HOME > 明清楽資料庫 > このページ

茉莉花(明清楽資料庫)


最新の更新 2022年8月29日
【MP3で歌を聴く】(1.94MB ダウンロード形式)
 茉莉花(まつりか)は「ジャスミン」の花の中国名で、清楽の曲目の一つ。清楽では「抹梨花」「含艶曲」などとも言う。
 中国各地でさまざまなバリエーションがあるが、19世紀初頭に長崎経由で日本に伝わったものは福建バージョンに近い。
 日本に伝わった茉莉花は、唐音でそのまま歌われるほか、日本語の歌詞をつけられて「水仙花」「紫陽花」という歌になったり、沖縄の「伊集の打花鼓」でかなり変化した形で歌われたりしている。
 西洋でも、茉莉花の旋律はプッチーニのオペラ「トゥーランドット」で用いられているため、有名な曲である。
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-lrM7DwDggoYwM0zBkXW4vM


[現代中国の茉莉花]  [清楽の茉莉花]  [江蘇の茉莉花]  [福建の茉莉花]  [寧波の茉莉花]
[長崎の茉莉花(紫陽花)]  [沖縄の茉莉花(伊集の打花鼓)]  [福建省龍渓県の打花鼓]
[京劇の茉莉花(打花鼓)]  [甘粛省の茉莉花]  [黒龍江省の茉莉花]

『琉球人座楽并躍之図』より「打花鼓」の図。
「茉莉花」は、琉球王国の宮廷演劇・唐躍(とうおどり)の演目「打花鼓」の劇音楽としても使われていた。
 左の絵図は、1832年、琉球の尚育王の謝恩使の一行が、いわゆる「江戸上り」の一環として、芝白金の島津邸で行った奏楽舞踊を十場面に分けて描いた巻物の一部。 沖縄県立博物館蔵。縦25.2cm、横994.5cmという長大なサイズである。
 鎖国時代の江戸でも、将軍や大名の前で、中国の演劇や歌舞音曲が上演されていた。
 出演者名の称号「親雲上」(ペークミまたはペーチン)や「里之子」(サトヌシ)は、士族の役職名である。  このように「江戸上り」の芸能は、完全に士人ルートの枠内であったがために、明治初年の士人階層の降替とともに消滅した。 だが、沖縄の農村部に入って郷土芸能化したものは、例えば「伊集の打花鼓」のように、今日も芸能としての生命を保っている。
 沖縄における「茉莉花」の伝承ルートの担い手は、「久米三十六姓」のような移民階層、「江戸上り」のような士人階層、琉球王朝崩壊後に郷村芸能化したあとは農民階層、と多彩である。
 茉莉花(打花鼓)の演変の歴史は、海域交流における芸能伝播モデルを考えるうえで、格好の材料の一つである。

【備考】 唐躍は、沖縄県うるま市津堅島(つけんじま)の民俗芸能で旧暦8月9日から15日まで踊られる「唐」(とうおどり)とは別物である。
 唐躍の復元上演については、2011年7月公開のドキュメンタリー映画「よみがえる琉球芸能 江戸上り」(監督:本郷義明 出演:又吉靜枝 比嘉悦子 御座楽復元演奏研究会 新潮劇院)でも描かれている。以下、作品情報をhttps://movie.jorudan.co.jp/film/42162/より引用(閲覧日2022年8月29日)。
“江戸上り”とは200年以上にもわたり行われた、琉球の文化を披露する機会であった。一幅の絵巻から始まった近世琉球文化の復元が沖縄伝統芸能のルーツを辿り、160年の時を越えてスクリーンに蘇る。琉球王朝の芸能は首里王府の滅亡とともに多くが失われたが、研究者の努力により、芸能の復元、王国の歴史の解明が進められている。1609年(慶長14年)、薩摩藩の侵攻により琉球はその支配下に置かれる。琉球国王・尚寧とその一行は駿府の家康公、江戸の秀忠公に謁見するために2000キロの旅に出る。その後、中国の冊封を受け琉球国王が即位する度に江戸に謝恩使を、徳川将軍の代替わりの度に慶賀使を派遣する。この幕府への使者派遣を“江戸上り”と呼んだ。使節団は薩摩藩邸や江戸城内で、琉球芸能を披露した。江戸上りは、江戸幕府と薩摩藩にとっては他国を支配する権威の象徴であり、琉球にとっては国の文化を披露する貴重な機会であった。武力ではなく、文化交流や貿易で国を栄えさせてきた琉球の芸能の粋を集めて披露したのが江戸上りだった。1850年の最後の江戸上りから時を経た今、江戸上りの資料は乏しい。しかし、当時の様子を描いた絵巻物や、古くから残っている沖縄の音楽や舞踊、神事の舞、当時交流のあった中国に伝わる音楽などから紐解き、『御座楽(うざがく)』、『琉躍(りゅうおどり)』、『唐躍(とうおどり)』が復元された。そして2011年2月26日、東京日本橋三越劇場での舞台公演が果たされることとなる。音楽・舞踊・衣装・小道具など、江戸上りの復元に懸ける人々の姿と、琉球の歴史と文化を追う。
 2022年9月25日には、沖縄県那覇市の琉球新報ホールで唐躍「打花鼓」(出演:石川直也、又吉聖子、玉城匠、翁長俊輔、ほか)が上演される予定である。


