人類の運命だけではなく、おそらく地上のあらゆる生命の運命をも変えることになる科学革命をもたらしました。知識の追求には費用がかかります。したがって科学は、イデオロギーと政治と経済の力に影響されます。そして科学革命を契機に、資本主義経済や民主主義政治が出来上がってきました。

今やサピエンスは、自然選択の法則を打ち破り始めており、知的設計の法則をその後釜に据えようとしています。
 そして最後に、唯一私たちに試みられるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだと主張しています。私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれないと。この文章で著書を締めくっています。

2)インパクトを受けた文章を各部から一つだけ記述します。

第1部では、サピエンスはあらゆる生物のうちで、最も多くの動植物種を絶滅に追い込んだ記録を保持していた。私たちは、生物史上最も危険な種であるという、芳しからぬ評判を持っているのだ。(上)ページ100
 第2部では、平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。(上)ページ107
 第3部では、貨幣は相互信頼の制度であり、しかもただの相互信頼の制度ではない。これまで考案されたもののうちで、貨幣はもっとも普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ。(上)ページ224
 第4部では、ネズミやゴキブリは隆盛を誇っている。こうした強靭な生き物たちはおそらく、核兵器による最終決戦に煙の立ち上がる瓦礫の下から這い出てきて、待っていましたとばかりに自分のDNAを広めることができるだろう。(下)ページ183

3)感想

原書を見ていないのでなんともいえないのですが、おそらく翻訳が良いのでしょう。所々に注釈が加えられており、大変読みやすい文章でした。
 読み始めてすぐに、この著者の考え方の基本は、「虚構」にあることを意識しました。人類の歴史は虚構の上に築かれたものであるという主張です。しかしなかなか理解しがたく、疑問を抱えながら読み進めました。虚構は、伝説や神話だけではなく、国家や国民さらには人権や平等や自由までもが虚構だというから驚きです。そしてサピエンスは、こうした虚構を身に着けて地球を支配するようになったといいます。全くこれまで考えてもみなかった指摘に驚くばかりでした。と同時にこのような視点からも歴史を学ぶべきだと教えられました。
 科学革命の部は、時代が近いこともあって大変わかりやすかったです。ただ科学の進む方向として、帝国主義と資本主義の下で、科学と帝国と資本の間のフィードバック・ループが、過去500年にわたって歴史を動かす最大のエンジンだったと主張しています。しかしその前に、科学の進歩・発展には知識の探求と人類への貢献があるのだということを強調してほしと思いました。

最後にサピエンスの未来は、これまでの延長線上にはない、と断言している点には共感します。この文章を書いているさなか(2018.01.26)、「中国科学院からクローン猿の誕生に成功した」、とのニュースが流れました。これは著者が言うように、サピエンスは自然選択の法則を打ち破り、生物学的に定められた限界を突破し始めているからです。医療の分野への貢献のみなのか、それ以外も念頭に入れるのか、我々に選択を迫られている問題と思いました。同じようなことは、核開発の分野でも同様に考えなければなりません。
 (まだまだ書きたいことは沢山ありますが、文章にすることは大変です。そこで次の項の様な企画を考えました。)
 とにかくこのような著書に初めて出くわし、視野を広げなければとつくづく思いました。世界中で大きな反響を呼んでいることが理解されます。

「サピエンス全史」を語る会(仮称)を開きませんか?
 明治応用化学会のメンバーの中には、「サピエンス全史」を読まれた方が沢山いられると思います。個々に感想や意見等があると思われます。一度集まって思いを語りあいませんか。希望される方は、応化会の事務局にメールしてください。人数が集まりましたら、日時等を決め改めて連絡いたします。