現代中国の茉莉花
 中華人民共和国では、江蘇省系の茉莉花(
こちら)を編曲したものが全国的に普及していたが、近年は下記のバージョンが主流である。
【MP3で歌を聴く】(C調。二番の歌詞を補作)
現代中国バージョンの旋律をMIDIで聴く  [C調]   [D調]  [F調]



好一朶美麗的茉莉花、 好一朶美麗的茉莉花。 芬芳美麗満枝椏、又香又白人人誇。
譲我来将你摘下、送給情郎家。 茉莉花呀茉莉花、茉莉花呀茉莉花。

hao yi duo mei li di mo li hua , hao yi duo mei li di mo li hua ! fen fang mei li man zhi ya, you xiang you bai ren ren kua. rang wo lai jiang ni zhai xia, song gei qing lang jia, mo li hua ya mo li hua, mo li hua ya mo li hua !


日本の清楽の茉莉花
長崎清楽「茉莉花」の旋律を【MP3で聴く】(歌詞の字句の一部を補作)
  MIDIで聴く [単旋律]  [和音]  [和音(2)]



[五線譜の頁] [ABC譜]

清楽の「茉莉花」(又名「抹梨花」「含艶曲」)→日本本土「水仙花」「紫陽花」、沖縄「伊集の打花鼓」

←最古の清楽譜刊本『亀齢琴譜』(天保3年=1832ごろ)。
 クリックすると拡大。

含艶曲

 好一个抹梨花満園的花児開賽也不過他 本待一枝又恐怕載花人罵呀

 好一朶杜鮮花有朝的有日落在我家本待早出門 又恐怕鮮花那児落卟

『月琴楽譜』(1877)より

「茉莉花」の歌詞は、西廂記の物語をふまえた長編。
大田南畝「杏園間筆」には享和3年(1803)に長崎で筆録した小曲「文鮮花」(「茉莉花」)が収録されている。
天保3年(1831)ごろの『花月琴譜』(清楽の現存最古の楽譜)にも「含艶曲」というタイトルで「茉莉花」の曲が収録。
明治十年刊『月琴楽譜』が、工尺譜・歌詞ともに最も詳細である。

長崎清楽(『月琴楽譜』)と、京劇「打花鼓」中の「茉莉花」(『戯考』)の歌詞の比較対照。
長崎清楽「茉莉花」
『月琴楽譜』(1877)より
京劇「打花鼓」
『戯学彙考』(1926)「巻之八」より(詳細はここ)
【好一個抹梨花。】(re)
満園的花児開、賽也不過他。
【本待要採一枝、又恐怕栽花人罵[口卜]。】(re)
2)【好一朶牡丹花】(re)
満園的花香、賽也賽不過他。
【我有心将花朶拾一枝、恐怕有看花人児罵。】(re)
【好一朶杜鮮花。】(re)
有朝的有日、落在我家。
【本待早出門、又恐怕鮮花児落[口卜]。】(re)
1)【好一朶鮮花。】(re)
飄来飄去、落在我家。
【我有心将花朶採、跌跪在那花枝下。】(re)
八月裏桂花香、九月裏菊花黄。
勾引的張生、跳過粉墻。
【好一個崔鶯鶯、剌剌門関児上[口卜]。】(re)
(注)門関児上→門児関上
8)八月里桂花香、九月里是菊花黄。
勾引張生、跳過了粉墻。
【好一個崔鶯鶯、将門児来関上。】(re)
【哀求紅娘姐。】(re)
可憐的小生、跪到半夜。
【你着是不関門、跪到東方日亮[口卜]。】(re)
3)【哀告小紅娘。】(re)
可憐那張珙跪倒在門旁。
【你要不関門、定要跪到天明亮。】(re)
【慌忙把門関。】(re)
開了的門児、不見人来。
【你那裏是何人、敢則是賊強来盗呀。】(re)
4)【嘩啦啦把門関。】(re)
開了那門来、不見那張君瑞。
【奴認是心上人、誰知是那妖魔怪。】(re)
今日又来。明日又来
来的去、哥你知道了。
【你那裏去懸梁、奴這裏無梁去吊呀。】(re)
(注)は「瞧」の誤り。
5)【誰叫你来瞧。】(re)
瞧来那的瞧去、老夫人知道了。
【俏郎君尖刀上死、小妹妹懸[木梁]児吊。】(re)
我的愛哥哥、
哥哥的那門前、隔了一条河。
脚踏着【独木橋叫奴家、如此何得過呀。】(re)
(注)字句の欠落・誤認があるようである。
6)【我的好哥哥。】(re)
哥哥的門前隔断了一道河。
【上搭着独木橋、叫小妹妹怎様児過。】(re)
【我也没奈何。】(re)
摂緊着花鞋、走将過花。
【好一個有情郎、急忙忙午児来扶呀。】(re)
7)【我也没奈何。】(re)
先脱花鞋、后脱了裹脚布。
【這才是為情人、才把這河児来過。】(re)
【我的心肝為。】(re)
着我心肝走、過幾重山。
【本待要会情郎、又恐怕爹娘[口卜]来到呀。】(re)
【雪花児被風飄。】(re)
飄了的飄了去、三尺余高飄。
【好一個雪美人、怎比我冤家俊臉呀。】(re)
9)【雪花児飄飄。】(re)
飄来飄去三尺三寸高。
【飄下個雪美人、怎比你冤家俏。】(re)
【錦扇児光上。】(re)
【写着的好詩句、到有両三行。
【本待要送情郎、又恐怕傍辺人取笑呀。】(re)
【我的嬌姑娘。】(re)
你会手弾琵琶、我会吹簫児。
【簫児在口中吹、琵琶在膝児上抱弾呀。】(re)
【吹呀吹得好。】(re)
吹弾得唱歌好人都知道了。
【本待要再吹弾又恐怕知音贅来呀。】(re)
10)【太陽出来了。】(re)
太陽一出、雪美人化掉了。
【早知道露水情、不該在郎懐中抱。】(re)