明治応用化学会事務局のメールアドレスは、以下のようです。
chem50an@meiji.ac.jp

「貴家研究室OB会(明貴会)」が開催されました。

「貴家研究室OB会 」が、平成29年12月9日(土)16時より市ヶ谷のホテルグランドヒル市ヶ谷 B1「桂の間」で開催されました。本年度は、中村利廣先生の先端分析技術賞CERI評価技術賞・受賞並びに北野 大先生の秋草学園短期大学・学長就任のお祝い会も兼ね、2期生から18期生までのOB18名が集い、語らい、大いに飲み、食し、高らかに校歌を斉唱しました。

「竹内研究室 成竹会(OB会)」が開催されました。

「竹内研究室 成竹会(OB会)」が平成29年12月2日(土)登戸・柏屋にて開催されました。
今回の「成竹会」で第15回を迎え、竹内先生から現在の執筆活動や卒業生の近況報告など、楽しい時間を皆で過ごすことができました。

中村利廣先生が先端分析技術賞CERI評価技術賞を受賞されました。

中村利廣先生

中村利廣名誉教授は、 工業製品、地球・環境試料を対象としたX線回折分析・蛍光X線分析・固体直接原子吸光分析・放射能分析、GC-MS、そして環境分析用新規高機能標準物質の開発などの技術開発で多大な成果をあげられ、2017年度日本分析化学会 先端分析技術賞CERI 評価技術賞を授与されました。

(日本分析化学会: ぶんせき 2017 8 より)

2017年度「工業化学科10期 同期会」が開催されました。

「2017年度 工業化学科10期 同期会」が、7月8日(土)13時より新橋の新橋亭新館6階で開催されました。
 本年度は、ご来賓に中村利廣名誉教授をお招きし、22名の仲間が集い、旧交を温めました。

「寒川神社で八方除の御祈願」

平成29年2月4日(土)、相模一宮 寒川神社で明治応用化学会の有志5名が会の「八方除の御祈願」を受けました。

「貴家研究室OB会(明貴会)」が開催されました。

「貴家研究室OB会」が、平成28年12月17日(土)13時より浜松町のベイサイドホテルアジュール竹芝12階武蔵野の間で開催されました。2期生から17期生までのOB14名が久しぶりに集い,語らい、高らかに校歌を斉唱しました。

「竹内研究室 成竹会(OB会)」が開催されました。

「竹内研究室 成竹会(OB会)」が平成28年11月26日(土)17時よりホテルモリノ新百合ヶ丘 7階で開催されました。
竹内先生ご夫妻を囲み、26名が集い和やかな時を過ごしました。

「工業化学科10期 同期会」が開催されました。

「平成28年度工業化学科10期 同期会」が、7月9日(土)13時より新橋の新橋亭新館6階で開催されました。
 10期の同期会幹事長・藤井雅則さんの呼び掛けに本年度も20名の懐かしい顔が集い、旧交を温めました。

神奈川県の酒蔵紹介(最終回)

神奈川県の酒蔵紹介の最終回です。今回は、神奈川県のほぼ中央に位置する海老名市、ここにある泉橋酒造です。この酒蔵を知った経緯を述べてみます。
 私の勤務先である三機工業㈱は三井グループに属しています。三井グループでは人材交流の場として三井業際研究所を運営しています。三井業際研究所は、その名が示すとおり「業際」でして、三井グループ各社の多種多様な職種の方々の交流の場として活用され、グループ企業に有用なテーマを調査研究しています。私も何年か前に三井業際研究所に参加していました。ここでIHI(旧石川島播磨重工)のSさんと知り合いました。Sさんはお酒が大好きで、特に日本酒にはうるさい方でした。IHIでは護衛艦が進水すると、護衛艦の名前がラベルに印刷された日本酒を配るそうです。この日本酒の銘柄を決定する方がSさんでした。Sさんが選んだ酒蔵が、今回紹介する泉橋酒造です。
 この酒蔵は海老名市の相模川沿いにあります。付近にはマンションや物流センターなどがあって、酒蔵が有る雰囲気ではありませんが、田圃が有り結構田園風景が楽しめます。売店に入り、Sさんの話をしますと、蔵元ではSさんは有名人で、いろいろな話をしていただきました。
 この酒蔵の特徴は、お米にあります。使用するお米は、近隣の農家の協力を得て全て自家米です。そして造るお酒は全て純米酒です。何種類かのお酒を飲んでみましたが、それぞれとても美味しいです。泉橋酒造は、先に紹介した久保田酒造、熊沢酒造のように酒蔵を訪問して建築物の趣があるとか、レストランが併設しているなど、楽しみがあるような場所ではないと思います。従って、購入は泉橋酒造のホームページに記載されている、購入できるお店リストを調べられたらと思います。酒蔵の場所は国道246号線の下今泉交差点(本線は高架)より北に少し行ったところです。酒蔵の売店では味噌や醤油も販売していますので、お近くの方は訪ねても良いかと思います。
 神奈川県の酒蔵紹介は今回で終了です。最後までお読みいただき有難うございました。お楽しみいただけましたら幸いです。