【歌詞の大意】
  1. 美しい一本のジャスミンの花 花園のどんな花にもまさる花 ぼくも一本手で取ってしまいたいけど 花を守る人に怒られちゃうのが怖い
  2. 美しい一本の花 ある日 ぼくの家のなかに落ちてきた もともと早く出かけるつもりだったけど 花が落ちちゃうのが怖いから
  3. 八月は桂の花が香り 九月には菊の花が黄色に色づく 『西廂記』の張生くんが花の色香ににつられて 壁を乗り越えて しのびこんできます でも 崔鶯鶯(『西廂記』の美少女)は良家の子女だから ドアをピシャリと閉じてしまう
  4. (崔鶯鶯に仕える下女)紅娘さん、どうかお願いです、ドアをあけて! かわいそうな張生は ひざまづいたまま夜中まで哀願します  ドアをあけてくれないのなら 東の空が白むまで ここにひざまづいてお願いし続けます
  5. あわててドアを閉める ふたたびドアを開いたとき 相手の姿はもう見えない あなたはどこの誰なの 何を奪いに来たの
  6. 今日も見に来ます 明日も見に来ます 何度も見に来たから お兄さん、あなたはもうわかったでしょう  たとえあなたが梁(はり)に縄をかけて首をくくろうと わたしは首をくくる梁すらないのよ
  7. わたしのいとしいお兄さん あなたの家の門の前には一本の川が横たわってる 丸木橋をわたりたくても  女の足ではわたれませんわ
  8. しかたがありません 靴をぬいで はだしになりましょう あなたはやさしい人だから 早く出てきてわたしを手でささえてね
  9. わたしのいとしい人よ いとしさゆえに山をいくつでも越えてゆきます 本当はあなたと会いたいけれど お父さまとお母さまに知られてはいけませんわ
  10. 雪が風に舞う 風に舞いつつ三尺あまりも雪がつもる 白くかがやく雪の美女も わたしの恋人の顔の美しさとどうしてくらべられましょう
  11. 錦の扇の上に 良い詩の文句を二三行書きます いとしいあのかたにお送りしたいのだけれど まわりの人に笑われるたらいやですから
  12. わたしのかわいい人よ あなたは琵琶が弾ける ぼくは笛が吹ける 笛に口づけして吹くから 琵琶を膝に抱いて弾いてね
  13. 吹くよ吹くよ うまく吹けたよ 楽器もうまく吹きかなで 歌もうまく歌えたから みんなに知られちゃった  本当はもう一度 楽器を吹きかなでたいけれど 知音に余計なことを言われるのが嫌だから
  14. 太陽が出てきた 太陽が出てきたら 雪美人が溶けちゃった 最初から露のような関係だと知っていたら あなたの胸に抱かれなかったものを

CD「坂田進一の世界 江戸の文人音楽」(2003年 坂田古典音楽研究所)に「茉莉花」の合奏も収録(歌は無し)。


江蘇の茉莉花
 現在の中華人民共和国では、この江蘇民謡バージョンが最も広く国内外で知られていた。
江蘇バージョンの旋律をMIDIで聴く [簡素版 Eb調] [和音版 C調]。



福建の茉莉花
 福建省建陽県に伝わる「茉莉花」。『中国民間歌曲集成・福建巻(下)』p.1110の「1185.茉莉花」歌詞付き数字譜を五線譜に直したもの(前奏と後奏は略)。
福建省建陽県の「茉莉花」の旋律をMIDIで聴く [簡素版]  [和音版]

『中国民間歌曲集成・福建巻(下)』p.1110「1185.茉莉花」(原注:黄水英唱、鄭一源記)


1.好朶茉莉花、好朶茉莉花、満園百花開賽不過了它、我本当採一枝、想採心又怕、想採心又怕。
2.八月桂花香、九月菊花黄、張生遇鶯鶯越過了彩墻、小姐来相会、相会在西廂、相会在西廂。
3.胡蝶双双飛、大地百花香、我的姐姐喲愛上了情郎、情郎情郎、何日来成双、何日来成双?


この福建・建陽県の茉莉花の歌詞は、長崎清楽の歌詞と共通性が高く、古い形を残していると言える。
長崎清楽…満園的花児賽也不過它待要採一枝…
福建系…満園百花賽不過了它当採一枝…
江蘇系…満園的花草香也香不過它我有心採一朶…
京劇系…満園的花香賽也賽不過他我有心将花朶拾一枝…

→cf.
福建省建陽県の「九連環」
【参考】「唐旅(とうたび)」= 明・清時代に琉球王国の進貢使節がたどったルート
那覇─(海路)─福州─(陸路・水路)─杭州─(京杭大運河)─北京
福州市──閩清──水口駅──古田──延平府南平──健安県太平駅──建寧府城西駅(現在の建甌)──建甌県葉坊駅──建陽県建渓駅──石陂塘──蒲城──仙霞嶺──清湖──江山──蘭渓──杭州──……──北京

参考資料:
比嘉実『「唐旅」紀行』(法政大学沖縄文化研究所、1996年、沖縄研究資料15)
上里賢一「程順則の父と子」(琉球大学法文学部,2006-3,日本東洋文化論集 no.12 p.129-154 紀要論文) < 琉球大学学術リポジトリ


寧波の茉莉花
 浙江省・寧波市では、茉莉花の曲は、ゆったりとした「文鮮花」と、軽快な「武鮮花」の二曲のバージョンで伝わっている。
 『中国民間歌曲集成 浙江巻』(人民音楽出版社、1993年)pp.328-330に「340.文鮮花」「341.武鮮花」の歌詞付き数字譜を載せる。
 ここでは「文鮮花」のほうを紹介する。
寧波市の「文鮮花」の旋律をMIDIで聴く
【歌詞】 春(啊)暖四季春(哎)、春暖四(啊)季春、遍地(那箇)黄花百草一斉青。
有一位西(呀)門慶(呀)打扮好遊玩出門(哎哎喲)、
有一位西(呀)門慶打扮好遊玩出門(哎哎喲)。

 旋律は、日本の清楽の茉莉花と似ている。清楽の歌詞では『西廂記』の張生が出てくるが、寧波では『金瓶梅』の西門慶が出てくる。

長崎の茉莉花「紫陽花」(あじさい)
茉莉花の旋律をアレンジして、日本独自の歌詞をあてた長崎民謡。
「紫陽花」の旋律をMIDIで聴く[その1] [その2] [その3]

中西啓・塚原ヒロ子『月琴新譜』より


(一番)ハアー 花ならばヨー わたしゃ紫陽花ヨー ほんに良い良いあの花は 今日も小雨の塀のうち
 青に紫 いろかえて うつむきがちに咲く 別れたあの人を いつまでも待って暮らす

(二番)ハアー 花ならばヨー わたしゃ紫陽花ヨー ほんに良い良いあの花は 湊の見える丘のうえ
 船の出入りを眺めては うつむきがちに咲く いとしい シーボルト 思い切れないオタキさん

 長崎に来たフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796〜1866)は、ヨーロッパに戻ったあと、日本のアジサイに"Hydrangea otakusa Siebold et Zuccarini"という学名をつけた(その後、学名としては無効になった)。この中の「オタクサ」は、シーポルトが日本での現地妻であった「オタキさん」(楠本滝。楠本イネの母)を思ってつけた、というロマンチックな説がある。
 長崎のアジサイと慕情を結びつけた日本の歌曲は多く、昭和の歌謡曲でも
  グレープ「紫陽花の詩」昭和48年、さだまさし・作詞、作曲
  島倉千代子「あじさい旅情」昭和48年、石本美由起・作詞、服部良一・作曲
  梶芽衣子「長崎はアジサイ模様の哀愁」昭和55年、菅野さほ子・作詞、新井利昌・作曲
などがある。


伊集の打花鼓(いじゅのターファークー)

現在の伊集部落。2009.3.3撮影。山と海にいだかれた閑静な住宅地である。
 沖縄県の中城村(なかぐすくそん)字伊集に伝わる芸能。「伊集ターファークー保存会」がある。昭和60年(1985)に沖縄県指定無形民俗文化財。
 琉球王国時代の久米村(現在の久米町)に伝わった中国劇「打花鼓」が土着化したもの。現在では伊集にしか残っていない。
 茉莉花の曲が「打花鼓の歌」として歌われるが、村人が先祖代々、口承で伝えてきた。中国の原曲とかなり違っているが、歌詞を分析すると部分的に原詞との対応関係が確認できる。
 例えば、原曲の歌詞「好一朶鮮花」→伊集の打花鼓では「ハウティチャーシンファー」。旋律も沖縄化している。
「伊集の打花鼓」の旋律を[MIDIで聴く]。
喜名盛昭・岡崎郁子『沖縄と中国芸能』(おきなわ文庫,1984)p.142より(歌・三絃 井口浦戸)