田園からの酒蔵

田園からの酒蔵

酒蔵の裏手に広がる田園風景

酒蔵の裏手に広がる田園風景

神奈川県の酒蔵紹介(その2)

神奈川県の酒蔵紹介の2回目です。今回は私の地元、湘南にある熊沢酒造を紹介します。湘南といえば「海」のイメージで、そこに酒蔵があるとは想像できないかもしれませんが、この酒蔵は海岸から5~6kmほど内陸に入った場所にあります。茅ヶ崎駅からJR相模線の香川駅の近くです。裏手は相模原台地につながっていて、仕込み水は丹沢水系の伏流水です。
 この酒蔵は明治時代から続いていますが、私がまだ大学生の時は地元でもあまり知られていませんでした。ここ10数年ほど前からお酒がおいしくなり、地元でも人気が出てきました。銘柄としては「天晴(てんせい)」、「曙光(しょこう)」、「湘南」などがあり、高級品として「熊沢」があります。この酒蔵は生産量が少なく、神奈川県内でも購入できるお店はそう多くはありません。人気が出てきても生産量を上げないので、品質を保っていると思います。私のお勧めは「天晴」です。このお酒はさっぱり系ですが、しっかりした味のお酒が好みの方にも美味しくいただけます。また飽きの来ない味なので毎日の晩酌にも適しています。この「天晴」は酒屋さんではほとんど手に入りません。私の家からはけっこう近いので、自転車で酒蔵に行き、購入します。
 実はこの酒蔵、湘南ビールというブランドで地ビールも造っています。この地ビール、結構いけます。多少お高いですが、一度飲んでみる価値はあります。そして敷地内にイタリアンレストラン「MOKICHI TRATTORIA」、和食の「蔵元創作料理 天晴」、自家製パン屋さん「MOKICHI BAKER&AWEETS」があります。これらのお店は、いずれも敷地内にあるので、昔ながらの蔵や建物に囲まれてちょっと良い雰囲気です。お勧めはイタリアンレストラン「MOKICHI TRATTORIA」で、手頃なお値段でお酒、ビールと料理が楽しめます。意外と日本酒とイタリアンは合います。駐車場は広く、車が便利です。しかし、帰りの運転手の確保が必要となります。
 「熊沢酒造」で検索すると、イタリアンレストランや和食のお店、自家製パン屋さんの案内も出ています。一度ご家族でお出かけになってみてはいかがでしょうか。イタリアンレストランは飛び込みでも入れますが、結構待たされる場合があります。予約されたほうが良いと思います。 次回は最終回で、神奈川県のほぼ中央、海老名市にある泉橋酒造を紹介する予定です。