2008.11.23(日)宜野湾市民会館大ホール
犯罪被害者支援チャリティー芸能公演



伊集の打花鼓の歌の句原詞の該当句
ハイティチャーシンファー好一朶鮮花
ユーチャーイーティー
ジンエージンイー
クッチャイニーイーライ
有朝的一日
落在我家
 もともと琉球王国時代の久米村で伝承されていたが、琉球王朝時代の末期、那覇へ下男奉公に行っていた「ナーファヌヤー」(屋号)という人が、それを習得して伊集に持ち帰り、その息子に教え、さらに息子が当時の伊集部落の若者に教えたと言われている。
(以下、2009年3月3日に打花鼓保存会会長・井口善春氏から伺った話)
 ナーファヌヤーは「那覇の家」の意である。
 上演時間は9分から11分ていど。毎年、旧暦の八月十五日の夜(中秋の名月)に上演するほか、太陽暦の八月から九月ごろにかけては、 ほとんど毎週末、各地の祭りやチャリティ公演等に参加している。
 通常は20歳前後の男子のみで演ずる。出演者は十一人、ほかに地方(じかた。地謡)が三人。ふだんはそれぞれ仕事を持っている。
役名人数役柄・意味
筑佐事二人筑佐事=チクサジは衛士のこと
ガクブラ吹き二人ガクブラは喇叭のこと。演技の時は紙製
唐の按司一人唐の按司=トウノアジ、トーノージは、唐の「王さま」
フゥジョー持ち一人キセルをもつ子供のこと
御涼傘持ち一人御涼傘=ウランサン
ドラ鐘打ち一人
ブイ打ち一人ブイは小さな太鼓のこと
ハンシー鐘打ち一人ハンシーはシンバルのような打楽器
太鼓打ち一人

↓1998.11.22(日)南風原小学校グラウンドにて。第20回南風原町民俗芸能交流会。上列左端の背広の男性が井口善春氏。
 地謡は基本的に三人(2009年3月現在、昭和9年生、昭和12年生、昭和25年生の三人の男性)。
 衣装や道具はすべて沖縄で制作したもので、ふだんは公民館の倉庫に保管している。
 歌詞の意味については、上演者もよくわからないが、昔ながらのものを口ずたえで伝承している。 喜名盛昭氏が直した五線譜も印刷資料として存在するが、ふだんの練習のときは耳で習い覚えて伝承するようにしている。
  平成8年(1996)の秋、日中青年交流事業の一環の交流祭に伊集の打花鼓が日本代表として参加し、北京・上海・福州と回った。ルーツが見つかるかもしれないと期待されたが、福州に太鼓だけでやる似たような芸能があっただけで、もう中国には残っていないということであった。 中国側は沖縄にも打花鼓が伝わっていることを初めて知り、一様に驚き、感銘を受けた様子であった、という。
(以上、2009年3月3日に打花鼓保存会会長・井口善春氏から伺った話)。

↑沖縄県中城村のホームページの
 
http://www.vill.nakagusuku.okinawa.jp/content/culture/list/ishuu.html
 http://www.vill.nakagusuku.okinawa.jp/content/youran/youran2/p12.html
も参照のこと。
(以下、上記のHPより引用)
「もともとは18世紀に名護親方によって那覇・久米村に創設された教育施設「明倫堂」で行われていた中国の戯曲を伊集出身者が習得し、廃盤(加藤注:「廃盤」はたぶん「廃藩」の誤り)と同時に本拠で上演されなくなった後も伊集の若者たちだけが受け継いで現在に至っている」
「 沖縄に打花鼓という芸能が現在継承されているのも中城村の伊集だけです。打花鼓はまず現在の那覇市久米町に中国から伝わったといわれていますが、時期については定かではありません。久米村(現在の久米町)では毎年三六九(サンルーチュー、学芸会)後の宴で打花鼓を演じる慣行が継承されていました。その後廃藩を期に上演されなくなりました。
 それがなぜ中城村伊集にだけ残っているのか。さまざまな説がありますが、一般的にはつぎのようにいわれています。琉球王朝時代の末期、那覇へ下男奉公に行っていたナーファヌヤー(屋号)という人が、それを習得して伊集に持ち帰り、その息子に教え、さらに息子が当時の伊集部落の若者に教えたといわれています。」
「打花鼓は二十歳前後の若者で演じます。男性だけで構成するのが通例ですが、例外的に女の子が加わることもあります。 出演者は佐事(加藤注:たぶん「筑佐事(ちくさじ)」が正しい)二人、ガクブラ吹き二人、唐の按司一人、フゥジョー持ち一人、御涼傘持ち一人、ドラ鐘打ち一人、ブイ打ち一人、ハンシー鐘打ち一人、太鼓打ち一人、計十一人。
ブイ、ハンシー、太鼓の役は始めから終りまで飛び跳ねながら踊るという活発な体の動きが要求されるので、せいぜい二五歳くらいまでしかでないため、三年くらいで踊り手が入れ替わります。 地謡は基本的に三人。青年ということではなく、三線のできる年配の人を含みます。現在、衣装についてそれぞれの名称はついていませんが、按司のチン(着物)とか、チクサジのチンという言い方をしています。
 踊りはまず、佐事以下、銅鑼打ちまでが行列をつくり、楽器を持つものはそれぞれ演奏しながら登場し、行列の最後に主役となるブイ打ち、ハンシー鐘打ち、太鼓打ちが続きます。三人は飛び跳ねながら、時に体を沈みこませたり、足を振り上げたり、楽器を大きく振りまわしたりと、リズミカルにダイナミックに踊り続けます。」
(以上、上記の中城村のHPより引用)


福建省龍渓県における「打花鼓」
 上記の沖縄県の「伊集の打花鼓」の旋律にぴったりあうものは、中国本土では未確認である。
 しいて言えば『中国民間歌曲集成・福建巻(下)』p.997に載せる「1051.打花鼓(三)」の冒頭の旋律線がやや近いていどであるが、 残念ながらこれも「類似」とまでは言えない。
福建省龍渓県における「打花鼓」の旋律を[MIDIで聴く]。

原注「康章植唱 佚名記」。原譜は数字譜と歌詞、速度は「快速」。打楽器は加藤が適当に入れた。

参考:
福建省龍渓県の「打花鼓(一)」

京劇における「茉莉花」

京劇「打花鼓」の絵図。花旦と丑(二人)による喜劇。
『戯学匯考(戯学彙考)』巻之八「戯曲編 旦角劇本 打花鼓」
(上海大東書局、1926年)に載せる挿図。クリックすると拡大。
 「茉莉花」の歌曲は、「雑腔小調」(民間の通俗的な小唄、の意)として、中国各地の地方劇にも吸収された。
 昆曲や弋陽腔、京劇には『打花鼓』という「小戯」(小規模な芝居)がある。
役柄人物小道具
花旦鳳陽婆腰に花鼓を、手に一対の鼓槌をもつ。
王八上記の夫。手に小鑼と木板をもつ。
公子手に扇子をもつ。

 芝居の内容は、滑稽なセリフのやりとりやしぐさを中心とするコメディである。
 町の道ばたで、芸人の夫婦が花鼓と小鑼を叩きながら歌い、芸を売っている。
 女房のほうは、なかなかの美人である。通りかかったある公子(わかだんな)が彼女を見て、ちょっかいを出そうと思い、からかう。
 芸人夫婦のほうも、公子を適当にあしらいつつ、見事な歌と踊りを披露する。……
 劇中で花鼓芸人の夫婦は、さまざまな歌を「吹腔」で歌う。
 この劇中で歌われるさまざまな歌を総称して「花鼓調」とも言う。「
鳳陽歌(=鳳陽調)」と「鮮花調(=茉莉花)」その他の雑曲の総称である。
 「茉莉花」とほぼ同じで、多少、京劇風に「加花」(主旋律に、無窮動的な細かい旋律を付加するというアレンジのこと)が施されている。
 沖縄の「伊集の打花鼓」とも、歌詞の対応が確認できる。概して北方の地方劇における「茉莉花」は、歌詞も旋律も江蘇系とかなり変わってしまっているのに、京劇における「茉莉花」は南方系に近い。江蘇と北京を結ぶ文化的なパイプが、それだけ太かった、ということの現れと言えるかもしれない。
 ちなみに京劇の名優・梅蘭芳も、売り出し中の若手だったころは、よくこの花旦の芝居を演じた(後に演じなくなった)。
 脚本の全文は「中国京劇戯考・打花鼓」でも読める(簡体字・中国語)。
京劇『打花鼓』で歌われる「鮮花調」の旋律を[MIDIで聴く]。

劉吉典編著『京劇音楽概論』(人民音楽出版社、1981)pp.511-512の数字譜(簡譜)を加藤が五線譜に直したもの。
 原本の数字譜には音高の指定がないので、便宜的に「1=C」として五線譜に直した。