あれやこれや

馬齢を重ねハヤ70歳と成ってしまいました。古来『人生70年稀に古い』とか言われますが、若い頃は70歳と聞くと物凄い年寄りに感じましたが、いざ自分が70になっても、多少体力が落ちたなとしか感じられず、本当は可也くたびれているが。洋酒であるならVSO、VSOPの様に熟成して馥郁とした香りが漂うでしょうが、わが身を振り返ると、どう見ても成熟してないな~。 XO醤?
 さて、六十歳代最後の12 月は 趣味一色。まずは、古河市郷土史の忘年会。開催場所は古河のお殿様の(描いた和服の柄の雪紋でおなじみの)雪華図絵にちなんだ名前の「六花・リッカ(早い話が雪印)」。古河に来たころ同名の和菓子があり、ルビが「ロッカ」と振ってあったので「リッカ」じゃないのと言ったら、菓子屋のオバハン「ロッカです」と譲らず 六義園、お香の六国、漢字の象形文字、仮借(かしゃ)文字等の六書。「六」を「リク」と読むんじゃないの? それでも「イイエ違います、ロッカです」
 “六国”のうち 最高級品は「伽羅」。タイ産沈香は「羅国」と呼ばれ、タイに居た数年の間スクンビットの隅から隅まで探したけど残念ながら見つかりませんでした。
 忘年会では前の席に江戸末期から続く川魚料理の武蔵屋のご主人。この方と初めに謡を教えて頂いた故久貫先生から古河に縁のある宝生流の人間国宝、近藤乾三師の事を教わりました。なんでもこの方の御祖父さんは古河藩江戸屋敷勤務の御留守居番で外出する時は供回りがつくお家柄だとか。近藤乾三と云う方は随筆が得意で随筆集「こしかた」には古河で徴兵検査を受け、『徴兵が落ちるように鴻巣の元巣神社と言う神社に願掛けをした』と載っている。鴻巣といえば私が務めていた会社のある住所だけど、近所に聞いた事がない神社名。いろいろ聞いても不明だったが、まさか社内にある神社がそれかな? 戦前に書かれた「さるをがせ」を探せば古河との繋がりや徴兵検査の事がもっと詳しく書いてあるかと思い能楽の古書店、神田の高山本店に行きましたところ、何と、その古本(随筆集さるをがせ)がありました。でも、書かれている内容はお祖父さんの思い出話だけで
 ・・・・明治の中頃まで丁髷を結って、『冬は黒の宗十郎頭巾をかぶり黄八丈に黒の羽織を着た姿は河内山宗俊みたいでした。(原文ノママ)』 
エ~、黄八の着物? 黄八丈は娘さんが着る物とばっかり思っておりました。随筆集“さるをがせ”には徴兵の事は一切載っておりませんでした。そりゃそうだ、戦時色一色の昭和15年の出版だから、徴兵忌避の願掛けの件なぞ書いたら大変な目に遭っていた事でしょう。
 続いて12月23日は現在所属する宝生の“おさらい会”。今回は「鉢木」を謡いました。「痩せたりといえどあの馬に乗り」余りに貧窮して馬も飼葉も与えられず古川柳に“佐野の馬 戸塚の坂で二度転び”どうやら馬力が出なかった様で。よく近隣の栃木県佐野市の話と間違える方がおりますが、佐野市はラーメン、金ぴかの梵鐘の厄除け大師の佐野で佐野源左衛門は群馬県の碓氷峠あたりのお話しだとかです。