京劇「打花鼓」で歌われる「茉莉花」の歌詞(上掲の楽譜とやや違うバージョン)

鼓婆(吹腔)好一朶鮮……
鼓郎(吹腔)花。
鼓婆(吹腔)好一朶鮮……
鼓郎(吹腔)花。(鼓婆唱、鼓郎幇。)
鼓婆(吹腔)飄来飄去、落在我家。我有心将花朶采、跌跪在那花枝下、跌跪在那花枝下。
好一朶牡丹花、好一朶牡丹花、満園的花香、賽也賽不過它。我有心将花朶拾一枝戴、恐怕有看花人児罵、恐怕有看花人児罵。
哀告小紅娘、哀告小紅娘、可憐那張珙跪倒在門旁。你要不関門、定要跪到天明亮、定要跪到天明亮。
嘩啦啦把門関、嘩啦啦把門開、開了那門来、不見那張君瑞。奴認是心上人、誰知是那妖魔怪、誰知是那妖魔怪。
誰叫你来瞧、誰叫你来瞧、瞧来那的瞧去、老夫人知道了。俏郎君尖刀上死、小妹妹懸梁児吊、小妹妹懸梁児吊。
我的好哥哥、我的好哥哥、哥哥的門前隔断了一道河。上搭着独木橋、
(鼓郎上跨、不過、上鉆過去。)
鼓婆(吹腔)叫小妹妹怎様児過、叫小妹妹怎様児過?
我也没奈何、我也没奈何、先脱了鞋、后脱了裹脚布。這才是為情人、才把這河児来過、才把這河児来過。
八月里桂花……
鼓郎(吹腔)香、
鼓婆(吹腔)九月里是菊花黄。勾引張生跳過了粉墻、好一個崔鶯鶯、将門児来関上、将門児来関上。
飄来飄去三尺三寸高、飄下個雪美人、怎比你冤家俏、怎比你冤家俏。
太陽出来了、太陽出来了、太陽一出、雪美人化掉了。 早知道露水情、不該在郎懐中抱、不該在郎懐中抱。



甘粛省における「茉莉花」
 「茉莉花」は、中国西北部の甘粛省の地方劇において「九連環」と混淆し、「曲牌」となっている。
 まず、甘粛省の隴東(ろうとう)・川(けいせん)地方の「民歌」に「雪花飄(空からふる雪が風にひるがえる)」という歌があった。 南方の「茉莉花」というモチーフが甘粛省では現地の気候風土にあわせて雪に改編されており、また旋律も「ファレ、ファレ」のように「ファ」を印象的に使うなど、西北地方の音楽的特徴にあわせてアレンジされている。
隴東・川の民謡「雪花飄」の旋律を[MIDIで聴く]。

出典:甘粛省文化局・甘粛省文聯合編『隴東民歌』(1962年内部刊行)p.104
→王正強著『隴劇音楽研究』(人民音楽出版社、1999年)p.55の数字譜(簡譜)を、加藤が五線譜に直した。
 原本の数字譜には音高の指定がないので、便宜的に「1=C」として五線譜に直した。

張希濤演唱・王世興記譜

 歌い出しの旋律が「ソーミソ」であるのは京劇と同じ。南方系の「茉莉花」の歌い出しが、日本の清楽を含めて「ミーミソ」「ミレミソ」であるのと対比をなす。
 上記の民謡は、地元の影絵芝居である「隴東道情皮影小戯」に「曲牌唱腔」として吸収され、名前も「九連環」と変えられた。
 この曲牌「九連環」は、甘粛省の地方劇「隴劇」にも吸収された。名称こそ「九連環」であるが、旋律は隴東民謡「雪花飄」の系統であり、「九連環」との共通性は認められない。


黒龍江省における「茉莉花」
黒龍江省の地方劇「[足崩][足崩]戯」で歌われる「茉莉花」の旋律を[MIDIで聴く]。

【参考資料】黒龍江省文学芸術界聯合会編・靳蕾記録整理『蹦蹦音楽』(黒龍江人民出版社、1956年)p.146に載せる「李泰唱」の歌詞付き数字譜。
 原本の数字譜には音高の指定がないので、便宜的に「1=C」として直した。



HOME > 明清楽資料庫 > このページ