鉢木はどうやらフィクションらしい。佐野には他に佐野次郎左衛門という人物が籠釣瓶花街酔醒(カゴツルベサトノエイザメ)として歌舞伎の主人公がいるので、源左衛門と次郎左衛門を間違ったのか。“花の吉原百人切り”こちらはどうやら実話みたいです。大金を貢いだ挙句の果てに振られ「そりゃ花魁つれなかろうぜ」と刃物三昧。吉原は無粋な刀は持ち込めないはずと聞いたが。「ハテ籠釣瓶はよく切れるな」籠釣瓶は妖刀村正だったというお話。 
 打ち上げでは席の皆さんと“羽衣”談義に花が咲きました。タイに住んでいた頃、東南アジアにも羽衣民話が残っていることを知り、羽衣の追っかけをして、ネシアのボロブドールに行ったのは一昨年のことでした。インドがどうやら源流の様です。
 そして、暮も押し詰まった28 日には 高田馬場の茶道会館で金春流の高橋忍先生のお謡、高安流、柿原光博先生の大鼓で「天鼓・キリ」の小鼓を打ってきました。後見は大倉流大山容子先生。控室で、大鼓を打って頂いた高安流の能楽師の先生が先ず取り出したのは電熱器。大鼓の皮の乾燥用です。そして、組み立て。小鼓と異なり「調べ緒」(鼓を締める朱色の紐)はギシギシ軋むほど力一杯締めておりました。 
 「調べ緒」と言えば、昔、江田島の運用術の授業に結索術が有って、通常、艦艇の岸壁係留や短艇を舫う時に使用するホーサーやロープ類は全て左撚り索(Z索)で、世の中には右撚り索もある事も習いました。
 小鼓や大鼓の調べ緒が正に右撚りのS索だったのです。弛まない様にヒッチを掛けてスットパーにする、撚り方こそ違い、扱いはオンナジ。そういえば“麻索やクレモナは切って添わせろ、ワイヤーロープは添わせて切れ”でしたか。 また、そのころ習い覚えた用語で、“ブラタモリ”を見ていた時だったか定かでは有りませんが、商船大学で錨の(把駐力の)研究をしている人が出演して投錨時、何と「レッコ!
 商船大学でもレッコと謂うのだと妙に関心をしてしまいました。でも懐かしい言葉です。Let’s go が訛ってレッコに、ほかにはバケツ(盥)をオスタップ(washtub)、料理屋を“レス”、これはレストランから現在では直ぐに判る隠語、キャプテンを“ケップ”とか“ケプ”と云っていました。ケプガンとはガンルーム(次室)士官室の最上位者のこと。
 ところで会場には香席も有ってお席は満杯。よく香を聞くと云いますが。香炉に鼻を近づけて嗅ぎ、息を袖に吐く、この時に香炉が耳に近づくから“聞く”と云うのかと思っていたら、ブーッブーッ! 丸っきりの間違い。ドウやら四書五経に、天の神様が生贄の焼ける匂いを嗅いで聞き届けると言うところからと、漢字学者、藤堂明保の著書に書いて有りました。その頃のイケニエはだから、
 何だァ、ジンギスカンのタレの匂いか。
 それでは、2016年が皆様に於かれまして 輝かしい年でありますよう お祈り申し上げます。 私も70歳代に向かい 宜しゅう候。 ヨーソロー。

神奈川県の酒蔵紹介(その1)

お酒(日本酒)といえば、以前は越乃寒梅が有名で、地元議員に頼まないと手に入らないとも言われていました。越乃寒梅は新潟のお酒ですが、新潟のお酒にしては爽やかで、飲み心地が良いところが評判になったと思います。新潟のお酒は、いわゆるお酒らしい味で私の好みですが、昨今ではフルーティーで白ワインのようなお酒が好まれるようです。お酒は、米、水そして気候が重要とされていますので、お米の産地である秋田、山形、宮城、福島など東北地方で美味しいお酒が出来ます。また広島県の西条は気候が厳しく、水も良いので多くの酒蔵があります。酒蔵は日本中に有りますが、47都道府県で唯一酒蔵の無い県が鹿児島県です。やはり気候が暖かいので日本酒造りには適さないのでしょうか。私の住む神奈川県にも13ほど酒蔵があります。今回から3回シリーズで神奈川県の酒蔵紹介をしていきたいと思います。最初は「久保田酒造」を紹介します。
 久保田酒造は神奈川県北部の旧津久井郡、現在の相模原市緑区にあります。ここのお酒は少し甘めですが、食中酒として常温でもお燗にしても美味しく飲めます。お酒造りに使用する水は丹沢山系の伏流水とのことです。個人的な感想ですが、丁寧に作っていると感じます。造っているお酒は全て無濾過です。出来上がった「もろみ」を布などで絞り、タンク(槽)に入れます。この工程を上槽と呼びます。通常では瓶詰めする時、さらに活性炭で濾過します。無濾過とは、この活性炭濾過をせずに、上槽したタンクより直接瓶詰めします。そのため瓶の底に僅かに滓が溜まることが有ります。ただし、火入れをしているので醗酵が進むことは有りません。火入れをしていない生酒も期間限定で有りますが、購入するには保冷ボックスを持っていく必要があります。
 この酒蔵に売店として使用している建物があります。昭和初期の雰囲気が漂う立派な建物です。写真を添付しました。かってこの建物では養蚕を営んでいたそうで、2階から上は蚕の部屋です。中に入ると薄暗く、夏でもひんやりとしています。少し前になりますが、内部は横溝正史原作の映画「八つ墓村」のロケに使用されました。おどろおどろしい横溝正史の世界にぴったりの感じです。
 久保田酒造の生産量は多くないため、神奈川県内でも購入できるお店は少ないです。最近、圏央道が神奈川県内も開通しまして、この久保田酒造は圏央道相模原I.C.で降りるとすぐです。自動車での便が良くなりましたので、一度お出かけになってみてはいかがでしょうか。時期にもよりますが、日本酒で漬けた梅酒もあります。日本酒が苦手の方も美味しく頂けると思いますが、日本酒より高価です。

次回は私の地元、湘南にある熊沢酒造を予定しております。

2015年11月15日

異普奇会便り

すでにご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、異普奇会 山田市松氏の著書「笑と涙の癌病棟」をご紹介いたします。
大手サイトDLmarketで電子書籍週ランキング7位に入っています。皆様、是非ダウンロードしてご一読願います。

http://www.dlmarket.jp/products/detail/324909

2015年10月13日

皆様
 今年もMK賛球会のゴルフ大会が、長野県の諏訪レイクヒルカントリークラブで行われました。
今年は富山からの参加者もあり、総勢11名が元気で白球を追いかけました。
また来年も9月13,14日に同じゴルフ場で開催が予定されています。  明治応用化学会の皆様の参加も歓迎しています。

MK賛球会のゴルフ大会

2014年5月21日

岩橋尊嗣氏が大同大学専任教授に就任!!

今般、岩橋尊嗣氏(松原研究室 1974年卒業;工学博士)が、大同大学の専任教授(情報学部総合情報学科 かおりデザイン専攻)に就任されました。
氏は本学卒業後、新エポリオン株式会社、共立製薬株式会社で勤務され、その後、同大学(かおりデザイン専攻)で客員教授を務められていました。また、公益社団法人におい・かおり環境協会の理事、明治応用化学会理事なども務められています。
テレビに出演されたこともあり、臭気対策アドバイザー、消臭剤の開発など多方面にわたってご活躍されております。
氏のさらなるご活躍をお祈り申し上げます。

2014年3月17日

第12回全国計量士大会 発表報告

去る2月28日、東京都港区のホテルインターコンチネンタル東京ベイで開催された第12回全国計量士大会で明治応用化学会の事業活動を発表しましたので報告致します。

[発表内容]
◎ 新たな計量士活動について
一般社団法人東京都計量協会に勤務する計量士として、通常業務の質量計検査業務、協会内の部会組織である計量管理研究部会事務局業務に加え、製薬会社のGMPと計量計測管理業務、明治大学理工学部応用化学科の「応用化学概論2」の講師活動、東京計量士会の理事活動及び一般社団法人日本計量振興協会の機関紙「計量ジャーナル」の編集委員活動、そしてNMIJ(計量標準総合センター)不確かさクラブの会員活動について発表しました。
本発表のパワーポイント資料は一般社団法人日本計量振興協会のホームページ上に4月より掲載予定であります。興味と関心のある方は是非ご覧くださいますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

異普奇会からのお知らせ

「異普奇会」とは松原研卒の堀川静雄氏が会長を務められている異才、普通人、奇才の人たちが集う異業種交流会の名称で各種講演会や会合を開催され情報の交換を行っています。今回、各種の案内が寄せられましたので掲載いたします。関心のある方は是非ともご参加ください。
(それぞれPDFファイルへリンクしています。)
 ※当記事のPDFファイルの掲載は終了しました

異普奇会総会のご案内-2
異普奇会総会のご案内-3
異普奇会総会のご案内-4
異普奇会総会のご案内-5
異普奇会総会のご案内-6
異普奇会のご案内-号外

南アルプスの眺望

北岳から間ノ岳方面

北岳から間ノ岳方面

農鳥小屋から朝の富士山

農鳥小屋から朝の富士山

 

MK賛球会

MK賛球会

平成25年6月吉日

MK賛球会 会員 各位

ゴルフ旅行のご案内

拝啓、梅雨の候ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。
 恒例のゴルフ旅行を下記予定で企画致しました。2日間、2ラウンドの日程にしましたが、1ラウンドのみのご参加、懇親会のみのご参加等、どのようなご参加でも結構です。皆様、奮ってご参加下さいますようお願いします。出欠のご連絡およびお問い合わせはEメール(nakaz@agate.plala.or.jp)にて、7月10日までにお願いします。この会に参加できる方の情報等もありましたら、お寄せください。

敬具

  1. 日 時
    平成25年9月8日(日)~9日(月)

  2. 場 所
    諏訪レイクヒルカントリークラブ
    (長野県岡谷市川岸7085
     TEL 0266-23-1224)

  3. 日 程

    8日(日)
    10時50分   集合(現地)
    11時00分   昼食・打合せ
    12時08分頃  スタート
    18時00分   懇親会・宿泊(ゴルフ場ロッヂ)

    9日(月)
    07時00分   朝食(ゴルフ場ロッヂ)
    08時03分頃  スタート 15時00分  表彰式後解散

  4. 費 用 (概 算)

    昼食・飲み物(ゴルフ場にて2日分)・表彰式軽食・飲み物
    6,000円

    プレー代(2ラウンド分・キャディー付き・乗用カート)
    19,000円

    茶店(2日分 水分補給を充分にとってください。)
    1,000円

    夕食(飲み物含む)
    6,000円

    宿泊代(朝食モーニングセット付)
    3,150円

    合     計
    35,150円

この案内は次の方々に連絡しています。

メール :一幡・岡村・川村・倉田・小島・小宮山・齊藤晶・佐藤賢三・塩川・田中功・野田迪允・西川・渡邉駿・横井

手 紙 :宇田川・椎谷・藤井・山根(敬称略)

以上

アジアの新しい風
── ヴェトナム ──

 著者

日本・ヴェトナム修好40周年の節目を迎えた本年3月29日、NPO法人「アジアの新らしい風」はハノイ貿易大学において、「日本の詩歌・口語自由詩の諳誦と感想の発表会」を開催しました。「アジアの新らしい風」の一員として私も発表会に参加しました。
 ヴェトナムで日本語を学ぶ学生たちのうち、予選を勝ち抜いた学生10名が発表会に臨み、課題の日本の詩を暗誦し、感想を述べるという企画でした。予選を勝ち抜いて来た学生たちだけに素晴らしい発表で、参列した日本人の会員もそのレベルの高さに感銘した次第です。
 審査のポイントは、日本語の基礎、詩歌の内面まで掘り下げ、さらに聴衆にどれだけ訴えかけるかでした。発表者の中から、優勝・準優勝・3位の学生を私たちはそれぞれ選びましたが、優勝者は日本へ招待されるとのことです。ここで、ヴェトナムの昨今について、報告します。

①  面積は約33万km2 で、九州を除いた日本の面積と同じです。

② 人口は、約9,039万人(2012年) と東南アジアでは、インドネシア・フィリピンにつぎ3番目に位置しています。

③  GDPですが、私が2000年にヴェトナムに赴任したときは、一人あたり403ドル/年でしたが、2012年では、1,528ドル/年と4倍程度と年々成長しています。ホーチミンのGDPは2011年度で3,000ドル/年を超え、訪問するたびに街が発展している様には驚かされます。

④  日本からの投資も年々増加し、2011年には2010年の2.5倍に拡大し、さらに増加するとの予測です。街中活気に満ち溢れています。

⑤  ヴェトナムの特徴としては識字率が90.3 %と高く、教育には熱心です。また、国民性としては、勤勉です。

第12回全国計量士大会 発表報告1 第12回全国計量士大会 発表報告2

修好40周年を機会に、日本とヴェトナムとの関係が、さらに深まることを祈念しています。

平成24年4月20日

伝えることの難しさ

公益社団法人石油学会では、我が国の基幹エネルギーである「石油」に関し、「石油開発」、「エネルギー概論」、「石油精製」、「石油利用」、「エネルギーと地球環境問題」、「新エネルギー」、「省エネルギー」、「潤滑油」の8コマの講義テーマを用意し、石油企業OBを主に6名の講師が全国の大学から要請を受け、授業の一環として大学に出向き講義を行うということを20年余継続実施している。自分は、2年前から講師団の一員に加わり、地球温暖化問題を受け持っている。倉田先生のお声掛けで毎年、明大にもお邪魔している。内容は石油だけに限らず、エネルギー全般にわたる現状と動向を解説するもので、その中では普段の授業では触れられないような現場経験、研究経験等実務的な要素も織り込まれる。対象となる大学は北海道から、九州の全国に及び、国立大学、私立大学、一部高等専門学校、市民講座等年間約30機関から希望により実施される。対象学年の多くは応用化学系大学3年生であるが、教養課程の1、2年生、場合により大学院生、一般市民も含まれる。教材はパワーポイントで作成した資料で、一コマ90分の講義である。授業は受けるものと思っていたが、話す立場になると、最初、足や腰等に言われぬ疲労感が残り、90分間が終了すると喉もからからになった。これを毎日複数回繰り返される先生方のタフさに感心したものである。
 学生の数は20名程度から100名程度と幅がある。授業開始時間と終了時間はきちんと守るよう言われており、特に終了時間が延びると評判が悪いと言われているので終わりには注意した。最初は、対象講義に対して学生が関心持っておとなしく聴講してくれるか心配であったが、授業態度は概ねどの大学も良好である。対話できるような授業は最初からは無理なので、地球温暖化問題に対して、学生がどう考えるか、何かできるか等考える動機づけができればとの思いで講義している。たまに寝ている学生もいるが、概ね学生の授業態度は良好で、静かである。ご担当の先生が同席する大学もいくつかあるが、殆どは授業の始めと終了時以外は不在されるので、学生自身の自覚とすればりっぱなものである。講師側にも反省点が多く、学生を魅了し、誘い込むような話をするのは未熟でまだまだなので試行錯誤の毎回である。講義中や終了後行う、質疑応答に対しては、どこの大学も反応が大変少なく、この点は少しさびしい。教え方の下手さ故か、内容のなさか等いつも考えさせられるところである。数少ないが質問する学生がいるとほっとする(できるじゃないか)。
 少し慣れたら、対話しながら話が進められればいいかな、と考えている。何故なら彼らは、レポート課題がある場合、与えた課題に対して優れたレポートを提出してくるわけで、授業での発言の出し惜しみか、逆に内容が簡単すぎるか、なんて思ったりしながら、講義内容の工夫、説明の強弱、興味を引き出すような授業形態を毎年考えながら取り組んでいる。個々の学生の潜在能力は優れていると思うので、この点は、是非大学のプロの先生方にそのコツを聞きたいものである。今年もそんな反省を踏まえながらまた新たな可能性と期待を込めて取り組んでいるこの頃である。